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恋愛小説発表会〜時にはノンジャンルで〜

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  • from: エリスさん

    2008年01月21日 11時57分49秒

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    秘めし想いを……・1

     若草が萌える春の庭。
     姉は、花飾りを作るのが好きだった。
     私はいつも、庭のあちこちに咲いている白くて可愛い花を摘んでは、姉の方へ持っていった。そうすると、姉が愛らしい笑顔を見せてくれるからだ。
     姉の定位置は、池の傍に咲いている花の群れの辺り。そこまで、私はよく走ったものだった。
     「お姉様ァ!」
     私が手に一杯の花を持って走っていくと、姉は笑ってこう言った。
     「走っては駄目よ、忍(しのぶ)! ゆっくりいらっしゃい!」
     そうは言っても、私は早く姉の傍に行きたいから、言うことも聞かないでいると――本当に転んでしまった。
     でも……。
     「ああ、ホラ!」
     姉がこっちに来てくれた。優しく抱き起こしてくれる、この幸せを手に入れられたのだから、転ぶのも悪いものではないわ。
     だからこの機会に、私は思いっきり姉に抱きついた。
     「紫苑(しおん)姉様、大好き!」
     「あらあら……私もよ、忍」
     「ホント! それじゃ、ずうっと私の傍に居てくださる?」
     「ええ、もちろんよ」
     「本当? ずうっとよ。お嫁にも行かないで、私と一生暮らしてくださるの?」
     「まあ、忍ったら……」
     姉は困ったように笑っていた。嘘でもいいから、もう一度「もちろんよ」と言ってもらいたいのに、姉は笑っているだけだった。
     「……お姉様?」
     どうしてか、その笑顔が遠のいていく。
     手は握っていたはずなのに、感覚を無くし、空を摑んでいた。
     そしてますます、姉の笑顔が、手を伸ばしても届かないところまで遠のいていく……。
     「お姉様! 紫苑姉様!」
     追いかけて行きたいのに、足が動かない。
     ああ! お姉様が消えてしまう!
     「姫様!!」
     ……え?
     「姫様! 忍姫様! 起きてください!」
     ―――――――――!
     あっ……夢だったんだ。
     気がつけば、目の前に女房(侍女)の小鳩の君(こばと の きみ)がいた。
     私は庭に面した御簾の傍で、ついウトウトと眠ってしまっていたのだ。良い天気で気持ちがよかったものだから。
     「うなされておいでだったのですよ」
     と、小鳩の君は言った。「悪い夢でも見ていらしたのですか?」
     「悪い夢?……そうね。お姉様が消えてしまう夢だったから」
     「まァ、紫苑姫様が……それはお辛かったでしょう……」
     「うん……でもね。久しぶりにお姉様に会えて……嬉しかったの」
     そう。紫苑と呼ばれた私の姉・紘子(ひろこ)が亡くなってから、もう八年も経っていたから。


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コメント: 全46件

from: エリスさん

2008年06月12日 14時20分11秒

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「秘めし想いを……・46」



 賀茂の斎院が中継ぎの天皇として即位したのは、これから三ヵ月後のことだった。
 皇太后は、いくら内大臣の血筋とは言え、二の宮を即位させるべきではないかと、冷泉の院に進言したそうだが、院はそれを許さなかった。それに二の宮自身も、自分の存在が世の混乱を招いてはならないと、出家して山寺に入ってしまわれた。
 そこで院と左右大臣が話し合った結果、弘徽殿の中宮がお産みになった親王を東宮(皇太子)とし、東宮が成人するまでの間、賀茂の斎院を女帝としたのである。
 この事が、我が家にも転機を迎えた。
 なんと、あの祝言の時に茉莉を見初めた斎院――女帝が、茉莉を女御にと望んだのだ。
 父にはそんな野心などないし、ましてや女帝が女御を望まれるという前例のない事態に、頭を悩ませた――どうして、こうゆう父から、私や姉が生まれたのかしら?
 なので女帝からのお言葉を、父は茉莉や私にも黙っていたのだが――薫の君の来訪で、すべてがバレた。
 茉莉は、
 「本当に私でよろしいのですか!」
 と、泣いて喜んだ。どうやら茉莉の方も叶わない恋だと胸に秘めていたらしい。
 それを知って、母はこう言った。
 「相思相愛なら何の問題もないではありませんか。主上に、喜んで差し上げます、とご返事申し上げてくださいませ」
 「そなたは、よくもこんな、女同士で結婚など、ああ! おぞましい!」
 「そのお言葉は、私に対しても侮辱になりますが」
 母の言葉に、なぜか父は言い淀んだ。そして、母は構わず言葉を続けた。
 「そうゆう偏見はお止めなさいませ。あなたがそんなだから、鶴姫様も世を儚(はかな)んで、尼になってしまわれたのではありませんか」
 「鶴姫って」と、私が口を挟んだ。「お父様のお姉様、ですよね?」
 「そうよ」と、母は微笑んだ。「実はね、私は鶴姫様と恋人同士だったのよ」
 …………………………………………………………え?
 「ええ――――――――――――――――――!?」
 皆が驚くのも無理はない。私だって驚いたのだから。
 この母が……恐ろしいことが発覚してしまった。
 「それがどうして、お父様と結婚しちゃったの!?」
 「うふふ、内緒」
 まだまだこの家には、私の知らないことがたくさんありそうだわ……。
 こんなこともあったりして、翌月に父は内大臣へと昇進し、その半年後に、茉莉は女御として入内した。藤壺に局をいただいたので、以後は「藤壺の女御」と呼ばれるようになる。
 そして私は、翌年に女の子を出産した。またしても女の子だったので、父が嘆くかと思ったが、意外にも新しい孫の誕生に大喜びだった。もう太郎君がいるから、後継者問題で悩むことはやめたようだ。
 茉莉が入内したこともあって、私はその母として内裏に呼ばれることが多くなった。もちろん、筝を演奏するためである。その時に娘を連れていくこともあったので、娘は東宮と知り合いになり、手紙を交わす仲になった。もしかしたら、いずれ「女御に」と望まれるようになるかもしれない。
 多くを望んでいるわけでもないのに、源氏一家と昵懇となることで、我が家は繁栄していく運命なのかもしれない。
 夫も、今は参議にまで上り詰めていた。
 私たちは暇を見つけては、良く合奏をしている。彼の笛の音に合わせて筝を弾くことが、これほど楽しいことだとは、以前の私だったら思いもしなかったのに。
 私たちは本当にうまくいっている。お互いが憎み合っていたことなど、嘘のようだった。
 「ねえ? 一つ聞いてもいい?」
 私は、面と向かって聞くのが恥ずかしかったので、琴柱を調節するフリをしながら、言った。
 「なんだい?」
 「あなたは、私や茉莉が同性を好きになることを非難したりはしないけど、以前お父様が口走ったように、おぞましいって思うことはないの?」
 「うん……ないな」
 「本当に?」
 「おぞましいって思うことの方が可笑しい、と思うよ。だってそうだろ? 人を好きになることに、同性も異性も関係ない。男とか女とか、そんなものは結局、人間としての肉体――器だけの違いであって、魂は、男も女もみな等しいものだ。恋というものは、魂でするもの。魂の結びつきなのだから、器はどうだっていいのさ」
 「……そう言ってくれると思ったわ」
 姉の選択は間違いではなかった。この人と巡り合えたことが、姉にとっての救いになり、今は私も救われている。
 今でも姉を愛している……けれど、夫のことを知れば知るほど、それが「一番」なのか「二番」なのか、最近は分からなくなってきてしまった。
 もう、茉莉の身代わりとか、自己犠牲とか、そんなことを思うことすら忘れて、夫に惹かれてしまっている。
 それで、いいのかもしれない。
 家族の絆が“縁”で結ばれるように、恋も“縁”なのだろう。そしてその“縁”を結んでくれたのは、間違いなく姉だった。
 姉がいたからこそ、私は幸せになれた。それだけは、絶対に変わらない真実。
 だから胸を張って言える。「紫苑――藤原紘子に恋をして良かった」と。
 そして……。
 「調律、終わった?」
 「ええ」
 「じゃあ、何を合奏しようか」
 「“想夫恋”がいいな」
 「いいよ。やろう」
 この新しい恋も、私は自信を持って謳歌しよう。
 互いを必要とし、支え合いながら、一緒に年を取って――やがて、生涯を終えても。
 来世にまた巡り合う夢を、この人と見るのも悪くない……。

                                          完

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from: エリスさん

2008年06月06日 13時41分07秒

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「秘めし想いを……・45」
 やがて二曲目も終えた。
 そして、三曲目を始めようとした時だった。
 「御簾を上げておくれ」
 奥の間の御簾が巻き上がったのが、かすかな音で分かった。
 衣擦れの音が近づいてくる。――二人いた。その二人は、私たちの目の前にある御簾の手前で止まり、座った。こちらに出て来ないのは、男性である少納言と太郎君がいるからだ。それだけでも、そこにいる人が高貴な女人――皇太后であることがわかる。
 「昔を思い出しました。初めてあなたの姉君にお会いした時のことを。忍の君」
 「皇太后さま……」
 お声が掠れてしまわれている。何日も泣き暮らしていたからなのか、お労しい……。
 「あの頃は、彰喬もまだ東宮で、そこの童(わらわ。太郎君のこと)のように髪を角髪(みづら)に結っていたわ。彩霞の姫も来ていて……」
 「私もいましたわ、お母様」
 そう言ったのは、皇太后の隣にいた女人だった。この方が賀茂の斎院となられた一の宮様?」
 「ええ、そうね。みんな居たわ。私は大好きな人たちをみんな招待したのよ。紫苑の君の筝を聞いてもらいたくて……楽しかったわ、あの日は……忍の君、そして菅原の少納言。あなた方のおかげで、楽しかったあの日を、幸福だった頃を、思い出すことができたわ。ありがとう……」
 すると少納言が「もったいないお言葉でございます」とひれ伏した。
 そこへ、薫の君が歩み寄ってきた。
 「お姉様、今日は忍の君の新しい家族を見ていただきたくて、こちらにお呼びしたのですよ」
 「ああ、ではこの二人が、紫苑の忘れ形見の?」
 と、皇太后が言うので、私が答えた。
 「はい、茉莉と太郎でございます。今はもう私の子供でございます」
 「ええ、聞いているわ。少納言と結婚するそうね。おめでとう、忍の君」
 「お祝いを言うのは」と、薫の君が口を挟んだ。「もう少し後になさって、お姉様」
 「あら? どうして?」
 「これから祝言を挙げるからですよ、ここで」
 「ええ!?」
 皇太后が驚くのも無理はないが、それが私の計画だったのである。この麗景殿で、私たちの祝言(婚儀)と称して、宴を開いてしまおうという。少しでも華やかなことがあれば、皇太后の気も晴れるのではないかと。
 薫の君もこの計画にすぐ乗ってくれた。
 私の両親も、驚きはしたものの、
 「内輪でひっそりと済ませるつもりだったのだから、何はともあれ、お披露目ができるのであれば……と、納得してくれた。
 「そんな急に言われても、何も仕度をしていないのに……」
 と、皇太后が戸惑っていると、薫の君が言った。
 「ご心配なく、仕度ならもう出来ております。あとはお姉様がお着換えあそばすだけですわ」
 「まあ、準備万端ってことね。知らなかったのは私だけ?」
 「申し訳ございません、皇太后さま」
 と、私は言った。「ですが、どうしても皇太后さまに祝っていただきたかったのです、私の結婚を」
 「謝ることはないわ、忍の君。私のためにしてくれたことなのでしょう。喜んでお祝いさせてもらうわ」
 その後、女性と男性に分かれて宴が催された。
 私の両親も参内し、左右大臣も執務を終えて顔を出してくれた。

 ようやく同じ御簾の内で会うことができた皇太后の顔は、やつれてはいるものの、もう死の影は消えていると薫の君も言っていた。
 思い切って、ここで祝言を挙げて良かった……。
 やっぱり大好きな人たちには、笑っていてほしいから。

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from: エリスさん

2008年06月06日 13時02分41秒

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「秘めし想いを……・44」




 一週間後。
 何年かぶりに内裏に上がった私を、出迎えてくれたのは薫の君だった。面やつれはすっかりと治って、本来の妖艶な美しさを取り戻していた。
 「よく来てくれたわ」
 と、薫の君が言うので、
 「私の方こそ、無理なお願いを聞いて下さいまして」
 「ちっとも無理ではなかったわ。むしろ、私から提案しようと思っていたぐらいなのよ」
 薫の君は私たち一行――茉莉と、両家の女房たちを、麗景殿まで案内してくれた。
 そこには、すでに少納言と太郎君(タロウギミ)が待っていた。
 上座には衝立障子があって、その向こうに誰かいることは、障子の脇からはみ出して見える、着物の裾からも分かった。
 「忍の君ね?」と、障子の向こうから声がする。先帝と皇太后の間に生まれた弘徽殿の中宮だった。
 「御無沙汰を致しておりました、宮様」
 「こちらこそ。今日はありがとう。お母様はこの奥にいるわ」
 「はい、では早速……」
 「お願いね!」
 姿は見えなくても、声で必死さは分かる。この気持ちに、応えなくては。
 小鳩が私の筝の琴を、右近が茉莉の琴の琴(きんのこと)を運んでくる。少納言は笛、太郎君は笙を持っていた。
 私の横で、茉莉が緊張しているのが分かった。なので、私は彼女の手を取って、ポンポンッと軽く叩いた。
 「いつも通り弾けばいいのよ。大丈夫」
 「……はい、お母様」
 私たちはお互いに笑い合った。
 少納言の方を向くと、彼も笑顔でうなずいた。
 太郎君もニコッと笑ってみせる。
 そして私たちは、私の掛け声で合奏を始めた。
 ただ、麗景殿の皇太后をお慰めしたい一心で、私たちは気持ちを合わせた。
 いつの世でも音楽は、心を和ませるためにあるものだから。その音楽を愛する御方がいてくれたからこそ、私たちは巡り合えた。その感謝の気持ちを、私たちは心から表現した。
 かつて神代において、天の岩戸に籠ってしまわれた天照大御神の心を開かせたのは、天宇受売の命(あまのうずめ の みこと)の舞いだったと聞いている。私たちの合奏にそこまでの力があるかどうかは分からないけれど……。
 一曲目を終え、続けざまに二曲目を始める。
 奥の間の方で、何かが動いているのが分かったけれど、私たちは手を止めることはなかった。

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from: エリスさん

2008年05月29日 16時04分14秒

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「Re:秘めし想いを……・43」
 出版社に原稿を送ったときは、こんなシーンはありませんでした。
 最近になって思いついて、挿入してみたんですけど.....たまにはいいでしょ? 色っぽい話があっても。
 これを書いたことによって、ある意味、紫苑が成仏できたんじゃないかと、筆者としてはそんなことを考えたりしています。この作品で一番浮かばれなかったのは紫苑だったような気がして。

 あとはまあ....「お姉様(ハート)」みたいな作品が書きたくてしょうがなかったんです(●^o^●)

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from: エリスさん

2008年05月29日 15時57分38秒

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「秘めし想いを……・43」
 「忍……忍……」
 誰? 私を呼ぶのは……。
 「忍……私よ……」
 ……その声は……。
 目を開いた目の前に、姉・紫苑がいた。
 「お姉様!?」
 「逢いたかったわ、忍」
 こんなことがあっていいのかしら? 死んだはずの姉が私の目の前にいて、しかも、素肌で私を抱きしめているなんて……。
 「あなたには感謝しているのよ、忍。私の家族を救ってくれて。そして、私の気持ちに気付いてくれて……」
 「お姉様……」
 桜色の唇が、私に触れてくる。
 まるで箏を奏でるように触れてくる指先が、私の体を震わせる。それは何よりも甘美で、自我を失いかける。
 「……お姉様……私たち、姉妹なのに……」
 禁忌を犯しているという罪悪感が辛うじて残っている。でもその思いも、姉の口付けが押えこんでしまった。
 「今は何も言わずに……私にゆだねなさい」
 「お姉様……」
 「これは、御礼よ」
 その先は、もう言葉にできない。
 姉に奏でられるままに、抑えられない声をこぼしていたことだけは覚えているけれど……。
 全身がまぶしい光に包まれたような感覚に襲われ、それが済むと、姉は優しく包みこむようにして私を抱きしめてくれた。
 「……これは、夢なの?」
 私が言うと、姉は微笑んだ。
 「そうね。夢の中の、ほんの瞬(またた)き。いつか忘れてしまうのでしょうね」
 「忘れないわ!」
 ようやく叶った望みを、決して忘れてなるものですか。
 「そうね。忘れないで、私がいたことを。私がどんなにあなたを愛したか。姉妹として倫理を超えてまで……これで、私も思い残すことはないわ」
 そう言った姉の体が、薄っすらとしたものになっていく。
 「いや! お姉様、離れないで!!」
 やっと一体になれたというのに、また離れ離れになってしまうなんて。
 「お姉様!!」
 「しっかりしろ! 忍!」
 え? この声……。
 「忍! 目を覚ませ!!」
 ―――――!
 今度こそ目を覚ました私は、伸ばした手が空を握っているのを見た。その脇には少納言もいる。
 やっぱり、夢だった…………。
 空を握っていた手を下におろし、私は一気に脱力感を味わった。
 そうだった。私は少納言と初めての一夜を過ごして、そのまま彼に抱かれて眠っていたのだった。二人とも薄着なのはそのせい……なのに、どうして姉に抱かれる夢など見たのだろう。
 暖かくてしっとりとした素肌も、胸の膨らみも柔らかさも、桜色の唇が放つ吐息の甘さまで、こんなにもはっきりと覚えている。でも、本当なら覚えていられるはずがない。私と姉は、今までこんなことをしたことがなかったのだもの。経験がないことを、どうして……。
 「大丈夫かい? ひどく、うなされていたから……」
 少納言が心配そうに私を見下ろしている。
 もしかしたら……この人の記憶なのかしら。
 この人の体に刻みこまれた姉の記憶が、私と体を寄せ合ったことで流れ込んできたのかもしれない。
 先刻の彼の言動から察するに、二人の夫婦生活は姉の方が優位に立っていたようだし。
 「お姉様に会ったわ、今」
 私がそう微笑んで見せると、彼も微笑み返してきた。
 「それは分かった、寝言で。紫苑は、とっても上手かっただろう?」
 やっぱりそうみたいね……。
 私は彼の首元に腕を伸ばして、引き寄せてから、彼を横たわらせて、今度は私が彼を見下ろした。
 「ねえ? お姉様はいつも、あなたにどんなことをしてくれたの?」
 「それを聞いて、どうするの?」
 「私も同じことをしてあげる。私はあなたにとってお姉様の代わりですもの。見事にお姉様を演じてみせてよ」
 「そんなこと……」
 と、少納言は笑った。「気にしなくていいよ。なにせ……」
 彼はそう言うと、私の胸の先を弾いてみせた。
 「あんッ……」
 不意打ちにあった私が声を抑えられずにいると、彼は満足そうな表情をした。
 「ほら、まったく同じ反応をした」
 「やだ、もう……」
 いつもいつもお姉様が攻め手に回っていたわけではなさそうね……。
 「君たちは本当になにもかもそっくりだよ。だけど、身代わりとか、そういうことはもう考えないでくれ」
 彼は私を抱き寄せると、また腕枕をしてくれた。
 「今は、君個人を愛しく思っているのだから。あなたの気高さと純真な心に、わたしは見事に虜になってしまっている。それがどんなに幸せなことか」
 「……ありがとう」
 「どう致しまして。さあ、もうお眠り」
 「ええ、あなた」
 私もいつか、お姉様のことより少納言のことを愛しく想う時がくるのかしら。
 そうなったとしても、それは不幸なことではないのかもしれない。

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from: エリスさん

2008年05月21日 17時28分24秒

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「秘めし想いを……・42」
 「ありがとう……ところで、殿」
 「……え? あ、ハイ……」
 突然「殿」と呼ばれたので、驚いたようだった。
 「いい加減、その他人行儀な口調はやめて。私達は夫婦になるんですから」
 「いやァ……」
 彼は頭を掻いて照れていた。……うん、可愛いじゃない、そうゆうところ――最近、彼と付き合うようになってから、分かってきた。私は、母性本能をくすぐられると弱い人間だったんだわ。
 「この間まで険悪だっただけに、どう対処していいやら、困りますね」
 「いやね、もうそうゆうのは忘れて」
 「はい……いやその……そうだね」
 これまでは理解するのも嫌だったのだけど、この人を見ていると、男の人って面白い、と思えるようになってきた。
 それとも、この人だからそう思うのかしら。
 正直、自分の心の変化が、戸惑いながらも楽しかった。
 私は、几帳の横を通って、彼の方へと近づいた。
 彼が戸惑っているのが分かる。
 「忍の君?」
 「笛を奏でる前に……」
 私は彼の手を握った。「私を奏でてくださいませんか?」
 「……忍の君!? おっしゃっている意味が分かっているのですか!?」
 「分らずに言えると思いますか?」
 私は、握ったままの彼の手を、胸元まで引き寄せて、抱きしめた。
 「お願い……私を、お姉様の呪縛から解いて……」
 すると、なぜか彼はフッと笑った。
 「まったく……そんなところまで似ているのか」
 「え?」
 「あなたと紫苑ですよ」
 彼は私を抱き寄せると、そうっと、私を寝床に横たわらせた。
 「怒らずに聞いてくださいよ――紫苑との初夜の時、わたしはまだ十六になったばかりの少年で、女性のことなど何も分らなかった。戸惑ってしまって何もできなかったわたしに、紫苑は自分から迫ってきたんですよ」
 「お姉様が?」
 怒る気持ちより先に、目の前にいる少納言の顔が近すぎて、ドキドキする……。
 「彼女だって十五の少女なのに、大胆でしょう? その時、彼女が口走ったんですよ。“あの子を忘れさせて”ってね」
 「“あの子”って……」
 私? と思っている時に、彼は自分の夜着を脱いだ。
 「本当に、憎らしい人だ……でも今は、それすらも愛しい……」
 彼は自分の髪を解いた――こうゆう時は結ったまま解かないものだと聞いていたけど。そうしていると、ますます女性のように見えてしまう。
 「あなたも、この方がいいのではありませんか?」
 「……お姉様の好み、なの?」
 「彼女がわたしを選んでくれたのは、この面立ちが女に見えるからでしょう」
 その寂しげな笑顔から、察してしまった。この人は、姉に愛されるたびに、男性としての自分を否定されていると思ってきたのだ。
 そう思った時、私はこの人を抱きしめてあげたい衝動にかられ、もう体が反射的に動いていた。
 「違うわ。お姉様は、人の見かけだけを愛するような、そんな人じゃないから……あなたの人格を愛したからこそ、あなたに救いを求めたんじゃない。私だってそうよ。あなただからこそ、助けてほしいの」
 「……忍ッ」
 彼の強い腕が、私を包んでいた。
 「わたしの方こそ、救ってくれ……」
 人はどうして、こんなにも弱いのだろう。
 弱いからこそ、誰かを求めて彷徨ってしまうのだろうか。
 いつか、その答えが見つかるかもしれない、この人となら――。


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from: エリスさん

2008年05月21日 17時00分34秒

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「秘めし想いを……・41」
 私がしてあげられることは、これしかない。
 私は全身全霊で弾き始めた。
 薫の君のお顔から曇りが晴れて、いつもの穏やかに聞き惚れている表情になるまで、たとえ弾き過ぎで指を傷めようとも、引き続けようと決心した。
 私は、覚えている曲をすべて弾き終えた。
 もう夕暮れ時になっている。それでも、また最初に弾いた曲を弾き始めようとした時、私の手の上に、そっと誰かの手が被さった。
 薫の君だった。いつの間にか、隣に来ていたのである。
 「もういいわ。ありがとう……」
 心なしか、面やつれが治ったような気がする。そして、笑顔は完全に取り戻していた。
 「あなたという友人がいてくれて、私は本当に幸せだわ」
 薫の君の言葉に、私は答えた。
 「それは、私の方こそです」と。


 その夜、少納言が通(かよ)ってきた。
 まだ正式な夫婦ではないが、ときどきこうやって泊まりに来るのである。特に姉が死んだ満月の晩は、茉莉の傍にいるのが辛いようで……。
 「婚儀の前に、あなたに手を出すことはしないつもりですが……」
 と、前置きをして、几帳越しにある自分の寝具で寝るのだが……つい、心の迷いで手を出してしまったら、許してください! と、言いたいらしい。
 まあ、それは覚悟の上なんだけど。
 「その前に相談したいことがあるの」
 私は几帳の帳(とばり)をどけて、彼に声をかけた。
 「なにか?」
 と言いながらも、彼は寝床に入って寝る態勢になっていた。
 「私達の結婚、予定より早くしない?」
 「それは構いませんが、いつ頃?」
 「そうねェ、一週間後とか」
 「……ええ!?」
 彼は驚いて飛び起きた。
 私は、考えていた計画を彼に話した。その計画を、目を真ん丸くして聞いていた彼は、話し終わるとこう言った。
 「随分と大胆なことを考えますね」
 「お父様にもあなたにも、いろいろとお付き合いとかがあって、こうゆうお披露目は不都合かもしれないけど、私は薫の尚侍の君や麗景殿の皇太后さまにこそ祝っていただきたいの。だけど、今の皇太后さまは……」
 「……そうですね。それはわたしも気に掛けておりました。皇太后さまはわたしにとっても恩人ですし」
 確かに。皇太后の宴に招いてもらったから、姉と知り合えたのですものね。
 すると彼はにこやかに笑って、言った。
 「分りました。あなたの思う通りにしてください。太郎の方の稽古はわたしがしますので、あなたには茉莉の方を頼みます」
 

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from: エリスさん

2008年05月02日 13時28分39秒

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「秘めし想いを……・40」
 「それにね、親子の絆というものは血ではないのよ。“縁”なのよ。魂の結びつきなんだわ。……茉莉、私たちもそうゆう親子になりましょう」
 私の言葉に、茉莉は嬉しそうに頷いた。


 主上崩御により、春に予定されていた私と少納言の婚儀だったが、
 「内輪だけでひっそりと済ませるか?」
 という父の提案に、誰もが賛成しようとしていた、ちょうどその頃――薫の君が訪ねてきた。
 面やつれしてしまって、あの美しさと若々しさが損なわれてしまっている事に、私は涙を隠せなかった。
 「泣かないでちょうだい。私は、あなたに元気を分けてもらいたくて、訪ねてきたのよ」
 「申し訳ございません……」
 そうよ、泣きたいのは薫の君の方なのに、私がメソメソしていたらいけないわ。
 薫の君が訪ねてきた一番の理由は、私の婚儀のことだった。
 「主上がご崩御あそばされて、仰々しい事は慎まなければならないと言っても、結婚は人生のうちに何度もあることではないのよ。ちゃんとお披露目をして、皆に祝ってもらいなさい」
 「ですが……」
 「いいのよ。こんな時ですもの。少しは華々しいことがないと、国中が闇に包まれてしまうようだわ。もう堪らないのよ!」
 確かにこの一か月、京は火が消えたような寂しい雰囲気が漂っていた。このままでは本当に、誰もがどうにかなってしまいそうだった。
 「皇太后さまは、如何ですか?」
 麗景殿の皇太后は、ずうっと寝付いていると聞いている。もともとあまり丈夫ではない方なだけに、誰もが心配していることだった。
 「早く彰喬が迎えに来てくれたらいいのに、なんて、そんなことを口走るようになったわ」
 「まあ……。お傍にいらっしゃらなくて、大丈夫なのですか?」
 「今日はね、二の宮が――弘徽殿の中宮が付いていてくれると言うから……。それに、賀茂の斎院が戻ってきているのよ」
 「あっ、一の宮様が」
 賀茂の斎院と呼ばれる女一の宮は、皇太后さまがお産みになった内親王で、主上が即位した際に斎院(巫女)に選ばれて、賀茂にいらした方である。このたび、主上が崩御されたので、その任を解かれて戻ってきたのである(斎院・斎宮は、帝が代わるごとに代替わりする)。
 「一の宮の今後が確実に決まるまでは、生まれ育った麗景殿で過ごされるそうだから、その間は、お姉様のことを見ていてもらえるわ。だから私も、しばらく宿下がり(内裏から出て自分の家へ帰ること)しようと思っているの」
 「それがよろしゅうございますね。尚侍の君も相当お疲れのご様子ですし……」
 「……そうね。正直、疲れたわ……。だからお願い、あなたの筝を聞かせて」
 「喜んで」
 そうゆうと思っていたので、私はすでに傍に筝の琴を置いていた。

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from: エリスさん

2008年05月02日 13時04分02秒

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「秘めし想いを……・39」
 ということは、麗景殿の皇太后は冷泉の院との住まいである「冷泉邸」には戻らずに、ずうっと内裏にいるということになる。おそらく冷泉の院もだろう。主上が崩御されたのだから、先帝である院が「上皇」として執務に就かなければならない、ということもあるだろうけど、本心は「息子の死んだ場所から離れたくない」のだろう。
 「それにしても……」と、茉莉が口を開いた。「皇太后さまにとって、主上は本当の御子様ではないと聞いておりましたが……」
 「ここまでお嘆きなのが、不思議?」
 と私が聞くと、少し……と茉莉は答えた。
 「主上は、麗景殿様の親友でいらした紅梅の君(こうばい の きみ)の御子様なのよ」
 紅梅の君は、当時の左大臣の姫として生まれ、家のために入内し、弘徽殿に局を賜った。皇子を授かって、中宮にまで上り詰めた人だったけれど、初恋の人であり従兄の、帥の宮のことが忘れられず、とうとう内裏で密会をするようになった。それが表沙汰になり、紅梅の君は服毒自殺してしまった(帥の宮は出家した)。
 この事で、当時まだ赤子だった親王(今の主上)の出自も疑われたが、薫の君の話だと、
 「主上が院の御子である確たる証拠があるのよ、公表できないけどね」
 とのことだった。
 それで、麗景殿様が養母になることで、親王を守ったのである。それは紅梅の君との約束でもあったらしい。麗景殿様は自分がお産みになった二人の内親王と共に、分け隔てなく愛情を注がれたと聞いている。麗景殿様にとっては、愛する夫の子であり、来世での再会まで誓った親友の息子。だからこそ、親王を本当の息子のように愛することができたのだ。
 更に、親王――主上の出自を疑う者が未だ少なくないことも考慮して、麗景殿様は自身が産んだ内親王を、主上の女御として入内させた。それが今の弘徽殿の中宮である(つまり異母姉弟で結婚したことになる)。
 そうまでして守ってきた息子を、殺されたのである。悲しくないはずがない。
 

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from: エリスさん

2008年04月24日 16時28分35秒

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「秘めし想いを……・38」
 二の宮も、必死に耐えていた。それがせめてもの自分への罰だと思っていたのだろうか。
 あまりにも長く続くので、登華殿の女御が泣いて許しを乞うたと言う。すると皇太后はこう言った。
 「己の子が痛めつけられて、悲しいと思う心があるのなら、なぜ私の息子を殺したのです! 私の息子が、あなた方に何か良くないことをしたとでも言うのですか!! なんの罪もなかった私の……彰喬(てるたか。主上の本名)を返して!!」
 その場で泣き崩れてしまわれた皇太后を見て、二の宮は剣を抜いて、自決して詫びようとした。だがそれを止めたのは、右大臣だった。
 「あなた様がそのようなことをなさっても、失った方々は戻ってはこないのです!!」
 それが精一杯の、右大臣から内大臣一派への抗議だった……。
 内大臣一派はこの後も裁きが続き、おそらく死罪になることだろう。
 ――この一部始終を、私は小鳩から聞いた。
 小鳩たち女房は、どこの屋敷に仕えていても、女房同士の横のつながりで、情報交換をしていた。この話も、麗景殿の皇太后付きの女房から、雷鳴の壺(かみなりのつぼ。襲芳舎(しゅうほうしゃ)とも言う。薫の君が内裏に上がった時の宿舎)の女房を経て、小鳩のもとへ伝わったのだった。
 「皇太后様のお嘆きようは、それはもう例えようがなく、藤壺の女御様のように後追いでもなさるのではないかと、周りの者たちは心配しているそうです。薫の尚侍の君も、雷鳴の壺にも左大臣邸にもお戻りにならず、麗景殿で皇太后様に付き添っていらっしゃるそうです」
 と、小鳩は言った。

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from: エリスさん

2008年04月24日 16時14分26秒

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「秘めし想いを……・37」
 しばらく前に、主上の毒見役も原因不明の病に倒れてから、左右大臣は厨房付近に不審者がいないかと調べていた。すると、調理人の中に内大臣の息のかかった者がいて、その者が主上のお食事に少量ずつの毒を混ぜていたことが判明した。その者を捕らえ、取り調べでの証言から内大臣一派を捕らえた、その矢先の、主上の崩御だった。――こんな大変な時に、私のために訪ねてくださるなんて、薫の君の友情には本当に頭が下がるわ。
 主上崩御の直後、藤壺の女御と呼ばれた彩霞姫が、主上の枕辺で後を追われた――石上の蔵人が使者として私の屋敷に着いた時には、もう亡くなられていたのである。父である右大臣の悲しみは、言葉では言い尽くせないものだったろう。それでも、右大臣は気丈に立ち振る舞った。
 捕らえられた内大臣には六人の姫がいて、そのうち二人は女御として入内していた。
 一人は先帝・冷泉の院の女御で、登華殿(とうかでん)の女御。近々、治部の卿(じぶのきょう)に任ぜられることが決まっていた二の宮様の生母である。
 もう一人は今上の女御で、宣耀殿(せんようでん)の女御。御子には恵まれなかった。
 この二人の女御も捕らえられ、父親ともども縄を打たれた状態で、冷泉の院の前に連れてこられたという。
 この時、母の罪を知って二の宮も駆けつけてきた。すべてはこの二の宮を次の天皇にしようと画策してのことだったが、まだ少年の二の宮には、そんなことは知らされてもおらず、敬愛する兄帝を殺され、しかもその犯人として母親が縛られているのを見た二の宮は、茫然自失で立ち尽くしていたそうな。
 そんな二の宮を、麗景殿の皇太后は腕を掴んで、何度も頬を打ちすえた。まるで気が狂ったかのようで、女房たちがやめさせようとしたが、冷泉の院は、
 「手を出すでない!」
 と、女房たちを止めた。

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from: エリスさん

2008年04月18日 14時00分16秒

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「秘めし想いを……・36」
 誰もいなくなったことを確かめてから、薫の君は私の傍に寄って、言った。
 「茉莉姫が塗籠で寝ていたことは、知っていますよ」
 「尚侍の君(かん の きみ)!?」
 私が驚いて大声を出すと、その口に薫の君の人差し指が当てられた。そして、静かに、と薫の君は言った。
 「それが何を意味するのか、察しているわ。少納言は紫苑の君だけを愛していた人だから……忍の君、あなたは姫の身代わりになろうとしているのじゃなくて? それは正義心からくる自己犠牲ではないの?」
 この人には勝てない。何もかもお見通しなのだ。
 「正直、そうゆう気持ちありました。私さえ身代わりになれば、全ては上手くいく。そんな風に、自惚れていましたわ」
 「やっぱり……」
 「でも、今は違うのです。理性を失ってしまうぐらいお姉様を愛してくれた少納言に、感謝しているぐらいです。そうゆう情の深い人なら、私のことも大事にしてくれるのではないかと思っています」
 「そう……私なら、実の娘に懸想するような男は、御免被るわ」
 「私も本来ならそう思うところですが……そう思えなかった事情が、私自身にもございまして」
 「ふうん」
 と、薫の君は微笑んだ――この顔は、絶対に気付いているわ。気づいていても、あえて口に出さないでいてくれるのだ。
 だったら私も言わないでおこう。
 「秘密」は、心に秘めているからこそ「秘密」なのだから。
 「それで、式はいつなの?」
 「春ごろがいいのではないかと、家族とも話し合っているのですが……」
 深刻な話が終わったちょうどその時、御簾の外から声が掛かった。
 「申し上げます」
 小鳩だった。「内裏より、尚侍の君様に急な御使者が」
 「内裏から?」
 薫の君が返事をすると、小鳩の隣にいた人が声を掛けてきた。
 「石上の蔵人です、薫の君様」
 男の声だった。
 「蔵人。あなたが使者に来たということは……」
 薫の君は立ち上がって、御簾の傍まで行った。
 「はい、左大臣様からのご伝言です。すぐに内裏へお戻りください」
 「もしや、主上(帝)が!?」
 「……ご崩御、あそばされました」
 ガクッと、薫の君はその場に膝をついてしまわれた。
 主上――今上天皇がご崩御! そんな、まだお若い天皇でいらしたのに……。
 薫の君も、義理とは言え甥が亡くなったと聞かされて、呆然としていた。
 けれど、間もなく我に返った。
 「お姉様の――皇太后の傍に、いてあげなくては。彩霞もきっと嘆いて……」
 薫の君はよろけながらも、立ち上がった。
 「ごめんなさい、忍の君。お祝いを言いにきたのに、こんな……」
 「何をおっしゃられるのです! 早くお戻りになって下さい。皇太后様を元気づけてあげなくては」
 「ええ……ええ、そうね」
 それからの世間は、慌ただしかった――。

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from: エリスさん

2008年04月18日 13時30分59秒

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「秘めし想いを……・35」
 私の両親への報告は、その日の夜になった。父が宮中へ出仕してしまって、昼間にいなかったからである。
 父は飛び上がらんばかりに喜んだ。
 母は、茉莉同様、複雑な顔をしていた。
 「本当にいいのね?」
 母はそうっと、私に耳打ちしてきた。
 「お母様は、少納言殿を買っていらっしゃるのでしょ?」
 「それはもう、紫苑が選んだ殿御ですからね」
 「実は私も、それが決め手だったの」
 「……そう?」
 それで、母は納得してくれた。
 あえて、少納言家の暗い部分は話さなかった。これから先、茉莉も同居することになるのだから、触れられたくないことを公表して、両親が少納言に対して持っている信頼感を、失わせることもあるまい。少納言が殿御として申し分ないことは確かなのだし。
 薫の君が訪ねてきたのは、その次の日だった。
 「結婚が決まったのですってね」
 薫の君は、彩霞(藤壺)の女御と弘徽殿の中宮からのご祝儀を預かってきていた――いつものことながら、源氏ご一家の情報網は、伝達が速いこと!
 「でも、あなたがこの結婚を承諾するなんて意外だったわ。後悔はないの?」
 「後悔は……何十年かしたら、もしかしたらするかもしれまん。でも、今は自分の出した答えに自信を持っています」
 私がそう言うと、薫の君は真剣な面持ちになって、こう言った。
 「お人払いをお願いできるかしら」
 「は?……はい」
 私は傍に控えている小鳩などの女房達を、この部屋から出て行かせた――こういう時は、内密の話があるのだろう。

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from: エリスさん

2008年04月11日 15時41分34秒

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「秘めし想いを……・34」
 私たちが結婚することを一番初めに告げたのは、茉莉だった。
 茉莉は、複雑な表情をしていた。
 「……私の、所為、ですか?」
 茉莉がそんなことを言うので、
 「違うわよ」と、私は笑ってみせた。
 「私が幸せになりたいから、あなたのお父様にもらっていただくのよ」
 「嘘!」
 「嘘じゃないわ」
 「だって、叔母様はお父様のこと好きじゃないじゃない!」
 「以前はね。でも今は違うわ」
 「今は……好きなの?」
 「茉莉……人の心はね、変わるものなの。嫌いだと思っていても、その人の良いところを見つけられれば、気持ちが変わることだってある――その逆もあるわね。大好きだったのに、その人の嫌なところを見てしまって、大嫌いになってしまうことも。今のあなたが、それね」
 「叔母様……」
 私は茉莉を抱き寄せて、彼女の頬に手を触れた。
 「お父様を許してあげて。どうかしていたのよ。お母様に死なれて、どうしようもなく悲しくて、それで、いけない夢を見てしまったのよ……。こんなことになる前は、あなたもお父様のこと、大好きだったのでしょ?」
 「ええ、叔母様」
 「だったら、許してあげて。お父様はもう、夢から覚めたのだから」
 「でも……そのために叔母様が!」
 「お願いだから、私を哀れに思わないで! 私は喜んでいるのだから。あなたを、私の娘にできるのですもの」
 私は茉莉のことを抱きしめた。
 「お願い、おめでとう、と、言って」
 「叔母様……」
 茉莉が抱き返してきた。
 「ありがとう、叔母様……」
 「ありがとう、じゃなくて……」
 「……おめでとうございます、お母様」
 「……ありがとう、利子(とおるこ)」
 この一部始終を、少納言は御簾の向こうで聞いていた……。


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from: エリスさん

2008年04月11日 15時02分51秒

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「秘めし想いを……・33」
 「忍姫!? 正気ですか!?」
 「正気ですよ。これが、誰にとっても最良の策なのです。あなたは、私を紫苑姉様の代わりとして傍に置くことで、茉莉に邪な想いを抱かなくて済む。茉莉もあなたから解放される。私の父は心強い後継者を得て、これで老後も安心でしょう(笑)。そして私は、お姉様の遺産を引き継げる」
 「遺産?」
 「あなたと茉莉、そして太郎君のことよ。私は家族を作ることを諦めていたの。お姉様以外の人を伴侶にすることなどできないと思っていたから。結婚も、子供を産むことも諦めていた。でも、あなたの後添いになれば、お姉様の子供を私の子供として育てることができる。私は、お姉様の〈家族〉を遺産として引き継げるのよ」
 「待ってください!」
 少納言は遮るように言った。
 「それは苦し紛れに考えた“こじつけ”でしょう。あなたは、わたし達を助けるために、ご自分を犠牲にしようとしている。違いますか?」
 「あなたがそれを言うの?」
 「棚に上げているのは分かっています。でも言わせてください! あなたの犠牲の上にわたし達が幸福になろうなど、本当は間違っていたんだ!」
 本当に、真面目な男なんだから……。
 もっと上手く立ち回ればいいものを。利用できるものは利用しなければ、世の中渡っていけるものですか。
 まァ、それがこの人の良さなんでしょうけど。
 「その事に気付いてくれたのなら、もう何も問題はないわ」
 と、私は笑顔で答えた。「だから、私を大事にしてね、少納言殿。かの“源氏の物語”の源氏の君も、最愛の人にそっくりな少女・紫の君を妻として、存分に慈しんだと言う。だからあなたも、初めはお姉様の身代わりでいいから、いずれは私自身を好きになってね。そして、もう茉莉には手を出さないこと。いいわね?」
 少納言は、天を仰いで、深く息を吸った。そして……私に笑顔を向けてくれた。
 「わかりました、結婚しましょう。いいえ、結婚してください」
 少納言が右手を差し出した。
 その掌の上に、私は自分の右手を乗せた。
 男の人の手を握ったのは、この時が初めてだった。
 「幸せになりましょう、みんなで」
 「ええ、なりましょうね」
 少納言の綺麗な顔が近付いてきたので、私は静かに目を閉じた……。



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from: エリスさん

2008年04月04日 14時36分37秒

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「秘めし想いを……・32」
 だったら、どうしたらいいのか。この悲劇を止めるための、最良の方法は――。
 私はもう、この人が嫌いではない。むしろ同情している。
 この人となら、悲しみを分かち合って、そこからささやかな幸福を探し出すのも、いいかもしれない。
 そうでしょう? お姉様。
 だって、あなたが「二番目」に選んだ人なのだから。
 「少納言殿――いいえ、菅原利道(すがわら の としみち)様」
 私の呼び掛けに、彼は振り返った。
 「私の本名は、維子(すみこ)と申します。〈平和を維持する〉の〈維持〉の〈維〉の字を取って、維子と……」
 少納言は呆気に取られていた。その間の抜けた表情が面白かったのもあって、私は微笑んでみせた。
 「これを知ったからには、責任を取っていただきますよ」

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from: エリスさん

2008年04月04日 14時27分08秒

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「秘めし想いを……・31」
 「この場所は、紫苑のお気に入りだったのですよ。そこにあなたが居たものだから――わたしはまた、幻を見たのかと思いました」
 「そう……」
 私は少納言の正面に立った。
 「昨夜は、失礼を申し上げました」
 私がそう言うと、少納言は思ってもみない言葉だったのだろう、大層驚いていた。
 「なぜ、あなたがそんなことを?」
 「自分のことは棚に上げて、あなたに説教をしてしまいましたから。私の方こそ、実の姉と分かっているのに、お姉様のことを異性を想うように愛してしまいました。あなたのことを非難する資格はありません」
 「そんなことを言わないでください。すべて、わたしが悪いのですから」
 少納言はそう言うと、池の岸に寄って、水の中を見つめた。
 「茉莉は日に日に紫苑に似てきます。そのたびに、わたしの中の紫苑への想いが募っていく……いや、茉莉が悪いのではない。すべてはわたしの弱さからきたこと。でもわたしは……自分が抑えられなかった」
 「二年前からだそうですね。茉莉が自殺未遂をする少し前だったと、右近が言っていました」
 「……右近がいなかったら、本当にわたしは、姫を手込めにしていたでしょう。右近が助けに入ってくれて――それから姫は、塗籠で眠るようになりました。姫が、女房の七重にのめり込んでしまったのは、きっと父親であるわたしがそんなことをしたから、男に幻滅してしまったのでしょう。なにもかも、わたしの所為です」
 「茉莉が七重さんに恋をしたのは、あなたの所為ではないわ。あの子はお姉様に似すぎてしまったのよ。あなたも分かっているのでしょう? そうゆう宿命なんだわ」
 「忍の君……」
 「そして、私とあなたも似た者同士ね。禁忌を犯してまで、紫苑――藤原紘子という人間を愛してしまった。なんて気が合うのかしら」
 そう。立場が逆だったら、私だって同じことをしたかもしれないのだ。

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from: エリスさん

2008年03月28日 14時40分27秒

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「秘めし想いを……・30」
 可哀相な人――私は初めて、そう思った。悪いことだと分かっていても、妻恋しさに、妻に似た女人――娘を、身代わりにしようと、そこまで思い詰めてしまうなんて。
 その気持ち、私には痛いほど分かるから、もう、あの人を嫌いになれない……。
 「叔母様……」
 茉莉の声で、私は我に返った。
 茉莉は、傍まで来ていた。月明かりのもと、彼女の顔を良く見てみれば、本当に、過ちを犯してしまいたくなるほど、姉に似ている。この私でさえ……。
 それでも私が堪えていられるのは「私はこの子の叔母なのだ」と、ちゃんと自覚していられるから。
 少納言はその自覚をも失ってしまうほど、姉に溺れてしまったのだ。
 「可哀相な人……」
 「……叔母様……」
 私達は互いに抱き合って、しばらくそのまま泣き続けた。


          第 五 章

 翌朝。
 安心してぐっすりと眠っている茉莉に対して、私はあまり眠れなかった。
 茉莉を起こさないように、そうっと起き出した私は、風に当たりたかったので、庭の方へ下りていった。
 少し霧がかかっている。
 もう冬が近いのだろうか。塗籠の中では分からなかったが、大分寒くなっていた。
 でも、今はその寒さが心地よい。冷たい風が、興奮し過ぎて疲れてしまった頭を冷やしてくれる。
 私は、ゆっくりと歩いて、池の方まで行った。
 池の傍は、姉の定位置――子供のころの思い出が、一瞬で蘇る。
 姉が花飾りを作る――その花を、私が摘んでくる。
 あのころが一番幸福だった。姉がいなくなるなど、疑いもしなかった、あのころが。
 でも……もういない。
 姉がいないだけで、何人もの人間が悲しみに囚われている。
 決して姉が悪いわけではない。けれど――取り戻すことさえできたら。
 『お姉様、教えて。私は、どうしたらいいの?』
 私が思いを馳せている時だった。
 「……忍の君……ですか?」
 とても慎重に聞いてきたその声は、思った通り少納言だった。彼も夜着のまま、ここへ来てしまったのだ。

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from: エリスさん

2008年03月28日 14時22分43秒

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「秘めし想いを……・29」
 「私、もっと早く叔母様とお会いしたかったわ」
 「本当ね。そうしていれば、あなたをこんな辛い目に合わせることもなかったのに……さっ、もう静かにしましょう。私は帰ったことになっているのですから」
 右近が教えてくれたことが本当のことなのかどうか、この目で確かめるためにここにいるのだ。もちろん、何もないに越したことはないけれど……。
 私達は寝床に横になって、外の様子を伺っていた。
 このまま誰も来ないで――そう願った。これ以上の苦しみなど、茉莉に与えないで。この子は幸福にならなければいけないの。亡くなった姉の分まで――!
 それなのに、足音は微かに聞こえてきた。
 その音が聞こえた途端、茉莉は私にしがみついてきた。
 こんなこと、あってはならないのに、本当にそんなことを望んでいるの、あなたは!
 ……足音は、塗籠の前で止まった。
 誰かが、扉を開こうとしている。けれど、中から錠をしているのだから、開くはずがない。なのにその誰かは、懸命にそれを開こうとしていた。
 しばらくすると、扉をこじ開けるのを諦めたその人が、廊下に膝をついたのが分かった。
 「……姫……開けてくれ……」
 その声を聞いて、茉莉がますます強く私にしがみついてくる。
 もう疑いようがなかった。
 この声は、間違いなく、菅原の少納言だった――。
 「頼む、開けてくれ……姫、わたしを哀れと思うなら、ここを開けて、中へ入れてくれ……」
 「……いや……いや!」
 茉莉が耐え切れずに、叫ぶ。
 「お願いだ、姫。わたしは……紫苑に逢いたい……」
 私は、茉莉の手を離させた。そして、声を出さないようにと合図をして、扉の方へと歩いて行った。
 少納言はきっと、私の足音を茉莉のものと思っていることだろう。だから、扉の錠を外す音を聞き、彼は歓喜の声をあげたのだ。
 私が扉を開くと、月明かりの下、少納言はまるで平伏するようにそこにいた。
 そして彼の目にはきっと、私のことが、極楽から妻が舞い戻ってきたかのように見えたことだろう。彼は恐る恐る近寄ると、こう言ったのだ。
 「これは夢か……紫苑……紘子!」
 私に抱きつこうとしたその時、私は少納言の頬を叩いた。
 相当強く叩いてしまったのかもしれない。少納言はその場に倒れてしまった。そして驚いて見上げる彼に向かって、私は怒鳴った。
 「情けない! 目を覚まされなされ、少納言殿!」
 そこで彼はようやく、私が忍であることに気づいた。
 「忍の君……なぜここに……」
 「あなたは自分のしていることが分かっているのですか。いくら、紫苑姉様が恋しいからと言って、茉莉を犠牲にしていいはずがありません。茉莉はお姉様じゃないのよ! あなたの血を分けた娘ではありませんか!」
 少納言は体を震わせていた。
 「分かって……いるのです」
 「分かっているのなら、何故!!」
 「それでも!!」
 少納言は目に涙を溜めながら、私を見上げた。
 「わたしは……紫苑が恋しい……」
 「少納言殿……」
 なんて切ない声を出すの――怒れなくなってしまうじゃない……。
 「……行って、下さい。……今日はもう、遅いから」
 私がそう言うと、少納言は一礼をしてから、歩いて行った――。

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from: エリスさん

2008年03月28日 13時58分17秒

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「秘めし想いを……・28」
 「幸い、発見が早かったので大事には至らなかったのです。世間にも知られずに済みましたし」
 「そうだったの……」
 ――茉莉が男性を好きになれない、というのは分かったわ。でもそれで、父親まで怖がるというのは、ちょっとおかしい。
 そのことを改めて聞いてみると、右近は信じられないことを語りだした――!
 「紫苑様が亡くなられたのは、夜中です。それも、満月の美しい夜でした。だからなのでしょうか、満月の夜になると、少納言様は己を失ってしまわれて、紫苑様の幻を求めるように……」
 「いつからなの?」
 「二年ほど前からです。――忍様、今夜はその満月です。ですから、きっとまた……」
 「分かったわ」と私は言った。「それじゃ、この後のことを相談しましょうか」
 こんな事は、早く終わらせなければならない。そのためにも、私が行動するべきだと思った。


 姫が塗籠(ぬりごめ。当時でいう納戸)で寝ているということを、今日初めて知った。確かに塗籠は中から錠がかけられるし、外部からの侵入者を気にしないで安心して眠れる。でも、夏は暑そうね……。
 私はそこで、姫の左手首の傷を見せてもらった。ほの暗い部屋で見たそれは、紫色にくっきりと横たわって見えた。
 「深く切ったのね……」
 私は茉莉の手首を撫でながら、そう言った。
 「本当は、首筋を切ろうと思ったんです」
 と、茉莉は言った。「でも、恐くなってしまって……」
 「それで、手首にしたのね」
 「はい……」
 「恐くなって当然よ。あなたはその時まだ十一歳。子供だったんですもの。大人だって死ぬのは恐いのよ」
 「でも、私……」
 茉莉は泣いていた……。
 「自分でも分かっていたんです。自分は女なのだから、女人を好きになるのはおかしいことだって。でも、七重のことが大好きで、どうしても独り占めしたくて堪らなかった。だから七重が紀伊介(きのすけ。紀伊の国の二番目の受領)と結婚したと知った時は、紀伊介なんか死んでしまえばいいと思ったわ。そして七重も紀伊の国へ行くと聞いて、もう生きていたくないと思った。……分かっているの、こんなのおかしいって! 私は女なのだから、男性を好きにならなければいけないって。でも、七重を想う気持ちは、どうすることも……」
 茉莉がいつまでも自分を責め続けるのが堪らなくて、私は茉莉を抱きしめた。
 「おかしくはないのよ。人を好きになるってことは、それがどんな相手であっても、素敵なことなの。私なんて、お姉様に恋をしたのよ」
 「……お姉様って……」
 「そう、あなたのお母様。私は血のつながった姉を愛したの。それでも、そんな自分を私は恥じていないわ。だってそうでしょう? それだけ、お姉様は素晴らしい人だったのですもの」
 私は茉莉を離してあげると、彼女の目を見て言った。
 「あなたが七重という人を好きになったのは、それだけ七重さんが素敵な人だったから。そうでしょう? だから、好きになったことを恥じる必要などないのよ」
 茉莉はその言葉に頷いてくれた。

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