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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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from: めるろ〜001さん

2009年02月16日 12時21分44秒

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沙羅ちゃんとボティサットヴァ

沙羅ちゃんの専用コーナーを作っておかないとと思い、スレッドとして作製いたしました。ご自由にご投稿お願い致します。

沙羅ちゃんの専用コーナーを作っておかないと
と思い、スレッドとして作製いたしました。

ご自由にご投稿お願い致します。

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from: 沙羅さん

2011年08月29日 18時02分46秒

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「Re:沙羅ちゃんとボティサットヴァ」

 おはようございます。

 突然ですが、少し 密教 について書いてみますね。

 密教を調べると、三密 という言葉がよくでてきます。

 また、三密加持 という言葉もよくでてきますね。

  三密の実現に関わる概念
  を、「加持」 と 放たれていると思うのです。

  「身体」、「言語」、そして 「心」

  この3つの働きの場において、
  神変の状態を存在させる

 顕現している状態を、加持 という言葉で 現すのでしょう。

 秘密の密という記号がつく 密教 ですが、、

 現代人が感じる、秘密の捕らえ方ではなく、

 むしろ、不思議な事が、見えない状況を、不可思議、秘密

 と称しているのでしょうね。

 何故なら、
      如来の側からしてみれば、

   こんなに、ありありと顕れているにも関わらず、、、

  という気持ち<心>の状態なのでしょう。

 ところが、3次元の人達にとっては、何も感じない、何も観えない、、、、

 だから、如来も神も創造主もアラーもその他の宗教の語るところの神に値する存在も、いる訳がない、、、、

 何故なら、科学的に証明出来ないものは、 いる訳がない。

 信憑性のない、科学的でない、理性をともなわない、、

 このような事は、全て 価値を持たない。世間の人々を迷わす
 ただの、占い分野の範囲から出ない 戯言なのだ!

 と思ってしまう、、、いや、むしろ、思いたい。

 よって、万が一科学的には実証できない
 この世の現象は、その三次世界の決まり事にしか、価値をおけない、、、人達がつくる対峙世界での 応答は、
 いつも、決まり文句の一つ

 「貴方の言う事は、妄想に過ぎない でしょう」、

 で、片付けられると思ってしまうらしい。

 しかし、実際は、
 科学信望、、、そう思いたい、、、という自己保存の希求運動からくる言葉なんでしょうね。

 その科学への価値観を絶対と思い込みたい
 その意識がどうのこうの、、、という事を述べたいのではなく、


 そろそろ、アアいえば、こう言う こう言えば、ああ言う、状態で、

 ちっとも、世界は 日本は 変わらない、、

 この時間を後ろから追う事ばかりの感情吐露を 分かってくれる身近な人達だけに放つ、、、親密感を増したり、、
アイロニーに堕ちる事、大衆の共感を得ようとする事で、自己の存在の認識をする、、

 この世界から 抜けましょうよ、、

 美しいものに触れると、心が歓喜する、、という

 そのような、心の動きの繊細さは、まだ残っていますか?

 美 です。

 美に触れても、まったく、無感動な心を持ってしまっては、

 万が一、如来の働きが、顕現されているのに、何も感じない、、、、では、、、、、、、困ります、、

 密教の 密は、 秘密の 密という意味ではなく、

 不思議な事、、、
 「広大無辺に降り注ぐ甘露の法雨を持することの出来ないもの」にとって、その甘露の法は

 「秘密’不可思議」にすぎないのでありそれを受ける器に関わり無く如来の慈雨は降り注いでいる、、、

なんら 差別があるわけじゃない、、、、

 と、密教、自心の探求 生井智紹氏の本からの抜粋ですが、、、、

 、

 身体、、言語  そして、心、、です。


 認識や知識に頼る事無く、 心 の動き です。

 自分が、どの人と、どのような 心域で、 接しようと、呼応しようと

 しているか、自分の 心  というものを、探求 してみようではありません?


 そうすれば、大概の回りの 人達の 近づいてくる 

 あまり大した問題とも思われない、そのようなイザコザに 翻弄しなければならなくなる事もないと思うのです。

 思うのですが、

 日本にいれば、日本の歴史を造ってきたと思われる人達の思いや日本の神様の存在が、

 フランスに居れば、その土地のフランスの歴史を動かしてきた 天空のモノ達の 存在が手応えとして、感じるでしょうから、、、

 何処にいても同じに思えます。

 問題は、何か 自分の肉体が 帰属している何ものかの概念が、絶対正しい、、とか自分の信仰は、他宗教に比べ、優れていると、述べた地点で、

比べられないものを、比べているという品格の欠如でしょう?
人々は 人を判断する時、放たれた教説云々の判断はすぐ忘れるでしょう。

むしろ人そのものに、世界の目があるでしょ?

そのような、人々の無言の 心作用を 感じる、、というコミュニケートは これから先、特に、重要に思えます。

写真は、広島原爆資料館の前の公園、平和の鐘です。昨日、久しぶりに、二人でこの鐘を尋ねた、ダヴィッドと電話で話した。元気そうだった。

 

 

  

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