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「哲学〜真理〜探求について」

「哲学〜真理〜探求について」>掲示板

公開 メンバー数:13人

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  • from: 沙羅さん

    2010年11月06日 05時39分30秒

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    四国、室戸岬の不思議な場所

    室戸岬を歩いてて思うのです。この場所全体が、まるで三次元世界から、超越しているのではないかしら?・・・関東に住む私にはなかなか刺激な場所に思える。ヨー


     室戸岬を歩いてて思うのです。この場所全体が、まるで三次元世界から、超越しているのではないかしら?・・・

     関東に住む私には なかなか刺激な場所に思える。

     ヨーロッパの田舎も綺麗ですが、このような、生生しさが感じられない。
    ヨーロッパは、調和を大事にする。
    その自然との調和の良さは、非常に品が良く、人々の手入れが行き届いている・・・・という感じを受けるのがヨーロッパなのです。
    それはそれで、視覚を楽しませるのですけど・・・。

    室戸岬一角がなんだか、
    人間界から、かけ離れているような感じを受けるのだけど、私だけなのかしら・・・???


      道路を走っていても、「オヤ?何?此処」と思わされる場所が大変多い。

    この木も非常に変わってません?アンコールワットみたいですけど・・・・・・室戸岬です

    とても変わった様相と感じさせる箇所が、車が走る県道のすぐ横にあったりするのです。

     これだけ見ると、「沙羅さん、室戸岬の原森林生い茂る、ジャングルにでも入ったのですか?」

     質問がきそうですが、この木は、空海の御蔵人洞窟と海岸の間を車が走る、アスファルトの道路を、5,6分歩くとすぐあるのです。

    写真では分かり辛いかもしれませんが、この木は、海岸の脇にあるのですよね。
    このような、箇所を訪ねていると、この箇所だけ、猫が異常に繁殖する場所だと言われても、変に納得したりする。

    家畜動物と野生動物の違いは、繁殖力の違いによると思うのです。
    人間に頼る動物と、人間の存在がなくても生きてゆく野性動物との違い。
    室戸岬の猫は、野生化し、人間の存在を必要とせず自力で繁殖し、なおかつこの地の神聖な場所の守り神でものり移っているんじゃないか?と思わせる。

    あちこちに、繁殖し続けている猫の数は、ドッキリする。

    無人の、沢山ある地蔵仏の入り口に7,8匹寝て居たりする。猫に守られてる墓地なのかしら?
    よく見ると、沢蟹が地蔵仏のあちこちを這ってる。
    オレンジ色なので、見つけやすい。その沢蟹が沢山這ってる墓地にも、このような木の根っこが異様に山肌に絡みつき、お地蔵さんは、猫達に見守られているという現われなのです。

    時々、アスファルトの県道を、白い生りしたお遍路さんが、歩いてゆく。

     



     
     

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    from: 沙羅さん

    2010年11月16日 00時24分28秒

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    「Re:四国、室戸岬の不思議な場所」室戸岬に近くなると、平屋民家が多くなり、土地柄というのだろうか?その土地に働く人々は、ますます室戸岬の土壌の気質を

    from: 沙羅さん

    2010年11月13日 07時57分38秒

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    「Re:Re:四国、室戸岬の不思議な場所」このパリの不思議のメダイユをAさんに3つ差し上げた時、パリに聖母マリアが出現して、このようなメダイユを造りな

  • from: めるろ〜001さん

    2010年11月12日 11時14分49秒

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    沙羅ちゃん、今書こうと思ったのに

    #哲学として存在し続けるのは、科学の分野から逸脱してはいけないとおもうのですよね。いくら、輪廻転生がどうのこうの言われても、個人的な心情を証明するのは

    # 哲学として存在し続けるのは、科学の分野から逸脱してはいけないとおもうのですよね。

     いくら、輪廻転生がどうのこうの言われても、個人的な心情を証明するのは、せいぜい、他の霊能者が同一見解をだした時くらいでしかないので、科学的な証拠というか、そんなのが最初から心霊世界に求めようとするのがおかしな話なんですが〜・・・・・そのおかしな話を真剣に、手段として、認めるであったり認めないであったり・・・と議論をする世界があるそうなんですね。
    でも、体験する人は、そのような世界の科学的な証拠に価値観を置くという見方しか出来ない人とは最初から接しないで自己探求に時間をそそぐか、他者の救済をするという事らしいんです。
    一般大衆がそのような人達の存在を求めだすという普遍性の動きにいちばん察知できる位置にいるからだと思うのですね。

    其の両方とも出来ない方は自己探求と思っていても何故か対峙世界の他者と問答ばかり生じて居る世界に身を投げ、結局他者批判の形で現れ、他者救済は、しないという現れ方になる方は何故か唯物論者が多いようなんですが、違いますか?#


    沙羅ちゃん、日本の国粋論者にもそういう人がいますよ。
    推測推測で論理を固め、我田引水をする田母神俊雄とか言う人です。
    この現象は唯物論とか唯神論とかいう分類ではなく、
    個人の成長という形の方が説明しやすいと思うのです。

    確からしさの程度は、信仰では自己が「これは確かだ。」と
    認めてている状態ですね。
    思想は、周りの多くの人が同じ考えであり、同意が確認されるもので確からしさが、信仰より度合いが大きくなります。
    哲学は、時代が経っても、その哲学の持っている方法論を
    基にすれば、同じ答えに到達するというものです。
    哲学はそういう意味で時間を越えて普遍性を持っている
    ということです。

    確かに哲学という呼称を用いても、方法論を持たないものもあり
    そういうものは、思想と呼ぶ必要があるでしょう。

    沙羅ちゃんは、科学に焦点を絞られましたが、
    科学とて、宇宙のダークマターがどのような働きをするかによって
    大逆転する可能性もあるのです。
    しかし、地球にいれば、地球の重力により、
    アインシュタインのエネルギーの法則など一定の条件では
    動かせない法則は、科学といっていいでしょう。


    仏教では、自己が世界を観てそれを苦だと思い、
    その苦を詳細に知り、認めることをする段階としての声聞乗と
    観ている世界の時間的変化、過去から未来への変化を観じて
    その世界の理を看破する縁覚乗、
    他者救済という自己と違う考え、違う人に対して大きな視点から
    思考していく菩薩乗という思想があります。
    三乗といいますが、日本は仏教国だといいながら、
    多くの人は、三乗は声聞乗と縁覚乗と菩薩乗とであるとしか
    理解していないのではないでしょうか?

    日本人は、仏教を理解している人は少ないと見ます。
    日本人でありながら、仏教や神道を教育として含まれていないのは
    カルト宗教を生む土壌だと思います。

    カルト大作さんの『法華経』の翻訳をよんで観たら、
    一部訳していないんですね。
    実はそこが何とか学会のアキレス腱なのです。
    訳さなかったし、信者にそこを読まさない工夫もしています。
    『法華経』の二編を読みなさいとそれで十分だと。
    まあ、余談ですが、僕の場合は、その何とか学会が勧誘に来たら
    「『法華経』を読んだことがありますか?」と聞くといいましたが
    実際に底辺の信者さんだけでなく、上部の信者さんも『法華経』の
    一部しか教えていないのです。
    そういう姑息さにおいて、カルト大作さんは頭が良いといえますね。
    これを読んで、日蓮正宗などの正統派の『法華経』を
    信奉する宗派が、気付けばいいのですがね。
    (僕は『法華経』を四種類の訳を読みました。
    お勧めの『法華経』訳は三枝訳です)


    仏教は、バラモン教などの輪廻転生を克服する考えで
    出発していますので、
    「輪廻転生」は、声聞乗の段階の説法の中での
    ことですね。

    仏教が何を目指しているのかを説明する時に、
    適している例だと思います。
    仏教は<普遍の精神>を目指しているのですね。
    <不変の精神>とも書きますが、この”不”という語が
    際立ったのが、龍樹の八不の論ですね。

    ”不”は否定ではなく、不変の不だったのです。

    対決の論理は幼いというのが仏教の立場ですね。

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    from: 沙羅さん

    2010年11月13日 04時54分15秒

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    「Re:Re:沙羅ちゃん、今書こうと思ったのに」数学の美しさは、とりわけそれが必然的であることによってみごとである。が、数の世界においては、何も変わら

    from: 沙羅さん

    2010年11月12日 19時38分05秒

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    「Re:沙羅ちゃん、今書こうと思ったのに」昨日、フランスのテレビで主要チャンネル(2,3)、21時から2時間の番組のアンヴォアイエ、スペシャルというカ

  • from: 沙羅さん

    2010年11月06日 19時22分40秒

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    古代の聖地と空海

    地球ひとりある紀MSG751からの続き。空海と最澄の、受け止め方は、「役行者と修験道」宗教はどこにはじまったのか。久保田展弘の本に載っていたの抜粋して


     地球ひとりある紀 MSG751からの続き。

     空海と最澄の、受け止め方は、
    「役行者 と 修験道」宗教はどこにはじまったのか。久保田展弘
     の本に載っていたの抜粋してみます。

     弘法大師の名で親しまれ、全国各地に伝説をのこしているだけに、空海の実像にはつかみ難いところがある。
     ここが同時代に生きた最澄との大きなちがいであろう。

     最澄はどこから見ても求道者であり、求道者であるがゆえの厳しい悲しみのようなものが、その身辺にただよっているようにみえる。
     くらべて空海は、その多才な活躍もさることながら、ちょっと格好よすぎるところがある。

     おそらく空海には、密教に的をしぼって入唐をはたし、短期間であるがその成果をあげ、帰国した日本の王朝がこぞって、その密教的なるものに期待を寄せたことにたいする、たとえようもない自負と自信があったからではないだろうか。

    しかも空海には、挫折の影が見えず、最澄には死ぬまでその影をひきずっていたような気配がある。

    空海は、20代のはじめに、儒教や道教を知った上で仏教が優れた教えであることを信じていた。24歳(797年)のときにまとめた、戯曲風の著作「三教指帰」はこれら3教を体現した人物を登場させ、さながら比較宗教思想風の物語に仕立てあげている。
    しかも、この著作の中で、空海は、みずから山林修行していたことを述べていた。
    31歳の804年、4月に東大寺戒壇院で受戒し、その年の七月に入唐留学生として乗船するまで、およそ、7,8年のあいだ、空海の行動については何もわかっていない。
    のちの行動などからも推定されるのは、空海が、20歳のころには、机上の学問を離れ、山林修行者であったことである。

    そしてその行動が、奈良の都から吉野、大峯周辺、高野山のあたりに及び、故郷のある四国に広がっていた事も推定できる。・・・・・・・・・・・・・・・

     と、言う事だそうなのです。



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    from: めるろ〜001さん

    2010年11月07日 03時42分56秒

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    「Re:古代の聖地と空海」空海は、吉野の山を駆け巡り、パトロンに出会ったと推定する説に同意しています。そして、その金をもとに中国に一度渡ったと。7.8

  • from: めるろ〜001さん

    2010年11月03日 03時52分01秒

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    文字を追う世界と体験を追う世界

    文献学は当然、文字を追う世界です。文字の歴史なり変遷なりを追います。文字が変わったというのは分かりますが命が入っていません。歴史の解釈というのは人がど

    文献学は当然、文字を追う世界です。

    文字の歴史なり変遷なりを追います。
    文字が変わったというのは分かりますが
    命が入っていません。

    歴史の解釈というのは人がどのように意味付けたか
    という歴史であり、文字はその一つの表現でしかない。

    文字の先の意味を共通の場に持ってこないと
    体験は追えないのである。

    文献を追う作業は、文字の変遷を追う作業ですが
    そこに肉である意味付けや体験を追わないと
    骨だけになってしまう。

    どの脊椎動物でもそうですが、骨だけでは動かない。
    動かないどころか、生きていない。

    誰がどのような思いで、その文献を書いたか。
    文献からその意図や想いが探れるとうれしいのですが、
    文献の位置によって探れない場合もある。
    他の文献が必要になる。

    そして作り上げるのは、体験できる世界であり
    文字を追うことではない。

    確かに文字を追うことで確かになることもある。
    しかし、それは骨だけでしょうね。

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  • from: yeshangさん

    2010年11月02日 19時48分13秒

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    海外に一人で出ることについて

    日経夕刊のコラムから(2010.11.2)の雑感です。----------------------------「誰でも長く生きていれば、その人が望もう

     日経夕刊のコラムから(2010.11.2)の雑感です。
    ----------------------------
     「誰でも長く生きていれば、その人が望もうと望むまいと社会的な存在として付着してくるものを避けようがない。いつの間にか何かの肩書を背負っていたり、何らかの社会的立場に立たされている場合がある。そんなものに騙されるわけがないと心しているつもりでも、日本での日常では、その膜を払いきれていない。
     何故なのか分らないが、パリに居ると、自分を包んでいた膜が、きれいに取り払われて、それ以上でも、以下でもない正味量の自分が見えてくるのが嬉しくてならない」
     (「パリの魅力」洋画家・入江観)
    -----------------------------
     引用が長くなりましたが、私の場合、北京で一人生活している時に、特に、ぶらっと街に出た時など、世間のしがらみとか、会社・家庭のことからすっかり解放されて、全くの真空の中でいるような気によくなりました。
     そのとき、一体自分は何なのだ、なぜここに生きているのかなど、何とも言えない気分によく陥りました。そして、(共産主義国でありながら)何とも言えない解放感を感じました。
     海外で一人生活することは、自分を見つめる上で何らかの効果があると思います。

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    from: 沙羅さん

    2010年11月03日 01時27分13秒

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    「Re:海外に一人で出ることについて」海外で生活するという事は、生まれそだった国の生活手段と、全く違う国に、住むという事になるので、言葉はどうにか、話