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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: めるろ〜001さん

    2009年12月15日 13時11分22秒

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    東寺「五重塔」

    五重塔というのは、各瓦屋根と繋がっていないそうである。一番上の瓦と繋がっているだけだそうである。その中心にある柱は、東寺の場合、<大日如来>であるとい

    五重塔というのは、各瓦屋根と繋がっていないそうである。
    一番上の瓦と繋がっているだけだそうである。

    その中心にある柱は、東寺の場合、<大日如来>であるという。

    このお正月三が日しか、拝見できないようですので
    なんとか時間を割きたいと思います。

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    from: 沙羅さん

    2011年09月03日 04時15分06秒

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    「Re:Re:Re:東寺「五重塔」」>>沙羅ちゃん>>>>>アァ、、6月に行った時、閉まっていましたよね。>>わたしも、あの時「中みたいなあ〜」、、と

    from: めるろ〜001さん

    2009年12月19日 13時36分57秒

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    「Re:Re:Re:Re:東寺「五重塔」」>沙羅ちゃん>前は虚空蔵菩薩と呼ばれていた、百済観音とは、全然感じ違いますね。>お顔が丸くて、、可愛いんです

  • from: めるろ〜001さん

    2009年12月12日 13時10分25秒

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    論理学というのは

    誰に習ったかではなく、自分がどれだけ修得したかが問題ですね。授業でもそうですが、理解できないまま進むこともよくある話しです。生まれて、母親が「ご飯食べ

    誰に習ったかではなく、自分がどれだけ修得したかが問題ですね。
    授業でもそうですが、理解できないまま進むこともよくある話し
    です。

    生まれて、母親が「ご飯食べようね〜。」「はい、オムツ替えましょ。」「そんなことしちゃダメ。」
    学校の先生「ハリケーンというのは、メキシコ湾やカリブ海から発生し、北上する。」

    みんな論理学に従っています。

    「りんごを四つに切り、四人で食べました。」
    これが、タカギさんの言うように、
    「四つに切られたりんごの右下が0.0002ミリ大きい。
     だから、均等にしてくれ。」などということが現実に起きるでしょうか?

    これが精神や心の場合でもそうです。

    「私はあなたを愛しています。」とラブコールしたとします。
    タカギさんの言うように、彼女が、何分の何、愛してくれていますか?」と聞くでしょうか?

    小数点以下の数値が現実に起こりうるという
    タカギさんの指摘の拠ると、<愛情に何分の何>という数値が存在しないと、その小数点以下が存在しません。

    僕は、愛情や友情を数値表現できないので、
    <限りなく無限の小数点以下>ということが、
    論理的に存在し得ない。

    論理としては、文字なので有り得ますが、
    実際に存在するかというと、または、小数点以下の微細なものを
    想定することが出来ない。

    すると、論理学というのは、現実に存在し自己がその内容を確認できるもの、存在可能なものを文字という垣根を乗り越えて、
    記号化し、真なのか偽なのか、
    または、無限にループし無意味なのか、
    偶像なのか、という選択を提示したものですね。

    記号で書いていても、現実に存在しないものを記号にしているわけではありません。
    想像の世界の論理でも、無限のループ、無意味なトートロジーを
    排除しています。

    それを存在させても、無意味だからです。

    これが根源という問題ならば、既に生きてきた材料で、
    類推可能なので、どんどん思考することが出来る。
    しかし、未来のモノの中で、近時未来以外は、
    容易に否定されるのです。

    経験的に無に帰す、近時的「死」は、個人の問題であり、
    技術や知能を持っていない人が「人類の・・・。」は
    すごい科学者の判断する問題であり、
    論理学に戸惑っている人の判断ではない。

    そういうことが言える。

    また、死後が無意味か有意義かは、現世のその人の行動や内容によるものであり、死後を0と既定してしまうのは、
    不確定であり、論理学に乗らない。

    ただ、論理学に帰すとすれば、<両方を考えないといけない>
    ということです。

    片方では<思考不十分>ということです。

    死後を1の結果にするには、現世でどのような行動をとるか。
    死後を0の結果にするには、現世でどのような行動をとるか。

    自己にとってはこの二つしか残らないですね。
    そして、どこまで行っても、現状は決まらない。

    釈尊が教えるように、「今修行をし、涅槃に至るならば、
    最高の智慧を得ることが出来るであろう。」
    ということなのですね。

    論理学はそういう人間の未来を想像する学でもあるのです。



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    from: めるろ〜001さん

    2009年12月12日 14時09分58秒

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    「Re:論理学というのは」仏教などで無限のとか無数のとかの文字が見えますが、これは、そこから先は考える範疇ではない。ただその要素を把握しなさいというこ