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from: 沙羅さん
2011/05/31 22:13:22
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「Re:Re:「自利利他」について想うこと」
皆、自分で努力しながら、他の人を引き上げ援けていて、そして自分も他の人に引き上げられ援けられてれている。 > > 山の頂上で道や方角を示したり人々を引き上げ、援けているのは神様か仏様なのだと。 >
そうかも知れません。
時間の途上に生じている事に一生懸命ですので、気がつかない、、というの事のようです。
後から、よくよく 考えると、、、目に見えない何者かの存在の 力添えというか、介添えというか、、、
そのような抽象的な存在が確かに あったらしい、、
よって、「自分は 本当は ひとりっぽっちじゃなかったんだ」
何ものかに守られているというか、見守られているというか、、
そのような、何ともはっきり言えない抽象的な存在がなければ、今の自分の存在がこのような 存在の仕方になっていないはず、、、
という事を疑いだす、、というのは変ですが、、
第三者達<複数?>の存在が確かに手応えとして感じる事が出来ると思うのです。それまで、自分一人というか、生きてる人達だけの助言や自分の考えだけで決めてきた人生だと思い込んでいるのだけど、
そうではなかったんだ!という驚きと云うか、なんと言うのでしょうか〜、、なんとも言えない 今までの何百年も又それ以前からの、、とてつもない時の重さというか、自己の中に、ある驚嘆といったものが感じられるんです。
それをご先祖様と表現したり、亡くなった家族であったり仏さまであったr、、神様であったり、守護霊であったり、、、、、と人、民族、あるいは宗教によって、色々な表現の仕方があるように思えますが、
、
結局尽きるところ 他者(宇宙)とのコミュニケートなんでしょうと思えます。
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from: yeshangさん
2011/05/31 20:47:41
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「Re:「自利利他」について想うこと」
それ以前に考えていた自利利他は
ちょうど登山を集団でするように、自らも自分の足で努力して登るが、後に続く人にも手を貸して引き上げてやる。そして気がつけば、前を行く人が手を差し伸べて自分を引き上げてくれている。
皆、自分で努力しながら、他の人を引き上げ援けていて、そして自分も他の人に引き上げられ援けられてれている。
山の頂上で道や方角を示したり人々を引き上げ、援けているのは神様か仏様なのだと。icon
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from: 沙羅さん
2011/05/31 18:01:03
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from: 沙羅さん
2011/05/31 17:58:58
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「Re:「自利利他」について想うこと」
うまく説明できるかしらん?
と思いながら、、、
自分 という 個 から、何かを発信する場合、、、
普遍性を観ながら
言説を放とうとする。
どうしても、個<部分> ------------->全体、総体 宇宙
という表現の仕方になってしまうのだと思うのです。
しかし、もし、自分<個>
が、 宇宙、全体、 総体 を成してる 一部分だと、、体感、実感 手応え を得ている 人達の、
言説の内容を分析していると、違いが見得るんです。
他も自もない というか、、、
もともと一つのものだったのを、
どうして、 他 とか 自という記号に分け
何らかの 意味を 伝えないとならないのか?
という位置に立って放つ人達との違いです。
この位置に立てる人達の次元と、
「皆さん、戦争はいけません、争いはいけません、仲良くしましょう、
世界の人達は 平和を目指そうではありませんか!」
と放つ次元、、
つまり、「諍いや争いは、ただいけません」と放つ
戦争=悪、、という判断する人達は、結果に意識をFIXしてしまっているのだと思うのですね。
これは、実践ではないです。
ただの結果報告というか、記号の照合合せを提示する、、という事に思えます。
世界は、その地点ではもう、満足していないでしょう。
宗教や信仰離れを促してさせてしまっているのは、
人々に納得させる事のできる、
人々の心に、ストン と共感できる 他者との共感を得る
という言説が、放つ事が出来ないから、、と思うのです。
しかし、これはコミュニケートの問題なので、
少し横に置いときたい 問題に思うのです。
例えばですが、、、
日本語で、 寂しい、、という気持ちを表現する時
アルファベットの言語は、
欠ける という 単語を放つ事で、自分は<主体>、貴方がいなくて寂しい、、、と云う意味を伝える言語のしくみ
を考えると、、、
ややこしいですが、、
寂しい、、という気持ちにさせるのは
何かが 足りない 欠けている 何かが、自分に足りない、、
そのように 感じるから、 わたしは、寂しい、、だから<他>を求める
という感じだと思うのです。
フランス語というのは、良く出来てる言語のしくみと思うのは、
非常に心理学が発達する言語のつくりになっているんです。
貴方がいなくて寂しい
は
わたしには、貴方の存在が 欠けている<足りない>
という単語を放ち、わたしは、寂しい、、という主体発信になっているんです。
貴方という対象
でなく、
何かが、自分の 心中に足りない、 自分の奥に欠けている
神にしても、誰かという人間にしても、信仰という抽象的なものにしても、、、
自分が完全な状態、自分に充足感を与えるのには、何かが足りない、何かが欠けている、、、
だから、足りないモノを求めるのだと思うのですね。
決して、救ってもらう為に、求める、、、という意識ではないと思うのです。
この救ってもらう為に、、、という意識は、すでに、誰に?すくってもらうのか?というと、自分以外の誰か<神、信仰、愛する人、ETC>、、、という、自と他の境界線が引かれてしまっているのだと思うのです。
どうして、この違いがでるのかは、やはり話す言語のしくみかもしれません。
よって、哲学では、言語や思考 と考えますから、、、、
そうすると、、出発地点に又戻るのですが、、、(笑)icon
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from: 沙羅さん
2011/05/31 15:55:58
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「Re:Re:Re:地球 ひとりある紀」
MSG339
の思い後綴り、、、
あぁぁ〜、、そうかぁぁ〜
何故?
ARC DE TRIOMPHE
ARC 弓、アーチ DE 〜の TRIOMPHE 、、
アルク デゥ テュりオンフ
凱旋門にある、女神の銅像の写真など貼っているのか?
と後で考えたら
5月30日だったんですね。
JEANNE D'ARC <ジャンヌ、ダルク>の命日ですね・
アルク家に生まれた、ヨハネスさん なんですよね、、名前は、、
写真は、ドラクロアの最後に描いた壁画、
サン、スュルピース教会です。
ヤコブと天使の闘いで、ヤコブ<人間が勝つのですよね>が優勢なんです。
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from: yeshangさん
2011/05/31 11:55:37
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「自利利他」について想うこと
企業の目的はまず利益を出すことで、理念としてお客染ま・株主・従業員を大切にすることがよく言われます。
しかし、従業員を大切にしない企業では成長も将来の利益・展望もないわけで、株主にも還元できず、ましてお客様へのサービスもままなりません。
従って、私は企業は外向きにはお客様第一、株主様さま、従業員はは仕事をさせていただいていると言いますが、本当は従業員第一、利益を出して株主にもお客様にも十分な満足をしていただくことと考えています。更に余剰が出れば社会貢献・奉仕にも回せます。そのためにも利益がきちっと出る会社にすることが大切でしょう。
さて、「自利利他」ですが、このまま読むと「自らが利を得、そして他を利す」、つまり自分の利益が他の人を利すことと読めます。自利是利他、自利=利他です。
「世のため、人のためそして自分のため」でなく「自分のため、人のため、そして世のため」なのです。
しかし、この場合企業と違って順序はどちらからでもよく、「世のため」から始めてもよく「自分のため」から始めてもいいでしょう。自分にとって行動するに元気の出るほうから進めればよいと思います。
自分があってこの世があり、この世があって自分があることをよく考えて行動すればよいのではないかと。
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from: 沙羅さん
2011/05/31 06:10:30
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「Re:Re:Re:地球 ひとりある紀」
MSG339の続き
フランスに生活してみて思うのですが、信徒でなくても、冠婚葬祭は教会で行われる事多いので、出席します。ミサにしても、一番頻繁に何処の教会でも、祈る祈りの言葉は、主の祈りなんですよね。
日本で言えば、般若心経みたいな感じでしょうか、、
主の祈りは、結婚式でも、お葬式でも、毎週の日曜日の朝夕のミサでも、必ず聞きます。一番多く聞きます
この主の祈りは、一人で祈る時も、例えば、個人事、家族の死にあっても、
一人称複数として放つ祈りなんですよね。
私たち<複数扱い>、、という発信なんです。
決して、わたしと神という 対峙世界ではなく、
私たちの 国 を、繁栄させてください、、
という祈りなんですよね。
決して、わたしが今抱えている個人的な問題であるとか、不幸から解放してください、、、というような個人的な問題も含め、
私たち、、、全てなんですよね。つまり、信仰あるとかないとかではなく、世界中の私たちの願い、祈りを聞いてください、、という意識ですよね。他者を含む私たちの発信なんですね。
もし神や創造主が、存在するとしたら、個人の主体発信、一人称単数の発信には、耳を貸すだろうか?とか思ったりします。
普遍性を持つという事は、このような複数他者の存在という事が大きな原因かもしれないと思ったりします。自分だけの問題だけではなく、自分が生かされてる世界をまず 繁栄させてください、、という事を祈るという感じだと思うのです。
主の祈り
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
アーメン
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from: 沙羅さん
2011/05/31 05:26:40
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「Re:Re:Re:地球 ひとりある紀」
久しぶりに
MICHELANGELO <ミケランジェロ>
システィナ礼拝堂に描いた天井画、、
旧約聖書の神は、怖いですよねえぇ、、
人間は誘惑に弱いし、嫉妬を覚え、傲慢になり 欲深い,,,,,このような、堕落した人間に、容赦なく厳罰を与えたり、全滅させたりするんですね。恐いですね〜、、、
このような旧約聖書に書かれる 神の存在の仕方はいったい何を意味するのでしょうかね?
さてと、ミカエル天使の苗字を持つ、ミケランジェロ
Michelangelo
[太陽と月の創造 ]です。
「 光あれ 」
という言葉とともに 6日間で、天地を創造した神は、
4日目に、太陽と月を創り、それぞれに 昼と夜とを治めさせ、
システィーナの天井は、
壮大壮観な、オペラの幕開けを見るようなのです。
ところで、心<アーム>と精神<エスプリ> ですが、
ラテン語の女性形のアニマ は、アニムスという男性形を含んでいて、
アニマ が フランス語の魂、霊魂にあたる、
ame
アーム(アクサンは文字化けするのでつけません)
アニムスが、フランス語の 精神 エスプリという語の使い方になるそうです。知的生活の源泉という意味だそうです。
源泉です、
知的という表象
の意味ではないです、
魂 AME の不滅 とは、言いますが
精神 ESPRIT エスプリの不滅とは、言わないのですね。
このような 不滅性の拠りどころは、
心の生活を支える 源泉の知的なはたらきにこそあって、感覚的な働きにあるのではないのですね。
昨今使われている言葉、スピリチュエルは、スピリット、フランス語のESPRIT エスプリですね
精神 の世界を語るので、次元の高さを、波動の高さ、、を述べるのだと思うのです。
、、
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from: 沙羅さん
2011/05/30 23:51:08
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「Re:Re:地球 ひとりある紀」
普通に考えてみて、、、と云うか、(ごく一般的に世の中を見てみて)
日本が、今 地震の後 感じさせられている、重苦しい雰囲気の中にいる時と、
二十年前、もっと前でもいいけど、バブルで経済が倒れる前、、、
その前の時期の時、どんな空気が自分の回りに漂って、どのような世界観であったのか?思い出してみる
時たま見る、アフリカの内紛で人々が虐殺されたり、中国の内地や北朝鮮の食糧難のイマージュは、目に映っていたんですよね。
その時、自分の置かれている生活や、人生観って、、、
考えませんか?
他人事ではなく、同じ地球上に住んでいる人達なのに、あまりにも、あまりにも、自分の受けてる、安泰な生活が違いすぎる事に、ショックとか受けませんか?
自分が 日本に生まれて、安全な国に生まれてよかったなぁぁ〜、、とか思いますか?
私思うのですが、、この感情の違いって、すごく大変な事に思えるんですよね?
これは、前にも書きましたけど、
阪神、神戸地震の時に、出勤の前に あの映像を突然、、見せられるんですよね。
それで、いつものごとく、炒りたてのコーヒーを飲みながら、
まるで、他人事のように、画面を見るんです。
心はまるで、ロボットみたいに、
それで定刻のバスや電車に間に合うように、バタバタ用意するんだけど、
その日常の生活に追われて、さっき見た、災害にあった人達の映像から受けた心痛は忘れ、会社の出勤時刻に遅れないようにという顕在意識が自文を支配するんですよね、、、
でも、、阪神だけでなく、世界の何処かには、いつでも、いつでも、
そのような自然災害の被災にあう人達は、絶え間なく生じてきたし、
どこかの国では権力的政府の犠牲になった人達も、沢山ひっきりなしに、生じてきたんじゃないでしょうか?
世界というか地球や宇宙の創造主にとって、先進諸国に住む人間は、他の途上国の国に住む人達より、豊かで、幸せであり、享受するのは当たり前、、、という不均衡って、、どのように思うのでしょうか?
やはり神様いませんかね?
これだけ国があれば 富や豊かさ、心の平安をたやすく受け入れる国と、生まれた時から食べ物さえも、十分に食べる事できない国、、
そのような、不均衡は、あって、当たり前ですか?
昔から、テレビに映る 途上国の人達の生活と、自分の置かれている生活の差はあまりにも違い過ぎるのは、いったいどうしてなのか?
そういう事、考えませんでした?
何というのでしょうか〜、色々考えますけど、、
普遍性、というのは、自分と違う他者達の間にジワジワ、、と浸透していくという事であって、必ずしも、同じ民族人や同じ価値観を持つ人同士
集まり、固まり、徒党を組み、他者を押しのけたり、、という事ではなく、、、むしろ、自分以外の遠くにいる他者への接近ではないでしょうか?、、普遍性と UNIVERS=宇宙 は同じ言語で放つのはどうしてなんでしょうか?
と、、、考えるんですよね?
そう考えると、今、日本という国を考えると、
抱えている数々の問題は、世界レベルから考えると
(日本だけでないですけど)他国で生じている色々な問題も含めると
それほど、特別視してみてはいけないのではないか?
自分は確かに日本人だけど、「、日本人がんばれ !」という地点に居て、情動エールを掛け合うという地点にいていいのか?
という疑問がわくんです。
何故なら?
日本人だけの 問題だけ、特別視するという事じたいが、他と自の間に境界線を、自ら引いている、、、という後ろ向きの意識に安易に同調してしまっている自分は、すごく情けないというか、、、
安易で簡単なんですよね。このレベルというのは、、
生じた感情に一時だけ、同調するというより、むしろ何十年も何十年も忘れずその日になったら思い出す、時々その人達の近況を聞く、
広島、長崎もそうですけど、、、
何十年も何十年も 忘れられない事ってあると思うのです。
そのような悲惨な歴史事を、これから日本を背負っていく子供達に教えなくなった。
一時の感情に同調したり、共感したり、呼応することより、
長い間、生きてる間、心に留めておく、思い出す事ってすごく大事な事に思えるんですよね。
話し違いますが、
世界宗教分布マップなどを見ると
キリスト教、 33,3パーセント
次がイスラム教 20,4パーセント
次がヒンズー教 13,3パーセント
中国民間宗教 5,9パーセント
仏教は、 5,8パーセント
ユダヤ教 0,2パーセント
その他<無宗教を含む> 21,2パーセント
<ブリタニカの国際年監2007年>
この数字は、世界を見るとき、それだけの数の人達が存在しているのですから、その一つの宗教がどうのこうの、という対峙世界でしか語れないという話ではなくなってくると思うのです。
何かを語ろうとする時、相手と同じ立場に立ち放てるという事は大事に思えるのです。
話しの内容以前に大事に思えるのです。
放つ内容ではなく、同じ立場に立って 放つ事が出来る、、という事は、
回りの人達つまり、第三者と言われる他者達が、目の前にいる二つ<人>の議論や討論を聞くとき
同等の存在価値を、両者に抱いているという事でしょう。
そのような、複数他者達の視差を無視できない世界観になっていると思うのですね。
普遍性を観るという事はそのような事に思えるのです。
全体を観る、 総体をまず観る
それがなくて、どうして 世界がおりなす、すべての存在しようとする接点、重心<バランス>を感じ取ル事が出来るんでしょうか?
それが観得なくて どうして自分が感じる事だけ、一時の感情吐露のような事ばかり放つ事、時間を後ろから追う事ばかりに一生懸命ならなくてはいけないのでしょうか?
何故?
キリスト教がこれだけ普遍化したのでしょうか?
キリスト教に理解を誰も求めているのではないのですから、
それより、何故?
西洋のキリスト教は、地球人として考えると、3人に一人の割合になっているのか?
何故?
ここまで、広まるのでしょうか?
という理由や原因を調べてみる事の方が、
賢明に思えませんか?
誰も、キリスト教に改宗しなさいなんて言ってないのですから、
そのような、なんだか何かの戦略されるという過去世からの恐怖感が潜在意識に宿っているのか?
何なのかな?被害妄想が、硬くなに自分達のテリトワールを守らなければ、、いけない、、いけない、、いけない、、 意識なのか?
よく分かりませんが、
なんでも外国に関する事、理解したり、原因を探そうとせず、最初から好き嫌いの地点に立ち語る方が多いのですよ。
分からない事に対する恐怖とか不安だと思うのですね。
霊も お化けと思って、怖がるとか、、
極端というか大げさに、霊とか魂とか、、扱う人達、、
感じられないから、感知できない、コミュニケートできないから、むやみに怖がるのだと思うのです。
しかし、そのような死者の魂とか 霊魂にとっては、むやみに怖がっている人達は、いい迷惑な存在だそうです。
「自縛霊?」「キャー!」
とか言っている人は、自縛霊に 失礼ですよ!
と、スピリチュエルの江原氏が述べてたようですが、
確かに、、その言いたくなるスピリチュエルの方の気持ち分かります。
失礼です。確かにね、、心の接し方なんですよね。
ゆえに、自覚したり知覚できないものは、分からないので、どうも不安になるらしいんですね。
それはそれで 普通な心情にも思えますけど、分からないものが怖いというのも、分かります。
ただ、自分の知覚できないもの以外、この世の中に価値観があっては困る、、というような潜在意識はそれで、置いとけば?と思います。
人は人、他者は他者、、という自立した大人の関係でいればいいと思うのですね。
わざわざ、
近づいて、不愉快な人間関係結ばなくてもいいのですから、
何故なら、自分の回りを見ると、ある人の周りはなんだか、
人々が 近づいていく、普遍化の存在をする人間がいる、、気になる存在、 でも、言説を聞くと、間違っている、、イライラしてくる、、
よって、罵倒する、野次飛ばす、バッシングする、、、
これ、、ただのやきもちでしょう?
INDEPENDANT アンデパンダント <無関係でいる、自立、独立、フリー>
という大人の 関係でお互いの違いを認めあい尊重するという関係をたもちませんか?
判断が下されるのは、第三者達、複数他者達であって、当事者ではありません。
そのような、個々人が、INDEPENDANT 自立させる、お互いが自立できるような関係造りをしませんか?
それから、お互いが、助け合うとか、支えあう という協調の関係が機能するのではないですか?
お互いを 対峙関係に置き、 お互いが対峙関係で、勝ったとか負けたとか、、、力関係だけで、語ろうとするのではなく、
お互いが個々 自立させる為に お互いが存在するのですから、そのような無関係な関係でいながら、お互いを存在させるという少し大人の人間関係を造りません?
弱い傷口をお互いが舐めあうような関係ばかりを強調するのではなく、
自分以外、自分と違う 他者達こそ、自分が存在できる キーワードなのですから、、
そのようなコミュニケートを創りましょうよ、、
そうそう、心はフランス語では、
coeurクール これは courage 勇気 クラージュ
に変化したそうです。
心 と 勇気 は 同じ語源なんでしょうね。
心は、ないとか、心は空っぽ、などと安易に放つのは、誤解を生むのではないでしょうか?
精神 と 心 を一色タンに扱っては 困るのです。
ラテン語をベースとした民族の思考を考え、どこからそのような違いが生まれるのか?という事を考えるのと、
日本人としての民族意識を考えるのと、全く違う事でしょう、、と思います。
================================
心理学とは、つまり意識の原理とみなされる 無意識についての科学
もしくは、無意識による意識の説明である。
J,ラニュー、「講義と断想」
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from: 沙羅さん
2011/05/29 23:31:49
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「Re:地球 ひとりある紀」
D君は、ワーキングホリデーというビザを高校卒業したら取って、フランスで一年働いてみたいという決心をしたのは、高校2年の時だった、、話してきた。
「 友人が、それ話したら、、皆、驚くんですよ、、
《えぇぇぇ?お前マジかぁぁ?》 って、回りの友達、皆 反応しましよ」 D 君
「ふぅぅ〜ん」とわたしは、黙って聞いている。
「高校、3年卒業して、11月からフランスに行くって決まった、、手言ったら、皆、マジに信じてなかったらしい、[ホントに、フランスに行くのか?お前!]」って、、最後まで 信じられないらしい、、、」D君
「なんだか、地の果て、地球の果てにわざわざ行く事、誰も知らない、日本人いない処、日本語通じない場所、全く知らないところに何で、わざわざ行こうとするんだ!、、信じられない!という感じに、、友達は貴方に言ったんでしょ?]私
「そうそう、、そうですよ!、全く信じられない!お前!正気の沙汰じゃないみたいな、、、事言われたなァァ」D君
このような、話を聞かされるのも、慣れているので驚かない。
外国に短期間生活しに来る人を色々みていると、、外人の中で生活する事や外国に住む事を特別視してしまうというか、、、、
躊躇する構えがない若い人達が確かにいる、一種の判断がない
というか、むしろ怖いもの知らずというより、無垢な性格している人の方が、大概エンジョイしているみたいに思えるのです。
昔、外国での留学生活を体験し、ハクつけた方がその後の就職に有利かも?というようななんらかの目的の為に、来る学生は期待が大きいのか?そのため失望も大きいような気がする。
海外生活をうまく自分の経験としてプラスに起動させる事が出来ず、大きな生活変化に耐えらなくなり孤独感がまし、精神的、ノイローゼ気味になって予定している期限より早めに帰国する、、、、このケースもかなりいる。
D君は、全く 違った。マイペースなのだ。
変な期待もしなければ、失望もしない、、こんなもんだと思って、何処でも生活できる、みたいな感じの男性だった。驚きももしなければ、期待もしない、それでいて、いきなり、うちに来て、佐藤愛子の本を夢中になって読む、、という19歳の男性なのだ。
ところで、旧約聖書の事を、フランス語では、
ANCIENアンスィエン TESTAMEN テスタマンと呼ぶのです。
ANCIENは旧約。TESTAMENが聖書です。
ただこのテスタマン TESTAMENという音素だけ放てば、遺言《書》
という意味で通じるので、
佐藤愛子の 本の 題名を直訳すると、
「わたしの旧約聖書」と、空に放っているような意味使いに感じる。
実際、遺言と書かれてあるけど、内容は 佐藤氏の霊の体験における彼女の怯まない真剣な体験記であるのは,しんしん感じる
<怯まずにはいられない風に書かれているのは、作家の読者に面白く読ませる為のサービス精神でしょう。
読者というのは、どちらにしても受動的に読みますから、未体験者<読者>が体験者の記述を読む、、という立場です。感動したり面白くなかったら読みませんから、作家のプロが、
本当に自分が面白く感じて面白く書いているのと、
面白く感じてもらおうと読者側の立場になって面白く書くのとは、全く違う事でしょう。
作家のプロなのですから、表現力がないはずはありませんから、>
表題が、旧約聖書 と云う意味の遺言という言葉を選んだ、、というは、興味ふかいですし、作家の真剣な心情が伝わってくるのです。
読むと、書かれている人物は有名、無名に関わらず、皆、実際に生存している人達との体験が書かれているのだから、造り話などではないでしょう。
そんな事を、D君と色々、読後話していた。
水曜日、D君がうちを発つ時、二人で行った、サン、ミッシェル山で撮った写真を、戸隠のご両親に送ってくれるように
言われたので、翌日、デジカメから写真を入れ、メイルに添付書類にしながらメイルを作成している時だった、、、
午後、7時頃だった、外で雷がなったのだ。
その日、28度以上あがり、かなり暑かった。
なんだか、外が雨雲で暗くなった。家の中も暗くなって、フト横のベランダを見たら、D君と登った、サン、ミッシェル山の上を、囲んで、 大きな虹が出ているので、驚いた。
虹がでるのは、珍しくないけど、今まで、此処に二十年近く住んでいるけど、途中切れている虹しか見た事ない。
サン、ミッシェル山の上を完全に囲って現れた、、
フランス語では、 ARCアルク弓 ENアン〜の CIEL シエル空
空のアーチARC<弓>、という音素で 虹 の意味を伝える。
そう言えば、創世記には、 ノアの方舟 が着いた場所に、
大きな 虹 が出た。
神様が、もう 水難は起こさない、、
という意味で、現れた、虹ARC EN CIEL
と書かれている。
津波の難に恐れて、人々が逃げのびる事、、、
もう人々に恐怖を与えないで欲しい、
地上の人間の業に怒りを覚えた神、その神に 無垢なノアが、大洪水を避けるため、方舟を造る。
もう、津波に呑まれる人をこれ以上ふやさないで欲しい、、、
願いを聞いてくれたのかもしれない、、
創世記の ノアの方舟、<ARCHE DE NOE>がたどりついたアララト山に思いをはせてみたりしながら、虹を しばらく眺めていた。
http://www.youtube.com/watch?v=qSeg69d3CQ8&playnext=1&list=PL18237920F8DBBD0A
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