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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: 沙羅さん

    2009年07月31日 17時43分38秒

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    「Re:Re:Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」

    めるろーさん

    虚空蔵菩薩ですか?
    >
    > 「この仏像は“虚空蔵菩薩”(宇宙を蔵にするほど富をもたらす仏の意)として、金堂の壇上、釈迦三尊像の後ろに北向きに安置されていましたが、法隆寺の最も重要な古記録である『法隆寺資財帳』などに記載がないため、その伝来は謎に包まれています。


    不思議ですね?
    何処を放浪されてたのか?
    何処にも記録がなく、
    21世紀に入ろうとする寸前に
    外国へ日本の代表文化財展示として
    空輸される仏像なんですよね。

    町田甲一氏の法隆寺の歴史と彫刻、百済観音解説から、
    少し転記してみます。


    百済観音の記録は、古いところには全く見出せない。
    天平19年の{資材帳}にも記すところなく、
    11世記後半の 「金堂仏像等目録』 や鎌倉時代の
    聖徳太子伝私記」においても、全く触れるところがない。

    降って、江戸時代の元録諸堂仏体数量記」 に、いたって初めて

    「虚空蔵菩薩、百済国より渡来、天竺像なり、、、、」の記をみ、
    また良訓の撰になる「古今一陽集」には、虚空蔵菩薩比尊像起因古記にかく、
    古老伝えて、異国将来と請う。
    其の所以を知らざる也」との記がみえ
    斑鳩古事便覧に納められた寛政7年の法隆寺宝物図にも、ただ
    {虚空蔵立像、長7尺5分天竺像也」とあるに過ぎない、、、、、、
    、、、、と書かれているのです、、不思議な百済観音です。

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  • from: めるろ〜001さん

    2009年07月30日 11時34分38秒

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    マニカナで、

    >沙羅ちゃん

    マニカナで、「不二」の意味を間違えて使っている人がいますが、
    <二つに分けられない>という意味です。

    空海では、胎蔵界と金剛界の不二の思想といいます。

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  • from: めるろ〜001さん

    2009年07月29日 13時07分05秒

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    「Re:Re:Re:一人言コーナー」
    沙羅ちゃん

    Haruspexさんですか?
    自己保身でいろいろ凝り固まっている人いましたね。

    フランス語は、音楽ですね。音と心に重点を置いていると思います。
    その心の部分ですが、こうして発表することが心の部分だと思います。
    心は、思考であって、判断です。
    「心が自在に操れる。」これを論理的に移行すると、
    「思考が自在に操れる。」・・・観自在菩薩じゃないですか。
    観音菩薩ともいわれるのは、自然界の音を聞いて思考する菩薩。
    音はいろんなところから聞こえますし、人の声も音ですね。
    思考する素材に事欠きません。

    先達は、サンスクリットを音写したものとなっています。
    しかし、その漢字を採用した翻訳僧の意図を感じますね。

    この意図が、<心>の部分でしょうね。

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  • from: 沙羅さん

    2009年07月28日 17時09分10秒

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    「Re:Re:一人言コーナー」

    しかし〜・・・昔、フランス人達の自国の言葉、、フランス語を話せる事をとても、誇りに思う、また至福の事に表現する人達に会う度に、この人達は、いったい自己満足なのかな?

    と思わされる事がしばしば、あった。同時にこれほど、フランス語を愛す事ができる国民を羨ましいとさえ思えた。

    わたしの母国は日本語なのだが、
    フランス語の音素というのは、まるで、歌でも歌っている気分になるのだ。

    話すのでは、歌を歌っているんだわ〜・・この人達は、、
    と思った事がある。

    しかも、全ての単語や動詞にまでも、関連性を含む意味が含まれてる。
    つまり、その意味とするところで<時間軸>、私達はコミュニケートをしているのであって、決して、辞書に書いてある固定化した意味ではないんです。

    そこには、必ず、心が作用している。

    しかも、伝えたい、近づきたい、接したい、あなたの前に現われたい、、、、という魂の引力みたいな力によって起こる心作用、そのものであるような気がする。

    けっして、人を遠のけたり、排他したり、攻撃したり、・・・支配しようとしたり・・・、組み伏せようとしたり、、

    そのような、人間の負の欲望とは全く違う、、
    時間を越える、全く予想のつかない、無秩序な出会いや別れがあるるのだと思う。

    そう考えると、他者の個人情報、どの国の人であるとか、どの信仰を持っているとか、女性なのか男性なのか・・はたまた、何処の国に住んでて、どんな職業でだとか・・・・
    ゴシップ記事のような、他者のプライベートの事を知りたがる気持ちなど、沸かないと思うのですね。

    わたしも、今までコミュに色々書いていましたが、
    中には、何故?
    フランスの田舎に住んでるから、、、
    日本の情報には詳しくないのでしょう、、
    情報は新しい情報をメディアに載せるべきです、、というような事も言われたりしましたが<ハルペックスさん?>
    何故?
    時間を後ろから追う事が、真実だと思うのでしょう?、、と思うのです。
    しかもこのような、記号や文字執着気味の方は、どうも他者のプライベート情報を知りたがる、、という欲望を感じるので、
    知って、判断したい・・・という、、、事なんだと思うのですね。
    個人の情報を、このような掲示板で知らないと、判断して書けない、表現ができない、、というのは、
    心理的な病、精神的な病を持つようになる方向、途上の上にいる方としかおもえません。

    どうもゴシップ雑誌というか、芸能人や有名人のプライベートを載せる事で、国民の購買欲を高めるというのは、
    何でも、知っていないと、乗り遅れ、、みたいな雰囲気が漂う構造にいるのでしょうか?

    自分の家族や親族でもない、有名人や芸能人のプライベートを知りたがるようになるような、人達が増える方向にある、というのが?

    よくわからないんですね。

    時たま、』心理的病、精神的な病で精神病棟に入院されてる方達の中で、「わたしは、イエスなのです」・・・と仰る方には、もちろん、それは違います、、などというお医者さんは皆無です。なぜならそれもお医者さんの個人判断なのですね。
    そのような判断を押し付ける地点で、その方と交わう事ではないんです。
    対話は、
    それでも、そのような事でもいいと思うのですね。
    その方の世界では、その方はイエス様でありたいと願われてる。
    それで良いと思うのです。
    問題は、そのような方がたも、多くのその他一般の他者の間に存在出来る事が出来るか、一般他者との、感情や情動の共感や体験を持たせてあげる。「こんなに、貴方の回りには色々な貴方と全く違う考えや言葉を話す人が存在しているのだ、、という他者の存在に気つかさせてあげる、」そしてその人と共に生きる、
    対峙世界での、違う他者を無理やりに自分の意見に同意させたり、合意させたり、、そのような行動ばかりに、夢中になって、外から見ると実に醜い世界を展開している事さえも見えなくなってしまう・・・・という世界に留まってては、何も観得ないし、何も感じないし、ただただ、他者の個人情報や他者の記号や他者の言葉が気になるのではないでしょうか?


    死ぬ時は、知職や認識、預金通帳も、何もかも、もっていけない・・・・・・

    もっていけるのは、心、そのものだけでしょう・・・・

    それで一番最初のフランス語の話しに戻るのですが、

    信じるという仏語が、
              CROIRE クロワールなんですが、
              この言葉の語源から、
            CROISクロワ、、つまり十字クロワ、CROIS 

            十字架も、CROIX クロワなので、音素で意味を通じながら出来た言語なのだと思うのです。

       ですから、日本語だと、
       わたしは、信じるではなく
       わたしは、十字する・・・
      
       というような感じなんです。
       ですから、思うと信じるという単語の使い分けによって、
       意味を伝える必要性がでてくるのだと思うのです

       こうやって、他者の使う言語の意味合い、他国の言語というのは、
       表意文字で理解される日本語とはかなりコミュニケートが違う。
       そういえば、思うという漢字は、
       田んぼの田に心と書く・・・・

       何故?
        田んぼの田に心と書いて、思うになったのかしら?
        と懐疑する自分がいる。
        





     








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  • from: めるろ〜001さん

    2009年07月28日 13時07分21秒

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    「Re:Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」
    >虚空蔵菩薩ですか?

    「この仏像は“虚空蔵菩薩”(宇宙を蔵にするほど富をもたらす仏の意)として、金堂の壇上、釈迦三尊像の後ろに北向きに安置されていましたが、法隆寺の最も重要な古記録である『法隆寺資財帳』などに記載がないため、その伝来は謎に包まれています。また、明治になって、それまで像とは別に保存されていた宝冠が発見され、この宝冠に観音の標識である化仏があらわされていることから、虚空菩薩ではなく観音像であるとされ、百済から伝来した(ただし、仏像の様式としては百済系のものとは明らかに異なっている)という伝承とあわせて、“百済観音”の名が定着しました。」

    そもそも仏教に富を求めなさいということを推奨していないので、
    「富」という文字を「ご利益」に変えないといけませんね。
    仏教で「富」といえば、生きる為に必要な富であって、
    他を服従させてまでの「富」を求めなさいとは言わないですね。

    虚空蔵菩薩は空海が若き頃修法した「虚空蔵求聞持法」の
    本尊であり、利益は「無限大の智慧」ですね。
    虚空蔵菩薩は、「明星に化身する」こともあり、
    空海の「明星来影す」は、「虚空蔵菩薩求聞持法を修得した」
    という比喩であると思います。

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  • from: 沙羅さん

    2009年07月28日 08時13分11秒

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    「Re:Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」


    ここ数日、

    自由の女神と百済観音の事ばかり、書いてて・・・・・

    わたしの私生活は?
    というと、
    突然に最近音信不通気味なのだが、遠縁になり気味の人達から連絡が立て続けにあった。

    まず

    以下のようなメイルが来た。

    クリスティナという多分21歳くらいだと思うのですが、
    両親の25年結婚記念日に、思い出のプレゼントとして、両親に関係ある人達と、どのような結びつきが発展して、友人関係を今まできずいているのか?

    写真や、詩や、歌でも、説明文でも、クリスティーナのお父さんとお母さんと知り合ったきっかけでも、思い出を自分でクリエイトしたものを、送って欲しい・・・
    それを、結婚25周年記念にプレゼントしたいという
    娘さんなんですが、メイルがきた。
    しかも

    これはお父さん、お母さんには内緒であるのです。

    つまり、クリスティーナのお父さんとお母さん、、特にお母さんと私が知り合いであったのです。」


    Amis et famille des Lopez bonjour!

    Le 17 aout prochain A et A célébrerons leur 25 ans de mariage. Pour cette occasion spéciale, je souhaiterais créer une sorte de carnet d'or.
    Le principe étant que chaque personne, couple ou famille se munisse d' une feuille A4 de la couleur qui vous fais plaisir colle une photo de vous (encore une fois celle qui vous fais plaisir) puis laisse libre court à son imagination en écrivant un poeme, une histoire, une anecdote, un souvenir ou encore un mot doux, en dessinant ou coloriant. Pour ce qui est de la création et l'imagination je vous fais tous confiance! Merci de me répondre pour savoir si je peux compter sur votre précieuse participation!
     Merci à tous de m'aider à réaliser cette surprise!
    Bises
     
    お母さんと初めて会ったのは、

    わたしが、切迫流産の危険性があって、入院した、二人部屋の同室のアニックさんの事なんです。

    彼女は、全くフランス語が喋れない私の事を、全然気にする事なく、色々よく喋ってくれた。
    お互い、同じ理由で入院していた理由もあり、同じ治療を受けるという理由もあって二人でかなり情報交換をしながら、しかも彼女は底抜けに明るかった。
    今まで、盲腸手術をした事もなく
    入院経験が全くなく、健康には結構自信があったのです。

    しかし外国で入院するはめになるというのは、

    外国語が分ればまだ、不安もなくなるのですが、かなり精神的に
    ダメージを負う。

    言葉のわからないところで、入院するというのは、自分の健康管理が管理できないのと同じで、かなりきついんですね。
    しかも、自分だけでなく、私は、他者<子供>の命を身ごもっているという責任もあるんです。だいたい、お医者さんの言ってる事は何も分らない、、というか、言ってる意味はどういう意味なのか?
    重大なのか?
    そんなに重大ではないことなのか?
    一つ、一つの検査値の意味が何を示すのか分らないのです。

    フランス語も喋れないのに、最初からフランス語の医学用語と格闘するはめになり、
    3キロくらい分厚い辞書を、入院先のベッドの上で抱えながら、調べるので、点滴の針やチューブが邪魔なんですね。
    終いには、看護婦さんに来てもらって、悪いけど、点滴を抜いて、他の場所にしてもらえますか?と聞いた事もありました。

    アニックさんは、そういう状態で会った、フランスで一番最初に仲よくなった
    フランス人女性でした。

    彼女は、ご両親は若い頃亡くされたという事を話してくれた。
    パパになる彼氏、アントニオさんとも、よく病室で話した。
    つまり、クリスティナは、アニックさんととアントニオさんとの間に出来た娘さんなんです。

    お互い、母親になり交際は子供の話しを通じて
    連絡する事が多かった。

    わたしが彼女の家に訪問すると、いつも目につくのは、

    彼女がシンプルなウエディングを着て、アントニオさんと立ってる結婚した時の場所は、彼ら二人が会った場所、、、
    ヴァルディゼール、、というスキー場である。

    あの十字架の紋章を持つSAVOIEサヴォア県に流れるイゼール川の発端 ヴァル、イゼール 滝の前の写真が今でも目につく。

    入院していた病院は、ヴァル、ディゼールから160キロくらい離れているのではないか?

    わたしは、入院した当時、イゼール谷の向こう側、つまり、反対の谷、A R C川が流れる谷の川のすぐ麓の住人だった。


    お互い、住んでた谷は、谷向うと言う感じだったのだ。

    数年経っても、私達は、今度、家を購入したいと思う時期が一緒だったこともあり、お互いに小さい子供の話しをしながら、中古の売りにだされている、家を見に行ったりする事もあった。

    結局私達は、入院した病院は、当時住んでいた場所から150キロくらい離れていたのだけど、今は10キロ近くのところにお互い住居を構えている。

    そうかと思ったら、昔の通訳仲間で、3人のパパでグルノーブルに住んでいる、S氏から電話が一年ぶりにあった。

    日本人観光客はウンと減り、世界的な不景気で、娯楽観光に出費をする人が日本人だけでなく、世界中に人間の動きが鈍くなった。
    観光で食べていってるフランスは、結構な痛手なんですね。

    「外人の観光客が減ってきた山間部もかなりの影響がでているし、僕の子供もまだ、学費に出費がかかって、家内と将来どうしようか?と話しているんですよう〜・・・」と話してきた。

    「大丈夫、、グルノーブルは、あの自由と平等と博愛心を掲げて革命をおこさせる源の拠点じゃない?そのグルノーブルに住んでいる限り、絶対、マリアンヌは見捨てられてないはず、、、」・・・とか、なんとか、・・・・・
    S氏の弱気な気持ちに安易に便乗したりせず、上向きに未来への希望をもたせてあげたかった。

    次女に、
    『何故?日本人は、そのような世間に蔓延る弱気な志気に便乗したがるの?
     どんな共感や同感を得るにしても、どのような地点で、関係を結ぼうとするか?存在は後ろにあるのではなく、前でしょ?
    Ceci ,,,c'est a dire   Ca made rien
     後ろ向きの志気に便乗するのは、わたしをちっとも助けない
     なんの、助けにもならない、、という意味

    と、言われたばかりだった。ヴァイオリンを弾く彼女の
    彼女の友人達の観察や、親戚の人達の言動の分析、職種や、生まれた家族状況、
    わたしも例外ではなく、わたしの人間関係の質や社会においての存在の仕方・・・外側から眺める彼女ならではの精神分析は、時々
    天晴れだ!と思わされる程、細かな分析を彼女はする。


    わたしは、S氏が、イゼール川が流れるイゼール県のグルノーブルについてから、グルノーブルを拠点に、フランス人達と人の輪を広げて、人間関係つくりがうまいのを、私はず〜と人の噂で時々耳にしながら聞いている、遠めながら、S氏の存在を時々思い出す。
    お互い、頑張ってきた、戦友同士みたいな感じがする。


    最初は、生活基盤を外国につくるのに、

    奥様と、最初の子供をS氏の実家に預けて、フランスで七転八起きしながらの状態も知っている。

    S氏のお名前は、真 がつくのですが、奥様も同じ 真 がつくんですね。

    去年、仕事の途中で、うちに寄って、泊まった時、少し話した。
    奥様との結婚20周年記念日の為に、日本で高価な指輪を買ってきてプレゼントをしたそうなのだ。

    どの人もどの人も一生懸命、毎日、毎日、一生懸命、何か大事なものを、一生懸命守ろうとしているのだと思う。

    最後は、智ちゃん・・・・・

     「沙羅 さん、、私達、この夏、引越しするんです。」

     結婚したての彼らは、今、リヨン飛行場の近く、
     ローヌ県に住んでいる。
     
     ご主人 R君は、イゼール県にある高校教員に決まったらしく、
     彼らは、イゼール県に住む。

      数年したら、必ず・・人々は立ち上がろうと、空を仰ぐ 
      空に 虹 が、かかる時、、、必ず人間は、又溢れる生命力に
      火をともす。必ずその時がくる・・・それまで、一緒に前向き
      の姿勢を絶対くずしてはいけないでしょう・・・
      
      智ちゃんと、R君の結婚式の招待状には、
      サンテクジュペリの言葉

      Aimer ce n'est pas se regarder l'un l'autre
    C'est regarder ensemble dans la meme direction

    愛するという事は、お互いがお互いを見つめ合う事ではなく、
     二人で、同じ方向を見る事である・・・・

      が、書いてある。

      智ちゃんに前に、
     「 招待状の言葉、、実は、わたしもサンテクジュペリの
      人間の人質の文章が好きで、よく、口ずさむのよ。
      誰が選んだの?」

      と聞いたら、R 君が一人で決めたそうなんですね。
      
      同時に、わたしは、何故?

      彼らが、7月18日に、結婚をする事になったのか?
      聞いてみた。


      何故なら、何となく、変な感じがした。
      不思議のメダイュのマリアが最初にパリに出現した日が
      7月18日だったからなんです。

      しかも、R君の苗字は、音素で、言えば大工という意味のフランス語音素なのです。   イエスはたしか大工という職種なのだけど、
      これはあまりにも遠くに行き過ぎのような感じがして、
      黙っていた。

      『 いえ〜、、4月の地点で、市役所に何度も聞いてみたんだけど、その日しかないって言われたんです。他の日の方が私達は都合がよかったんですけど、、7月18日が駄目なら、9月しかないって、、そしたら、学校はじまっちゃうし〜」

    と話してきた。

      去年、丁度一年前、コミュにも書いたと思うけど、
      R君が、インドネシアに、洞窟学者のお父さんと一緒に、一ヶ月
      留守をしていた時、わたしは、智ちゃんと、二人でイタリアに行って、トリノの近くを観光した。

      トリノの近くの、岩壁の上にある、サンミケーレ教会。
      ミケーレは、イタリア語のミカエルなので、
      ミカエル天使が岩壁の上に僧院を造りなさい、、と再三にわたって、ミカエル天使は出現した場所があるのです。

     そこに、二人で行ったのでした。
     その時に、日本でもある霊能者のブログで読んだ、ミカエル天使と、千手観音は霊能者は同一と考えて」いるらしい、、という話に彼女は興味を示した。

     そして、智ちゃんとR君が、たまたま家に来た日に、
     たまたま、I さんは、滞在していたので、お互いがニアミスどころか日本から来るI サンと、うちから、100キロ離れたリヨンに住む智ちゃん達が、何故?たまたま家に着て会うようになったのか?
    が、よくわからなかった。

    そんなに、しょっちゅう出入りがある人達でないのに、
    たまたま偶然に知らない人と人が家であったり、わたしの回りで会う・・・というのは、不思議な現象に思えるのです。
    大概、いきなり来る・・前もって予定をたてて訪問するという習慣はあまるフランスには日常の事ではなく、絶えず、人が動いている、動いて、動いて流れているという感じを受けるんです。

    わたしも突然の訪問を全く気に」しない人間なのだ。
    その R 君は、これまた、キルギスタンから来た、マキシムと、
    家で、夕食を食べる。その3時間前に、電話があったのだ。

    しかも、わたしが、日本から智ちゃんのメイルをもらって、そのメイルから漂う彼女の心情が通常の情動ではなかったので、R君に一言教えてあげたくて、R君にかけようと連絡先を探して射る時に、初めて彼から電話があった。
    彼が、ウエディングドレスを昨日リヨンのお店に取りに行ったので、今日これから持っていけるのだけど、、、、という連絡だった。

    この電話のR君の内容も変だった。

    確かに、わたしは突然人が訪ねてきても、あまり不思議に思わないのですが、R君が、万が一ドレスを持っていくという目的を達成したかったら、前もって、私がその日に居るか居ないか、くらいは確かめるのではないか?
    ただ、突然の訪問と訳が違う。
    ウエディングドレスを私に手渡すという目標があるのだ。ところが、たまたま、わたしの予定は聞く事なく、ドレスをこれから持っていくという決行は、叶うようになっていた。

    つまり、時間が経つと、不思議には思えないのですが、人々が無意識行為に至る行為を分析すると、まるで、そのようになるようになにかが、仕掛けているのではないか?と思われるほど、何の障害もなく、回るのだ。

    日本で、わたしは、智ちゃんにR君の行動を時間事に区切って説明してみた。
    智ちゃんも、日頃の R君は、すごく予定を前もって立、連絡して了解を得てから慎重に行動をとる性格なんです・・と言っていた。
    智ちゃん自信も、R 君が、リヨンにとりに行って』翌日前もって連絡せず、わたしの家に3時間後に現われる行動をやはり不思議におもっていた。前連絡をしないという個人的な行為の傾向を述べているのではなく、普段するであろう几帳面な行動の癖もなくなるほど、何か、そのようにその日に生じるようになっていた・・・
    ウエディングドレスは、目的カモフラージュだわね。

    癌の末期症状のお母さんに万が一の為にと思ってわたしは、6月に日本に行く時、ウエディングをお母様に見せたいのなら、持っていけるけど、、、という事を言ったのだが、実際
    R君が、ウエディングドレスを持ってきてから、

     智ちゃんと私は、かなり躊躇した。
    何故なら、お母様自身が、7月18日の娘の結婚式に出席できると思い込んで信じて、頑張って闘っている。
    リハビリをして、少しづつ、歩けるようになってきてる。
    本人自身が、フランスに行けると思って病魔とたたかっているのだ。
    最後は担当医の話しでは、普通の数値<なんの数値かよく分らないのですが癌患者の細胞の数値だそうです>は5くらいなんですが、お母さんの数字は7000なんです。<ゼロの数は間違っていないんです>
    こんなに悪い数字でまだ生きてるのは、考えられない、、、と言われたほどだった。

    そんな状態でも、お母さんは最後まで、結婚式に出れると信じていたのだ。
    そのような患者に、フランスにあるはずのウエディングドレスが何故?日本にあるのか?、知ったら、

    返ってお母さんの頑張りに影をささないか?

    返って、本人自身が何の為に頑張って生きているか?
    その目的自身を奪う事にならないか?
    人は、何の為にいきるのだろう?
    智ちゃんのお母さんのように、
    最後まで、希望を失わない、、
    その姿を、無心に回りの人達に見せることによって、少しの事でめげてはいけない、、、という残された生きてる人達への人生への暗示ではあるまいか?

    お母さんは、お医者さんがこんな悪い数値でも驚く程、最後まで前向きに希望を失わず頑張って、生きた。

    そのような生き方を、智ちゃん家族は、全員誇りに思っている。
    そして、お父様は最後に、「僕にとって、世界一の最愛の妻を失くしました・・・」
    と葬儀の挨拶をされて、御住職は感心され、納骨のお話もその後の49日の法要の色々な話しを親身になってくれて助かったとお父様は結婚式に話してくださいました。



    ところで、ウエディングドレスの事は
    私達は、かなり最後まで、ウエディングドレスを持っていくか、よそうか迷った。

    結局、わたしは、智ちゃんに、フランスを経つ日は6月3日の朝だから、それまでに決めてくれればいいと、彼女にまかせた。

    私は、R君が持ってきたウエディングを袋からだして、寝室に飾り、
    デジタルで写真をとって、メイルで送った。

    万が一、日本に持っていかなくても、ご家族はプリントしたドレスは見レスハズ。

    ところが、智ちゃんは、その写真を見て、、
     『沙羅さんのあの家に、私のドレスがかかっていると思うと
      安心する。 リヨンの私と、Rの家よりも、
      沙羅さんの家にある事で、なんだか、すごく安心する』

      というメイルをよこしてきた。

      この家は、智ちゃんがフランスに来て、初めて生活をし始めた、場所だ。
     
      彼女は、しかも、うちから真正面に見えるあの山のてっぺんに

      ある、モン、サン、ミッシェル の小さな、小さな教会があるでしょう?誰も入らない、一体、あんな山の頂上にある小さな教会が見える、その麓の家に、わたしのドレスがあると思うと安心するんです。

      実は、うちの家からは山脈が見えるのだが、その山の頂上に
      あのノルマンディー地方にあるモン、サン、ミッシェルと同じ名前の小さなチャペルがあるのだ。モンはマウントと同じMONT, sant michel の小さなチャペルの灯が見えるのだ。

      ミッシェルはフランス語ですが語源はミカエルですので、
      ミカエル天使が祀られてるんですね。
      
      ところで、わたしは

    マキシム君が、R 君をこさせてしまったような、気がしてしょうがない。
    R君が、智ちゃんのウエディングドレスを持ってきて、うちでマキシム君と食事をした、日はASCENTION 5月21日のキリスト昇天日という祭日です。
    キリストは、復活祭が春分後の最初の満月<これも月が関係する>の日の次の日曜日から、数えて40日後が、キリスト昇天祭という祭日<だと思ったけど。。>

    わたし日本は、この日に、智ちゃんには、ミルキーが死んだ事は伏せといて欲しいという事をR 君に

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  • from: 沙羅さん

    2009年07月28日 01時36分45秒

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    「Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」

    10年以上前の
    情報、
    日本におけるフランス年
    フランスにおけるに本年・・・・あれこれ

    今頃、書くのも気が引けない訳ではないけど、

    でも仕方ない・・・・

    今頃、、虚空蔵菩薩ですか?

    と言われても、、

    時間と空間はないので〜〜・・・・・・

    いつ、なんどき・・・・直感や閃き、、というのは作用するのか
    分りませんでして〜〜・・・・

    という曖昧な態度になるのです。

    で、・・・

    フランス郵政省が発行した、
    百済観音が印刷してある切手の事を書かれた、ブログがありました。




    http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-1529.html

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  • from: 沙羅さん

    2009年07月27日 18時36分07秒

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    「Re:一人言コーナー」


    そういえば、日本の友人達と話していて、
    ネトウヨ、、という言葉の
    解釈について、色々はなしていて面白かゥた。

    まだ、ご存知ない方は、
    ご自分のお好きなサイト<WIKIでも、GOOGLEでも何でも、、という意味です>で調べてくださいね。


    わたしは、

      ネトウヨ、、、というカタカナ表記でしたから、

      最初は、ただ、

      「ネットに頻繁に現れる、、つまり、、ウヨウヨいる、、、」

      という解釈をしてた、、と述べたら、

      知り合い、友人達は、皆 一斉に笑ったのですが、、

      まあ、わたしが現象学思考、、つまり音の感受性を重視しているというのが、観えて、面白いという事らしいです。

     もちろん、右翼行為、云々は、もちろん、知ってて

     言うのですが、、、、、

     一番最初に聞くという現象は、
     
      当然、普遍的に見得る、感じる事の出来る、他者との同感や共感によって、あるので、

      流行言葉、、、流行語が何故?生れるか?

      という社会的な表象現象を分析しているんですね。

      それでもって、わたしは、日本の雑誌や本はほとんど、読む機会ありませんから、

     日本の社会、土壌の質は、他国の表象現象の差によって、
     観えてくるんです。

     何故?

     日本のサイトに2チャンネルというのが存在するのか?

     であって、

     2チャンネルじたいを判断しているのではないんです。
     <2チャンネルをよく読むと、アレ?と思わせる書き込みに逢う時がある>

     日本の 荒らし行為、、、、

      これも、外国のネット世界での、荒らし行為日本ほど、

      あるんですかぁーー?

      明らかに、心理的、精神的に病んでいるように思えます。
      日常の生活、日常の普通の生活というのは、ちゃんと
      滞りなく、外部者、他者との感情交流は、なしているのでしょうか?
       と思える方が、書き込み行為に熱中されてるのか、
       一生懸命なのか?よくわかりませんが、、、、

       非常に危険な状態である人、よくサイトやブログやコミュの書き込み読んでて、思うんです。

     超越者の書き込みも、読みますが、、、

     思うに、

      見てると、

      自分の日常、自分の身に起きた事、自分の生活、自分の事は、全く述べない方、、で

     ただ、他者の書き込みを読み、
     ただ、 判断される方

     例えば、二人称の呼びかけに落ちる頻度が非常に多いんです。
     そして、貴方は妄想している、、、みたいな書き込みが多いのに気つくんです。

     この書き込みの、形が増えましたよねえー。。

     自分から他者という一方通行だけなんです。

     対象の何か書かれた方は、妄想しているとかなんとかは、
     別に、構わないんですね。
     
     なかには、妄想っぽいのもあるかしら?と思う時もありますし、
     この人は、超越者であろう、、という事を感じる時も確かにあるんです。
     ところがですねえーーー
     この超越者、、日本語では解脱でも悟るでも、色々あるのですが、
     もちろん、外国にも、日本語の解脱者であるとか、悟った方という語録に類似した言葉で現して、そのような方達の能力は、興味深いので、、別に、仏教徒だから、、という事ではないんですね。
     日本の精神病院に頻繁においでいただければ、わかるのですが
     ご自分の事を、自分はイエスである、、又は、ブッダである、又、菩薩である、、と、仰られる方は、結構いらっしゃるんです。

     もちろん、外国の病院にも、似たような言説を放つ方は結構いらっしゃるんですね。
     ですから、そのような方がたの事がもし本当であれば、
    地球上には、かなり沢山の菩薩や、ブッダやキリストやマリアが、存在しなくてはならなくなるんですね。

     何故?
     彼らは、精神的な病とみなされて病院に入院されているのでしょうか?
     
      もちろん、そのような言説だけで、お医者さんは判断しているのではないんですが、、、

     結局、キーポイントは、

     他者と、自分の関係 なんです。

     他者の中に自分が存在しなくなると、形而下の生活能力も衰えてくるんです。
    、人との感情交流が難しい、赤ちゃんの声や泣き声が、何を意味しているのか自分はあかちゃんではないから、わからない<感じない>
    他者が、何を述べてるのか、意味を理解できなくなる。

     総合的な判断によるのですが、、
     
     ニーチェも、晩年はスイスのバーゼルの精神病院なんですね。
     知り合いの分析医達との会話で、
     あの頃、ヴィデオがあれば、かなりニーチェの分析も、バーゼルのお医者さん以外の意見を聞けるのではなかったのか?
    ただ、ニーチェのカルテを読んでも、
    記号表記ではシニフィエで書かれますから、、、
    実体がつかめないんですね。
     
     超越者を普通の人間の世界での存在性をみつけてもらい、人生を歩んでもらいたい、、、

     心理学や精神科学の存在は、人間として生れたなら、人間として健康な生活を営み、健常な精神や心理を持ってもらいたい、、結局他者の幸福を願わずには、生れてこない分野であると思われます。

    問題なのは、日本は、オーム事件を蔓延らせた、土壌を養成する原因は、人々の個々の精神や心の中にあると思われます。

    オームがどうのこうのではなく、
    オームをあのような巨大なシステムに、浸透させてしまった、
    蔓延らせてしまった、原因は私たち日本人の他者と自己の間にあると思うのです。

    他者を言葉や雰囲気で支配しだす。

    言葉でも記号でもよいのですが、

    言葉は、音なんです。

    信じるという字は、

     にんべん に 言う  です。

     人が、言う と書いて  信じるなんですね。


     仏語は、信じると和仏で調べるのと
          仏和で調べるのと、、

        信じる、    CROIRE クロワール
        思う、考える  PENSER パンセー

      
      両方単語が出てくる、、と何度も書きましたけど、

      何故?

      思う、考える、信じる、、という意識が、その意味あい、使い方によって、違ってくるんでしょうかね?


      信じる の 信 は、ひと<にんべん> が 言う

      なので、神ではないですね。

      キリストでも、字が書けたかよくわかりませんが、
      お釈迦様の字筆というのがあるのかどうかもよくわかりませんけど、、、、、

      私自身は、そのような方達の存在が存在して欲しいと願いますが、実際の話、眼の前にいらっしゃらないから、
      皆さんの眼の前で、こういう事があって、このように話されました、、という事は実現できない昔の方がたなんですよね。

      と、すると
      自分の存在しようとする世界というのは、自分と全くちがう他者との間のコミュニケートにおいて、どのように他者の中に自分の存在性が観えているか、存在しているか?に尽きると思うのです。

     自分の思った事を自分がただ放つ一方通行は、会話とは言えないんですね。
    もちろん、ただ聞く側に徹するだけ、、という読者や対話者もいらっしゃいますけど、

    どちらにしても、
    自分の述べる事というのは、自分で判断する事はできても、
    普遍性は
    他者が判断する側にいるんですね。

    そこに、存在できるか?出来ないか?
        ただの、自分本位の言説でるか?それとも、偏狭世界に通じる言説であるか?

     すべて、他者との関係になってくると思われます。
     





      

     



     
     

     

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  • from: 沙羅さん

    2009年07月26日 06時00分12秒

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    「Re:Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」
    MSG375

     ところで、フランスにおける日本年という文化交流年は、
     1997年から1998年。
     そして、翌年、日本におけるフランス年という事だったらしいです、、、という事は、これで、いくと、

    法隆寺の百済観音がフランスに来た方が早い事になるんですね。

    デュラクロアのルーブル美術館の自由の女神は翌年なんです。

    それは、いいのですが、

    この日本におけるフランス年に1998-1999年は、
    デュラクロアの民衆を導く自由の女神の絵画だけが、海を渡って日本にいったのかと思ってたら、

    実際の自由の女神も、日本に
    この年に行っているんですね?

    この自由の女神は、例のニューヨークにある、アメリカ独立100年記念日にフランスが自由の女神を贈った時に、フランス側にお礼として、アメリカ人協会から贈られた同じ自由の女神縮小版ですが、、、

    あのセーヌ河のグルネット橋にある、
    自由の女神は、ニューヨークと同じなんです。

    このセーヌ河にある、自由の女神も、
    東京のお台場に、ドラクロアの絵画の民衆を導く自由の女神と共に、日本に行ってたんですね?

    知りませんでした。

    フランスというと、そんなに自由の女神、、という印象が強いのでしょうか?

    http://www.01.246.ne.jp/~onda/festival1.html

    ところで、このセーヌにかかっているグルネット橋にある自由の女神からフランスの、ルーブル美術館、ピラミッドから、一直線の歴史と、どのような位置関係なのかしら?
    後ろのエッフェル塔はこんな感じです。

    エッフェル塔は、 山ですから、、象徴文字でいう、

    vの反対ですよね。

    http://www.photolibrary.jp/img54/12485_168092.html


    凱旋門と、GRAND ARCHE グランアルシェ

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  • from: 沙羅さん

    2009年07月26日 02時08分42秒

    icon

    「Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」
    あーー
    杏ジャム作ってたら、なんだか
    ドンドン、直感が働くんですがーー、、

    どうなっているのかしら?

    昔わたしは、杏姫だったかも知れない、、、アレ?

    いえねえ、、、

    しつこくて
    申し訳ないけど、、

    又、百済観音なんですね。

    「またかぁーー沙羅ちゃん?
    他に違う話題はないのー?」影の声

    「 ありません、、そして、この話題に関しての直感は、これからズーと続くのです」沙羅、、、チャンチャン


    wikipediaで、

    デュラクロアの、民衆を導く自由の女神と交換された百済観音、、と書かれていた、、

    この、日本、フランスにおける、文化交流の年なんですが、、

    わたしと、R子さんが知り合ったきっかけは、この催し会の準備委員会のメンバーだったんですね。

    フランスのあちこちで、日本の事を理解していただく為に、
    色々な文化交際があったんです。

     しかし、パリに百済観音が来たことは記憶にのこってないです。
    もう10年以上前だもんね?

    記憶に残らないから、こういう風に勝手に
    ウイキペディアを無意識にクリックするという
    無意識行為に至っているのかしら?

    実家に百済観音の額が飾ってあったのを、気づいたのも、今年日本に帰国しないと気づかないかも知れない。

    つまり、10年前に帰って、食卓の前にある額が網膜に写っても、なにーーも思わないんですよね。
    何故なら、実家の家が経ってから、ズーとあるので、
    毎日観ている現象というのは、表象意識に昇って来ないんです。

    これがメルローポンティーのいう、
    見えるもの
    見えないものなんですね。

    概念というのは、実はこんなにあやふやな人間の感覚器官に頼っているんです。

    自分の思う事、考えている事、自分の推論に関しても、

    他者との交わり、とくに自分と全く違う他者、自分と全く違う言葉や、思考を組み立てる、全く違う他者と自分の感じて居る事、
    また自分の推論が、歴史を通して、通用うるのか?そして、一番だいじなのは、時間を越える事が出来る、手応えが、他者との間にあるか?、ないか?

    自分の好き嫌いの独りよがりというのは、直感が効かない時なんです。
    直感能力と推論、両方ないと進めません。
    直感というのは、文字通り、時間を断ち切るんです。
    何かに帰属するのではなく、全く関係分野の因果関係が、眼の前に現れるという感じなんです。
    何故?
    このような事がおこるのか?
    何故?
    という懐疑思考がまず、起こる。
    無秩序な魂の希求運動の爆発力のような感じがするんです。

    ダヴィンチが何故?
    ミラノの最後の晩餐のフレスコ画を描く時、
    何時間も動かず、またはご飯も食べず、
    最後の晩餐の壁に向って、じーと何時間も考える、
    数日間、何も描かず、考えてるかと思うと、

    無心に何時間もご飯も食べず描く、、、という行動にいたるかと言うと

    この行動というのは、直感によって、次から次へと沸き起こる因果関係、
    自然との因果関係
    その溢れる情報<知識ではなく、ほとんど直感です。この時代に今の学校で得られる知識や認識の量とは比べられない量だと思うので、ほとんど、懐疑思考によって探求していく過程によって、得た知識や認識だと思われます。>の

    底辺に流れる、
    方向、、
    この歴史がどちらに向いて流れようとしているのか、
    様々な切れ切れ途切れた、記憶や直感によって、眼の前に現れる現象を過去、今、未来と、並べないとならないんです。

    この作業には、非常に時間がかかると思われます。
    現象の断面<時間が途切れた>に自己投影して、突然反応される方がいますが、
    結局、時間と時間の間を感じられないんですね。
    一番大事なのは、
    時間と時間の間、
    言葉と言葉の間
    人と人の間、
    存在と存在の間なんですね。
    その間に流れる現象を、
    時間軸にのっとって、方向をみるんです。

    統合失調症という言葉は、
    この統合、ある方向<過去、現在、未来>に順序よく並べる事が苦手なんです。
    いきなり、一つの言葉に過剰反応したり、
    文章の意味を全体的、総体的に解釈する、
    つまり文学でもそうですが、
    作家のある意図、、というのが、
    純文学には、底辺に流れているんです。

    好き嫌いは別として、そのような、文学の底辺に流れる意味あいを感じ理解できる人が昨今すくなくなった。
    作文を書ける人や
    詩や短歌や
    歌でも川柳でもなんでもよいのですが、自分で創作する自分の力で何もないところからあみ出すという想像力が、他者を理解するのにやはり必要に思える能力に思えます。

    いつも、いつも、他者の記号を自分であーでもない、こうでもないと分解し弄繰り回すという行為は、他の国からみたら、ある意味、異様に感じられるかも知れません。
    コミュニケートはそのような、地点に居ない世界の人達は沢山いらっしゃると思うのです。何故?
    これほど、引きこもりやうつ病患者、また他者と話す、他者と感情を交流する健康的な日常生活が難しくなったのでしょうか?

    私たちの子供、子孫が生まれ、生きていく未来なんです。
    子供達も、友だちを作り、喧嘩をしたり、挫折したり、失望したり、好きな人に会い、愛し合い、悲しい時に励ましてくれる友だちや、心の安らぎを求められる恋人がいたり、愛する人がいたり、、
    子供が生まれ、、その赤ちゃんとの生活に一喜一憂する。

    そういう人生が、これから未来に繋がって、人間らしい生活が大地に根を生やし、営むんです。

    人が他者と話したがらなくなったら、
    人が人の言ってる事が分からなくなって、
    どうしたら、人達はお互いに近寄ろうとするのでしょうか?
    どうしたら、人と恋をしたり、愛を語って、異性を理解し、異性の存在を愛おしく思い、そして自分も自分の存在を他者によって、いとおしく思われる。
    そのような人間同士の感情の交流が不通になって、自分自身一人で、空に舞い上がってしまうのもいいですが、
    大概の一般の人達は日常生活に何か欠けているいるものを探しているんです。
    大地に根を生やす人間達がいなくなれば、未来への存在はなくなります。

    生きてる限り、他者との交わり、他者との関係をみつけようとしない限り、地上に生を受けた意味が無くなってしまうと思うのです。
    どの人も意味があり生まれてくる、、
    そしてその意味は他者の中に見つける事でしかないはずです。

    ダヴィンチの絵を観ると
    わたしは、どうもそのような事を思わされる。
    彼が
    間違った情報、見間違えた現象、
    選択、時間の引き延ばし、空間のより戻し、、
    自由自在にあちこちからあらゆる現象を眺める、、そして、ジグゾーパズルみたいに、ひとつの抽象概念として象っていくのですね。

    ところが、芸術的な観かたの解釈ができないと、
    描かれた表象記号にしか、知覚が働かないので、

    やれ、マリア様の頭には、イエスの頭には光輪が、描かれてないとか、、文句を教会側の人達は言うのですねえ。

    「ホンマ、、つかれますねえぇーー?レオナルドさん?、」、
    ほんとにどうでもいいというかそのような箇所を観るのじゃないのですが、、まあ、教会はスポンサーですから、、コマーシャルのスポンサーと同じレベルに、居てもらっては本当に情けないのですけど、、。

    どうしたら、いいかな?




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