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from: アナンさん
2011/10/31 19:00:57
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参照願います
約二千五百年前にインドにお生まれになったお釈迦様が、悟りをひらかれ、その教えが現在まで伝えられてきたのが仏教です。お釈迦様は八十一歳でお亡くなり(入滅
約二千五百年前にインドにお生まれになったお釈迦様が、悟りをひらかれ、その教えが現在まで伝えられてきたのが仏教です。 お釈迦様は八十一歳でお亡くなり(入滅)になるまで、色々な所で大勢の人々に教えを説かれました。 その教えを受けて、お弟子が次々に伝え、それがまとめられたのがお経です。 一口に八万四千のお経があるといわれていますが、これは直接お釈迦様の口から説かれたもの(小乗経典)ばかりでなく、お釈迦様の教えに従って、その教えをより深く説き明かしていってつくられたお経や、その注釈書など(大乗経典)がたくさん含まれています。 ですから、お釈迦様直接のご説法を伝えたものではありませんが、お釈迦様のお心を誤りなく伝えているということから、お釈迦様のご説法と同じように受け継がれてきているのです。 お経の始めは「如是我聞ーこのように私は聞きました」という言葉で始まっているのはこのためです。
お釈迦様が入滅されてから、しばらくしてお釈迦様の教えを文字通り忠実に守ろうとした人々と、説かれた教えの心を生かしていこうとする人々に分かれていきました。 前の人々のことを部派仏教あるいは小乗仏教とよび、お釈迦様の教えの心を中心にしていこうとする人々の仏教を大乗仏教とよんでいます。
大乗・小乗の乗というのは、「乗り物」という意味です。 私達の迷っているこの岸から、悟りの彼岸に渡してくれる教えを、大きな乗り物に例えて「乗」というのですが、大乗は大きな乗り物・優れた乗り物、小乗は小さな・劣った乗り物という意味になります。 大乗に対して小乗というのは、大乗の人が小乗のことを軽蔑して言っているので、現在では、小乗という言葉を使わずに、部派仏教あるいは長老派仏教・南方仏教などとよんでいます。 大乗というゆえんは、人々はみな迷っている存在ではあるが、しかし、必ず仏になる種子を持っており、そして自分よりもまず他人の幸せを願って、共に仏様の教えに従っていこうとする菩薩の道を説くところから、「大きな・深い・より優れた教え」と名づけられたのです。 これに対して、小乗では、仏様はお釈迦様だけで、他の者は声聞とか、阿羅漢という位にしかなれないとする考え方です。
小乗仏教では、綺麗に咲いている花を見て美しいと思うのは迷いであると説くのに対して、大乗仏教は美しい花を見て美しいと感じるのは迷いではない。 しかし、その美しさに心をうばわれ、とらわれてはいけないと説くのです。 このように、小乗仏教は、人間の欲望などは迷いのもととして厳しく自分を律していくのに対して、大乗仏教は、物事にとらわれない、おおらかな心と、まず他人のことを考えようという、目を外に向けての立場をとります。 現在では、セイロン・ビルマ・タイなど東南アジアの仏教国はだいたいこの小乗仏教系で、中国・日本などは、大乗仏教の教えを奉じています。 大乗と威張っていても、自分を律することを忘れた行のない仏教では困りますし、個人が精進努力している東南アジアの人々を小乗といって蔑視するのもよくないことです。
ご参考までに・・・。-
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from: アナンさん
2011/11/02 20:13:56
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「Re:Re:Re:Re::Re:参照願います」>>空という立場に立つならば、あらゆるものは実体を伴わないことになる。それは、物質的な現象や出来事だけ
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from: アナンさん
2011/10/31 21:38:56
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大乗仏教=ヒンディー教?は、男女差別宗教?
大乗仏教の経典大乗仏教徒は多くの経典を作った。経典であるので、当然、その内容は釈尊の説法集である。如是我聞であれば、釈尊の説法をじかに聞いたことの記録
大乗仏教の経典
大乗仏教徒は多くの経典を作った。経典であるので、当然、その内容は釈尊の説法集である。如是我聞であれば、釈尊の説法をじかに聞いたことの記録でなければならない。しかし実際には、釈尊はすでに数百年前に亡くなっているのであるから、大乗仏教徒がじかに説法を聞いているわけがない。それをいかにも説法を聞いたかのように、あるいは仄聞(そくぶん)したかのように記述したのである。
そこに出てくる釈尊は、肉体を持った釈尊ではなくて、真理、あるいは教えの集まりとしての身体をもった幻影の釈尊である。姿をもたない釈尊が経典の主人公となっている。
このような大乗仏教の経典は釈尊の説法を記録したものではなく、瞑想の中で聞き取った釈尊の説法を記録したものだと考えていいだろう。従って本当のところ、大乗仏教の経典の内容は、作者の言葉で思想を述べたもので、現実の釈尊の言葉を伝えたものではない。
総じて、大乗仏教の経典は偽経、つまり創作の経典である。これら大乗仏教の経典には釈尊に託して作者の意見が、考えがふんだんに語られていて、実際に先の経蔵にないような思想を、いかにも釈尊が述べていたかのように記述している例は数え挙げればきりがない。たとえば、変成男子説は明らかに大乗仏教特有の思想であるが、経典の作者たちは皆こぞって釈尊の説法にもとつ゛く思想だと記述しているのはその典型である。-
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from: 延命五行さん
2011/10/31 11:03:45
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木を見て森を見ない
有象無象の想念などを記述するためにスレッドを立ち上げました。部分ばかり見て全体を見ない、ということを意味したい時に、「木を見て森を見ず」は使われます。
有象無象の想念などを記述するためにスレッドを立ち上げました。部分ばかり見て全体を見ない、ということを意味したい時に、「木を見て森を見ず」は使われます。全体と部分はどのような関係にあるのか?ということを私的に探るために、ツラツラ書いてみることにします。もちろんはいつでも乱入OK。スレッドと関係ないではないか?などといった野暮なことも言うことはありません。この宇宙に、「関係ない」ということが存在するのか?という別の問いが潜んでいるのである、というメッセージを作ることがこのスレッドの目的です。
例えばあの人は悪い所ばっかりで、いい所は一つもない、というようなことをいう人がいるとします。そんな人が本当にいるかどうかを探る前に、ちょっと考えてみるのです。
一人の人間は全体として、いい所も悪い所もある。だけれどもその人の悪い所しか見えないのは、見る人に力がないからだ、とはよく言われることです。こういう場合に、よい所も悪い所もそれぞれが部分であって全体ではないということができるでしょう。
人が他人のよい所を見出そうと努力するためには、まず自分自身のよい所を見出そうとしなくてはいけません。しかしその命題は本当でしょうか?「人の振り見てわが振り直せ」とも言われます。
他人の悪い所はよく見えますが、自分自身のはどうかという諺です。人間は神様ではないので、欠点のない人間など存在しない、という観念を抱くことは人間を謙虚にします。
熱い思いから他人を批判する時は、結局、共に真実を見出そうという努力をしているということが言えます。自分自身の問題として、他者と協働しようという意志があるときに、成長への意志があるといってよいでしょう。
話を戻すと、他人の悪い所しか見えない人は、自分の悪い所に固執しているのである、ということになるのではないでしょうか?-
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from: アナンさん
2011/10/31 20:25:37
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大乗仏教=ヒンディー教?は、男女差別宗教?
★人口の男女比不均衡で結婚事情に変化インド[ムンバイ3日ロイター]古くから大胆不敵な戦士たちの土地とされてきたインドのラジャスタン州。しかし、そのラジ
★人口の男女比不均衡で結婚事情に変化 インド
[ムンバイ 3日 ロイター] 古くから大胆不敵な戦士たちの土地とされてきた
インドのラジャスタン州。しかし、そのラジャスタン男性たちも、くるりと
カールした口髭と宝石の装飾が施された短剣だけでは、結婚相手を見つけることは
難しい時代になっているようだ。
しかし、もし彼に幸運にも姉か妹がいたら、安心していい。
ラジャスタン州では男性に対する女性の人口比が落ちている。
そのため、女の子の親たちは、相手の家族に自分の息子と結婚できる娘がいない場合、
娘への求婚願いを断るよう促されている。
「ラジャスタン州のシェカワティ部では、昨年の結婚のおよそ30%はこの
交換システムによるものです」と、地方議員ラジェンドラ・ショーハン氏は言う。
前回の国勢調査によれば、ラジャスタン州の大部分で、若年層の男女比は
少年1000人につき少女922人にまで落ち込んでいる。それが500未満に急に下がった
村もひとつふたつあるそうだ。
この共同結婚条約は、「アータ・サータ」もしくは「ダブル・カップル計画」と
呼ばれている。こうした状況で、伝統的に女子より男子のほうが喜ばれていた
インドにおいて、若い女性の需要が上がっているようだ。
インドのいくつかの地域で、人口の男女バランスの歪みが著しくなっている。
妊娠中の親たちが息子を望み、違法の超音波技術検査によってそれを
実現させてきた結果だ。
最近行われたインドとカナダの共同研究によれば、インドで、性別が女だと判明して
堕胎されている胎児の数は、一年あたり50万人にのぼる可能性があるそうだ。
報道によれば、女子の不在が村の力学を変えつつあるということだ。(以下略)-
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from: アナンさん
2011/10/31 07:37:10
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訂正
ベルバセブ999さん、宜しくおねがいします。↓ベルゼバブ999さん、宜しくおねがいします。すみません、間違いました。訂正し、お詫びします。
ベルバセブ999さん、宜しくおねがいします。
↓
ベルゼバブ999さん、宜しくおねがいします。
すみません、間違いました。訂正し、お詫びします。-
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from: 鈴木 香さん
2011/10/31 09:23:43
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from: yeshangさん
2011/10/20 00:29:42
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年寄りの冷や水(雑談です)
2年ほど前に右足腰の激痛に襲われ、歩けなくなって病院で診てもらったところ、膝のほうは軟骨がすり減っているとのこと、杖をついて半年余り過ごしました。その
2年ほど前に右足腰の激痛に襲われ、歩けなくなって病院で診てもらったところ、膝のほうは軟骨がすり減っているとのこと、杖をついて半年余り過ごしました。
その後痛みが和らぎ杖なしで歩けるようになりましたが、足の筋肉の回復は遅々としていて、マンションや駅の階段を登り切るとストッパーの利かない机の脚のように右足の踏ん張りが全くできません。
年寄りが風邪で寝込むと起き上がれなくなり、歩くことができなくなって寝たきりになりやすいと言われますが、若い人と違って筋肉の回復力が落ちるからでしょう。2年経ってようやくすこしはましになりました。
半年ほど前、ベッドの上で腕立て伏せ/腹筋をやろうとすると1度もできないのです。若いころは準備運動でそれぞれ30回を軽くやっていたのでショックでした。
しかし、何もやらないご隠居生活をやっていると若いころの空手道が無性にやってみたくなり、この9月から近くの空手道場に通っています。
不思議なもので道着に着替えると腕立て(こぶしでやるので拳立てと言っていますが)/腹筋がなんとか10回ほどできるのです。
最初の何日かはならし運転で練習に参加していましたが、一月ほどで自分なりにフル運転しています。
「年寄りの冷や水」と言われそうですが、いまどきの年寄りは元気なものです。しかし、昔だと届いていた距離での突き・蹴りが全然決まらないのです。やはり足腰のばねが弱くなってるからです。(回復には半年・一年かかるか、もしくは回復不能か?)
そこで、若い人のような力とスピードで勝負するのではなく、心(気)と技を極めようと研究しています。
見ていてスピードは感じられないのに技が決まっている、突き蹴りの力は感じられないのに内臓や骨に届いている、表面でなく内部で爆発するような打撃・体を突き抜ける打撃になるなどです。
いずれにしても「年寄りの冷や水」とならないような練習を積もうとしています。-
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from: 延命五行さん
2011/10/29 00:37:33
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「Re:年寄りの冷や水(雑談です)」yeshangさんはじめまして。私はここ2ヵ月近く、一週間に一度ですがカイロプラクティックに通っています。それは何
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from: アナンさん
2011/10/25 19:40:45
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無門関
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E9%96%80%E9%96%A2残念ながら、無門関は釈尊の教えではあり
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E9%96%80%E9%96%A2
残念ながら、無門関は釈尊の教えではありませんね。-
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from: 延命五行さん
2011/10/29 00:10:47
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「Re:無門関」>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E9%96%80%E9%96%A2>>残念ながら、無門
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from: アナンさん
2011/10/18 23:58:35
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from: yeshangさん
2011/10/18 22:05:59
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時間の過ぎ方について
以前どこかで書きましたが、子どものときと年とってからでは時間の過ぎ方が違います。子どもの頃、若いころは10分、半時間の暇は死ぬほど退屈であり、数秒、1
以前どこかで書きましたが、子どものときと年とってからでは時間の過ぎ方が違います。
子どもの頃、若いころは10分、半時間の暇は死ぬほど退屈であり、数秒、1分の単位で1日が動いていました。それがだんだんと10分単位になり、半時間単位になり、年を取ると午前・午後・夕方・夜と寝る時間単位の生活になります。
いろいろ言われていますが、一つの原因として、脳の処理速度が原因しているのではと思っています。
コンピュータ・電算機にたとえると、若いころはCPUの処理速度が速く、さまざまなジョブを高速で処理するのでCPUの遊びの時間も多くなりますが、年とるとCPUの処理速度が遅くなって遊びの時間が少なくなります。そのため、年をとるとなにごともあわただしく時間が過ぎていくものと思います。
ただ、若いころは経験不足からデータベースの中身が充実してなく、年をとるとデータベースの中身がそれなりにしっかりしたものになっていますから判断や処理の結果や処理の速度に違いが出てくるものと考えています。
若い人は経験や知識があれば結果や答はすぐに出せるが、経験・知識のないものはひっくり返っても答えは出ない、反対に年寄りは処理は遅いが経験やこれまでの知識から大概のものには答えを出します(もしくは経験・知識のないものはさっさと答をあきらめる)。
以前に全社で情報処理試験のシステムアドミニストレータを受けましたが、確か100問を90分程度で回答する必要がありました。一問1分以内で解いていかなければなりません。このような試験は高齢者には大変だろうなあと思いました。実際課長職以上では結構大変だったようですが若い人にはそれ程苦にならなかったのではと思います。
若い人には処理速度(CPUの速さ)では負けるかもしれないが、データベース(知識や経験)の充実度では負けません。また、データベースを更に充実させる努力は続けられますから、若い人との違いを出していくべきでしょう。
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from: アナンさん
2011/11/02 20:38:34
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「:Re:参照願います」>>>スリランカにはスマナサーラという仏者がいて、フランスにはベトナムから亡命したティクという仏者がいる。色々居るのであるが、