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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: めるろ〜001さん

    2010年11月12日 11時14分49秒

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    沙羅ちゃん、今書こうと思ったのに

    # 哲学として存在し続けるのは、科学の分野から逸脱してはいけないとおもうのですよね。

     いくら、輪廻転生がどうのこうの言われても、個人的な心情を証明するのは、せいぜい、他の霊能者が同一見解をだした時くらいでしかないので、科学的な証拠というか、そんなのが最初から心霊世界に求めようとするのがおかしな話なんですが〜・・・・・そのおかしな話を真剣に、手段として、認めるであったり認めないであったり・・・と議論をする世界があるそうなんですね。
    でも、体験する人は、そのような世界の科学的な証拠に価値観を置くという見方しか出来ない人とは最初から接しないで自己探求に時間をそそぐか、他者の救済をするという事らしいんです。
    一般大衆がそのような人達の存在を求めだすという普遍性の動きにいちばん察知できる位置にいるからだと思うのですね。

    其の両方とも出来ない方は自己探求と思っていても何故か対峙世界の他者と問答ばかり生じて居る世界に身を投げ、結局他者批判の形で現れ、他者救済は、しないという現れ方になる方は何故か唯物論者が多いようなんですが、違いますか?#


    沙羅ちゃん、日本の国粋論者にもそういう人がいますよ。
    推測推測で論理を固め、我田引水をする田母神俊雄とか言う人です。
    この現象は唯物論とか唯神論とかいう分類ではなく、
    個人の成長という形の方が説明しやすいと思うのです。

    確からしさの程度は、信仰では自己が「これは確かだ。」と
    認めてている状態ですね。
    思想は、周りの多くの人が同じ考えであり、同意が確認されるもので確からしさが、信仰より度合いが大きくなります。
    哲学は、時代が経っても、その哲学の持っている方法論を
    基にすれば、同じ答えに到達するというものです。
    哲学はそういう意味で時間を越えて普遍性を持っている
    ということです。

    確かに哲学という呼称を用いても、方法論を持たないものもあり
    そういうものは、思想と呼ぶ必要があるでしょう。

    沙羅ちゃんは、科学に焦点を絞られましたが、
    科学とて、宇宙のダークマターがどのような働きをするかによって
    大逆転する可能性もあるのです。
    しかし、地球にいれば、地球の重力により、
    アインシュタインのエネルギーの法則など一定の条件では
    動かせない法則は、科学といっていいでしょう。


    仏教では、自己が世界を観てそれを苦だと思い、
    その苦を詳細に知り、認めることをする段階としての声聞乗と
    観ている世界の時間的変化、過去から未来への変化を観じて
    その世界の理を看破する縁覚乗、
    他者救済という自己と違う考え、違う人に対して大きな視点から
    思考していく菩薩乗という思想があります。
    三乗といいますが、日本は仏教国だといいながら、
    多くの人は、三乗は声聞乗と縁覚乗と菩薩乗とであるとしか
    理解していないのではないでしょうか?

    日本人は、仏教を理解している人は少ないと見ます。
    日本人でありながら、仏教や神道を教育として含まれていないのは
    カルト宗教を生む土壌だと思います。

    カルト大作さんの『法華経』の翻訳をよんで観たら、
    一部訳していないんですね。
    実はそこが何とか学会のアキレス腱なのです。
    訳さなかったし、信者にそこを読まさない工夫もしています。
    『法華経』の二編を読みなさいとそれで十分だと。
    まあ、余談ですが、僕の場合は、その何とか学会が勧誘に来たら
    「『法華経』を読んだことがありますか?」と聞くといいましたが
    実際に底辺の信者さんだけでなく、上部の信者さんも『法華経』の
    一部しか教えていないのです。
    そういう姑息さにおいて、カルト大作さんは頭が良いといえますね。
    これを読んで、日蓮正宗などの正統派の『法華経』を
    信奉する宗派が、気付けばいいのですがね。
    (僕は『法華経』を四種類の訳を読みました。
    お勧めの『法華経』訳は三枝訳です)


    仏教は、バラモン教などの輪廻転生を克服する考えで
    出発していますので、
    「輪廻転生」は、声聞乗の段階の説法の中での
    ことですね。

    仏教が何を目指しているのかを説明する時に、
    適している例だと思います。
    仏教は<普遍の精神>を目指しているのですね。
    <不変の精神>とも書きますが、この”不”という語が
    際立ったのが、龍樹の八不の論ですね。

    ”不”は否定ではなく、不変の不だったのです。

    対決の論理は幼いというのが仏教の立場ですね。

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コメント: 全3件

from: 沙羅さん

2010年11月13日 04時54分15秒

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「Re:Re:沙羅ちゃん、今書こうと思ったのに」

  数学の美しさは、とりわけそれが必然的であることによってみごとである。が、数の世界においては、何も変わらないだろう。そして、たとえ空間には、実際にあるよりも多くの次元があるとしても、そこにはいつまでも、二次元に有効な幾何学や、三次元に有効な別の幾何学が存在するだろう。後者はまさに我々の幾何学なのだ。
同様にして、数学的解析がなされるさまざまな関数は、神が万物に与えたすべての形式から独立して、 思考のうちに存在する。
したがって、そこには、それらについて思弁し、それらをあらゆる実在から独立に定義づけ、それらの固有性を探り、それらを不連続的でさえある変化のうちにたどり、
かくして思考の世界、想像の世界へと赴くという格別の楽しみがあることがわかる。
その想像力の世界を支配しているのは、必然の秩序であり、現在とは違ったものとしては、ありえなかった秩序であり、まことに神の属性とみえるほど絶対的で、この上なく永遠な秩序である。

   「科学者の使命」P,テルミエ 

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from: 沙羅さん

2010年11月12日 19時38分05秒

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「Re:沙羅ちゃん、今書こうと思ったのに」


 昨日、フランスのテレビで 主要チャンネル(2,3)、21時から2時間の番組のアンヴォアイエ、スペシャルというカルチャーと社会問題をテレビカメラを通し、社会をなす全ての人達で考えるという真面目な番組があるのです。

 インドの民家があつまる部落にフランスのジョーナりスト達が行き、インドの国をなすインド人達の文化意識、民族意識を知るという事なんですが、、、未成年の男女の子供達を婚姻させ、家族や部落の権力者がどのように、CIVILISATION、文明、文化への進化の途上を目的としているならば、地元の人たち<人間>とどのような、人間と接する、心や魂と接する地点に目覚めているか?という地点で、カメラを回しているんですね。

7,8歳の子供達が、隣村の親や、村の権力者が決めた、いいなずけの処に、お嫁に行き、また男の子の方も決して、自分を幸せには思っていないんですね。

村の人達が、大人達ですがお祭り騒ぎをしている中、
着飾った未成年の男女達が、顔を下に向けて、強制的に婚姻させられる。そして子供を作る。

「 今日は、晴れの日だって、相手の結婚する女の子は会った事あるの?」フランステレビ局

 「ない」男の子

 「今日が来るのを、待っていた?」フランステレビ局

 「待ってない・・・」男の子

 「どうして?」フランステレビ局

 「学校続けたいし、、、」男の子

 「お父さんは、なんて言ってるの?」フランステレビ局

 「お父さんやお母さんは、結婚する女の子は、僕にとっても
  ふさわしいし、やさしいって・・・・・」男の子

 というような会話が、顔を下に向けられ、婚姻の日とは思えない暗い顔をした未成年の子供達の表情から放たれるのを映す。

 同時にインド政府から派遣される、勇敢な教育省の女性が、地元の学校に行き、「結婚するという意志は、自分自身で決めるものなんです!みなさん」と、目の前に学用品も持たず青空学校に集まる子供達に、倫理や道徳を教える。

それを、聞いている、校長先生はこれまた地元の権力者と見えて、適当なところで、授業を中断させる。

 インドという国には、あらゆる宗教起源であろうとされる、信仰に発展する起源である土地とされている。

 いったい、何ゆえに、このような信仰の生まれる土壌に根ざす民族は、未だにこの次元の
 CIVILISATIONに留まってしまっているのか?

 何故?

 色々考えるんです。

 貧しい・・・・・という生活環境がもたらす社会気質とは?

 皆が生きようと、なんとか突破口を見つけ出す。

 子沢山の家庭にあって、7,8さい肉体運動が出来れば、
 学校など行かず、畑を耕すくらいの体力がつくし、
 たらいで、洗濯できる事も覚える。

 昔みた、NHK,お母さんと一緒の、ぶーふーうー
 3匹の子豚みたいなのです。

 「ア〜た達、大きいんだから、親のすね、いつまでもかじってないで、独り立ちしなさい!」と、親は、未成年であろうが、学校行って、字が書ける様になりたいとか、本を読みたいとか、勉強したい・・・・と願っている子供に対し、

 「そんな、無駄な事、せんでいい!」<何故か?関西弁>

 と言って、隣村の、似たような子供の元へ、婿にやったりお嫁にやったり、まるで、物を扱うように、自分達の子供に接する。

 何処かの、国には登校拒否という言葉があり、

 授業中に、好き勝手、立って、授業しているクラスの中を、うろうろするという奇妙な子供の様子が映される。

 どちらの姿も、私達が生きる地球上に生じる現実の姿である事。

 どちらの世界も、人事ではなく、全て、自分が生きようとする、土壌の出来事・・・・地球の上の自分達の中に生じている現実である事。

   哲学を勉強し、そして身につける・・・・・・
   
   大乗が生まれたのは、必然だからでしょうと思います。

   他者の存在は、決して、人事ではなく、たとえ、遠い国の
   出来事の事でもいかに、自分の身にふりかかる切実な問題と   して、心に留め、考え、、そして・・・・祈る。

  祈る形に、何かひとつ、決まった形があるとは思われないです。
  哲学の存在していって、在り方に思えます。

 
 
 

 










 

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from: yeshangさん

2010年11月12日 12時12分41秒

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「Re:沙羅ちゃん、今書こうと思ったのに」
> # 哲学として存在し続けるのは、科学の分野から逸脱してはいけないとおもうのですよね。
>
 科学的な実証と推論、哲学・宗教の面からみた論理・実践と経験則、信仰の意味、双方から見ることが必要だと思っています。両方から見て納得させられるものもあります。「地水火風空」、「色受想行識(マナ識・阿頼耶識を含め)」などもよくできていると思います。
 そして何よりも立派な標本として生身の自分自身がいますので、行動と思考によって実証・推論しながら思考することだと考えています。
 参考とする図書も今は手に入りやすいですし、このようなサークルも大いに助けになっていると思います。

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