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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

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  • from: めるろ〜001さん

    2010年09月07日 08時04分07秒

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    神さまはホントに いるのかな?形而上学的問題

    形而上学的問題とは、<そこにどういう象徴を求めるか?>
    という問題である。

    占星術には、東洋のものと西洋のものがある。
    密教にも東洋のものと西洋のものがある。

    トータリティと全世界観を求めるならば、
    当然、そういう差異にも注目しなければならない。

    「私は菩薩である。」は、「菩薩」が抽象名詞であり、
    決まりきったものを指しているわけではないので、
    おかしいとは思いませんが、
    「私はブッダが降誕したものである。」といえば、
    ちょっとおかしいのではないかと思う。

    この場合のブッダは、ゴーダマシダールタを指しており、
    悉有仏性により仏になったという意味ではない。

    この場合の形而上学的意義は、個人の抽象名詞化である。

    人知を超えるものを推測する。及び体験するというのは、
    信仰が無いと可能ではない。

    それは、私個人とその象徴との関係で起きることであるからである。それはその次に、文字によって、指される。
    「神の痕跡は〇〇である。」と。
    これを科学的に精査すると、神の仕業でないことが分かる。

    しかし、この時にこそ、神は居るのではないか。
    無神論者は、「ほら神は居ない。」といい、
    神を信じる人は、「神を信じていなくても神を想定し、
    神を居ないと言っている。」と。
    「あなたの中に神という定義がある。」と。

    この場合は、どこまでも神がいると想定できる。
    人間が想定した神の定義が、成立するのである。

    神が居ないとする者の多くは、
    神が居るとする社会形式を受け入れていないのである。

    形而上学で深く意義を探るということには、
    大賛成ですが、その結果を神の仕業と結論付けることに、
    疑問があります。

    ゆえに、科学的検査をして、当然のように神を否定する材料を
    提示するのですね。

    神の存在はそこにないのに、です。

    聖母マリア像の血の涙は、男性の血であった。
    更に言えば、この男性は聖母マリア像を清めている
    守護の人であった。
    これは、科学的事実として仕方が無いことですが、
    それをしても神の否定できないのです。

    神の存在は、神が居るという形而上学的世界に通じている人が
    感じる世界です。

    人間の可視界に存在しないという神は、
    どこまでも神を信じる人に、神を存在させるでしょう。

    理神論者は、このことを理解しつつ、
    神の存在を証明しようとし神の痕跡を探る。

    僕の発想は、そういう理神論に対し、
    どこまでも続く理論にその知性を費やすのではなく、
    形而上学的な思考を見い出す理論に着手して欲しい
    と思うのですね。

    沙羅ちゃんがそれを為されているようですが、
    僕には、日本的な神や仏像には興味あるのですが、
    どうも西洋の像や宗教絵画には、興味が沸かないのですね。

    その理由は、その手法の素晴しさは感じ取れるのですが、
    その宗教的意義は、感じ取れないのですね。
    しかし、人生訓としての意義は感じ取れるのですがね。

    難しいところです。

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コメント: 全2件

from: めるろ〜001さん

2010年09月08日 12時46分26秒

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「Re:Re:神さまはホントに いるのかな?形而上学的問題」
沙羅ちゃん


形而下、つまり、物理現象としては、
神はそこには居ないといえますが、
形而上学では、人がモノに意味付けや興味がある限り、
そこに抽象化と象徴化があります。

人がどう創造するか、
どう変化するか、
どう希望を持つか、
死を悼んだり、生を喜んだり、

そういう中から、奇跡が起こる。偶然が起こる。
その神秘性は、形而下では、なかなか判断つかないでしょう。

コンピューターが発達しても、
など、過去に捉われない場合は、機械的プログラミングが
難しいのですね。

生来の性格とでもいいましょうか、
興味の矛先は、何かしら偶然といえないものを感じますね。

>
>
> > 沙羅ちゃんがそれを為されているようですが、
> > 僕には、日本的な神や仏像には興味あるのですが、
> > どうも西洋の像や宗教絵画には、興味が沸かないのですね。
> >
> > その理由は、その手法の素晴しさは感じ取れるのですが、
> > その宗教的意義は、感じ取れないのですね。
> > しかし、人生訓としての意義は感じ取れるのですがね。
> >
> > 難しいところです。
>
>  多分ですが、人間の記憶の根源といいますか、
>  自分の感覚にマッチする、あるいは、自分の感覚に違和感を感じるという説明できない感覚の根源は、やはり自分が生まれる前に、心、魂というものの記憶が甦るゆえなんでしょうと思います。
>
> どうしようもない、人間の生命の営みの根源を解明できないとわからない情報のひとつであるような気がします。
>
>
>  スピリチュエルでは、霊視をされて、過去世をあげられますが、
>  心理学では退行催眠では、不思議な体験を語る人が多いと聞きます。
>
>  わたしも小学校の時から、英語のRとLの発音の曖昧さがすごく気になりましたから、だからと言って、アルファベット諸国に行った事はありますが、住んだ経験ないのですけどね・・・
>
>  何て申しましょうか、わたくしのハンドルネームも、むか〜しそのような音素で呼ばれていたような記憶がある・・・・というおぼろげな記憶なんです。
>
>  祖父母の永眠している渋谷城の近くに流れている、渋谷川が、
>
>  文部省唱歌の「春のおがわ〜は、さらさら 行くよ〜」であった・・・と言うのが、わかった時にはさすがに、おかしくて笑いましたが、、
>  わたくしの場合、特に 音 に敏感なようなんです。
>
>  最初は、誰もが、わたしは音楽の楽器を弾くから、、という理由をあげますし、わたしもそう思っていたんですが、
>
>  しかし、同じヴァイオリンを弾き、かなり高度な技術をもたれるヴァイオリニストが、外国に行き、その国、特有の音素をすぐ的確に発音できるか?・・・・という事は、必ずしもないようなんです。というのも、知り合いや実際、話していて、放つ 音<声>を聞くと、日本語のカタカナ音素そのままの発音される方がいらっしゃるので、音楽をやっているから、、という理由が、なんらかの、音に対する、敏感性に働くか?とは違うと思います。
>
> 霊能者によると、2500年前にインドの何処かの大きな家の子供に生まれていたそうですから、本とか、どうか分かりませんけど、サンスクリット語の音素は美しいんですよね。
> Rの音素が沢山あって、美しいのは、皆大好きです。笑
>
>  

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from: 沙羅さん

2010年09月07日 23時02分55秒

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「Re:神さまはホントに いるのかな?形而上学的問題」
めるろ〜さん


> 沙羅ちゃんがそれを為されているようですが、
> 僕には、日本的な神や仏像には興味あるのですが、
> どうも西洋の像や宗教絵画には、興味が沸かないのですね。
>
> その理由は、その手法の素晴しさは感じ取れるのですが、
> その宗教的意義は、感じ取れないのですね。
> しかし、人生訓としての意義は感じ取れるのですがね。
>
> 難しいところです。

 多分ですが、人間の記憶の根源といいますか、
 自分の感覚にマッチする、あるいは、自分の感覚に違和感を感じるという説明できない感覚の根源は、やはり自分が生まれる前に、心、魂というものの記憶が甦るゆえなんでしょうと思います。

どうしようもない、人間の生命の営みの根源を解明できないとわからない情報のひとつであるような気がします。


 スピリチュエルでは、霊視をされて、過去世をあげられますが、
 心理学では退行催眠では、不思議な体験を語る人が多いと聞きます。

 わたしも小学校の時から、英語のRとLの発音の曖昧さがすごく気になりましたから、だからと言って、アルファベット諸国に行った事はありますが、住んだ経験ないのですけどね・・・

 何て申しましょうか、わたくしのハンドルネームも、むか〜しそのような音素で呼ばれていたような記憶がある・・・・というおぼろげな記憶なんです。

 祖父母の永眠している渋谷城の近くに流れている、渋谷川が、

 文部省唱歌の「春のおがわ〜は、さらさら 行くよ〜」であった・・・と言うのが、わかった時にはさすがに、おかしくて笑いましたが、、
 わたくしの場合、特に 音 に敏感なようなんです。

 最初は、誰もが、わたしは音楽の楽器を弾くから、、という理由をあげますし、わたしもそう思っていたんですが、

 しかし、同じヴァイオリンを弾き、かなり高度な技術をもたれるヴァイオリニストが、外国に行き、その国、特有の音素をすぐ的確に発音できるか?・・・・という事は、必ずしもないようなんです。というのも、知り合いや実際、話していて、放つ 音<声>を聞くと、日本語のカタカナ音素そのままの発音される方がいらっしゃるので、音楽をやっているから、、という理由が、なんらかの、音に対する、敏感性に働くか?とは違うと思います。

霊能者によると、2500年前にインドの何処かの大きな家の子供に生まれていたそうですから、本とか、どうか分かりませんけど、サンスクリット語の音素は美しいんですよね。
Rの音素が沢山あって、美しいのは、皆大好きです。笑

 

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