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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

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  • from: 沙羅さん

    2009年03月20日 08時57分54秒

    icon

    心を読むとは?

    たまに、心理学的な事、、書いてみようっと!

    空気を読む、、又は、共感能力を高めるという事は?

     

    例えば、他者の失態に思える姿を目前にしたら?
    何でもいいのですが、、、

    酔っ払いの醜態を演じているのを見た時、
    それを私が眺めているとします
    「こんな、醜態を演じたら、同僚や両親又は、恋人に飽きられるから注意しよう」と思いますよねぇ?

    1>わたしは、酔っ払って醜態を演じている
      この現実の他人を観念的に自己【想像上において現実的な自己に置き換える}

    2>これは、鏡をみている自分、、という現象と同じで、鏡の中の自分は、鏡を見ていると知りながらも、
    想像の中では、{鏡の中の自分」をあたかも、
    「現実的な自己」に
    観念的な置き換え=観念的な対象
    になる
    それに反応してル、、という事は、
    こちら側の「現実的な自己」が{観念的な自己」に
    置き換わるのと、全く同じ現象なんですね。

    例えば、書き込みの世界であれば、

    x氏の書いた、書き込みを読んで、「どうしようもない人だ」と思ったり、y氏の書き込みを読んで、すごい人だと思ったりした場合、
    y氏はともかく、x氏の書き込みを読んで、こういう事を書いては、皆に顰蹙を買うだけだから、気をつけよう、、と思ったりする意識も同じ置き換えによって得る感情だと思うのですね。

    3>想像の中での{現実的な自己」
    つまり、酔っ払ってる醜態を演じて、大声を張り上げている自分、または、顰蹙を買うような、又は人からどうしようもない人だと思われるような書き込みをした自分、、こんな酷い醜態を見たら皆に飽きられるという観念的な自己が判断する。

    こんな、書き込みを他者でも、特に知ってる人が読んだら、飽きられる、、という観念的な自己が判断するんです。

    この観念的な自己が判断する自分が二重の自己です。


    それから、現実に二重の分裂した自己を現実に戻すんですね。
    つまり、醜態を見られたら、皆に飽きられるから気をつけよう、、と思う。または
    x氏の酷い書き込みを見て、自分もしっかり気をつけないと、、あまり対話にのめりこみ、感情吐露を記載するのはみっともない、、と

    同じ立場に立つと
    まずい事態を招くから、気をつけようとか、注意しようとか、、こうして、二重の自己分裂の認識の自分から現実的な自己の認識に
    戻される、、、

    現実の他人を観念的に自己とするのは想像力によっての置き換えであって、一方、想像的、観念的な世界に対して{観念的な自己」が向かい合うことを意味するんですね。
    ただこの向かい合いは一瞬の無意識のうちに行われ、つまりこの置き換え、観念的な自己分裂」と、
    一体もとで行われ、現実に戻す事によって、自分自身内引き戻し、
    理性が生まれ、お酒に気をつけようと思うし、あまりアンポンタンな書き込み<笑>も人に笑われるから気をつけようと、思うのであります。   
            疲れたから、もう寝ます。
       
            おやすみなさぁーい

     

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コメント: 全10件

from: 沙羅さん

2009年04月08日 19時34分36秒

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「Re:心を読むとは?」


6日に出発よ、オーストラリアは。
数年ぶりのオーストラリア。 今回は Y と一緒じゃないけど。


わたしは、数日前に、友人 R子さんに、いつメルボルンのキアラさんの処に経つのか?聞いたら上記のようなメイルを返して送ってきた。

面白いのは、このような口語態の文で表現すると、R子さんには申し訳ないのだが、心理的な分析にかかせないエレメントが沢山含まれてしまうのです。

彼女は、あまり掴まえ所のない性格、として私には、見えるのですが、、多分これは、わたしは彼女に難しい事を、求めてしまっているのだと、、、、
彼女のやり取りの中身を感じて、反省するところが多いのです。

彼女の「何故?沙羅さんには、そう感じるの?単純なわたしには、到底わからない、、、」という質問に、わたしはいつも、因果関係を説明したくて、彼女に、感じてもらいたく<分かってもらいたく、、、>七転八倒する 、、、


わたしが、とにかく嫌なのは、

人と接してて、、、

対話者自身が、自ら、、わたしと比べたような表現をして、へりくだった表現をされる時に、
わたしは、どうしようもなく、傷つく。

R子さんが、「単純なわたし、、、』云々と言う表現をすると、
まるで、わたしはR子さんに対して、上位の位置に立たされて、
わたしの、述べる難しい事は、
単純なわたしには、分からなくて、当然なのだ!、、、という

意味あいの言葉を、彼女が無意識にしろ意識的にしろ、、
わたしは、非常に  傷ついてしまう、、というより、
むしろ、そのような表現をされるのは、好きではない自分が存在してる。

R子さんも私も、同じであり、平等である、、
自分をへりくだった表現の言葉は、
結局、真剣に四つに組みたがっている関係を持とうとしている相手には、非常にもどかしく感じるのでしょう

妥協したくない関係を築きたい、、というこちらのテンションの高さに、彼女自身が、後ずさりしてしまう、、、という事が最近よくあるのです。

わたしは、ここら辺の調整をしたくて、どうしても I さんの、第三者の立場から観た、観方に助けをこう事があるのです。


日本語の表現には、自分をへりくだった表現をして、相手を立てる、、というか相手を尊重する、、という礼儀礼節としての表現法があるのですが、それはそれでとても善いと思うのです。

しかし、これも使い方と関係を持つ、つまり絆をもつ人間関係の質に帰すると思うのです。

こちらが、真剣に相手と接してあげたいと思っている時に、
相手に、単純なわたしだから、、分からない、、と言われるほど、、こちらが、今までどんなにか平等の関係の関係を築きたいと必死になっているか?わかってくれる?、、、という、問いかけをしている自分がいればいる程、もっとテンションがあがってしまう、、、

     という流れになっている、、、、、

結局自分自身との闘いになっている、、、というのも分かるのだ。

ところが、ここ1年わたしは、R子さんとの人間関係については、
少し違った観かたをするようになった。

彼女自身が、感じないとしても、
彼女を残して他界された、ご主人、Y さんの存在なんです。

彼女の友人、、メルボルン在住の キアラさんの話では、
ご主人が、キアラさんを介して、一人残された R子さんの人生に、
少しでも、人生に楽しい事を見つけられるように、、
色々な関係事や、縁起事が生じているようにしか思えない。

そして実際、、、R 子さんは、こうやってメルボルンに、
友人が庭に建てたゲストハウスという家に、
初めてのお客として来て欲しい、、言われてメルボルンに向って発ったR子さんがいる。

R子さんが、観てもらった霊能者 wさんの話では、、

Y さんの魂は高次の世界でも、かなり高い所にいらっしゃる<なんでも霊界といっても、魂には上下の位があるんだろうか?という話なんですね、、、わたしが、考えてる平等とは違うじゃないか?、、という懐疑心がわくのですよね?>

死んでしまったら、皆同じ<平等>なのかな?
と思っているのに、わたしも観てもらったW霊能者が、R子さんに話した内容を聞くと
死んでも、心のきれいな魂とか、心のきたないと言ってはなんですが、、まあ邪悪にまみれた魂とか、純粋ではない魂とか、、述べ方は色々ありますが、、つまり低次の魂です、
全く同じ層に並列に並ぶのではないような感じなんですよねぇぇ。

わたしは、この疑問があって、さっそく、Y さんの人格というか人生観を、知りたくなって、R子さんの家にいる時、色々生前の様子を聞いてみた。

Yさんはソルボンヌの言語学専攻で、言語の起源を調べに、<アフリカの原住民の言葉の起源を調べる研究が言語学には必要なのだ、、とR子さんは述べてらした>、ウガンダにフランス政府が派遣するフランス語を教える学校の先生として、数年滞在されてたようなんです。
彼女の家のサロンには、
Yさんが、裸の黒人の子供を肩車した、
とても幸せそうな写真がある。それよりも

肩車された、7,8歳の黒人の子供の笑い顔は、とても純粋で、屈託なく、人を疑う事を知らず、、日本の子とも達には感じられない笑顔なんですね。
あえて言えば、精神障害を生まれた時から背負って、他者との交流手段を断たれた、障害を持たれた人達の、、あの笑い顔に似てる

そのウガンダの無残な暴動が起きた時期に Y さんは滞在していた。

R子さんの話だと、Yさんが住んでた家に、ある黒人の女性が、
突然現れたそうなのです。ある小さな村に住んでいる、時々見かける若い女性だったようなのです。
なんでも、非常に恐怖に怯えていて、ただ事ではないような感じがして、Y さんは、村から、裸同然にそのまま現れた女性を数日自分の家に保護したそうなんです。

ウガンダの暴動騒ぎやニュースを聞いて、不吉な予感を感じていたらしいんですね。
Yさんは、何故か?
その女性をニューヨークにいる知人の処に非難させる為、手続きをしニューヨーク行きの飛行機に乗せた、その直後の事でありました。
彼女の住んでた村は、
村人達は丸ごと殺されたと言っていいほど、大人も子供も年寄りも、銃や刃物で切り裂かれ焼死体の死体の山と化した、村のニュースを聞いたんです。
つまり、ニューヨークに着いた彼女が、残してきた家族や親戚は、
すべてニューヨークに着いた時は、全てあの世の人となって、家族がいない、世界でたった一人の身になってしまったんだ、、、、、
という話を、Y は したのようーー」、、、

という話を、R子さんは、わたしにしてきた。

「あぁーーこれは、、動く、この心の存在は、三次元の人間の心を動かすほどの存在だわ、、あまりにも、、願いや希望、失望、、といった心の重さを感じながらあの世に旅たったり、生存している人達の関係がひしめいてる」

、、、、わたしは、この話しを聞いて、、Y さんの気持ちが
まるでこの世に存在しているような感じになって、
わたし達の間で語り継がれる、、、
現象がおこるのも無理が無い、、という気がしてきた。

死者は、わたし達と共に生きてる、、、
という感触なのだ、、、

ところで、このような死者達が、愛する妻を残して
あの世に逝ってしまったとしたら?

わたしの疑問はこの先の疑問にかけられていた。

つまり、時間軸でいうと、未来なのです。

過去は、分かりましたもう、過去の事はそれはそれでよろしい、、
わたし達がしなければならない、、これからの
その意識の姿勢を問われているのでしょう?
それが知りたかった。

万が一、、愛する夫の魂が、残された妻が寂しいと思っているとしたら???
迎えにきたりするんじゃないだろうか?
これって、、
あぁーー愛し続ける夫婦が一緒になる事求め
天界で一緒になる、、という
なんだか、どこかの現世は結ばれなくて一緒になりたくて自殺してしまうような陳腐といってはなんですが悲恋物語を、安易に受け入れる、認めてしまう、、

わたしにしては、全然美しいとは思えない愛情物語を、
手放しに、認めてしまっている、、
後ろ向きの精神の姿というか、
回りくどいのですが、、、

なんだか、、世間の人の反応を観ると

世の中に一人残された人が、先に逝った人のところにまるで死期を早めて死んでしまったような事を、当然の如く、、

というか、
まるで、死んで当たり前、、みたいな表現がされてる時があるのです。

わたしは、違うでしょう?
その考えはおかしくない?
という、感情が沸いてしまうのです。

死の直前まで関わった人達の気持ちはどうなのかしら?
残された人達は、?
これが実体世界に残されてしまった、死者との関係の質を
浮き立たせてないだろうか?
という感じがしてしょうがない。

わたしがもし、万が一ここ数年、R子さんとの仲を接近させてしまったのが、たとえ?
Yさんという魂の存在であるなら?
わたしが、対峙しているのは、もしかしたら、

「R子さんを勝手に霊界に導いたり呼ぶ事をさせない、つまり死に至らせない」という、、死者の愛情の思い通りにさせない、、、という気持ちに、対峙してしまっているんじゃないだろうか?
という気持ちだろうか?
考える事があるのです。

何故なら、W 霊能者は、

R子さんに

「あまり、Y さんの事を考えたらいけない。せっかく他界世界の層にいるのに、R子さんが、そういう風に考えると、心配して、下界にさがってこないとならなくなるんですよ。」
と、言われた、、とR子さんは、
わたしに話してくれた。

でも、R子さんは、キアラさんの話を聞いて、霊の存在を知りたくて、
W霊能者に逢いに行ったんじゃないかしら?
これじゃ、、
全く、、反対方向に回っている。

わたしは、この地点で、
霊能者には、かなり立場が違う、役回りというか、

ミッションが違うのだろう、、という推測が出来てきたんです。

つまり、観える事だけを言う霊能者もあるだろうし、
観えても、業と述べない?
、また、当人の心情を察して逆に嘘を発する事もあるのではないか?
という感じがしたのです。
そうでなければ、
不幸が起こる人にはどのように予言するのでしょう?
わたしは、心理学的にそこらへんを一番知りたかった。

まあ、そのような興味事は横においといて、、

以下は、R子さんが、わたしに送ってきたメイルの内容なのですが、
 


 「あなたを連れてってから後はもう 全然行ってないの。
今は私はYさんを必要としないのよ。

それから沙羅さんも何度か行った、OOのW先生の所も
全然だわ。

首に沙羅さんから頂いた、おめだい かけてるから大丈夫でしょう。」

R子さんは、空海さんを信じていらっしゃる整体師Yさんも観えた
YさんがR子さんの側に立っている、、、という現象、

そして、霊能者W さんは、もう必要ない、、、、

彼女は、2年前から一度も霊能者や整体師のところに行ってない、、、という事がどういう事なのか?
、、という彼女の気持ちを書いてきたのです。

自分には必要とする存在ではない、、、という事を言ってきた。

ついでに彼女は、このメルボルンの旅行について


「なんだか今年は私、 新しいことがやってきそうな感じもするの。
自分が何か新しいことに挑戦するのか、その波に自然と乗せられちゃうのか
わからないけども、とにかくメルボルンがそのスタートかもね!

今年はうんと楽しむ1年にしたいわ!

では行って来まーす。、、、、、」


という事を書いて、彼女は、メルボルンに旅たった、、、、


正直、、わたしは、この数年の彼女との展開の流れを観て、
考える、、、

R子さんの、述べてる

おめだい、、と言うのは、、

あのパリの教会に1830年にマリア様が出現して、マリア様が、
こういうメダイュをつくりなさい、、、と言った、という
不思議のメダイュの事なんです。

一年前に、R子さんが、フランスの食材が食べたい、、と言って来たので、
わたしは、言われた、オリーブ油だとか、クスクスだとか、
チョコレートだとか、ダンボールにつめて、
I さんにパリで購入して持ってきてもらったメダイュ、不思議のメダイュをん」ひとつ、ダンボールの中に入れてあげたんです。


一年前にI さんが家に遊びに来た時、2月の寒い時期にも関わらず、
わたし達は、一週間
 ARC 川の側の山の家に、滞在して、それこそ、

Iさんは、20時間くらい横になって、毎日眠り姫になっていたのです。

彼女は、日本にいる時は休日を一日もとらないで働く。それで、

フランスに2回かけて来て、3週間ほどのんびり、仕事もかねて滞在するので、フランスにいても
何もしない一日というのがかなりあるのです。



暖炉の火の前から動きたくない、という感じでありました。
彼女は、暖炉の火の前で
わたしへのフランス人の来客が突然あらわれても、そのまま横になって、フランス人男性の前で
熟睡しているという徹底振りなので、、、

しかしいいーー、
知らない他人の前で、何も気を遣わないでそのまま寝れるという程、至福はないわねえ、、<爆>、なんて事を考えているわたしがいたのでした。

結局、眠り姫の I さんを、起こすという事は、
「素敵なフレンチの男性が、家に寄る予定があるのよ、、しかも独身だ!」、、というような、作り話をしない限り、、、

彼女は、暖炉の前のソファーから起き上がる事はなかった。<オコラレル!>


ARC川のアルクと言う音素は、

ミカエル大天使のお告げによって、イギリスに占領されてたフランスが、ジャンヌ、ダルクによって、フランス軍を勝利に導いたとされる今は、聖人として何処の教会にもジャンヌダルクの銅像が置かれて扱われている。、、、

あのジャンヌ、ダルク
苗字 D,ARC アルクと同じ、弓、橋、アーチ、等を意味を含む、、抽象名詞、、、A R C 川と呼ばれる川があるのです。

イタリアを統治した最後の王様が眠る現在SAVOIE県の
谷間、、モリエンヌ谷と呼ばれる谷間を
140キロ流れている
隣の谷、タランテーズ谷と呼ばれる、隣接した谷にも、これまた、150キロほど流れてる、イゼール川というのがあるのです。

この二つの川は、合流して、SAVOIE県の隣県の名前にもなるイゼール県の町中を流れている、大きな川なんですね。

このイゼール川の流れの中心をなす県庁所在地が、グルノーブルという大きな村で、
フランス革命に繋がった、
民衆の蓄積した怒りが勃発した地、グルノーブルなんですね。

このグルノーブルの町に流れるイゼール川は
しかも、
パリのバスティーユとおなじ名前を持つ、要塞、バスティーユ要塞をぐるっと、取り囲む感じに、イゼール川は流れている。

しかも、グルノーブルを過ぎて、西方に位置する山間を130キロ流れてイゼール川に合流するの名前は、ドラゴンの名前を持つ、ドラック川なのです。



http://fr.wikipedia.org/wiki/Drac


こんな事ってあるのかなあ?
わたしは、前に
ローヌ アルプス地方の全体地図を眺めながら、
こういう不思議な発見そしていたことは前にも述べましたね?

それで、ミカエル大天使のエレメントは、あの 火 だそうなんです。

I さんが、山の家に滞在している間に、
試しに、、暖炉の 火 の前にメダイュを並べ、
又彼女は、なんだかよくわからない、自然石に興味があるらしく、

小指の先くらい、よく見ないと、見えないくらい、トパーズだとかアクアマリンだとか小さい自然石も色々持って来た
メダイュと一緒に、暖炉の前に並べて、そのまま放っといたんです。

ちなみ、あまりにも小さくて、
わたしは時折、
掃除機で、暖炉の前を掃除するのですが、

ガァー、ガァー、、、掃除機で、

ゴミと一緒に、彼女の自然石も吸い取っていた。+ +


まあ、それはいいのですが、

あんまりよくわからない、おまじない事に熱中して
魔女っこKIKIおばさんを演じるのも楽しいですが、

こっちは、主婦なのですから、日常生活を優先するというリアル派なのです、、


そんな事をしながら、

でもR子さんに送る食料品の中に、不思議のメダイュを一緒にいれたりしてるんです。


此処だけの、話ですが、、
メダイュといっても、1,2センチの小さい、アルミで出来た、
一円玉より小さいメダイュなんですよね?

ところがなんです。
R子さんは、そのわたしが去年送った
それくらい小さい存在感のないメダイュを、
お財布の中に、いれてあったらしいんですね。

それはいいのですが、

R子さんは、ある人に、

そのお財布にあるメダイュは、貴女を守っている、、、と
言われたそうなんです。

それから、

そのメダイュに鎖をかけて、
今は、彼女の首にかけて大事にしています。。。

ありがとう、、、沙羅さん、、、とかいうメイルが、一ヶ月前に来るんですよx-、、、、

これもですねぇーーー

彼女には悪いけど、、

「オイ、オイ、、  マジかなあー?」
とか、内心思うのですよ。

本当にこういう性格、懐疑論者の素直に信じない、、性格でしょうねえ?

と、又客観している自分がいるんですね。

つまり、、こういうところでしょう?

こういう決して真理としての答えがだせない行為、毎日、毎日、、

問答しながら、他者と関係を築きあげながら、他者に対しての自分、自分に対しての他者、、そのような相互関係においての自分のとらないとならない立場を時間を超えて観る事を永遠に終わる無く続いていくのじゃないかしらん?

ホント、疲れるわねえ、、人生って、、、と、
ため息をこぼしたりする、、

と思ったら、、
昨日、、I さんから、
メイルがきた。

「沙羅たん?、あーた?
白いタイトスカートが、似合うヨ、、きっと、、、

昨日、小包み送った。
智ちゃんの結婚式に着る
白のジャガーとタイトスカート航空便で送った」


という内容でありました。

やっぱり、人生は、楽しい、生きれば、儲けもん、、

ルンルン、、ランラン、、、












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from: めるろ〜001さん

2009年04月06日 05時35分56秒

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「Re:Re:Re:Re:心を読むとは?」
>沙羅ちゃん
日本語のキーボードは、「顔」と打つと
顔文字がいくつも出てくるのですよ。
ノノ*^ー^)<おはよー  とかね。

↑この顔文字は女の子仕様ですが・・・。

http://www.facemark.jp
という顔文字サイトも存在します。
顔文字は和みますね。

>
> 最近、見かけないけど、、
> ヒットですよねえ?
> 拝んでいるようにですか?、、、そうですね?
>
> なんか、顔文字って可愛いんですよね?
>

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from: 沙羅さん

2009年04月05日 22時43分52秒

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「Re:Re:Re:心を読むとは?」
めるろーさん

>
> 僕が(ー人ー)という顔文字を3年前に流行らせた時に、
> 「おおーっ。」という納得の声を聞きました。
>
> 拝んでいるように見えるでしょ?
> 人に頼む時にも使われているようです。
>
 
そうそう、、コレコレ顔文字、、- 人 -   <---仏語仕様のキーボード
                  だから、送信したら文字化                  けするかも>

最近、見かけないけど、、
ヒットですよねえ?
拝んでいるようにですか?、、、そうですね?

なんか、顔文字って可愛いんですよね?


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from: めるろ〜001さん

2009年04月05日 19時10分15秒

icon

「Re:Re:心を読むとは?」
> 現象学的観かたは他者との共感体験を必ず必要とするはずなんです。
>
> 対話において、他者の話を聞く、、、というのはすごく大事な事なんです。
>
> この他者との共感を絶えずベースに、対話を進めるという現場を頭に
> 絶えず描いている、、、、という感じなんです。
>

僕が(ー人ー)という顔文字を3年前に流行らせた時に、
「おおーっ。」という納得の声を聞きました。

拝んでいるように見えるでしょ?
人に頼む時にも使われているようです。

笑う時の顔文字は、自分が笑っている時に使いますね。
また、<自分が笑うのだから当然これを見ている人も笑う>という意味も込められている場合があります。
MSNでも顔の絵が標準装備されていましたね。
自分の感情の表現として多用されていますね。

僕の場合、最近は顔文字を少なくしています。
自分の文章表現を拡げる為にそうしています。

逆に反応を見るのに楽しい場合があります。
いろいろ使い方がありますね。

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from: 沙羅さん

2009年04月05日 07時50分55秒

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「Re:心を読むとは?」
寝る前に、、、、
現象学的観かたは他者との共感体験を必ず必要とするはずなんです。

対話において、他者の話を聞く、、、というのはすごく大事な事なんです。

この他者との共感を絶えずベースに、対話を進めるという現場を頭に
絶えず描いている、、、、という感じなんです。


そういえば、パソコンを購入し、ネット世界が手軽に一般の人達の間に広がり、メイルでコミュニケーションをとる、、という事をしだしたのは、えーーと、わたくしの場合、10年も経っていないと思うのですが、、、、

最初、日本人との方達とメイルでのやり取りを見て感じた事

実際私自身が日本人の文を読んで感じるのですが、

文中に<笑>、、、という語句を記入する、、という行為だったのです。

最初、この意味が全然わからなかった。

つまり、私が、オカシイと思うか笑っているかどうかは、分からないのであって、何故?

ここで一緒に笑わないと駄目なのかしら?

といつも不思議な文体をつくって送ってくる日本人の世界が
分からなかった。

なんだか、たまに、何回も<笑>という記号が、
各行に記されてるメイルももらったりするので、

こちらが、ここで笑わないといけない、、
雰囲気になってくるようなメイルもあった<しかも、笑いの接点というのは、外国に暮らしている方ならお分かりと思うのですが、各国、各国笑いをかもしだす接点は言語によって微妙に違う>

アルファベットの文体で送ってくる外国人のメイルには、
何故か?<笑>という記号を挿入して書いてくるという行為は無い現象だった。

まあ、それはそれで良いと思うのですが、、

そのうち、絵文字というのが、現れてその後、この<笑>という

記号を挿入するかわりに、キーボード上の象徴記号をつかって、
人間の表情を表す、、という行為に変わってきてた。

メイルを初めて、一年くらいして、

あーーーこれは、書いてる本人が笑っていますよ、、、、
というモノローグ<一通>会話による表現だったのだ、、

決して、お互いが一緒に笑っている、、という共感の場を表しているのじゃない、、という事がわかって、

じゃ、、相手がオカシイと思わなくても、自分が笑っているよ!という意思疎通の為なのね?
と納得できてから、やっと、
メイルの文中に
笑、、という記号を落とす事が出来た、、、

という按配なのです。

書いてて疲れるけど、これを読んでる方も疲れると思うのですが、

結局、現象学というのは、このような他者との共感が絶えず
頭にあるという事だと思うのです。

今でこそ、わたしも書き込みに<笑>という字を頻繁に
挿入しますけど、、

ここまで至るのに、心情的には、自分自身納得するのに、長い歴史があったのです。
                
                   【 笑 】という事で、、おやすみなさいです。

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from: 沙羅さん

2009年04月05日 05時57分54秒

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「Re:心を読むとは?」


フランス人の交流の仕方をみていると、彼らはかなり広く浅く、、という人間関係をつくりあげていく、、
そして、肝心の深い人間関係は、能動的な意識を絶えず重要視しているように思えるのです。


つまり、関係の安泰という目的つくりの為に、人と関係を築いたり交わる事はしないようなのです。

むしろ会いたい、話したい、一緒に時間を共にしたい、、という願望や欲望を持ち続ける事の関係の質の維持に努力するという感じであって、別に実際一緒になる事を実現出来て、どっぷり、その状態に浸るという事を目的に生きているのではないようなのです。

そのような結果<実現>に帰属するという人間関係をつくる事を目的にしていない、、という事だと思うのですね。
ある意味、大変厳しいと思うのです。本音と建前、実体と精神世界、理想と実体社会人間はしかも変わる、、不変はあり得ない、、、変わるのです。
それを、嫌と言うほど知ってる彼らは、人間関係が終わる事を、
ページを捲る、、という仏語で表現する。

本のページを捲るのです。
終わるのではなく、捲って捲って、捲っていく、、
その途上に人生はあるのでしょう、、という事もなんとなく分かって来る。
 
  
 R子さんが、もうすぐオーストラリアの親友と称すキアラさんに会いに旅たつ、、、

例の、亡くなったR子さんのご主人が、キアラさんの枕元に現れて毎晩、「R子が、寂しがってるから会いに行ってほしい」

と囁いていた事は霊能者に言われるまでは知らないで、
自分で日本行きを決めてR子さんに会いにいくと思って、旅行の支度をしていた、、というキアラさんの事です。


随分前から、R子さんは、親友のキアラ、、という表現で私に話してきた。

これは、I さんにも、そのように話すらしい。

Iさんは、
外人と親友関係をもてる人ともてない人は、語学力ではなく、
他になにかあるでしょう?

と私に話してきた。


________________________

私が思ったのは外国人の友人を持てる人と持てない人がいること。
ChiaRa(と綴るのかしら?)さんと言い、そこまでの友情を外国人に感じさせる人というのは見たことも聞いたこともない。

異性なら分かる、でも同性にそこまで思わせる魅力というのはなんだろうと思う。

OOも子供を持って初めてフランスに馴染んだと言っていた、受け入れられたと言っても良いと・・・ところが、R子さんは子供さんも持たない。
  しかも・・・R子さんは遠い日本に住む人だ。
 
かなりユニークで面白いキャラクターだと思うんだ。
柔らかい外見とはかけ離れた硬質で冷静な内面としっかりした意志、そしてきちんと他人をフォローする頭の良さと距離感・・・不思議な人だ。



以上は、I さんの R子さんの観方なのですが、
この観かたに置いて、わたし達は同質な感情をR子さんに持っていた。

オーストラリアに住む元イタリア人のキアラという人の存在を、R子さんは、親友だといつもメイルに書いてくる。


しかも、今回オーストラリアに行くのだ。
キアラさんは自宅の庭に、ゲストハウスを建てたので、是非とも、一番のお客さんにR子さんにメルボルンに来て欲しい、、、と言って来て、今回、2週間ほど、メルボルンに旅行するのです。

R子さんは、そのゲストハウスが、R子ハウスになるのよ、、、
と、笑ってメイルを書いてきた。

R子さんが、先々、日本を離れてメルボルンに住みたいという希望があったのは、知っているのだが、、

どうも、このキアラさんの存在がR子さんの一生に大きく関与しているのではないか?

考えてみた。

それで わたしの話を聞いて
R子さんに会いたいと思ったI さんは、2年前に飛行機に乗って、
R子さんに会っていて、それから、時々メイル交換もしている。


わたしは、R子さんの観方にほぼ Iさんが感じてる同質の情動をもってはいると書いたけど、
何故?

キアラさんを親友とわたし達に言うのか?
それが分からなかった。

わたしは、誰かに自分の知ってる人の名前を出す時、
親友のOOさんという表現は絶対しない、、
何故なら、聞いている立場と私の関係と
実際親友と思っている他者と私の関係が比べられての表現であって、聞いている人にとっては、必ずしも気持ちのよい表現とはならないからなのが分かるからなのです。


自分の知らない人を、実際話している相手が親友という言葉を発する事によって、自然と自分と話しての関係は、ただの友達なのね?という隠喩を含む話し方に落ちてしまっている、
つまり他者に対する心使いが不在であるという観かたなのですが、、
別にそれはいいのですが、
何故?

R子さんが、そのような表現を再三にわたってしたがるのか?
理由がみえなかった。


I 子さんの返事には、例えば、誰かに私が、Iさんの事を話題にするとき、わたしは友達のIさんと言う人が、、、という話し方をするはずだし、だからと言って、I さんを親友と思っていないという事ではない、、、でしょう、、という風に持論を展開したのですが、
この点はI さんも同一意見でありました。

どちらにしても、相手が自分の事を親しい友人であるかないかを感じるのは、
個と個の関係において、結ばれてる相手が自分の存在性や、相手を思う気持ちにどのようにわたしが応えるか?というのは本人自身が、親友か、ただの友達かは感じるのであって、

私が、親友と紹介するからといっても、
本人は私の親友だと自覚するというのは、間違っていると思うのです、時間軸を逆に考えてるとそうなるという事だと思うのです。

そして、わたくし自身も Iさんの私の中での存在性は、私自身が感じる処であって、わたしが彼女との関係の質をどのように判断するかは、Iさんではなく、私自身にかかってきていると思うのです。

お互いが平等にいつでもお互いの変化に応じるような関係の質の維持を努めているという事だと思うのです。


ところで、この元イタリア人で今メルボルンにお住まいのキアラさん、、、
面白い発見があったのです。と、、いう事で、、おやすみなさい。


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from: 沙羅さん

2009年04月04日 23時12分26秒

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「Re:心を読むとは?」

ネットが身近な存在になって、大半の連絡もメイルを通してコミュニケートするようになった。
、I T 関係の毎日の技術進歩にさいし、世界に住んでる人達とこんなに手頃に交流ができるようになった事を考えると、
ネット世界の手軽さの為に生じた、人間と皮膚接触をしたいと言うコンタクトや欲望を前ほど必要としなくなった、、、、云々と言われる西洋での批判を聞く中、

しかしいーー、
自分自身の感覚<知覚>能力が衰えるのを、前もって察知して自分自身コントロールを任されている、、という事、
闇雲に、このような便利な機械に委ねて、そのような機械がないと時間がつぶせない、、というような受動的な主体の姿勢にならないように絶えず、客観の目で自分自身を観る事が必要かもしれないと
思うのです。


メイルという手段を用いて、まだ10年も経っていないとおもうのですが、
いつの時も、だいたい10人くらいは、頻繁にメイルを交わす友人達の存在があった。

何故か、皆何がしかの文才能力があるような人達が多かったような気がするのです。

どの人も大概、変わり映え
しない、仕事場と家庭の往復または家庭人または仕事中心という日常生活の中で、、立場は色々でしたが、それでも皆それなりに、
自分の考えとしているところを、自分自身思うところを、
発起させて、私と関係を築きあげてきた。年代も性別も立場も役回りもマチマチ、、、であった、、


中には、毎日メイル交流するという、、、
身にふりかかった出来事における心情を綴ってこないとならない人もいた、、、、


数年以上経つと、、
それが潮を引くみたいに、、、
毎日綴ってきた情動メイルを交わしてた関係が、スーとそのような関係をしなくても、、いい次のステップに移り変わっていく、、、、
又新しい人と、新しい関係が生じるのだ、、、

人生とは、真もって、、、不思議ぃーー、、


存在がなくなるのか? 必要としなくなるのか?
新しい人間が現れやすいように、場所を空けるのか?
よく、分からないのですが、、、

そのような人の出会いの流れがあるような感じがする。
自分も変わる、、他者も変わる、、

変われば、今までと同じ関係の仕方や結ぶ事はできなくなり、又違った関係や結び方をお互いが努力しないとならなくなるのは、当然にも思えるのです。

必要とされて結びつくのではなく、

求め合って知らない人同士が結びつこうとする、、というのが精神世界での、魂の出会いではないか?とも感じるのです。

知らないのに、何故?求め合うのか?
という疑問をお持ちかも知れないですが、、

求め合うというのは、視覚や肉体の感覚器官に委ねているとそのような考えにいたるのだと思うのですが、

時間と空間のない世界の出来事というのは、
見る前、会う前の感覚やオボロゲな記憶が、暗中模索をしながら、
逢わなければ、ならない人に逢う

逢いたい人に逢う、、、という実体世界の出来事として解釈されてしまうんじゃないでしょうか?
因果関係が前世や過去世と言う人間関係に影響しているのであれば、人の出会いは、偶然はなく、逢うべきして逢う、、という事が成り立つかもしれません。

人生はあっという間、、あっという間に死んでしまうと思うのです。。

この世で精神的な充足感を得る事ができる人間関係を結ぶ事が出来ず、絶えず何かしらいつも、いつも、、不足感、欠乏感を感じながら死の時を向かえる、、、

万が一輪廻のサイクルで回っているのなら、、

そういった、魂は、来世も、又おなじように探し求める、、自分に不足しているもの自分が感じる欠乏感、、何かが足りない、、自分が幸福な気持ちを得られない、、何かを何かを、、又来世で探し求めて、彷徨うのではないか?、、、

感性を磨くというのは、そのような逢うべき人と逢い、、その人達と
の間に起きる情動運動によって、人間的な経験や共感や体験によって、他者の気持ちがわかる、、他者の考えている事が感じる事ができる、他者と気持ちよい関係が造れて、いつも、他者にとっての無言の存在のあり方になる事だと思うのですね。

そういった意味をレヴィナスは、近代哲学のあり方として書き記し、12月25日にこの世を去ったのではないか?
と思うのです。

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from: 沙羅さん

2009年03月24日 05時40分21秒

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「Re:Re:Re:心を読むとは?」
めるろ〜さん
 もう、、いじめに関しては、、
     なんというんでしょうかねえ〜・・・

    いじめの特徴が、陰湿というか、隠蔽化というか、閉じこもった特徴をもつんですよね。
    
   いじめをする子供に何故?いじめをするのか?
   と、聞くと

   1) 苛めてない・・と応える。ふざけてる、遊んでいると応える

   2) 苛めているのではなく、相手に注意していると応える
      
   3)  いじめという言葉はつかわず、その子供を攻撃したり、非難、したりするとおもしろい、、、と応えます。


 1)の答えは、言い逃れによる答えです。
   つまり、いじめをすると、学校や親から、怒られるという自覚がある子供です

  2)と 3)が、大変問題です。

   2)は、いじめられる子供は、ちょっと、反応が機敏な子供よりおそいかもしれません。体育もいつも、体力的、運動神経的にも、皆よりおくれるというイマージュが、回りにぐずぐずしているという感じをもたすらしいんです。もちろん本人は、一生懸命なんですけどね〜
跳び箱でも、軽く4段、5段、跳躍力ある子供は、飛びますが、、
飛べない子供や恐怖感が自分を支配すると、飛び箱の上に最初から坐るような感じで、助走のスピードもないので、飛ぶ前から察しがつくんですね。
そのような、現象も全て、相手の非協力的態度とみなし、緩慢な動作に注意し、その者個人を注意するらしいんです。
      ここなんです。対峙世界、、というのは、
      個人に意識がいっているんです。
      つまり、他者と自分は、違うものとみてしまうんです。
      つまり、自分は、このぐずぐずしている子供みたいに
      なりたくない、、という気持ちが存在しています。
      つまり、一種の嫌悪感です。

      しかし、これは、結局自分自身の中への嫌悪感になるんです。   
       詳しい事は書きませんが、
       自殺と他殺が裏返し、背中合わせ・・という
       事に繋がるんです。
       人を憎むと同時に自分も憎む<許せない、許容できない>事になります。
     自分の中の弱い部分には、蓋をしてしまっていますから
     なかなか、潜在意識はでてきません、
むしろ、ナルシストというのは、結局他者を憎む事がないんです。   自分を愛するものは、他者も愛します<他者を求めるではなく、愛します>
     むしろ、自分自身が愛おしくてしょうがないくらいの方が、いいんですけど。

他者との差異ばかりに注意を注ぎますから、自分よりちょっと秀でた人にも、すぐ意識をもってかれてしまうようなんですね。

 皆と一緒に出来ない、ちょっと気後れがちな子供を苛めるのは、
その子が、団体の足を引っ張ってるとか、、その個人を非難して途方にくれるような嫌がらせをしたり、または、からかいの言葉を浴びせて、窮地に追い込むという事もするんです。
手伝って、一緒にやろう、、という気持ちは、ないんですね。
手伝ったら、返って自分の能力を低く判断されたり、自分の勉強時間が足りなくなる・・とか思うらしいんですね。
 
 一番、やっかいなのは、
  
   3)なんです。しかも苛めた・・という言葉は使いません。

     その子供を攻撃したり非難するとおもしろいと言います。普通は、面白いとは言えないんです。人間的な感情が少しでも芽生えていたら、面白いという感情はあっても隠すのですが、
 これが面白い・・・と言うんですね。
弱いものがぎごちない動作をしたり、うまく弁明できなかったり、困って泣いたりしているのを見ていて、面白い・・と〕言うんです。
しかも、万が一、そのような子供が、皆の羨望の的になっていたり、すればするほど、攻撃するのは、面白いと言います。
それだけでなく、困った姿をみたり、回りから、からかわれたりする立場に逆転すると、ここぞとばかり、引きずり落す機会をねらっていますから、もっと手段は、悪質化します。

これは、残忍なんです。

このような、残忍性をもつ子供に共通する感情は、闘争心、敵意、
軽蔑、無視、冷淡、、などなどです。

これは、もちろん大人も同じです。
言説を分析すればわかりますが、言葉の、はしはしに、人間らしい暖かな言葉とは正反対の残忍性を含む、性格を現した言葉が発せられますし、想像がつきます。

よく、書き込みの流れにもありますが、
独立した主体の個というのは、
情勢が、どちらかが、優勢になろうが、いきなり優勢になった方の見方をするような、書き込みをしないはずです。
自分は自分、他人は他人であるという、確固したものが、あるはずなんです。
子供の世界なら仕方ないですけど、これが大人の世界にも同じような現象ではあまりにも情けないです。たとえ、自分の気に入らないと思われる方の言説が、何方かの言説によって、妥当性が強い雰囲気が漂っても、むやみやたらに、同意するという意識はフランス人にはありませんし、むしろ返って、同意する行為には出ないはずなんです。
ここが、面白いです。人と同じであると見なされるのが恥ずかしいと思ってるふしがあります。利己主義、個人主義と外国人には不評なフランス人ですが、これは、むやみヤタラに、同化して徒党を組むような事は政治運動以外はしない
、同じ人同士、組み合わない。一緒と見なされたくない、、という力が、バランス力を保っているような感じします。あくまでも、個で勝負する・・という感じらしいんです。

反対に、皆が皆違う事をいいますし、誰一人と他者に同意しないのですから、妥協点が無い訳なんですね。
それで永遠と、終わりが見えない、議論をするんですけどねえ、、何時間も何日も一日中、するんです。議論だけは好きですから、

何しろ、高校のバカロレアの試験は、たった一問の質問に解答時間は4時間ですから〜・・・・4時間、永遠と、質問の答えになる叙述論文を考えないとならない訳なんです。
紋切り表現では5分も、持ちません。
そういう彼らが、議論をしだすと
、話は全然進みませんし、何も決まらないんですね。
それで、とうとう、議論のし過ぎで体力なくなってきたところで、ざーと、誰かが適当なところで纏めて決めてしまうんです。

一体、いままで、何時間も何日も、議論してきたのは、何の意味があったのか?みたいな、狐に包まれたような展開で、さ〜と決断してしまうんです。

・・・・・と、話、ずれましたけど
色々他の国の特徴も一長一短ですので、いかにどのように自分の立場や自分の居る場所を把握できるかは、他者との共感性によるしかないと思うのです。

この共感性が、いじめをする子供には欠けてるんです。
ひとことでいうと、やさしさや思いやりだと思います、

むしろ、優しさや思いやりを感じに飢えている人は、反対に自分との関係を求め強めたりします。無害な人間とみなすとともに、安心するんだと思います。これは、大人の関係に生じる場合が多々あります。

何でも、受け入れてた優しかった家庭から独立しないといけないからなんでしょう・・と思います。

いじめは子供だけに関わる問題ではなく、大人も全て関わっている人間が根を生やす土壌の質にあるんだと思うのです。


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from: めるろ〜001さん

2009年03月23日 05時01分56秒

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「Re:Re:心を読むとは?」
2ちゃんねるにいると、誹謗の意味で絡んでくる人がいるのですね。
しかし、そういう人は子供であるとか未熟であるとか言う地点で見ると、案外つぶせるものですね。

子供はそうは行きません。真剣に捉えてしまいます。
ネットでの書き込みに自殺するという自体はそういうことを言うのでしょう。

<ネットいじめをする人は、精神的に未熟である。>
こういう地点に立つべきですね。
ネットいじめは書く人が面白がって集団化する。
書かれた本人は一人である。そういう時に自己の拠り所が無くて
自殺に追い込まれるのですね。
書いている本人たちは、人の死をも面白がっているのですね。

自分で書いておいて、他人事なんですね。
「みんなが書くから・・・。」
「みんなが書いていたから・・・。」
「面白いから書いた。」
など、
「意図的に貶める為に書いた。」以前である
という感情で書いたものが、書き込まれた者にとって、
選択が出来ない文字列で迫ってくるのですね。

知性を持った大人ならいいですが、
知性を持たない大人や子供ならば、事態は深刻でしょう。

文字は形式を越えて迫ってくるのですね。
それを知っているならば、<そんな無責任なことは書けないでしょう。>今日はこれをいいたいです。

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from: 沙羅さん

2009年03月22日 04時13分28秒

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「Re:心を読むとは?」

わたし達が他人がどんな感じを抱いているかについて、なんらしかの知識をもつのは、

ただ想像の働きによって、だけだと思うのです。

想像の働きが、そのような知識をもつ上に役立つのは、

もし、わたし達が他人と同じ立場に立ったとすれば、私たち自身、どんな感じをもつであろうか?という事を
思い浮かべる以外には、何も方法はないと思うのです。

わたし達は、自分自身を他人の立場に置き換え、、、、
いわば、他人の身体に移入して、ある程度までその人間と同じ人格になって、その上でその人間の感じに関する何らかの知識を得る、、、という事が書かれているのは、
アダム、スミスの道徳感情論、なのですが、、

ここで重要なのは、想像の働きがいかに人と人とのコミュニケートに重要か、、だと思うのですね。

観察者は、想像の働きを介し、
「自分自身を他人の立場に置き換え」観念的な追体験によって、
他人の情操や情感を感得して、
{同類情操」が生み出されれば、その他人と観察者との合意や是認といった関係が築く事ができると思うのです。

スミスは、
「わたし達は、いわば自分自身の自然の立場から離れて、自分自身の感情や動機を、一定の距離をおいてながめるように努力するのでなければ、けっして自分の感情や動機を調べることも出来ず、それらについてどんな判断をつくりだすことも出来ない。
しかし、そうするためには、わたし達は、他人の目をもって、すなわち他人がわたし達の感情や動機をながめるとおりに、それをながめるように努力する以外に、どんな他の方法もありえない」

     と述べています。

当事者も、又同感によって
観察者の眼をもち自分の立場をながめるという、自己を客観化する能力の事ですね。
当事者は現実の自己を「客体」として対象化して、向かい合ってる主体は観念的な自己ですよね。
この観念的な自己は、内化した他人であったゆえに、「観察者」に転換 して観察者の眼をもって、{客観化した』自分の立場を観察する mmm、、とややこしいですが、、

自己を社会化、言説をもって自己の存在性を社会の中に位置づける

という、昨今大変な心理的な問題が社会問題としてクローズアップされてますから、続けます。

この観念的な自己が、内化した他人であった、観察者に転換し、観察者の眼をもって、{客観化した」自分の立場を観察する、、この地点において
{情感が形成され』、{観察者」の「同感」を得る範囲内に、自己を抑制する、、という社会の一員としてのコミュニケートによる共同体でいようとする、協調の念が働くのだと思うのですね。

この同感というのは何も、他者と何から、何まで、同じ意見でなくてはならないという、同質同化の事ではなく、むしろ、個の違いを認める上で、自分と全く違う他者と、コミュニケートが出来る、意思疎通や感情の共感を得る事ができるという事だと思うのですね。
まあ、ごく当然の事を述べているのでは、ありますが、、、
この社会化の運動を、他者に共感する能力=自己を客観化する能力と言い換える事が出来ると思うのです。
したがって、
自分を冷静に判断出来る人は、同時に他人の気持ちを理解しうる理解しうる人でもあると思うのですね。
自分が、感じなければ、何言っても許されるというような、荒らし行為がネット上の掲示板やブログ世界に多いという現象が
何故?
生じるのか?
何故?
そのような問題が生じるのか?
という問題視点に
目を向けるのと、
ただ単に、
「荒らし行為はいけない、」
「OOさんは、荒らし行為ばかりしている」
と、個人や、他者を指して、批判や制裁ばかりの意識ばかり強め、
対峙世界の中で、排他意識の風潮を強め、、そのような世の中つくりばかり、していても、
ますます人々は、恐れや不安から、他者と交わる事をしなくなり、引きこもり現象を起こし、又は他者の判断をおそれ、又は防衛本能によって、他者をやたらに威嚇したり、権力的に支配しようと、組み込む力関係をしょうじさせ、結局他者の言説を感じる能力低下、感性低下によって、たえず人を疑う疑惑感ばかし強め、なかなか、心を開く事は出来ず、表象的な記号だけの、心のない常に断定的な表現やお仕着せの表現で他者と関係を作ろうとしても、無理だと思うのですね。

理解過程についていえば、

他の人間の認識を受け取る場合において、
精神的的な交通上、言える事は、
観念的な自己分裂が必要であって、お互いの了解には要求されるんですね、他の人間が、自己の認識を表現によって精神的交通へと発達させる時、この認識が例え、現実的な自己の位置において行われたものであっても、受け取る個の人間として現実の自己のままでは正しく受け取ることが出来ない、、と宮田は共感理解過程<意識と言語>で述べています。





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