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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: 沙羅さん

    2009年10月05日 00時59分24秒

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    ラン ♪ ラン ♪  ラテン語  

    うぅぅ〜ん・・・・・やはり、ラテン語コーナーは必要に思えるのです。倫理は、ETHIQUEエティックとか、MORALモラルという言葉なのです。モラルMO

     
     うぅぅ〜ん・・・・・やはり、ラテン語コーナーは必要に思えるのです。

     倫理は、ETHIQUE エティック

       とか、 MORAL モラルという言葉なのです。
     
      モラル  MORALとは、 善を行うようにと人間を導くのを
      役割として教えている教えの体系というふうに一般的には定義するそうなんです。

     ETHIQUEエティック も、MORALモラル も

     本来等しい意味の言葉だったそうです。前者はギリシャ、後者はラテン語からそのまま派生した言葉だそうです。

     しかし、現在は、同じニュアンスの言葉としては、訳さないんですね。

     MORAL モラルは、取り分け、実践に関わるんですね。或る社会集団の内部で受け入れられて、倫理学者によって、設けられたりした、規定や禁止の全体を現す、具体的なものだそうです。


     倫理学はとりわけ理論に関わり、哲学の専門用語に属しています。
     モラルを構成している規定の全体の基礎となってる哲学的諸原理の体系以外のものは、ほとんど示さない、倫理学は、<行動に関する抽象的な考察だそうです。

     価値論[AXIOLOGIE]アクスィオロジー
     は、諸価値についての学問で人間に尊敬や応報を与える倫理的価値ばかりでなく、審美的価値、知的価値、経済的価値、あらゆる価値を対象とするので、価値論は高度の抽象の領域において
     用いられる述語であるそうです。

     さて、このフランス語で使われる MORAL モラルは、フランス語のMOEURSムールス、<習俗>を意味するラテン語の
     MORES から派生しているそうです。ですから、モラルは習俗学であるといわれてきました
     これは言葉の定義は名目上の定義であって、現実を反映した事物に即した定義ではないそうなんですね。

     ラテン語の MORES童謡フランス語の MOEURS ムールスは、時には、善悪の考慮を抜きにした習慣や風習を示す、、例えば
    礼儀の現し方、食事の時の作法など、、多くの場合は、道徳律、又性的関係に関わる道徳律の守られ方を示す事もあるそうです。

    習俗学は実際的なものであって、現実にあることを明らかにするんですね。習俗学が果たす役割は、ある社会的な集団の構成員が、人生や自分達個人的あるいは集団的習慣についてもっている理解についての一覧表を作成する事だそうです。

     この習俗学にアイロニー、芸能人や有名人のゴシップが売れたりするんですね〜・・・でも、モラルと言いましても習俗学なので、
    大衆、万人に共通なモラルは規範的なものであって、そのような人間を取り巻く実際の生活条件を知っていなければ、アイロニーもなんでゴシップとして取り扱われるか?分らなくなるんですね。
    面白く、有名人の私生活知りたい雑誌が売れるというのは、この万人
    に共通なモラルを、価値基準においているからなんです。

    そして、倫理学は、そのような、人間を取り巻く実際の生活条件を知ることのできる事柄を超えたところに倫理学者は、理想を垣間見るのだそうです。
    自分が観察するさまざまな種類の行動に対して価値判断を下すに際して規範として役立つのだそうです。

    さてこのモラルですが、

    モラルと科学は無関係ではなく、理性に基づいているんですね〜。
    他方、科学者はその研究遂行の差異、若干のモラルの規範に服従させられるそうです。ですから、モラルは、科学と同じ観点に立脚することではないそうです。

    「モラルはこうあるべきだ・・・」ということを命令し
    例えば
    {お前は嘘をついてはならない。」

    価値判断を定式化する
    『嘘をつくことは、恥ずべきことである」

    といったモラル事に対し
    科学は
    実際にあることを明らかにするんです。
    水は100度?が沸騰点である、現実判断のみを言い表すんですね。

    おそらく、多くの科学{例えば天文学}が、
    「こうである筈だ」Ce qui doit etre ス キ、ドワ エートル

    という事を明らかにしています。

    ここで、用いられるフランス語

     Ce qui doit etre の動詞、DEVOIR<doit>デゥヴオーは、その翻訳からも分るように、将来起こる出来事について寸分違わない確実な事[次回満月は、何月何日に起るはずだ}や、或る結果が必然的に生じることを示すのであって、
     決して、義務を示していないんですね。

    数学は必然的な関係があることを確認し<そうならない筈はない>
    のに対し、モラルの方は、しかじかの行為が義務的であることを断言するのですね<行為が義務的であるということは、その行為が現実のものとはならない場合もあり得る・・・・
    ことを予想させるんです。そして同時に
    義務を任せられた人びとが、その義務に背く場合があり得る・・という風にも柔軟に思考するんです。
    何故?
    義務が万人にゆきわたらないのか?と思考するのは、心理学の分野でしょう。
    ここでは省きますが
    以上の事からモラルの基盤、即ちモラルが下す価値判断やモラルが命ずる規定の究極的根拠を、科学の中に見出すことはできないということになるんです。何故なら、一人、一人魂をもつ、人間だ!という人間の心の接し方を問われているのだと思います。、一色タンに皆纏めて、一つの決まった規範カテゴリー内にはめ込むような、心の接し方を、人々は、胡散臭い考えとして、決して良いイメージを持たないと思います。
    一つのカテゴリーの中で、一色タンに、接したり取り扱う様な事は出来ないはずです。
    つまり
    実際にあることから、こう或あるベキだ!・・という事を結論することは、出来ない・・・とフルキエの行動[哲学講義]、では説いています。
    事実から権利もしくは義務へ、、という訳にはいかないのである、このような不可能性について、ポアンカレは下記のようにも述べています。



    三段論法の前提が二つとも、直接法で述べられておれば、結論も直説法で述べられるであろう。結論が命令法に置かれるためには、少なくとも前提の一つがやはり命令法で述べられていなければならないであろう。例えば、科学の諸原理、幾何学の公準は直接法で述べられるし、直説法でしか述べられない。
    実験に基ずく真理が述べられるのもやはり直説法でである。
    諸科学の根底には、それ以外のものはないし、あり得ないのである。
    従って、最も精密な倫理の使い手は、自由自在にこれらの原理を操ることができ、それらを相互に複雑に組み合わせたり、次から次へと上に積み重ねたりすることが出来るのである。そして、彼が、其処から引き出すものも、すべて直説法で述べられるであろう・・「これをせよ」、、、とか、「それをしてはならない」といった命題、即ち、モラルを確認したり、モラルに反撥したりする命題に彼が到達することは決してないであろう

            ポアンカレ、晩年思想、1913
                




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    from: 沙羅さん

    2010年08月03日 17時52分53秒

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    「Re:ラン♪ラン♪ラテン語」おはようございます。突然ですが、という漢字を書いた瞬間、突然という変換字<記号>にハット、、突然する、、!アレ???いえ

    from: 沙羅さん

    2010年07月28日 23時10分57秒

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    「Re:ラン♪ラン♪ラテン語」言語は、構造をなす重要なエレマントと言われるのは、思考する支配言語によって、思考の仕方の型がある程度固定化する、、、とい

  • from: めるろ〜001さん

    2009年10月26日 06時03分00秒

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    タカギさんようこそ。

    タカギさんようこそ。ここは、自由闊達な文章の中から、真理への道を探る部屋になります。管理人のHNの「めるろ〜」は、1995年から使い続けているHNで、

    タカギさんようこそ。

    ここは、自由闊達な文章の中から、真理への道を探る部屋になります。

    管理人のHNの「めるろ〜」は、1995年から使い続けている
    HNで、フランスの哲学者、モーリス・メルロー・ポンティから
    採っています。

    ここでは、少々漢字が違おうが、仮名が違おうが気にしないところです。
    問題は発言者の意味を知ることが大事だと思うからです。
    文字が大事なのではなく、文字の先が大事なのです。

    それが本質になるからですね。
    文字は入り口に過ぎません。

    堅いことも書きますが、結構自由に書いていただければ幸いです。

    管理人:めるろ〜001より

    PS:
    「001」は、マイクロソフトジャパンが勝手につけた数字です。
    「一番最初のめるろ〜」という意味になるでしょう。
    偽者がいたということでしょうね。

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    from: 沙羅さん

    2010年04月07日 18時20分11秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re::タカギさんようこそ。3」タカギさんまず、お話しますね。今、日本語でわたくしと、会話をし

    from: タカギさん

    2010年04月07日 12時33分51秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re::タカギさんようこそ。3」>沙羅さん私の考え方が結果に帰属していて、楽チンな生き方をしていると

  • from: めるろ〜001さん

    2009年10月31日 12時08分19秒

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    人間哲学

    仮に「人間哲学」というものを考えてみたい。人間は「ただ生きているのか」「生かされているのか」「生きてしまったのか」「生きなければならないのか」「生きう

    仮に「人間哲学」というものを考えてみたい。

    人間は「ただ生きているのか」
    「生かされているのか」
    「生きてしまったのか」
    「生きなければならないのか」
    「生きうるものなのか」

    「ただ死ぬるモノなのか」

    「ただ死ぬるモノである」ということは、
    動かないか動けないかのどちらかであり、
    見かけ上の植物の動きに似ている。
    人間としての行動をとっていると言い難いですね。
    これは「ただ生きている」と同義語です。

    この地球にご両親がいて、生まれたので「生かされている」のか、
    これもあまりに自分の行動が意志を持たないで動いている
    特殊な例である。

    「生きてしまったのか」人間が過去を振り返るだけで行動が成立する場合がありますが、どれだけ過去を見ていても、時間はその過去のみに生きることを許さない。

    「生きなければならない」そういう使命感を持って生きることは
    自己の行動の中で他者の意志も含みながら、自己の行動を決めていく、見習うべき人間である。

    「生きうるものなのか」自分で自己の行動を決め、他者との共存の中で生きることが可能である。

    人間は、時間というものが人間の意志とは関係なく、
    そこに存在する限り、時間の経過は避けられない。
    そして、人間が物体である限り空間を所持し、
    他の存在とともに関わりあっている。(好むと好まざるに関わらず)この二つの事項は、生まれた瞬間に必ず備わっている。

    人間が地球に存在するということは、自然にとって、
    罪悪でもあり好ましいことでもある。
    人間がいないと地球は、自然が繁栄するからといって、
    その繁栄が地球にとって良い結果を齎すとは限らない。
    悪い結果も同じくそれのみを齎さない。

    良い悪いという判断は人間がするものであり、地球がするものでも
    自然がするものでもない。
    人間がいようがいまいが生物の栄枯盛衰は起こり流転する。
    人間がいるから生物の流転がおかしくなっているのではなく、
    そもそも流転し続けているのです。

    しかし、人間の中には、そこにあるべきでないゴミやコンクリートを存在させ、自然の一部を占領しようとしている。
    いや、占領している。
    そうなると、一方的に自然を破壊しているという論理は
    一見正しいように思える。

    アフリカのサバンナでライオンが絶滅しそうになっている。
    これは、すべて人間の仕業でしょうか?
    人間の仕業である時もありますが、自然の変化がそうさせている場合もある。

    「地球温暖化は、人間の仕業だ。」ということはある程度いえますが、それですべてでしょうか?
    地球というのは<全球凍結>したり温暖化したりを繰り返し、
    生物を絶滅させたり、生物がそこに耐える生き方をしたりして、
    変化を遂げている。
    同様に、人間も生物なので絶滅される側ですが、そこに耐えたり、
    自然自体のトータリティコントロールの中にいたりする。
    決して破壊ばかりをしているわけではない。

    人間はそこに生き方の選択をしているのです。
    それが個々人の生き方であり、自然という大きな対象に関わりあっているということである。

    例えば、猫は、山猫であったものが、人間と寄り添うことで生き延びるという選択をした者である。
    人間のつくる栄養を糧に生きているものもいる。
    山は、何かを生かすために人間が整備伐採をする。
    木を切るから自然に反しているのではなく、木を切ることによって
    山の変化を助けることだってある。

    それは取りも直さず、人間の選択であり、人間の意志を自然との対話の中で生かしているのである。

    オニヒトデが珊瑚を食べる。人間はそのオニヒトデを駆除する。
    オニヒトデには迷惑でしょうが、動けない珊瑚にとっては朗報である。また、珊瑚の移植もする。

    深層海流がどうして起こり、地球にどういう影響を与えるか解明する。そういう中で、それを守ろうとする。

    人間個人の行動の中でも、同様に、その行動は、自然にとって
    活性化するものか破壊するものか二通りある。
    要は、あなたはどういう選択をするか、
    どういう意志を持つかということになる。
    このことを離れて、人間の行動の意味はないですし、
    それがどういう意味を持つか明確にはならない。

    人間が生きている限りエネルギーを消費しますが、そのエネルギーを逆に注入することも出来る。
    人間とはそういう存在ではないか。

    一概に「人間は自然を破壊する者である」という意見には、
    疑問を呈する。

    また、人間は知らない人間と関わりあうことによって、
    違う角度からの観点を知ることとなり、個人の知恵が限定的であったと確認することが出来る。
    論理が正しいからすべて同じ論理が適用されるとは限らないのです。

    人間は、少なくともどちらかを選択することによって、
    自然を破壊し、人間自らを生きにくくするか、そういう場合と
    自然に働きかけ人間のみならず自然を守っていくことが出来る場合と選択することが出来るのである。

    砂漠を緑化する。農地化する。水を通す。
    いろんな形で自然を生かすことが出来る。

    大事なのは、その個人の選択ではないか。

    そう思う。


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    from: 沙羅さん

    2009年11月12日 23時10分53秒

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    「Re:人間哲学」問題は、次元の真理が精神によって、受け入れられる為には、真理が明晰で、なおかつ客観的に有効な証拠を伴なって提示されるだけでは十分とは

    from: 沙羅さん

    2009年11月02日 16時31分40秒

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    「Re:Re:人間哲学」>>>人たる本性の尊厳に生き、死して後,汝が人なりしを疑はしむる勿れ>汝は人と獣とより成れば、自ら人と称せんには、人として日々

  • from: 沙羅さん

    2009年10月09日 20時04分02秒

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     X へ の メッセージ

    Toutsonetreetaitcommeunviolonilreagissaitauxmoindreschangementsdesonmilieun

     
      Tout son etre etait comme un violon
    il reagissait aux moindres changements de son milieu
    non pas de maniere fugitive et ponctuelle
    mais uniquement en restant fidele a lui-meme a sa propre
    representation du monde et de l'humanite Dina Gould


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    from: 沙羅さん

    2009年11月02日 21時33分32秒

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    「Re:Xへのメッセージ」何かしら?もう、十数年以上前の事じゃないかしら?家族でバカンスを、ARC川のほとりで過ごそうという時に、あるバイオリンの関係

  • from: めるろ〜001さん

    2009年10月18日 13時08分00秒

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    滝について

    先日、京都府宇治市の平等院鳳凰堂にある扉絵の「日想観図」の一部を復元した中に、女性は不浄で成仏しないと思われた時代に女性の絵が書かれていて、山に滝の図

    先日、京都府宇治市の平等院鳳凰堂にある扉絵の
    「日想観図」の一部を復元した中に、
    女性は不浄で成仏しないと思われた時代に女性の絵が書かれていて、山に滝の図柄がある。

    赤紫の沈み行く太陽を拝む女性の姿が描かれています。
    「復元!国宝『日想観』紫茜の海へ」と題された展示会
    この絵の歴史的経過は書いてありませんでしたが、
    行って見たいところです。

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    from: 沙羅さん

    2009年10月28日 23時40分14秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:滝について」MSG625の続きなんだか、江ノ島弁才天と五頭龍の縁起説に、一人で受けているのですが〜・・・・

    from: 沙羅さん

    2009年10月27日 06時09分05秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:Re:滝について」はぁ〜い・・・・みなさん・・・江ノ島弁才天と龍(五頭龍)についての縁起ものがたり〜・・・・この漫画・

  • from: めるろ〜001さん

    2009年10月06日 12時53分01秒

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    補陀落山(ふだらくさん)

    観音菩薩が住するという山で、玄奘三蔵が『大唐西域記』でその山を特定しようとした山である。観音菩薩は、慈悲救済をもって衆生を済度する菩薩である。対峙する

    観音菩薩が住するという山で、
    玄奘三蔵が『大唐西域記』でその山を特定しようとした山である。

    観音菩薩は、慈悲救済をもって衆生を済度する菩薩である。
    対峙するのは、勢至菩薩であり、智慧をもって衆生を済度する菩薩である。

    観音菩薩、観世音菩薩と呼ばれるが、玄奘三蔵の訳した『般若心経』には、観自在菩薩と訳されている。
    鳩摩羅什以前には、光世音菩薩(注)と訳された。
    (これには、前部のサンスクリットの綴りが違うという説があり要注意)

    日本では、補陀落山は、和歌山県の那智山を当てる。

    中国では、東晋頃(317-420)より観世音菩薩を念ずる者が増え、
    後秦(384-417)に鳩摩羅什が『法華経』を訳して以来広く流布した。

    『観音経』が『法華経』の「観世音菩薩普門品」であることは知られていますね。

    『大日経』には、蓮華院の主尊として坐しており、
    欠かすことの出来ない菩薩である。

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    from: 沙羅さん

    2009年10月07日 21時24分22秒

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    「Re:Re:補陀落山(ふだらくさん)」めるろ〜さぁ〜んそうそう、これも貼り付けときますね?3ヶ月前に、清水寺に行った時に購入した、お札というか〜・・

    from: 沙羅さん

    2009年10月07日 19時25分59秒

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    「Re:補陀落山(ふだらくさん)」いえね〜〜めるろ〜さ〜ん?苦労しました〜・・・・・・お話しました、、補陀落山の曼荼羅・・・どこか?絵を載せてないかし

  • from: めるろ〜001さん

    2009年10月01日 13時18分20秒

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    ベトナムにおいて

    ベトナム政府が関与していると思われる仏教寺院の破壊と修行僧や僧尼に対する暴力があった模様です。ベトナム共産党政府は、情報の隠蔽をしているのではないかと

    ベトナム政府が関与していると思われる
    仏教寺院の破壊と修行僧や僧尼に対する暴力があった模様です。

    ベトナム共産党政府は、情報の隠蔽をしているのではないかと思われます。
    重大な人権侵害であり、それがもしベトナム政府の意志によって行われたとすると、チベット民族迫害以来の政府による人権侵害になります。
    (世界には、人権が意図的に侵害されている事態は他にもありますが)

    イスラム教のように、戦闘の武器を持った一派が居る訳でもなく、
    修行をするのみの仏教寺院での破壊と虐待は、
    大変問題である。

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    from: 沙羅さん

    2009年10月01日 17時35分18秒

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    「Re:ベトナムにおいて」めるろ〜さんベトナム政府が関与していると思われる>仏教寺院の破壊と修行僧や僧尼に対する暴力があった模様です。>ほんとうに、世