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「哲学〜真理〜探求について」

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  • from: yeshangさん

    2011年07月28日 14時51分59秒

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    本物と偽物(雑談)

     中国では本物の骨とう品やオリジナルよりも偽物・複製品の方がよくできている場合、偽物・複製品が本物に取って代わる、価値が高いと聞いたことがあります。

     非常に合理的な考えで感心した次第です。いくら本物と言ってもそれ以上に良いものがあれば値打はそれ以下になるというわけです。

     しかし、本当にそういえるのか? 属人的なものの価値(空海や勝海舟の書など)、歴史的価値(縄文土器、鎌倉時代の名刀など)、機械では作れない何か魂の感じられるもの(民芸品や手造りの品など)など。

     北京五輪の花火の放映で、その美しさに驚きましたが、後であの放送の花火はアニメでしたと言われて、唖然としました。中国側の言い分はアニメだがきれいに映っていたからそれでいいのだとのこと。

     この伝でいくと、ホンダのバイクもソニーのゲーム機もそれ以上の性能、機能を持つの偽物は、本物以上に価値があって本物は偽物以下の取扱いになります。しかも安いとくれば。

     国民性とは面白いものです。

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コメント: 全1件

from: 沙羅さん

2011年07月28日 17時09分51秒

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「Re:本物と偽物(雑談)」
北京五輪の花火の放映で、その美しさに驚きましたが、後であの放送の花火はアニメでしたと言われて、唖然としました。中国側の言い分はアニメだがきれいに映っていたからそれでいいのだとのこと。 > >  

こんにちは、

今上記の書き込み読んで、

 アラ? わたしが 何処かで見た、北京五輪の花火の画像、、、

 あれは、アニメだったのかしらん?


 と思って読みました。

 たしかに〜、

 アニメだった、、、という事を知らされると、
 一種の 失望感が、漂うのはどうしてなんでしょう?と思います、

「なぁぁんだ〜、、人工的な映像だったのかぁぁ、、というがっくり感でしょうか?」

 でも又、中には、反対に、
 アニメでここまで、出来るのか?と驚きや再度の感動を得る人もいるのではないか?と思いますが、、

しかし想うのですけど、、

 万が一、
 その花火画像が、流れる前に、

 「これから、流す映像は、アニメですから、心して見て下さい」(笑)

 という、風な注意をひく 何らかの情報が、事前に流れた場合と、

 同じ 感動を 呼び起こすのでしょうか?

 と思います。

つまり、ホントの花火だと思って見るであろう、、、という用意された感動を 計算する???

心<魂>の接し方、というのはこの次元に他者達と関係を築くのではないか?

つまり、分からなければ、何を放っても、何を言っても、何を放映しても いい、、という事にならないのが、心や魂の世界なんだと思います。


ややっこしい説明ですが、

 結局、 人口のアニメだったという、真の情報は、
ホントの花火だと思って見ていた人達へ、、

放送された時間の後に

放たれる、、という事の意味は、

 情報を放つ作り手側に、
 受信側の意識をMANIPLATION <操作、扱う、マインドコントロール、支配等>する、、、であろう、予測や推測がたっているのだと思うのですね・

まぁぁ、あんまり分析する視点に立ち、物事見ている事はないのですけど、、

 心理学、精神分析は、結局 時間や空間の存在の世界に生かされる、人間の心情分析みたいに思えます。

 そして、、嫌疑心を強めなくても、

 今の人間が、生かされている世界というのは、
 ますます 人々は 夢がかった、
 現実離れしたものに、願いや希望を託さないといられない状態、なのではないか?と思います、

 実態世界が、唯物論の方向に重心を傾けると、ますます 心的作用は、重心を採ろうとしますから、
 形而上世界へ心が向かいやすくなるのだと思うのですね。

現実の世界に身を置くだけでは、心が癒されないのでしょう、、と思います。

 昨今の多数の新興宗教や、セクトの存在もそうですし、昔からある信仰や宗教の路線でさえも、本来在るべき姿勢をなくし、人々から煙たがられる存在化しながら、必死に存在しようとしなければならない、、、という状況を生むのでしょう、、、、、、、と思ったりします。
 
 美しいものが、真実であって欲しいと思いたい心<願い、想い>
 人間が生かされる、、理由は、あんがい単純な理由かもしれません。

 唯物論者とカンタンに表現すると、まるで何も信じてない、信仰心はないと 理解されるかもしれないのですが、むしろ 唯物論、物質至上主義といった 人達の心や魂こそが、そのような現実にはありえない 美しいモノを、求めている、手中したい、、という欲望が大変強いのであろうと思います。ですから、科学的な手段を介し、まるで3次元の世界にいながら、あの世の世界の光景を想像出来たり、高度な光の映像化を可能にするのだと想うのです。

むしろ、欠乏感による執着心と言っては何ですが、
人間を理解する、、という総体的にこの世界を見ると、
何とも、、唸るしかないみたいな状態ですよね。


何が、良いか、 何が 悪いか、、

このような 個人的な判断は、どの位置に立つか?

どの次元に立つか、

どの人に対して放つか、、

時間、空間、、そして、対する心<魂>

放つ言説は当然違ってくると想われます。

歴史的価値 が どのような 人達の心の接し方、心模様、心の域によって、普遍化する事になるか、心如何によるものだと思えてなりません。







 

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