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真っ赤なトマト

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  • from: にんじんおじさんさん

    2018年04月07日 10時20分08秒

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    カゴメ「トマトは西洋野菜の代表」

    参考までに中日新聞カゴメ特集記事をご覧ください。

    (中日新聞 2018/4/6ー7朝刊)
    <ももとせ物語 明治150年>挑戦編 カゴメ

    ◆青臭い。ソースならば
    日差しをたっぷり浴び、真っ赤に実ったトマトが輝く。日本から一万一千キロ離れたポルトガル、首都リスボン郊外。大西洋に注ぐ大河、テージョにほど近い四ヘクタールの試験農場に十二万本のトマトが育つ。

    カゴメが二〇一六年に設立した「アグリビジネス研究開発センター」。新品種の開発や栽培技術を研究する。所有する七千五百品種もの種子を交配し、毎年三百品種を育て、分析する。

    トマトは世界で最も多く消費される野菜。世界人口の増加で、今後、年間百万トンペースで消費量が増えていくとみられる。それを下支えしようというのが、カゴメの狙いだ。

    「業界に革命を起こすような、誰も見たことのない新しいトマトを作りたい」。センター代表の中田健吾(53)は夢を語る。

    今やトマト加工品の売上高で世界三位に成長したカゴメ。その原点は、百二十年前。愛知県の小さな畑にさかのぼる。

    一八九九(明治三十二)年。小高い丘のふもとに、田んぼや畑が広がる、知多郡荒尾村(現東海市)。一人の青年が初めて実を付けたトマトを見つめていた。カゴメの創業者、蟹江一太郎(一八七五~一九七一年)。二十四歳の夏だった。

    「米や麦ばかり作っていてはだめ。誰も手掛けない西洋野菜を作るべきだ」。兵役が終わる際、上官に勧められた一太郎。「多くの収穫を上げる手段があるなら敢然と挑むべきだ」。こう誓い、その春、手に入れた種子を手探りで育てた。

    うまそうに育った実。だが、かぶりつくと青臭い味が広がった。「国が違うと人間の好みはこうも変わるんか...」。期待は一気にしぼんだ。

    「これが売れるんか」。頭をよぎった不安は的中する。タマネギやキャベツと一緒にトマトを大八車に載せて名古屋へ出掛けたが、トマトだけは毎度、売れ残った。しかし、一太郎は前向きに栽培を続けた。「トマトは西洋野菜の代表。勉強が足りないだけ」

    すると、先駆的な農業に取り組む、青年に目をかけてくれる者も現れる。

    名古屋・錦の洋食店「偕楽亭(かいらくてい)」の主人、梅澤角造もその一人だ。「今は売れなくても大事に育てるように」。背中を押され、翌年も作ったが、やはり売れ残った。畑で腐っていくトマトを前に県農事試験場の技師の言葉を思い出す。「西洋人はソースにするらしい」

    一太郎は名古屋で唯一の洋式ホテルだった「名古屋ホテル」で、海外産のソースを一瓶分けてもらった。口に運ぶと、調味料は一切入っていなかった。今でいうピューレ。あの青臭さは消え、口当たりもまろやかだった。

    早速、ソース作りに取りかかる。まず鍋で煮て、こし器で裏ごしした。時間がたつと黒く酸化したため、鉄鍋からほうろう鍋に変えて試すと、鮮紅色となり、味、色、香りとも見違えた。一九〇三年、初の国産トマトソースが誕生した。

    再び名古屋に持ち込むと「舶来品と遜色ない」。洋食店で評判を呼んだ。

    この頃、角造の次男で同い年の岩吉を紹介された一太郎。この出会いが、後に「トマト王」と呼ばれることになる、青年の未来を動かしていく。

    ◆根付く哲学。 熟さぬ夢
    トマトソースの製造に成功したカゴメ創業者の蟹江一太郎(一八七五~一九七一年)。販路を広げようとしていた時、出会ったのが名古屋・錦の洋食店「偕楽亭(かいらくてい)」の梅澤角造の次男岩吉だった。

    横浜の英語学校を出て、名古屋に輸入食品問屋「梅澤岩吉商店」(後の梅澤、現三井食品)を開業していた岩吉。「トマトソースは必ず伸びる」。将来性を見込み、販売を一手に引き受けてくれたのだ。同い年で、二人は実に馬が合った。

    無二のパートナーを得て、一太郎は一九〇六年、自宅の敷地に加工工場を建設。その看板は岩吉が揮毫(きごう)した。そして、ソースに加え、ケチャップなどの製造にも乗り出す。


    一太郎と岩吉の強い絆を示すエピソードがある。

    大正初期にはトマトを生産する農家も出始め、生産過剰になり、加工業者も激増した。さらに、不況も相まって価格が暴落。ソースやケチャップの値は四分の一ほどになり、事業は存亡の機に立った。

    だが、岩吉は卸値を維持。一太郎は契約農家の買い取り価格も守ることができた。一時的に売り上げは落ちたが、逆に商品の信頼にもつながっていく。

    この苦境を教訓に一太郎は一四年、地元の資産家らと「愛知トマトソース製造」を設立。家業から企業へと脱皮を図った。

    後にカゴメと梅澤との蜜月関係は二〇一一年に梅澤が三井食品に吸収合併されるまで続く。一九五九年に梅澤に入社し、社長を務めた幸村伸彦(81)は、こう回顧する。「『親戚の会社』と言われたほど。入社当時からカゴメのためならという意識はあった」

    会社経営に乗り出した一太郎は、市場開拓に自らも奔走するようになる。見本のトマトソースなどの瓶を入れた布袋を肩に下げ、着流(きなが)しにげた履きの軽装で洋食店が集まる東京、横浜、大阪、神戸へと販路を拡大。会社設立四年で売上高は四倍になった。

    設立三年後には「カゴメ印」の商標を登録。由来は諸説あるが、トマトを収穫するかごの目にちなんだと言われる。

    晩年をともに過ごしたひ孫の竹内真澄(57)=愛知県半田市=は「かごに入れたトマトが売れなかったころの苦労を忘れぬため」と曽祖父が語った記憶が残る。にぎった手が大きくて包み込まれるようだった。「この手でトマトを作り会社を育てたんだと幼いながらに思いました」

    戦後はパン食や洋食が増え、カゴメの商品は一般家庭に定着していく。社長を退いた六二年には売上高は五十二億円、従業員数は千三百人を超えていた。

    一太郎が小さな畑でトマトの発芽を見てから百二十年。九代目社長の寺田直行(63)が掲げるのは「トマトの会社から、野菜の会社に」とのビジョンだ。食と健康を担う企業への強い決意をにじませる寺田は言う。「これまでの慣例を疑い、変えていくのが一太郎が残したDNA(遺伝子)」

    「でんでん虫 そろそろのぼれ 富士の山」

    一太郎は晩年、こんな俳句を添えた水墨画を好んで描いた。何事も地道に努力すれば頂に達する-。トマトに身をささげた人生。その情熱と哲学は今に脈打ち、カゴメは一歩、また一歩と高みを目指している。

    ◆明治こんな時代だった 洋野菜
    明治に入ると、横浜や神戸といった港町や東京、大阪の都市部で洋食店の開業が相次ぎ、キャベツやタマネギなど肉料理に合う洋野菜が普及。政府は外来作物の栽培を奨励し、輸入した農作物や種子を有志に分配した。明治の元勲、木戸孝允が出資し、文明開化の推進に寄与した新聞「新聞雑誌」には、洋野菜の栽培で大きな収益を上げた例が紹介されている(「近代日本食文化年表」)。

    「物語 食の文化」(北岡正三郎著)によると、トマトは17世紀後半に長崎に渡来したが、観賞用で食用にはならなかった。大正期にチキンライスやオムレツなどケチャップを使った洋食が庶民の間で人気に。食卓に生食のトマトが定着したのは、戦後からという。

    <カゴメ> 愛知県荒尾村(現東海市)の農家、蟹江家の婿養子、一太郎がトマトの発芽を見た1899(明治32)年をもって創業としている。愛知トマトソース製造などをへて、1963年にカゴメと改称した。近年、加工品に加え、生食用トマトやベビーリーフを販売。品種開発から栽培、加工、販売まで一貫生産する。海外に31の子会社も持つ。従業員は2456人。売上高は連結で2142億1000万円(2017年12月期)。本社は名古屋市中区。

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コメント: 全1件

from: トマトママさん

2018年04月09日 17時13分19秒

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にんじんおじさん様

「KAGOME愛」が伝わりますね。
世界3位とは、ちょっとした驚きです。
カゴメファンとしては、嬉しい情報が盛りだくさんでした。

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