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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: めるろ〜001さん

    2010年01月29日 16時26分28秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:あたらしい年、あたらしい希望、あたらしい出会い、あたらしい愛、そして今まで愛してきた人々は去年よりももっと、幸せになる事を祈り、、」
    >沙羅ちゃん

    弘法大師の書の上の文字は、弘法大師そのものを表す種子になります。

    梵字なのですが、一文字で、誰かを表現し、位置づけなどを表現します。

    http://jiuxia.web.fc2.com/Henropage/HenroStudy/Hen03Nokyocho/Henro03Nokyo.html



    >
    >
    > 東寺のご朱印です。
    > >
    > >
    > > 達筆で御座ります。
    >
    >  そうですね。 
    >  東寺の方がた、皆優れた書道家 でいらっしゃるみたいですね。
    >  
    >  弘法大師の上は、なんと書かれているのかしら?
    >  梵字でしょうか?
    >
    >  わたくしの頂いた御朱印も同じ字が書かれているのです。

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  • from: めるろ〜001さん

    2010年01月29日 16時02分38秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:あたらしい年、あたらしい希望、あたらしい出会い、あたらしい愛、そして今まで愛してきた人々は去年よりももっと、幸せになる事を祈り、、」
    >ルカさん

    仕事サボって、PC覗いたら・・・。
    ご返信ありがとうございます。

    実は、「平成二十二年一月一日」の部分は女性で
    後は男性の文字なのです。
    年始の混雑を予想して書かれたものだと思います。

    日付は、後から書いたということですね。
    しかしながら、バランスよく書いて頂いたので、
    大変喜んでおります。

    当方もスタンプラリー状態に入りたいと思います。(^^;

    > > 東寺のご朱印です。
    > >
    > >
    > > 達筆で御座ります。
    > >
    > >
    >
    > こんばんわ。
    > 朱印、とってもいい感じですね。
    > 私も神社やお寺へ行き、朱印押してもらえるところでは、押してもらってます。
    > 信仰というより、スタンプラリーみたいな感じでやってます。
    > お守りとかは購入してもたまってしまうので、朱印にして残しておきたいという気持ちからも知れません。
    >
    > 現在進行形でまわっているのは、
    > 坂東観音33
    > 亀戸七福神
    > 等です。
    >
    > 珍しくコメントさせて頂きました。

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  • from: 沙羅さん

    2010年01月29日 01時05分12秒

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    「Re:たまには、哲学でも・・・・@@」
    言語学を勉強すると、

     結局

     「事物を創りだすのは視点」なのである・・とソシュールが
     言った意味合いが観得てくると思うのです。

     対象は造りだされなければならないし、
     何かについて発信する地点で、一つの視点から事物を創り出して述べているのに過ぎないと思うのですね。

     という事は、言葉や言語といったものがあらかじめ存在しているのではなく、私達が客観的に存在すると思い込んで日本語という言語にせよ、単語にせよ文にせよ、あるいは音節といった、言語学者の<視点>によって切り出されたものに過ぎないと思うのですね。
    という事は、、
    言語ナリ、、といった対象が実体として、客観的に存在しているのではない以上、
    私達が
    言語とは?なにか?
    といった問いさえも、立てることが出来なくなってくると思うのですね。
     
     と、すると、、どうするか?というと、いかなる視点、かず多くの視点から言語を考察するという手段しかなくなってくる。

    「何々が、正しい」であったり
    『何々が、絶対だ!」・・
    というような言説を述べる方はは、
     『何々が正しい?とか、絶対真理である?・・という個人発信の内容の吟味はどうでもよく、
    一体、
    何故?
    その人に、そのような言説を放たせる理由があるのか?
    ・・という全体把握だと思うのです。

    何故なら、世界の人達との存在があり、世界の人達との関係性を感じない・・と言う言説を共時態で放つという事じたい、すでに普遍性を失くしていると思うのです。

     今まで学んできた重要な視点を学び、あらゆる情況に応じ、臨機応変に自由自在にアダプトしやすいように、又くまされる対話者によっても違いますから、老若男女経験によって身についた、対話しかないと思うのです。
    実践は身についてないと、何も応用出来ないと思うのですね。
    百人百様なのですから、百人百様の視点で、反応してくるんですね。
    言語について語りうるには、いかなる視点があるのか?いかなる視点が可能なのか?
    私達自身の言語論というのは、そうした複数の言語論たちへの検討をつうじてしか生み出されることはないと思うのですね。

    他者の述べる事は、ほとんど
    何故?
    そのような事を述べてくるのか?
    という意味で聞いていると
    まるで、ほとんど意味が観得ないんですよね。
    ほとんど、言ってる意味が観得ないですから、分からないのが普通だと思っているのですが、
    ところが、
    なんでも他者の述べる事がすぐお分かりになって、了解される方がいらっしゃるけど、これも不思議な現象ですよね。

    他者の話す事を自分なり、自分の理解の仕方で理解するのは誰でもできますけど、コミュニケーションは、
    何故?
    その事を放つのか?
    という意味で、会話を回すと思っていました。

    会話そのものの存在をさせるといった、現れ方だと思っていました。

    他者の述べた事への感想文は、翌日でも翌々日でも出来ますから、
    時間を生きてるという感じは体験できないと思うのです。

    「因果はどうして観るのですか?」
    「どうやって、因果を見つけるのですか?」

    というのが、大概の人達、普通の人達の質問なのですから、

    その応えは

     「因果と縁起で人生は回っています」・・という応え方は

     質疑応答になっていませんよね?
     理由や仕方を聞いているのに、
     〜〜が在ります。
     では、変でしょう?と思うのです。
    最初から時間軸上の途上の仕方を問いているのに、
     対象の結果<在ります>を説かれても、
     これでは、、
     「そんな事は、前から知っています」という展開になるのは目に見えていると思うのです。

     「どうして?
     そうなるの?」
     と聞いているのに、
     「そうなります」という答えは、子供でもおかしいと思う事はできると思うのです。

     この地点で、体験の有る無し、つまり、頭で覚えこむ認識や知職で、体験が伴なわない・・という事はおおよそ、観得てくると思うのです。

     このような事をず〜と、観ていて

     つまり、時間と空間の存在での言語を介して
     コミュニケートをする問題は、おのずと
     観得てくるんですね。

     それではどうすればよいか!・・という実践に入るには、
     心理学はやはり必要不可欠になってくると思います。

     何故なら、言語学は、言語という客観的、実在的な対象にたいする考察であるというよりも、言語に関する個々のディスクールの集合としてしか存在しないそうなんです。
    この点で、言語学は、文学、哲学と変わりが無いのでしょう。
    ところが、科学としての自覚が明確な言語学がそうであるのだから、言語学、記号論、精神分析、哲学、文学理論さまざまな知の領域を横断する言語論の場合は、
    どうしても固有名詞がより不可欠なものであるのは、当然かも知れません。

     システム、構造としての言語<記号論的視点>
     無意識としての言語<精神分析的視点> 
     行為、コミュニケーションとしての言語[言語使用論的視点>

    人々と話す
    人々と心の交通のネットワークを心がける。

    これは、フロイトそして、ソシュール、そして我らのヴィトちゃんヴィトゲンシュタインも含め、言語をひとつのシステム、あるいは構造としてとらえるか?
    言語を無意識との関連において捉えるか
    <よくいますね?結局我田引水的、自分の信じている定説や対象が良いと導く方・・・
    世間の人達に、あ〜やっぱりなぁ〜・・・と思わせたらお終いなんですけど、、どうしても、自分に拘るとそのような言説しか放てないのかもしれません。他者不在なんですね。本とは、他者に感じさせないとならないのですが〜>

    また、言語を行為として、困難なコミュニケーションの場においてとらえるかは、
    この3つの見方は言葉という現象にたいする全くことなった、現実、リアリティーに基づいているとしかないでしょうね。

    あ〜なんだか、たまに哲学を真面目に書いたりするのです。

    でも、哲学しててよかったなあ〜と思うのは、
    哲学は全てを含むという視点だと思うのですね。

    範囲がとてつもなく広いのですが、それだけやりがいもありますね。

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  • from: 沙羅さん

    2010年01月28日 23時25分14秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:あたらしい年、あたらしい希望、あたらしい出会い、あたらしい愛、そして今まで愛してきた人々は去年よりももっと、幸せになる事を祈り、、」
    めるろ〜さん


    東寺のご朱印です。
    >
    >
    > 達筆で御座ります。

     そうですね。 
     東寺の方がた、皆優れた書道家 でいらっしゃるみたいですね。
     
     弘法大師の上は、なんと書かれているのかしら?
     梵字でしょうか?

     わたくしの頂いた御朱印も同じ字が書かれているのです。

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  • from: 沙羅さん

    2010年01月28日 18時49分39秒

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    「Re:Re:Re:Re:あたらしい年、あたらしい希望、あたらしい出会い、あたらしい愛、そして今まで愛してきた人々は去年よりももっと、幸せになる事を祈り、、」
    めるろ〜さん

    数年前のMSNの書き込みの頃だったでしょうか?
    日本の数人の霊能者とかヒーラーさんと名乗るサイトを読むと
    高級心<?>霊の、千手観音と西洋のミカエル大天使は同一だと書かれてあって、
    懐疑論者は、又この地点で
    何故?
    同じに思えるのかしら???
    という地点に立たされてしまうんですね。

    話し逸れますが、
    あるヒーラーさんのサイトには、

    「仏教徒さんでしたら、千手観音のご神託
    仏教は、信じていないから困るというお客様には、ミカエル大天使のご神託を読みます・・

    先に申しつけ下さい・・」

    と書かれてあったのを見て、
    ズルズル〜と椅子からすべり落ちました。

     ま!それもよいのですが

    同時に、チャクラのサイトを見てみたんですね。
    7つあるチャクラの、7つめ頭上のチャクラをSAHASRA
    と呼ぶそうでですし、SAHASRAは、千の意味で、一説には、千手観音の千手千眼を表わすのだそうです。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%83%A9

    清水寺の2003年に243年振りにご開帳となった、三面千手観音は蓮華王の風格や威厳が、千手漢音には、漂よっているのを感じます。

    限りなき慈悲云々というより、むしろ
    霊威をあふるる、今来のカミ・・・
    という感じだったのだと思います。

    20年入唐した玄〓は皇帝から紫衣を賜り、経巻5000余りを持って帰国し、奈良の都で,唱道したのが千手観音だったそうです。
    千手観音は、一切の病、一切の悪業を除き、富や長寿を導き功徳をもたらすとされ、唐では十一面観音や不空絹索といった、他の変化観音をしのぐ勢いでひろまっていった評判を、当時の都人達を惹きつけた・・という現象は、

    同じく、何故?
    数多い、天使達の中で、
    これほど、ミカエル大天使が別格に扱われてきたのか?
    当時ヨーロッパの歴史上で起きた、宗教戦争、ペストなどなど、、
    生かされる人間達の世界観、何を彼らは求めていたのか?
    合い通じるものが、あるんです。

    此処らへんは、非常に興味深いです。
    フランスとイギリスの歴史を物語る、ジャンヌ,ダルクの出現にも、ラファエル天使でも、ガブリエル天使でも、ウリエル天使でもなかった・・・

    このミカエル天使が関わってくる・・という事はいったい
    どういう意味なんでしょう?

    ちなみに、「千手観音大悲心陀羅尼経」には、
     
     「天魔を降し、外動を制し、災障を除き、水火など必要なものを与える」と説かれているのが大変興味ふかいです。

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  • from: めるろ〜001さん

    2010年01月28日 12時39分52秒

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    「Re:Re:Re:Re:あたらしい年、あたらしい希望、あたらしい出会い、あたらしい愛、そして今まで愛してきた人々は去年よりももっと、幸せになる事を祈り、、」

    東寺のご朱印です。


    達筆で御座ります。

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  • from: めるろ〜001さん

    2010年01月28日 12時04分09秒

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    「Re:Re:Re:あたらしい年、あたらしい希望、あたらしい出会い、あたらしい愛、そして今まで愛してきた人々は去年よりももっと、幸せになる事を祈り、、」
    >沙羅ちゃん

    すべての衆生を救う沢山の手を恐いと思うのは、
    その大きさから来るのか、
    菩薩のお姿から来るのか、
    手の多さから来るのか、
    その世の中を見通す半眼から来るのか、

    それともそれらが未分化に、混濁して来るのか、

    という感じか。

    それにしてもこの観音様は、強いものを持っていますね。

    これが深化すると不動明王のように、憤怒の像になるのでしょうね。

    阿修羅像は、インドラの神との争いを好んでいた
    悪の神だったのですが、仏教に入って、
    戦いを知っているからこその憂いを持った神として
    知られていますね。

    http://www.kohfukuji.com/property/cultural/001.html

    畏れなのか恐れなのか、

    何か深いものを感じますね。


    >
    >   普寧寺って、なんて読むのかしら?
    >   
    >   調べたら、中国の河北省の承徳市にある、外八廊の一つのお寺の名前だそうです。
    >  ユネスコの世界遺産に登録されているそうなんですが、
    >  知りませんでした。ラサのポタラ宮をモデルにして建てられたそうです。
    >  でも、何故?こういう掛け軸がうちにあるのかしら?
    >  多分15年くらい昔の事だと思うけど、
    >  誰に頂いたかもどうしていただいたかも、どのような理由で、・・・???
    >  誰に聞いても、誰も分からない・・・???
    >  あぁぁ〜・・・この普寧寺に祀られてるのは、大きな
    >  千手観音ですね〜〜・・・・・
    >
    >  写真クリックしたら、画面いっぱいに、千手観音の状態が写って、
    >  あぁ〜恐かった! 心臓によくないから辞めよう!っと
    >
    >  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%85%AB%E5%BB%9F
    >
    >
    >  

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  • from: 沙羅さん

    2010年01月28日 06時49分29秒

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    「Re:Re:あたらしい年、あたらしい希望、あたらしい出会い、あたらしい愛、そして今まで愛してきた人々は去年よりももっと、幸せになる事を祈り、、」

    ほんとは、年末にしなければならない大掃除なんだけど・・・・
    屋根裏部屋の衣装ケース・・埃だらけの蓋を開けて
    中には、色々頂いたお土産で、つかわない小物や全く読めない本や観光地の写真が載っている本、、なんだか、誰に頂いたのかも全く悪いのだけど記憶がない。私だけでなく、主人が何処かに行った時に土地の方に頂いたお土産とかが、どっさりあって、しまうとこなくて、屋根裏に保管してある。

    コレ何かしら?
    と思った掛け軸を見つけた。

      感じからしたら、北京かどこか誰かにお土産かしら???

      普寧寺って、なんて読むのかしら?
      
      調べたら、中国の河北省の承徳市にある、外八廊の一つのお寺の名前だそうです。
     ユネスコの世界遺産に登録されているそうなんですが、
     知りませんでした。ラサのポタラ宮をモデルにして建てられたそうです。
     でも、何故?こういう掛け軸がうちにあるのかしら?
     多分15年くらい昔の事だと思うけど、
     誰に頂いたかもどうしていただいたかも、どのような理由で、・・・???
     誰に聞いても、誰も分からない・・・???
     あぁぁ〜・・・この普寧寺に祀られてるのは、大きな
     千手観音ですね〜〜・・・・・

     写真クリックしたら、画面いっぱいに、千手観音の状態が写って、
     あぁ〜恐かった! 心臓によくないから辞めよう!っと

     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%85%AB%E5%BB%9F


     

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  • from: めるろ〜001さん

    2010年01月27日 13時25分05秒

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    「Re:Re:あたらしい年、あたらしい希望、あたらしい出会い、あたらしい愛、そして今まで愛してきた人々は去年よりももっと、幸せになる事を祈り、、」
    >沙羅ちゃん

    「フランス的思考は絶えず、外部との公約数を探すという思考なので、絶えず他者との関係探しなんですね。
    何故なら、この世界は、自分だけで、自利だけで出来上がっているのではなく、全ての関連性が存在し、存在しあっているのですから、他者は自分以上に重要ですね。」

    中々、いい文章ですね。
    僕が褒めるのもなんですが・・・(^^;

    真理の在り処もここにあると考えています。
    自分だけが真理であると考えることは、必要条件であるけれども
    十分条件で無いと考えます。

    ハイチでは普通に昼間に略奪を試みようとするものが居る。
    もう周りが見えていないのですね。
    しかし、空腹と渇望、生命の危険を感じると、
    自己しかなくなるでしょう。

    宗教的な儀式も無しに葬られる身体と失われた家族、
    そして生きている自己、この距離は相当遠いものとなっていると思います。早期の解決が求められますが、
    政府は崩壊状態でしょうし、国際援助も限定的でしょう。
    地域コミュニティと宗教がどれだけ力を持っているかが、
    治安に大きく影響すると思います。

    普段からの宗教行事に参加する姿勢が問われますね。
    そこに希望が生まれるはずですね。

    ここで、御神籤のお話。
    おみくじというぐらいですから、
    神道がその発祥かといえばそうではなく、
    比叡山の元三法師が最初だそうです。

    観音経を三十三回唱えて、観音様のご判断を仰ぐということが
    簡略化されたものであるそうです。
    今の現代人は観音経を唱えられる人はそういないし・・・。
    また、大凶が始まりを指すこともこの時からだそうです。
    <人間万事塞翁が馬>ということですね。

    あれっ。中国の故事にいってしまいました。

    橋の写真は凄い雲海ですね。
    日本人の写真家ならば、朝方か夕方に雲海の出ているところを
    撮ると思います。
    日本人は陰影が好きですからね。
    濃淡を好むというところです。

    一度、沙羅双樹の写真をお見せしたと思うのですが、
    やはり、夕方ギリギリの太陽が沈む前の時間帯です。
    門が閉まる時間帯ともいいますが・・・・(^^



    > フランス的思考は絶えず、外部との公約数を探すという思考なので、絶えず他者との関係探しなんですね。
    > 何故なら、この世界は、自分だけで、自利だけで出来上がっているのではなく、全ての関連性が存在し、存在しあっているのですから、他者は自分以上に重要ですね。
    >
    > 写真は、ミヨーの橋なんですが、世界一高いらしいんですね。
    > わたしとIさんが、初めて旅行で行った2006年は、霧も雲もかかっていず快晴ですから、こんな画みたいなロマンチックではなかったでっす。
    >

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  • from: めるろ〜001さん

    2010年01月27日 12時47分08秒

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    「Re:Re:京都哲学道場にて」
    >沙羅ちゃん

    大変頭の切れる方なのですが、
    ちょっと準備不足のようでした。
    当方は、補足に終始したのですが、、、

    僕自身も、『中論』や『大智度論』に挑戦しようかと思っていて
    あまり、発言はしませんでした。

    『心経』が顕教と密教の間を開く経典であると共に
    仏教本来の智慧と行を確認するものであると思います。

    「仏教とは、昔、「仏道」といわれていて、
    西洋の宗教のように神などを信じなさいというものではなく、
    <自己が仏になる道>を説くものです。
    その道を進まれた行の凄さを褒め称えることはありますが、
    それは、自己がそこに行くことが目標になるのです。
    仏教で信じなさいというのは、智慧が第一であること、
    行ずれば必ず成仏すること、でしょうか。

    仏教は、自己が仏陀になる道を説くのです。

    創造神が沢山いたら大変ですが、
    仏が沢山いる分にはなんら問題ないのです。

    宗教の「宗」は、<一つの考え方>という意味です。
    南都六宗の時代が本来の「宗」の意味を保っていました。
    これが、「宗派」となった時には、現代のように、
    <一つの考え方>に固執し、相対するようになったと
    考えられます。

    本来、仏教は違う考えを議論し合うものであり、
    違う考えだから、相手を間違っているとかの極言をいうものでは
    ない。
    「最高の智慧とは何か」を議論し合うものである。

    そういう意味で、「最高の智慧とは何か」を論じている
    『心経』は、すべての仏教の指針となるものである。 」
    こんな感じでしょうか。

    人は自分の考えが間違っているかもしれないというところから
    出発しませんね。
    しかし、そこが問題だと思います。
    何故、間違っていないと言えるのか。

    やはり、そこに外部の基準となる方法論が必要です。
    それを得ることによって、人は自分の考えがこの方法論を使えば
    いつでも同じ答えを得ることが出来る。
    そういうものが必要だと思います。

    これは多様であっていいと思うのですが、
    論理的に整理されている必要があります。

    しかしながら、文字に語られないからといって切り捨てるものでもない部分がある。そういう<密なる部分><黙されている部分>
    それが密教の求めるものですね。

    >
    > あぁ〜、、久振りの話題
    >  京都哲学ですね?
    >
    > 実りある、デイベートで、期待出来そうですね。
    > わたしは、最近
    > 音素の分析に興味があって、
    >
    > マントラを、実際の正しい音、サンスクリット語を正しく発音できる音を聴くという方向で、音から感じられるもの、、
    > を探してます。
    >
    > 日本人の言葉の音素にはない、R の発音がふんだんに含まれているんですね。
    > この R の音素は、
    > 結局、息 を吐きながら、音にするという行為なので、
    >
    > 声と息の半々みたいなきわどい発音なんです。
    >
    >
    >
    >   明日、NPOのStudyUnionの活動の一部である
    > > 京都哲学道場に行ってきます。
    > >
    > > 『空海の般若心経秘鍵』をやるそうです。
    > >
    > > 僕は周辺を解説しただけで終わりましたが、
    > > 哲学道場でやるからには、
    > > 哲学的分析が期待されるのではないかと思います。
    > >
    > > 仕事で途中退席の予定ですが、
    > > よく拝聴したいと思います。

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