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「哲学〜真理〜探求について」

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  • from: めるろ〜001さん

    2010年04月05日 13時34分50秒

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    『狂人三歩手前』一編づつ

    先ず、昨年カトリックの洗礼を受けた奥さんとの揉め事

    まあ、正直言って、洗礼を受ける前に
    「俺はカトリックは偽善だと思っている。」と告白し、
    「洗礼は揉め事を起こすからやめろ。」というべきだったでしょうね。放置しておきながら、一緒にウィーンに行って文句を言う。
    これは哲学者のすることでしょうかね。

    ウィーンのクラシック番組が少ない件、
    これも、当然で大衆音楽というものがあり、対比するわけじゃないですが、一つの極にクラシック音楽がある。
    大衆音楽は、ハートビートだったり、激しく16ビートだったり
    そういうリズムにメロディを載せている。

    しかし、クラシックは違って、リズムもメロディも
    楽器それぞれの能力を最大限に理解し、奏でていくものですから
    大衆がコンサートに行ってすべての大衆が喜ぶわけではない。
    そういう複雑さに理解がある人たちが好む音楽なのです。
    番組が少ないのは、他の条件もありますが、
    そういう背景にあるので、当然といえるでしょうね。
    しかし、普遍性をもって音楽を作っているのは
    クラシックの方です。
    ついでに言えば、財を持っている人が多い背景もあって、
    大きな建物、道路、自然に至るまでそこかしこにある。
    それがウィーンという街であるというわけですね。
    中島義道が好もうが嫌おうが、全く関係のないことなのです。
    それが普遍性への音楽というものですね。

    人の感性の普遍性への挑戦、
    それがクラシック音楽であると思います。

    大衆音楽は、多くは感情にうったえていて、
    好悪の差が激しいですね。
    これは普遍性を持たないということです。

    『四季』にしても『運命』にしても
    『惑星』にしてもそれを聞くと、その表現が人種や文化を越えて
    理解される。

    そういう差があると思います。

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