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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: めるろ〜001さん

    2009年05月10日 15時36分49秒

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    感想文『仏説 摩訶般若波羅密多 心経』

    以下感想文です。
    「仏説」と書いてある。仏様の言葉であるということですね。
    『般若心経』は小本(組み立てが小さいということ)であり、
    『大般若波羅密多経』大本の要約であるという。(異説あり)
    僕は、この発想にちょっと疑問である。
    詩歌と小説が同じもの同じ対象を書いたとして、小説の方が多くを語れるかというとそうではない。
    浮かべる場景は、詩歌の方が多い場合だってある。
    問題は、<文字の表現の先の場景>の話であって、
    小説はつらつらと読めるが、場景は多いというものではない。
    漢検で、清水寺のご住職が一文字を書くのが恒例となっていたが、
    あの一文字で、一年を語ろうというものなんですね。
    その一文字の広がりが多種多様で、観ずる者によって、
    感情も加わるでしょう。

    宮坂氏が語っておられるのですが、大本に無くて小本にある文字もあるのですね。<表現という場景>のことなんですが、
    小本である『般若心経』を繰り返し読めば浮かぶ情景は、
    小説のように大本だと通り過ぎてしまうものなんでしょう。

    で、「仏説」に戻りますが、仏様の説ということはいえるのか?
    ということですね。
    上座部仏教にしても大乗仏教にしても、仏様の説いた、
    一切皆苦、八正道、四諦、涅槃、戒律などを継承していれば、
    仏説と呼べると思います。
    「結集」による<仏説の継承>があって、早くて仏滅100年後に
    申し合わせ(照合)があったのですね。
    ということは、現在のようにレコーダーも無ければ、文字に残すこともしなかった「仏説」は、何かの象徴的な要素を含めば、
    「仏説」と呼べるモノになってしまったのですね。
    それが、一切皆苦であり、八正道であり、四諦であり、涅槃である。(と思われます。)

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コメント: 全9件

from: めるろ〜001さん

2009年07月07日 13時27分46秒

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「:Re:Re:Re:感想文『仏説 摩訶般若波羅密多 心経』」
少し開眼した。
よく文章が浮かぶということです。

先達との訳の違いが出てきました。
浮かぶ像が若干違うのですね。

空海の短い文章に苦労されて居られる方もいらっしゃいますが、
少し抜け出たように思います。

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from: めるろ〜001さん

2009年06月21日 10時54分50秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:感想文『仏説 摩訶般若波羅密多 心経』」
沙羅ちゃん

> 段階がレベルがあるのだと思います。
> だいたい4段階あるのだそうです。
>
屋上があるのを知っていますか?

『大品般若経』によるとそうなるのですね。

龍樹もこの『大品般若経』から『大智度論』を
書いたそうです。

しかしながら、小本の『般若心経』の方が、
多くの人に読まれている。
いや、読まれることを前提として書かれている。
そこに、空海がいうように心経全体がマントラである。
という説も成り立つのですね。

4段階は、サンスクリット原典に主語と述語を付け加えながら読んだらそうなってきたのですね。



> 体験、体感を伴いながら一段階づつ、上の段階にいけるそうです。
>
> 体感、体験というのは、言葉の働きや意味合い、各人各人使い方も感じ方も違うので縦横無尽にあちこちから眺め、時間軸をはずさないと、観得てこないと思うのです。
> 原因、結果が逆になる事など、頻繁にあるので、
> 何が因果になっているのか最初は見えないようなんです
> 深層心理、潜在意識を読むことは表層意識でかかれる記号の解釈以上に重要であると思われます
>  
>
>
>

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from: 沙羅さん

2009年06月20日 20時47分08秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:Re:感想文『仏説 摩訶般若波羅密多 心経』」
> 舎利弗という位置、
> 説一切有部、アビダツマの代表たる舎利弗は、
> 観自在菩薩からもう一段上がりなさいといわれる。
>
> 一段上がったら、更に一段上がりなさいという。
> そこが菩薩道の位置なのですね。
> そして、その様子を眺める釈尊が陰に隠れている。
>
> そんな感じです。

、めるろ〜さん

わたくしも、そのように思え感じます。

段階がレベルがあるのだと思います。
だいたい4段階あるのだそうです。

体験、体感を伴いながら一段階づつ、上の段階にいけるそうです。

体感、体験というのは、言葉の働きや意味合い、各人各人使い方も感じ方も違うので縦横無尽にあちこちから眺め、時間軸をはずさないと、観得てこないと思うのです。
原因、結果が逆になる事など、頻繁にあるので、
何が因果になっているのか最初は見えないようなんです
深層心理、潜在意識を読むことは表層意識でかかれる記号の解釈以上に重要であると思われます
 


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from: めるろ〜001さん

2009年06月20日 06時33分44秒

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「Re:Re:Re:Re:Re:感想文『仏説 摩訶般若波羅密多 心経』」
舎利弗という位置、
説一切有部、アビダツマの代表たる舎利弗は、
観自在菩薩からもう一段上がりなさいといわれる。

一段上がったら、更に一段上がりなさいという。
そこが菩薩道の位置なのですね。
そして、その様子を眺める釈尊が陰に隠れている。

そんな感じです。

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from: めるろ〜001さん

2009年06月02日 10時54分29秒

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「Re:Re:Re:Re:感想文『仏説 摩訶般若波羅密多 心経』」
沙羅ちゃん
  
>  ところで、いつ頃から、哲学、、PHILOSOPHIE フィロソフィーと言う、言葉が、発生して哲学の事を指す音素になったかというと、
> やはり、紀元前6世紀くらいのギリシャの数学者にたいしてを哲学者であると、、言いたかった、、現したかった、、、のに、数学者<この記号は存在してた>と哲学者の違い・・・狭間に落ちたんでしょう、、、、
>
> 現す言葉が存在しないというのは、難しいと思います。
>
> それで、出来たのが、智<知>への愛・・・というラテン語で、PHILOSOPHIEが出来たらしいです。
>
> 紀元前6世紀頃ですから、、、まあ、お釈迦様誕生と、あまり差は年代的には、変わらないようです。
> まあ〜・・あれですね・・
>
> 世界的な現象というか、、、地球の外から現象を眺めると、、
>
> そんなものかも知れません。
>
> 偶然の一致というのものではなく、
> 生まれるべき時に生まれる、、、というか・・・
>
> 必要な時に必要な思考が生まれるというか、
>
> 面白いですよね?
>

人間にとって「必要な時期があるかもしれない」というのは
あると思います。
脳の成長と共に他者との疑問も解明しなくてはいけない。
真理というのは、自己の思考の中にあるのですが、
その真理を真理と認めるのは、他者でしかないのですね。
空海がいうのは、その他者を人から昇華させて、法にまで辿り着かせることが最初の目的です。そこからが空海の論理の展開なのですね。
そこが理解できていないととんでもない空海像が出来てしまいます。

在家ながら、一助になりたいと思います。 

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from: 沙羅さん

2009年05月12日 16時06分42秒

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「Re:Re:Re:感想文『仏説 摩訶般若波羅密多 心経』」
めるろ〜さん

 > 一番の智慧者に、説法しているんですね。
> 『般若心経』というお経は、そういうお経なんです。
>
> えっ。期せずして、sophie の文字が出て来ていますね。
>
> 看取・・・観ずる。
> sophie ・・観ずる。
>
> 「自在に観ずる菩薩が、一番の長老の智慧者に説法するに・・・。」
> と始まるわけですね。
 

そういえば・・・フランス語<仏語、何故?仏と言う字が仏蘭西を現す勢いに乗ってしまったのかしら?フという音素を現す漢字は、仏以外に、夫、赴、符、富,分 武・・・・ETC 自由自在に考えると、いくらでも当てはまりそうな漢字は見つかるんですが、、
何故?  仏<ほとけ>の仏を繁用する傾向に、人々が反応してしまったんでしょう?>

これ、、たま〜〜〜〜〜〜〜〜に、いらっしゃるんですよね?

「仏蘭西は、仏教国じゃないですよね〜?」・・・・・と、マジに聞かれる日本人の方が・・・・・・

 ギャグとかじゃなくね?・・・マジなんですよね〜〜〜
 
 まあ・・・そんなものだと思うのです。

 
 それで、フランス語のWIKIPEDIA で、名前の SOPHIE ソフィーを
 調べると、、、
 
 哲学、PHILOSOPHIE フィロソフィーの、ソフィーSOPHIEであると
 説明が載っているんです

 PHILO  フィロは ラテン語の愛する
 SOPHIE  ソフィーは、智慧 の智・・・という意味合いがふくまれて、普遍化したそうです。
 
 ところで、いつ頃から、哲学、、PHILOSOPHIE フィロソフィーと言う、言葉が、発生して哲学の事を指す音素になったかというと、
やはり、紀元前6世紀くらいのギリシャの数学者にたいしてを哲学者であると、、言いたかった、、現したかった、、、のに、数学者<この記号は存在してた>と哲学者の違い・・・狭間に落ちたんでしょう、、、、

現す言葉が存在しないというのは、難しいと思います。

それで、出来たのが、智<知>への愛・・・というラテン語で、PHILOSOPHIEが出来たらしいです。

紀元前6世紀頃ですから、、、まあ、お釈迦様誕生と、あまり差は年代的には、変わらないようです。
まあ〜・・あれですね・・

世界的な現象というか、、、地球の外から現象を眺めると、、

そんなものかも知れません。

偶然の一致というのものではなく、
生まれるべき時に生まれる、、、というか・・・

必要な時に必要な思考が生まれるというか、

面白いですよね?

  

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from: めるろ〜001さん

2009年05月11日 21時55分10秒

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「Re:Re:感想文『仏説 摩訶般若波羅密多 心経』」
>沙羅ちゃん

> 一番最初に、
> 仏説って何?
> と般若心経見た時一番にふしぎな言葉・・思いました・・
> これから、お経のはじまり、はじまり〜〜
>「ぶっせつ〜〜ま〜か〜・・・・・と
> 音素が放たれるんですよね〜?
>
『般若心経』が他の経典と違うのは、仏説と言いながら、
「如是我聞」と始まっていないのですね。
「観自在菩薩」から始まっている。

「如是我聞」(仏様から聞きました。)と始まっていない。
これは、仏様が禅定に入り長く瞑想をしているので、
代わりに、観自在菩薩が説いた。誰に?舎利仏に説いたのですね。
何故に、この二者か?
「観」は、サンスクリットで、ダルシャナといい、
それは、物事を観ずる。つまり、「哲学する」という意味です。
「その観ずることが自在の菩薩様が・・・。」となっているのですね。
じゃあ、舎利仏とは誰か?長老で一番の智慧者ということになっています。
一番の智慧者に、説法しているんですね。
『般若心経』というお経は、そういうお経なんです。

えっ。期せずして、sophie の文字が出て来ていますね。

看取・・・観ずる。
sophie ・・観ずる。

「自在に観ずる菩薩が、一番の長老の智慧者に説法するに・・・。」
と始まるわけですね。

ところで、「にゃん」って。。。(^^;

ラングドン教授に、sophie.
「天使と悪魔」がもうすぐ始まります。  

>   ハ?
>      そういえば、i さんに書かれた伝説は、
>      めるろ〜さんもご存知の場所の名前でしたけど、
>      あの名前の漢字は当て字なんでしょうか?
>      
>      看取るの看なんですよね?
>
>      うぅぅ〜ん
>
>      なんだか、ヘブライ語でアトバッシュをsophie
>       智慧という暗号をみつけた、ダヴィンチコードの 日本語版みたいになってきたにゃん・・・
>
>
>    

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from: 沙羅さん

2009年05月10日 22時09分51秒

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「Re:感想文『仏説 摩訶般若波羅密多 心経』」
めるろ〜さん


> 「仏説」と書いてある。仏様の言葉であるということですね。


そうそう、、これなんです。
一番最初に、
仏説って何?
       と般若心経見た時一番にふしぎな言葉・・思いました・・

  
  これから、お経のはじまり、はじまり〜〜

「 
 ぶっせつ〜〜ま〜か〜・・・・・と

 音素が放たれるんですよね〜?
 
  ハ?
     そういえば、i さんに書かれた伝説は、
     めるろ〜さんもご存知の場所の名前でしたけど、
     あの名前の漢字は当て字なんでしょうか?
     
     看取るの看なんですよね?

     うぅぅ〜ん

     なんだか、ヘブライ語でアトバッシュをsophie
      智慧という暗号をみつけた、ダヴィンチコードの 日本語版みたいになってきたにゃん・・・


   

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from: めるろ〜001さん

2009年05月10日 19時05分42秒

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「Re:感想文『仏説 摩訶般若波羅密多 心経』」
>「結集」(けつじゅう)により「仏説」は、何かの象徴的な要素を含めば、「仏説」と呼べるモノになった。
までは、前回語りました。

> それが、一切皆苦であり、八正道であり、四諦であり、涅槃である。
「一切皆苦」とは、現世の世界のことであり、<現世は苦しい>といっているわけではない。
「苦」とは区別、差異、のことであり、人と人が違うことが理解しあうにはその間に差異がある。また、社会現象を見るのに色々な人たちがいるが、それは「区別」される観ぜられるということです。
区別し相手のことを良く知らないと結果として「苦」になるということですね。
<世の中何事も「苦」である。>と嘆いたわけではなく、
普遍的真理、思考の最高知に達するには、色々のことを捨てて、
修行しなければならない。そういう意味での厭世的行為なのですね。別に見捨てたわけではなく、捨てなければならなかったのですね。「一切皆苦」それは、「最高知に達するには」の接頭語が付いていたのですね。そして、それを取捨選択し捨てなければならない
自分の心の中が「苦」であることは否定する余地が無いですね。
現世、世俗に対する表裏一体としての「一切皆苦」それは修行の心、聖なる境地を指す言葉となったのですね。

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