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「哲学〜真理〜探求について」

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  • from: めるろ〜001さん

    2010年04月07日 11時05分06秒

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    身体の時間、物質の時間、論理の時間

    <物質の時間>は、重力の影響がなければ、刻々と流れる時間です。
    <身体の時間>は、自己の意識が明確で、内的要素や外的要素に影響され、身体が感じる時間です。
    <論理の時間>は、数学的に瞬間であるとか、思考として永遠であるとか普遍であるとかの時間です。

    <身体の時間>は、皮膚で感じ、意識でずっと長い時間思考していた。または、すごく短い時間思考していたのに、
    実際の<物質の時間>は、長かった。
    こういうことは日常良くある体験だと思います。

    それに対して、<論理の時間>は、それに取り組まなければ見えてこない時間です。
    神学や哲学などは、この<論理の時間>を尊重し優位に見ている
    節がある。
    それは、数学的手順であるとか『聖書』などの象徴的痕跡を
    取り上げ作り上げることで、瞬間の時間や永遠の時間を想定することが出来るからである。
    しかしながら、この<論理の時間>は、<身体の時間>を越えて
    存在することは不可能なのです。
    身体の時間内でしか思考し得ないのです。
    しかしながら、永遠の時間や死後の時間を限りなく想像させる。
    この無限性が曲者です。

    幾度となく哲学者や神学者や仏教者はこの<論理の時間>に
    挑戦してきた。そういう歴史がある。
    その歴史の上で、今生きている人は、
    「永遠の時間があるじゃないか。」とか「死後にも時間がなかれている」とか「すごく短い瞬間の時間がある」とか想像する。

    これを<身体の時間>の中に納めようとしても、
    収まらない。

    人は<身体の時間>しか感じることは出来ないからである。
    勿論<論理の時間>の中で観測することが出来る時間もありますが、観測できるのと感じることが出来るのとは、
    その中の時間の意味として成立するのは、<身体の時間>しか
    感じることは出来ないのである。

    唯識のようになってきた。。。

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