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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

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from: めるろ〜001さん

2009年02月16日 12時21分44秒

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沙羅ちゃんとボティサットヴァ

沙羅ちゃんの専用コーナーを作っておかないとと思い、スレッドとして作製いたしました。ご自由にご投稿お願い致します。

沙羅ちゃんの専用コーナーを作っておかないと
と思い、スレッドとして作製いたしました。

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from: 沙羅さん

2010年07月25日 00時41分07秒

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「Re:Re:Re:Re:沙羅ちゃんのブログ」

 本を読む時にいつも思う事。

 この文章を書いた人の心が独立<自立>しているのか?
 
 という点にいつも意識が向いてしまう。

 思うに、コーランを日本語に訳す人は、アラブ語で生活できる仏教徒の人・・・であったり、経典を例えばイタリア語を話すサンスクリット語が理解できるキリスト教であったり、そのような各種の言語の介在が必要なのではないか?最終的に自分にどれがマッチするか?読者が決めれば良いという市場の拡大や市場の広さを目指した方が良いと思うのに、なんだかいつも、自分以外の他者の指摘や批判を受けたり、応答したり、どれが正しいでもどれが間違っているという対峙世界での応対に時間を捕られたり、いつまでも狭い了見の言語の解釈の個人見解をつついているという事ではなく、

もっと観方そのもの事態が派生的な事に意識をむけるのではなく、もっと全体把握に向かうと良いと思うのですね。

日本では、シェークスピアを訳す翻訳家、
実際の訳本は44名の翻訳家によって翻訳本が出ているそうです。

日本語で、シェークスピアを読もうとしたら、44種類の訳本から選べるという環境だそうです。

それを聞いた、イギリス人は、

「いいなぁ〜〜・・・日本人はうらやましい〜。、僕なんか、オリジナル<原本>しか読めないもんね」と言った。

西洋思考はここにあるでしょう。

原本を正しく訳す・・・という意識<価値観>に捕らわれるという価値観は、外国にはないのでしょう。

 訳す・・・という事は必ず、訳す人<心>のフィルターがかかる。

 原本を書いた本人ではない・・・のですよね。

 しかもその原本の内容は、これまた、その本人の気持ちや感情や体験が書かれているのではなく、何百年も後に、口伝で伝わってきた、すでに書かれる時代、その世に存在していない人が言った言葉が書かれてある。結局本人キリストにしても、お釈迦様にしても<死した聖人>が書いた書物ではないのですよね。

実はこの本を読む時もかなりそのような点が気になった。



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