新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: めるろ〜001さん

    2010年06月05日 11時25分30秒

    icon

    哲学おじさんのちょっと軽い独り言

    霊感というものが古くからいわれていますね。

    僕には未だかつて見たことが無いのですが、
    霊感は感じます。

    それは、
    「神経を集中すると、その姿が頭に浮かびます。」
    というもので、同じ様に、霊感が強いという人が
    語るものと同じだったこともあり、
    「僕は霊感が強いんだ。」と勝手に思ってます。(笑)

    哲学する時には封印してますが、
    たまに開放される時がありまして、
    凄い発見をしたりします。

    自然に魂というか霊感を思う時には、その種字を思うのですね。

    そう思わなくてもいいのに、そう見えてしまう。
    すると、同じ様に感じる人がいて、同じ意味付けをする。

    信仰の始まりでしょうか?

    死者の霊の叫びを感じたことがあり、
    その時には、「感じ取りましたよ。成仏して下さいね。」と
    念じました。

    口に出せないですからね。

    霊を怖いととるか、霊を弔うととるか、
    自分次第だと思うのです。

    いらっしゃい。何か様ですか?
    僕はあなた様を拝見したいのですが、肉眼では見えませんので
    心眼で拝見させて頂きますね。

    実際とは違うと思うのですが、通じ合うものはあると思います。
    とお迎えするのです。
    別に、霊能力者じゃないので、会話したりはしないのですが、
    念じあう場合はありますね。

    丁度、悲しみのメロディを聞き悲しんだり、
    楽しそうなメロディを聞き、楽しんだりする。

    音は、奏でられるだけなのに、そこに喜びや悲しみを感じる。
    人間共通の記憶があるのでしょうね。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 5
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全5件

from: 沙羅さん

2011年08月27日 19時48分57秒

icon

「Re:哲学おじさんのちょっと軽い独り言」

こんにちは、、

以下は、めるろ〜さんの去年、6月5日の書き込みですが、、

再度 あげてみます。もう この世にいらっしゃらないから、、、

それほどまでに、、、、無理に霊感を封印されて 哲学なさらなくても、よろしいのではないか?、、、と存知あげますが、、、、

そちらの世界は 住み心地はいかがでございますか?

  お心、安心なさり 現世で受けられた 気苦労をくれぐれも癒され

 る事、、お祈りしています。合掌

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


> 霊感というものが古くからいわれていますね。 > > 僕には未だかつて見たことが無いのですが、 > 霊感は感じます。 > > それは、 > 「神経を集中すると、その姿が頭に浮かびます。」 > というもので、同じ様に、霊感が強いという人が > 語るものと同じだったこともあり、 > 「僕は霊感が強いんだ。」と勝手に思ってます。(笑) > > 哲学する時には封印してますが、 > たまに開放される時がありまして、 > 凄い発見をしたりします。 > > 自然に魂というか霊感を思う時には、その種字を思うのですね。 > > そう思わなくてもいいのに、そう見えてしまう。 > すると、同じ様に感じる人がいて、同じ意味付けをする。 > > 信仰の始まりでしょうか? > > 死者の霊の叫びを感じたことがあり、 > その時には、「感じ取りましたよ。成仏して下さいね。」と > 念じました。 > > 口に出せないですからね。 > > 霊を怖いととるか、霊を弔うととるか、 > 自分次第だと思うのです。 > > いらっしゃい。何か様ですか? > 僕はあなた様を拝見したいのですが、肉眼では見えませんので > 心眼で拝見させて頂きますね。 > > 実際とは違うと思うのですが、通じ合うものはあると思います。 > とお迎えするのです。 > 別に、霊能力者じゃないので、会話したりはしないのですが、 > 念じあう場合はありますね。 > > 丁度、悲しみのメロディを聞き悲しんだり、 > 楽しそうなメロディを聞き、楽しんだりする。 > > 音は、奏でられるだけなのに、そこに喜びや悲しみを感じる。 > 人間共通の記憶があるのでしょうね。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: めるろ〜001さん

2010年06月21日 11時14分58秒

icon

「Re:哲学おじさんのちょっと軽い独り言」
仏教は宗教であるから、その教理があり、
それに従って、人生を歩みなさい。
というものですね。

しかし、そこから一歩下がって、
信仰という部分が存在する。

「神様、仏様。」などと何でもござれ、救って下さいと
お祈りする。
日本人が良くやるものですね。

この段階から、すこし進んで、御地蔵さんや仏さんの謂れを学ぶ人が出る。
だいたいの人が、ここで止まるのですね。

そのお地蔵さんや仏様は、
何かの意味を持ってそこに存在するのですよ。
勿論、現世利益もします。
しかし、そこに存在する本当の意味は、
仏教思想や教理を象徴化したものなのです。

本来はそのような仏像が無いままに仏教教理を学ぶのが正当ですが
人間中々最初からそこまで修行が足りません。
そこで、仏教を信仰していますよという証でお祈りする。

うんとeasyなんですよね。

仏教は経典に色々書いてあり、それを読んで信仰することが
大事なのですが、鎌倉時代の仏教で日蓮宗や日蓮宗や浄土真宗などが出て、、、いや、それ以前に念仏衆として、空也上人が
「南無阿弥陀仏」と唱えると、阿弥陀仏が出てくる。
日蓮宗は、「南無妙法蓮華経」親鸞は「南無阿弥陀仏」。
当時は信者も少なく、新興宗教でしたが、
この簡便さが受けたのか、
現在では、一般的な仏教として広がっている。

鎌倉時代の文字が読めない人たちに伝える仏教と
現代の文字が読めない人に伝える仏教と同じではいけない
と思うのです。

凄く日本人は勤勉だ勤勉だといわれてきましたが、
その実は、仏教の信仰の一歩を歩いているのみであるのですね。

仏教思想まで行かない。

もっと、頭を使っていいと思うんですけどね。
ぼけない為にも。

若者向けでもあり、壮年向けでもあり。
愚痴でもありというところでしょうね。 

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 沙羅さん

2010年06月13日 08時13分52秒

icon

「Re:哲学おじさんのちょっと軽い独り言」
めるろ〜さん

 霊感は、多分持って生まれた感性+ある時何かのスイッチというか縁起がかかるというのか・・・外界からのコミュニケートというか・・・そのような、宇宙とのパイプを感じる事だと思うのです。
霊感ですから霊界とも関係あるようですから、信仰は手段であって、霊界接触、目的の為に、何々信仰を信じる・・・と言うアクセスの順序は、ある程度努力の結果は得られるかも知れませんが、、なんと言うか、本当の意味で、自然に宇宙(神)に導かれるという自然の姿から程遠いので、違うような感じがします。
でも、霊感の全くない人はいないと思います。

しかし、最初から何かの信仰心が先にくる。目的に帰属する。何がしかの修行に至るのと、ある日、ある時、自然に知らない間に導かれてきた人達の霊感の差は雲泥の差がある感じがするのです。

優れた霊感能力者は、やはり驚くに値するのですが、そのような方達と接触するのもこれも、縁起でしかありえないようです。
噂を聞いて自分から予約をして会いに行くという縁起ではないような感じがします。不安を解消したい為に行動を起こすというのは、むしろ、何かからの逃げか執着による行為のようです。
でも、おかしいのは、そういう人が噂を聞いて、霊能者に会いに行っても、「貴方、なんで来たの?」(笑)とか言われるらしいんです。なんというか、見透かされているんでしょう・・・

救済の為に行動を起こす自発性と、会わなくてもいいと思われるような執着心が発端で接近してきた人達も表向きは皆悩みを持っているはずなのですが、仕方なく霊感能力を使うのと、どうなんでしょう・・・・???
興味深い点なんです。よくよく聞くと、一人一人、接し方が全然違います。このような舞台裏も、感じる人にしか感じられないんですよね。

霊能者自身も、会う人、会わなくてもいい人、色々縁起をわかっているらしいですから・・・
不思議なのは、時期があるようなんです。
彼ら自身に、縁起がかかりメッセージなどが来る時は、彼らの方から働きかけて、私達が会いにいけるようにと、テレパシーを放っているらしいんですね。
つまり、本当の事は、実体世界の動きではなく、見えない世界の出来事を感じる事に尽きるようです。
メッセージと霊能者が言う事に因果や縁起が観得てるという事に思えます。つきるところ、実際行為に至るのは、文献の知職や認識だけまた豊富な人生経験や他者との接触によるコミュニケートの能力があっても、他者救済という事になると鋭い霊感や心理学的にも直観は必要に思えます。
でも
救済までいかなくてもむしろ他者と自己の包括できる世界観をもつ事が出来る事で、自分の存在が他者によって、存在しているという手応えが感じる事ができるはずですから、それだけで十分にも思えます。それだけで、自分の存在自身が他者存在へと通じる現れ方なのですからある意味、時間の途上・・お互い救済されつつ、存在しつつしているのだと思うのです。そのような関係つくりが必要な世界なのかも知れません。普遍の意味かも知れません。
哲学、フィロPHILOソフィーSOPHIE「智を愛する」の本道を歩く姿に思えます。



霊感というものが古くからいわれていますね。
>
> 僕には未だかつて見たことが無いのですが、
> 霊感は感じます。
>
> それは、
> 「神経を集中すると、その姿が頭に浮かびます。」
> というもので、同じ様に、霊感が強いという人が
> 語るものと同じだったこともあり、
> 「僕は霊感が強いんだ。」と勝手に思ってます。(笑)
>
> 哲学する時には封印してますが、
> たまに開放される時がありまして、
> 凄い発見をしたりします。
>
> 自然に魂というか霊感を思う時には、その種字を思うのですね。
>
> そう思わなくてもいいのに、そう見えてしまう。
> すると、同じ様に感じる人がいて、同じ意味付けをする。
>
> 信仰の始まりでしょうか?
>
> 死者の霊の叫びを感じたことがあり、
> その時には、「感じ取りましたよ。成仏して下さいね。」と
> 念じました。
>
> 口に出せないですからね。
>
> 霊を怖いととるか、霊を弔うととるか、
> 自分次第だと思うのです。
>
> いらっしゃい。何か様ですか?
> 僕はあなた様を拝見したいのですが、肉眼では見えませんので
> 心眼で拝見させて頂きますね。
>
> 実際とは違うと思うのですが、通じ合うものはあると思います。
> とお迎えするのです。
> 別に、霊能力者じゃないので、会話したりはしないのですが、
> 念じあう場合はありますね。
>
> 丁度、悲しみのメロディを聞き悲しんだり、
> 楽しそうなメロディを聞き、楽しんだりする。
>
> 音は、奏でられるだけなのに、そこに喜びや悲しみを感じる。
> 人間共通の記憶があるのでしょうね。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: めるろ〜001さん

2010年06月07日 05時13分49秒

icon

「Re:哲学おじさんのちょっと軽い独り言」
今度は色で。

皆さんが見ている色は、どんなものでしょうか?
プラグマティカルには、「赤」といえば、共通の同じ系統の色を
指しますね。

不思議だと思いませんか?

「カラスは黒い。」この命題を「カラスは白い。」と
言語の置換上は、可能だとは思いますが、
光の反射上は、網膜に光が当たり、同じ色の反映を
しているのですね。

プリンターのメーカーで、虹色のカラスを描いているCMが
ありましたが、そのCMを見ると、この色の命題が
必ず浮かびます。

おなじCMを見ているのに、頭の中は違うのですね。
色彩に関する生理的な現象と言葉の関係を想定しているのですね。
勿論、聡明な方々はそういうことを考えていると思いますが、
ここで、問題になるのは、「カラスが白い。」という命題は
真であるかということですね。

「そんなもの偽に決まっているじゃないか。」という人も居るでしょう。
しかし、実は決まっていないのですね。

虹色を持ち出しましたので、世界では、虹の色を聞いて見ると
4色とかもあるのですね。

また人間の色の見分け方を分析すると、4万色程度あるそうです。
これは厄介ですね。
クロからグレー、白から黄色に言葉が変化する地点はどこか?
という議論になってしまいます。

いえ、ちょっと待って下さい。
実際の自然現象の中で、そんなにグラジュエーションが微妙なものというのはあるでしょうか?

山々の霞、夕焼けの赤やオレンジ、境目はどこかといわれれば困りますが、色としては見分けられるのではないでしょうか?
造形の始まりがあるということですね。

色を見分けられていて、人間のスペクトル分析上は
同じものを見分けている。
そういうことと、
言語上の黒や白という差異、
アルビノでも無い限り、「カラスは白い。」という命題は、
偽である。
現象野においての命題の証明は、人間の身体の記憶において、
成立するものである。

そういえるのではないか。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: めるろ〜001さん

2010年06月06日 10時32分02秒

icon

「Re:哲学おじさんのちょっと軽い独り言」
<ジャジャジャジャァーン、ジャジャジャジャーン>と
書くと、あぁ、「運命」だと思いますよね。

そして、押さえつけられたような感覚に陥る。

音の威力(魔力)は、凄いものだと思います。
話は変わりますが、モールス信号というものがありますね。

戦争時、色々な命令や伝達を担ってきたものですね。
音が確実に感情や言葉を送っているのですね。

誰かが音を作り、その音を誰かが受取る。
そこに、<伝えられたもの>これが伝わることに
素晴しさを感じます。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト