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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: 沙羅さん

    2010/09/14 02:12:30

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    PAIX ぺ(平和)


     2004年に、春先突然日本から、ある知らない若い女性が電話をかけてきた。

     彼女は、「智子 と言います。」と言い、知人にわたしの事を紹介されたと言う。

     彼女は、大学卒業、外国に留学したいと思い、アルバイトをしていた。

     その時は簡単な事しか話さなかった。

     国際電話は料金がかさむだろうから、メイルで連絡しましょう、、という事になった。

     その頃は、まだMSN、哲学、真理、探究コミュの存在もしらなかった。

     彼女が一番最初送ってきたメイルのアドレスには、

     PAIX という字が入っていた。

     PAIX は「平和」というフランス語だ。

     だからわたしは仏文科卒なのかな?と思っていた。

     しかし、最近の若い日本人にしては、珍しい感じを受けた。

     個人メイルアドレスは、世界の平和を願うべく、・・・という
     意味合いの語録のアドレスだったのだ。

       
     彼女をリヨン飛行場、サンテクジュぺり空港に向かえに行ったのはわたしだった。

     あの時、ほんの少しでも、彼女がうちの近所の体育館で、今のご主人R君と会い、二人は2009年、お母様が他界された3週間後の
    7月18日に結婚する事など、など・・・・・・

     思いもしなかった。
    わたしは、二人の結婚式の証人として、市役所の永遠保存台帳には漢字で記した名前のサイン、同じく智ちゃんの漢字明記の横に記されている。

     当時彼女にメイルアドレスの理由を聞いてみた。
     そしたら、大学時代から使っているという。

     仏文卒ではない、彼女はフランス語は知らなかったという。

     「じゃ〜何故?
     仏語のPAIXなの?」わたしはしつこく聞いてみたのだ。

     「仏文科の友人が、いて、なんとなく〜彼女と話していた
     会話に、PAIX ぺという音素が意識を引いた」という。

     もちろん、その時、彼女はフランス留学の計画さえもたてていない。

     仏語を習わなかったら、PEACEでもいいのに、、

     と思うのですが、、そこが非常に不思議に思えた。


     6月15日、空海の誕生日とされる日に、知人のシャモニに住まれていたJさんは他界された。
     それを知らずに、旧友のTさんが、フランスに娘さんと仕事を兼ねてフランスに着いた。

     Tさんのお世話をするのが、Jさんが信頼している
     Yさんだった。
     だからお葬式で色々、予定していた以上に当事者でない関係しない人達も、一緒に動くかたちをとっていた。
     シャモニは山岳の町で、あのモンブラン、MONT BLANC白い山という意味の山の麓にある

     もともと、山を愛する人達はなんらかの形で山に関わっているのですね。山に惹かれて、世界あちこちから、歩幅を狭め近づいてくる
     Tさんは、世界で7番目に高いダウラギリ登頂の一行に参加している。
     ネパール、ヒマラヤ山脈にあるダウラギリは、サンスクリット語で、やはり「白い山」と言う意味だそうだ。

     私達が、生死の危険を犯してまで、天に近づきたいと思い8000メートル級の高山にアタックし、何度も悪天候に阻まれ、何度もクレパスにかかるはしごの修復をし、やっとの思いで、ある日2,3人が幸運にも登頂できた時、、、何を願うだろうか?自分の幸せ?いや違う、、、両親の健康?それも違うと思う、、

    どの人も、あの壮大な自然の中で、天になるたけ近くという思いで、命の危険を省みずと中には非難されそれでも、沢山の協力者の暖かい応援の人達の支えによって頂上に立つ事ができたなら、
    皆同じ気持ちをもたされるであろうと思う。

     「平和」それしかないと思う。

    そうだった、、おもいだした。
    Tさん達は、ダウラギリの登頂に、平和のメッセージを、埋めてきた・・・・

     白い山 ダウラギリの頂点には、平和のメッセージが託されている。

        
       

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コメント: 全2件

from: 沙羅さん

2010/09/21 19:31:48

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「Re:PAIX ぺ(平和)」



 全てにおいてわたしは至りつきたい
 核心そのものまで
 仕事や 道の探求
 心のみだれにおいて


 流れ去った日々の気質まで
 それらの原因まで
 基底まで、根まで
 芯まで


 絶えずもろもろの運命の
 出来事の糸を掴まえながら
 生き、考え
 感じ 愛し
 発見を成就したい

      ボリス、パステルナーク

パステルナークの葬儀に弾かれたのは、ショパンだったそうです。

http://www.youtube.com/watch?v=YGRO05WcNDk&feature=related

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from: 沙羅さん

2010/09/14 06:20:35

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「Re:PAIX ぺ(平和)」

 PAIX ぺ という音素には、

 実は平和という意味の他に色々使い道があるのです。
 
 PAIXぺは女性名詞なので、LA PAIX

 これに、HAVE動詞がくると、

 AVOIRアヴォアー<英語のHAVE動詞>+LA PAIX
 で、安らぎを得る、静かに時を過ごす・・・という精神状態を現わすんですね。
 
 (人)をそっとしておく・・・という表現にも
  PAIX を使います。
LAISSER<to leave> LA PAIX

平和という意味の他に精神的な意味合い、安らぎ、安心、平穏
 という心理状態を現わすんです。

 平和という言葉には、一人称複数で放つ場合が多いですけど、
 安らぎ、安心と放つ場合 などは、一人称単数の心情または、二人称単数へと放つので、個と個の関係が浮き上がるんです。

 言葉の起源に遡ると、

 例えば、山<YAMA>と呼ばれる前に山はありますから、
 山に命名をしないとならない、コミュニケートが出来ませんから・・・・
 YAMAという音素を聞いて、山を想像出来ないと言葉は生まれないと思うのです。

想像力を介す普遍性でしょうか?

音によって、古代人の心が想像しあうんですよね。
それが、普遍化し知識や認識として、後世代に伝わっていったと思うのです。・・・・・という事は、

言葉の起源は、当然ながら音 が最初なんです。

音を聞いて、人々は心に響くなにがしかのイメージが想起するんです。
その感覚や音へのSENSセンスが、人間はあったはずなんです。
そこまで、遡ってみる。

何故?

その音素でその意味を伝え合うのか?

という解釈であって、

わたしはこう思う・・・
わたしはこう解釈する・・・

という一人称単数発のみの言説は、他者を含まないので、
他者とのコミュニケートをすでに、最初から放棄して、自分中心を、力ずくで、相手に判ってもらおうとしているだけだと思うのですね。

言説は、一人称複数の立場に立って放てるかどうか?

というまず放つ前に、熟考を重ねると思うのです。

放つ対象も、二人称複数に向けて放てる内容かどうか、、、という事だと思うのですね。

何故なら、

人と人との交わりに無くてはならない役割を果たすのが
言語とするならば、言語は環境によってもかなり影響を受けると思うのです。

言語の基本的な機能は、動物のようにさまざまな動作や鳴き声によって内的状態を表現する、人間も泣いたり、わめいたり、驚いたり、感嘆したりという、自分の気持ちを反射的に表に表す、表出行為は、広義の言語の最も低次な基本機能なんです。

ですので、単純な表出、不自然で大げさな表現<大概、紋きり型表現>で、他者に同意したり共感の意を表すという形は、殆ど
群集心理を煽る単純な表出現象による言葉に多いようなんです。

同感、共感を感じるという地点の前で留まるのは良いのですが、
同意や協調を目的にすると、どうしても、固まる、追づいする、ファンを追う行為と類似の行為なので、
どう考えても、自由や自立という個が独立している、自由意志の
上での共感を得る・・・・という現表行為には、複数他者からみたら見られないでしょう。

次に、微妙なきわまる内容の信号。怒りや軽蔑の表情やしぐさもふくめ、言葉によらない信号としてのコミュニケート

ここまでのコミュニケートは低次世界なので、動物でも行うんですね。、波動が低い人ほど、この層のコミュニケートによって、
仲間をさがしたり、類は類を呼ぶ集合行為の特徴だと思われます。

人間は、高次世界を目指さなくてはならないように、生かされていると思うのですね。人間のコミュニケートにおける言語活動の大半は、真実なのか?真実でないか?例えば、天気が悪いと、庭の作物が取れないとか、最近のテクノロジーの成果がどうのこうの、
何処そこに、お店の品物がどうのこうの、あるいは、賞をとった誰それ俳優が演出している映画は大変人気が高いそうだ・・・などなど
・・・・というこれは人間の叙述機能に頼って、他者と会話しているのだと思うのです。
そして、話し次第では、そうでもあるし、そうとも言えない・・・
事実がありのままに伝えられる事もあれば、そうでない事こともある、あるいは嘘や、虚偽を内包する文化を持つのが叙述機能<descriptive)によってなされるコミュニケートの世界だそうです。

この上にまだ高次の人間のコミュニケートの層があるとされています。

一番大事なのが、論述機能を持つ会話でなければならないとされています。
つまりこの段階で、他者が内包されているか?いないか?が観えてくるんです。
何故なら、論述はARGUMENTATIVEアーギュマンタティヴ
の所産は、妥当あるいは?妥当でない論述?
といういかに多くの、人達が納得する、人間の心の理性にかかわる働きが加わるそうなんですね。
つまり、叙述機能での人間の文化の虚偽を内包させる、真偽の共存する文化での中道接点の力点を探すという位置ではなく、
その上の段階での広い地平、理の地平へと全員が向けなければならないと思うのです。

叙述論世界での批判文化の中で事物の価値に関する妥当性の推論を媒介しながら人間の心の理性にコミットする働きを具現するというもっとも高い段階の言語の働きが可能であり、高次の人間には、心がコミットするんです。これが、人類の進化という事に思えます。

どの層で他者と係わり合いをもつか?という事は人それぞれですが、言語活動においては、上質、向上へむけて無限な活動ができるはずだと思うのです。

テレビやメディアがいけないと言いませんけど、どうして、民族意識が、メディアの情報の価値観に追随しているような反応の仕方になるのでしょうか?
国民がメディアを引っぱるという、主役は国民であって、情報会社ではないと思うのです。
国民の興味を示す分野が高次に向かえば、メディアもそれについていかなければ、ならないはずですから、
そういった意味での個に任される能動意識と言う意味だと思うのです。
難しい事を述べているようにも思いますが、あまりにも現状は、ひど過ぎます。民族の崇高性を微塵も感じられないでは、本とは困るのです。

PAIXから、辛口に流れたかな?
 

 

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