新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: めるろ〜001さん

    2010年06月10日 14時22分36秒

    icon

    『般若心経』の密教的訳を試みました。

    以前から、般若心経の訳を試みようと思ってました。

    一つの区切りとして、ほやほやですが
    出来ました。

    夜にもアップしたいと思います。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全1件

from: めるろ〜001さん

2010年06月10日 22時07分15秒

icon

「『般若心経』の即興訳」
舎利子が「最高の智慧とはどういうものですか?」と釈尊に恭しく伺ったところ、
釈尊が長い瞑想に入られ応じられなかったところ、観自在菩薩が般若波羅密多行を深く行じて、
私たちが美味しいだとか、美しいだとか、冷たいだとか、重いだとか、悲しいだとかいうものは、
いつまでも一定のものではなく、変化するものである。と見渡した時に、
一切の苦しみを乗り越えてしまった。そこで、観自在菩薩は、舎利子に向かって、
世界や目の前の現象は一定のものではない、また、一定のものではないその総称は、世界や目の前の現象と異なるものではない。これは言い直すと、世界や目の前の現象は即ち一定のものではない(=無常)である。無常のものを指してみればそれは世界や目の前の現象である。

物事を受取る(=受容する)物事を考える。物事を理解する為に修行する、物事を理解し認識にまで高める。そして、それらを繰り返す。このこともまた無常である。
観自在菩薩が言う舎利子よ。世界や目の前の現象というものは、空ということであり
諸々の法(=縁起)によって成り立っている。
その世界の総体はどこからか勝手に生じるということも無く勝手に滅してしまうことは無い、
穢れきるということも無く、全く浄化されるということも無い。
その全体は、増えることも無く減ることも無い、
これゆえ、空という性質の中には世界や目の前の現象の性質というものは無い。
自我を見て御覧なさい。
五感の感性の中に自我がありますか?自分が想うその中に自我がありますか?
修行を突き詰めていって自我が発見されますか?自我という認識の中に自己固有のものがありますか?
物事を見る、聞く、嗅ぐ、味わう、身体で感じる、自己の心、その中に自我がありますか?
言い方を換えてみましょう。世界や現象の中に自我がありますか?説法の教えの中に自我がありますか?仏様の芳しい香りの中に(仏具を指しているものと想われる)自我がありますか?
甘露な味の中に自我がありますか?(甘露は素晴しい教え)の中に自我がありますか?
仏様など説法するものに触れることで自我が生まれますか?
法(=縁起)の中に自我がありますか?
見えているものの中に自我は無いのです。
そして、意識界全体の中に自我は無いのです。
しかしながら、全く自我が明らかになっていないということも無い。
そういう自我というものが明かになっていないところに行き着くと、
老いるとか死ぬるとかの悩みも無い、老いるとか死ぬるとかの悩みも無いところは、
仏道の基本の四諦の苦集滅道というものも無くなる。
これ以上考えるということも無くまた、これ以上得るということも無い、
そういう世界に入ることとなる。
これを以って、得るというところのモノが無い故のところに居ることとなる。
菩薩の境地というものは、智慧の菩薩道に依るがゆえに、心の中が澄み渡り
何か迷ったり引っかかるものが無い。
心の中が澄み渡っているが故に恐怖というものを感じないし動じない。

その心の世界は、物事をさかさまに考えたり、空想を考えたりということではなく、
そういう地点から遠く離れて、時間経過と共に思考し、理路整然としている。
丁度、涅槃と非常に接近している。

過去仏(始原の象徴としての仏)現在仏(説法する仏)未来仏(未来に現われ人類を救う仏)の
三世諸仏も同じ般若波羅密多という智慧の菩薩道を経ているが故に、
<阿耨多羅三藐三菩提>という修行の最高の悟りの境地を得ている。
そうなってくると、「般若波羅密多」という修行はどんな段階を経れば知ることが出来るのですか?
先ず、「大神呪」という行が人の幸福に関することを般若波羅密多行で観じるための呪をいい、
次に、「大明呪」という行が自己が明らかになることを般若波羅密多という行で観じるための呪をいい、次に「無上呪」という行が菩薩道に入ったということを般若波羅密多行によって観じるための呪を言う。次に「無等等呪」という菩薩道が釈尊と同等の悟りを得るという段階の行を観じるための呪をいうのである。

このことは、修行をする者を、あらゆる苦を取り除き、真実の教えにして、虚論ではない。
そういう修行の証である般若波羅密多の呪を説くのである。
そうです。その呪というものは、
羯諦、羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦という呪である。

菩薩道の行というものはそこで終わるのである。
これで、般若波羅密多の心というものである。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト