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from: めるろ〜001さん
2010/05/02 08:39:09
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兜跋毘沙門天信仰について
歴史的なものを読んでいると、
どうも
<兜跋毘沙門天信仰>と
<毘沙門天信仰>と違うように思います。
もっと詳しいものが見つかるといいのですが・・・・。
止まってます。-
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コメント: 全13件
from: 沙羅さん
2010/05/11 17:29:41
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「Re:Re:Re:兜跋毘沙門天信仰について」
めるろ〜さん
それなんですが〜〔何が?」
わたしは、ず〜と、田村麻呂の蝦夷征伐の蝦夷という地域に不思議さを感じるのです。清水寺に、アテルイ(この漢字もすごく難しいけど、弓がついているので、おかしい・・と思っていたのです)
アイヌといっても、どこら辺までが蝦夷と表現出来るのか?も不思議でしたし、WIKIによると、
宮城県から北海道まで一帯を蝦夷と、表現していたらしいので、かなり広範囲なんですよね。
アイヌの起源ついては色々説があるのですが、同じ渡来人であったとすると、もしかしたら、後漢の血筋を引く田村麻呂にとってはアテルイの助命を朝廷に願う・・という行為に至るのも不思議ではないかもと思い、東北ではやっと、アテルイに対する観方を見直してきているようです。
大変な事なんですよね。死者の魂をぞんざいに扱うという事は、どんなに昔であろうと私達の今生きる時代に影響してきてしまうんです。
心や思いが残る(存在する)というのは、そういう事なので、見えないからとか、死んでしまっているから、、とか歴史の人だから・・といって、何も感じられないで無頓着に、生きている事は、何も自分の身に降りかかっている死者達の思いや心が観えないんです。特に日本の歴史上の人物の、死に方に疑問を覚えるんですよね。ほんとうに、浮かばれるんでしょうか?・・・という疑問です。
自刀が、ある美意識と判断しているのは、私達の自分勝手な判断で、実は、本人はそれしか残されていない・・という選択がない究極な死へのいき方を、受動的に選ばされているという、時から時へ繋がりの状態なんです。行為途上は能動的に見えるのですが、実は心は受動的な選択
の末の行為ですと、心は生への未練を残すので、魂は浮かばれないと思うのです。通時態表現に?意味が通じるというのも、そのような魂や心のパイプラインがあるのかもしれません。
なんと説明したらいいかしら
話し違うのですが、、霊能者というのは、波動があえば死者の思いを伝えてきますから、あまりメディア化されるのも、問題ですけど〜、
割腹行為も西洋からしたら自殺行為に見えるんですね。、、、
何故?
自殺行為はいけないと言われるのか?
という何故?
という理由がある訳なんですよね。
ただ聖書の何処かに書いてある・・・
という結果だけをみつけるのではなく、
言われるそれだけの意味があると思うのです。
そう言った事も色々考えるんです。
魂が浮かばれないというのは、苦しんだり、悲しんでいるのですから、そのような死に方をしてはいけないと思うのです。死に方であって死んだ・・という結果ではないんです。つまり、心が感じる何かだと思うのです。
メディアを見ても自殺場所に、霊が居座ってしまうらしいんですね。江原浩之氏など、自分に憑依させて、自宅につれていかれて仏前で家族と一緒に拝み、心を慰める・・・という信じられないような光景があるんですね。
ある意味、ショッキングな映像なんですが、信じるとか信じないという視点で見るのではなく、ここまで江原氏にさせてしまう・・という今の日本の現状が問題なんです。
つまり、世界には霊能者は沢山いますけど、
このような存在の形で現れてしまう・・・つまり、日本の霊能者が、このような現れの仕方でしか、存在出来なくなって来ている・・・という流れなんです。
これは、やはり日本という国は興味深いんですね。有能な霊能者や、ミッションを持たされてきている人達でさえこのような形でしか存在出来なくなって来ている・・・
救う人も救われる人も、昔の形、昔の現れ方で存在出来ないようなんですね。
確かに、昔はテレビも、電話もないですから、自然と必要な時に必要な人に遭わされる・・・という流れで人間は生活出来ていたようなんです。ですから、電波にのったり、宣伝したり何かを出版したりという現れ方ではなくて、自然の流れの中での普遍性、伝播力というのを持っていたのだと思うのです。
話しが逸れましたが、、
どうも、一つ気になるのが、涅槃は天国と同じような感じを擁く一般人も多いですよね?、死が、苦しみから解放すという目的場所になってしまう、途上の行き方に擦り違えられてしまう・・という状態も大変問題に思えます。宗教や信仰は、特にこの点を留意して欲しいと思うのですね。
とにかく、心理的に健康で健全な日常生活が営める・・・という本来の人間の姿へと・・・信仰や宗教が本当に存在して欲しいのです。日本人の他者に優しい本来の日本人の心を取り戻して欲しいと思うのです。いつまでも他者達と衝突し、いがみ合ったり、自国内で、同じ日本人同士でさえ苛めを生ませるというのは、大変な心情問題に思えます。
話しを戻し、
田村麻呂は、アテルイの助命の願いが受け入れられなかった時、大変失望したのだと思うのです。一部転記します
::::::::::::::::::::::::::::::
四月の半ばになって東北軍の総大将・大墓公阿弖流為(たものきみ・あてるい)が盤具公母禮(いわぐのきみ・もれ)など一族郎党五百人余りを引き連れて投降した。田村麻呂が首領二人を都まで連れて戻ったのが七月十日、公卿たちは挙って「朝威」(朝廷の威信)の高揚を誉めそやし、都は祝賀一色の雰囲気に包まれる。田村麻呂は頻りに二人の首領たちの「釈放」を求めたのですが、公卿会議の下した結論は「斬首」、八月十三日、捉えられた二人は河内国椙山で無念の生涯を終えたのです。投降から都入りまで三カ月かかっていること、そして田村麻呂が態々「生かして」二人を連行していたこと等の状況から推理して、田村麻呂は二人の「助命」に、ある程度の自信を持っていたと思われるのですが『虎を養い、患いを残す』だけだと反論され、嘆願は聞き届けられませんでした。(「日本紀略」は公家たちの様子を『而公卿執論云』と表現しているので、議論が相当白熱したものであったことは確かです)
::::::::::::::::::::::::::::
アテルイの観方も、やっと(1200年も要す)最近見直してきているようですし、死者が常に生者と生きるというのはそういう事なのだと思うのです。時間と空間が存在しない層での、心の存在なんです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%A4
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%A6%E5%A4%B7
あ〜そうそう、蝦夷と言えば、そういえば600年以上経っていると思われるのですが、宮城の武将、伊達政宗の正妻、愛姫は坂上田村麻呂の血を引いているという話しもあちこちで見られるのですが、それより、伊達政宗のお墓からロザリオが出てきたという数年前の記事に興味をそそられます。あの記事は何処にいったかしらん?
http://blogs.dion.ne.jp/natorigoro/archives/7946893.html
沙羅ちゃん
>
> 観音信仰というのは、その救済する声、
> 「お前を助けるぞ。」という声のように思うのですね。
> 武将の場合はこれから為す戦いに自分を鼓舞する意味合いも
> あるでしょうが、「お加護ください。」という意味もあった
> と思うのですね。
> 信仰という現世利益を求めたものだと。
>
> 朝廷が、私寺、官立寺の禁止令を出したのも、
> そういう救済の感情の下、その象徴である寺が
> たくさん建立されるのは、国家統治からいっても、
> 財政の取立てからいっても、危険であったということですね。
>
> 空海の父佐伯の直が、朝廷の蝦夷(アイヌ)の征服により捕虜として捕まえられたもの(この時は佐伯部)が、各地の統治を任され佐伯直と名乗ったもの。ゆえに各地に佐伯直がいることになる。
> 捕虜の中で優秀なものが派遣されたというものですね。
> これにも坂上田村麻呂が関与していると書かれています。
> 実に政治家”坂上田村麻呂”ですね。
>
> フランスについてのご考察は然りかと思います。(笑)
>
> 北から賊が来るというのは、自分中心に考えるからだと思います。
> 南からも来ますし、西からも来る。
> 肥沃な土地を奪おうとするのは、歴史が物語っていますが・・・。
>
> 厳島神社とモン・サン・ミッシェルは、ただ海の中にある
> 聖なる建物という共通点だと思いますが・・・。
>
> なにかヴィオリンの音が心に突き刺さってくるのですが(・・。w
>
> 音というのは普遍ですね。
>
>
-
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from: めるろ〜001さん
2010/05/11 11:48:40
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「Re:Re:兜跋毘沙門天信仰について」
沙羅ちゃん
観音信仰というのは、その救済する声、
「お前を助けるぞ。」という声のように思うのですね。
武将の場合はこれから為す戦いに自分を鼓舞する意味合いも
あるでしょうが、「お加護ください。」という意味もあった
と思うのですね。
信仰という現世利益を求めたものだと。
朝廷が、私寺、官立寺の禁止令を出したのも、
そういう救済の感情の下、その象徴である寺が
たくさん建立されるのは、国家統治からいっても、
財政の取立てからいっても、危険であったということですね。
空海の父佐伯の直が、朝廷の蝦夷(アイヌ)の征服により捕虜として捕まえられたもの(この時は佐伯部)が、各地の統治を任され佐伯直と名乗ったもの。ゆえに各地に佐伯直がいることになる。
捕虜の中で優秀なものが派遣されたというものですね。
これにも坂上田村麻呂が関与していると書かれています。
実に政治家”坂上田村麻呂”ですね。
フランスについてのご考察は然りかと思います。(笑)
北から賊が来るというのは、自分中心に考えるからだと思います。
南からも来ますし、西からも来る。
肥沃な土地を奪おうとするのは、歴史が物語っていますが・・・。
厳島神社とモン・サン・ミッシェルは、ただ海の中にある
聖なる建物という共通点だと思いますが・・・。
なにかヴィオリンの音が心に突き刺さってくるのですが(・・。w
音というのは普遍ですね。
> 清水寺や鞍馬寺の時代背景も考えると、色々興味深いんです。
> どちらにしても、平安、奈良・・・観音信仰や霊場が普遍化したという事は、官立の寺だけでなく、山中に、生きる私度僧達の存在が意味をなしていると思います。最初は異端者扱いされたそうですが、国の統制下の途上にあったのだと思うのです。空海以前の密教は、経典だけはほとんど大部分は奈良時代に伝わっていたそうですが、組織的な体系が出来上がらないでいた途上において、密教行者は、時が経つにつれて、その不思議な咒術性の音素に引かれ増加していったのだと思うのです。
> この山中に信服する、密教僧が、しだいに日本人の信仰としてうち溶け、官立寺にも祀る仏像に観音像(千手、十一面、不空絹索等>に導く先駆者の役割だったそうです。何故なら、彼らが祀った、さまざまな密教像のうちで、一番多かったのが、多面広臂(ためんこうひ)の観音像だったそうです。
>
> どちらにしても、私寺の建立は簡単に実現できない状況だったはずです。桓武天皇は、延暦2年に、783年に、豪族の私寺の造営が盛んであったのを、取り仕切る為に、6月10日に勅を出しているそうです。
> つまり、即位後2年にして、私寺の造営を禁じる勅を下し、それ以降も、寺院、僧尼達を厳重に、とりしきる法令は、30回以上、
> 下されたらしいです。
>
> 奈良時代は、仏教のさまざまな弊害を反省し、天皇は私寺、官立の寺に関しても治世の安泰を願い、民衆から底から湧き起こる、信仰対象が、何かの形になる事を排除する事が治安に繋がると思ったのだと思うのです。鎮護国家・・・という意味は、興味深いです。
>
> 外的から守るという、何かから守る
> という願いが実は、外的は、自分の中に居る・・・
>
> という視点になっていった途上かも知れませんが〜。・・・(笑)
>
> 話し逸れますけど そういえば、今も、鎮護国家としての意味で言うなら、右派、左派の均衡接点を、国民が見極めようと全然静まらない国の代表はフランスかもしれません。・・・・笑
>
>
> それで、何が述べたかったか?というと
> 政府の厳しい態度の中にあって、私寺の造営は大変難しい時代なのに、
> 天皇の治世にあって、私寺の造営が認められたのは、大変数が少ないんです。
> 一つは、後、神護寺の名称になる、当時神願寺です。
> それと、田村麻呂の清水寺です。
> これは東北の蝦夷征伐を仕切る、武将坂上田村麻呂の功績や存在が、鎮護国家の願いとして、清水寺に導いているのかもしれません。北・・・というのは、何故か?
> 外敵が来る方向なんでしょうかね?
> 外敵も暖かい地方に住みたいと思うらしいんですね。
>
> イギリスからフランスを征服しに来る・・・北から征服されるという動きや流れ民族の流れがあるんでしょうか?
> ミカエル大天使が、708年、モン、サン、ミッシェル
> 地図上はイギリスとフランスの国境、海の島に出現する・・というのも実に不思議な場所に思えるんですよね。ミカエル大天使の出現だけでいうと地中海沿い、イタリア半島にあるのですが、フランスに関しては、北のイギリスに近い島に出現したという事はどのような意味があるんでしょうか?
>
> 歴史的には600年後、北からの征服者に応戦する形として、救世主ジャンヌ、ダルクが出現していますし、
> そうそう・・・・・
> これも、不思議に思えるのだけど、
> 何故?
> フランスのモン、サン、ミッシェルと、姉妹都市であるのが、日本の厳島神社がある、広島甘日市になるのかしら?
>
> WIKIから転記
>
> 引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていた。島の入口には潮の干満時刻を示した表示があり、満潮時には浜に降りないようにと記されている。最も大きい潮が押し寄せるのは満月と新月の28-36時間後といわれており、引き潮により沖合い18kmまで引いた潮が、猛烈な速度で押し寄せる。このためかつては多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としたといい、「モン・サン=ミシェルに行くなら、遺書を置いて行け」という言い伝えがあった。
>
> 1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになった。しかし、これによって潮流をせき止めることとなり、100年間で2mもの砂が堆積してしまった。急速な陸地化が島の周囲で進行しており、島の間際まで潮がくることは滅多になくなりつつある。かつての姿を取り戻すべく2009年には地続きの道路が取り壊され、2010年には代替となる新たな橋がかけられることが計画されている。
>
>
> サン・マロ湾に浮かぶモン・サン=ミシェル世界遺産の厳島神社がある広島県廿日市市とは姉妹都市である。
>
> イギリス海峡を挟んで英国コーンウォール州にある英語で同名のセント・マイケルズ・マウントにもモン・サン=ミシェルそっくりの小島に古い城砦と教会がある。
>
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB
>
>
>
> 厳島神社といったら、江ノ島の弁才天も有名ですけど、、
> 前身 インドの女神、ブラフマンの奥さんサラスヴァティーが、日本に上陸すると、神仏混合で、弁才天に変るのと同じ、日本3弁天の一つ、
> 厳島神社ですものね。
> 何故?
> モン、サン、ミッシェルと姉妹都市を結ぶ流れになるのかしら?
>
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%B3%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE
>
>
> 写真は ポロ〜ン♪、ポロ〜ン♪、、弦楽器を奏でる、
> 蓮の花に乗って、優雅に、河のお話をする、
> 芸術と音楽と、
> 言葉のインドの女神、サラスヴァティーです。・・^^
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from: 沙羅さん
2010/05/10 17:30:48
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「Re:兜跋毘沙門天信仰について」
めるろ〜さん
清水寺や鞍馬寺の時代背景も考えると、色々興味深いんです。
どちらにしても、平安、奈良・・・観音信仰や霊場が普遍化したという事は、官立の寺だけでなく、山中に、生きる私度僧達の存在が意味をなしていると思います。最初は異端者扱いされたそうですが、国の統制下の途上にあったのだと思うのです。空海以前の密教は、経典だけはほとんど大部分は奈良時代に伝わっていたそうですが、組織的な体系が出来上がらないでいた途上において、密教行者は、時が経つにつれて、その不思議な咒術性の音素に引かれ増加していったのだと思うのです。
この山中に信服する、密教僧が、しだいに日本人の信仰としてうち溶け、官立寺にも祀る仏像に観音像(千手、十一面、不空絹索等>に導く先駆者の役割だったそうです。何故なら、彼らが祀った、さまざまな密教像のうちで、一番多かったのが、多面広臂(ためんこうひ)の観音像だったそうです。
どちらにしても、私寺の建立は簡単に実現できない状況だったはずです。桓武天皇は、延暦2年に、783年に、豪族の私寺の造営が盛んであったのを、取り仕切る為に、6月10日に勅を出しているそうです。
つまり、即位後2年にして、私寺の造営を禁じる勅を下し、それ以降も、寺院、僧尼達を厳重に、とりしきる法令は、30回以上、
下されたらしいです。
奈良時代は、仏教のさまざまな弊害を反省し、天皇は私寺、官立の寺に関しても治世の安泰を願い、民衆から底から湧き起こる、信仰対象が、何かの形になる事を排除する事が治安に繋がると思ったのだと思うのです。鎮護国家・・・という意味は、興味深いです。
外的から守るという、何かから守る
という願いが実は、外的は、自分の中に居る・・・
という視点になっていった途上かも知れませんが〜。・・・(笑)
話し逸れますけど そういえば、今も、鎮護国家としての意味で言うなら、右派、左派の均衡接点を、国民が見極めようと全然静まらない国の代表はフランスかもしれません。・・・・笑
それで、何が述べたかったか?というと
政府の厳しい態度の中にあって、私寺の造営は大変難しい時代なのに、
天皇の治世にあって、私寺の造営が認められたのは、大変数が少ないんです。
一つは、後、神護寺の名称になる、当時神願寺です。
それと、田村麻呂の清水寺です。
これは東北の蝦夷征伐を仕切る、武将坂上田村麻呂の功績や存在が、鎮護国家の願いとして、清水寺に導いているのかもしれません。北・・・というのは、何故か?
外敵が来る方向なんでしょうかね?
外敵も暖かい地方に住みたいと思うらしいんですね。
イギリスからフランスを征服しに来る・・・北から征服されるという動きや流れ民族の流れがあるんでしょうか?
ミカエル大天使が、708年、モン、サン、ミッシェル
地図上はイギリスとフランスの国境、海の島に出現する・・というのも実に不思議な場所に思えるんですよね。ミカエル大天使の出現だけでいうと地中海沿い、イタリア半島にあるのですが、フランスに関しては、北のイギリスに近い島に出現したという事はどのような意味があるんでしょうか?
歴史的には600年後、北からの征服者に応戦する形として、救世主ジャンヌ、ダルクが出現していますし、
そうそう・・・・・
これも、不思議に思えるのだけど、
何故?
フランスのモン、サン、ミッシェルと、姉妹都市であるのが、日本の厳島神社がある、広島甘日市になるのかしら?
WIKIから転記
引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていた。島の入口には潮の干満時刻を示した表示があり、満潮時には浜に降りないようにと記されている。最も大きい潮が押し寄せるのは満月と新月の28-36時間後といわれており、引き潮により沖合い18kmまで引いた潮が、猛烈な速度で押し寄せる。このためかつては多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としたといい、「モン・サン=ミシェルに行くなら、遺書を置いて行け」という言い伝えがあった。
1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになった。しかし、これによって潮流をせき止めることとなり、100年間で2mもの砂が堆積してしまった。急速な陸地化が島の周囲で進行しており、島の間際まで潮がくることは滅多になくなりつつある。かつての姿を取り戻すべく2009年には地続きの道路が取り壊され、2010年には代替となる新たな橋がかけられることが計画されている。
サン・マロ湾に浮かぶモン・サン=ミシェル世界遺産の厳島神社がある広島県廿日市市とは姉妹都市である。
イギリス海峡を挟んで英国コーンウォール州にある英語で同名のセント・マイケルズ・マウントにもモン・サン=ミシェルそっくりの小島に古い城砦と教会がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB
厳島神社といったら、江ノ島の弁才天も有名ですけど、、
前身 インドの女神、ブラフマンの奥さんサラスヴァティーが、日本に上陸すると、神仏混合で、弁才天に変るのと同じ、日本3弁天の一つ、
厳島神社ですものね。
何故?
モン、サン、ミッシェルと姉妹都市を結ぶ流れになるのかしら?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%B3%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE
写真は ポロ〜ン♪、ポロ〜ン♪、、弦楽器を奏でる、
蓮の花に乗って、優雅に、河のお話をする、
芸術と音楽と、
言葉のインドの女神、サラスヴァティーです。・・^^
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from: 沙羅さん
2010/05/05 23:22:26
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「Re:Re:Re:Re:兜跋毘沙門天信仰について(メモ)」
めるろ〜さん
道教の情報は、WEBではあまり詳しい情報は
無理みたいです。・・・といっても、わたしもこれ以上は
とても、広範囲といっても無理なのですけど・・・
鞍馬寺の本尊の入り口にいらした時は、紺色のいかにも御住職
と一目で分かる方だったの。
その方が、右側からちかづいていらした時に、腰に鈴はぶらさげていなかったはずなんですよね。
何故なら、鈴は動けば、鳴りますし、わたしが気づくと思うのだけど・・・
そして、その後、一時間以上はたっていると思うのです。
今度は、先に聞えて来るんですよね・・人は観えないんです。森に鈴の音だけが、しゃんしゃん響くんですよね。
私以外にも、観光客はいるんです。
それで、下方から上がってその鈴の音だけが近づいてきた。この時の服装が白なんです。よほど声をかけようか・・と迷いました。
先ほどの御住職ですし、わたしの顔を観て、ニコっとされたから・・・
ま、これも、多分MSNのコミュのコピーに記録が残っていると思うけど・・・・この時、木製で出来た、桶を持って、歩いてらっしゃるの。
そこは、もう本堂や、宝仏殿からはかなり離れていて、多分
魔王尊?の神殿に続く近くじゃないかしら?
チョッと、4年前の記憶だから確かではないけど・・・
でも鈴はたしかです。
鈴の音が、鞍馬の森に鳴り響くのだけ、今でもはっきり、記憶していますから・・・
なんでしょうね?道教の神様の太一真君という玄体宮に居る最高神の絵とかないかしら?と思って探したのだけど・・・・
それより、むしろ、道教に流れるより、
わたしは、28部衆の中の毘沙門天があやしい〜^^
と、三十三間堂で思ったんです。
あの1000体の千手観音像と一緒の28部衆の中にも毘沙門天は、存在しているのだけど、他の増長天や、広目天の4天王の神様は、いないようなんです。
これもどうしてなのか?よくわかりませんが???
思うんですね〜・・・・
江原浩之さんのテレビ録画のYOUTUBEで話されていたのですけど、すでに亡くなられている方がどこか伏見神社の知らない参拝者とコンタクトして、食事までして、電話番号まで教えて、
その知らない参拝客は、その電話番号を持っていて、ある日かけてくるんですよね。つまり、亡くなっている人の娘さんに電話をかけるという形でコンタクトをとってくる。
もしかしたら、わたしも今までコミュに書いてきた、逢った人、話した人は、皆、幽霊だったかもしれません。・・・・笑
鞍馬寺の腰に鈴つけてられた御住職も、伏見神社なのに、大きな声で、般若心経をよんでられた方も、その方に気兼ねなく、手をパンパン、叩いて参拝されていた、若い男女のカップルの写真をわたしは、撮ってあげたりしたのだけど、
皆幽霊かも知れません・・・笑・・・・
いえですね〜・・・江原氏のお話だと、あちこちに亡くなられた方というのは出現されてコンタクトとるようなんですね。、そのテレビのスタジオにいらして、亡くなられたお母さんに会いたいと電話をかけて来た人がいた・・・・
というお話も驚きましたけど
亡くなった人と、食事をした内容も、この娘さんに生前言われた小言の内容まで、話されるので、娘さんは驚いていたんですね。・・・
このような話だけでなく、江原氏の話しだと、あちこちに、出現するようなんです。
実在感があるので、普通の人間だと思ってわたしも話すんですよね?
でも、現れ方が変なんですよね?自然じゃないんです。
新幹線で、旅の道連れといったって、持ってきた、明太子おにぎりを、普通「食べなさいっ」て、あげますか?・・・・笑
断れなくて、食べるわたしもなんですが〜
こういう幽霊は、楽しくていいですけど・・・
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from: 沙羅さん
2010/05/04 22:35:43
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「Re:Re:Re:Re:兜跋毘沙門天信仰について(メモ)」
めるろ〜さん
<兜跋毘沙門天>
>
> > 「毘沙門天」は、七福神の一つであり、
> その中の福禄寿は、道教の現れである。
>
> 沙羅ちゃん、来ましたね。
> 毘沙門天信仰と道教の繋がりが。
そうですねぇ〜・・・・
わたくしが、はじめて鞍馬寺が怪しいかな〜? ^^と
思いましたのが、え〜ッと、めるろ〜さん達とはじめて御逢いしたオフ会の年2005年でしょう?
清水寺の御本尊の3体の並びが
何故?
このような現れ方なのか・・・
分からなかったからなんですね。
ですから、翌年、鞍馬寺に矢を飛ばしてみたけど、
やはり、当たりでしたね?・・・笑
それに、四天王の中で、まるで別格扱いみたいで、おかしい〜と思いましたから・・・
しかも、名前までも、怪しい、多聞天の、聞く という記号入りですから・・・・
どちらにしても、「聞く」は、音と関係しますし、
フランス語の「悟性」も聞く という単語「ENTENDEMENT」アンタンデゥマンですから、
聞くという動詞は、ENTENDREアンタンデゥルです。
聞く、何を?
音ですから・・・
物事の本質は、
音を観る<悟る>・・・・という風に西洋も哲学的に言葉が造られいます。
そうすると、今度は、音を聞く能力がないと、悟性は身につかないか?という問題に当然なってくると思うのです。
ま、この問題も心理学の世界は、大変複雑ですのでそう簡単な明解は引き出せないようです。
音羽山に、清水寺を創建したのは偶然ではなく、そうなるように流れていたと思われます。
確かに、毘沙門天は仏教から生まれたとしても、その後の七福神への経過を辿ると、道経の色が濃いですし、ちなみに、
弁財(才)天は、音楽の神だそうです。
多分、めるろ〜さんがコピーされた、MSNコミュの書き込みには、この辺りから、(2006年)かぐや姫の話しをわたしはしだしていませんか?頻繁に話題にしだしているというのは、、何故か?
なんですよね。、何か感じていたのかもしれません。日本書紀の記録のなかに、宮中人、・・・藤原家に与えられてる職務地が吉備地方に大変多いですよね。特に皇太后宮野職地
道経への足がかりも、遣唐使として、行き帰りが一緒であるとされる玄〓と親交が深かったとされる、下道朝臣真備は、考謙天皇の従兄だそうで、この時代を動かす人だったそうです。
儒教、道教の布教もこの時代をさかいに、一気に広まったのだと思うのです。
玄〓が藤原に殺された?とされる、大宰府の観世音寺・・玄〓の事は、前にも述べましたけど、、日本に帰国735年、皇帝から5000巻余りの経典を持って帰朝し、そして奈良の都で唱道したのが、千手観音の信仰だったらしいんですね。
色々変化の流れを読むと、どうしても、心や思いの存在があるから、このように変り、変りいくのでしょう・・・と感じるのです。
-
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from: めるろ〜001さん
2010/05/03 15:44:03
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「Re:Re:Re:兜跋毘沙門天信仰について(メモ)」
<兜跋毘沙門天>
> 「毘沙門天」は、七福神の一つであり、
その中の福禄寿は、道教の現れである。
沙羅ちゃん、来ましたね。
毘沙門天信仰と道教の繋がりが。
これで、かなりの部分が解けました。
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from: めるろ〜001さん
2010/05/03 12:26:51
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「Re:Re:兜跋毘沙門天信仰について(メモ)」
<兜跋毘沙門天>
「毘沙門天」は、古くインドで財富の神(Kubera)の別名で
あったが仏教に採り入れられて四天王の一となる。
平安時代以降、毘沙門天の霊験説話は諸書に頻出するが、
その神性に基づいて仏法護持、怨敵降伏、致福成功をテーマとする
ものが多い。
<兜跋毘沙門天>は、三面立の冠を被り、
地天及び尼藍婆(にらんば)・毘藍婆(びらんば)の2邪鬼の
上に立つ。
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from: めるろ〜001さん
2010/05/03 12:08:28
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「Re:Re:兜跋毘沙門天信仰について(メモ)」
<兜跋毘沙門天>
東寺(教王護国寺)にある<兜跋毘沙門天>は、唐代の作。
多角形の冠を頂き、堅い革の甲冑を身体全体に身につけ、
天女と2鬼形が装甲の脚を支えている異様な姿。
(記載文より)
嵯峨清涼寺その他にも遺作がある。
また、変身四臂、十臂の異体も記録にある。
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from: めるろ〜001さん
2010/05/03 11:47:06
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「Re:兜跋毘沙門天信仰について(メモ)」
<兜跋毘沙門天>
「毘沙門天」は四天王として呼称される場合は、
「多聞天」というそうです。
四天王随一で、北方の守護神。
四天王から独立して、毘沙門天と呼ばれる。
次に、
兜跋とは、西域の兜跋国に化現した王城鎮護の神に
由来するようです。
鞍馬寺にある<兜跋毘沙門天>は、平安京鎮護の神として
作られた。
東寺にある<兜跋毘沙門天>は、元は羅城門の楼上に
安置されていたもの。
(梵)Vaisravana 文字化けしているので、アクサン等は無し
鞍馬寺にある兜跋毘沙門天は、左手を額にかざす秘仏。
兜跋毘沙門天は、密教が入ってから特別に一尊だけが信仰された。
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from: 沙羅さん
2010/05/02 23:00:33
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「Re:兜跋毘沙門天信仰について」
うゥゥ〜ットよく考えると、不思議ですが
何故?
鳥の羽 というお名前の上皇さまなのかしら?
鞍馬山の兜跋毘沙門天像の祭祀は平安のはじめに、鳥羽上皇の発願延暦13年頃なんです。
鳥羽上皇は、東大寺の戒壇院1142年で受戒されているのは、よいのだけど、、、
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from: 沙羅さん
2010/05/02 17:43:48
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「Re:Re:兜跋毘沙門天信仰について」
> めるろ〜さん
今、ふと思ったのだけど、、
そういえば、大宰府の戒壇院だったか?
もしかしたら、観世音寺の宝物殿だったか、、、
いえ・・あれは、戒壇院だわ〜・・
例の足に蛇に巻きつかれて話しかけられてきたTさんが、
鬼瓦があるのを、私達に説明してたから、、、
そうそう、鬼瓦があるんですよね〜・・・・
何故?
鬼瓦を、説明するのかしら?
と思ったのだけど・・・・・
ちょっと、記憶が怪しいです。
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from: 沙羅さん
2010/05/02 15:34:44
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「Re:兜跋毘沙門天信仰について」
めるろ〜さん
歴史的なものを読んでいると、
> どうも
> <兜跋毘沙門天信仰>と
> <毘沙門天信仰>と違うように思います。
>
> もっと詳しいものが見つかるといいのですが・・・・。
> 止まってます。
わたくしも、ここ数年同じ事、感じるんですよね。
何故?
兜跋 という記号を、わざわざ付け足して、違いを現さなきゃいけなかったのかしら?
という、何故?
の視点なんです。
毘沙門の、ビは、田んぼに ひが当たる。
という意味らしいですし、
沙 は、涙が少ない、という意味らしいです。うぅぅぅ〜んですね。
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from: めるろ〜001さん
2010/05/12 12:48:43
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「Re:Re:Re:Re:兜跋毘沙門天信仰について」
206>
沙羅ちゃん
この問いは難しいですね。
船で流れ着いた土地といえば、日本海側ですね。
日本海海流があるので、行き易いかと思います。
アテルイが渡来人であってもなんらおかしくないです。
そして、戦いの内に、アテルイが田村麻呂が渡来人の子
であることを知り、降参し、命を助けたのではないか。
その後の「サへキ」の連や直への登用は、それを物語っていると
思われます。
蝦夷の地の言葉と朝廷側の言葉とは違うはずで、
戦いの時に言葉を発する。
その言葉を聞き、「もしや?」と思ったのは、アテルイであると
思われます。
この時代は、現世での救いが信仰の対象であったと思われますので、無念という感じでしょう。
みこと「御言」(天皇の言葉、神の言葉)を伝えに来た者、
これが朝廷側であり、それに対抗する野蛮人と呼ばれる者が
蝦夷に住む者ですね。
この場合、アテルイがその中に含まれます。
歴史的に日本人の死に方といえば、
東映の映画『男たちの大和』で、
上官が、「死に方よ〜い」という文字を子供たちへの説法?の時に
書いているのを思い出しました。
戦国の時代など切腹などの死に方は、
死体を魂ごと蹂躙できない。
そして、われは、魂の復活をもって
再び戦うぞ。という場合もありますね。
輪廻転生を為した天草四郎のように。
涅槃が天国と同じというのはちょっとした誤解ですね。
涅槃はブッダと同じ様な智慧と慈悲を持った人になった。
という意味であり、生きていても成れるものです。
天国は、道教の黄泉の国と一緒で死なないといけません。
ただ、仏教の修行が厳しいので「死なないといけません。」
というのは当たっているかもしれません。。。
> それなんですが〜〔何が?」
>
> わたしは、ず〜と、田村麻呂の蝦夷征伐の蝦夷という地域に不思議さを感じるのです。清水寺に、アテルイ(この漢字もすごく難しいけど、弓がついているので、おかしい・・と思っていたのです)
> アイヌといっても、どこら辺までが蝦夷と表現出来るのか?も不思議でしたし、WIKIによると、
> 宮城県から北海道まで一帯を蝦夷と、表現していたらしいので、かなり広範囲なんですよね。
>
> アイヌの起源ついては色々説があるのですが、同じ渡来人であったとすると、もしかしたら、後漢の血筋を引く田村麻呂にとってはアテルイの助命を朝廷に願う・・という行為に至るのも不思議ではないかもと思い、東北ではやっと、アテルイに対する観方を見直してきているようです。
> 大変な事なんですよね。死者の魂をぞんざいに扱うという事は、どんなに昔であろうと私達の今生きる時代に影響してきてしまうんです。
> 心や思いが残る(存在する)というのは、そういう事なので、見えないからとか、死んでしまっているから、、とか歴史の人だから・・といって、何も感じられないで無頓着に、生きている事は、何も自分の身に降りかかっている死者達の思いや心が観えないんです。特に日本の歴史上の人物の、死に方に疑問を覚えるんですよね。ほんとうに、浮かばれるんでしょうか?・・・という疑問です。
> 自刀が、ある美意識と判断しているのは、私達の自分勝手な判断で、実は、本人はそれしか残されていない・・という選択がない究極な死へのいき方を、受動的に選ばされているという、時から時へ繋がりの状態なんです。行為途上は能動的に見えるのですが、実は心は受動的な選択
> の末の行為ですと、心は生への未練を残すので、魂は浮かばれないと思うのです。通時態表現に?意味が通じるというのも、そのような魂や心のパイプラインがあるのかもしれません。
> なんと説明したらいいかしら
> 話し違うのですが、、霊能者というのは、波動があえば死者の思いを伝えてきますから、あまりメディア化されるのも、問題ですけど〜、
> 割腹行為も西洋からしたら自殺行為に見えるんですね。、、、
> 何故?
> 自殺行為はいけないと言われるのか?
> という何故?
> という理由がある訳なんですよね。
> ただ聖書の何処かに書いてある・・・
> という結果だけをみつけるのではなく、
> 言われるそれだけの意味があると思うのです。
> そう言った事も色々考えるんです。
>
> 魂が浮かばれないというのは、苦しんだり、悲しんでいるのですから、そのような死に方をしてはいけないと思うのです。死に方であって死んだ・・という結果ではないんです。つまり、心が感じる何かだと思うのです。
>
> メディアを見ても自殺場所に、霊が居座ってしまうらしいんですね。江原浩之氏など、自分に憑依させて、自宅につれていかれて仏前で家族と一緒に拝み、心を慰める・・・という信じられないような光景があるんですね。
> ある意味、ショッキングな映像なんですが、信じるとか信じないという視点で見るのではなく、ここまで江原氏にさせてしまう・・という今の日本の現状が問題なんです。
> つまり、世界には霊能者は沢山いますけど、
> このような存在の形で現れてしまう・・・つまり、日本の霊能者が、このような現れの仕方でしか、存在出来なくなって来ている・・・という流れなんです。
> これは、やはり日本という国は興味深いんですね。有能な霊能者や、ミッションを持たされてきている人達でさえこのような形でしか存在出来なくなって来ている・・・
>
> 救う人も救われる人も、昔の形、昔の現れ方で存在出来ないようなんですね。
> 確かに、昔はテレビも、電話もないですから、自然と必要な時に必要な人に遭わされる・・・という流れで人間は生活出来ていたようなんです。ですから、電波にのったり、宣伝したり何かを出版したりという現れ方ではなくて、自然の流れの中での普遍性、伝播力というのを持っていたのだと思うのです。
>
> 話しが逸れましたが、、
>
> どうも、一つ気になるのが、涅槃は天国と同じような感じを擁く一般人も多いですよね?、死が、苦しみから解放すという目的場所になってしまう、途上の行き方に擦り違えられてしまう・・という状態も大変問題に思えます。宗教や信仰は、特にこの点を留意して欲しいと思うのですね。
> とにかく、心理的に健康で健全な日常生活が営める・・・という本来の人間の姿へと・・・信仰や宗教が本当に存在して欲しいのです。日本人の他者に優しい本来の日本人の心を取り戻して欲しいと思うのです。いつまでも他者達と衝突し、いがみ合ったり、自国内で、同じ日本人同士でさえ苛めを生ませるというのは、大変な心情問題に思えます。
>
> 話しを戻し、
> 田村麻呂は、アテルイの助命の願いが受け入れられなかった時、大変失望したのだと思うのです。一部転記します
> ::::::::::::::::::::::::::::::
> 四月の半ばになって東北軍の総大将・大墓公阿弖流為(たものきみ・あてるい)が盤具公母禮(いわぐのきみ・もれ)など一族郎党五百人余りを引き連れて投降した。田村麻呂が首領二人を都まで連れて戻ったのが七月十日、公卿たちは挙って「朝威」(朝廷の威信)の高揚を誉めそやし、都は祝賀一色の雰囲気に包まれる。田村麻呂は頻りに二人の首領たちの「釈放」を求めたのですが、公卿会議の下した結論は「斬首」、八月十三日、捉えられた二人は河内国椙山で無念の生涯を終えたのです。投降から都入りまで三カ月かかっていること、そして田村麻呂が態々「生かして」二人を連行していたこと等の状況から推理して、田村麻呂は二人の「助命」に、ある程度の自信を持っていたと思われるのですが『虎を養い、患いを残す』だけだと反論され、嘆願は聞き届けられませんでした。(「日本紀略」は公家たちの様子を『而公卿執論云』と表現しているので、議論が相当白熱したものであったことは確かです)
>
> ::::::::::::::::::::::::::::
> アテルイの観方も、やっと(1200年も要す)最近見直してきているようですし、死者が常に生者と生きるというのはそういう事なのだと思うのです。時間と空間が存在しない層での、心の存在なんです。
>
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%A4
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%A6%E5%A4%B7
>
> あ〜そうそう、蝦夷と言えば、そういえば600年以上経っていると思われるのですが、宮城の武将、伊達政宗の正妻、愛姫は坂上田村麻呂の血を引いているという話しもあちこちで見られるのですが、それより、伊達政宗のお墓からロザリオが出てきたという数年前の記事に興味をそそられます。あの記事は何処にいったかしらん?
>
> http://blogs.dion.ne.jp/natorigoro/archives/7946893.html
>
>
>
>
>
>
> 沙羅ちゃん
> >
> > 観音信仰というのは、その救済する声、
> > 「お前を助けるぞ。」という声のように思うのですね。
> > 武将の場合はこれから為す戦いに自分を鼓舞する意味合いも
> > あるでしょうが、「お加護ください。」という意味もあった
> > と思うのですね。
> > 信仰という現世利益を求めたものだと。
> >
> > 朝廷が、私寺、官立寺の禁止令を出したのも、
> > そういう救済の感情の下、その象徴である寺が
> > たくさん建立されるのは、国家統治からいっても、
> > 財政の取立てからいっても、危険であったということですね。
> >
> > 空海の父佐伯の直が、朝廷の蝦夷(アイヌ)の征服により捕虜として捕まえられたもの(この時は佐伯部)が、各地の統治を任され佐伯直と名乗ったもの。ゆえに各地に佐伯直がいることになる。
> > 捕虜の中で優秀なものが派遣されたというものですね。
> > これにも坂上田村麻呂が関与していると書かれています。
> > 実に政治家”坂上田村麻呂”ですね。
> >
> > フランスについてのご考察は然りかと思います。(笑)
> >
> > 北から賊が来るというのは、自分中心に考えるからだと思います。
> > 南からも来ますし、西からも来る。
> > 肥沃な土地を奪おうとするのは、歴史が物語っていますが・・・。
> >
> > 厳島神社とモン・サン・ミッシェルは、ただ海の中にある
> > 聖なる建物という共通点だと思いますが・・・。
> >
> > なにかヴィオリンの音が心に突き刺さってくるのですが(・・。w
> >
> > 音というのは普遍ですね。
> >
> >
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