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「哲学〜真理〜探求について」

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from: yeshangさん

2011年05月31日 11時55分37秒

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「自利利他」について想うこと

企業の目的はまず利益を出すことで、理念としてお客染ま・株主・従業員を大切にすることがよく言われます。しかし、従業員を大切にしない企業では成長も将来の利

 企業の目的はまず利益を出すことで、理念としてお客染ま・株主・従業員を大切にすることがよく言われます。
 しかし、従業員を大切にしない企業では成長も将来の利益・展望もないわけで、株主にも還元できず、ましてお客様へのサービスもままなりません。

 従って、私は企業は外向きにはお客様第一、株主様さま、従業員はは仕事をさせていただいていると言いますが、本当は従業員第一、利益を出して株主にもお客様にも十分な満足をしていただくことと考えています。更に余剰が出れば社会貢献・奉仕にも回せます。そのためにも利益がきちっと出る会社にすることが大切でしょう。

 さて、「自利利他」ですが、このまま読むと「自らが利を得、そして他を利す」、つまり自分の利益が他の人を利すことと読めます。自利是利他、自利=利他です。

 「世のため、人のためそして自分のため」でなく「自分のため、人のため、そして世のため」なのです。

 しかし、この場合企業と違って順序はどちらからでもよく、「世のため」から始めてもよく「自分のため」から始めてもいいでしょう。自分にとって行動するに元気の出るほうから進めればよいと思います。

 自分があってこの世があり、この世があって自分があることをよく考えて行動すればよいのではないかと。
 

 

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from: 沙羅さん

2011年05月31日 17時58分58秒

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「Re:「自利利他」について想うこと」

 うまく説明できるかしらん?

 と思いながら、、、

 自分 という 個 から、何かを発信する場合、、、

 普遍性を観ながら

 言説を放とうとする。

 どうしても、個<部分> ------------->全体、総体 宇宙

 という表現の仕方になってしまうのだと思うのです。

 しかし、もし、自分<個>

 が、 宇宙、全体、 総体 を成してる 一部分だと、、体感、実感 手応え を得ている 人達の、

 言説の内容を分析していると、違いが見得るんです。


 他も自もない というか、、、

 もともと一つのものだったのを、

 どうして、 他 とか 自という記号に分け

 何らかの 意味を 伝えないとならないのか?

 という位置に立って放つ人達との違いです。

 この位置に立てる人達の次元と、

 「皆さん、戦争はいけません、争いはいけません、仲良くしましょう、

 世界の人達は 平和を目指そうではありませんか!」
と放つ次元、、

 つまり、「諍いや争いは、ただいけません」と放つ

 戦争=悪、、という判断する人達は、結果に意識をFIXしてしまっているのだと思うのですね。

 これは、実践ではないです。

 ただの結果報告というか、記号の照合合せを提示する、、という事に思えます。

 世界は、その地点ではもう、満足していないでしょう。

 宗教や信仰離れを促してさせてしまっているのは、

 人々に納得させる事のできる、

 人々の心に、ストン と共感できる 他者との共感を得る

 という言説が、放つ事が出来ないから、、と思うのです。

 しかし、これはコミュニケートの問題なので、

 少し横に置いときたい 問題に思うのです。


 例えばですが、、、

 日本語で、 寂しい、、という気持ちを表現する時

 アルファベットの言語は、

 欠ける という 単語を放つ事で、自分は<主体>、貴方がいなくて寂しい、、、と云う意味を伝える言語のしくみ

を考えると、、、

 ややこしいですが、、

 寂しい、、という気持ちにさせるのは


 何かが 足りない 欠けている 何かが、自分に足りない、、

 そのように 感じるから、 わたしは、寂しい、、だから<他>を求める

 という感じだと思うのです。

 フランス語というのは、良く出来てる言語のしくみと思うのは、

 非常に心理学が発達する言語のつくりになっているんです。

 貴方がいなくて寂しい

 は

 わたしには、貴方の存在が 欠けている<足りない>

 という単語を放ち、わたしは、寂しい、、という主体発信になっているんです。


 貴方という対象

 でなく、

 何かが、自分の 心中に足りない、 自分の奥に欠けている

 神にしても、誰かという人間にしても、信仰という抽象的なものにしても、、、

 自分が完全な状態、自分に充足感を与えるのには、何かが足りない、何かが欠けている、、、

 だから、足りないモノを求めるのだと思うのですね。

決して、救ってもらう為に、求める、、、という意識ではないと思うのです。

この救ってもらう為に、、、という意識は、すでに、誰に?すくってもらうのか?というと、自分以外の誰か<神、信仰、愛する人、ETC>、、、という、自と他の境界線が引かれてしまっているのだと思うのです。

どうして、この違いがでるのかは、やはり話す言語のしくみかもしれません。
よって、哲学では、言語や思考 と考えますから、、、、

 そうすると、、出発地点に又戻るのですが、、、(笑)

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