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  • from: 宮田さん

    2006年07月22日 21時04分43秒

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    野草の調理法の研究は、飢饉の度に進んだようです。

    何だか、板が荒れていますねえ、…。
    私も鈍感な方で、敏感な方の気に障る事があるやも知れませんが、他意はありませんので、お読み流し下さいませ。

    昭和18年発行「食べられる野草」(陸軍獣医学校研究部著)の4ページには、

    そ(野生植物を食べるということ)の価値が最高度に認められたのは、凶年不作の時でその多くは救荒植物として記録されている。今試みにその記録を文献について就て見てみよう。

    救荒本草 松岡恕庵 (明周定王編 享保元年翻刻)
    民間備荒録 建部清庵 (宝暦七年)

    (元号だけ書きますと、明和、享和、文政、天保、)

    備荒余禄 赤城広敬 (明治13年)
    救荒要録 江本清○ (明治18年)
    救荒食物集説 文部省原著 日本農会抄録(明治18年)
    救荒誌 福島県 同岩手県 (明治36年)
    (17冊の書籍が載っています)

    (明治13年、18年、36年も、凶作だったのでしょう。
    明治時代の東北地方(津軽)では、5年おきくらいずつ、食糧不足がおこっていました。太宰治の『津軽』の中にも出てきます。)

    秋田地方では、これ等の食用法や保存施設についても万全の策をたて、明治初年には糧食調理会を設けて、各人が調理した野生植物料理を日をきめて持ちより、一々試食してからその適不適を定め、明治十五年には備荒組合を作り、前記の方法で試験済の樹実、草根等で備荒用に適するものを処理して貯蔵する、そのために備荒倉庫を建てる、というふうにぐんぐん実行して行き、其後の東北地方の凶作にはこれが大いに役立って被害が割合に少なくてすんだのである。・・・
    (中略)
    大正時代以降、交通の発達につれて、局部的飢饉は直ちに応急処置が行きとどいて救われる・・・。(後略)

    江戸時代は、ある村は良くても、一山超えた村は全滅なんて事もあったのかもしれませんね。

    私も、美味しい野草を食べるきっかけは、夏の天候不順で、野菜が高値になった年がありましたね。(多分3年前じゃなかったかな)その時、昔買ったこの本のことを思い出し、娘と一緒に自由研究をしたのです。実際、ツユクサは、川の堤防に多くありましたので、何度か摘んでホウレンソウ(一把300円でした!)の代用にしました。当時飼っていたウサギ用にクローバーを摘んでいましたが、本に、「茹でて汁の実、その他とし、又揚げ物等の種となる。」とあります。実際食べてみましたが、少々硬かったなあ。

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