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「哲学〜真理〜探求について」

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from: めるろ〜001さん

2009年02月16日 12時21分44秒

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沙羅ちゃんとボティサットヴァ

沙羅ちゃんの専用コーナーを作っておかないとと思い、スレッドとして作製いたしました。ご自由にご投稿お願い致します。

沙羅ちゃんの専用コーナーを作っておかないと
と思い、スレッドとして作製いたしました。

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from: 沙羅さん

2009年06月20日 16時53分50秒

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「Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」

主体と客体

これすごく大事ですよね?

現象学では大変重要ですよね?

人と話していると、不思議に思うのに、

こちらの述べたい事.明らかに誤解しているであろう。。。というのが
対話者の返す言葉によってわかるんですね....

こちらの述べたい事、、
つまり客体思考の発言を、
対話者は、主体発言だと思って、「貴女は、間違っている」とか
言ってくるんですね〜・・・・・

客体という事はどういう事なのか?
よく理解していないようなんですね。

ひどい時には、
貴女とは、話になりませんとか、もっと酷い時には、対話者を誹謗中傷する事なんですね〜・・・・

客体に立っての発言と
主体に立っての発言・・・全然」違うはずなのに、

まるで、わたしがその対象者をそのように思っている、そのように判断していると思うらしいんですね。

まず、日本語にフランス語のCA<指示代名詞>と同じ使い方をする日本語がないからだと思うのですね。

対峙世界ばかり作り上げて、他者が自分の中に存在せず、いつも敵対者のような扱い方や他者と関係をっ簡単に切ったり、他者を遠のけたり、、、他者を嫌ったり、自分の家の中に上がるのは、気に入ったひとだけ、、とか安心できる人だけ、、とか信用置ける人だけという選択しないとならない、、という行為じたいもすべて他者は自分の中に存在していないのでしょうと思うのです。


フランスに渡った20年位前の話、小さな山の村に住んでいて、道行く人が、顔を会わす度に、

[CAサ VA?ヴァ?]と
聞くのです。

日本語の辞書には「元気ですか?」という訳になってる。

これは、間違いなのです。

CAは、指示代名詞なので、私を指しているのではないのに、

「元気?」と訪ねる時、 「CA VA」サヴァ?と聞きなさい!という風に、フランス語授業では教えるらしいのです。

しかし、普通に考えたら、
元気ですか?と誰に聞いているのか?というと
その対象人物がいるのだから、
貴方、君、YOU
なのです。

誰もいない、空気に向かって CAサ VA ヴァ?「元気?」

と聞く人がいたら、まちがいなく、日本では、頭が少しおかしい人と思われるのです。
別に思われるのはどうでもいいのですが、
ちゃんと言葉を考えるということは、他者が使っているからとか、普遍的に使われてコミュニケートできるから、考えなく使うという事は、あまりにもなさけないのです。

自分だけで判断して他者との合意を得る確認も怠るというのも、よくない事だとおもうのですね。
一人で、判断して一人で怒って、一人で他者とスッタモンダしているのです。

それなら、
判断はよせばいいのにと思うのです。

何故?

そのような事を他者は放つのか?
という疑問を投げかける方が、

他者自身も無意識からの発言に違いないですから、
発言の元、、つまり、因果<CAUSALITE>を観る方が良いとおもうのですね。


そうそう、それでこのCAです。
独身だった頃、インターネットなんてない時代ですから、家にいても暇なので、しょっちゅう外に散歩にいくのでした。

朝、8時パンを買いに、、出かける。そこで、近くの八百屋のおじさんに「CA VA?]

と声をかけられる

11時頃、お昼の買い物をしに出かける
そこで、また近くの八百屋のおじさんもパン屋のお姉さんも
金物やのお兄ちゃんも、顔見知りになるとp、みな「CA VA?」と聞いてくる。
午後は、コインランドリーに行って、洗濯物をあらうのに、また外にでて
同じ顔見知りの人たちに、同じ言葉 「CA,VA?」をかけられる。
毎回同じ、毎回同じ、、

正直、あまりにも、サヴァ?元気?、サヴァ?元気?

と聞かれるので、辟易する。
なぜなら、真冬など、マイナス20度にはなる寒さが厳しいところに住んでいたのです。

「CA VA?」元気?

と聞かれたら、

「元気じゃなかったら、マイナス20度以下の外を、闊歩しているわたしはいないでしょうに〜?」

と、言い換えしたくなる自分がいるのです。

かと思うと、あまりにも頻繁に出あう度に、「元気か」「元気か?」聞かれると、終いには、

「元気 CA VA?」フランス人

「さっき、20分位前に、ここ、スキップして通った私を見たでしょう?
マイナス25度の外気温の中をスキップしながら行く人は、20分くらいでは倒れたり、死んだりしない。」

と、言いたいのを。抑えている、、というか、言葉がその感情を伝えるほど、細やかな表現力が身ついていないので、適当に
 「だいじょうぶ〜〜
CA,VAだから、だいじょうぶ〜〜」と単純な表現単語、でごまかす。



これは、私に聞いているようだけど、わたしを包んでいる空の中にいる私は、調子いいの?という意味合いなのです。

決して、私自身が、病気をせず、元気にしているのか?と聞いているのではないのです。

たとえば、お腹が痛くて、お医者さんに行くとする。

お医者さんが最初にきくのは、

日本のお医者さんみたいに、「どこが具合が悪いのですか?」という質問はしないのです。

「ケスキヴザリーブ?」ナノデス。直訳すると、

「何か、貴方に、辿りついたのですか?」
とか、「何が、貴方に到着しましたか?」
「何が、貴方にやってきましたか?」
「何かが貴方に起こりましたか?」

という風にお医者さんは聞くのです

何故?
辿りついたとか到着なのか?というと、
英語でいうARRIVAL
と同じ動詞、ARRIVERを使うからなのです

お腹がいたいとか
頭が痛いという表現は患者さんの主体発信であり、
その前に私たちが存在する世界、、
その世界が、私達に何かを起こされる、何かが私たちの身体上に生じる、、
そのような客体思考が必要だと思うのですね。

ただ、「お腹いたい」
ただ、「頭痛い」と自分の感情を一方的に相手に発信するのではなく、
自分が存在している世界を、ゆっくりと、周りから自分の外から360度。自由自在、縦横無尽に眺めてみるという事だとおもうのですね。

言葉と思考、、
思考は言葉を超えないはずですから、同じ言葉を使う人たちは同じ言葉の使い方や判断基準からは離れられないはずなんです。

何故ならそれがコミュニケートが頼っているからなんですね。

普遍というのは、世界に通用する言葉を超えたところでの、本質、真理に近いところのものだと思うのですね。

言葉は、過去形未来系、時間軸の一致も必要ですし、時間軸をめちゃめちゃに現すと、論理もなにも無くなってしまうと思うのです。
だからといって、3次元での世界でしか通用しない時間や空間の存在する、決まりごとの表記の仕方にのっとり、コミュニケートするという事は、昔のギリシャ哲学の人達はこれを聞いたらどのように
応えるのでしょう? 

ネットも何もない、字も書けない人達はそれでも人々との会話や対話の中に何かがある事うを感じ取ってきた。

他者の放つ声には、死者の声を代弁していたりする。
ハ!と思わされる。

何故?

この人
すでに死んでしまった、あの人の口癖や、言葉のセンテンスやイントネーションまで、似て放つのであろうか?・・・・・と知らない人が放つ言葉に、思わされる言葉が、確かに存在する。

死者は生きている。

私達の周りに居る。

私達を守る為に?
私達を苦境から助けるために?

その人、その人自身の心構え、心の持ちよう、
他者の心の接し方如何で、どうにでも感じたり、感じなかったり、するのであろうと思うのですね。




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