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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: タカギさん

    2011年03月02日 23時42分44秒

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    最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。

    お久しぶりです。タカギです。

    最近思うことなんですが、仮に宗教を信じたとして、死ぬ直前か、死んだ瞬間、もしくは死後に、

    「あ〜、宗教に騙された!こんなはずじゃなかった・・・。」

    と後悔の念を抱くとしたら、信仰していた宗教生活は、人生は一体どうなってしまうのでしょうか?それこそ、取り返しのつかない大失態ではないかと思います。

    私はどのように生きていったらいいのか分からなくなっています。
    何を信じたらいいのか、さっぱり分かりません。

    皆さんはこうした問題をどう考えられますか?

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コメント: 全26件

from: めるろ〜001さん

2011年05月09日 13時35分44秒

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「Re:Re:Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」
タカギさん

いえ、十分に回答していますよ。
「不二」というのは切り離すことが出来ないという意味です。

死後の世界というのは、生きている世界の投影ですので、
生きている世界の楽しみや喜び、悲しみなどを知る必要が
あります。

今現在、生きている世界にいて、その世界を生き、
そして、その喜びを受けることが出来る。

死後の世界はその生きている世界の投影だから、
生きている世界を享受するだけで、
両方の世界を知ることが出来るのです。
それが、仏教用語の「不二」という言葉ですね。

つまり、ネット上ではなく現実の人たちと振れ合い、
話をし、笑ったり怒ったりする。
こういう生きている喜びを自分自身で受け取ることによって、
死後の世界も知ることが出来るという訳です。
死後の世界を単独で知ることは出来ないという訳なのですね。

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from: 沙羅さん

2011年05月09日 01時34分02秒

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「Re:Re:Re:Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」

 タカギさん

 こんにちは、

 それは、タカギさんが、他の方の作った 書き込み文を、コピペしながら、
    読後感想文という形だからです

 読後感想文がいけないというのではなく、

 会話事態が、稼動せず、停止するからです。

 毎回、毎回、部分の説明を多角面から観るという説明する事になるからです、

 ご自身で、自分自身が感じる事を書かれた方が、その世界に関わるすべてが稼動するんです。


 落とされた記号は哲学的解釈では、死んでいるんです。この停まった記号について個人が反応することを繰り返すというのは、、、

 心理学的に見て、健康的な世界観を創る方法とは思えません。

 停止した記号を介し呼応する、

この閉塞的な世界を続けると、タカギさん自身が、外界の人達とのコミュニケートの力が弱くなるんです。

 書き込みの』世界はある意味、心理的、精神的な病を誘発する世界観を簡単に創りやすいんです。

 外界との断絶なんです。


 書き込む理由ですか?

 それは、書きたいから書いているという事ではないですか?

逸れますが、

 直観には 論述(DISCOURS)ディスクーもしくは推理という行為があると思うのです。

 デイスクーの、COURS は走るという意味ですから、、

ラテン語のDISCURSUSに由来するそうです。

ラテン語の本来の意味では DISCURRERE,駆け巡るという行為だそうです、



 



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from: タカギさん

2011年05月09日 01時09分46秒

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「Re:Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」
めるろ〜さんへ

お久しぶりです。
めるろ〜さん、しばらく様子を窺っていたのですが、以下の質問には答えてもらえませんでした。もしかして、答えるのが嫌になるほどの愚問だったのでしょうか?
以下の質問は私が本当に知りたいことです。なぜなら、私には分からないことをめるろ〜さんが知っているかのように思わせるコメントだったからです。私は死については無知です。わからないのです。
質問に答えていただけると本当に有り難いです。よろしくお願いします。


死後の世界があるかどうか分からないのに、なぜ「死後の世界というものの時間は、生きている時間の後にあります。」と言えるのですか?

「死後の世界という時間を認識するのに、生きている時間の考察が不可欠な理由です。故に、不二なのです。」

この発言にも同様のことを思います。 「死後の世界という時間」という前に死後の世界はあるのでしょうか?

また、生きている時間の考察が不可欠だというのも理解しかねます。

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from: タカギさん

2011年05月09日 00時53分50秒

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「Re:Re:Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」
沙羅さんへ

他者の書き込は読む必要がないと仰りますが、それなら何故、毎日のようにこのサークルに多数、投稿されているのですか?このことを疑問に思います。

> >  タカギさん > >  こんにちは。 > >  哲学は、自分自身の中にあるもの<体験など>でしか、自分自身なりの考えが 構築できないと思います。 > >  つまり、他者の文のセンテンスを コピーして、それについて、どう思うか?という形で、話されるものではなく、 > >  根本的には、自分自身の中から自分自身で、自立された 文章でも、日常生活でのご家族との会話でも、、近所の人とでも、、、、なんでも良いのですが、、、自分自身、個人の考えを述べる、、、という事が基本に思えます。 > >  他者の 書き込みは 別に読む必要は、全くないと思います。 > > >  自分自身の 中に あるものを、自分自身で探してみてくださいね。そして、それをお書きください。 >  

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from: 沙羅さん

2011年04月11日 22時23分31秒

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「Re:Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」

 タカギさん

 こんにちは。

 哲学は、自分自身の中にあるもの<体験など>でしか、自分自身なりの考えが 構築できないと思います。

 つまり、他者の文のセンテンスを コピーして、それについて、どう思うか?という形で、話されるものではなく、

 根本的には、自分自身の中から自分自身で、自立された 文章でも、日常生活でのご家族との会話でも、、近所の人とでも、、、、なんでも良いのですが、、、自分自身、個人の考えを述べる、、、という事が基本に思えます。

 他者の 書き込みは 別に読む必要は、全くないと思います。


 自分自身の 中に あるものを、自分自身で探してみてくださいね。そして、それをお書きください。
 

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from: タカギさん

2011年04月11日 22時08分53秒

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「Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」
ここ暫くパソコンから離れた生活を送っていました。久々の投稿です。

以前の皆さんの私へのコメントを読んでいましたが、どうもしっくり来ません。


めるろ〜さんへ


死後の世界があるかどうか分からないのに、なぜ「死後の世界というものの時間は、生きている時間の後にあります。」と言えるのですか?

「死後の世界という時間を認識するのに、生きている時間の考察が不可欠な理由です。故に、不二なのです。」

この発言にも同様のことを思います。
「死後の世界という時間」という前に死後の世界はあるのでしょうか?

また、生きている時間の考察が不可欠だというのも理解しかねます。



沙羅さんへ


「それと、貴方の途上における思考や感情、、時間の順序です。まるっきり 逆で、最初っから、結果を求める<しかも自分自身の中ではなく、他者に聞く>これはありえませんよ」

とのご批判ですが、私が死の問題を考えるようになったのはここ数週間の出来事ではなく、数年にも渡ります。自分だけで考えても一向に進展しなかったので、こういう場所で尋ねてみたらどうかと思い、ここで書き込みをさせてもらっています。

私が考えた公式の「私は、いつ、どこで、どのように死に、死んだらどうなるか?」

これが分からないばかりに、どう生きていったらいいのか分からないのです。

どの宗教を選んだらいいのかという事も、「死んだらどうなるか」を解明させるために必要です。

「何故なら、その人の生まれた意味、その人がこの世に生まれた意味が必ず個としての意味があるからだと思います。」

人生の意味は人間が創り上げたただの幻想だと私は思っています。意味がないと寂しいから、意味付けしているだけです。

「私達皆がいままで野放図に 我欲をのさばらし又、哲学を教育に本格的に取り入れなかった、、」

取り入れなくて正解だったと思いますよ。プラトン(岩波文庫)を読んでいると、哲学の危険性をひしひしと感じます。

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from: めるろ〜001さん

2011年03月16日 17時29分18秒

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「Re:Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」
タカギさん

自己が具体性、事実性を持つために必要な時間の観念が
足りていないように思います。
例えば、次の文章を読んでください。

 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

花見は一人で行きなさい。
佐野藤右衛門『桜よ』集英社洛西の桜畑、祇園の枝垂れ桜、鴨川の染井吉野、長
岡京の暁天桜、二条の枝垂れ孫桜、常照寺の九重桜。すべて十六代藤右衛門さん
が命を蘇らせた桜たちだ。しかしご本人は、誰も知らない自分だけの桜をこそ、
一人一人が見つけるべきだとおっしゃる。そのほうが樹も蕾も花びらも葉桜も枯
れ木も、すべていとおしくなるはずだとおっしゃる。by松岡正剛

 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

自己が自己自身による桜を見る。
その中で、桜の時間の流れと自己の時間の流れが
一致するのですね。

自己の時間は対象に時間と共にあるのです。
対象が、芽生え、花を付け、実を付け、葉桜になり
枯れて行く。

そういう時間の流れと自己が同時に過ごす時間の流れは
同じでなくてはなりません。

死後の世界というものの時間は、生きている時間の後にあります。

ゆえに、形而上学というのは、
生きている時間の後のことを論じるのです。

死後の世界という時間を認識するのに、
生きている時間の考察が不可欠な理由です。
故に、不二なのです。

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from: 沙羅さん

2011年03月15日 19時15分22秒

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「Re:Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」
タカギさん


他者と比べずにはいられないというのが今の私です。 > > 超能力を私利私欲のために使わないのは、そうした行いを監視している特別な存在がいるからなんですね。納得しました。 > >

 まず、

 何故?

「 自分は、他者と比べずにはいられないのか?」

 という、

 何故?

 という意識を 自分の中に稼動させる事に思います。


 それと、貴方の途上における思考や感情、、時間の順序です。

 まるっきり 逆で、

 最初っから、結果を求める<しかも自分自身の中ではなく、他者に聞く>

 これはありえませんよ・

 どのような聖人で 普遍性があり、世の中の人達が無言で、その人の存在を求めている、、、という事はどういう事か分かりますか?

 最初っから、誰か他者や記載されてる過去の書物にある記載文だけに ツイヅイした思考で、停まっているという事ではなく、

必ず、存在している 魂とか心のこの世における、体験とか精神的練磨が、個の素養にプラスされ、こなされ身につき、その時代、その時代の他者間とのコミュニケートを取りながら存在する形として生かされていると思います。

最初から、誰かに聞いてもご自身で、体験できなかったら、身につかない事と同じではないですか?

身につかない、知識や認識だけ語っているのなら、何もその人じゃなくても他の人でもいいのですよね?

人のコピーや亡くなった人のコピーを放っているという事は、普遍性がないんです。ある体験がなされてないと、存在が普遍化につながらないんです。

何故なら、その人の生まれた意味、その人がこの世に生まれた意味が必ず個としての意味があるからだと思います。
ですから

個の主体なくして 
未来へと存在し続ける現われにならないと思うからです。

個の自立、個の存在、個の自由、を述べれば述べるほど、それは
他者の自立、他者達の存在、 他者達の自由 を求めているのと同じである、、という宇宙事だと思うのです。そこには、民族の違いとか、宗教の違いとか、、そのような事は無関係になる地点に立つ事が出来、言説を放てるか?
という事を、世界中の人たちは ちゃんと観ている、、という事ですね。

 タカギさん、、

 地球は、無駄に自転して、時間を進めているんじゃないんです。
 無駄に生かされたり、無駄に死んだりしてはいけないんです。

 無駄に死んでしまったように見える、今、目の前に惨状も、無駄に死なせない、、無駄にしなさなかった、、という生き残った私達の肩に大きな重みとしてかかるんです。

 それは、私達皆がいままで野放図に 我欲をのさばらし又、
 哲学を教育に本格的に取り入れなかった、、
 人間として大事な事はなにか?

 という事を考えずに世代をつくってしまった、わたしたちの責任に思えます。

昨日、石原都知事は、「日本は天罰が下った、日本人の我欲を、のさばらしてきた結果だ」、、と朝日の新聞にでてその後、陳謝の形で、出てましたけど、、、

問題は、天罰という言葉を、云った、云わないではなく、

そこまで、政治家に云わせてしまうほど、日本の精神的な次元を疑問する、危惧しながら、ずーと 今まで生かされてしまっている、、という視点でしょう。

それが時間の途上という位置に立つ事であり、抽象であり、メタファーであり、、、、

何か、決まった対象や、決まった目標を掲げる、、という唯物的な思考の途上と違うという事ですね。

ですから、最初から何がしかの存在を感じるのではなく、何がしかの云われる事に従っているのではないと思いますよ。
ついでに言えば、魂は平等ですから、、、
従属関係というのも成り立たないと思いますよ。しかし、それは魂とか心の心的レベルを見えないものから問われるというコミュニケートによってと思います。

ですから、自立しないと、何もはじまらない、、と述べたのです。


 
 
  

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from: タカギさん

2011年03月15日 15時52分46秒

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「Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」
めるろ〜さんへ


「死後の世界を論じるというのは、<自己が死ぬ間際までどう生きるか>ということを論じるのと同じです。そういうことを「不二」の言葉で表しています。そこが理解できないと、死後の世界すら論じられません。」

なぜ同じなんでしょうか?めるろ〜さんは死後の世界が分かるのですか?

「死後の魂というのは、輪廻するというのは、ごく自然のことだと思います。」

なぜ自然なのですか?私は「死後の魂」「輪廻」については懐疑的な立場を採っています。(信じていいか迷っている状態)

私は不二を理解していないのではなく、なぜ「死」がわからないものであるのに、『「生」と「死」は切り離して考えることができない』と言えるのかと問うているのです。

「希望の死生観で生きるのならば、裏切られるはずがありませんね。それはあなた自身が選んだのだから。」

死後に天国へ行って先立った人達に会えるという死生観を持っていたが、いざ死んでみると地獄行きだった。
これでも裏切られていないことになるのでしょうか・・・。


「また、死生観が正確性を得るのに「不二」の思想でしか正確性に近づけないというのは、誰が見ても明らかです。」

「誰が見ても」の誰とは一体誰のことですか?

「生きている世界の行が明らかになっていくと同時にそこに死後の世界を支えてくれている現実の世界が見えてくるのです。」

なぜ死後の世界がどのようなものであるのか分からないのに、現実の世界が死後の世界を支えていると言えるのですか?

宗教は何も選ばれていないとの返答をいただきましたが、それで心の平安が保たれているのですか?だとしたら羨ましいですね。

何かを選ぶ。宗教を選ぶ。考え方を選ぶ。
何かを選んだ段階で、その人は偏ります。また、選ばなくても、選ばないことを選んでしまったので偏ります。
人間で偏りのない人はいないと思います。つまり何かに執着しなくても、色眼鏡で見ていることになります。思考の方法論も然りです。

「といっても分かんないだろうな。それほど理解力が隔たりを持っていますね。」

どうせ私は頭が悪いので、聡明で理解力のあるめるろ〜さんには及びませんよ。どうせ私は馬鹿ですから!

「実はこのタカギさんの他人行儀な姿勢が、真理にたどりつかない原因です。」

これは真理に辿り着いた者の言う台詞ですね。めるろ〜さんは真理に辿り着いたのですか?


「冷静なのではなく、間違いに気づかない鈍感さが問題なのです。」

どこが間違っているのですか?間違いに敏感に気付く、めるろ〜さん教えてください。

「また、その死生観は的確か。」

私にはこれが分からないのです。

「話をずらしても、本当のことには到達しませんよ。」

ずらしたのではなく、気になるところを指摘したまでです。
めるろ〜さんは本当のことに到達されたのですか?



沙羅さんへ

「自分は、つまらない私利私欲に振り回されたり、情動を、どたばたさせて、週刊誌のゴシップを追うような地点にいて、他者を判断したりせず、他者は他者、自分は自分、、他者を批判せず、他者と自分比べず、ピシっと 自立してくださいね。」

手厳しいことを仰りますね。他者と比べずにはいられないというのが今の私です。

超能力を私利私欲のために使わないのは、そうした行いを監視している特別な存在がいるからなんですね。納得しました。

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from: めるろ〜001さん

2011年03月15日 11時27分25秒

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「Re:Re:Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」
>タカギさんへ

”なぜ、そこまで言えるのですか?理解したところで腐るほどある死生観の一つでしかないので、次に進めないことはないでしょう。あと、私の思考は正しいかどうかは知りませんが、冷静ではあると思います。”

実はこのタカギさんの他人行儀な姿勢が、真理にたどりつかない
原因です。

正しいところから何故始めないか。
沢山ある死生観といいますが、
そもそも沢山あってもしかなが無いのです。
冷静なのではなく、間違いに気づかない鈍感さが問題なのです。
まあ、知性に鈍感さゆえ、そういう”腐るほどある”という
自分で纏めもしていない死生観について語るのですね。

通常問いの中で死生観と言えば、
”あなたの一つの死生観”を問うのです。
このあなたには、問いを受けた人の名前が入ります。
学者じゃあるまいし、腐るほどある死生観の選択を
しないでいいと思いますが・・・。

たくさん知っていることがいいのではなく、
どのような視点の死生観があるかというのは
知っていていいです。
しかし、腐るほどあるからというのは、そもそも考えていない。
そういう場合は、その宗教を理解していないで、
言い掛かりとして”裏切られた”という感情を持つのです。

また、私がどの宗教を選択したかというのも、
この問いの中には関係ないことです。

タカギさんがどういう死生観を持ち、
それに適合する死生観はどんなものか。
また、その死生観は的確か。

そういうところが問題なのです。

話をずらしても、本当のことには到達しませんよ。

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from: めるろ〜001さん

2011年03月14日 22時10分13秒

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「Re:Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」
>タカギさん

現に生きていることでの証明より、すぐ先の未来の時間を考えることさえ不確実なのに、死生観を具体化するなど
難しいですね。そういう意味で死後の世界は曖昧だと。

しかしながら、経験上、生きているものは死ぬるということは知っている。知っているだけで誰も見たことはない。
死後の世界を論じるというのは、
<自己が死ぬ間際までどう生きるか>ということを論じるのと同じです。そういうことを「不二」の言葉で表しています。

そこが理解できないと、死後の世界すら論じられません。

死後の魂というのは、輪廻するというのは、ごく自然のことだと思います。

「ミリンダ王の問い」という名の経典に、
ヤーナセーナが、炎の喩えをしています。

ここに炎があります。この炎が明日と同じ炎か?
いや、違う炎である。さて、本当に違う炎と言えるか?
いえ、同じ炎です。

こういう風に、形状や時間、名付けるところ、など
多角的に炎をみれば、同じ炎と言えるし違う炎ともいえる。
その炎は普遍性を伴った、瞬間瞬間違う姿をしているものである。
しかし、未来の時間燃え続けたとしても、その炎はその炎である。
未来の炎として肯定もされ否定もされる。
正に、”空”なのです。

この文章を書いていて、タカギさんが理解できるかどうか
不安です。

時間の順序も勝手に差し替えてしまうタカギさんのことだから、
本末転倒を考えるのではないかと。。。

人間は時間を超えられないのです。事実の証明は現在の時間でしか出来ません。
それを死後の世界というものをいきなり論じようとする。

「不二」というヒントをあげましたが、
どうも理解されておりません。

言葉に執着したら、
言葉の先の本当の事実にたどりつけないのです。

仏教思想に浸かっているのではありません。
論理学が現実を指すように、同様に未来は指し示すことは
出来ません。
しかしながら、もし、事実に近づけようとすると、生の事実の裏側でしか論じられないと言っているのです。

希望の死生観で生きるのならば、裏切られるはずがありませんね。
それはあなた自身が選んだのだから。

また、死生観が正確性を得るのに「不二」の思想でしか
正確性に近づけないというのは、誰が見ても明らかです。
生きていることの成り行きが明らかになっていないのに
死後の世界は論じられない。

生きている世界の行が明らかになっていくと同時に
そこに死後の世界を支えてくれている現実の世界が見えてくる
のです。

浄土思想が死後の世界を論じ、良く生きることを教えているという
指摘も出来るでしょう。
しかし、浄土思想といえど発心なしに浄土の世界も見えないのです。

僕が何を選んだか?という問いですが、
何も選んでいないというのが正解でしょう。
何かの思想に執着することは、色眼鏡で見ることになるからです。

僕が選んでいるのは、思考の方法論だけです。
その中で正当性を持つモノを語るのです。

といっても分かんないだろうな。

それほど理解力が隔たりを持っていますね。


「不二」という仏教の考え方について思うのですが、なぜ死んだらどうなるか分からないのに、死とは何か分からないのに、これを当たり前のこととして話を進めなければならないのですか?まずこの前提に問題があると思います。

「生と死は切り離すことができない」というのも一つの死生観でしかありません。柿の木の喩えも、「死」がもし柿の実が落ちていくようなものであるならば、まともな理屈になりますが、果たして死がそういったものであるか謎なので、喩えとして適切であるかどうかは判断できないはずです。

「タカギさんの返信を読んでいると、理解していないようですが、まず、不二の思考を理解しないと次に進みませんね。宗教を信じる前に、自己の思考が正しいか、検証しないといけませんね。」

なぜ、そこまで言えるのですか?理解したところで腐るほどある死生観の一つでしかないので、次に進めないことはないでしょう。あと、私の思考は正しいかどうかは知りませんが、冷静ではあると思います。

めるろ〜さん、仏教の考え方に浸かり過ぎてはいませんか?もっと冷静になってください。

「思考方法を多様さが無いと、宗教など選べませんよ。宗教を選んでから、信じる世界に入ります。」

思考方法の多様さがある、めるろ〜さんはどの宗教を選ばれたのですか?

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from: 沙羅さん

2011年03月14日 02時36分12秒

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「Re:Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」

 タカギさん?

あのですね?

 人様にない、なんらかの能力があるとしたら、
 それは、自分のものでも、自分の為に自由になるとか、、、

 そのような考えは私利私欲の為に、なんらかの能力を使うという事だと思いますよ。

それでね?

 そういう私利私欲の考えが自分の中に 生じるという地点で、
 それは、煩悩と呼ばれるものではないですか?

 多分創造主、たとえば、人知を超えるなんらかから、助けてもらったり、力添えをしてもらったり、自分が生き易いように、運がひらけたり、知らない他者達が ちかづいて孤立感を感じる事はなかったり 楽しい時を過ごせたり、不思議な体験をして、過去、現在、未来の繋がりの中に確かに存在し続けているという永続的なものを感じたり、、、、エトセトラ、、、、

 そのような存在の仕方を感じるのは、他者達が自分の存在を求めているのと同時に自分も他者達の為に、なんらかの能力を他者達の為に使うという事ではないですか?

 人の上に立ちたいとか、人と従属関係を築きたいとか、人を支配したいとか、その為にお金を儲けたいとか、どうでもよい、世間に名が知られて、有名になりたいとか、 人に信用してもらいたいとか、
自分は正しいと思ってもらいとか、もうそういう自分の我欲はどうでもいいのですよ。

何故なら、そういう事は自分で思う事ではないと思いますよ。

自分自身で、自力で内観を鍛えたり、他者達との反応を観ながら自分との合意点を軌道修正するという事だけで精一杯ではないでしょうか?

他者に好かれたいなんて思っている暇など全くないのですよ。そのような事を思うから他者の意識が向かないと、苦痛を感じたり、孤独感をかんじたりするのではないですか?

他者との共感や同意は、好きとか嫌いとか、又趣味があうとか、同じ信仰をもってるとか、、そのような過去の条件に帰属したり、あてにしながら 関係を築こうとする事じたい 自分自身の嗜好を優先してませんか?

他者は自分の思い通りになるような、接し方をしてはいけないと思いますよ。子供に関してもです。平等関係というのは、過去に向かっているのではなく、未来に向かって築こうとする能動的な関係を築く途上にあると思うのですね。

そのような途上において
他者が自分を判断して他者の方が自分を存在させるのですから、、それで、自分が存在しにくかったら、自分の現れ方が他者達とのコミュニケートとれていないという事だと思います。



自分は、つまらない私利私欲に振り回されたり、情動を、どたばたさせて、週刊誌のゴシップを追うような地点にいて、他者を判断したりせず、他者は他者、自分は自分、、他者を批判せず、他者と自分比べず、ピシっと 自立してくださいね。

霊能力の力量もですね、これは心的レベルが高い人をわたしは信用します。しかし、そういう方は、世間に出ません。宗教とか信仰とかそのような必ず信仰を持つ、、と、決まっているのではないです。信仰がある人もいればない人もいる。そのような視点で観たり、人を判断しないという事に思えます。

知らずして、そういう方とご縁が出来るという事です。 人格が、一番大事だと思うからです。
私利私欲を離れた、無私高潔の人、、、

そのような方とご縁が出来るという事に思えます。

何らかの 霊的能力がある方というのは、みなさん、「上ですべて我々の心の内は観られていますから、、」という言い方をされますけど、

わたしもそう思います。

 つまり、それが外界とのコミュニケートが出来てる事に思えます。 

 



 

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from: タカギさん

2011年03月14日 01時11分44秒

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「Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」
タカギです。
返信が遅くなりました。



めるろ〜さんへ

「不二」という仏教の考え方について思うのですが、なぜ死んだらどうなるか分からないのに、死とは何か分からないのに、これを当たり前のこととして話を進めなければならないのですか?まずこの前提に問題があると思います。

「生と死は切り離すことができない」というのも一つの死生観でしかありません。柿の木の喩えも、「死」がもし柿の実が落ちていくようなものであるならば、まともな理屈になりますが、果たして死がそういったものであるか謎なので、喩えとして適切であるかどうかは判断できないはずです。

「タカギさんの返信を読んでいると、理解していないようですが、まず、不二の思考を理解しないと次に進みませんね。宗教を信じる前に、自己の思考が正しいか、検証しないといけませんね。」

なぜ、そこまで言えるのですか?理解したところで腐るほどある死生観の一つでしかないので、次に進めないことはないでしょう。あと、私の思考は正しいかどうかは知りませんが、冷静ではあると思います。

めるろ〜さん、仏教の考え方に浸かり過ぎてはいませんか?もっと冷静になってください。

「思考方法を多様さが無いと、宗教など選べませんよ。宗教を選んでから、信じる世界に入ります。」

思考方法の多様さがある、めるろ〜さんはどの宗教を選ばれたのですか?



沙羅さんへ

「今は生きてるんです。生きてる今の時間を、十分に心ゆくまで満喫しないで、どうして、先の死の事ばかり考えないとならないのでしょうか?」

どうしてかと言えば、私が次の瞬間に死ぬかもしれないからです。人間いつ死ぬかわかりません。

死後どうなるか知るには超能力者のもとへ。最もなアドバイスですが、その超能力者が本物か偽者かを見破るにはどうしたらいいのでしょうか?今度はそれを見破れる超能力者のところへ行く、さらにそれを見破れる超能力者のところへ行く、さらにそれを・・・・・・。(キリがないですね。)誰の言葉を信頼すべきか分からなくなります。

超能力者について疑問に思うことがあります。それは超能力があるなら、ギャンブルをして(競馬、宝くじなど)儲ければいいのに、なぜ困っている人の相談にのるのか私には理解不能です。ご存知でしたら教えてください。

沙羅さんは「死後も魂は行き続ける」と仰りますが、どの宗教を信仰されているのですか?教えていただけると有り難いです。

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from: めるろ〜001さん

2011年03月06日 21時48分57秒

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「Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」
大往生という言葉があります。

大は、素晴らしいという意味でしょう。
往生は往(い)くと生きるということですね。

極楽に往生するというのは、極楽に往って生きるということです。
これは浄土教の考えですが、
浄土に生まれることは、生じたり滅んだりする迷いの世界を超え
離れることであるから、無生の生であるとし、
往生即成仏の説を称える。

ん〜ん、沙羅ちゃんの探したダヴィンチより
面白くないな・・・。

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from: 沙羅さん

2011年03月06日 19時54分28秒

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「Re:Re:Re:Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」

人生を全く評価しない者は人生に値しない。

 考察せよ、思索せよ。考えないものは大きな間違いをおかす、

 希望が絶える時、空虚が生まれる。

 十分に満ち足りた人生は長い。充実した日の眠りは深い。

 充実した人生の死は穏やかだ。


  レオナルド、ダヴィンチ (アトランティコ手稿)
 

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from: めるろ〜001さん

2011年03月06日 15時25分29秒

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「Re:Re:Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」
死後の世界を語るという時に、
先にあげた一般論という見方のほかに、
超越論があげられます。

<死後の世界に生きている>という前提が必要な
一般論、つまり、「死後の世界はどうなっているのか?」
という問いのほかに、
生物としての変化を問うことがある。
問題は生物としての変化の先に、共通の普遍性の意味を見つける
ことが出来れば、超越論として死後の世界を語ることが出来る。

しかし、人間というのは、生物としてのみ生きているのではなく、
その自然や世界に意味づけしている。
同様に<死後の世界を意味づけ出来るのか>という問題なので
ある。

意味づけできなければ、当然、死後の世界を語ることは出来ない。

仏教で浄土系の思想では、死後の世界を極楽浄土としている。
「じゃあ、極楽浄土とはどんなでしょうか?」という問いが
生まれる。
極楽浄土とは、こんなものですと、
地上のものに譬えて素晴らしいものであることを言葉にします。
さながら見てきたかのようです。

この思想は、その指すものの極楽浄土のみを扱えば、
どうも納得いきません。
これはその浄土思想を希求する人たちがいる。
ゆえに、発生したものであると言える。
浄土思想にその対象者が居るということですね。

先が分からないと不安だというものから、
自己の限界を悟って、これから先を保証してくれるものは無いか、
とか、
率先して、浄土思想に祈願する者などが挙げられます。

密教のように、自己の鍛錬に応じてその成仏の程度が変わってくる
と素直に指摘されるものもある。

確かに、成仏程度が変わるというのは、
多くの宗教が言っていますが・・・・。

対象の意味づけが変わると同時に、
自己の自己分析の意味づけも変わる。
このようなことは、別段指摘するほどのことも無いですが、
日常の論理の中では、結構曖昧になっている場合がある。

逆にいえば、自己の自己分析の程度が変わると、
自己が言語で指摘する世界の程度も変わる。
その中で、死後の世界は指摘できるか?

やはり、自己の程度が満ち足りた時に、死後の世界を語れる
程度まで、自己が自己分析できていることが大前提ですね。

つまりは、仏教的前提に立てば、
仏教は裏切らないということになります。

仏教の意味づけは、自己が自己の成長と共に世界を意味づけることが求められるからですね。

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from: 沙羅さん

2011年03月06日 00時13分11秒

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「Re:Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」

  タカギさん

 言葉というのは、

 人の心の状態を無残にも 表すんです。


 表面上は、大した事を話していないように思えても

 人の放つ言葉というのは、やはりその人の 考え方、思考の傾向
 その人の人生を導いているであろう、示唆みたいのが分かるんです。それこそ、その方の生き方、死生観というが現れるんですね。

 言葉は、文学的に綺麗な音素で 放ちたいですね。

 死後どうなるか、お知りになりたいというご質問は、

 今のところは、それなりの超能力者のところに伺えばいいんじゃないですか?

 死生観というのを辞書でひくと、

 死と生についての考え方。生き方、死に方についての考え方

 と載ってました。

 とりあえず、今のところおかげさまで、健康体ですし、肌の衰えは
 20歳代というわけにはいかないので、色々カモフラージュしなくちゃいけません。
 綺麗な音楽、心地よい音楽も聞きたいし、不思議な出来事もよく起るし、色々なお友達が話しかけてくる、、時々お友達が亡くなったり、悲しい事あるけど、それでも、そういうお友達との話した会話の中に、沢山の逢わされた原因を仄めかす暗号を見つけたりするんです。、

 今は生きてるんです。生きてる今の時間を、十分に心ゆくまで満喫しないで、
 どうして、先の死の事ばかり考えないとならないのでしょうか?

 今の自分の生への姿勢が、あの世の出来事ではないでしょうか?

 死後も魂は生きつづけるという事でしょうね。

 LIFE  IS  BEAUTIFUL

 



 



 

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from: めるろ〜001さん

2011年03月05日 22時53分47秒

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「Re:Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」
>タカギさん

死後の世界を語るのに、
<自分が時間を超えることが出来るのか>という問題と
「不二」ということを理解しているかということですね。

生きている時間は語れても、
死後の世界を語るということはどういうことか?
そしてどこから導くことが出来るか?

なんの根拠も無いのに、死後の世界を語っても
本当に意味がありません。

どういう方法を通れば、死後の世界を一般論ではなく、
自分の死後の世界を語ることになるか。

そこが無いと、死後の世界を語れないということですね。

そこで空海は即身成仏という生きている時間の中で
釈尊のいう智慧と慈悲を手に入れる方法を論じたのですね。

この過程を通れば、死後の世界を論じることが可能だと。
単なる一般論の物理的現象ではなく、
自分が自分の死後の世界を論じるということはどういうことか。

<不二の思考方法を乗り越える。>これしかありません。
この連続性と分離性が量子的に転換する場面を認識する
必要があるのですね。

タカギさんの返信を読んでいると、理解していないようですが、
まず、不二の思考を理解しないと次に進みませんね。

宗教を信じる前に、自己の思考が正しいか、
検証しないといけませんね。

日本の右翼じゃあるまいし、
自己の思考がすべてだと思っているのじゃないでしょうね。

思考方法を多様さが無いと、宗教など選べませんよ。
宗教を選んでから、信じる世界に入ります。

僕が思うに、タカギさんはその入り口にも達していないと。
もっと他人の意見の奥深さを理解しないといけませんね。

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from: タカギさん

2011年03月05日 17時20分43秒

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「Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」
沙羅さん


ご指摘の、
何でもかんでも情報を取り込んでいないか・・・。

確かにそうかもしれません。情報の選別が私にはとても難しいです。宗教の数だけ死後の世界像があるからです。

私が何度も尋ねているのは、この情報の選別の仕方です。この点について、教えていただけると有り難いです。

沙羅さんはどの宗教のどのような死生観を選択されているのですか?死生観がないという人はいないと思いますが。

沙羅さんは、いずれ自分が死ぬことが恐くはないんですか?

活字を三ヶ月一切読まない生活ですか。
私は何をしていても、死後の世界についての疑問が頭をよぎります。緑の多い公園や山で散歩していてもダメです。

短くまとめてこんな感じですが、どうでしょうか。



めるろ〜さん


おひさしぶりです。

仰るとおり、死後の世界も幻想かもしれませんね。
永遠の命とか輪廻転生とか天国とか復活とか、全部嘘で、死後には永遠の無が待っているだけかもしれません。

「しかし、私は何かの感覚を持って生きている。つまり、幻想ではないのです。その幻想ではない確かに生きている意味や価値の中で生きられるからこそ、死後の世界を考えられるのですね。死後の世界を考える時に、同時に、生きていることが明確になっていないと、死後の世界は語れないのです。」

幻想かもしれませんよ。幻想ではないと断言できないと思います。めるろ〜さんの考えに従うと、生きていることが明確になっていないので、死後の世界は語れないことになります。

私が知りたいのは、死後の事実です。
死んだらどうなるか知りたいだけです。

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from: めるろ〜001さん

2011年03月05日 14時07分13秒

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「Re:Re:Re:Re:最後の最後で、もしも宗教に裏切られたら・・・。」
>タカギさんへ

生きる意味と死後の意味は、実は隣り合わせであり
切り離すことは出来ません。

死を語るということは同時に生きることを語っているの
と同じです。

生きる意味や価値が幻想ならば、死後の世界も幻想です。
しかし、私は何かの感覚を持って生きている。
つまり、幻想ではないのです。
その幻想ではない確かに生きている意味や価値の中で
生きられるからこそ、死後の世界を考えられるのですね。

死後の世界を考える時に、同時に、生きていることが明確になっていないと、死後の世界は語れないのです。

仏教ではこの思考方法を、<不二>と言いますが、
切り離して考えることが出来ないものを言います。

ある柿の木に、実が一つ生るとします。また、一つ生るとします。
そうしていって、柿の木のてっぺんまで実がなった時に、
今まで足し算でよかったのに、
次からは、柿の実が、落ち出します。
一つ落ちて、また一つ落ちる。

死後の世界だけを考えるということは、この柿の木に例えれば、
柿の実が落ちることだけを考えているのです。

人が生きて意味を重ねる、そうしないと、
自分が生きてきた証としての死後の世界は見つからないのです。

例えの話でいえば、実がならなければ、
実が落ちることは考えてもそれは、
頭でっかちで考えた以外の何ものでもないのです。

物事の時間を超えて思考するということはそういうことなのです。

今生きている価値を見いだせなければ、
死後の世界を考えるところまで来てないということです。

一般論で、悪いことをすれば地獄に落ちるということが
説かれますが、「自分はどうなのか?」まだ、その結果を出して
いないのならば、極楽浄土にいけるかそれとも地獄に落ちるか
それは決定しないのではないでしょうか。

「悪いことをすれば地獄に落ちるよ。」という言葉は、
良く生きることを求めての言葉であり、
実際に「地獄に落ちよ。」と言っているのではありません。

「悪いことをしたから地獄に堕ちろ。」という言葉でさえ、
自分が生きている限り、償いは可能であり、
しっかりと生きる意味はある。

それほど強いものはない。
それが生きることである。

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