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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: アナンさん

    2012/01/10 22:49:25

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    青龍寺 (西安市)

    出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』恵果・空海記念堂(2004年12月)空海記念碑(2004年12月)青龍寺(せいりゅうじ,し

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    恵果・空海記念堂 (2004年12月)
    空海記念碑 (2004年12月)青龍寺(せいりゅうじ,しょうりゅうじ)は、中国陝西省の古都、西安市南郊の鉄炉廟村にある仏教寺院であり、弘法大師空海ゆかりの寺として知られている。

    その故地は、唐朝の都、長安城においては、左街の新昌坊に当たる場所であった。

    歴史 [編集]創建は、隋の開皇2年(582年)であり、当初は霊感寺と呼ばれた。初唐の武徳4年(621年)に一度、廃寺となったが、龍朔2年(662年)に再建され、観音寺と改められた。

    青龍寺と改称されたのは、景雲2年(711年)のことである。

    唐中期には、恵果らの密教僧らが住持するようになり、入唐留学僧たちとの関係が生まれた。空海は恵果に学び、天台宗の円仁や円珍らも恵果の法系に連なる法全に就いて密教を学んだ。

    会昌5年(845年)、会昌の廃仏によって再び廃毀された。しかし、大中6年(852年)には、いったん復興を果たし、護国寺と改められている。ただ、唐末五代の動乱によって、都の長安は急速に寂びれてしまった。そのため、以後三たび姿を消すこととなった。

    復興 [編集]1982年以来、西安人民政府が、青龍寺の遺址と伝承されてきた石仏寺周辺の発掘調査を行い、多数の唐代の遺物を発掘し、この地がいにしえの青龍寺であったことを確かめた。

    青龍寺は復興され、そこには空海記念碑、恵果・空海記念堂が建つ。また、元四国霊場会会長蓮生善隆(善通寺法主)により四国八十八箇所の零番札所と名付けられた。

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  • from: アナンさん

    2012/01/08 08:54:49

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    1200年ぶり…天台・高野山真言宗トップ対談

    天台宗の半田孝淳(こうじゅん)・座主(ざす)(94)と、高野山真言宗総本山・金剛峯寺の松長有慶(ゆうけい)・座主(82)による対談が昨年12月25日、

     天台宗の半田孝淳(こうじゅん)・座主(ざす)(94)と、高野山真言宗総本山・金剛峯寺の松長有慶(ゆうけい)・座主(82)による対談が昨年12月25日、京都府と滋賀県にまたがる仏教聖地の一つ、比叡山で行われた。
     両宗の開祖、最澄と空海が晩年、対立したとされることから、両座主が長時間にわたり意見を交わすのは1200年の歴史の中で初めてとなる。
     東日本大震災を体験した日本人の心のあり方を宗教人として示したいという松長座主の提案に、半田座主が応じる形で実現した。日本人はこれからいかに自然や環境と関わっていくべきか。両座主による初めての対談は、被災後の日本人への示唆に満ちたものとなった。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     両宗の開祖、最澄と空海が晩年、対立したとされることから、両座主が長時間にわたり意見を交わすのは1200年の歴史の中で初めてとなる。

    うーん、1200年ぶりに両座主が長時間対談しました。

    ヨカッタ、ヨカッタ。



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    from: アナンさん

    2012/01/10 21:29:12

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    「Re:Re:1200年ぶり…天台・高野山真言宗トップ対談」>内容は解らないですが、高野山と比叡山。>交流すれば、新しいすごいものが出てきそうな気がし

    from: yeshangさん

    2012/01/09 19:50:31

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    「Re:1200年ぶり…天台・高野山真言宗トップ対談」内容は解らないですが、高野山と比叡山。交流すれば、新しいすごいものが出てきそうな気がします。今後

  • from: yeshangさん

    2012/01/05 02:27:00

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    日経新聞の「等伯」を読んでいて

    この欄ではお門違いかもしれませんが、「読書好き?」の欄にも書いたものです。萩耿介の等伯を書いた「松林図屏風」もよかったのですが、この日経の連載にも引き

     この欄ではお門違いかもしれませんが、「読書好き?」の欄にも書いたものです。

     萩 耿介の等伯を書いた「松林図屏風」もよかったのですが、この日経の連載にも引き込まれています。妹も読んでいるそうです。

     萩 耿介の「松林図屏風」の評は
     「秀吉時代の画家・長谷川信春(等伯)と息子・弟子たちの物語。絵についての知識が乏しくても面白く読める。絵に命をかける等伯一門のストーリーは読んでいて引き込まれるものがある。」
     と私の読書ノートには簡単に記録してありますが、日経のほうは画家が絵にかける気迫がすごく感じられます。

     昨年、上野に空海展を見に行きましたが、入り口近くに空海の肖像が。左右の眼は遠くと近くを見ていて圧倒されました。

     やはりそれなりの人が描く人物像には圧倒されます。

     「等伯」では主人公もさることながら兄の武之丞にも共感を覚えます。等伯にとっては要らざる兄ですが、気性が私に似ていてなんとも他人に思えないのです。

     実は、今頃空手道を再開したのはあの世で地獄・餓鬼・畜生の世界に行っても、閻魔との戦いも望んでやろうとの思いがありました。人生至るところに青山あり。
     正月の酒を飲みながら勇ましいことを書いています。

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  • from: アナンさん

    2012/01/03 15:30:21

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    明けましておめでとうございます

    今年も宜しくお願い申し上げます。2012年元旦

     今年も宜しくお願い申し上げます。

    2012年 元旦

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    from: 沙羅さん

    2012/01/04 22:53:06

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    「Re:明けましておめでとうございます」あけましておめでとうございます。久しぶりに、めるろ〜さんの、立てられた、哲学〜真理〜探求サイトを訪ねました。少

  • from: yeshangさん

    2012/01/02 13:51:22

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    新年に思うこと(雑感です)

    年をとると何十年も前のことをさも先ほどあったことのように話すが、ついさっきのことはすっかり忘れているのが当たり前とか。(老人力というのか?)正月の新聞

     年をとると何十年も前のことをさも先ほどあったことのように話すが、ついさっきのことはすっかり忘れているのが当たり前とか。(老人力というのか?)

     正月の新聞を受け取ると小学生時代に朝刊の新聞配達していたころを思い出します。
     いつもは二つに折りたたんで小脇に抱えて配り歩くのですが、正月は本誌のほかに付録が多くて1センチぐらいの厚さがあって、そこに普段の何倍もある広告が入るので何度か店舗と往復して配り歩きます。

     家が商店で新聞店もやっていたので、長男としては子どものころから配達員をやるのは少し誇らしくもあり、朝刊は皆が寝ている間に配り終え、朝食を取って学校に行くまでに配り終える必要もあることから時間の制約の緩い夕刊に比べてそれだけやりがいも感じていました。

     正月の新聞は厚さが半端でないのですが、新年を感じてそれなりに面白く、楽しくもあったように思います。

     結構この朝は寒かったはずですが、寒さの思い出はあまりありません。
     今は、朝起きると玄関に新聞が届いていて、それが当たり前で何の感慨もありませんが、新年元旦の新聞を受け取ると昔の事を思い出します。



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