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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

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  • from: めるろ〜001さん

    2011年02月24日 12時22分33秒

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    感性の時空ではないですが

    古代イラン発祥のゾロアスター教は
    アフラ‐マズダは光の善神
    アングラ‐マインユは闇の悪神
    ということだそうです。

    それぞれ、一切の善悪を創造し、両者が闘争し、
    他界で最後の審判があるものとする。

    火の神聖視が、のちに、阿修羅となり、
    大日如来へと系譜が繋がっているようです。

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コメント: 全8件

from: 沙羅さん

2011年09月15日 16時45分35秒

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「Re:Re:Re:Re:感性の時空ではないですが」
MSG708続き

めるろ〜さんがいらっしゃれば、、、と思わせる言葉の話題です。

前身のMSNコミュの時期、

フランスでパソコンを購入しても日本語仕様ではなく、頻繁に文字化けが生じたのです。

仕方なく、日本語ダウンロードするのですが、日本語の環境にするのに、他の外国語をダウンロードした時に、使われるメモリーの数字を比べた驚いたのですよね。
中国語が一番メモリー占めるかな?という想像ははずれ、日本語が一番高かった。

ヘブライ語、フランス語のメモリーが占める数値は、日本語の3分の1だった。

これは、いったい、どういう意味なのか?


と不思議に考えてた事を、MSNのコミュに書きこみしたのだった。

ところが、大騒ぎさんという方の反応は、わたしが 述べたかった意味が伝わらなかった。

つまり、日本人は、記憶能力を必要とする日本語を使う優秀な民族なので、みなさん、日本語に誇りを持ち、日本語を大事にしましょう、、みたいな解釈をされ、どこかのお寺の法話をこの話題をされたらしい、、という事を書かれてきた、、

????????????

それはそれで、そのような解釈の仕方もあるのでしょうが、

どうも、いつも同じ解釈 理解の仕方を感じるのですよね。

数値が高い<多い>=、優秀 という判断は、ならないであろう、、という、、

哲学を勉強するという事は、現象 の違い を見つけ、 その原因 探しを探求するのであり、

判断しているのではないでしょう、、

柔軟な思考、何処からでも、光を当てられる、自由自在の方向から 観る事が出来る、、、という事が哲学思考でしょう、、

メモリー記憶を必要とする言語、、という事はどういう事なのか?


反対に、既に存在する記号の数を要せず、少ない記号や単語の数で、人間がコミュニケートする、、、という言語の仕組みはいったいどういう 意味なのか?

そのような事を、やはり 考えるのですよね?

自分自身の思考の仕組みはどうなっているのか?
という探求心でしょう?

そのような事が、MSNの時代では話されたので他者の存在、他者の思考の特徴がすごく 興味ふかかった。



 
自我という漢字表記も、、なんだか、
的確な表現されていないみたいですが、

他者達とのコミュニケート

第三者の他者達の立場に立ってみると

自分の放つ言葉は、どのように 捉えられ、感じられ、受け止められているか?

その他者の心との交流が 断絶してしまっている人達が ネット世界を観てみると、本当に多いと感じるのですよね。

心情や感情の流れをくめる、、人々の心、、心の反応、、心の域、

文学とか芸術でも触れる事あるでしょうか?

、思うのだけど、、抽象的な表現の世界での表現能力が乏しいのを感じるのですよね、、、画一的、断定的な類似表現が頻繁ですし、、

他者は、自分と同じ、魂や心が宿すひとりの人間なんですよね、、

他者が、何を感じるか?

他者が それについて、どのように 思うか?

他者が、自分の話す事について、どのような感情をもつか?


という類の 折り返しの質問は 一切されない、、という一通のコミュニケートばかりされているのは、コミュニケートとして成立しないのですよね、、

COM<CON> というラテン語の前頭詞がつく単語は、
すでにわたしと貴方達、、他者達の存在する世界を自覚できているかいないか?であり、、

言葉を放つ時、なるたけ多くの 他者達のもつ 共通エレメントを探しにいく 能力が<表現能力>であり、、

絶えず、他者達の存在を意識するでしょう?

何故なら、自分と他者が共存する世界に生きているという感覚があれば、必ず、他者達の考えそうな 思いそうな、感じそうな、事が予測できるでしょう、、

そして、どの位置<次元>で、他者達と共感や、感動や、同意しようか?

と思った時、初めて 自分自身 の思惟というものが 稼動しませんか?


闇雲に、外から入ってくる情報や 他者達の言葉に 同調したり 呼応したり、、という事ではなく、

まず、どの次元で呼応しようか?という事を考えませんか?

あのですが、、、、

孤立感は、

寂しい、、、という感情がともないますよね?

寂しいという日本語は、

フランス語に変えると

足りない と言う単語<動詞>なんですよね。


自分は完全な形として幸福を感じる事ができるのに、何か 自分の心に欠けているんですよね。


同じく、

からかう、嘲笑する馬鹿にする、、という日本語ありますが

これは、他者を、からかう、嘲笑する 馬鹿にする、、

という言葉のつくりではなく、


フランス語は  、MOQUER 嘲笑する、からかう

という動詞の前に、再起的、直接目的語が必ずついている

例えば、

わたしは、起きる

わたしは、私を起きる、<、変な日本語ですけど、>という構文

Jeわたしは meわたし lève 起きる

と同じ形 SEを使う 再帰的間接<直接>目的語が使われる

嘲笑する からかう、馬鹿にする
とういう構文なんですね。

日本語になると、まるで 対峙の誰かを、からかうとか 嘲笑するとか馬鹿にする

という表現でなので、、嘲笑したり、からかったり、馬鹿ににする言葉を放った当人の心<肉体>から 放たれて相手に向ってしまっている、一通の言葉、、と  理解した解釈しているようですが、、、


違うのですよね


他者を 嘲笑したり、馬鹿にするという日本語は、

わたしは、わたしを からかう、馬鹿にする、、、

というフランス語にすると構文上で
そのようの造りなんです。

つまり、貴方方が 誰か、相手を判断して、放っている言葉は、自分自身を、判断している、、という哲学上の世界、、想念を造っているんです。


カンタンに述べると


人を馬鹿にした言葉を 放つ事は、

自分が自分を馬鹿にしているんです。

対峙世界で安易に他者に放つ判断の言葉は、すべて自分自身に戻ってきます。言い方を変えると、 自分はその判断基準に苦しまなければならなく世界を造ってしまうんです。

判断は、ジャッジ JUGE

なんですね。

人が、人を裁く、、、、という 意味 言葉の意味の重さを感じる事無く

無意識に 放つ、、、、

どうして このような世界を造ってしまうのか?

よおく原因を 他者を介して 考えて観てくださいね、、




<SE> MOQUERモッケーという動詞、代動詞
をつかうのですが、この からかう心の意図はどこにあるか?というと

 自分自身を、からかう、自分自身を嘲笑する、自分自身を馬鹿にするという構文なんですよね。



百済観音の持つ、水差しです。
 、






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from: 沙羅さん

2011年09月14日 22時32分47秒

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「Re:Re:Re:感性の時空ではないですが」
久しぶりに 陸前高田の地震を予測した 松原さんのブログを開けてみた。

友人のKちゃんが、何回も わたしに似ている人、松原さんというブログがあるから、見て欲しいと、、、メイルに書いてきた人だ、、

なるほど、感性に類似のものを感じるの、、

ネットの影響で、言語の数が減るのではないか、、と、宇宙の主のメッセージを書かれている、、

同じ、、、

声ははっきり聞こえないけど、、

言語の種類が減る方向に向っている、、、という流れに乗っている感じがある、、


という事は、どういう事か?

というと、コミュニケートの伝達能力が低い言語は、普遍性がない存在の仕方しているんですよね。


言葉は、大変大事な意味を含んでいるんです、、

意味を含まない、言葉は ないでしょう?


意味を感じ、伝達能力の高い、言語が残るという感じがするんです。

だから、何度も述べたいのですよね。

言葉の意味を深く考えて、きれいな音素の言葉を述べて欲しいと、、、

口をすっぱくなるほど、述べたくなるのです。

無意識に流行語など放っていてはいけないでしょう?

日本語がここまで存在してきた意味をしっかり考えてくださいね。

仙台のフランスの姉妹都市は、レンヌという音素で、トナカイのRENNE

という音素の名前の町です。

サンタクロースを乗せてくるトナカイ RENNEレンヌなんですよ。

神的な音素の名前なんです。

もう神頼みみたいな感じですね、、

毎年、首相は変わるし、モンサンミッシェルは、巡礼地なんですよ、、、

昔の人は、命がけの場所なんです、、満潮や引き潮の時間の合間にいき、おぼれ死んでしまう場所なんですよね、、、 一キロ歩くの嫌だ!、、、、など、述べてる場合ではないんですよ、、

708年10月16日、、天秤座の時期に出現する、聖ミカエル大天使の エレメントは、JUSTICE 正義、、裁判所、のロゴ、、天秤をもって、現れるんですよね、、

いったい、世界との感覚の違い、違和感はどうした事だろう?

そのような問題なのだろうか?

 神から見放されてしまうという事は、「歩くのいや、、かったる〜い」
 の問題なのかしら?

 いつまで、人事なんでしょう?

 未来へむけて流れがあるでしょう?

 底辺に流れる川の方向、、感じませんか?

  普遍性、存在性を感じる 現われ方、生き方があると思うのですけど、、、、

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from: 沙羅さん

2011年09月13日 16時52分00秒

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「Re:Re:感性の時空ではないですが」

 色々な人と 人間関係が生じる時、、、

 まず、話していて、、、なんとなく 嬉しくなる、、、

 なんとなく、、知らないはずなのに、こちらの心の重荷を 軽くさせてくれるような

 話題をもちかけて来る人、、

 この存在の在り方に、気をつけてその人の言葉の意味、、

 つまり、

 何故?

 この人は、このような 現われ方で、話してくるのか?

 という視点で観てくださいね?

 こちらの 個人的な情報が あらかじめ 流れている事で、いきなり接近してくる、、という 時間を後ろから追うという 観方ではなく、、

 第三者達、自分の回りに 存在し、それでもって、まだ声をかけてこない、、という存在の人達が沢山、世界中にいるのでしょう?

 そのような 世界<宇宙>に存在している人達の存在との繋がり、、、
 それが、何故か?

 何故?

 今、このような事を 放ってくるのかな?、

 フト、思わせる、、、

 そのような、抽象的な存在の方達、、、

 いるのですよね、、、

 外界に 視線を向けてみてくださいね?

 必ず、必ず、貴方は ひとりでない、、という手応えを、感じさせてくれる 人達、自分の知らない人達の存在を
感じる事が出来ると思うのです。

 それが、仏教で言われる、、因果 がある、、という事でしょう?

 因果を いつも暗い方に 解釈するのではなく、
 因果を明るい未来に 活かしましょう?

 今、知らない人でも、未来 知り合う皆とで、手を繋げば、、乗り切れるでしょう?

 その不思議な 手応えを、感じてくださいね、


日本で、最初に造られた、地球儀だそうです。  渋川春海作、、


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from: 沙羅さん

2011年06月03日 23時09分10秒

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「Re:Re:Re:感性の時空ではないですが」
MSG367の続き

 うぅぅぅ〜んと、、、

 なんだか、うまく説明できなかったような気がする。

 
 人称って、すごく難しい、、

 外国語を使う時、その言葉を介し 他者と関係を結ぶ

 その人間関係は、人称の使い方で、だいたいその人がどのような人間関係を、創ろうとしているかが観えてくる、

 人称に関しては、日本語の使い方が、全く応用できない。

 これは、単純に 平等の国だから、、、

 人間関係を、上下関係として、築こうとする、、、

 という事の意味ではないのが分かってくると思うのです。

 近所の 幼稚園に通っている、パトリック、4才の子供に、

 フランス語で、「先生の名前はなんて言うの?」と 聞くと

 「 二コラ!」と返ってくる。

 「二コラという名前は、苗字?」と母親に確かめると、

 苗字は、ムッシュー何々、、とか、マダム、何々

 と返答が返ってくる。

 二コラは、普通 名前で、ニコラウスとか、セント、二コラ、、とか、

 聖人の名前にもあるので、苗字という事は、ほとんどないけど、一応母親に確かめてみたのです。

 という事は、、、

 幼稚園では、子供は、 先生と呼ばれる人は

 「二コラ、おはよう!」、、であったり

 「 やぁ、パトリック、何してるの?」であったり、、

 幼稚園の教室での会話は こういう感じなのかもしれない。


 日本語には、名前の呼び捨て、、という行為があり、

 名前を呼び捨てに、呼ぶと、失礼な人という判断がされる。

 よって、この判断をそのまま、アルファベットを使う他国の人達に当てはめると、、、

 すべての人達は、呼び捨てで呼んでいる、、、という事が生じる。

 捨ててないのに、呼び捨て、、という単語は日本にはあるので、

 名前の呼び捨ては、日本では いけないと判断するらしい、、という事を、外人に教える。

 何故?

 という質問が返ってくるけど、

 どうしても、そうなる

 と、外人には納得できないであろう 言葉の 規則が どうしても
 存在する。

 しかし、それは片面だけの 日本語を使う側の言い分を、了解してもらういい訳でしかない、、その一方通行、、道徳観を、通用させたい、、、

 という感情だけに留まっている。

 という自分が存在する事を自覚するのは、

 今度は、 逆の立場にならないと、分からない。


 つまり、自分の名前、、例えば、

 「よしお〜」であったり

 「かずひこ〜」、であったり、、

 名前を、呼ばれても、何も感じない、、

 普通だと思える 心の状態が自然である、、、というニュートラル
 という感じだと思うのです。
 
 回りに沢山の、名前呼び捨て習慣をもつ民族の中で、日本人だけ、
「 OOさ〜ん、」と呼ぶのかしら?

 実は、こういうちぐはぐ感を感じる場に出くわす事はしょっちゅうなのです。

  二人称単数の呼び方というのは、
 実は人間関係の質が隠されていると思う。

 例えば、英語の YOU は、仏語は 
VOUS ヴゥ(貴方)か TUテゥ 君、あんた、お前さん、あなた

 家族間、例えば、夫婦同士が、TU で呼び合う、、という事はないでしょう。

 ほとんど、 TU で呼び合う夫婦が多いけど、、

 VOUS で呼び合う夫婦ももちろんいるのです。

 個人的な経験からいうと、

 知り合って、しばらく経つ関係、

 相手が年上であり、例えば、教職の仕事をしている人、聖職の立場の人、仕事先の関係、相手の方が経験豊かで、年長である、、、

 二人だけの対面会話は VOUS か TU、、なので、相手の苗字や名前を

 放つ事はないでしょう。よって、、わたしは

 いつまでも VOUS の構文を放つのです。

 ところが、面白いもので、

 相手がすごく、こちらに親しみを持つとすると、

 相手の方から、 お互い TU で呼び合いましょう?

 という了解を求められたりする。

 つまり、人間関係の質は、役職だとか、職種だとか、関係なくなってくるとうところで、人間関係がつくられているらしいのです。

 このお互い TU <君、お前、ちょっと、>、で呼び合おうという、了解がない場合、、

例えば、上司が、社員を、 TU で呼び、 社員が 上司を、VOUS で呼ぶという会話は、フランス語ではありえない。

ありえないというより、フランス語の会話ではないのですよね。

何故なら、会話、対話が出来るというのは、

人間関係 が成立するから、会話が成り立つのであり、

人間関係が成りたたない ところに、

会話や対話は成り立たない、、、という地点にあるのだと思うのです。

この地点で、 平等、、EGALITE という 意識が自然に気つかされるようになっているのだと思うのです。


 言語は思考 という事はそのような事だと思うのです。

 例えば、

 田中さん!という呼び名は複数の場で通じますけど、

 一対一の対峙世界は、相手が田中さんという苗字の人なのは、知っているのですから、

 YOU,二人称単数 の呼び方にしないと、二人の関係が独立しないと思うのです。

 述べたい事の意味が通じるか?分かりませんが、、

 INDEPENDANT 自立、 独立 という関係が底辺になりたたないと、

 自由または、平等意識は稼動しないのではないか?と思うのです。

 他力本願という 言葉が外国語に通用するのか?分からないけど、、、、

 人間関係の 自立 というのは、 真正面に組む事が出来る、、という関係だと思うのです。

 相手を支配するとか、組み伏せるとか、そのような不健康な人間関係ではなく、呼び方にも、影響があるのかも?と思ったりするんだけど、、違いますかね?

 
理解する、分かる という仏語は COMPRENDRE コンプランドル
という単語です。

 
COM コミュニテー の COM 共同のCOM

コムという接頭語がつく場合は、

共に という意味がラテン語にあるのですよね。


PRENDRE プランドルは、 取る、摑む です

共に摑む という音素は 理解する、分かる

という意味なので、

一人で理解する、一人で解釈するという意味は、

 本当の意味で、

わたしは、わかる、、「je comprens]ジュ、コンプラン

と放つ事は、

 共に取る、共に摑む というある普遍的な認識に対するお互いの共感や了解でしかないと思うのです。

 何かを 理解する、何かが分かるという意識は、 他者<共>不在ではありえないと思うのです。

 他者の存在が 不可欠であるというのは、そのような事だと思うのです。

  

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from: 沙羅さん

2011年06月03日 17時20分56秒

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「Re:Re:感性の時空ではないですが」

  人々の話しを聞いていると、色々な事を思う。

 ある人は、前に聞いた話を再度するという意識、、

 意識的に再度話すのであるのか?

 それとも、聞いている側は聞いていないであろう、、と思い話しをするのか?

 又、これは日本人関係の対話に多いのが、

 「 その話、もう聞いた!」という反応、、

 多分、この対話が 意味を持つのは、

 同じ話をするな!、、という一種の、相手に対する攻撃性を含む空気を感じるけど、いかがでしょうかね?

 しかし、複数他者達との、対話が日ごろの生活の中で、行われ居たら

 この対話の威圧感は、通じないでしょう。聞いた事ある人もいれば 聞いてない人も居る。しかも一対一の閉塞的といえる人間関係の中にあってさえも、一度聞いた事があると思っても、黙って聞いている人もいる。

むしろ、時間途上に生きるというのは、
たとえ再度同じ内容の話しであっても、それによって、何かへ、足掛けできる、橋渡し、、つまり次に生じる見えない何か、縁起をかけているのかも知れませんし、、、


そのような事は、判断できないのが途上に生きるという事であるでしょう?

いちいち、不愉快な人間関係をつくらないとならないような反応は、自分自身を、普遍性のない存在の仕方、、しているかもしれません。


 結局、返答の仕方というのは、実は 自分が普段置かれている コミュニケートの質を表象させると思うのですね。

対峙世界は、むしろ TU <君、 お前 あんた、、ちょっと、、>

と呼びかける 関係が成り立つのですよね。

でも、、これって、、親しいから、なんでも、許してくれる

親しい呼び方の関係は、なんでも聞いてくれる

という関係の結び方は 受動的というか、何かを許す、、という質の人間関係で結ばれやすくありませんか?

本当は、違うと思うのです。

他者を許す関係ではなく、他者を許容できる、大きさを問われているのであり、

この人は好き、この人は嫌い 、、、という個人感情というか嗜好というか、、、先に個の感情が人を選ぶ、その視点が先に来る事で

相手を 、TU テゥ であったり、あんた、や、お前と呼ぶ関係が成り立つというのは、閉塞的な世界をつくりませんか?

もう一度、自分自身で、自分自身の心に、他者と 他人、他国の人

考えてみませんか?

自 と 他 の関係です。

自分が つくる 世界観の、境界線 が見えてきませんか?

 それが、いったい、 自分を守るという 守りに意識が 優勢<支配>されているのか?

 それとも、他を理解しよう、他と溶け込もう、、という 他との境界線を広げる為の、自分自身への、他者との理解<COMPRENDRE>を求めようとしているのか?

 もう一度、しばし考えてみません?

 そうすれば、他への判断 JUGE ジャッジ は、それほど安易にしないと思うのです。


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from: 沙羅さん

2011年02月27日 19時10分57秒

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「Re:Re:Re:感性の時空ではないですが」

福岡県に住むR子は、突然「佐藤愛子の本を送りました。」
 というメイルを送って来た。
 自分で買って読んだのに、本棚みたら同じ本があったの、、、
 ろ話してきた。

 どのタイトル?か肝心な事は書かれていない。

 なにしろ、ここ数ヶ月、佐藤愛子の本を、回りの皆が
 黙ってても、という感じなのだが
 持って来て、「これ 読んで?』と言うので、、
 なんだか、色々お借りした本があるのです。

 本というのは、正直いうと、好みがあるので、わたしは、よほど本人の性格や好みを知らないと、プレゼントはしたくないのですが、

最近は、色々考える。

 信 という意識にやっかいなのは、

 自分がこんなに、感動したのだから、他人も感動するだろう、、、

 という意識がすごく強くなるらしい。それは良いのだけど、どうしても、人間というのは、感情を他者と分かち合いたいという欲望を持たされているらしいのですね。

 自分にいいと思った事は、他人も良いに決まっている、、と
 思い込むところに、他者との繋がりがお仕着せ気味になるのではないか?

 この地点において、共同体、貴方とわたしの関係を求めるのでしょうね。


 心 の接し方というのは、自然<無意識>にそのようになるようになっていた、、、と言う事が後から分かるという事だと思うのです。、その人の心の存在が時間を越え存在しようとしている、、
という事だと思うのです。

 同じ、日本人だから
、同じ信仰を持つから、
 同じ言語をはなすから、同じ思考同士
  血が繋がっているから、
  守るのは当たり前???

 この同じという理由でしょうか、現実たる事実というのは、肉体が滅びても、永遠にVALABLE<効力をもつ、価値のある>なんでしょうかね?



 他者は、家族、親子、夫婦 という血縁関係ももちろん含みますから、、、、

関係ないですが VALABLE は、VAL という音素が前頭にくるんですよね。

VAL は渓谷ですし、万人が有すであろう、真実と思わせる何かへの共通価値、、、これって物質ではないでしょう?

物質やお金も大事ですが、大事な事はちがいますよね。

死なないと分からないのではなく、
死後の世界でも 心や魂の世界では、価値ある何かに向って精進させられている、、死後も生前もなく、そのような 永遠の時の繋がりの途上の上で一環した、精神の姿勢というものを、表現しないといけないのではないですか?


話しは違いますが


去年、秋ごろ
 癌を患っているMさんも突然、わたしに読んで欲しいという本を、6,7冊持って来た。

 佐藤愛子の本が多かった。
読むと、佐藤愛子の半生に渡る不思議な出来事<とは言いがたい、壮絶な心霊にかんする体験談>をきっかけとし、
死の世界に対して、宗教者、霊能者、霊的な問題の解決法実際にライフワークとしている人達との経験により、霊界に対するある程度の応えをだしている。



 作家は、文章を書く、 
 大衆とのコミュニケートであり、
 大衆、、つまり普通の人達のコミュニケートレベルに、
 照準が当てられているのでしょうね。内容を好む、好まないに関わらず、とりあえず、意思伝達や感情伝達をするという、最低のコミュニケートが出来ないと、作家にはなれませんよね?

 この方は、作家としての高い表現能力を駆使しながら、一般の人には自覚できない体験を何とか、民衆の心が感じる事の出来る経験レベルの言語に変換し、話す。

 つまり、超越者というのは、聞いてると、話す内容処は、訳の分からない、観えない世界を語られて、
聞いてる方は経験のない 見えない事を一方的に話しかけられてくる、、、という事ではないので、佐藤愛子の存在は、現実世界での理屈の上で、照合しようとするので、助かるのですよね。


 そういった意味で、コミュニケートを重要視したい私も、
 なるほど、、という視点に気つかされる事が多いのです。

 やはり、心情や感情のコミュニケートは、表現力を問われると思うのです。それには、小さい時かあらゆる人間との対話や経験が租借でき、自分自身の普遍的な存在の仕方というのは、大事に思うのです。文学や芸術を、民族が蔑ろに扱いだすと、その民族間での豊かな感情交流が滞るのだと思うのですね。
豊かな感情、発達した情緒、、、心 の接し方、魂の接し方は大変重要に思うのです。

家族や回りの環境により心の接し方はスポイルされ、何でもお金を与えれば子供は満足すると思わされた事によって、
情緒障害と思われる人達がドンドン生まれる、
そのような人間世界で、生き辛い世の中だ、、
と愚痴がでない方が、不思議です。

 

  それで、R子から佐藤愛子の本が届いたのだった。

 手元に届いた佐藤愛子の本には、よく遠藤周作さんとの交流が書かれている。

 読んでいると、笑える。遠藤周作さん自身と会話をしなくても、なんとなく、あのこ狐狸あん先生と呼ばれる 人柄が想像でき、容姿や言説と一致するというところで、ほほえましい。

そういえば、わたしが中学生の頃、父の買う本は遠藤周作の本が多かった。
書棚は廊下にあるので、わたしも手にとって読んだ本は、遠藤周作ものが多かった。その中の一冊は、タイトルは忘れたけど、珍しく、霊界の話しが書かれていた。

今ほど、スピリチュエルの話しが幅を利かしていない時代なので。
理性的でない、霊界や霊障問題を取り上げたこの手の内容は、胡散臭い目で見られがちだった頃、父は何故か?購入し、読後本棚に置いてあった、

わたしが、ラップ現象を知識として初めて知ったのは、その遠藤周作の本だった。

霊が存在する時は、必ず 生木が裂ける音がする、、という遠藤氏の表現を記憶していたのだ。

ところで、何故?遠藤周作の本を頻繁に購入したのか?
当時、狐狸あん先生と呼ばれる存在は普遍性があったのでしょうね?
上智、慶応、仏文、フランスのリヨンに留学し、キリスト教信者であるという事くらいは、記憶していたのですが、

佐藤愛子さんの本に登場する遠藤周作さんの姿は、なんというか、存在性を感じられるのだ。

江原浩之とある日電話で話していた時に、
突然江原氏の霊視の中に現れた、遠藤周作氏
佐藤愛子の生前の約束事によって、現れた。

もちろん、江原浩之氏は、佐藤愛子と、遠藤周作の二人の会話の内容などは知らない。

この前娘達と見たヒアーアフターと言う映画では、13,4歳くらいの少年双子の一人が自動車事故で死んでしまう。母親は薬物中毒者で入院する。
残った、少年は、双子の兄弟の遺灰を抱え、霊能者に逢うのだ。
彼は、たった一人しかこの世にいないと思っているけど、それは違う。いつも他者<死者>はわたし達と一緒にいる


と、その少年に言う。

これは、霊能者じゃない、私自身、体感出来る事なので、むしろ、わたし達の心は天界には筒抜けに観えているのでしょう、、というコミュニケートが出来ている、、というところで、納得出来る言説なんですよね。

 自分自身を知る。他者を介し自分自身も観る、、というのは現象学は他者の存在を介す という事はすごく重要に話されるのですが、

 現象学というは、生きてる人間の心や魂とのコミュニケートを通し、その生かされている人達を 守る存在させてるなんらかの存在達がコミュニケートを取る
と言う事だと思うのですね。

それを心霊科学世界では、守護霊だとか、指導霊といった単語で表現するのだと思うのです。これはイスラム教の一人に30人だったか?沢山の天使達がその人の存在を守る、、という考えに似ていますね。

コミュニケートは、そのような万物のものとのコミュニケートによって、大昔から その国の民族性によって口伝され筆記され教義とし存在し続けているのだと思うのです。

ですから、高次レベルの霊体とコミュニケートする人達は、宗教や信仰を越える次元で
コミュニケートをとるはずですし、テレパシーで伝えてきますから、わざわざ記号に現す事もないのだと思うのですね。

ですから、今度は霊感が強い人達を導いているというか指導している人達を守る、なんらかの背後に存在する霊体の霊格や次元、または人格?といった霊魂の崇高性を見抜かないとならなくなると思うのです。

なんでも、当たるからといっても、その人を成す魂の霊格が低いと、霊視能力を使い普遍性を利用し、人間を支配しようとしたり、自分の信じる宗教こそが正しいというような言説しか放たないという現れ方になっているので、この現れ方は他者不在ですよね。?

判断は自分ではなく複数他者達に任されているのですよね?

どちらにしても、魂の性格は、自由であり平等である、、そして愛す、、でしょうか、、

 愛される存在の仕方
 愛される、魂の存在は

 自分も他者を愛する、、という意識がないと稼動しないと思うのです。

 愛するというのは、自分の物にしたいという意識と全然ちがいますよね?

 現れそのものが、美しく、永遠であるから、愛さずにはいられない、、、という意識だと思うのです。

 愛するものを自分の物にしたいという思いは、ただの物欲と同じレベルというか煩悩ですよね?

何故?自分のものにしたいのか?と考える方が、賢いと思いませんか?

自分が、その次元に到達できてないから、、という事になりませんか?

すると、何でも、外に意識を向け欲するのではなく、自分自身の魂の次元を上げようとする、、という考えに至りませんか?

なんでも他力本願せず、まず、自分自身の心の内面を見詰める、
信仰や宗教はなんでも<というと不謹慎だけど>自分が心地よい感じを受ける方法を選べばいいと思うのです。自由にすればいいと思うのです。

それで、遠藤周作氏の話しは次回です。


http://www.youtube.com/watch?v=UgTK-U96k5Q&feature=related
 
 

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from: めるろ〜001さん

2011年02月25日 09時24分00秒

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「Re:Re:感性の時空ではないですが」
"どちらにしても宗教に関しても、東洋は、インド、原始、上座部、大乗、、という流れの変化は 時間を必要としてますから、
歴史は、多数の人間の心の存在があると思うのです。

 変化する、というのは変化しなければ存在し続ける事が出来なかったのだと思うのです。
むしろ、必要に迫られたという観かたはすごく哲学的です。
 哲学は大衆の根底に根ざしますから、人間の進化の方向に
 羅針盤の矢印は向いていると思います。
 普遍性を観る という事はそのような事なので、
 どうしても、先、先、と、時間を越える姿勢を求められてしまうのだと思うのです。しかし、肉体は時間の流れに乗っていますから、、しかし、この肉体は社会、土地、言語、民族、土壌にどっぷり使っていますので、
どうしても、自己保存の意識が働くのだと思うのです。"

ゾロアスターの部分は文化的な移入であると思います。
既にあったものと自己の習慣が類似している。
故に、移入してきたということかと。

仏教が、バラモンとの葛藤を経て、
原始仏教、上座部、大乗、密教と歴史的に発生してきた経過は、
必要に迫られていたというのは、理解できます。

普遍性とは完成に向かうことですから。

確かに、生きている時間と観る時間は、ずれがありますね。
そのずれが、生きて探求する原動力かと思います。

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from: 沙羅さん

2011年02月24日 17時45分11秒

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「Re:感性の時空ではないですが」


この世に存在する 全てのものは、何かしら生まれる因果関係が全てに関係しているのだと思うのです。

 宗教もそうだと思うのです。
 ひろく、浅く、、
 全ての宗教や信仰が何故?
 生まれるか?
 というと、やはり 人間に帰す、、という感じなんです。

 MAZDA という音素を聞くと、音 だけで、

 なんとな〜く 母音が、 阿修羅 に似てるわね〜、、、

 という感じなので、

 別に、 阿修羅がどうのこうの、、という方向というより、

 むしろ、まず全体、まず、世界、まず 宇宙 

 外から、眺める、、という感じかもしれません。

 そうすると、世界3大宗教に描かれる 神、聖人、天使達であったり
 よく似ているという感じなんです。言葉にすると対象視していますから、何でもよいのですが<と書くと今度は、不謹慎な感じがしますけど、、要は、柔軟性のある思考です、対象に執着しない、、というか、、、>

 そうすると、あらゆるもの、あらゆる感じるものの、公約数が観えて来るという感じなんです。

例えば、MAZDAにしても

 善悪の判断をするのは、最後の審判に登場するのは
 ミカエル大天使ですし、
 ミカエル大天使の、エレメントは、火 なので、
 
 なんとなく、似てるわねえ、、と随分前から思ってました。

 どちらにしても宗教に関しても、東洋は、インド、原始、上座部、大乗、、という流れの変化は 時間を必要としてますから、
歴史は、多数の人間の心の存在があると思うのです。

 変化する、というのは変化しなければ存在し続ける事が出来なかったのだと思うのです。
むしろ、必要に迫られたという観かたはすごく哲学的です。
 哲学は大衆の根底に根ざしますから、人間の進化の方向に
 羅針盤の矢印は向いていると思います。
 普遍性を観る という事はそのような事なので、
 どうしても、先、先、と、時間を越える姿勢を求められてしまうのだと思うのです。しかし、肉体は時間の流れに乗っていますから、、しかし、この肉体は社会、土地、言語、民族、土壌にどっぷり使っていますので、
どうしても、自己保存の意識が働くのだと思うのです。
日本語を話す日本人が、外国文化や宗教に親近感を感じられないのは、経験がないのですから、もう当たり前過ぎて人間の肉体に順しているという感じなんです。

 哲学的な思考から離れますが、万が一 転生を繰り返しているのなら、
 魂の持つ過去世の記憶というなんらかの働きが、ある思うのです。
 直観のような 手応えです。
 時間と空間の世界を突っ切るような 初めて訪れた、初めて逢う
初めて聞く、初めて食べる、初めて嗅ぐ、、、、ETC 

 そのような初めての体験なのに、すごく懐かしさを覚えるんです。
 説明のつかない体験なんです。

 懐かしさというか、自分が昔体験し、心地よい感触、心地よい感情、同感、共感を感じるのだと思うのです。

 そう考えると、ある民族がその土地の信仰あるなしに限らず、
 民族的なものに、共感や親しみを感じるのは当然なので、
 万が一執着気味な言動に至っても納得が出来てくるというか、、、

 むしろ、やはり時間と空間が何故?
 存在するか?

 何故?
 時間と空間の狭間に肉体を有しながら、精神や心が存在し続けるという意味とは?
 という長いスタンスをもち、考えてみたいと思うのです。

 

 

  
 
 

 

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