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「哲学〜真理〜探求について」

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from: 沙羅さん

2009年11月24日 00時30分32秒

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地球 ひとりある紀

アメリカ人のフランセスから頂いた本、お母様の旅行のお供を半世紀した本、高峰秀子さんが執筆した本の題名「巴里ひとりある記」を真似して、地球ひとりある紀・


 アメリカ人のフランセスから頂いた本、
お母様の旅行のお供を半世紀した本、
高峰秀子さんが執筆した本の題名「巴里ひとりある記」を真似して、
地球ひとりある紀・・・たてたいと思います。

 
 もうそろそろ、来年の新しいカレンダーが出回りますね?

 フランスのカレンダーを見ると気つかされるのは、日本と違うのは、毎日全ての日が、何かしらの意味があるらしいのです。

 カトリック教の国ですから、一応、国が決めてる祝日、7月14日のパリ祭であるとか、第一次休戦記念日11月11日、第二次大戦休戦記念日5月8日、またカトリックの復活祭、聖母被昇天の日・・・と色々記載されてる他に、聖人をまつる日が書かれている。聖人だけでなく、天使を祀る日もあり、国の祝日ではないけど、全ての日にちに、人の名前が記されているのです。
あの、フランシスコ、ザヴィエルさんも聖人扱いですから、聖フランシスコ、ザヴィエル年12月3日がそうなんですね。同じように、ジャンヌダルクも聖ジャンヌダルクとして、各教会に像がありますから、5月9日が、ジャンヌダルク祭の日です。
これは、近い未来国民の祝日にするかどうか、国が検討中だそうです。
その他、聖キャトリーヌ、例のマグダラのマリアは、聖マドレーヌですし、このローマ教会が認めた聖人はどれほどあるのかしら?と思って、WIKIで調べたけど、結構あるんですよね?
亡くなった後、なんらかの普遍性が何世紀にわたってあれば、その方の名前は聖人として、SAINT がつくのですね。

ですから、亡くならないと駄目なんです。・・・^^
つまり、生きてる間に名声をや何らかの存在性を、世の中にアピールしようとするような動きはおかしいと思うのですよね。

何故なら、他界した後に人達の心に存在しなければ、真の意味での普遍性はないと思うのですね。

パリのパンテオンに埋葬されるのは、亡くなった後、後世代の人達によって、その人の生きてきた貢献した経験がどのように後世代、何世紀にもわたって、存在し続けたいと希望したり願ったりするからでしょう・・・と思うのです。

聖人扱い、聖人として認められる・・というのはそのように歴史の時間の重みがあるんですね。

生きてる間に、既になんらかの権力を手中して、信仰や宗教協会の教祖として崇められる存在化とするというのは、やはりおかしいと思うのですね。まるで、マスメディアの力を利用しないと普遍化できないような動きはとても自然とはいえないと思うのですね。

キリストにしろ、お釈迦様にしろ、人々は自然に近づいて来て、普遍化していったという流れのなかにあると思うのです。


それで、なんですが〜・・・

最近、近所のレモンおじさんの1926年に突然、姿が消えてしまい、当時、死体もみつからず、なんの手がかりもなく、そのまま、80年近く経って、いきなり、何を思うのか?レモンさんは、自分の手に渡ってから20年以上も保管していた、行方不明のおばさん、ROSALIEロザリーおばさんの手紙の束を持ってきた。行方不明になった頃は、このレモンおじさんだって、この世に生まれていない。
それでも、何故か?フランス人というのは、捨てないで持っている・・・保管するらしいのです。

なんでしょう?彼らの気持ちの中で、なんとなく納得いかない記憶が、そのような思い出の品を無碍に扱えないそのような行為に出る事にブレーキがかかっているのだと思うのです。
心の存在なのでしょう・・・・と思うのです。

レモンさんのお父さんが、お姉さんのROSALIEロザリーさんと交わしていた手紙の束だった。その中に、一枚だけ絵葉書があった。
ROSALIEロザリーさんは、行った事がないパリの凱旋門 ARC DE TRIOMPHE アーク、デゥ、トリオンフの写真なのです。

 9月の初め、わたしは I さんと、パリと、ロアールに旅行に行った。ダヴィンチの息吹きを感じル為に、ロアールに行ってみたかった。ダヴィンチを擁護した、フランソワ一世が、SAVOIE公国の直系の血をひいているので、イタリアの血縁で繋が、引き寄せたのではないか?とも感じたからなのだ・・・
イタリアにはラファエルもミケランジェロ、、他にいくらでも、イタリア芸術が最盛期の時代において、

フランス国王は、
何故?
ダヴィンチに矛先の矢を向けたのか?
それが知りたかった。

しかし、その後の5世紀の間のダヴィンチの残した芸術品によって、フランスは、ルーブルにしても、他のあらゆる分野にしても、かなりの文化的な影響・・・つまり
彼が死ぬ前たった2,3年ロアール川沿いに、住居を構えた事で、大変な影響をフランスに残している。

しかも不思議な事に、たった、2,3年のフランスでの生活は、ダヴィンチにとって、フランスのロアールは自分は骨をうずめる場所・・・・・とわかっていたのではないか?

なんというか、分っててフランスに来たのではないか?
フランソワ一世との出会いのやりとりで、すごく感じるのです。

芸術家は、死ぬ場所は分かって動くであろう・・・・
ドラクロアも、サンスルピースに、天使とヤコブの壁画を描くために、ワザワザ、ヤコブ通りから入った奥、今は彼の家は美術館になっているのですが、よほど其処が気に入ったのでしょう。
引越して、サンスルピース教会に歩いていける場所に引越したのだった。
ヤコブ通りは、パリで一番古い教会、サンジェルマン、デプレ教会の裏にある。そして、フランソワ、ミッテラン大統領も、ルーブルのピラミッド計画をオルセー美術館、学芸員である愛人のアンヌさんの意向を聞きに、出来上がったマーケットと呼ばれる縮小モデルを車で運びヤコブ通りを、往復していたそうなのです。ヤコブ通りは、アンヌさん親子が住まわれてた小さな通りなのです。
当時、国民も閣僚も皆、度肝抜きましたからねえ〜〜
ピラミッドですから〜ルーブル宮殿に〜

そのような全員反対空気の中で、アンヌさんの直感がミッテランさんを、ピラミッド計画が倒れないように最後まで、後ろ立てしていたようだ・・・と、当時の閣僚達の思い出話でありました。

存在するって〜すごいですねえ〜・・・・
現れ方ってすごいですね〜〜・・・

ピラミッドのおかげで、ルーブルは又大変な観光動員数になり、ダヴィンチコードのおかげなのかどうか知りませんが、今年の4月からフランスの国家公務員で、教育省に務めている人達は全員、ルーブルの入場は無料になったのです。公務員はフランスの国民全体の
50%ほど〆ていますから、すごい影響力ですよねえ〜。

そうそう、それで話しがまた逸れました。
パリにはヤコブ通りは、そこにしかないのですが・・・・


 そういえば、最近又、亡くなられたフランセスのお母様の話しをこのブログに書くのは、亡くなられて2年目なのかしら?と思っていたら、突然、智ちゃんがおととい『そちらに行く用事ができたから、寄ってもいいですか?」という電話があった。
智ちゃんとR君が来てくれた。買ったばかりのボジョレーを開けて、わたしも久しぶりに手作りワンタンをつくった。ワンタンなどないので、豚肉の塊をミンチするところからはじまるので、時間はかかる。でも2ヶ月振りなので、久しぶりに日本食を食べて、
皆で、行方不明のロザリーおばさんの話しをして、あちこち情報収集の為、お役所、古文書、記述保管センター、法務省の検事に書簡をだしたり、飛び回っている事を話して、まるで、ダヴィンチコードの暗号解読より、真剣で真面目なのだ!と言ったら大笑いしていた。

フト、、智ちゃんとフランセスのお誕生日は、同日9月4日。、
わたしは、この二人のお母様のお葬式に、何故か付き添う形として人生が動いていた・・事を、皆に話し・・・・

アレ?

と、台所の壁にかかっているカレンダーに目がいった。

「もしかしたら?」

 と思ったのだ・・・直感・・というのは、ほんとに不思議だわ!
 探すという、意識ではなく、向うから、直線でわたしに向ってくる・・・・こちらが探そうとしていないのに、向うから、いきなり
向ってくるのだ・・・・

 求めているのではなく、他の事が意識にあって、他の話題の事を話しているのに、、いきなり向うから、気つかせようとくるのですねえ〜・・・・・

 カレンダーを外して、9月4日を見た。

 そうだった、9月4日は、SAINT ROSALIE 
 聖、ロザリーの日だったのだ。

 今まで気がつかない、わたしは鈍感なのでしょう〜・・・・

 だから、しつこくブログに書いていたのでしたね。

 誰が?書いているのかしら?
 ぅぅぅ〜ん・・・?分りませんねえ〜・・・・


 

 


 

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from: 沙羅さん

2010年11月26日 04時17分24秒

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「Re:地球 ひとりある紀」

 自分の先祖を知りたくなる・・・という人達と、
 自分の先祖を知りたいと思わない・・というか、興味はぜんぜんわかないという人達の違いはどうして生まれるのかしら?

 と思いませんか?

 この違いにわたしは、いつもどうして、違いがでるのか、意味が知りたいと探求欲が、ムクムク生じる。

 生まれて、自分の近い他者と自覚しだすのは、父と母である、

 父と母は当然違う家系で育っているから、その違いが当然です。

  まず、第一に気になる違いが呼び方。

 わたしは小さい時から、両親の事を呼ぶ時に、
 「パパ」「ママ」と呼んで育ったのですね。
 両親自身が、相手の事を、パパと呼ぶし、母は、父の事を呼ぶ時、パパと呼んでいる。80歳の高齢の今でも、お互いそう呼んでいる。だから、わたしも実家に帰ればそう呼ぶという事が自然に身についてしまっている。

 だから、小さい頃、友達の家に行って、友達が、母親の事を「お母さん」と呼んでいるのを頻繁に聞くと、10歳くらいになると、
友達達と話すときは、「うちのママが〜した」という表現をせず、
「うちのお母さんが〜した」と、変えていた。

何故?そういう事をするのか?
というと、当時、学校に通う家族の平均の呼び方は、お母さんとお父さんという呼び方が平均的だったから・・・・と言う単純な理由。

子供というのは、他者を認識するのは、差によって認識する。

とくにあちこち友達の家に呼ばれていくと、どの家も、違う雰囲気の家庭があった。当たり前なのですが・・・子供はやはり育つ家庭の雰囲気に染まる。

小さい頃、両親の実家に、週末になると家族で遊びに行った。

前にも話しましたが、両親の実家が、子供の足で、歩いて10分の距離の間にあった。

母方、つまり母の母(わたしの祖母)が住んでいるいる家に行くと、
母は、自分の母の事を、「おかあさま」と呼んでいた。祖父は、母が結婚する前、若いときに他界しているのですが、たまに話題になるので、「お父様」と呼んでいる。

祖母の家には、叔父夫婦とその子供が住んでいる。
叔父は、わたしの母の弟に当たる。
その叔父が、わたしの母を」呼ぶときに、「お姉さま」と呼んでいるのをわたしは知っている。つまり母方の家は、なぜだか、どこかのお公家さんの家かな?と思わされるくらい、不思議な存在のする家庭であったようだ。つまりこの母方の名前が渋谷なのですが、

近くには、父方の実家がある。

父に連れられて遊びに行くと、父方の祖父母が住んでいる家には長兄家族が五人住んでいる。7人家族の大家族だ。

しかも、長兄の家族は、3人男の子だけだったので、次男の父には、初めての女の子にあたる、私は、長兄家族にとっては、まるで、お姫様扱いだったのをおぼえているのですが、わたしは、これが嫌いだった。

しかも、父は、自分の母を、お母様でもなく、お袋でもなく、
「ばあさん!」と@@呼んでいた。

 父親の事も「じいさん」と呼んでいた。しかし、うちの父だけが特別なのではなく、一緒にすむ長兄が自分の両親を呼んでいるのをきいても、ばあさんとじいさん だった。

これには、正直、わたしも子供ながらにコケタ。

なんで?自分の父親がいきなり「おじいさんは、山に芝刈りにの」爺さんになるのか?
 おじいさんならまだしも「爺さん」と呼ぶ目の前の父にびっくりした。

仕方ないので、わたしは、父の両親を呼ぶ時は、中間をとって
 「おじいちゃま」か「おばあちゃま」と呼んでいる。
 今でも、父に話す時は、「おじいちゃま」であります。

 これを、なんだか品の良すぎる家族とか言われても、生まれて育った環境なのだからどうする事も出来ない。

 自分で呼び方を決めるわけではなく、子供は、育つ環境、人間関係の持つ雰囲気や接し方、立ち回り、話方などなどが大変作用しながら情緒を育てていくらしいのです。

 父の実家に行くと必ず言われるのが、
 祖母の言う

 「女の子は、ええ」であった。

 いったいどこの方便なのか分からないけど
「良い」とか「いい」を、「ええ」と発音する人でありました。

父方の祖母の話す、イントネーションは、父の話す日本語とは程遠いものがあった。しかし、父が、何故?自分の父親を呼ぶのに、爺さんであるのか、婆さんになるのか?のか?みかけはおじいさんやおばあさんに見えても、自分との関係を、外見で呼ぶとは何事なのか?と非常に思っていた。
ところが、この現象は、小学校に行きだし、友達の家に遊びに行くと珍しくなかった。
なぜか、大家族は、すべて呼び方が、一番若い世代、つまり孫からみた、人間関係の呼び方に全員が一致する傾向にあった。
個と個の関係は精神世界では必ず独立してるはず・・・なんて言っても、訳は誰もわからないのでした。

マ!それは哲学的な問題なのでしてここでは置いときまして、先祖の問題でした。

 渋谷にある金王八幡神社の神主さんに、渋谷の系図のコピーをいただいた。

 なんでも、渋谷氏の多くは、鹿児島に移動したそうで、鹿児島にはかなりの渋谷氏の家系を継ぐ家族が残っているそうだ。どうりで、何故?あの原宿渋谷に、鹿児島祭りがあるのか?理解できた。
母にも、渋谷の出が九州の鹿児島であるという事もきいているので、かなり一致する。神主さんは、「渋谷氏の家系には、乃木希典や東郷平八郎もいますよ。」と家系図を見せて説明されてた。

、東郷平八郎は薩摩藩だ。

祖母は十年前に他界したけど、祖母は、決して愚痴を言う人ではなかった。わたしはそこが、小さい頃から祖母の好きな理由であった。祖父は、母が結婚するだいぶ前に他界しているので、写真でしか知らないが、祖父より、むしろ祖母の短歌を作る姿勢や、けっしてメソメソしない。それでいて人を、べたべた安易には近づけさせない、雰囲気があった。それでいて、いつもニコニコ、何がおかしいのかわからないが、いつも笑っている祖母だった。
決して自分からは動かず、子供が何しようと、ほっとく祖母で、けっして孫の後ろを心配してうろうろついて歩くという祖母ではまったくなかった。いつも自分の場所から、ガンとして動かない祖母なのだ。
その点、父方の祖母は、いつもわたしの後ろを歩いて、「あれはどうか?」、「これせんと〜」いちいち、孫のする事に口をはさむという人のようだった。
まったく違う二人の祖母だったのだ。

中学生の時に父方の祖母は、父の養母である事がわかった。つまり父とも私とも、血が繋がっていないのだ。それで、祖母の異様な孫への執着した態度に納得が出来たのだった。

何故?
こんな事を書いてるか?というと、
当たり前と思われるかもしれないけど、わたしが生まれるのには、父と母が会わないとならない。父と母は、まったく何のゆかりも関係もなく、ただ、今世紀に初めて会った人達なのかしらん?
よく分からないけど、このあまりにも違い過ぎる家系の差をちじめるのに、私がうまれたのではないか?とも自分勝手に自分の生まれた存在理由など、口実をつけるわたしであった。

こんな事を色々愚考している。最近のハワイに散骨する人たちとの交信が頻繁なのも、渋谷氏の家系の東郷平八郎の関係なのかしら?
そういえば、
フランスには、フランス海軍の誇る大変大きな母艦がある。この前も、この母艦に乗る事を誇りとする海軍兵の家族達のエピソードを見たばかりだった。フランス海軍の母艦の名前は、ジャンヌダルクと呼ぶ。
ジャンヌダルクは、フランス海軍兵に誇りをもたせ家族から遠い世界の果て、任務に就くこと、優雅に世界の海を何ヶ月も渡って走る。
「パパは、ジャンヌダルクと共に働いている」と子供が話す。

東郷平八郎はハワイとどのような関係があるのだろうか?
色々直感を張り巡らせていた。
いやいや、そうではなくて、

東郷平八郎自身ですね・・・あ〜〜やはり・・・・
ジャンヌダルクと同じ命日だった。

そんな事だった・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E5%B9%B3%E5%85%AB%E9%83%8E



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