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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

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  • from: めるろ〜001さん

    2009年03月07日 13時36分17秒

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    空の世界

    [18] Re:Re:認識 とは何か?(2009.03.02)
    のところでも書きましたが、ちょっと角度を変えて。

    空を指す時に、あの白い雲、雨雲がある、広い青空、赤い夕焼け、
    地平線に沿って、水平線に沿って、いろいろ言葉がありますが、
    言葉とその対象には、実際の細かい状態を指すのではなく、
    <その状態>という想定を指しますね。

    空の世界を表現する時に、その実際の細かい状態と<その状態>の
    差を表現しているのですね。

    少しづつ行きましょう。。。

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コメント: 全27件

from: 沙羅さん

2010年12月02日 07時34分13秒

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「Re:Re:空の世界」

  智チャンから、メイルが来た。


私たちの結婚式前日にROOOOのママからもらった、「アジアの知恵」をテーマにした分厚い本を最近読み返して
いるのですが、まるで沙羅さんのためにある一文を見つけました。
瑩山禅師という人(恥ずかしながら知りませんでした・・・)の名言です。

Les mille fleurs roses du pêcher s'epanouissent au printemps.
Mais sa couleur est Une.
Maître Keizan

また連絡しますね!
智子







時々思う。  
本当にこの方は、無意識でこのような事を書いてくるんですよね〜〜・・・・・・・

 自分で気がつかないらしいのですが・・後もうちょっとタッチの差なんだけど・・・・・

 R君は、智チャンのご主人、、義理のお母様から、結婚式の前日素敵な本をプレゼントされたようなのだ。

 お母様も教職につかれている。
 詩の本をプレゼントされる。とっても素敵ですよね?

 意味は、千枚の桃の花びらが開花する時
     一色に辺りが染まる・・・

   という意味なんですが、、、原文はどのような詩なのかしら。

  それより、何故?この瑩山禅師の詩が、わたしの事を想像するのかしら?・・・と、なんだか、よくわからないで
 彼女のメイルを読む。

 フト、あれ?と思って、調べたら、、やはり・・・そうだった。

 千は千手観音の千ですから・・・

 詩を創作するというのは、直感に近い能力なので、やはり、瑩山禅師の命日も、9月29日ですから、西洋では、聖ミカエル大天使の日なんですね。
 霊能者が、千手観音と、ミカエル大天使は同一の霊体と述べるのは、不思議な事が偶然に良く起こる事からかも知れませんね。

 母親の熱心な観音信仰によって幼少時に信仰に目覚めた瑩山禅師  だったそうです・・・・

 
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%A9%E5%B1%B1%E7%B4%B9%E7%91%BE

写真は、ご主人のR君が、好きなはすを水面下から撮った写真です。

「ハスが、仏教の花という事は知らなかった」と、今更驚かれても、それを聞いたわたしも、驚くではないですか?

 いったい、この世に時間はあるのかいな?

 




   http://www.youtube.com/watch?v=iViw8U6_mn4&feature=related 

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from: 沙羅さん

2010年02月24日 07時27分31秒

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「Re:空の世界」
昨日はカミユだから、
 今晩は
堀口大學の詩にしようっと!ルンルン



冬日抄


独りで僕は坐つてた
時の流れがおそかつた。

日暮れ方
風が外套をとりに来た。

街で凍える人達に
着せてやるとの事だつた。

酒は冷えたが坐つてた
その後は誰も来なかつた。

寝る前に
僕は窓から外を見た。

流星が北へ向つてはすかひに
夜天の硝子を截つてゐた。


----------------------
語釈
【はすかひ】 斜め。
【截つてゐた】 切っていた

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from: 沙羅さん

2010年02月23日 21時37分57秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:空の世界」
めるろ〜さん



本当に、哲学は範囲が広すぎて、全ての範囲を含むので、
心理学も宗教も、人文学、芸術、ETC

どちらにしても、ヨーロッパは多言語へと向っていますから、中学のカリキュラムもフランス語母国語の他に、2カ国または3カ国の外国語を選択するようになっていますから、他者とのコミュニケートはもっと重要視していく方向に向っています。

哲学の大学教授も、全て最初は高校で、教える経験を積みますし、行動範囲、他者との接触の範囲をなるたけ広義的とらえ、社会の中での存在性、違う分野との公約数を含むという考え方なのだと思います。何故か?大学の哲学教授の方の中に、中学生対象の講義を見ていると哲学議論の仕方導く導き方に驚くような手腕を見せるんですね。

自然に中学生達の自発的な発信を促して、中学生達だけで、デイベーとをさせるように促す話し方がとても上手なんです。

高校の哲学の先生達以上に、大学教授達は、年令の低い人間(人達>の思考の構造が手に取るようにわかる、、という感じなのかもしれません。

メルローポンティーも、精神小児科病棟に通いつめて論文を書いたと聞きましたし、哲学は結局人間を知るという事なのかも知れません。確かに実践に繋がるには机上で一人で習得する他に他者の存在が必要不可欠なのかもしれません。実践に繋がらないと確かに、自己の孤立性は防げないかもしれません。晩年ニーチェのような老後を避けたいと誰でも思うでしょうから、現象学はそういった意味で、形而下の層のコミュニケートに置いて、コンタクト維持しながら、時間を越える、という事かもしれません。



> >沙羅ちゃん
>
> 空の思想から見れば、
>
> 「フランスで、
> 哲学の授業における認識については、
> 三つの大事な観点をあげています。
>
> <心理学の観点>
> <論理学的な観点>
> <形而上学的な観点>
>
> 心理学の観点と称して
> まず
> (認識の心理学)意識、注意、無意識、、とされる意識の諸段階
>         経験的認識、、つまり知覚、記憶、z像などなど
>         観念、概念、判断、推論、、論理的で理性的な認         識です
>         そして、思考と言語  
>
> <論理額的な観点>  
>     (科学)  数字、物理学と実験的認識、生物学、                人文科学
>           科学に関する一般的考察があり
>
> <形而上学>     神、精神、世界、真理・・
>
>
> この総体的な観察がどの分野にもかたよることなく、認識に関わってくると言われています。
> 興味深いのは、この3つの観点で心理学の観点の分野が、他の2つの分野に比べて大変比重が重く授業に使われてた哲学書の中でも、認識について、本の半分は心理学に割かれた感じです。」
>
>
> 物質の現象、生々流転は、”色”の動きであり、
> これが第一に観じられる空の思想です。
> しかしながら、空の思想は、言葉で表現しますが、
> 言葉で表現し尽くせない事物の動きや精神の昇華を乗り越えて
> 本当の空の思想に辿り着きます。
>
> この<本当の>という意味は、仏教ではしばしば「円」という
> 漢字で表現されます。
> しかしながら、円教というのは、真実を言葉で語っているので
> 円と同じにはならないというジレンマを持っています。
> 実践感覚である<言語以前の原野>に立ち戻らないと
> 空の思想には行き着かない。
> しかし、それを言語で語る。
> そういうジレンマもありますが・・・。
>
> <瞬間に場景が移動する原野>しかしながら、
> 物理法則を離れず、論理も離れないそういう原野を見ることが出来ましたら、空の思想に近づいたと言えるでしょう。
>
> 空の思想も実践論だったのですね。
> それを確認するために、心経を唱える。
> そういう意味を持つと考えられます。

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from: めるろ〜001さん

2010年02月23日 11時55分47秒

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「Re:Re:Re:Re:空の世界」
>沙羅ちゃん

空の思想から見れば、

「フランスで、
哲学の授業における認識については、
三つの大事な観点をあげています。

<心理学の観点>
<論理学的な観点>
<形而上学的な観点>

心理学の観点と称して
まず
(認識の心理学)意識、注意、無意識、、とされる意識の諸段階
        経験的認識、、つまり知覚、記憶、想像などなど
        観念、概念、判断、推論、、論理的で理性的な認         識です
        そして、思考と言語  

<論理額的な観点>  
    (科学)  数字、物理学と実験的認識、生物学、                人文科学
          科学に関する一般的考察があり

<形而上学>     神、精神、世界、真理・・


この総体的な観察がどの分野にもかたよることなく、認識に関わってくると言われています。
興味深いのは、この3つの観点で心理学の観点の分野が、他の2つの分野に比べて大変比重が重く授業に使われてた哲学書の中でも、認識について、本の半分は心理学に割かれた感じです。」


物質の現象、生々流転は、”色”の動きであり、
これが第一に観じられる空の思想です。
しかしながら、空の思想は、言葉で表現しますが、
言葉で表現し尽くせない事物の動きや精神の昇華を乗り越えて
本当の空の思想に辿り着きます。

この<本当の>という意味は、仏教ではしばしば「円」という
漢字で表現されます。
しかしながら、円教というのは、真実を言葉で語っているので
円と同じにはならないというジレンマを持っています。
実践感覚である<言語以前の原野>に立ち戻らないと
空の思想には行き着かない。
しかし、それを言語で語る。
そういうジレンマもありますが・・・。

<瞬間に場景が移動する原野>しかしながら、
物理法則を離れず、論理も離れないそういう原野を見ることが出来ましたら、空の思想に近づいたと言えるでしょう。

空の思想も実践論だったのですね。
それを確認するために、心経を唱える。
そういう意味を持つと考えられます。

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from: 沙羅さん

2010年02月11日 05時05分34秒

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「Re:Re:空の世界」

 この前、家の壁に何の額が飾ってあるのか?
 述べましたが、壁には飾ってないけど、ミルキーの写真も
 額に入って、寝室に飾ってあるのです。虚空蔵菩薩事百済観音の額の近くです。

 ミルキーが死んだのは去年の4月11日。
 しかし、自分の書き込みというのは、後で読むと
 不思議な事を発見するのです。

 ミルキーが具合が悪くなって、何も食べなくなって、
 入院しなくてはならなくなってから、自分では助からないかな?
 という予感があったのでは???

 何故なら、ミルキーを連れにいくその一週間前、獣医さんの処に
 胃腸の弱くなった犬用のドッグフードを買いに行ったら、
 マダムが、色違いのシェットランドを連れて、窓口の獣医さんと話している。
 シェットランドは3色あり、彼女のは白と黒だった。

 話しが終わり、そのマダムは、いきなり私に向かって、
 『どうしたの?ミルキーでも具合悪いの?」
 と聞いてきた。

 わたしは、そのマダムに心当たりがない。

 『何故?わたしが、ミルキーの飼い主だってしっているのかしら????」
 近所の人でもなさそうだ。ミルキーは家においてきて、わたしだけ、ドッグフードを買いに来ていたときだった。

 この時、このマダムは、電気屋さんのマダムで、10年前ご主人が一回だけ家に工事に来た事のあるマダムだと後でわかった。

しかも家から、かなり遠くに住んでいる。

 10年前に電気やのご主人が、ミルキーを見て、
 「うちのジェーシーにソックリだ」

 と言ってたのを思い出した。
 ジェーシーは、電気やさんのご主人が飼ってるシェットランドだった。しかし、犬の顔は、種類が同じなら皆顔つきは似ている。
それでも、電気屋さんは、ミルキーは瓜二つだ!そっくりだっと言って、わたしが、何処でミルキーを見つけたのか?聞いてきた。

この電気屋さんは、150キロ先のイゼール県の山奥のシェットランドとコリー専門店に買いに行ったそうなのですが、わたしは、最初捨て犬センターに行って、仔犬がいたので購入しようとしたら、
身体は小さいのに、足が顔の2倍くらい大きいのに、驚いて、娘達に成犬になった時の大きさは、熊くらいの大きさかもしれない・・・と言って、諦めてもらった。

捨て犬センターには、子型犬は見つからなかった。

そして新聞に仔犬売ります・・とでていたので買った・・と説明したのです。よく聞いたら、私が買った最初の飼い主は、ミルキーの母親を飼っていたのです。
そのメス犬イリスという名前の犬でした。
ある時、飼い主は、イリスに子供を生ませたいと、同種のオスとの交配権?というのか、
よくわからないけど、フランス語ではSAILLIRと呼ばれる
血統書付きのオスやメス提供する犬やさんがあるらしく、
その、犬屋さんは、電気屋さんが、ジェーシーを買いにいった場所だった。
ちなみに、電気やさんは当時、ジェーシーのおじいさんの名前まで覚えていて、見るとミルキーのおじいさんと同じ名前だった、
ミルキーとジェーシーは、直系でも、母親や祖母が違う家系?にあたる。

ミルキーが死んでよく思う事があった。
電気屋さんのマダムは、多分一度くらい仕事中にわたしとあったのかも知れない。わたしは覚えてないが、電気屋さんのご主人が、きっと、「日本人がうちのジェーシーと同じシェットトランドを飼っていて、血統が同じだ」という話をして、覚えていたのではないか?

そうでなければ、いきなり、わたしの顔を見て、
『ミルキーは具合が悪いのか?」という疑問を、10年後にかけてくるというのは、あり得ない。

わたしは、その時、「ジェーシーは死んで、この新しい白と黒のシェつとランドを購入した」と説明を受けた。

と言う事は、ミルキーが具合が悪く、入院したのはそれから一週間後だった。
ジェーシーも同じ獣医さんの処で安楽死させたのだという事を、わたしはたまたまミルキーが死ぬ一週間前に聞かされた事になる。
 
 因果関係というのは、犬の血も関係あるのかしらん?
生き物のとの関係、あるいはわたしにとっては、ミルキーとの再会だったのかしら?

 この時、わたしは、このブログに、ショパンの革命を貼り付けている。
 4月12日の書き込みなのですが、ミルキーが死んだのは、復活祭の前夜祭で4月11日だった。
この日の聖人カレンダーは、ST STANISLAS 聖スタニスラス
なのだが、何故か、ショパンの革命をはり、ピアニストの名前はスタニスラスだった。
その半年後、レモンさんは、80年前に行方に名になったロザリーおばさんの残された手紙を持ってきて、
わたしは、色々探してみたのだが、どうにもみつからない。
ロザリーさんのお父様がスタニスラスさんなので、レモンさんのおじい様に当たる。苗字は、レモンさんのおじい様なので、牛飼いを意味するBOUVIERブーヴィエ、スタニスラスさんなのです。

飼い犬と一緒にするのは恐縮なのだが、犬といっても、わたしには、やはりかけがえのない、ミルキーの代わりはみつからない大事な同居犬だった。もう一度、
ショパンの1830年、ドラクロアの自由の女神が生まれた同時期に作曲された革命を張ってみます。


http://www.youtube.com/watch?v=Mk1JQk90UbY&feature=related
 

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from: めるろ〜001さん

2009年04月15日 20時45分26秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:空の世界」
>沙羅ちゃん

> ところで、菊池寛訳って、あの菊池寛でしょうか?

『蘭学事始』『藤十郎の恋』などを書いた菊池寛ですね。
文芸春秋社を起こした人です。
香川県高松市出身の明治21年生まれの方です。
『フランダースの犬』を翻訳したと書いてありました。


> フランダースの犬の物語もそうですが、
> わたしは、どうもあの手の話が苦手というか、、あまり好きではないんです。マッチ売りの少女とか、、、
>
どれも途中で涙で読めなくなり、
完読したことはありませんが・・・(;;)
何回も挑戦しましたが、
完読出来ない本を書いちゃいけないと思いました。爆沈

>
> マッチ売りの少女の物語を読んでも、、
>
> なんと言うのでしょうかねえ〜?
>
> 〔どうだ!かわいそうだろう〜?こんなに辛かったんだぞ、、
> とっても、かわいそうだろう〜?」・・・・・・・・・
> 挙句の果てに、「泣いてみろ!」、、、みたいな、、
>
誠にその通りですね。('ヘ')

> 、読み手のデリカシーさを、マニュプラション・・・
> MANIPULATION<操作、取り扱う>・・・・しようとして、書かれた作品ではないのかしら?
> みたいな、、、感じをもつんです。
>
> たしかに可哀想なんですけどね〜・・・
>
>
> フランダースの犬で、検索すると分かるのですが
>
> あの話が有名なのは、日本だけの現象なんですね。
>

そうなんですか。。。。

> 放映会社に勤めてる友人の話では、
> 昔はやった、「おしん」・・・・という話も、
> 日本、韓国は爆発的に大衆の意をつかんで、普遍化しましたけど、、あのての話が流行るのは、アジア諸国の現象に限られる、、

>
「おしん」は、ヨーロッパにも持ち出されたと聞きましたが・・・。


> 忍従心感じ、皆で分け合う<PARTAGE>、、、皆が我慢しているのだから、、頑張りなさい・・・
>
> という地点で共感性が生まれるという現象を分析すると、
> 何故?日本人は、よく、
> 「がんばってくださ〜い」・・・・・や
> 「頑張ってね?」・・・・・・・・・という
>
> 言葉をかけあう現象に頻繁に出会う、、のですが・・


>
> ですから、この前貼り付けた、坂本龍ニと村上龍の対談でも言われてましたけど、障害者に「頑張ってください」、、という日本人のデリカシーがなさ過ぎる・・・と、言われてましたが、
>
> わたしもそう感じます。
>
障害者は既に頑張っているんですから、
「何されているんですか?」
「何を作っているんですか?」
が正解でしょうね。

お上に押さえつけられて、我慢する時代が長かったので、
「頑張って下さい。」などの言葉が氾濫していると思います。

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from: 沙羅さん

2009年04月15日 16時30分12秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:空の世界」
> > めるろ〜さん
> >
> > おはようございます

> > > ところで、菊池寛訳って、あの菊池寛でしょうか?

今、もう一度、個人ブログのフランダースの犬の物語を、注意して読んだら、ありました。

菊池寛っていう字が翻訳者の名前で載っていました。

フランダースの犬の物語もそうですが、
わたしは、どうもあの手の話が苦手というか、、あまり好きではないんです。マッチ売りの少女とか、、、

ですから、貼り付けたフランダース物語の内容も、ざ〜っと適当に斜め読みしてましたから、翻訳者の名前には気つきませんでした。


なんというか、、、
小さい時から
読む本は、
ガリバー旅行記とか、、
ファーブル昆虫記とか・・・

そういう話が好きで、そのうち、どこのうちにもある、百科事典も好きで、漢字は読めないので、中のひらがなだけ拾って読んで、想像して、
挿絵を同時に見ながら
何を言っているのか?
何を言いたいのか?

そういう、想像しながら、書物を読む事が楽しくてしょうがない・・・というか・・・・

そういう子供だったようです。、、、

マッチ売りの少女の物語を読んでも、、

なんと言うのでしょうかねえ〜?

〔どうだ!かわいそうだろう〜?こんなに辛かったんだぞ、、
とっても、かわいそうだろう〜?」・・・・・・・・・
挙句の果てに、「泣いてみろ!」、、、みたいな、、

、読み手のデリカシーさを、マニュプラション・・・
MANIPULATION<操作、取り扱う>・・・・しようとして、書かれた作品ではないのかしら?
みたいな、、、感じをもつんです。

たしかに可哀想なんですけどね〜・・・

なんというか、、

文学の存在って、、違うでしょう?・・・という気が小さい頃から疑問にあるんですね?

文学を読んで、、、

最後<読み終わった時点です>、、、

「それで?何が言いたいの?」・・・・・・という疑問が、
読者から書き手に向って問われたら、

わたしは、その文学の存在性は、薄いであろう・・・・という予想がたつんです。


書き込みでもよくありますけどね、、

読んでも、

「それで?結局何が述べたいのですか?」と、聞きたくなるような
共時態で表現が停止してしまっている言説です。

そのような現象と同じだと思うのです。

フランダースの犬で、検索すると分かるのですが

あの話が有名なのは、日本だけの現象なんですね。

ですから、ベルギーにあるフランダースの犬と少年の銅像は、日本人会が寄贈した銅像らしいです。
まあ、それはいいのですが、、

何故?

地元で普遍化せず、遠く日本で普遍化するのか?という大衆心理の分析すると民族性も見えてくるんです。


放映会社に勤めてる友人の話では、
昔はやった、「おしん」・・・・という話も、
日本、韓国は爆発的に大衆の意をつかんで、普遍化しましたけど、、

あのての話が流行るのは、アジア諸国の現象に限られる、、

と話してくれましたけど、
そうだと思うのです。
忍従心、、耐える、、我慢する・・・という時点で、大衆の相互共感性を、触発する文化作品、、、というのは、、、
大衆心理にマッチするという現象かもしれませんが、

他の国では、普遍化しない、、、
という意味は、どういう事なのか?

共感できる、感動するという地点は、どこの地点で感動したり、共感しているのか?・・・・という大衆心理の分析です。

忍従心感じ、皆で分け合う<PARTAGE>、、、皆が我慢しているのだから、、頑張りなさい・・・

という地点で共感性が生まれるという現象を分析すると、
何故?日本人は、よく、
「がんばってくださ〜い」・・・・・や
「頑張ってね?」・・・・・・・・・という

言葉をかけあう現象に頻繁に出会う、、のですが・・

外国では、それほど、頻繁に放たれる言葉ではないので懐疑心が起るのですが、、、かといって、忍従心や、我慢する心がないのではなく、
他者との共感を得ようとする、他者と同感を得ようとする、次元が全く違うのだと思うのです。

これは、日本の問題とする苛めという現象が、どうして生じるのか?・・・・という

共感性の欠如、残忍性、陰湿化、隠蔽性・・・・・
こういった大概の人間がタブー視したがる心の問題を、まじめに取り組み、何が?問題なのか?
いじめを生じさせた、日本の土壌の質の解明を、心理学的に探究しないと、いつまでも、苛めをした者<加害者>、苛められたもの<被害者>又は、学校の問題、といった、自分達とは関係のない、他者の扱いとしか考えられないようなんですね。
時間を後ろから追って、その時だけの尻拭い処理ばかりしてても、根本の問題は残っている・・・というところに早くきついて欲しいのですが・・・

ですから、この前貼り付けた、坂本龍ニと村上龍の対談でも言われてましたけど、障害者に「頑張ってください」、、という日本人のデリカシーがなさ過ぎる・・・と、言われてましたが、

わたしもそう感じます。

、言うべき言葉としては、相応しい言葉が別にあるはずだと思うのですが、ただ、わたしは日本人自体を批判するのではなく、言葉の使われ方、無意識に使っている、という日本人と日本語の関係をもっと探らないと、
「デリカシーが無さ過ぎる日本人」、、、と坂本龍ニに、責められてる感じを、聞いてる日本人は受動態の意識ですから感じると思うのですね

あまりにも、無意識に
投げかけあっているので、
相手の心を読んだり、かんがえたり、ワンクッションの心使いが欠如してくるんだと思うのです。

言葉というのは、そこまで奥深く考えて表現手段として放たれる、という事を考えるという事だと思うのです。


それで、菊池寛があの菊池寛なのかは、ちょっと分からないんですけど、と、最初の疑問の返事を最後にもってきて纏めたのでした。
ちゃんちゃん





 

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from: 沙羅さん

2009年04月14日 21時29分17秒

icon

「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:空の世界」
> めるろ〜さん
>
> おはようございます
>
> > 僕だって驚きますね。そして、「かしこいね〜〜♪」と言います。
> > ミルキー氏が、弱点をさらけ出した点でしょう。
>
>
> えぇ〜・・そうかもしれません。彼の無為性だと思うんです。
> オカシイですよね?
>
> 犬は、狼系ですから・・・
> よく、満月みて、狼が吠える、、というイメージが野生の世界の物語では使われますけど、、
>
> あれと全く同じなんです。
>
> ミルキーも、最初、左右に頭をかしげ、耳に神経を集中させてる感じがするんです。
> その後に、確かにバッハのシャコンヌの旋律だと確認すると、
> 首を前にして、小さな鼻先を、空中にあげて、「うぅぅぅ〜ぉ〜」
> 〜・・という、遠吠えをするんです。
> 何回も、遠吠えすると、息が続かないんです。
>
> 多分、遠吠え、、という行為は、
> 息を吐く、、、一定の時間、、長く吐く、、という行為を、続けているはずなのです。
>
> それで、何回も遠吠えして、息が長く続かなくなってくる、、でも、まだ彼は、何か感じるものを表現したい訳なんですよね。、
>
> しだいと、
> 「うぅぅぉ〜」は、「ワンワン」という、
> リズムに変わっていくんです。
>
> ワンワンは多分、毎回のワンとワンの間で、息つぎしているんじゃないでしょうか?と思うのです。
>
> あんまり細かい分析してて、笑われそうですが、、
> なんとなく、
> ラテン語の魂が、ANIMAの語録からきていて、
> 息・・という意味を含むという事は知っていましたから、犬の遠吠えは、何故?満月とか月を見ながら吠えるという観念が世界中に定着するのかしら?
>
> 不思議に思ってみていました。
>
>
>
> >
> > ネコは、弱点をあまりさらけ出しません。
> > というより、自分で姿を隠します。
> > また、遠くに貰われた子猫が濡れながら戻ってきた時には、
> > 涙しましたね。
>
> あぁ〜〜、、、わかりますね。
> なんでしょうね?あの飼い主への忠誠心って、、
>
> わたしの昔住んでた階下にはおばあさんが独りで住んで猫を飼っていたんですが、普段は家の中に住んでて、トイレだけ、適当に外に放すらしいんです。
>
> おばあさんが、たまに旅行に行くんですよね。
> 旅行の時は、自分の家を閉めっぱなしにするので、家の中にははいれなくなるんですが、家というかアパートなので、地下階下は、土でしたから、そこにおばあさんは、放していたらしいんです。
> 餌とか水だとか、、寝る場所やクッションも置いてあったようです。
> ところが、おばあさんが留守中に限り、ねずみ捕りをやるらしいんです。
>
> それはいいのですが、捕まえたねずみを、これ見よがしに、おばあさんの閉めていった家の扉の前にある、足吹きマットの上に置いていくんです。
>
> おばあさんが居る時は、地下にいっても、ねずみとりなんてしないんですね。
>
> きっと、猫にとっては、主人の飼い主に、褒めてもらいたいという気持ちでもあったんじゃないでしょうか?
> 褒めてもらえれば、頭なでたりして、いい子、いい子、、してもらって、家にいれてもらえる、、みたいな、、心のコミュニケーションを、猫は感じた上での行為じゃないでしょうか?
> と思っておばあさんの話、聞いてました。
>
>
>
> > 動物には、相性もあるでしょうね。
> >
> これは、あると思うんです。
> 何匹か飼うと、
> やはり、差がありますから、
> あの犬の方が今の犬よち可愛さや愛情を感じる、、というのは、やはりあると思います。
> やはり、個と個の繋がりとして、接しないと、、
> 愛情が薄い関係は、どうしても、遠のけてしまう、
> 世話をするという行為は同じであっても。。自分の心のディスタンスの取り方が違うのを感じじるんです。
>
> 写真を持ち歩く犬と、それほど、執着せず、、ただ居るから、世話をしなきゃ、、という従属関係や飼ったら世話をする、、という当たり前の社会モラルみたいな観念に帰属させての世話になると、、
> 、変な話、年とって、獣医の経費が嵩んだり、しょっちゅうトイレの世話をしなくては、ならなくなったり、時間や金銭的に縛られてくるんです。
> 万が一、その時に早い死を望むという潜在意識と、
> 長く苦しませるのは、犬にとって可哀想だ、、という社会に通常浸透している倫理感をすり違えて安楽死を望む時間を早めてしまっいていないか?、、つまり、生死の決定権が、強い、立場の人間にある事を、わすれてはいけないと思うのです。
>
> これは、犬に限りませんが、家族の安楽死を願う決定権が、どの〔位置に時間軸上に存在するのか、、、
>
> 一概に言えず、難しいところです。
> FRANCESの母親の時は、安楽死の希望をだしたのは、<働きかけたのは>
>
> 私たちなんですが、、フランスは、法的にはまだ認められていません。近代諸国の流れに比べて
> 遅れているとか遅れていない、という単純な価値感ではなく、
> 法的に可決した場合に、死ぬ権利、を乱用する側につく世論が力をましてくるんじゃないか?
> というバランス上の上で揺れている訳なんです。
>
> FRANCESの母親の場合は、
> 担当医だけでなく、全ての病院のスタッフが、週初めに看護婦さん達もふくめ、ミーティングをするんです。
>
> この病人の家族はこれこれで、シチュエーションはこれこれで、、、という細かい説明、家族と患者のシチュエーションを、心臓外科病棟のエキップ皆で考えるンです。
>
> そうすると、全治の見込み、回復の見込みがないという接点と、治療に、最後まで希望を捨てず、積極的に行う、、という医療スタッフの前かがみの意識の姿勢、、のバランスや重心を感じる、、
> そのような空の世界においての、
> 意識がない患者<弱者>
> の生死を決める接点を、医者一人の独断の倫理感や価値感に頼ったりしない、、全てが全体においての決定権であるという普遍性を求める行為に繋がるんです。
> 現象学でいう客体の世界です。
>
> このような視点は、人間だけでなく、動物もそのように扱うので、
> どうしても、決断を独りでせず、あくまでも大衆を参加させて大衆の倫理感を交えての、最終決断という段階を踏むようになるんです。
> これは、結局、我われ皆の責任である、、という共生感が強くなるように思えます。
>
> 自分達の生きる、根を生やす、、土壌の質を悪くするのも良くするのも、
> 自分達自身、一人、一人の心と心の接し方、扱われ方に帰属してくると思うのです。
>
> 因果があるから生じると考えがちですけど、、
> これは考えようによっては、上手く行かない時は、因果のせいにするという責任逃れにつながる方向になる時もあるので、
> あくまでも、全体把握、総体的な観方をした上で、真、善、美、とは?、、、個々人の思惟の価値感が物をいう感じがするんです。
>
> むしろ、自由だとか平等だ・・・と述べてると、なんとなく、個々人の選択の範囲がありそうに勘違いしそうですが、
> そうやって、時間をかけて、抽象表現を介し、他者を介し、、段々最終的な決断を迫られてくる時間へと接近するんです。
>
> そして、皆が立たされる決断の時間軸上には、選択する事が出来ない、、、というか、、、
> あきらかに、多数の他者が妥当だと、、思う行為が、ひとつしかない、、、という状況を生んでいるんだと思うのです。
>
> つまり、それが、実体世界における、、真理とか真理性というものだと思うのです。多分、真理とか真理性というのは、言葉にならないものだと思うのですね。
>
>
> このアクセスを踏まず、いきなり、一方的に
> 「〜〜はこうだ!」、、と断定的真理を個人的に、述べられても、
>
> 誰も、聞いてはないんじゃないでしょうか?というより、誰か共感や体験されてる上での、コミュニケーとされようとしていますか?
>
> という・・感じを受ける議論の場を時々みますが、、、
>
> 空の世界の流れは、聞く前に、耳が聞こうとして、向いている、、、と言う感じなんだと思うのです。
>
>
> > ところで、菊池寛訳って、あの菊池寛でしょうか?
>
> あ!これ、何処かに、文が載っているのでしょうか?
> どこの、テキストが、菊池寛訳なのでしょうか?
>
> ちょっと、意味が、みえないのですがぁ・・・はイ、すんまへんです
> >

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from: めるろ〜001さん

2009年04月14日 13時24分16秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:空の世界」
> めるろ〜さん
>
> MILKYは、わたしも色々勉強になったんです。
> 動物の知覚について、大変彼は興味深かったです。
>
> 飼い主自慢になりますが、
> 最初、音に対して大変敏感でした。
>
> バッハのシャコンヌというバイオリン独奏曲があるのですが、
> その曲がお気に入りで、
> そのバッハのシャコンヌを、たまたまテレビで聴いたり、
> 散歩の途中、何処からか聴こえてくると、必ず立ち止まって、
> 耳を傾け、もっとよく聞こうとしようとするんですね。
>
> 他にお気に入りは、ヴィバルディーの四季の夏、の第一楽章も好きでした。
> 小さい頃、娘がよく練習していたので、それで旋律を覚えたんだと思うのです。
> それで、曲が聞こえると、遠吠えみたいな、声をだして、懐かしむのか?歌っているつもりなのか?よく分かりませんが・・・
> これは、来客に見せると、皆さん一同に驚きました。
>

僕だって驚きますね。そして、「かしこいね〜〜♪」と言います。
ミルキー氏が、弱点をさらけ出した点でしょう。

ネコは、弱点をあまりさらけ出しません。
というより、自分で姿を隠します。
また、遠くに貰われた子猫が濡れながら戻ってきた時には、
涙しましたね。

動物には、相性もあるでしょうね。


ところで、菊池寛訳って、あの菊池寛でしょうか?

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from: 沙羅さん

2009年04月14日 01時58分01秒

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「Re:Re:Re:Re:空の世界」
めるろ〜さん

MILKYは、わたしも色々勉強になったんです。
動物の知覚について、大変彼は興味深かったです。

飼い主自慢になりますが、
最初、音に対して大変敏感でした。

バッハのシャコンヌというバイオリン独奏曲があるのですが、
その曲がお気に入りで、
そのバッハのシャコンヌを、たまたまテレビで聴いたり、
散歩の途中、何処からか聴こえてくると、必ず立ち止まって、
耳を傾け、もっとよく聞こうとしようとするんですね。

他にお気に入りは、ヴィバルディーの四季の夏、の第一楽章も好きでした。
小さい頃、娘がよく練習していたので、それで旋律を覚えたんだと思うのです。
それで、曲が聞こえると、遠吠えみたいな、声をだして、懐かしむのか?歌っているつもりなのか?よく分かりませんが・・・
これは、来客に見せると、皆さん一同に驚きました。

犬は、視力が弱いですから、聴覚が鋭いんです。
門の鍵を開ける音も、聞き取って、門から玄関まで30メートルくらいあるんですが、機密性のいいヨーロッパの家に居て、そのようなわたしの耳には感知できない音まで、聞き取りました。

私の日頃乗る車のエンジンの音も聞き取るので、
当時下宿していた智ちゃんは、私が帰ってくるのは私が乗る車のエンジンの音を聞き取る能力がMILKYはあるから一番興奮して吠えるのを聞いて、私だと思ったそうです。

他の車のエンジンの音は違うので、あまり吠えないそうでした。

 ただ、年齢重ねていくと、すっかり聴力がおちました。
12歳だったんですけどね、、
10歳くらいから、聴力が落ちた頃から、なんというか、、

躍動みがないんですね。

自然の外にでて、咄嗟に危険から身を守るという本能も弱りました。
聴こえるのが、聴こえないのですから、、
なんというか、心臓とか内臓疾患の問題より
知覚力が弱ると、、生きていけなくなり、人間に世話をしてもらわないと、生きて行けないんですね。

よく、何百キロ先から、捨てられた、猫や犬が、飼い主みつけに、
何ヶ月も歩いて
くる、、という動物の感覚器官には、6感があるといわれますけど、、

そういうのが、あるような感じがします。

フランダースの犬の物語を調べてみましたけど、、最後、天国に行った絵はノートルダム寺院なんだけど、被昇天マリアじゃなくて、
ルーベンスが描いた、
キリスト様の方だったようなんだけど、、

チョッと、何方かのブログしか見つからないけど、、
写真もあるので、はっときます

http://4travel.jp/traveler/gallery/album/10153375/

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from: めるろ〜001さん

2009年04月13日 12時18分11秒

icon

「Re:Re:Re:空の世界」
>沙羅ちゃん

僕の想像ですが、犬という動物は、主人に対して反応し続ける
動物なのではないかと思うのですね。

その行動によって、狩をしたり、癒されたり、運動したり、
する。

そういう犬という動物が、主人に反応しなくなって辛そうな顔をする。そして、その時点で、主客が逆転する。
今度は人間がその犬の最期を看取ることをするのですね。

ミルキー氏に於かれましては、犬とは思えない多彩な表情をされたことと思います。
そのコミュニケーション能力に人間が反応して、
調和が保たれたことでしょう。

色々なことを教え、教えられ、コミュニケーションを発揮するのですね。

最初、ミルキー氏を写真で拝見した時に、「なんと表情の豊な犬だろう。」と思いました。
言うことを聞かないと思いきや従順になる。
<実に生き物というのは面白い>というのを実現してこられたことでしょう。

この度のミルキー氏のご決断に敬意を表し、成仏されたことと思います。

ミルキー氏のパフォーマンスに感謝して、ご冥福をお祈り致します。(ー人ー)合掌



>  ミルキーは、入院します、、
>
> 何も、食べなくなった、、
>
> 明日、迎えに来てください、、言われたの



>
> 今朝獣医さんから電話かかってきた、、来て欲しいって
>
> 回復しないんだ、、もう、一人で立てなかった、、わたしを見ても、分かったのか?、、
> 48時間点滴うけても、同じじゃないかって言われたの


>
> MILKYの目がね、、、
>
> 「LASISSES MOI PARTIR」  レス、モワ、、パルティール   
>
> 言ってるの。
>
> 注訳<行くわたしを、残して)直訳
>     、<行くわたしに、構わないで、何もしないで欲しい>
>     
> 明らかに、MILKYは、
>
> 「もうさんざん’」だって、、生きたがらない、、、
>
> 「注射針ずーと身体に入れられて、小さい檻にうごけないように入れられたり、、、バンドでくくられたり、、しばられたり、、
> いい加減にしてくれって、、不幸だっ」、、てMILKY言ってた。
>
> 家族で安楽死お願いした。
> MILKYは遺灰にしてもらって、多分再来週あたり、遺灰をとりに行く。
> もう、あの世にいったのかなあ?よくわからなけど、、
>
> MILKありがとう、、さようなら、、言って、獣医を後にしてきた   
>
> I :?
> 、
> よく分からないけど、、
> フランダースの犬の物語って、、読んだ事ある?
>
> あれは、、アントワープの教会って、、、
>
> つまり、あの物語に出てくる、男の子、、名前はパなんとかいう画家を目指している小さな男の子と、その連れのとフランダースの犬が
> 見たくて、見たくてしょうがなかった、ルーベンスの絵がある教会は、、
> アントワープの大聖堂は、
> ノートルダムという大聖堂じゃないの?
>
> あの、小さな男の子がフランダースの犬と一緒に死んだ絵の前は、
> ルーベンスの NOTRE DAME ASSOMPTION聖母被昇天の絵じゃなかった?
>

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from: 沙羅さん

2009年04月12日 23時13分14秒

icon

「Re:Re:空の世界」
疲れた理由は他にあるのですが、、、
ここ、2,3日の
I,さんとのメイルの交換を貼り付けます。
 
ここ、ミルキーがすっかり
弱くなって、何も食べなくなったのです。
その近況を、以下のように簡潔にメイルで知らせたのがはじまりです

I?
 ミルキーは、入院します、、

何も、食べなくなった、、

明日、迎えに来てください、、言われたの


======================
 翌日 Iさんの簡潔なメイル

「  Milkyは帰って来た?  」  I
====================================

I ?  悲しいね?
MILKYは、弱って昨日の朝9時に獣医に連れてったの。
血液検査しないと駄目だといわれて、13時に、結果聞きにいったら、肝炎を併発してて、
でも点滴で、肝臓の機能を回復するかも、、、と言われて、、、最低でも24時間ずー-と
してみますから、、、
点滴うけてたんだ。

なんだか動けないような、ちいさい檻30C㎡くらい一日中、点滴の注射されて入れられて、、、、

今朝獣医さんから電話かかってきた、、来て欲しいって

回復しないんだ、、もう、一人で立てなかった、、わたしを見ても、分かったのか?、、
48時間点滴うけても、同じじゃないかって言われたの、、、、、獣医さんは何も言わなかったけど、これ以上続けても、苦しませるだけだ、、
と言いたそうなんだけど、、

MILKYの目がね、、、

「LASISSES MOI PARTIR」  レス、モワ、、パルティール   

言ってるの。

注訳<行くわたしを、残して)直訳
    、<行くわたしに、構わないで、何もしないで欲しい>
    
明らかに、MILKYは、

「もうさんざん’」だって、、生きたがらない、、、

「注射針ずーと身体に入れられて、小さい檻にうごけないように入れられたり、、、バンドでくくられたり、、しばられたり、、
いい加減にしてくれって、、不幸だっ」、、てMILKY言ってた。

家族で安楽死お願いした。
MILKYは遺灰にしてもらって、多分再来週あたり、遺灰をとりに行く。
もう、あの世にいったのかなあ?よくわからなけど、、

MILKありがとう、、さようなら、、言って、獣医を後にしてきた   

===================================

そう・・・
満月だったから・・・お月さまに帰ったのは 沙羅たんの好きな かぐや姫じゃなく 沙羅たんの大好きな Milkyだったんだ。
少しの間・・・Milkyとゆっくりすると良いよ。 初対面から 沙羅たんの膝に顎を載せる子供に出会ったら Milkyだ。


辛い時にメイルをありがとう。  I

======================================

  I  そうそう、、獣医を後にする時ね?

貴女と去年行ったアミアンの大聖堂、、祭壇の絵は、キリス様トじゃなくて、異様な数の天使の絵が
描かれてあった、、あのアミアン大聖堂で

、わたしが買ったブレスレット覚えてる>?
、木でできたブレスレット

それを、MILKYの腕にしてあげてきた
Iさんにもらった、不思議のメダイュは去年からずーと首にかけてるから、、
ミルキーはマリア様と、アミアン大聖堂の嘆きの天使達と一緒、、、、


=============================

フランダースの犬を思い出すなぁ・・・最後は天使に囲まれてた。
そういえば、アニメの犬は コリーだったのか?Milkyのように顔がとがっていて Milkyに似てる。

Milkyは 天使と一緒に空に昇って行ったんだぁ・・・
良かったね、Milky!!! また会おうねMilky!
                                           I より        I
=============================== 

大変だわ、
貴女、、直感はさえてる。

そういえば、あのフランダースの犬は、BOUVIER犬という品種だったの思い出したわ・
以下のリンク貼っとくけど、そっちであけられるかしら?

BOUVIER犬という種類の犬がヨーロッパに存在するの。
実は、ミルキー買うとき、
最初このBOUVIER犬買おうとしたの。

フランダースの犬で、有名だからではなく、

牛飼いと言う意味がBOUVIERだから、
牧場犬として、よく飼われる品種だったんだと思う。
日本にはあまりみない品種なの。
でもフランス、スイス、ベルギーにはよく居る品種よ。

BOUVIER犬という種類の犬の性格は温和なの。

そうだったわ、、あのフランダースはベルギーの話で、BOUVIER犬だったわ、、
で、なんでMILKYにしたのかって?

BOUVIER犬は大型よ。
とても車に乗れないし、移動が多いわたし達には無理だったけど、、
とにかく、牧場犬が欲しかったの。
モサモサしてるのが、かわいい

それで、シェルティー<MILKY<にしたの。  シェルティーは、同じ牧場犬でも
牛追い種じゃなくて、羊飼い犬だからね、、

+++++++++++++++++++++++++++++++++
ブービェ・デ・フランダースはベルギーとフランスの国境地帯フランドル地方を中心に古くから飼育されていた牧畜犬である。
イギリスの女流作家ウィーダの小説「フランダースの犬」のパトラッシュとして一躍有名になった。
ブービェ・デ・フランダースは16世紀前後に、支配者であるスペイン人がフランドル地方に持ち込んだ犬が起源と考えられており、グリフォンの血を引く犬種である。
犬名のブービェは「牛追い犬」の意である。
ベルギーには多くのタイプの「ブービェ」が存在したが、ほとんどの種が絶滅し、ブービェ・デ・フランダースがベルギーのブービェの只一つの生き残りである。

ブービェ・デ・フランダースはベルギー、フランスではポピュラーな犬種となり、急速に人気を高めていった。
第1次世界大戦勃発により彼等の運命は一変する。
ブービェ・デ・フランダースはフランス軍の医療物資を運ぶ医療犬として戦場を走った。
この戦争でブービェ・デ・フランダースの故郷と言われた地方は焼け野と化し、ほとんどの犬が失われ、犬種存続の危機に直面した。
戦後生き残った数頭の犬により再生されたのが現在に伝わるブービェである。

使役用途の犬、特に牧畜犬は能力本位で作出される事が常であるため、サイズにはかなりの幅があり、大型のものは荷車曵きとして使われた。
彼等の飼い主は家畜商人や農夫であり、血統書付きの純粋種の繁殖に興味があったとは考えられない。
近年ブービェ・デ・フランダースのスタンダードが制定されるまでは毛色やサイズに統一性がなく、異なる多くのタイプが混在していた。
ブービェに限らず現役の使役犬種をドッグショーに出陳する場面では、サイズや被毛色などでクリアしなければならない問題も多い。

飼い主はこのサイズの牧畜犬には家畜の番以上の能力を期待した。
結果的にブービェ・デ・フランダースは外敵(獣)に対しては攻撃的で、時には家畜に対しても強い態度でのぞむ。
しかし主人や子供にはきわめて忠実であり、ウィーダはこの犬種の能力、穏やかな性格について小説「フランダースの犬」の中でたくみに描いている。

ブービェ・デ・フランダースも他の犬種と同様にヨーロッパやアメリカに渡り、ショー的な視点で評価されるようになり、洗練されて行った。
しかし現在でもベルギーの熱心なブービェ・デ・フランダースのブリーダーはこの犬種が古い時代の作業犬であった事を忘れる事はない。
彼等はブービェ・デ・フランダースの古い特性の維持を望んで作出を続けている。
ベルギー国内ではブービェ・デ・フランダースが警察犬や盲導犬、救護犬としてその能力によって賞を受ける事はあっても、ドッグショーでチャンピオンの称号を受ける事はない。
粗く硬い濃色のコートに乱れ髪のような眉毛、口髭、顎髭があり、外見は荒々しく近寄りがたい印象を受ける。
アニメや漫画に登場するパトラッシュが実際のブービェ・デ・フランダースの外貌と大きく異なる理由は、ネロやパトラッシュの友人たる少年、少女への配慮によるものと推察する。







 
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

フランダースの犬を思い出すなぁ・・・最後は天使に囲まれてた。
そういえば、アニメの犬は コリーだったのか?Milkyのように顔がとがっていて Milkyに似てる。

Milkyは 天使と一緒に空に昇って行ったんだぁ・・・
良かったね、Milky!!! また会おうねMilky!

私はあのアントワープの教会に行ったことがあるよ。
町には犬の像がある アニメの方の・・・日本人が寄贈したから。
アントワープのinformationには 日本語のフランダースの犬の話のパンフレットがある。
地元の人は誰も知らない・・・
うん、Milkyはあの姿の方が良いな。

I

=======================================
OO子??
、、、、、
アントワープはいつ?行ったのか知らないけど、、、
結局、アントワープに行った時から
わたし達家族と、、しかもミルキーに貴女あう運命だったんじゃないの?

ミルキーは貴女がしてくれた、琥珀色のパワーストーンはずーとしてたのよ。
<MILKYは、 自宅の近くの獣医さんのところであの世に行ったんじゃなくて、、
又、ARC川、、沿いの獣医さんの処で安眠したのよ。>
今、ヨーロッパは、復活祭のバカンスで、学校はお休みだもの。
わたし達もまた、休暇中だったの。
ミルキーを買ったのは、自宅近くの知り合いなのに、、、

結局、彼も、死に場所は、ARC川の近くがよかったのかしら?

+++++++++++++++++++++++++++=
 
 

I :?

よく分からないけど、、
フランダースの犬の物語って、、読んだ事ある?

あれは、、アントワープの教会って、、、

つまり、あの物語に出てくる、男の子、、名前はパなんとかいう画家を目指している小さな男の子と、その連れのとフランダースの犬が
見たくて、見たくてしょうがなかった、ルーベンスの絵がある教会は、、
アントワープの大聖堂は、
ノートルダムという大聖堂じゃないの?

あの、小さな男の子がフランダースの犬と一緒に死んだ絵の前は、
ルーベンスの NOTRE DAME ASSOMPTION聖母被昇天の絵じゃなかった?














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from: 沙羅さん

2009年04月12日 21時43分11秒

icon

「Re:空の世界」
ここんとこ、
すごく、疲れたのです、、精神的に疲れた、、

数日前、パリの空中写真を、見ていた。

理由は、色々書ききれない因果があって、記載出来る事は、100分の1
くらいで、あると思って下さい。
 
I さんは、何故?ココ3年くらいから、
パリに常宿泊、、するようになっている、3週間フランス滞在の2週間をパリ、
一週間をわたしの家に休暇に中ててる



知り合いは引っ越して、出て行っても、
このマダムのマンションは気に入って毎回借りている

あとで、判ったのが、パリのノートルダム被昇天教会が、裏にあった、、

という感じなんですね。

パリは、東京の山の手線、内側に入るくらいの大きさだそうです。

彼女のお誕生日は、ルルドのマリア様出現の日、2月11日であるという偶然性
は、あまり意味はないと思っていたのです。

不思議のメダイュを、
宗教ことには、無関心なわたしにお土産として、頂いた時も、

ルルドの洞窟のマリア出現は知っていましたが、
申し訳ないが、わたしの認識には
パリの方は知りませんでした。
まあ、仏蘭西人に聞いても、同じだと思うのですね。

仕方ないから、ネットで調べました。
その辺りから、、なんか変な、一致が気になった。

一番最初は、パリの不思議のメダイュ教会に1830年に7月18日、19日
未明に出現したのです。

後から、考えたら、彼女が、あまり親しくない、、私を突然「旅行に行かない?」

と交流をとってきた2006年、、
わたし達が、初めて二人でコンクのタンパンを見に
旅行に旅立った、、7月18日だった、、
コンクの最後の審判のタンパンの前に二人して立ったのは、
実際は7月19日、、、

不思議のメダイュ教会のマリア様が出現したのは、カタリナ修道女なんですが、
このカタリナさんのお誕生日は、わたしと同じ、5月2日だった、、

ただカタリナ修道女のご遺体は、この教会のAUTELと呼ばれる、祭壇の横のガラス箱みたいな
棺に保管されて外から見えるんです。
信憑性はともかく、、、やっぱり、怖いですよねえ?、、、

それと、実際のルルド、マリア出現に接した女性は、当時ベルナデットという少女です。
成長して、やはり修道女になられたようですが、このベルナデットのご遺体も
保管されて、拝観できるんですね。
なんというんでしょうか?

「、、見世物に、、しないでえーー、ゆっくり、眠らせてエー」、と言いたくなるんですけど、、

ご本人の希望なんでしょうか?

本当に、よく判りませんが、、

まあ、それはいいのですが、
ノートルダムというフランス語は、わたし達、
ダムは、貴婦人という意味で、
マリア様を表すというのは言いました、

パリで、ノートルダム、被昇天教会を、検索すると、
二つUPできた、というのも、述べましたけど、、

一つは、I  さんが、常宿している、マンションのすぐ近く16区なのですが、
16区は、パリの地図でいったら、左中心で、
パリの歴史軸が、東から西の方向をさしているとしたら、、西の方角に位置している。

この時、もう一つのノートルダム被昇天教会の事は、Iさんには、伝えなかったです。、、というより

フランス語のWEBと、フランスのカトリック信教の枠内に絞った場合、あまりひっかかってこなかった、、というより
手応えがなかった存在だったのです。

ところが、I さんは、今年2月サンとノーレ靴屋さんに行きたいと思い、サンとノーレの付近を歩いたら、
丸いドームがあって引かれて訪ねてみた、、と言って来た。
丸いドームと聞いて、
ア!やっぱり、、引かれる人は引かれる、、
目的を持たず、結果に執着せず、
時間と空間の存在しない世界の中を、彷徨うとこういう結果に自然と導かれるのではないか?
と思ったんですね。しかも最近、の彼女は、去年にくらべ、
ぐんと、、直感能力がUPしてきて、驚く事があるんです。

この教会は、ポーランド人のコミューンが建てた教会なので、それであまり情報がないんですね。
その頃から
ドラクロア 
ショパンの存在、この二人は普通の友だちの関係ではないと思うのです。
大変強い、
二人の交友関係は、ドラクロアのショパンの肖像画をみても、よく感じるんですね。
ドラクロアが描いた、有名なショパンの画の半分は、愛人関係にあった、サンドが描かれていて、サンドとショパンは、
は、お互いを向いていたそうなんですが、半分に切ったので、
ショパンだけを描いたような感じしますが、、なんだか、後で半分に切ると、オカシイ不均衡な感じしますよね。
愛人関係にあったジョージ、サンドの画は、彼女の家は美術館になってるので、そこに、あるかも知れません。
ドラクロアもジョージ、サンドと顔見知りだったんでしょうね?


ショパンは、大変民族意識が強く、故郷のワルシャワに、忘れられない思いをはせていたはずなんです。
彼の心臓だけが、故郷に帰った事を思うと、、その思いの深さは感じられるでしょう。
ショパンとドラクロアは、
偶然にも、
国民の自由に向けての革命意識を、
肌で感じた時代を共に過ごしてしまったんでしょう、、と思うのです。
150年後、日本の百済観音と交換された、、
民衆を導く自由の女神をキャンパスに描かざるを得ない

コントロールできない自己のうちから、湧き上がる野望
その野望が、ドラクロアの筆の先を伝わり、あのマリアンヌを描かせた、、

フランスはその後、、
行政の役割りはマリアンヌ、、
自由の女神マリアンヌ、、である、、として
何処の市役所の玄関、または市長室には、
マリアンヌの銅像が飾られてる。
100フラン札にも、ドラクロアのこの自由の女神は印刷されたんですね。

この絵を描くきっかけになった、1830年の七月革命時期、
ヨーロッパ各地に圧制への革命意識が次々に波紋したんだと思うのです。
ポーランドの情勢もおなじく、
結局ショパンは、ウィーンから、パリに逃げ延びなければならなかったのでしょう。、
ヨーロッパの芸術家達は
生き延びる為にたどり着いた場所は、パリ。
そのパリで、1830年7月革命、、は起こったんでしょう、、

しかしぃ、、何故?
1830年の七月の18日に、
パリの町中の教会に、マリア様が態々、現れたのでしょう?

これも、、不思議な偶然の一致だと思いませんか?

そして
ショパンは、革命のエチュードを、作曲したんですね。

ドラクロアと、ショパンが、
お互い、思いをはせる国は違っても、、

鍵盤の詩人は、ショパンは
ポーランド、、故郷の為

激怒と慟哭を  5線譜上の音符へと、翻訳してしまったのでしょう、、、



 
ウジェーヌ・ドラクロワは、フランス7月革命におけるパリ市街戦を題材として『民衆を導く自由の女神』を表した。これは7月革命をテーマとして書かれた絵画の中では最も有名な作品である。なお、この絵画の中に描かれているピストルを持った少年は、ビクトル・ユーゴー著『レ・ミゼラブル』の登場人物の一人、ガヴローシュのモデルとなったとされている。

フレデリック・ショパンは、故郷ポーランドの革命がロシア軍に圧殺させられたと聞くと、大変悲しみ、また憤り、この革命をテーマとして『革命のエチュード』(「12の練習曲」Op10の第12番ハ短調)を作曲した。

http://www.youtube.com/watch?v=Mk1JQk90UbY&feature=related

内容に一貫性がないです 支離滅裂の感じがするけど、、
送信します。

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from: 沙羅さん

2009年04月06日 21時29分57秒

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「Re:空の世界」


2007年の秋も深まり、冬はもう直ぐそこまで来ている
と感じられるほど、
わたしは、白い息を吐きながら、セーヌ川を横断する、ドゴール橋を歩いていた。

パリ旅行に来ていたアメリカ人の娘とその母親日本人親子の為にパリに10月中旬向ったのだ

パリに初めて着いた親子は3日後に母親が心臓発作を起こして、救急に運ばれた

通訳を頼まれて、パリのピティエ サル、サンペトリール Le petie- salle-petriere
心臓外科気管支系病棟のロビーで、娘さんのFRANCESと待ち合わせた。
生憎のパリは、例年のゼネストに突入してしまい、
わたしの、病院への足も閉ざされてしまった。

「しょうがない、、歩こう」、、
わたしは、地下鉄が駄目なので、SNCF<フランス国鉄>の駅、
リヨン駅から、セーヌを渡って、病院に向った。

「30分はかかるかなあー?」、
おおよその病院の見当はついていたが、
路上は車夥しい車の数で渋滞していた。

着いて見て分かった事だが、病院の敷地についてから、心臓外科病棟は、その中でも一番遠くにあって、病院の敷地内だけでも、歩いて20分以上かかった。

呼ばれた事情が事情だったので、なるたけ開放的な気分になるように努めて、タクシーや、地下に降りて、鬱積する乗り物の中に自分を存在させる事をなるたけ避けたかった。

しかし、パリは寒かった、、

特にセーヌ川上を吹く突風は、刺す様な寒さだった


橋を渡りセーヌの中心に来た時、わたしは右手にあるパリ一区の方に視線を向けたのだ。
病院は、パリ13区にある。

「あーーパリだ、歴史の宝庫である、300年前と全く変わらぬ様相を見せる、また見せ続ける、パリの不変な存在の重圧感を身体に感じ橋の欄干に身をよせて、立ち止ってみた。

遠くには、シテ島が見える。
わたしは、あのノートルダム寺院を探していた、、
いくつかその前にかかってる橋の鉄橋が視界を塞いで、よく見えなかったので、なるたけよく観える位置に移動して、シテ島にそびえ建つ、ノートルダム寺院を、視界に収めようとしていた。

「何故?
こんな行動にでたんだろう?」

「でも、寒いなあ、?」、

娘さんのフランセス
に会うのは、25年振りくらいだと思うが、
ロビーで、倒れそうな細い身体をささえるのに
精一杯であるという感じが遠くからすぐ分かった。

それから、ノートルダム寺院が大変な意味を持たされて、
フランセスとわたしの人生は展開して行った事は、MSNのコミュにも書きましたから、ここでは書きませんが、

FRANCESフランセスとの経験病院での考察を少し述べたいと思うのです。

母親が入院していた病棟は、
集中治療室で、
家族や知り合いの訪問者には、入り口でブルーの手術着みたいな後ろに紐で結ぶ割烹着のような、物を着ないとならないのでありました。
この割烹着のような物を着る前には、全員手の消毒もしなければならず、一人ひとり、手を洗った訪問者順に、医者が割烹着みたいなものを、開いて訪問者に両腕の手を通させ、背中に回って、お医者さんが、後ろにある割烹着の紐を結んであげている、、という光景が毎日繰り広げられた。


一見観ると、不思議な光景である。
まるで、甲斐甲斐しく、奥さんのエプロンを、かけて背中の紐を結んでいる愛妻家のご主人風である。

病院は場所柄、有色人種の患者さんやその家族が多かった。医者もあまり白衣というのは着ていない事が多かった。
つまり、黒人も白人も黄色人種もなく、お医者さんも訪問者もなく、なんだか、誰がお医者さんで、だれが家族でか分からないの空間なのだ。

分かるのは、患者さんだけ、、、ベッドに横臥状態で、しかも、、
重症患者が多い。各病室はすべて扉は開けっぱなし、ナースセンターに機械によるシグナルは直結してて、24時間看護体制の下に患者はくくりつけられているという状態であったような患者が多かった4階でありました。
半分以上の患者さんは、意識不明で、呼吸器に繋がれてただ生かされているのではないか?という重症患者達の病室が30以上あり、患者の簡単な手術も移動させずその病室で行えるように、各病室もちろん個室でありましたが、意識がない患者が入院している部屋を個室という風に表現するのは、なんだか個室と表現するシニフィアンは、変ですね?
意味をなさないです。

後で、FRANCESフランセスが受けた、アメリカに残っている姉の情報だと
この、ピティエ、サル、ペトリエール病院の心臓外科病棟に
ダイアナ妃がアルマ橋で、車の事故にあって運ばれた病院であったこと。、
FRANCESの母親を手術したのは、ダイアナ妃の手術に立ち会ったドクター、プリンス<何故か?名前までがPRINCEであった>と、ドクター、パヴィー、という同じ担当医でありました。

それはいいのですが、

FRANCESフランセスは、毎回、毎回、病棟について、病室の入り口で行われる、お医者さんに、割烹着を着せてもらって、背中の紐を結んでもらうという行為
<どうも、フランス人というのは不器用な人が多く、背中に手を回して、蝶結びが出来ない人とか、自分で目薬をさせなくて、家族や、看護婦に目薬を注してもらっている人とかかなり多い>

このなんか神妙な儀式なんですよねえー

お医者さんがわたしの後ろに回って、わたしが首筋の髪を上げてうなじあたりに、割烹着の紐があるんです。

それを、担当医のドクターが蝶結びにして、

{苦しく閉めてないですよね?」なんて、聞くわけです。

FRANCESフランセスは、、、その病院の雰囲気を感じて、、


  アメリカと違う、、、アメリカと全然病院の雰囲気が違う」

と、言ってきた。

「 お医者さんは、治療室から出てこないんじゃない?

 たとえば、普通の病気にかかって、お医者さんの治療を受けに
 病院に行っても、待合室に患者さんを呼びに来るのは、
 お医者さんじゃなくて、秘書の方や看護婦さんだったり、
 マイクで呼ばれるんじゃない?」、、とわたくし

  「そう、そう、、お医者さんは、診療する事務室みたいなイス
  に最初から座って待っているの」FRANCESフランセス

  「あー、、それは、日本も同じ、、』わたし

  「フランスじゃ、お医者さんが、秘書に次どの患者さんを診るの?、、って、秘書に名前を聞いて、待合室に患者さんを、
 迎えにくるのは、お医者さんの方で、患者さんは、待合室で、座って待っているのよ」、、、、わたし

  「あぁーー、よく分かる。患者の家族にエプロン着せて、背中の紐結ぶのがお医者さんだから、驚いたわあ!’」、、とFRANCESは言って、滅多にみせない笑顔をみせた。

  わたしは、その笑顔を見て、

  「BIENVENUEビアンヴニュ,LA FRANCE,ラ、フランス Le PAYS EN EGALITE ル、ペイ、アン、エガリテ」
   
   「ようこそ、平等の国フランスにいらっしゃいました」。

    と言ったら、FRANCESは、もっと笑って悲しい思い出だけのフランスだけど、その点だけ考えさせられる、経験をつんだ。
フランスの医療というより、人間の接し方に家族も患者も医者も無い、、差別がない、、、これはアメリカには根付いてない精神かもしれない。、、、

     と言った、彼女の会話にわたしは、フランスが生き延びれるとしたら、こういう点ではないか?
ARC の意味はこういうところではないか?と病院の入り口で考えていた。

FRANCESフランセスの手をとって、
   
  「 BON ON Y VA? POUR VOIR TA MAMAN ]
    サ!行こう、貴女のママに会いに、、

    

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from: 沙羅さん

2009年03月29日 05時42分40秒

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「Re:Re:Re:空の世界」

91 の続き

 メッセージ91では、少し言葉使いの事で、煩く言い過ぎたかもしれませんが、これには、訳があるのです。

平等に人との関係つくりを築くというのは、案外言葉つかいが影響する。、、と思うのです
平等関係を築くというのは、やたらに、礼儀礼節、丁寧な表現をすればいいというもんではなく、お互いがお互いを同等の立場であり、どちらが上でもどちらが下でもなく、万が一ある人に何かしてあげたいと思う時は、その自発性によって、献身的な行為にでる事はあるでしょうが、最初から、下の者が、上の者の言う事を聞くのは、当たり前、献身的な行為は当たり前とか当然、、という気持ちでの関係つくりは、人間として恥ずかしい行為であると自分自身が思うと思うのです。

というこの当たり前という断定形にすでに、平等関係が壊れてしまってるんだと思うのですね。
当然とか当たり前と思う前に、
相手に同調を求める質問形にして、コミュニケーションを変えてみる、、という臨機応変に話し方を変える事ができる柔軟性も必要に思えるんです。

それで、この平等について、、なんですが
面白い話があります。

日立市に神峰動物園というのがあるそうです。
今はまだ存在してるか分かりませんが、

その神峰動物園の園長さんの話です。

動物達にも世話をする人間達の間のレベル層、人間の品格表みたいな、番付け表をもっているそうなんです。

例えば、園長が動物の前で、担当の飼育係りに、小言や注意をすると、動物は自分の飼育係が、
例えばですが
平社員【笑】のヒラであるということに、気つき、以後は飼育係りに対して態度が大きくなり、お客の前では芸の手抜きがみられるそうです。

その為に、園長は、動物の前では、飼育係りを尊敬する姿勢を、飼育係りは、動物の前では園長より上位の品格を示さなければならない、、、、
という事だそうです。

私たちも猿山の猿と同じ世界では困りますが、

言葉を理解しないお猿さんでさえも、相手<猿>を尊重しない、、、
平等でない、、という事を察する事
が出来るのですから心と心の接し方、扱われ方は、言葉によって気をつけ、皆平等な存在だという事を自他共に意識しあうのが健全な精神社会だと思うのです。

 

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from: めるろ〜001さん

2009年03月23日 04時48分49秒

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「Re:Re:Re:空の世界」
沙羅ちゃん
> つまり、仏語が喋れない、日本人観光客の事を気の毒に思い、
> ドクターは、自ら電話帳で電話番号を探し、病人やけが人にとっては全く見ず知らずの日本人に連絡が入る互助精神みたいのがパリ以外の郊外や地方では健在であるはずなんです。

パリは無いのですかね。


> サイトの責任者以外の人達は、義務感によって縛られて、応対したり対応して関係つくりをする事はなく、書き込みは発信にしろ、何方かの書き込みへの返事にしろ全て自由意志によって書き込まれる行為だと思うのです。
> つまり、返事をしなくてもいい自由や権利といっては変ですが、書き込む人の意志の自由意志にかかつていると思うのです。
>

あいすいません。。。


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from: 沙羅さん

2009年03月22日 07時19分32秒

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「Re:Re:空の世界」
時々、このような掲示板に書いてて、思う事なのですが、

人との接し方、心を持つ人間と接するというのは、どういう事なのか?、、、分からない方が非常に残念ながら日本の掲示板に書き込みをすると感じる事が多いのです。

人と接する事とは、どういう事なのか?ちゃんと
分かっているのかな?
という疑問をもたされる事が多いんですね。

礼儀や礼節とか、堅苦しい事をいうのではないのですが、それでも、時たま、こんな事を外国で掲示板上でやりとりする中で言ったら、いきなりビンタでもくらうんじゃないか?【笑」、、という社会的には、とても普遍性を持たない失礼な表現にも出くわす。

別に外国かぶれするつもりはないですが、日本人の公共のコミュニケーションの閉鎖性や未熟性は、仕方なくても、個々人との心の接し方にどうしても疑問を持たずにはいられないんですね。
しかも、悪い事にわたし達は、そのような日本人達が外国旅行してたまたま、病気や怪我をされ、入院するという時になって、ボランティアとして、通訳をかう外国住まいの日本人達である。
しかも、大概地元の医者は、どこら辺に何処の国の人が住んでいるか、知っている。
つまり、仏語が喋れない、日本人観光客の事を気の毒に思い、
ドクターは、自ら電話帳で電話番号を探し、病人やけが人にとっては全く見ず知らずの日本人に連絡が入る互助精神みたいのがパリ以外の郊外や地方では健在であるはずなんです。

そようなの良心的な介助の働きには目は行かず、ただただ、フランス医療の文句や愚痴を、自国のサービスの良さと比べないと、いられないという、精神的な自立心の弱さが、一気にでてしまう。

しかも、日本で肩書きが多ければ多い程何故か?
よほど、
居心地の良い待遇を受けていたのでしょう、、、
朝の検温しにくる看護婦の態度まで気に入らない、、と文句を言うらしいですね。
まあ、これもわたくしの愚痴といえば愚痴になるのですが、
しかも昨今は益々多く、外国住まいのわたし達は、心が痛む事が大変多い。
話は少し逸れますが
8年くらい前、ネットサイトに「ご近所ネット」、、というのがあった。
国内のご近所に住む人達と、知り合いになるというサイトの目的でありました。
最初、私たち外国住まいの日本人は、もしかしたら知らない間に住みだした日本人達も近所にいるかも知れないし、、と言うことで、私の知り合い達は皆このご近所ネットサイトに登録していたのです。

外国に住む日本人とも友達になりたい、、という目的の為母国からの、ペンパル、ラブコールももちろんあった。

それはそれでいいのですが、4,5年くらいから前から、どうも日本人意識が、人を利用する事に何にも感じなくなってきて、不穏な人間質というか良質な民族で、比較的日本人は好まれる民族だったのが、地元の海外在住の日本人達の良心を、裏切る行為が多くなって、とうとう日本大使館のフランス在住各アソシエーションの住所や責任者のリストも口外しない、、という事態を引き起こした。

これは実際、私も何回か受けた電話やメイルだったのですが、
私達が、海外に来る日本人達を援助したり、家に泊めてあげるのは、まずボランティアなんです。

それは、フランス人達が、知らない外国人を、交流目的や、困った時の人助けの為に泊めてあげるという事が比較的に頻繁に行われている、、という気前のよさ、寛大性によるところが大きいと思うのです。

ところが、日本から、どこかの海外在住の日本人がいそうな、メイルアドレスを探し、自分が行きたい土地場所の宿泊を無料で見つける為の、私達の家はいきなり知らない日本人達の無料宿泊宿のおかみさん扱いとして、勝手に日本からメイルが飛び込むという状態になった。
日本にいれば、分からないかも知れませんが、このような考えをする考えが日本人に大変多くなった。わたしは、大使館に住所を教えてないのですが、何処でもれるのか、それでも何人か日本人の若い人達から電話もあったし、メイルもあったんですね。

彼らに悪気はなく、つまり、利用できるものは利用しようという、人間が持つ普通、ボランティア精神というのは自発性や自主性の上になりたつので、最初から他者の自発性や自主性精神に帰属して、自己の利得に利用するのが、普通であるという考えが何処からくるのか?全くよく分かりません。
結局、最後は、あまりにも、そのような日本人観光客の無料宿泊場所として、電話やメイルが多くなって、ご近所ネットでさえ、大変外国に住む日本人からの苦情を受ける事になって、
ご近所ネットの海外版だけ廃止になったんです。

日本人の中には、素朴で本当に海外の経験を積みたいけど、金銭的な余裕がない、、という若い人も沢山いるでしょうけど、残念ながら、昔はそのような純朴な若い人達が多かったはずなのに、今はそのような他者の厚意を利用する事だけしか考えない人が多くなった、、そのような人が多くなって、純朴な若い人達の夢を断つ事、ますます外国に出る道を閉ざすようになって、ますます外国人との接触は少なくなった。ますます、他者は遠くなり、他者との生きたコミュニケーションは、ネット以外は実現出来そうになくなってくる。

話が本筋から大きく流れました。

戻します。

普通、掲示板というのは、
何方かの、書き込みにレスをつける時は、
質問や感想という形で記されると思うのです。

しかし、その質問や感想に返事をしたり応対するというのは、あくまでも、自由意志によってであって、質問や感想がつけられたから、何かの義務感によって返事をしたり応対する事はありえない事だと思うのですね。

サイトの責任者以外の人達は、義務感によって縛られて、応対したり対応して関係つくりをする事はなく、書き込みは発信にしろ、何方かの書き込みへの返事にしろ全て自由意志によって書き込まれる行為だと思うのです。
つまり、返事をしなくてもいい自由や権利といっては変ですが、書き込む人の意志の自由意志にかかつていると思うのです。

という事は、空の世界の出来事では、

万が一、何方かの書き込みの内容に、質問なりを書き込まれて、
{わからない時は、わかりません、理解できません、、と応えればいいんですよ」、、という応対の仕方は、日本に通用する応対の仕方ではないでしょうか?と思うのですね。

何故なら、
質問に応えるという意志という自由意志も常に書き込み側に、ある訳なので、
つまり、人と人とが接する<話をする事>と、どちらか一方の方が提示した質問の内容に応えるという行為は別の事だと思うのですね。
 全てが書き込む思考の枠内での書き込みであるのは仕方がないと思うのです。
そうなってくると、どのような歩み寄りが必要になるか?というと、最終的には、人間性や人格がものをいってくると思うのです。
いくら、掲示板上で頻繁にお名前を読んでいるからといって、実際対話をされる時にいきなり自分の名前を名乗る事なく、直接こちら提示した質問だけに応えればいいんだみたいな、、
その為の無記名の掲示板なのだ!と思われる方もいるでしょう。
質問や感想を述べるのも自由ですし、応えるのも自由意志であるという事、、言葉使い、礼儀や礼節といった事も、親しき仲にも礼儀ありというより、親しい仲だからこそ、礼儀が必要になってくると思うのですね、そうしないと、親しいから何言っても許してくれるだろう、、みたいな仲を築く事が自然だと誤解する方もいらっしゃるようなのです、それも人間らしい、、といえば人間らしいのですが、昨今の海外に進出される方がたの行為も顰蹙買う事が多い事を考えると、やはりコミュニケートに問題多しと考えるのが妥当に思えるんですね。例え何カ国も話されても支配言語の違いによっておける、人間感情不和ももちろんありますから、生きた会話から、相手の感情を読みとル事も必要だと思うのですね。

大前研一さんが、日本人はPLEASEをつければ、丁寧文と思っているところがあると言われていましたが、英語だけに限らず、アルファベットの文には、日本人の感覚には想像しにくい、大変心情的なグレード高い表現の仕方がいくらでも可能であるかもしれませんね。
日本語でもただしく敬語をつかいこなすのは難しいのと同じに、アルファベット語も、使いこなすという点ではどの国の言語も難しいと思うのです。
資料を送ってもらいたい時に
「SEND MATERIALS PLEASE」とは、いくらPLEASEがついていても大変失礼な表現に聞えるでしょう、、基本形が命令形になっている、、という事にやはり気つく事が出来るのは、英国人との生きた会話が必要になって、相手の表情から察して、気つくものだ、、と言ってましたが、本とにそうなんだと思うのですね。
知らないでは、感じないでは許されない、、、
些細な事かもしれないですが、直訳すれば日本語ではそれほど、失礼でない文体でも、抜けてるYOU SEND MATERIALS の命令形の抜けてるYOUに、敏感に感じる人はいくらでも、いるし、その後の
PLEASE は、、なんだか、おまけについてるような、言葉の意味が軽過ぎて意味をなさないようなのですね。相手を強制する響きを持つ文体であるという事、これはフランス人も一番気をつけるであろうと思われます。
相手を強制するような響きをもつ文体しか表現出来ないというのは、非常に恥ずかしい事と小さい頃から、親に教え込まされる。
つまり、、社会性を重んじるという事で、口ごたえすると言った事異常に、相手を強制する響きを持つ表現には、過敏に反応する。、、という事なんですね

資料をいただければ、嬉しいのですが、、という表現で命令のニュアンスを避ける
、I WOULD APPRECIATE RECEIVING YOUR MATERIALS PLEASE という言い方をすれば、
資料を送ってわたしを喜ばせてくれるかどうかは、相手の側の選択になる、、と言う英語の使い方で表現の仕方を覚える事もコミュニケーション上必要でしょう」、大前研一さんは仰っていましたけど、仏語も全くそのような同じ表現性を有しているので、人と人との接し方というのは、そのような使い方をする理由は、結局いかに他者とのよりよい関係、気持ちよい関係を結びましょう、相手を尊重する、人格を尊重する、個の特性は尊重志ながらも、なおかつコミュニケーションには、相手を強制する響きをもつ会話は極力避ける、、これが礼儀とか礼節とよばれるかも知れません

他の言葉の意味使いや表現の仕方も他者と接触することによって、普遍性を見つける事の出来る、幅広いコミュニケート能力も備わってくると思うのです。

 という事で、おやすみなさい、、20分かかったなあ、疲れた。

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from: めるろ〜001さん

2009年03月12日 10時49分59秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:空の世界」
どうやら、新鮮な空気を擂ったようですね。

今日も健康で何よりです。。。

隣国といっても、いろいろありますね。
不穏なスペインじゃなく、
ドイツも乱射がありましたし、
多分、ベルルスコーニ首相が治めているところでしょうね。

南に行くのが一番ですから・・・。

お気をつけて行ってらっしゃい。

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from: 沙羅さん

2009年03月11日 16時00分19秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:空の世界」

うわお〜

右下に拍手がぁ〜

あぁ〜コレ、両手が叩いてるんですねぇ〜?

つまらない記号の動きに朝から感心しています

ちょっと、これから外国へ、、出かけねばなりません(と言っても隣国ですけど〜)

最後になりましたけど、おはようございます。
今日も元気だ、!空気が美味いの沙羅のご挨拶でした。チャンチャン

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from: めるろ〜001さん

2009年03月11日 11時20分04秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:空の世界」
沙羅ちゃん

本筋から離れていませんよ。

哲学の普遍性は、一般大衆の中から湧き起こるものであろう・・という漠然とした大衆の底辺に流れる空気を読み取る・・という位置にいるべきだと感じるからなんです。

> 他者を象っているものが、まずは何からきているのか?何が原因であるのか?
> 自分と全く違う他者を理解する事は自分自身を存在させようとする、他者との関係つくりの上に自分が、何をやっているのか?初めてその地点で観えてくるという感じなんです。
>
> 何かの目的や考えや信念に帰属しての行いであるのではなく、途上で
> やっと自分がフト観えてくるという感じがするんです。
>
> そこには、年齢別や性差や職種、外人である、、などなど全く関係ないというか意識表象にのぼらない、、平等関係が築かれる一瞬の世界の出来事であるような感じがするんです。

誠にその通りで、哲学の普遍性の始まりは、沙羅ちゃんが指摘した地点でなければなりません。

ただ、他者の環境や価値判断は色々であるのでそこには対話などでの交流が必要となるでしょう。

> 決して、学者さんが出版した書物の中にではなく、
> 書物から得た知識を実践に使いこなせないと、一般大衆の中の自己の存在の意味も観えてこないような気がするんです。

空海が、文と行というふうに分けている部分ですね。


> 西洋が輪廻転生が説けなかった<説かなかった>理由とは?言語とは? どのような、生と死の考え方によるものなのか?

死生観は、思想を判断する上で重要なファクターですね。

> というのは、一般人の主体発信による会話や対話<フランスの日常会話のレベル、メディアにしろは次元が高いような感じを受けるのです、>
> の中に足がかり、未来への足がかりを感じるんです。

そういう部分はあると思います。


> 他者の人はどのように考えているのか?
> 他者の頭の中はどのような組み立てになっているのか?
> 自分とはだかる他者とは、どのような経験を得て、どのような環境の中で、どのような友達層をつくり、どのような人達と交友を広げているか・・などなど・・・
> 全て、その人を総体的に観てそれから、少しづつ、距離感を縮めていくという観方らしいんですね。
> どちらにしても、話さないと話にならないのですが、

対話が必要ですね。


>
> 宗教<RELIGION>の語源は確実性に欠けるのですがそれでも、ラテン語は、RELIGIOー>RELEGERE(思い浮かべる)
> とフランス語のRE<再び>LIER<繋ぐ、結ぶ、縛る>は、語録の変化したものとみられています。
>
> 前に仏語の信じる CROIREクロワールは、
> 思う、、という意味使いで使われるという事を書きましたけど、
>
> 信じる=思う
>
> と日本語で書くと全く違いますが、
>
> 仏語のCROIREクロワールは、信に帰属させない意味使いであるのが見えてくるんです。
> そのように色々他者のもつ宗教の意味が、自分が考えているのと微妙に違うのが観えてくるんです。
> ラテン語の思い浮かべるRELEGEREが語源とすると、
> 仏語辞書に信じると書かれるCROIREの単語がかなり幅広い意味使いで使われているのがわかると思うのですね。
>
> 語源からすると、宗教は本質的には負わされた心的責務<思う>のうちに、とくに神々への人間の心的責務のうちへと変わっていったのかもしれません。
>

空海の場合は、「死は変化(へんげ)する。」という
死生観です。<自然に帰る>ということですね。
自然の始原に関しては長くなるので省きます。。。

<先ず始めよ、さすれば為す>という行為観を持っていて、
書物は、その架け橋に過ぎないと思っていたようです。
僕もそう思います。


西洋の神への帰属意識は、日本でのすべてに<仏性がある><魂がある>という意識と少し違うように思います。
<あるがままに見る>そしてどこから来たか?は、追求しないように思うのですね。

<神が宿る山>といえば、「然り。」
<神がすむ川>といえば、「然り。」
<神が宿る木>といえば、「然り。」
それ以上追求はしないのが多くの日本人だと思います。

しかし、西洋では始原の問題は日常的に出てくるでしょうね。
そこから帰属意識が芽生えてくると思います。

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