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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: 沙羅さん

    2010年05月31日 16時01分43秒

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    「Re:一人言コーナー」
     
     いつも思う事なのですが
    、「ARC」という抽象概念を日本語に訳すと何故?
     いつも、固定指示名詞になってしまうのか?
     よくわからなかった。

     ARC に限らず、抽象概念を示す、ラテン語をもとにしたアルファベット言語は、沢山あるのです。

     日本語のつくりは、とにかく、形として見得るものに、当てはめて示す・・・という造りなのだろうか?

     漢字の表意文字というのは、表音文字と違い
     想像力の点で、かなり制約されてしまうんだろうか?

     ARC DE TRIOMPHE 勝利の門 とARC が直訳されてしまうのも、凱旋門を見て、門をある記号に当てはめてしまう・・という訳で通じ合っているにでしょう。

     見た映像に型はめするのではなく、意味性でラテン語は造られているはずなので、語源の発生は、人間の頭に想像する事を最初に予測して、意味 を伝えてきた・・・・ハズなのですね。

    これだけ、なんでも、画像や情報が氾濫して受身に、音でも映像でも、向こうから入ってくるので、全て受動なんだと思うのです。

     ARC を語源にするのに、大天使の大 ARC(H) + 天使ANGE

     という大天使、ARCHANGE も、何故?
     大と訳されるのか?
     意味がよく見えなかった。

     天使には位があって、ミカエル、ラファエル、ガブリエル、ウリエルの4大天使の位は、確か、9段階あって下から2番目にいちするらしいのですね。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%BD%BF%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

    下に行くほど、次元が低いのですから、地球に近くなるという意味らしいです。次元が低いというのは、人間界にちかづくのですから、人間とコミュニケートを取る天使は、下方の天使の役目であるようなんですね。

    それはよいのですが、リヨンにある聖堂、
    洗礼者 サン、ジャン、首座大司教聖堂と訳されている
    仏語は、
    PRIMATIVE プリマティヴ SAINTサン JEAN  ジャンBAPTISTE バティすテゥ CHATHEDRALE キャテドラル DEデゥ LYONリヨン
    長い名前なのですが〜・・・・
    PRIMATIVE という単語はま〜意味はわかりますが

    首座大司教と辞書には載っているのですが、大司教という単語は、仏語は、ARCHEVEQUE アーシュヴェックですから、
    、司教は、EVEQUE エヴェックですから、大がつくと、
    ARCHが前頭詞に来るので、使い方としては、大天使を大と日本語だと訳される、のと同じになっているんですね。
    ARCHを、何故?
    大 という漢字に当てはめたのか?
    よく分かりませんが〜・・・・・・

    西洋で生まれた単語を、日本語に訳すと本来の意味で通じ合っていた、意味性が、カテゴリーに型はめされて、本来の流動的な意味が通じないんですね。

    何かの型にはめないと、日本語というのは、そのように作られているのかもしれません。知職、認識重視、認識志向主義に陥り易いというのはそういう事かもしれません。哲学は構造主義で語られるところのエテゥノサントリズム、ETHNOCENTRISME 自民族中心主義の特徴は
    、どうしても、パロールより、表記されるトレース<印、点>記号に価値を重んじがち、一種の偏重思考なのですが、

    ・・・・・ま!色々あって考えると、もう少し他者を含むコミュニケートを心がけてください〜い・・・と述べたくなるんですね。

    そうそう、それで、何をのべたかったか?というと、

    カトリックの神父さんから法皇様までの位

    法皇を頂点として、枢機卿CARDINALカーディナルと呼ばれる位を含む神父さんまでの位は、
    天使位の9段と同じ名前や意味で呼ばれているのかしら?
    と不思議に思ったのでした。

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  • from: 沙羅さん

    2010年05月31日 15時08分44秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:地球 ひとりある紀」

     智ちゃんのご主人が一番潜るのに、興味が湧くという自然湖。
      SAVOIEサヴォア県のLac du bourget ブルジェ湖。
     山の地形からいくと、又交通の便といい、それほど大きな町は湖畔には存在していないのです。
     SAVOIE家のご先祖が眠る僧院の訪問も、バスも何も通っていないので、自家用車がないといけない場所にあるのです。
      
     湖畔には、エクセ、レ、バンという温泉がでる保養地があります。
     温泉といっても、日本語の温泉ではなく、地下水は飲む温泉なので、エヴィアンとかボルヴィックのような、400メートル地下に流れるミネラルウォーターが出る場所なんですね。
    でもこのように風光明媚なアルプス山脈に囲まれた場所に睡蓮の花を咲かす、自然湖が存在しているのです。

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  • from: 沙羅さん

    2010年05月31日 06時49分08秒

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    「Re:Re:Re:Re:地球 ひとりある紀」
    日本の初めての宇宙衛星、かぐや は今どこら辺なのかしら?

     ところで、わたしは、フランスに住んでいるにも関わらず

     宇宙衛星、かぐや の打ち上げ・・2007年9月14日に、

     九州の由布院に R子さんと、露天風呂の雨雲の下にいた。
     もちろん、かぐや の打ち上げなど知らなかった。すべてR子さんが一人で決める。わたしはただ付いて行くだけ・・・
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%90%E3%82%84
     
     かぐやには、この衛星に関わった人達の思いを乗せて打ち上げされている。
     J F ケネディーと、ジャックリーンの名前を載せて打ち上げしたそうだ。

    大統領の JOHNという名前は多そうだ。でも元はJEANでしょう?
    ジャックーン夫人は、フランス人のオリジナルで、名前はBOUVIERー LEEでしょう。
    フランスの、ST JEAN MAURIENNE にジャックリーン、の家系の家族が残っていると聞いた事があるのですが、定かではないのです。

    SAVOIE家発生は、このST JEAN MAURIENNEに、初代ウンベルト一世のお墓がある。これも不思議なのです。

    最後は、ウンベルト2世、イタリア最後の王様はイタリアに帰らず、フランス一大きい、SAVOIEのブルジェ湖のSAVOIEの僧院に2002年?だと思うが、永眠されている。SAVOIE家は、そこで、
    1000年続いた歴史の幕を閉じた。

    ブルジェ湖の湖には睡蓮の花が一杯咲いているそうだ。
    1000年続いた家系の願いを可憐な睡蓮の花を通して放っている

    R君の話です。

    月の回りをまわるかぐやだけが知っている不思議な事なのです。

    写真は、多分1830年代発行の発掘された不思議のメダイュなのです。

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  • from: 沙羅さん

    2010年05月31日 06時16分31秒

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    「Re:Re:Re:地球 ひとりある紀」
    > > 昨日は、お友達の智ちゃんご夫婦にお食事の招待を受け、
    > >  1日、素敵な、お喋りの日をもてました。
    > >
    > >  ご主人のR君に、ローヌアルプス地方http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%8C%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%97%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E5%9C%8F
    > >
    > > の発掘で見つけたコインや古代の貨幣を見せてもらった。
    > > なかには、300年代のコンスタンティヌスの時代のコインもあって、興味深い。この地域がローマ帝国時代に、民族移動やバチカンへ向けての巡礼のコースであったのでしょう。
    > >
    > > アルプス山脈を超えてイタリアに抜け東欧に向けていくコースは、それほど簡単な事ではないでしょうね。
    > >
    > > 貼り付けたコインの中で、パリの聖母マリアの出現に際し、聖母マリア自身の希望によってレイアウトされたメダイュは、3つだけ。
    > > 裏面には、横木を立てた、Mの字が彫られているのですが、実際今現在発行されているのは多少違うようなのです。
    > >
    > > この時、亡くなられた智ちゃんのお母様との京都の最後の旅行の写真を頂いたので、日にちを聞いてみた。
    > > てっきり、去年の一月にR君と初めて日本に帰った時の京都旅行だと思っていた。よく聞くと、クリスマスだと言う。
    > > 最初で最後になった、智ちゃんのお母さんとR君と智ちゃんが京都に行ったのは2008年の12月。
    > > しかも最後に訪ねた、清水寺が、12月25日だそうだ。
    > >
    > > 亡くなられたのが、翌年6月23日で、わたしは、同じく京都の清水寺にバトンタッチのように、行っている。
    > > 6月24日は、洗礼、聖ヨハネのカトリックの聖人の日なのだ。
    > > イエスと、洗礼、聖ヨハネはが、ほとんど、同じくして生まれ、西洋絵画には二人の赤ちゃんと聖母マリアが描かれた絵が多いのですが、これは冬至と夏至に二人の赤ちゃんが生まれた事で、一年を半分ずつ、受け持つ・・・
    > > という意味らしいのです。キリスト以上に、洗礼者、聖ヨハネの存在性は、今では考えられないほど、重要な聖人として扱われてきたらしいのです。
    > >
    > RHONE-ALPES地方で、洗礼者聖ヨハネに関係あるところを少しずつ調べてみる、
    > 、洗礼者、聖ヨハネの3本指のRelique聖遺骨は、
    > > ST JEAN DE MAURIENNE サン、ジャン デゥ、モリエンヌというARC川が通る町に保存されている。これも、偶然なのかしらん?
    > >
    > > 聖遺骨が本物であってもなくても、そういう事は関係なく、何故?
    > > ST JEAN の町が、三本指のロゴを提案し町のロゴになっている。、市役所の封筒やあらゆるところで、この三本指は見つけられる。
    > > 気味が悪いのは、このST JEANが有名なオピネルのナイフなのです。
    > > フランス、全国的にオピネルのナイフ・・というと、大概皆、ジャガイモ皮むき用ナイフだとか、サラミソーセージを切る、登山用の携帯ナイフで有名なのです。
    > > オピネルナイフというのは、大変普遍性があるナイフなのです。
    > > つまり、フランス料理というのは、まな板を使わない。
    > > 土鍋みたいなものに、手で野菜の皮を宙に浮かせて剥く。、サッサと、お肉や野菜を入れて煮込むのが多い。そのような料理にはこのST JEAN 町で生産されるオピネルナイフが重宝する。
    > > しかもナイフの刃は、LAME ラーム
    > > といって、魂AMEアームに定冠詞のLをつけると、全く同じ音素になるので文体の上では同じ音素を放つ事が多い。
    >
    > 全然関係ない話と言えば、関係ないのですが
    > > そういえば、娘は、一ヶ月前にコンサートで、マルタ島に行って来た。なんでも所属するオーケストラがマルタ島でコンサートを弾くらしく、マルタ島は地中海の小さな島なのです。
    > >
    > > マルタ島といえば、ダヴィンチコードでは、随分話題をよびました。テンプル騎士団・また聖ヨハネ騎士団と、宗教騎士団の事を思い出した。聖ヨハネ騎士団の旗を見たら、まるで SAVOIE家の紋章そのままではないかしらん?
    > >
    > > http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E5%9B%A3
    > >
    > > ダヴィンチが、愛した、洗礼者、聖ヨハネの秘密はどうも此処らへんに隠されているのではないでしょうか?・・と思ったりする。
    > >
    > > 娘は10月16日生まれの、モン、サン、ミッシェルにミカエル大天使が出現した日といわれる日に生まれているのですが、
    > > パリに一人で下宿している。
    > >
    > > 自分で一人で、広告を見て探したという小さなアパートがある住所は、JUSTICE 正義、裁判、通りという名前の通りにある。
    > > RUE DE LA JUSTICEジュスティス通り はパリ広しといえども、そこにしか存在しないようなのです。
    > 2,3年前に、Iさんがうちに遊びに来た時、リヨンに連れてってという
    > > I さんと、リヨンのサン、ジャン、首座大司教座聖堂に又フラ〜ッと行ったのは、彼女がその聖堂前に農薬を使わない自然ハーブのお店があり、そこでハーブを買いたい・・・とせがむので、仕方なく、
    > > 「車はもう一回入れた駐車場は移動しない」・・というわたしの条件をノムなら・・・という事で、フラフラ、雨あがりローヌ川を30分歩いて行った。
    > > リヨンは、ほとんど一通しかなく、路上に空いてる駐車場を探すのは、ストレスを背負う。タダでさえ都会を運転するのは嫌いときている私なので、多少遠くても、歩く事をモットーにフランスには来てもらっているのです。
    >
    > この時の目的はハーブのお店だったので、大聖堂の見学ではなかった。それほど、わたしはこの時期、聖ヨハネやダヴィンチに特別な興味がある訳ではなかった。
    >
    > ところが、ハーブのお店は閉っていた。万が一、車で来ていたら、閉っていたら、直ぐ車に戻ると思う。それとも、駐車場は見つからず、わたしは、車に乗ってエンジンをかけながら、彼女の買い物を待つというかんじかもしれない。パーキング場所が見つからなかったら、道路沿いにエンジンをかけて、ハーブ店での買い物を待つ事は十分考えられる。ところが、わたしは、美術館の時間制の地下パーキングに入れて、後は、多少遠くても歩いて行くという行動を取った方がリヨンの町中はパーキング探しだけで、30分はウロウロ走らないとならないのは、何回も経験して知っている。
    > それが、大聖堂へ訪問するという形になっている。
    > 何故なら、30分近くローヌ川を歩いて、ハーブのお店に来たのだから、少しは見学でもしよう・・・という事で、大聖堂にはいったのだ。Iさんは前にも尋ねている。もちろん、娘の友人ジュリアがこの教会の前の家に住んでいることなども知らない。
    >
    > >
    > > それは良いのですが、
    > > サン、ジャン首座大司教聖堂、洗礼者ヨハネ、カテドラルは、聖ポタン、聖イレネにより築かれ、ローマ、ガリア人の最初の殉教者達177年の血によって、聖なる教会とされたらしいのです。
    > > その後、このリヨンの大司教座聖堂は、ローマ法王によって、リヨン大司教に対し、裁判に関する主権を有していることからも分かるように、リヨンはパリ以上に、宗教的な色合いの濃い町として栄えていたのではないか?と想像するのです。とにかくあちこちにローマ、ガリア時代の遺跡がある。
    > >
    > > 話しがずれたのですが、このリヨンの聖ヨハネ大司教座聖堂での事、
    > > 「2ユーロでいいから、この教会の聖歌隊が歌うCDを買いませんか?」
    > >
    > > 多分9ユーロだったと思うのですが、お土産やさんのおばさんは、通りかかった私に声をかけてきた
    > > 9ユーロを2ユーロなどで勝手に売ってもいいのかしらん?
    > > 思ったけど、・・・
    > > このお土産屋さんのおばさんもお化けかも知れない。@@
    > > Iさんとわたしは、そのCDを一枚づつ購入した。
    > >
    > > その家でCDをかけてる時 CDの最初に 大聖堂の教会がカランカラン鳴る。、その時に、娘が、ジュリアという友人を、連れて現れた。同じバイオリン奏者なのです。
    >
    > リヨンでCDを買ってから、6ヶ月くらい経っていたある日の事の事。(ある日という表現になるのだけど、全てがそのように流れているように観える)
    > >
    > > 教会の鐘は全て、音階で調節されてある。ちなみにこの大聖堂の一番おおきな鐘(重さは7トン)は、ラ♭で調音されている。この鐘の名前はアンヌマリー(鐘一つ、一つ、名前がついている)
    >
    > > だから教会の鐘が響くと、耳がいいと、和音の調子が言える。
    > > ジュリアは、うちに着くと同時扉を開けたら、自分が住んでいる前の教会の音に気づき、「嘘でしょ?」と空に放った。
    > >
    > > 彼女は、リヨンの、サン、ジァン、首座大司教座聖堂に住んでいるので、毎日、小さい頃から聞き慣れている。<つまりこの時に、彼女が住んでいるのは、この大聖堂の前に実家があるという事を知る事になる>
    > >
    > > 不思議な現象だった。
    > ほんとうに、時間の途上、途上で、時間と空間のない世界のパズルを当てはめているような感じがする。
    > >
    > > ジュリアは、パリのバスチューユ、広場に下宿しているのですが、
    > > 何故か?
    > > 娘がマルタ島に、コンサートの為に一週間留守をしている間、
    > >
    > > 娘のアパートに借り住まいしていたそうなので。何故?
    > > と聞くと、ジュリアのアパートは造りが悪く崩壊があり、住めなくなったので、一時娘のアパートに、滞在し新しいアパートを探しているらしかった。たまたま娘が不在する前に起ったので、丁度よかった・・と娘は気前よく、自分のアパートを貸しているらしかった。
    > > つまり、娘はマルタ島に行ってる間、何故か?サン、ジャン聖ヨハネ大司教座聖堂の前に実家があるジュリアが住んで居た事になる。
    > >
    > > 教会の鐘というのは本当に不思議な存在なのです。
    > >
    > > 話しが飛んだわね〜・・・・
    >
    > 目的ってなんでしょう?
    > 目的だと思い、それを成すために日頃、計画しながら動いているのに、実は目的は目的ではない・・・・目的は、ただの縁起みたいなもので、ただの執着や我執にすぎないんでしょう。真の人生や生(神秘)世界への接触は、目的と思って目的を追ってる以上何も見えない・・・
    > >
    > > ま!いいわ、送信しようっと・・・エイ!
    > >
    > >

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  • from: 沙羅さん

    2010年05月29日 00時13分11秒

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    「Re:信念と確信」
    めるろ〜さん

     ほんとうに、日本の教育に本腰として哲学をカリキュラムに高校または中学に入れて欲しいんですよね。

     「義務との単なる一致は、宇宙の運命に無関心になる事によって、コンシアンスconscience <con + science>意識が自らに与える満足である」 

    と云ったのは、価値論のラヴェルですが、

    低く評価されているいくつかの倫理的態度のなかには、

    LEGALISME レガリズム法律至上主義
    や、叉は本能的に自分を反対の立場に身を置く人
    否定主義です。
    「わたしは反対だ」<EGO CONTRA>
    叉は、倫理至上主義例えば、ASCETICISMEのようにあまりにも、手段を目的にしてしまう禁欲者にとっては、禁欲の実践と、その結果増進する克己への逸脱が生じるような時です。手段は目的ではなく、神叉はその類とみなす何かと、私達の隣人とを、よりよく愛する為の手段であるはずなのに、隣人との関連や又その他との関連を、盲目的に排他する傾向にあるような倫理至上主義モラリズム考えです。モラリズムを行動する人の完徳と区別される理想に対して、
    仕えることとは、無関係に、徳をそれ自体として目的にしてしまう傾向にある事です。

    一番、日本人の混乱しているのは、LEGALISME 法律至上主義に思えます。

    ですから、よく、ヤクザに絡まれた時に、
    「あやまって、すむんなら、警察は、いらないんだよ〜」とか、怒鳴りますね?
    結局、一般の人達が警察<法>至上主義に頼っていると、このように、言葉に、意味をもたして、人を脅す・・・・という手段をヤクザの主張を世間に波紋させてしてしまうんですね。

    ですから、一般の人の放つ言葉 なんです。

    どちらにしても、イズムISMEが示唆していますから、至高の価値とみなされた法律をほとんど、盲目的に信某することから成り立ちますから、この意味では、信仰もある意味同じように捉えられます。

    法律の存在理由を考慮せず、法律が法律だから法律をまもらなければならない・・・となんでも、単直思考なんだと思うのですね。
    法律に服従する段階だけにとどまり、主張したり、法律だけしか視野に置かないとすると、法律は個々の人の思考または意志の代わりとなると、一種の疎外の危険を冒す事を生じるのだそうです。

    法律は人間が造ったもので、空から降ってきたものではないので、経典も聖書も他の教義書もすべて、扱う人間側のフィルターと人格、教養、人間性・・・すべて訳し方、理解の仕方に差が現れると思います。

    賢明な方は、、他者の言説の欠点や違いばかり判断ばかりしませんし。そのような否定主義によって、他者の足上げばかり、他者を履排他に追い込む事で、自分を正当化したり、いつも対峙世界を造り上げる事はしません。他者(自己)の欠点を押えつけることに全力を挙げる場合よりも、すぐれた長所に拠る場合の方が、ずっと人の心に訴えるはずですし、優しいです。
    何かを禁止することは、私達が望むべきことを探究する場合、わたしたちに、熟考しないでもすむようにしてしまう、安全柵でしか、ないと思います。

    どちらにしても、哲学的思考を実際身につけ、実行するという事は、記号や数字表記だけに、頼れるほど単純な事ではないはずなので、紋切り型表現で権力的に何かを通用させようとする現れ方はマフィアとかヤクザとか呼ばれる方の言動と類似に思えます。

    日本の教育課程に哲学をもっと本格的に組み入れて欲しいと思うのです。










    信念というのは、誰かに教えられて自分で信じること。
    > 確信とは、信念の強固なものという捉え方もありますが、
    > 確信は、それ以上追う必要の無い事実のことですね。
    >
    > それに比べて、信念は<自分の中のロゴスをその信念の中に
    > 押し込める>意味合いのものであり、
    > 哲学的には頂けないものである。
    >
    > この信念は、人を信仰の中に引き込む時に良く用いられる。
    > 僕はそういう時に、「仏法は分かりますか?」と問う。
    > 人に信念を押し込む人の中には、その言葉だけが先行し、
    > その経過を忘れている人がいる。
    >
    > 大事なものはその信念ではなく、物事の経過の方である。
    > この物事の経過が、正確なものであればそれを形作る
    > 現象学的なものを確信と呼ぶ。
    > 英語で言えば、確信は、fact ですね。
    > 信念は、believe です。
    >
    > 信念は、pray の対象でしょうし、
    > 確信は、thoughtの対象でしょう。
    >
    > 未知のものへの信念は、そもそも止揚の対象であり、
    > 次ぎの思考により、克服すべきものです。
    >
    > 仏教では、信念や信仰による仏教説話を軽んじますが、
    > そういう経過があるでしょう。
    >
    > <経論書>の次ぎの「説話」なのですね。
    > <経論書>は確信により書かれますが、
    > 「説話」は信念により書かれますね。
    >
    > 似て非なるもの。
    > 日本語は難しいですね。

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  • from: めるろ〜001さん

    2010年05月27日 22時05分33秒

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    信念と確信

    信念というのは、誰かに教えられて自分で信じること。
    確信とは、信念の強固なものという捉え方もありますが、
    確信は、それ以上追う必要の無い事実のことですね。

    それに比べて、信念は<自分の中のロゴスをその信念の中に
    押し込める>意味合いのものであり、
    哲学的には頂けないものである。

    この信念は、人を信仰の中に引き込む時に良く用いられる。
    僕はそういう時に、「仏法は分かりますか?」と問う。
    人に信念を押し込む人の中には、その言葉だけが先行し、
    その経過を忘れている人がいる。

    大事なものはその信念ではなく、物事の経過の方である。
    この物事の経過が、正確なものであればそれを形作る
    現象学的なものを確信と呼ぶ。
    英語で言えば、確信は、fact ですね。
    信念は、believe です。

    信念は、pray の対象でしょうし、
    確信は、thoughtの対象でしょう。

    未知のものへの信念は、そもそも止揚の対象であり、
    次ぎの思考により、克服すべきものです。

    仏教では、信念や信仰による仏教説話を軽んじますが、
    そういう経過があるでしょう。

    <経論書>の次ぎの「説話」なのですね。
    <経論書>は確信により書かれますが、
    「説話」は信念により書かれますね。

    似て非なるもの。
    日本語は難しいですね。

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  • from: 沙羅さん

    2010年05月27日 20時39分09秒

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    「Re:地球 ひとりある紀」
    むか〜し、むか〜し(笑)
     多分中学時代でしょう・・・週末、クラスメート達と
     映画を見に行きはじめた、
     

     コメディー。アヴァンチュール、恋愛モノ、ポリス映画・・色々なジャンルの 映画を、友だちと、観にいった。

     それほど、映画好き・・・という事ではなく、映画を観る・・というのが手軽るな娯楽なんでしょう。

     デートにしても、
     映画を観てご飯を一緒に食べる・・という目的で会うでしょう?
     誰でも経験はあるのではないかと思うのです。

     大概、外国の映画を見る事が多かった。
     男女の恋愛すじの映画は、実に色々な不思議な事が見えて興味ふかかったのです。


     男女が、結婚・・・・する・・という過程の筋書きには、必ず
     「結婚をしよう」・・という告白の瞬間があった。

     

     「結婚しよう」と、述べる瞬間です・・

     この瞬間時を、表現 するのですが〜。

     男女は随分前から恋仲になって、恋愛し、一緒に住んでいるのがほとんどでした。

     日常生活一緒なので、喧嘩もする。場合によっては子供も出来る。

     ところが、男女は一緒に住んでいるという現実だけ・・・
     結婚はしていない・・・
     一緒に生活しているのだから、愛情はあるのですね。
     映画 のふたり
    つまり二人は4,5年の月日を一緒に暮らす。子供が出来る時もあるのです
     ところが、ある日、いつもの如く、終末二人でレストランに行って自分達の好きなものを注文する。
    その時に、男性がいつも頼まないような高価なシャンパンを、ウエイターに頼んだりする。
     「 ちょっと〜どうしたのよ!パチンコで稼いだの?」彼女は言う
     パチンコは無いけど、似たような事を、彼女は彼氏に放つ。

     そうすると、彼氏は、そんな事はおかまいなしに、ポケットから、包装紙には、包まれていない、ベルベットの布製で包まれた、小さい5センチ四方の箱を、ゆっくり見せて、だす。

     その小さな箱は、中身に何が入っているか、すぐ判る。

     永遠の愛を誓う・・・つまり「結婚しよう」という、意志表示の時を二人で経験するという生き様が現われる。

     いや〜〜いや〜〜・・・・・

     と、思って、日本の男女の結婚に至るプロセスと、随分違うんじゃない〜?・・・と昔よく思って観賞していたのです。

     この点が気になって、恋愛がハッピーエンドであっても、なくても、あまりそのような結果に感動は湧かなかったりする。

     日本の男女が交換する結婚指輪の箱は、必ず、仰々しい包装紙がかかって、これまた、大きな薔薇の花みたいなリボンがかかってて、コレマタご丁寧に、2本のリボンの先50センチくらい長く切って、シューーーーーーーーっと、
    鋏の刃で、格好よく削ぐ。リボンの2本の先は、クルクル状になり、それを、出来上がりの薔薇の花の周り絡ませて、店員さんは、この時、少し遠目で観て、全体の出来上がりのバランスを見ているらしい。もっとゴージャスに見せるというバランス感覚らしい。、実際の箱の中身の、大きさの、1000倍くらいの大きな代理ボンじゃない、大リボンがかかっている。

    ま!そういう事はよいのですが、

    フランスに来て、この法的に結婚せず、一緒に男女が生活を共にする事の表現がわからなく、日本の和仏辞典に「同棲」とひくと、
    COHABITATIONコハビタシヨン と出てたので、そのまま使ったら、回りに居た数人のフランス人達が、私のフランス語の使い方に、転げるくらいおかしくて、爆笑した事があった。

    何故?そんなに死ぬほどおかしいのか?分からなかった。

    どうも、COHABITATIONは、二つの違う何かが寄り添って共存するという意味で、むしろ当時、政界が、大統領を左派陣営、内閣総理大臣を、右派陣営から、多分ミッテランの時代だと思うのですが、大統領と内閣の党首が、対立政党から立てる事を、COHABITATIONコハビタシヨンと呼んでいた事もあって、かなりフランス人に受けた話題だった。
    辞書に載っているのは間違っていたのではなく、もともと、言語が違うというのは、辞書をそのまま訳しても、意味は通じないという事なので、実際生活して、自分で表現するのが日本語構文であれば、通じないんですね。いくら辞書で訳しても、・・・
    ですから、受動的な訳ではなく、相手を感じる能動的に感じないとコミュニケートは難しいと、つくづくこの時思ったのです。

     話しを元へ、
    日本で暮らして友人達の話しや色々なテレビを見て

     指輪が交換される二人の仲は、二人は恋愛期間なのです。が
    その見た映画のように、一緒に生活を何年もしてその途中で、「結婚しよう」・・・という意志表示をする指輪を見せて驚かせる・・という段階ステップではないようなのです。全くないとは言えないけど、フランスは未だにこのようなシチュエーションで結婚しようと表明して結ばれる男女は結構いるのです。

     今は結婚の概念事態も、変ってきているというか、結婚しない独身者が圧倒的にわたしの周りでも増えてきた。

    しかし〜・・・・この西洋の結婚しようという意志の意思表示は、何故か?指輪を、隠れて買っておく・・・

    つまり、彼女が結婚する意志があるかないか?
    と確認は前もって取らない・・・という設定になっている。

    つまり、
    ある日、夕飯を一緒に食べに言った二人は、突然長年同居していた男性に、その包装紙がない、裸の指輪が入っている箱の中身をだされ、
    そおっと、手に取り、静かに開けてみる。
    大概、女性の涙腺は緩み感動場面 として、現れる。

    これは、ひとつの「宣言」なんでしょうね。
    「一緒に法的に夫婦になろう」・・・という・・・

     箱の中身がどのような石だとか、どのようなサイズなのか?
     前もって、宝石屋さんで、あれこれ、物色して決めた
     という行為はないんですよね。

    (いつも、思うのですが、あれは後で指輪のサイズはかえられるのでしょうか?)とか要らない心配もする。

     日本の場合は、お化けのリボンで飾れらた、箱を、ある日、何とかグランドパレスとかカタカナ表記の場所の、綺麗なレストランでお食事中に頂いても、涙腺は緩みませんです。
     むしろ、「待ってました〜」みたいな感じなんでしょうかね?

     実に、夢のない人生、感動のない、人生を私達は送っているのね〜・・・と思ったりして映画を観賞してたのです。

    観た映画の中にには、シリアスな筋書きもありました。、、
    せっかく大決心して、法的な夫婦になる決心をして、ひそかに指輪を買って、それをあげた瞬間(一応ドラマチックな感動ドラマが展開されるという勢いの途上にある)・・・・・・
    ところが、女性が拒否をして指輪を受け取れない・・・・と
    言って、指輪の箱を閉じて、対面に坐っている彼氏の方へ返す場面もある。

    これはきつい。

    しかも一緒に住んでいる二人の男女は、事実上の夫婦に近い生活を数年前から続けている。、女性は、法的な夫婦になる意志はない!と、指輪を返す・・・・というシナリオの映画もあった。

    コレって・・・どういう意味で一緒に二人何年も暮らしてきたのかしら?と普通は思うのではないかしら?

    結婚をするという意志と、
    好きとか愛するという情動は関係ないのかもしれない・・

    と色々考える。

    万が一、指輪を返すという事は、今まで問題なく一緒に暮らしている現在進行形の二人の愛の形に影[懐疑?)を落す?
    事にならない?

    イヤ!、そういう法的な関係とか宗教的な関係とか、そんなのにまどわされない・・いつでも、離婚出来るというスリリングな緊張関係の方が、ナアナアな関係にさせず、相手との交わりの意味性を追い求めますから長続きします・・・・・というカップルも沢山いる。
     
    愛?何に?誓うのかしら??

    実に、興味深いのです。

    法的な制約(OU保護)関係として結ばれる事を表明する事?
    教会で誓う事を拒む理由は?

    信者でないから?
    それでは、法的関係を結ぶ事に意味がないとする理由は?
    誰に、表明するの?家族に?
    親戚に?
    国に?
    神に?
    相手に?
    二人の間の子供に?・・・誓う???

    このような男女関係を、法で、社会的な制約や保護される結婚の形として存在させる・・・また、リベラルで共同生活者として男女が生活する形を死ぬまで続けるカップルと、色々です。

    日本では 
    法的な婚姻届けは、ただの紙切れだから?・・・・という事もよく話される。

    紙切れとして扱っているのは、国ではなく、紙切れとして思って扱う側の国民自身なんでしょうね。
    紙切れとして意味をなくした存在にさせようとしているあり方にあると思うのですね。
    どちらも、どちらですけど、 
    自分自身の一生の問題となるはずなので、自分で納得できる人と知り合い、恋愛を享受し、いい意味でも悪い意味でも自分が精神的に成長の糧になるような関係をつくりたいですよね。

     愛 AIMER エメってなんでしょうね?

      
      「苦楽を共にできる君と結婚したい」という言葉はいいですね。ルンルン♪

     「君を幸せにしたい」という言葉より、いいですね〜。

     結婚に対する現実的な関係の精神的な強さを感じる。
     なんというか、サンテクジュペリの、
     「愛 は お互いを見詰め合うのではなく
     同じ方向を、お互いが目指しを向ける事である・・」

     という彼の愛の定義に通じあうものを感じますね。

     写真は、シャガールの結婚式

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  • from: 沙羅さん

    2010年05月27日 06時30分50秒

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    「Re:Re:Re:地球 ひとりある紀」
    > MSG252の』続き
    >
    AIMER
     エメー♪ 愛 ♪それは、一番美しい ♪ PLUS BEAUプルーボー

     ロミオとジュリエットの歌の
     題名 AIMER エメーは、愛する事、♪

     なんだか最近、同じYOUTUBEを繰り返し貼り付けているのは、
     自分で、誰かに何か繰り返し言われているのに、気がつかないんですよね?

     勘が鈍いと、直観が働かないので、
     何度も、貼り付けないといけないような気がするのです。

     うぅぅ〜ん一応、話しの流れは押えているつもりなんですが〜・・・
     
     それで、気がつかない・・・自分がいる。それは分かるのだけど〜〜〜・・・・何を気づく事が出来ないかな?
     わからない自分がいるのが、自分の外側に立ってみると分かるのですね。この自分の事は自分の外側に立ってみないと分からないのがマルコメ味噌なんですね〜・・・・・

     よく居ますよね?
     何か、発言している人観て、

     「何かの間違いでしょう?〜」・・・と思わす人

     でも、その発言している人は、多いに真面目だったりする事があるでしょう?

     それで、周りに居る人達は、心中では、「この人、大丈夫かな?」と思っているのですが、回りの人達同士では、本人目の前で、確かめ合えないんですよね。当人は至って真面目に言っているので、仕方なく、聞いてたりする事ってあるでしょ?
    この当人と、周りの人達のコミュニケートが切れているんですよね。
    パイプが切れているんです。これは現象学意識が作用していないというか、間主観性の意識が持てないんですね。

    普通察する事が出来るのですが、、空気を察する事が出来難い最近のKYと表する事でしょうか・・・、・・・心理問題が増えるのも結局そのようなコミュニケート不足なんだと思うのです

    ところがあまりにも、自分一人の世界に没頭していて、周りの人達が何を感じているのか、感じる事が出来ない・・・らしいんですね。

    それで、話しをチーズのプリンスと呼ばれるBEAUFORTに戻しますね。
     
      

     BEAUFORT はチーズの名前とともに、、村の名前にもあるんです。
    場所は、SAVOIEサヴォア県、昔冬期オリンピックアルベルヴィルが行われた場所です。そしてBEAUFORTボッフォーという村、この一辺も、ボッフォーBEAUFORTの生産地で有名です。
    そこから、30キロくらい南下すると、イゼール川の麓にでるのですが、そのイゼール川の麓に、
    なんと、「 愛 」という村があるんですね〜。

    その名も、ズバリ、 愛 AIME    「AIMERエメは動詞の原形」

     ですから、音素は、活用、エンム AIME と呼ばれるのですが、

     最初、聞いた時、もう少し修飾語をつけないのかしらん?

     と音素の強さに驚きましたけど〜・・・・

     生、 死  性  愛  聖  ETC 

     このような記号が現すニュアンスって、ニュアンスにならず
     ダイレクトですよね?

     例えばね?

     「どこにお住まいですか?」と聞くと

     「 生 です」
      や

     「 愛 です」 という感じなんですよね。

     それが場所の名前で、「AIME」と呼ばれるのはかなり、
    フランス語の音素の作りからいって、変っていると思うのです。

     それで、こんなに、 「愛」をダイレクト、、そのままズバリの名で飛ばせているのは、 フランス広しといえども、

     このAIME エンムというイゼール川の麓の村だけなんですね。
     


     この近くには、ARC 山もありますし、ARCが複数形になった、
     LES ARC という村もあります。
    http://en.wikipedia.org/wiki/Aime
     
     写真で観ると小さな、山間の村なんですが、

     村には、必ず教会がありますよね?

     川の側には、人があつまり、教会を作り、豊作や、灌漑の時は神に祈る・・・
     教会の神父さんは、冠婚葬祭、裁判の判事さん子供達の倫理教育まで昔は、なんでも、一人、10役くらいこなすのです。

     今は、神父さんの役は村長さんに変り、だいぶ軽減されたのですが、車を運転されるので、一人で、7つも8つの教会を受け持たれ冠婚葬祭や日頃のミサを行う神父さんが多いのですね。大変そうです。
     それで、この AIME  愛 村には、歴史遺産として10世紀に創建された教会があり、名前は

     ST MARTIN BASILIQUE 聖マルタン、バジリック聖堂だそうです。


     http://aime-savoie.com/office-de-tourisme-tarentaise/le-patrimoine/la-basilique-saint-martin/

    なんだか、このCRYPTE納骨堂は、色々感じるわね〜・・・
    ミラノから、イゼールの近くヴィエンヌに行く行路の途中にあるらしいんですね。

     それで、また煩く、AIMER の歌なのです。(笑)

    http://www.youtube.com/watch?v=cnPViMJqs0o&feature=related


    写真は、フランスロマン作曲家、べルりオーズのロミオとジュリエット

    ベルリオーズも出身は、イゼール県のグルノーブルの近くでしたよね。ARC川が入り込むイゼール川は、血潮でも流れているんでしょうかね?

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  • from: 沙羅さん

    2010年05月26日 20時31分43秒

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    「Re:地球 ひとりある紀」

    あのシャルル、ドゴールが、「この国を成す、各村で生産するチーズの味が各村で違う。365村があったら365種のチーズが生産されているんです。そのような国が一つの概念に纏まる訳ない」

    というような事を言ったそうなのです。
    随分昔に聞いた事内容でしたが、
    実にフランス人の個性を重要視する、そのような彼らの表現欲望の源泉が未来に向けられるのと、食のしかもチーズの種類の多さに視点がいくところが面白い。

    「だいたい、各人違う人間が、同じ行動をする訳がない。」
    ・・・・・という地点にいるらしいので、万が一同じ行動半径で同じ人間がいつも、固まって行動するという行為を観ると、
    ギョット、した反応をして見る・・・・

    空 に存在するものは全て流れをもって、存在する、つまり美しい現われ方というのは、
    美しいALLUREアリュー足どり、速度、成り行き・・・・といった、現れ方をする。

    こちらの意識を不意につくという感じの現れ方なのですね。
    つまり自然体で、何か前もって、準備した・・という予測、推測、相手の意識を惹きたいが為に、計算された、現れ方・・・という事ではないのですね。
    ここに、時間を後から追って、計算高い人生を送るという現われと、何も他人の反応ばかりに怯える事ではなく好きな方向にパッパッと自然に歩いて人生事をサッサット決め進む人が確かにいる、あまり苦労なく、自分の調和と内と外とで、テキパキと捉えて行為に移す 人が確かにいるのですね。そういう人のALLUREはどこに居ても美しい・・・絶えず、動いていて、美しいんですよね。自然で、あるのが大事ですね。

    そういう時に、「あ〜美しい〜・・・」C'est beau セーボー
    と放ったりする、

    この美しいは BEAU ボー と発音されるのですが、 EAUの発音は、オー<水と同じ>
    英語のBEAUTIFULのビューという音素になってしまうので、カタカナで表記されると語源を直観で知りたい時困るのです。

    ボー、美しいは、BEAU で、フランスにはチーズのプリンスと呼ばれるボッフォーという種類のチーズがあるのです。
    BEAUは美しいでFORTは、強い
    強く美しい・・・という名前のチーズでこれ以上上級のチーズは存在しないというくらい名前事態が大変波動を持つチーズなのです。
    実際、あらゆるフランス産のチーズで、一番高価なチーズとして売られているのです。
    表記は、BEAUFORThttp://en.wikipedia.org/wiki/Beaufort_(cheese)
    生産量は大変少ないし、生産行程も長いし、こうやって、外で生草を食べて出来るボッフォーと、干草を食べて搾乳しつくるボッフォーの味は全然違う。生産できる標高も関係し、気圧や湿度も発酵させるCAVEと呼ばれる、チーズを熟成させる場所も関係してくる。
    そうやってチーズのプリンスと呼ばれるボッフォーの生産場所は

    イゼール県のタランテーズ峡谷、サヴォア県のモリエンヌ峡谷と、オートサヴォア県のアルブ川峡谷で生産される

    つまり、イゼール<ISERE川、アーク川<ARC川>等、川の上流で飼われる牛達から絞るミルクでしか、ボッフォーというチーズの味は生産出来ないらしいのです。

    牛ならどこで飼っても、何処に放しても、絞れば同じ味のミルクで生産手段を同じにすればチーズは皆同じ味、、と思っていたら違うらしいのですね。そして、代々、その土地、その土地で守られている牛の品種もあるらしく、上の写真は、ボッフォーをつくるアボンダンスABONDANCEという種類の牛。
    ARC川上流に飼われている牛はこのアボンダンス豊富、多量という意味を持つ品種の種類の牛が多いのです。

    モ〜〜〜♪カラン、カラン<CLOCHE>の音

    でも大きな、鐘をいつも首につけて、カラン、カラン牛も煩いと思うのだけど・・・

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  • from: 沙羅さん

    2010年05月26日 18時22分24秒

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    「Re:Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」
    MSG254の続き

    精神分析または心理分析は、すごく科学的に分析していると思われているのですが、実はかなり直観能力を働かす分野でしょう・・・と思うのですね。
    よく、子供が描いた絵から、その子の置かれている状態、心理分析をしたりしますけど、人間の表現されたものを観たり感じたりすると、置かれている(生きてる)構造からの影響をイヤと言うほど受けているのがよく観えてくるのですね。

    それと同時に霊感は、外部の宇宙との交換[交感]なにがしかなんでしょう・・・・
    どちらの手段もその場、その場で臨機応変に発揮し接する人によって、相手の心情によって変えてコミュニケートしないと通じないでしょうと思います。つまり思考の柔軟性も必ず必要だとも思います。柔軟性は具わるキャパシティーの層の厚さが厚ければ厚いほど、何十倍、何百倍、何千倍と実行できる手段や方法が広がるのですから、結局あらゆる人達とあらゆる言語での接触あらゆる分野の体験も、必要不可欠だと思うのですね。普遍性のある存在されている方というのは、能力以外大概この思考の柔軟性と宇宙へのなにがしかの感謝があると思われます。

    頑なに、何かにこだわりながらの、何かのスタイルしか表現出来ないというのも、、、、普遍性は呼ばないと思うのですね。
    それが善い、悪いという事ではなく、
    何か、すごく息苦しい、誰も、この世の人達は自分の事を分かってくれない・・・・という風に考え出したら、要注意です。

    誰も自分の事を分かってくれない・・・・という受動的な意識が自分を支配しているのですから、
    同時に

    自分は誰も理解する事が出来ない・・・と
    全く同じ地点に居るんですね。

    人間は、皆誰かに、自分の事を認めてもらいたいのです。皆に自分の存在をしってもらいたいのですよね。
    自分が何かに夢中になってしまった。何かを一生懸命勉強する。何かに惹かれて、何かを知りたいと思い、何かを一生懸命追う。

    人間は何か、いつも追っているんでしょうね?
    何かを追わないと生きてゆけないのかも知れませんね?

    それで、追ってるもの、その追ってる理由が正しいと自分で思う。
    でも、果たして、他の周りの人は?
    自分が正しいと思って追ってるものに、同じ価値感を持つとは限らないですよね?

    何故?

    こんなにすばらしいと思うのに、他の人達は同じように、素晴らしいと思えないんだろう????

    と、不安になる。

    信仰を受身に捉えて信じるとだいたい、このような心情が自分を悩ますんですね。

    これも人間が弱い・・という事なので、それはそれでも仕方のない事にも思えます。
    他者も自分と同じ価値感をもっていないと、自分がしている事、自分が信じている自分に自信がなくなってくる。

    どちらにしても、科学では証明出来ない事を信じるのが信仰なのですから、そこは、最初から変な期待や見返り行為を期待するのはよした方が良いと思いますし、他者は他者、自分は自分・・・といった、INDEPENDANCEの自立の上で、お互い頼るという関係は美しい関係の上でしか成り立たないと思った方がよいと思うのですね。
    弱いから助け合うのね〜〜
    ではなく、
    未来に前進しつづける、原動力をお互いが生じしあう・・・という地点でのお互いが助け合う関係ですよね?

    どのような人達と関係をもつのも、美しい人間関係を結ぶ事を心がけると良いですよね?
    美しい関係は、次第に、まわりの人達も寄ってくると思います。

    他者と関係を築く時、人を支配下に組み入れるような力や言葉による権力や不自然に近い低姿勢で、近づいたりするのではなく、

    もっと、自然で美しい現れ方ができると思うのですよね?

    音も 大事ですよね?
    もう一度述べますね?

    人が集まる
    人の足が向う
    人通りが多い、
    という現象を、フランス語では、FREQUENTATION
                     フレカンタシヨン

    同じ語源に、周波数という意味をもつFREQUNCE フレカンス
    があるのですね。不思議でしょ?


     言葉はなにも意味がなくつくられませんから・・・・


    自分の放つ音、とくに親しい関係の人との間で放つ音・・醜い音を放てば、全て空を、波紋していって、自分の因果の関係ですれ違う人、知り合う人、愛し合う人、全て全て・・・・そういう人達の心に汚い音素で受ける事で、感じる情動運動、全て先の未来の世界の人達との関係まで行き難くするような世界をおのず、とつくってはいけないのですね。自分で感じないから、自分が傷つかないから、何を空に放っても構わない・・・という意識で、このような書き込みはされない方がいいとおもうのですね。確かに自由ですけど・・・音にもっと繊細になってほしいのですね。
    、普段の日常放つ言葉はやはり気をつけないとなりませんし、本当の意味での存在され普遍性のある方は、どちらにしても、品格がある現れ、存在の仕方しています。

    そういった意味で、美輪明宏さんも言われていたけど、言葉は大事で、殺人や親子で殺したり、虐めが似合う社会をつくっているのは、皆が放つ言葉の汚さによると思うのは、わたしも同感です。

    水の結晶で、ありがとう・・・という音素の結晶はとても綺麗ですけど、汚い流行語は、水の結晶も汚いんですよね。感じる心のひだというのは、波紋 を感じる感性の鋭さなんでしょう。

    http://www7a.biglobe.ne.jp/~sysoap/child24.htm

    そうそう、話しは心理分析でしたけど、
    R君の撮った蓮の写真を見ながら、分析していたんですが、なるほど〜
    と思いました。またそのうち書きます


     

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