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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

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  • from: めるろ〜001さん

    2011年06月22日 10時54分53秒

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    『真言宗未決文』を読む

    徳一菩薩が空海に投げかけた真言宗に関する疑問や疑惑などの
    未決を示したものです。

    徳一菩薩は、密教的なものを認めず、
    すべて論理実証的に捉える視点で、鋭く突いています。

    空海はすぐには答えず、黙した曰くつきの未決文です。

    まだ、空海や真言宗側の反論を読んでいないのですが、
    真言宗側の言いたいことを察知しております。

    しかし、先達の言葉より先に何かを発言するのは
    さし控えて、現状報告に致します。

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コメント: 全17件

from: 延命五行さん

2011年10月31日 11時14分54秒

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「Re:Re:Re::Re:『真言宗未決文』を読む」
言葉の定義なら辞書を見れば大概のことは載っています。布教するという目的でそれをここで繰り返し述べることにも意義はあるでしょう。しかしながらそれが引用者であるアナンさんにとって、何を意味するのかということを追求することもまた一興ではないでしょうか。私はそういう文章なら、喜んで読んでみたいです。

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from: アナンさん

2011年10月31日 07時27分01秒

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「Re:Re::Re:『真言宗未決文』を読む」
> > 釈尊の教えがお好きなのですね。一つどうです、何が釈尊の教えであると信じていらっしゃるのか、表現されてみては。

ベルバセブ999さん、宜しくおねがいします。

釈尊の教え=四諦・八聖(正)道です。


四諦(したい)
「諦」とは、真理の意味。

四諦とは、迷いの現実と悟りにいたる方法の二方向にわたって、因と果とを明らかにした四つの真理のこと。迷いの因果をあらわしたのが、苦諦(悪果)と集諦(悪因)。悟りの因果をあらわしたのが、滅諦と道諦



--------------------------------------------------------------------------------


苦諦 (くたい) 人生の真相は苦であるという真理

この「苦諦」の中に誰もが逃 ることのできない苦しみとして「四苦」「八苦」をあげ、「苦から逃げることなく、それを直視し、見極め、これに執らわれないこと」を教えている。

四苦  (1)生苦・・・・生きる苦しみ

     (2)老苦・・・・老いる苦 しみ

     (3)病苦・・・・病気になる苦しみ

     (4)死苦・・・・死ぬ苦しみ

八苦  (5)愛別離苦(あいべつりく)・・・・愛する人との別離の苦しみ

     (6)怨憎会苦(おんぞうえく)・・・・嫌いな人と一緒に生活したり仕事をしなければならない苦しみ

     (7)求不得苦(ぐふとっく)・・・・求めて得られない苦し み、欲しいものが手に入らない苦しみ

     (8)五陰盛苦(ごおんじょうく) ・・・色・受・想・行・識の五陰から生ずる身心の苦しみ


--------------------------------------------------------------------------------


集諦  (じったい) その苦の原因は煩悩にあるという真理

苦しみの原因を探求し、はっきりと悟ることを集諦という。苦しみの原因は渇愛(のどの渇いた者が激しく水を求めるように、人々が様々な欲に執着してやまないこと)や、無明(如実知見が出来ないこと)に代表される煩悩にあるとする。



--------------------------------------------------------------------------------


滅諦 (めったい)  その煩悩を滅した状態こそが本当の安楽であるという真理

苦しみをもたらす原因を取りのぞけば、苦しみがなくなるのだという真実を悟ることを滅諦という。



--------------------------------------------------------------------------------
 

道諦 (どうたい) 煩悩を滅する方法は八聖道であるという真理

苦しみの原因である渇愛、無明などの煩悩をなくす方法を見極めることを道諦という。具体的には、八正道が説かれている

八正道

 八つの正しい道とは、正見 (しょうけん) 正思惟 (しょうしゆい) 正語 (しょうご) 正業 (しょうごう) 正命 (しょうみょう) 正精進 (しょうしょうじん) 正念 (しょうねん) 正定(しょうじょう)


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from: 沙羅さん

2011年10月30日 17時19分05秒

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「Re:Re:Re:Re:『真言宗未決文』を読む」
msg 785 の続き

 おはようございます。

 今朝起きて、壁の時計は、8時は15分を指していた。

 へんねえぇぇ、、日本から戻ってきたのに、<ちなみに、7時間日本とフランスは時差があり、日本はヨーロッパより先です>

 こんなに、早く 時差ボケが治るのは???

 と思っていた。

 日本時間だと午後の3時にあたる。その時間まで 寝ている訳がないですから、、、

 パソコンを 開け 欄外の時計を見たら、7時台を指していた。

 そうだった、、

 ヨーロッパは、一斉に冬時間はいったのだ。

 つまり、時差だけで云えば、 夏、冬 時間が変わらない 日本と比べると 8時間の 差が出てくる。

 最初、このシステムに慣れるのに、すごく苦労した。

 地球は 単体で 存在しているのではなく、 太陽や 斜めの地級軸や、月や、その他の天体の一つであり、人間だけが 中心でこのような天体や宇宙を存在しているという事はない事。

人間が、中心ではない事、

 中心でない 人間の 決めた 理や基準 は、宇宙の動きに 合わせないと
 ならない事、、それを 体感や他者との共感、、実際の肉体が感じる経験により、柔軟な決まりを決めなければ ならなくなってしまった事。
多少不便でも、仕方ないと思う事、
「夏冬時間が違う?
そんなの当たり前でしょ? 人間を 何様だと思っているのですか?
と 応える」このような 会話や 対話は フランス人と生活すると、いたるところで、日常茶飯事の事として話される。

面白いのは、

 この諸外国との 決まりを 同一にしたがらない 存在の威力は、フランス人特有のバランス感覚である事が外国語を話すと観えてくる。

 協調は強調ではない事、人の云われた事を 熟考せず 従う事は 
 行為だけみれば、人々に好まれるイメージですけど、
 表現を変えれば、考えていない、、つまり 個が、無いのでしょう。
 
 個の存在を訴えれば、他者との折り合いは悪くなる、、
 それは、ちゃんと分かっていれば、反対の立場を取らざるを得ないという事は、ただ、自分自身の利得を考えて 発しているのではなく、
 世界の 諸外国を 存在させなければならないと考える時、バランスが、あまりにも 右寄りに 傾いてしまッた時、または、反対に 左寄りに傾いて閉まった時<あまり無いけど>

 フランスという国は、独自の立場を 必ず取るのであろう、、事を 今までの経過を見ていて体感として観えてくる。

 世界で初めて、1700年代に自由、平等、博愛の獲得に結びついた 革命を起こした国の 民族であるのだろう、、という事は、住んで彼らのf複雑な思考の基が 観えないと分からないであろうと思う。分からない人達は、今でも、フランスは美しいけど、フランス人さえ、、居なければ いいんだけどなぁぁ、、、
と、外国人の 放つ 辛らつなアイロニーなえお、分かっていて、わざと そこが フランス人の民族が存在する存在の 意味でしょう?
と切り返す。

彼らの歴史は、センセーショナルな形而上世界、魂や心の存在への接し方や 観かたや 扱われ方といった視点にだけ、ジョーナリストの目は向いている事が多い。国民の 心模様に、訴えているのであろう。と思う
つまり人間性に訴える、、という事で この国の 民族性を高めようとしているのではないか?
ジョーナリストの言説や、情報社会のニュースをみていると、どの視点に目を向けなければ ならないか?

大衆化、民衆化といった一般性とは、全く逆の方向に向いているのだと思う。しかし、思いは感じるのだけど、 難しい。

今問題となっているEU諸国の問題
ギリシャを救う、、、という問題は、フランスは、救うという意思表示をするであろう、、という予想は大方 分かっていたけど、

それでも、世界経済の下降線は、ドンドン、人間的な生活が出来なくなっている、、、
例えば、20年前の国民一人あたりの 昼食に時間をかける平均は、1時間22分であったのが、去年 2010年の フランス人の昼食にかける 時間平均は、 25分だと 国民調査で分かったと話していた。

食事は、人間の基本的な和の 場をつくる、、といった、現れであろうと思う。

2時間かけて食べるのではなく、2時間あれば、誰かと食事を共にするという 場が保てる、、という捉えかたなのだ。

彼らが、マクドナルドやその他のファーストフード産業に 批判的なのは、そのような 思考が基になっている。

ただ、 お腹を膨らませる、空腹感がなくなればいい、、という視点で、ただ食べればいいという行為には繋がらない。

結果だけを、重視しだすと、 人間的な生活がおびやされる、、、という事が分かっているから、その前に 過敏反応をするのでしょう。

食事は、誰かと一緒に食べる、そして 誰かと話しながら食べる、普通は家族が回りに居る、子供達は、食事の時の姿勢が悪い怒られ、誰かの会話に 口を挟むと、「人の話しを最後まで聞きなさい」と怒られる。
年長は年下の兄弟や姉妹の 世話を見る、、と言った、小さいコミューンの姿があった。
こういう小さい事に見える 人間生活での、教訓は、大きくなって 色々な信仰心に目覚めて 何かに委ねるより、大変重要な事ではないか?と思えるのですが、どうでしょうか?

そういった意味で、ヨーロッパで女性一人あたりの出生率は、一番高いのはフランスであるらしい。

丁度、80年位前だと思うが、フランスの出生率は、女性ひとりあたり、一番先に下降し、2人台に落ちピル避妊が徹底されたという事を聞いた覚えがある。諸外国は、夫婦が5,6人子供を養う事は、珍しくない頃だった。

しかし、ピルの徹底という原因は直接原因なので真実はそのような事ではなく、女性側に 子供を産むという意志があるという事なんでしょう。
 
最近は、既婚未婚関係なく、女性が一生を通じ 子供を持つ、産むという決定がなされる。この時、当然子供の父親が問題になってくる。

しかし今までの歴史は、恋愛の末、子供を授かるという 経過を辿ってきたはず、、純愛物語を夢みる女性はほとんどいない、

精子バンクや、避妊、技術の進化の影響で、子供の存在、、
人間が生まれてくるという意味を把握できない。

話しは、飛びますが 6,7年前 ドイツで、子供のDNA鑑定をする権利が、母親の承諾がなければ、ならなくなったという法案化し、ある日本人男性が、怒ってわたしに聞いてきたという事があった。
WEBサイトの哲学のサイトでの 質問だったのだけど、
話していて、何か?ズレを 感じてしまうのだ。

彼の懸念は、何故?父親であるはずの 彼の要請がドイツの法では通じないのか?問い平等権利を主張してきた、
しかし、その地点で、平等を 持ち出す事はヨーロッパ的な思考ではあり得ないという事を述べたのですね。

それは、例えば、父親が自分は この子供の真の父親であるか?という疑いを晴らす為に、 DNA鑑定は 行われるとはとても思えない。

一方的な立場の疑念を晴らす為の 手段に 未成人である子供の身体が モノを扱われるような 平等に扱われない為の 子供の側の保護に 法が 法案化するのであり、男女の疑惑や懸念をはらすのに、 未成人の子供を モノ扱いにしては大人として恥ずかしいでしょう。
子供は、モノではなく、子供も一人の尊重される人間であるという事。

そこに平等意識がしかれるのであり、
自分の父親の疑念を晴らす為に 母親と平等である、、という主張はどう考えてもおかしいと思うのですね。

この方は、昭和20年代後半にお生まれで京都大学を出、大手銀行の法的な財務処理をするお仕事でありました。

平等意識については、同じ話題をしていてて、議論やデイベートしていて、随分と視点が違う、ズレを感じない訳にはいかなかった。

このズレが 何処から生じるのか?

 民族的な違いなのか?あるいは、言葉によるのか?
あるいは、哲学という科目を、真剣に勉強してこなかった理由なのか?

 同じく、 愛という意識についても、なんとなくズレを感じる事が多かった。結局、ある意識は、、体験や他民族との心情的な共感を体験し、ある感情が、わかなければ、その人をなす 思惟にも関係してくるという事が、このようなWEBを通し 7,8年書き込みしていて、あらゆるサイトやコミュに書いてて 分かってきた。

体感、 体験 は大事な問題なのでしょう。 
別に、体験していないから、いけないというのではなく、

言葉だけの理解、記号だけの理解というのは、

結局、普遍性を持たないのでしょう。

つまり、人々の 心を納得させる ストン、、と落ちる 言葉 を放つ事がないのでしょう。

いつまでも 言葉 だけの 表象理解に 留まる事。

それだけでも、よいけど、でも未来を見ると世界の動きはそうではないでしょう。

外を観る、世界を観る、自分の外を観る、、という体験は すごく人生を豊かにすると思うのです。
心を豊かにする、魂を進化させるというのは、自分自身を見つめるほかに、他者との交わりや体感や経験によって得られた 感情、心を揺さぶられるような感情がどうしても必要になってくる。それは以外に身近にいる、なんでもない子供の放つ言葉だったりする。

つまり、真実というのは、かなり自分の身近に存在するのに、私達は 気がつかないだけなのでしょう、、と思ったりする。

何も、WEB で遠い国の人達と話さなければ、ならない 認識を得る為に 一生懸命になるのではなく、以外に 身の回り、至近距離に、自分の 気がつかない、大事な事が存在しているのではないか?と思ったりする。

時差から 話しが随分違う方向に行ったかな?

マ!いいかな?投函します。
 


 

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from: 沙羅さん

2011年10月30日 01時33分16秒

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「Re:Re:Re:『真言宗未決文』を読む」
> MSG 645 > の訂正です > >  めるろ〜さん >  は、京都の 神護寺を尋ねた回数、いくらなんで、、33回は多過ぎます・ > >  3回の間違いです・

上記は、8月26日  2011年の書き込みなのですが、

何故?

3回なのを、33回などと キーボード叩いて 気がつかない 無意識状態のわたしがいるのでしょうか?

ただ、注意散漫だった?

いやいや、そのような、結果をただ判断するという意識ではなく、

何故?

間違いに気がつく時と、気がつかない時があるのか?

むしろ、

何故?

このスレットの書き込み<真言宗未決文>をする時に このような内容を書かせている <思わす>思惟へのなんらかの 働きかけを感じるのですよね。

書いてる自分は、果たして 本当に 自由意志<意識>によって、その内容を書いているのか?

という疑問が生じませんか?

他者の 書き込みの コピペを しながら 思った事を書くという前に、まず自分自身が、どの次元で 感応するのか?

どの次元で、他者と 呼応しおうとするのか?

まず、自分自身を知るというのは、すごく大事に思うのですね。

哲学は、やはり 自分自身を知る、、という事だと思うのです。

と、、、いう事は

自分自身の事を語る、、というのが 自然だと思うのです。

その上、このような掲示板ですと、他者との 会話や対話をするという事になるのだけど、

自分自身の事は全く語らず、、

他者の書き込まれた 文字のみだけに、 反応されてしまうというのは、
よく分からないのですね。

自分が何を 思い、何を感じた、、という事を書くという事は、

人様が 考えている 信仰や 宗教知識や 哲学について、の書き込みに 自分自身の考えや思いや私情を語るだけ、、という行為もあるのでしょうけど、、、

どうも、一方通行だけ、、

対峙世界を、つくる という感じなんですよね。

もう少し、書き込みの世界にしても、 全体のバランスを 観る、、という総体的に眺めると、

自分自身の事、自分がこのような体験をし、このように思う、、という体験を語り、そして、自分の知識や認識をついでに、書いてみる、、という風に書き込むと、自己顕示欲の強い人 というような判断はされないと思うのですね。

顕示欲というのは、目立ちたがり屋さん、、という性格なのでしょうが、それでもよいのだけど、、

その場のバランスは、自分の認識や知識だけを語るという場ではなく、

その認識や知識が 自己体験や経験にもとづいて、咀嚼され、その人の思惟を象っている、、という事が 把握できる、、という事だと思うのですね。

色々な人<人間>が、存在する、、という事に思えます。

誰が、正しいとか、誰が優れているという事は個人判断ですから、それを知りたい為に、読んだり 書いたりする事はないのですよね。

ただですねぇぇ、、

気になる事は、一つあるのですが、

どのような人も認めようとするのですが、万が一、この状態を続けていくと、だんだん普遍性をもたない存在の仕方、閉塞性、隠蔽性、漂ってくると思いましたら、やはりある程度の手段は必要に思うのですね、

書き込み行為は、結局ひとり言の世界ですけど、

コミュニケートや伝達を 気にかけて、ひとり言を書き込む人と、全く気にしない人では、やはり全然違います。

優しい人、受け入れてくれそうな人を求めながら この手の書き込み行為をするという気持ちがわからないではありませんが、

しかし、最終的には、世間の人達や、近しい人達者 家族といった人達と心のコミュニケートが出来るように、なって欲しいという願いが 根底にありながら、書き込みしている自分がやはり存在しているのです。

別に 無理にコミュニケート視なさい、、と云っているのではもちろんなく、何故?
その人達は、そのような存在で貴方と応対しているのか?
何故?
そのような 態度で 貴方と接するか?

でしょう?

理由を考える、原因を考える、、

という事と、

ただ 嫌な人だから、嫌いだ、というのは 感情ですから、

必ず

好きになる理由、嫌いになる理由

むしろ、

好きにならされる理由、嫌いにならされる理由、、と言う考え方が正しいのではないでしょうか?

何故なら、全て 受身に 感応してしまっているからでしょう?

書き込みも、他者の文をそのまま、コピーし、区切ってセンテンス事に 感応文を書いているという行為と同じではないでしょうか?

能動態でしたら、全体把握し、その人の思惟を感じ、自分の存在とその人の存在の接点を観るでしょう?

つまり、書き込み上の世界でも、遇わされるという感じでしょう?

そのような事を述べたいのですが、、

話しが、33という数字から 随分それました。

高千穂で、神楽を智ちゃんと見たのですよ。

泊まった宿の人が、ほぼ強制的なんですね。高千穂に来たら 神楽見なさい!、、、という感じです。なんでも、33 神楽 あるのだそうです。

なんでしょうね?  しかし、不思議な場所です、高千穂は、、

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from: 延命五行さん

2011年10月29日 00時21分59秒

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「Re:Re:『真言宗未決文』を読む」
沙羅さんは再び、日本を旅行しておいでなのですね。オフ会でついに、めるろ〜さんを交えて、せめて三人寄れば文殊の知恵ということにならなかったのは残念至極です。

私は現在、信州は八ヶ岳〜諏訪湖にいたる道端に、居を移して隠棲しています。隠棲しているので何処というわけには参りませんが、懐かしいHNを引っ張り出して、世川行介という文学者のように、再び小沢一郎を擁護しようと企てています。TPPを粉砕し、一郎を日本の首相にするために、私は私の霊感の全てを使用することでしょう。

もちろん、沙羅さんとのコミュニケーションを忘れません。(笑)

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from: 延命五行さん

2011年10月29日 00時14分18秒

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「Re::Re:『真言宗未決文』を読む」
> > 真言宗は密教ですので、釈尊の教えではないですね。

何が何であり、何が何でないかを述べようとしているのですね。勇猛果敢なる精神です。めるろ〜さんならば現象学や解釈学を持ち出す所でしょうが、私にはそんな知恵もなし。

釈尊の教えがお好きなのですね。一つどうです、何が釈尊の教えであると信じていらっしゃるのか、表現されてみては。

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from: アナンさん

2011年10月24日 20時15分00秒

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「:Re:『真言宗未決文』を読む」
徳一出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 徳一(とくいつ、天平宝字4年(760年)? - 承和2年(835年)?)は、奈良時代から平安時代前期にかけての法相宗の僧。父は藤原仲麻呂(恵美押勝)で、徳一はその十一男と伝えられている。徳溢、得一とも書く。生没年には諸説があるが、「南都高僧伝」には天平勝宝元年(749年)出生、天長元年7月21日(824年8月23日)没と記されている。

初め東大寺で修円らから法相教学を学んだとされ、20歳頃に東国へ下った。弘仁6年(815年)空海から密教経典などの書写・布教を依頼されるが、これに対して真言密教への疑義を記した11か条の「真言宗未決文」を空海に送っている(ちなみに空海は徳一の「未決文」に対してあえて反応は示さなかった。真言宗側から「未決文」に対して反論がなされたのは実に500年後のことである)。

また、天台教学に対しては「仏性抄」を皮切りに批判を加え、弘仁8年(817年)年頃から最澄との間で一大仏教論争である三一権実諍論(さんいちごんじつそうろん。または「三乗一乗権実論争」)を展開した。

この間、陸奥国会津慧日寺や同国会津勝常寺、常陸国筑波山中禅寺(大御堂)、西光院など陸奥南部〜常陸にかけて多くの寺院を建立すると共に、民衆布教を行い「徳一菩薩」と称されたという。現在、慧日寺跡(福島県耶麻郡磐梯町)には徳一の墓と伝えられる五輪塔が残されている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

真言宗は密教ですので、釈尊の教えではないですね。



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from: 沙羅さん

2011年10月24日 19時25分10秒

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「Re:『真言宗未決文』を読む」
今回は、友人智チャンと日本半分旅行した。
まず京都、、

彼女は、三十三間堂に行った事がないという。
2年前、亡くなられたお母様と結婚された智チャンのご主人との最後の旅行は、京都だった。三十三間堂は、冬の閉館時間は早い。2009年に京都を訪ねた時、三十三間堂は訪ねられなかった。それで、今回言ってみたいと言う。
わたしが2005年。めるろ〜さんと大騒ぎさんと、オフカイを初めて京都でした時、コミュメンバーで初めてたずねた場所が、三十三間堂だった。

その後、清水寺に向かった。

ところで、今回の旅は、なぜか?33という数字がついて回った、また6という数字も多かった。どのように多いのか?というと、たとえば、乗る電車が333号であるとか、宿泊した部屋が、6号室だったり、驚いたのは、戸隠でお札と朱印をお願いしたら、整理番号札をもらった。人数が多くて。書くのに時間がいるので待たされる朱印帳が間違うといけないので、数字がついたお札を渡された。33番だった。

そんな訳で、、今回、神話道筋通り。旅行をしてみたかったのだ。

主人と初めて会った 長野の戸隠中社、なぜ?私たちが会わされるのか?
という理由を知りたかった。

戸隠の名前の由来は、高千穂にある。あのアマテラスオオミカミが、閉じこもっていた、天の岩戸の洞窟。アマテラスオオミカミが、スサノオの乱行に、傷つき、天の岩戸にお隠れになり。世界が真っ暗闇になってしまった。
その引きこもりになった、アマテラスオオミカミを、 天の岩戸から 引き出す作戦を八方神と練ったのが、八意思兼の命の神様です。
この神様は心理学の神様で、人の心を見抜き 心の神様なんでしょうね。

ですから、佐藤愛子の わたしの遺言 という本にも書かれている、

心霊科学界で 交霊降ろしを媒体となる人に降ろし、その人の口から話させる事により、霊界の霊や自然霊と交流する、、、といった時話が書かれている。 戸隠神社に、お札を頂きに佐藤愛子は向かう。なんでも、心霊科学の人達の 信用される神様が祭られているらしい。この心霊科学の人達の信用される神様が、八意思兼命なのですね・

今、戸隠はパワースポット、賑わいを見せる。
そういう事を、フランスで、戸隠に住む D君から聞いていたので、高千穂から長野へ、神話の通り旅してみたかった。

JRの広告には、吉永小百合が、戸隠の杉並木を歩く姿が頻繁に流れ、テレビや何処の駅にも 戸隠のポスターが貼られていた。

スピリチュエル世界でテレビが江原浩之が、戸隠のパワーを話した事もあるだろうけど、心に病いを持つ人達が多い今世の人達が、アマテラスオオミ神を、外に出す事に成功した、八意思兼命を祭る神社に足を運ぶ普遍性の流れになっている、、、
このような偶然の流れも、 偶然ではなく、日本の神々はやはり日本人達の 問題が生じた時あらゆる時にお助けになられるのではないか?そして、そのような不思議な繋がりを 開示してくれるのは、やはりそのような 霊界にコミュニケートをとれる人達の活躍はやはり見逃せない。

非科学的な事を信じるとか信じないといった視点で 呼応するのではなく、なぜ?
そのような動向をみせるのか?
といった、原因を探す方がよほど、理性的に思えるのですが、どうでしょうか?


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from: 沙羅さん

2011年10月11日 07時51分50秒

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「Re:Re:Re:『真言宗未決文』を読む」
> >沙羅ちゃん > > 空海は徳一菩薩と呼び、徳一菩薩の才能を褒め称えています。 > > 「十一疑は書簡で交わされたと思われる。」と > 高橋富雄教授は言っておられます。 > > それ以前の十の疑に関しては、空海は知らなかったのではないかと。 > > 歴史家であられる高橋教授の検証は大変興味あります。 > > 十疑に関しては、東寺の管長であられた杲宝師が > 答えられておられるようです。 > その書を探さないといけません。 > http://www.toji.or.jp/kanchiin.shtml


京都に居ます。
あまりにも突然な死を迎えられてしまっためるろ〜さん。、、
上記の書き込みは この世には、いらっしゃらないめるろ〜さんの最後の書き込みです。ちょうど、ご命日の3日前にあたる。

何故に?

観智院を お貼りになられたのか?

わたしが、数年前から徳一菩薩と空海さんとの心情関係をもっと体感できないと、十疑あるいは、十一疑といった、、言葉に含まれる意味を、自分の体感として納得出来る事は出来ないのではないか?

いつまでも、自分自身の体感や体験に還元することが出来ず、いつまでも知識のみ、、という上辺の言葉だけで、他者と交わる事は不可能でしょう?
人々は、ますます心に何も感じる事無く、遠ざかる。

馬の耳に 念仏みたいな 言葉や知識の羅列を繰り返すだけでは、ますます仏教離れに拍車をかけるに違いないでしょう?

人の心と接する、、、という次元に降りて もう一度 人間の心、人間の魂とは、、

まっすぐ 人の心を感じ取る事の出来る人

まっすぐ 人の心と 四つに組める関係を築ける人

そのような 心に対して まっすぐ 視線を投げかける事の出来る うそ、偽りのない 心を持つ人達が 応対してくる時代になるでしょう?

そのような、人と人、心と心の模様を感じる事、伝わる事が出来る関係、、正直で誠実な関係を築ける人達、

どの宗教だとか、何々派の信仰だとか、、
そのような条件や理由で、先入観やレッテル張りをする以前の段階です。

人間の心を感じ取る事の出来る人達が、どんどん生まれるでしょう?

話が反れましたけど、書き物の意味が理解できる、書いてある事が納得できる、そして自分自身で納得できた事は、体験としてこなしていくには、今度は、他者との交わりやコミュニケートが必要不可欠だと思うのですね。
結局、他者を介さないと、自分自身の姿も見えないですし、自分の一人よがりの解釈だけに、いつまでも留まってしまう。
つまり普遍性をもたない 現れ方をしているのだと思うのです。

去年の10月10日は、高知住まいのさくらさんと、空海の室戸岬を訪ねた。

その2週間後に、めるろ〜さんに 「大覚寺での写経を一緒にしませんか?」とお誘い頂き、大覚寺の写経の体験が、めるろ〜さんとの最後の出会いなった。

写経が最後になるなんて・・・・
と思わされる・・・・

今年、初めて観智院に行ってきました。
そしたら、I さんは、メイルで、どんな処か?ネットで調べたらしく、智ちゃんこそ、観智院に行くべきではないか?と折り返し携帯に送ってきた。

何故か?

フランスに住んでいるはずの智ちゃんも訳があり、日本に居る。昨日京都に合流する為に、新幹線で京都に来たので、二人で、三十三間堂を訪ねてみた。

三十三間堂は、2005年の一番最初の哲学コミュのオフカイで3人で集まり訪ねた場所だった。

京都駅に戻り、そういえば、駅のポルタを歩いていて「そうそう、ここでめるろ〜さんとおいしい冷麺を食べたっけ!」、、、という記憶が思い出され、お腹も空いたので入って入って食べてみた。

今、このブログの6月下旬、7月上旬、亡くなられる前の書き込みを追って観たら、めるろ〜さんの最後の張られた写真が、冷えた麺類だったのは、こういう事になる意味だったに違いない。

時間と空間の存在のからくりだ、

神様とのナゾナゾみたい。

写真は大覚寺です。

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from: 沙羅さん

2011年08月27日 08時26分27秒

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「Re:Re:Re:『真言宗未決文』を読む」
>  この写真の空海像が上野の空海展入り口すぐに展示れています。 > >  実物を見るのはやはりすごいものがあると感じます。 > >  いま、日経



60歳であった、恵果阿闍梨と お別れの言葉

「この世にこれ以上長く生きることは出来ない

あなたはこの両部の大曼荼羅百部越える金剛の ごとく堅固な密教の教え密教の祖師がたが順に 伝へてきた品々ならびに供養の道具など 本国へ持ち帰って、国中に 流行らせなさい。

わたしはそなたが、長安に来たのに、寿命が 間に合わないことを、心配していたが、今やっと 伝授を済ませ 仏像や経典をととのえることも 終へた。

この上は日本へ 帰って 国家に 密教のことを泰上し 国中に
流行らせ 人々に 幸福を増すようにしなさい。

そうすればまさしく 国中が 平和であらゆる人々が楽しむことが出来よう。
これこそ 仏の 恩にむくいることになるのである。そして国家として中心となり家庭において考にあたるのである、

もうひとり両部受法の弟子である 供奉僧の義明は中国で 密教の 教へを伝えなさい。

そなたは帰って 東国日本に伝えなさい。どうか一生懸命につとめなさい。」


 とこれは、30年前に、友人の I さんのご親戚の方が書かれた、地元
 
 霊場でもある、奥能登の地に伝わる 伝説の中の、

 恵果阿闍梨と 空海の会話です。

 密教が日本に伝わった理由は、、、

 国中の人が 幸福を増すように、、、平和が続き、人々が楽しむこと、、、

 とにかく、「国民が、幸せをつかむ、、」

宗教が普遍化する、一番の理由は、

 「人々が 幸福になる」

 ただその願いでしかないと思うのです。

 究極の願い 人間が幸せになる

 その為に、密教は 日本に 空海によって 伝えられた。

昔、「宗教は、大衆のための 阿片 である」と アイロニーを言ったのはだれだっかしら?

しかし、 宗教は習慣性をもつような、阿片ではないし

また、大衆に限られたものではないでしょう。また、超越的なものへの 希求を、支配に役立てたり、、、

 霊感があるからといって、人々を支配下においたり、無意識分野をコントロールし、教育者や 賢者側の 都合のよいように 大衆の人達と接したり、、、

それは、恥ずかしい行為ですよね。 

 宗教や信仰を持つのは、結局 自分が幸せをつかむ事

 宗教が 伝えられ、伝えられ、生死を超え、死の直前に、正当覚者に、ある日、突然遇わされた、、、

 恵果阿闍梨も、空海に会った時本当に驚いたでしょうね、

 空海さんを一目みて、身体から 輝くような オーラは 人一倍強い波動などが、他の^600名以上いる、修行僧の中で、郡をひいていたんでしょう、、、

空海さんの絵は色々観るのですが、 この絵の 空海さんの、目

本当に、幸せそうなので、気に入っている 空海さんの絵です。

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from: yeshangさん

2011年08月26日 19時07分17秒

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「Re:Re:『真言宗未決文』を読む」
 この写真の空海像が上野の空海展入り口すぐに展示れています。

 実物を見るのはやはりすごいものがあると感じます。

 いま、日経新聞朝刊に安部龍太郎氏の小説「等伯」が連載されています。
 等伯も人物像、特に宗派の祖師となるような像を描いていますが、そこでの工夫・苦労・苦悩、そして出来上がりに対する自己の評価が書かれています。
 写真と違う絵画に込められた思いと言うか、写真では表せられない内面の表現と言うか、思想・気力・体力、渾身の力を出し切って書いている様から思っても、同様にこの空海像も素晴らしいものだと感じました。歴史をもった国宝として素晴らしいものです。

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from: 沙羅さん

2011年08月26日 19時06分45秒

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「Re:Re:『真言宗未決文』を読む」
MSG 645
の訂正です

 めるろ〜さん
 は、京都の 神護寺を尋ねた回数、いくらなんで、、33回は多過ぎます・

 3回の間違いです・

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from: 沙羅さん

2011年08月26日 18時16分06秒

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「Re:『真言宗未決文』を読む」
再度、あげてみます。

 めるろ〜さんは、6月22日に初めて、この真言宗未決文のタイトルをあげている。

 しかし、わたしが この題目を読み、理解するところは、徳一菩薩の存在
です。

 亡くなられる2週間前の書き込みなのですが、、、
 正直、、、

 この題目をあげられたのを読んだ 時期 に

 「アレ?  何故?  今、真言宗未決文 なの?」

 という 感じがしないでもなかった。

 ただ、徳一菩薩が空海さんに向けて 即身成仏への異議をとなえた、、という記憶はあったので、、、

 福島の事を 思わない日はない、わたしの心情にあって

 会津藩 出身の 徳一菩薩が、

 何故?

 会津という地域に、生まれたか?

 という歴史上人物の意味を考える、、、、

 そして、会津の土地、自分の土地を愛したであろう、、歴史上、出現した聖者達の心や魂が 存在しているであろう、、、

  宇宙の存在が今でも存在しているであろう、、、空を仰ぎ、、福島や仙台の災害の 意味が、後世代の記憶に 刻むであろう、、影響など、、、、色々考えていた時だったのだ。

 だから、 6月22日のめるろ〜さんへの返答に
「アレ?

 奇遇ですね、?」、
 という 反応の書き込みしている自分がいる。

しかし、この 観方は、めるろ〜さんの考えている指針とはズレている。

わかっては、いたけど、それしか、想像できなかった。

何故?

この時期 に 、真言宗未決文  なのか?

 という理由が 見えない。

 この時期という 時 に生じる 理由が 観えなかった。

 つまり、亡くなられる 2週間前と、
 3日前に、又同じ 真言宗未決文

 そして、 東寺 の リンクをされている。

 しかも、最後のめるろ〜さんの 言葉は、亡くなられる 3日前の

 「その書を 探さないとなりません」という書き方で終わっている。

 東寺のリンクといっても、、ページ指定のリンクされて
 観智院に限られている。

 わたしが受信した、最後のメイルの日付は、4月17日で、
 内容は、食事も満足に出来ないほどの、忙しさだという内容と、最後に
 わたしと尋ねた、2009年6月21日神護寺の多宝塔で、見れなかった
 5大虚空像菩薩の 公開日を コピーされている。

 MSNコミュが存在していた2008年か? めるろ〜さんの書き込み

 に 神護寺の 入り口の門の写真を貼られていた記憶はハッキリありますから、もし、わたしの帰国時に、多宝塔の 5大虚空像菩薩の公開に又神護寺を尋ねたい、、という希望があるとすると、わたしが知るだけで33回目になる。
かなり頻繁に、東寺と神護寺を訪ねる、、、という行為に至っている。

しかも、2009年6月21日に東寺を尋ね、午後、
神護寺を尋ねる
という、かなりの強行スケジュールだった。

この時に、わたしが、朱印帳を持って頂いた朱印をめるろ〜さんに
見せていますから、、

数ヵ月後、このコミュで、「僕も、朱印帳 もとうかなあぁ?」と書かれていたのが、なんとなく 今となっては、もの悲しい。

何故なら、去年、、大覚寺を尋ねた時、

わたしは、今まで通り自分の朱印帳を持っていたので、「あ!朱印は何処でお願いすればいいのかしら?」と 言うと

「あ、僕も 持って来ているのです」と 紺色の朱印帳を、出されたのでした。

朱印帳を持ち、神社やお寺を 回る、、、というのは、それだけでも、ある意味やメタファーを現す。

それは、信仰を持つ、、というメタファーという個人に帰属してしまう
 断定的な意味ではなく、その行為が途上にある、、、という意味だと思う。

 翌日6月22日、わたしは、奈良の法隆寺と薬師寺を一人で訪ねている。
 一人で尋ねているのに、法隆寺から薬師寺に行く、バスの小さな待合室に 一人で待っていた、<一時間に一本しかでない>

 法隆寺から歩いて15分くらいの処に、5,6人座れば 一杯になるような、小さなバス停の出発センターがあり、薬師寺行きのバスが出ているのです。

 6月で、朝は小雨が降っていたのに、午後から暑くなり、その小さなクーラーはない、待合場所に一人で座って待っていると、

突然、フランス語会話が聞こえてくる。

なんと、そのバスセンター待合場所には、フランス人夫婦が、来られ、わたしの真横に座って、ペチャクチャ喋っている。

 これには、驚いた。
 悪いけど、、話されている会話は、分かりすぎるくらい分かる、、

 3人で、狭い部屋に居て、フランス人夫婦からすれば、わたしは、どう見ても日本人だから、他者と思っているから、 声はかけない。

フランスという国に居ると例えば

、歯医者の待合室に入る時でも、必ず皆に「BONJOUR MADAME ET MONSIEUR}ボンジュール マダム、ムッシュー、と知らない人同士、声を 掛け合う 民族なのを私は、知っている。

つまり、場所<空間>が変わると、人間は、 回りに居る人によって、行動が、そのツド、そのツド違うのでしょう。

どのように、心や魂と接するか?どのような接し方を、しようとしているか?

構造<風習>の違いによって、回りの環境により、人間は、影響されやすいし、無意識に 立ち回りを変えている。

他者と自分の 認識の仕方も、住む場所、回りにる人達の習慣や、話す言語により、どのように、振舞うか?どのように 他者と関係を築こうとするか?

微妙に 私達は、民族の違いを 感じとっている。

ところが、密室に居て、あまり 黙ってて、彼らの私的<フランス語の会話が全部分かってしまうという 立場に立たされるわたしは、かなり居心地が悪い。

狭いのに、彼らの会話が分かってしまうという、居心地の悪さを、彼らに分かって欲しいと思い、仕方なく、フランス語で、彼らに「フランスからいらしたのですか?」と話さないとならなくなる。

狭い場所で、分かり過ぎる関係を、話されるというのは、わたしの魂は、居心地が悪い、、、

何故なら、人間の魂は、何か 共通点があるとすると、近づきたい 希求運動を もたされている。

つまり、全く、知らない他者でいる事が出来なくなるのであろうと思う。

この魂の運動は、説明がつかない、どうしようもない心の運動だと思うのです。

それはわたしが、日本人であろうが、外国人であろうが、関係のない事なのでしょう。

人間は、何か共通点があると、自分と仲間と認識したがるのでしょう。

よく、外国にいると、同じ民族同士、接近し、行動を共にするというのも、あまり未来性は見えない行動に思えますが、同じ魂や心の 呼応運動かも知れません。

話は逸れましたが、、、

この時の様子は今でも思い出す。

彼らが待合室に入りぺチャクチャ、喋り、わたしは、数分黙っていた。

何処かの地元の日本人と思っていたのでしょう。

、突然 私の放つ、仏語会話は、一瞬、驚きで、時が 止まるのだ!

だから、嫌なのだ、、、

この停止した時、、この沈黙は、どういう意味があるのかな?

普通、見知らぬ他者が回りにいると、会話の内容は違うと思うのです。

自分の家に居る時と、外にいる時の話の内容は、同じ人を相手にしても違うでしょう。

ところが、人間は 無意識に 言葉が分かる他者の中で 暮らすのと、 言葉が分からない他者の中で暮らすのとでは、 微妙に違う存在の仕方をするらしい。

知らない他者を無意識に視野にいれているのかも知れない。

この知らない他者の存在を、忘れないで、 目の前の人と話すという行為と、

知らない他者の存在を、全く感じる事が出来ず、目の前の人の話に夢中になったり、過剰に自己投影してしまう、、という人が、最近特に多い感じがする。


 それで、もとい、、

 法隆寺から徒歩15分、人っ子一人いない、バスセンターで、
一時間一本しかない、バスを 一人で待っていた。

 このバスセンターで はちあわせになった、フランス人は、
 びっくりする事に、朱印帳を持たれているのですよねぇぇ、、、

ですから、わたしは 最初から朱印帳は持っているのですが、その時、薬師寺で、フランス人同行者と一緒に朱印をお願いして、3人で、薬師寺の中を訪問するという存在の仕方になっている。

薬師寺と言えば、玄奘三蔵の、ご遺灰が、祀られていますから、、
===============================

薬師寺 玄奘三蔵院
ここ奈良の薬師寺境内の北方にある玄奘三蔵院には、岩槻の慈恩寺から玄奘三蔵の分骨をしてお祀りしてある。 薬師寺は玄奘三蔵を始祖とする法相宗の寺で、遺徳を顕彰するために岩槻の慈恩寺から玄奘三蔵の分骨された。その後、1991年に境内北側に玄奘三蔵院を建立され、平山郁夫画伯により、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」が大唐西域壁画殿にお祀りしてある。
奈良遷都1300年に当たる今年は、「大唐西域壁画」が一般公開されるため、筆者は2010年1月11日に参拝した。その前月に平山郁夫画伯が急逝されたため玄奘三蔵院には遺影が祀られていた。

===============================

この朱印帳を持ってお寺や神社を回ると、その行為の途上、時間軸上に、不思議な事が 生じるようです。

この日の夜は、智ちゃんの後にフランスにいらした、京都にお住みの弓恵さんというお名前の方とお食事を京都でとる、、という人生の展開になっているのですが、

めるろ〜さんと弓恵さんとわたしと3人で京都で、お食事をしたのは、その2年前だった。

話は違うのですが、
6月21日、神護寺を訪ねた時の事だった。

喉が渇き、自販機は何処もない、仕方なく、出口に向かい、お土産屋を覗き、自販機を探した。

5,6件お土産屋が並んでいて、そのうちの一件には、ガラス張りのケースの中に飲み物があるお店が、あった。

人の気配はなく、お客さんも店員さんも誰も居ない。



誰も居ないので、「店員さんを呼んでくる」とめるろ〜さんは、奥の家に入られて、しばらくすると、ぺちゃくちゃと、女性の店員さんと出てくる。話を聞いていると、知っている人らしい。

「こんな処で、遇うなんて、、、」と話されているから、

京都にお住まいのめるろ〜さん自身が驚かれているから、
やはり神護寺と、そのお知り合いの方との出会われる場所はかなりの距離なのでしょう、、、と、話される内容から推測し、聞いていた。

飲み物を飲んで、その後、めるろ〜さんは、その知り合いの女性が、近所に住む女性で、その時の話の内容は、何方かの 知り合いのお葬式があったばかりで、その女性はお葬式に出た時の様子を、めるろ〜さんに話されていた。めるろ〜さんは お仕事の都合で、参列出来なかったらしいのです。この時の、めるろ〜さんの説明は、

「知り合いで、能登出身で食事処をしている人が居て、この前急に他界してしまったのですよ。」という説明されていた。

2006年は、たしか、清水寺を尋ね、この時に嵐山のほとりを歩いた記憶がある。その夜に、めるろ〜さんとは、何処かのお食事処でお食事を頂いた事があるのです。

大阪で 三木さんと3人でお好み焼きを食べたのはいつだったかしら?
最初哲学ばかり話していたけど、、いつの間にか、だんだん、真言密教の話題が多くなってきた。

2006年のお食事処で、ビールのおつまみに出された、枝豆の 湯でかげんを、いきなり、何処からか?

「枝豆のゆで加減はどうか?」と声がかかってくる・

 この声がいったい何処から来るのか?さがすと、どうも、厨房が後ろにあるらしく、

 厨房の人は、出てこられてないのに、めるろ〜さんが、そこに座っているのを、まるで、知っているみたいな、会話を放ってきた。

めるろ〜さんは、わたしがキョトンとしているのを察し
「料理人は、能登の人で、枝豆も、能登出産らしいんだ』と話されていて、、それで、なんとなく めるろ〜さんが住まわれているこの京都での、人間関係がほのかに伝わってきた。 
帰り際、何故か、厨房から、わざわざご夫婦が、出てこられ、のれん口まで、出てこられたので、わたしはこの枝豆を湯でてらしたご主人にお会いして2,3事言葉を交わしたのだ。


この記憶があるので、2009年、、つまり3年後になるのですが、
神護寺でばったり会われた知り合いの店員さんの話を目の前でされているので、「お店の名前は忘れましたけど、枝豆を茹でてたお店のご主人の事ですか?」と聞いたら、その能登の方のお葬式での事をお話をされていたのだ。

めるろ〜さん自身、わたしが知っている人と思ってなくて話されていたという事は、2006年にわたしと、食事した場所はお忘れだったのでしょう。聞くと、ご主人が他界されたあと、お店は人手にわたったそうなので、めるろ〜さん自身が、出入りされなくなったのでしょう。

つまり、色々記憶を蘇し、書いていますけど、述べたい意味は、亡くなられたとショッキングな事を再度書き込みしたいのではなく、

奥能登という場所が、I さんの存在や、大覚寺や、東寺や、、全ての事、、、根底に流れようとする 方向をなすエレメントの一つに過ぎないでしょう?と感じられるのですよね。

智ちゃんも、MSNの哲学コミュに私が書き込みしだした頃、わたしのパソコンの画面を追って読んだ記憶があると述べてきたので、
全ての人達に因果関係があり、そのように 各人、各人 生かされてその各人になされた 役割をなさっているのでしょう。

鍵は、5大虚空像菩薩なのかしら?



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
 
[429] 『真言宗未決文』を読む
From: めるろ〜001
徳一菩薩が空海に投げかけた真言宗に関する疑問や疑惑などの
未決を示したものです。

徳一菩薩は、密教的なものを認めず、
すべて論理実証的に捉える視点で、鋭く突いています。

空海はすぐには答えず、黙した曰くつきの未決文です。

まだ、空海や真言宗側の反論を読んでいないのですが、
真言宗側の言いたいことを察知しております。

しかし、先達の言葉より先に何かを発言するのは
さし控えて、現状報告に致します。


• 2011.06.22 14:57:52

[468] Re:Re:『真言宗未決文』を読む
From: めるろ〜001
>沙羅ちゃん

空海は徳一菩薩と呼び、徳一菩薩の才能を褒め称えています。

「十一疑は書簡で交わされたと思われる。」と
高橋富雄教授は言っておられます。

それ以前の十の疑に関しては、空海は知らなかったのではないかと。

歴史家であられる高橋教授の検証は大変興味あります。

十疑に関しては、東寺の管長であられた杲宝師が
答えられておられるようです。
その書を探さないといけません。
http://www.toji.or.jp/kanchiin.shtml


• 2011.07.05 12:22:


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from: 沙羅さん

2011年08月14日 05時32分11秒

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「『真言宗未決文』を読む」
ううう〜ん

真言宗未決文のタイトルをめるろ〜さんが

あげたのは、お亡くなりになる、2週間ほど前の事で、、

この頃から、

未決文の存在が、意識の表象に浮上しだした。

、、、、空海?何故?

徳一菩薩に対し、沈黙したのか?、、という理由、、何を考え、何を思い、何を懸念し、何を、もって、、沈黙しようという行為に至ったのか?

 どうして、突然、3,4年前の話題をしだしたのかしら?

 ただ、徳一菩薩の存在は、潜在意識にいつも存在してあった、、

 何故?

 会津出身なのか?

 地震の後、気になりだした存在だった。

 何をしなければ、、ならないのかな?

 あさっては、、8月15日、聖母マリア被昇天の日、、

 日本は 終戦記念日だ。

  
[429] 『真言宗未決文』を読む

From: めるろ〜001
徳一菩薩が空海に投げかけた真言宗に関する疑問や疑惑などの
未決を示したものです。

徳一菩薩は、密教的なものを認めず、
すべて論理実証的に捉える視点で、鋭く突いています。

空海はすぐには答えず、黙した曰くつきの未決文です。

まだ、空海や真言宗側の反論を読んでいないのですが、
真言宗側の言いたいことを察知しております。

しかし、先達の言葉より先に何かを発言するのは
さし控えて、現状報告に致します。


From: 沙羅
めるろ〜さん

 奇遇ですね?、、丁度わたしも、ここ数日、 徳一菩薩の事が気になってて、書こうかな?、、と思っていて、、


 福島の原発場所と、茨城あたりまで場所の上空からの地図を眺めていたんですよね。

 なんとか、徳一菩薩に力をかしていただきたい?

 空海さんとの関係が 微妙だなあぁぁ、、と数年前からずーと 思っていたのも、やはり その 未決分の結果が、数年気になってました。

 何処かに 未決文の事書いてあると思うけど、、

 会津に徳一菩薩が現れるのも、そのように出現するような流れになっているようにみえますから、会津の土地が引寄せるのだと思うのです。

 

•空海さん?

 10月10日 2010年

 室戸岬に沈む 夕日です。


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from: 沙羅さん

2011年08月14日 01時18分40秒

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「Re:Re:Re:『真言宗未決文』を読む」
> >沙羅ちゃん > > 空海は徳一菩薩と呼び、徳一菩薩の才能を褒め称えています。 > > 「十一疑は書簡で交わされたと思われる。」と > 高橋富雄教授は言っておられます。 > > それ以前の十の疑に関しては、空海は知らなかったのではないかと。 > > 歴史家であられる高橋教授の検証は大変興味あります。 > > 十疑に関しては、東寺の管長であられた杲宝師が > 答えられておられるようです。 > その書を探さないといけません。 > http://www.toji.or.jp/kanchiin.shtml


めるろ〜さん の 最後の書き込み

いったい、この文章を、書く事によって、なにを 私に意味を伝えたいのかしら。。。。

お亡くなりになる、数日前ですが、、


しかし、当時、、、この書き込み読んだとき、、、

いきなり、、いつの間に、

真言宗末決文 に、戻っていたのか
アレ?
と、思った、

徳一簿菩薩と空海の この最後の未決文は、空海の即身成仏の考えに、意義を申し立てた、徳一菩薩ですが、。。。

確か?

空海が返事をしなかった、、という行為に、空海の即身成仏にたいしての、迷い、を感じる、、というような事、3,4年前に書いたのでは、なかったのかしら?

でも、、、何故?

この最後の、書き込みで、観知院のサイトを、張るのかしら?

本尊は、やはり、 5大虚空像菩薩なのですね。

わたし宛て着信された 4月末ですが、
最後の個人メイルの内容も

 神護寺 の 5大虚空像菩薩の、公開日を、わざわざ述べてくる。という現れになってる。

そんなに、虚空像菩薩にここ二年ほど ひかれていたのかしら?

私達が、神護寺を尋ねたのは、

あぁぁ、、もしかしたら、2009年の夏至の日だったのかな?

ちょっと、移動中なので、確かめられないけど、、、、

だからだったのかしら?

あんなに人が誰も見アタラない、辺鄙な場所といっては怒られますが、不思議な事が起きたのですよね。

喉かわいて、飲み物自販機さがしたんですが、ないのですよね。
お土産屋を見つけ、入ったのに、だれも居ない、、、
仕方なく、めるろ〜さんは 奥の家に人を呼びに行った。そしたら、、、

 「こんな処で遇うなんて、、」と、めるろ〜さんとその女性親しげに話ししながら戻って来た。

 
以下は、2009年の6月の書き込み

めるろ〜001
沙羅ちゃん

> > 僕は<虚空蔵>の意味の方が興味あります。
> >
数学でいうと、
無規定の円の中に、沢山の図形があるのを想像していただくと
いいと思います。
三角や星型、台形や扇型、円の中には色んな形が入りますね。
しかし、円は無規定なので、どんどん大きな円になります。
その時の<無規定の円>がどんなものでも含まれてしまうという
「蔵」を持つ。虚空の蔵を持つのですね。
「蔵」というぐらいですから、実際ではなく法を解説したものである。
それが虚空蔵という意味です。
そこに含まれる「持明」は壮大であるといわねばならないでしょうね。2009 ;6 ;17





山林に修行する 
  
虚空蔵求聞持法とは 
 
 
 弘法大師は大学を中途退学し、最高の覚りを求め仏道修行をはじめました。
 『三教指帰』には、吉野金峯山や四国の石鎚山にのぼって苦行したことを述べています。
  「或るときは金巌(金峯山つまり吉野の修験道の山々)に登って雪 に遇うて困窮した。或るときは石峯(石鎚山)に跨つて糧を断つて轗軻(死ぬ程の苦の目に合うた。・・・霜を払つて蔬を食ふ、遥かに子思の行に同じ。雪を掃うて肱を枕とす。還つて孔(孔子)の誡に等し。青空は天に張つて房屋を労せず。白雲は、嶽に懸つて幃帳を営まず。・・・」
  弘法大師は大学を中途退学し、大自然の懐で修行をはじめました。そのきっかけは、一人の沙門から虚空蔵聞持法を伝授されたことでした。
 「時に一沙門有り。虚空蔵求聞持法を呈示す。其の経に説く。若し人法に依りて此真言一百萬遍を読めば、即ち一切経法の文義の暗記を得ん。是に於て大聖の誠言を信じ、飛焔を鑽燧に望み、阿波國大瀧之獄にはんせいし、土佐國室戸之崎に勤念す。幽谷は聲に応じ、明星は影を来す。」   

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from: めるろ〜001さん

2011年07月05日 12時22分53秒

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「Re:Re:『真言宗未決文』を読む」
>沙羅ちゃん

空海は徳一菩薩と呼び、徳一菩薩の才能を褒め称えています。

「十一疑は書簡で交わされたと思われる。」と
高橋富雄教授は言っておられます。

それ以前の十の疑に関しては、空海は知らなかったのではないかと。

歴史家であられる高橋教授の検証は大変興味あります。

十疑に関しては、東寺の管長であられた杲宝師が
答えられておられるようです。
その書を探さないといけません。
http://www.toji.or.jp/kanchiin.shtml

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from: 沙羅さん

2011年06月22日 14時57分52秒

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「Re:『真言宗未決文』を読む」
めるろ〜さん

 奇遇ですね?、、丁度わたしも、ここ数日、 徳一菩薩の事が気になってて、書こうかな?、、と思っていて、、


 福島の原発場所と、茨城あたりまで場所の上空からの地図を眺めていたんですよね。

 なんとか、徳一菩薩に力をかしていただきたい?

 空海さんとの関係が 微妙だなあぁぁ、、と数年前からずーと 思っていたのも、やはり その 未決分の結果が、数年気になってました。

 何処かに 未決文の事書いてあると思うけど、、

 会津に徳一菩薩が現れるのも、そのように出現するような流れになっているようにみえますから、会津の土地が引寄せるのだと思うのです。

 

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