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独断と偏見で楽しむイタリア芸術

独断と偏見で楽しむイタリア芸術>掲示板

公開 メンバー数:54人

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  • from: シニョレッリさん

    2023年05月31日 15時03分28秒

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    nasakuraさん、こんにちは。

    コメントありがとうございます。

    この建物は、カラヴァッジョ(コムーネ)の市庁舎ですが、カラヴァッジョ侯爵の宮殿でした。

    画家カラヴァッジョを終生支援したカラヴァッジョ侯爵夫人コスタンツァ・コロンナは、名家コロンナ家の出身(コスタンツァの父はレパントの海戦で活躍した有名な戦士)ですが、12歳の時にカラヴァッジョ侯爵のフランチェスコ1世・スフォルツァと結婚しました。

    カラヴァッジョ侯爵夫人コスタンツァ・コロンナの肖像

    結婚当初は幼くて男性恐怖症だったようですが、それでもコスタンツァ27歳の時に未亡人となるまでに男3人、女3人の6人の子供を授かりました。
    長女は持参金付きで嫁入りさせましたが、次女と三女は修道女になりました。
    長男はカラヴァッジョ侯爵となり跡継ぎになりましたが、次男はナポリの修道院院長となりました。三男はマルタ騎士団将軍で、艦隊司令官となりました。

    当時の名家の子女の行く末が分かる良い例でしょう。

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  • from: nasakuraさん

    2023年05月30日 19時50分37秒

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    シニョレッリさん

    お話を読んで、ひとつの映画を思い出しました。
    「尼僧の恋」(邦題:原題を知りません)
    フランコ・ゼフィレッリ

    このお話の主人公は、実母を亡くしたお金持ちの家のシニョリーナです。
    継母にも女の子がいる(当然こちらのほうが甘やかされ優遇されている)ので、女子修道院にいく、という設定になっていました。

    この映画を観たのはもうだいぶ前のことで、たぶん数十年たっているはず。
    でも、主人公の瑞々しい美しさ、彼女が恋するこれまた輝くような若者との映像がゼフィレッリらしい映像美でいまも鮮烈に脳裏に焼き付いています。

    今回、”持参金”について知り、映画の内容に納得がいきました。
    主人公の父は主人公の腹違いの妹をそれなりの名家に嫁がせるために相当な財産を必要としたわけなのですね。それで主人公を女子修道院へ。

    なぜ美しい主人公のこともふつうに結婚させようとしないのか長い間の謎でしたが、ようやっとわかった気がしています。

    そういえば彼女の入った修道院も、すばらしい建物でしたっけ。そこにも父親の財産が使われていた、というわけですね。

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  • from: シニョレッリさん

    2023年05月23日 06時12分27秒

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    持参金

    イタリアの街巡りをしていると、時々立派な女子修道院を見かけます。
    それらの建設された経緯を調べると、娘(多くは三女以降の娘、長女と次女は持参金付きで嫁入りさせた)の持参金を捻出できないので、嫁がせるのを諦めて娘の居所として修道院教会の建物を建設した、というのがよくあります。

    それだけを見ても、中世ヨーロッパの持参金が巨額だったことが分かります。

    フランス領土の半分を持参金にして娘を嫁がせたフランス王がいたし、メディチ銀行だって持参金を元手にして銀行業を始めたなど、持参金を巡る話は尽きません。

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  • from: シニョレッリさん

    2023年05月15日 14時05分01秒

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    nasakuraさん、こんにちは。

    イタリアの旅は、何かテーマがあるとより一層楽しくなりますね。勿論、特に何も考えずに漠然と旅をしても十分楽しいですが。

    最近のテーマは専らカラヴァッジョです。
    面白いのは、記録や資料が新たに見つかって、従来の説が覆されるところです。

    カラヴァッジョの剣が突き刺さって、相手が死んだのは事実ですが、相手が躓いて、地面に転倒する時に、カラヴァッジョの剣に相手の身体が突き刺さって、偶然、大腿動脈が切れて、失血死させたのが真相のようです。決闘による殺人ではなく、過失致死のようです。

    カラヴァッジョのその件についての官憲による捜査が始まったのは、事件後1か月も経ってからでした。その理由は、事件の関係者が逃亡できるように、十分な時間を与えるためだったとは驚きです。

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  • from: nasakuraさん

    2023年05月14日 13時09分20秒

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    シニョレッリさん、こんにちは。

    >パーロ・ラツィアーレとポルト・エルコレに行った感じでは

    さすがです。実際にご自分でいらしてその場の空気の中に身を置き、そう感じられたのですね。
    それは本物といえましょう。何よりご自分が納得されたことでしょう。

    私もそうした旅がしたいです。

    この春の旅は、コロナ禍で鈍った旅の感覚を取り戻すのにイタリア入りしてからも数日かかりました。
    それでもゆっくりとシチリアの空気に慣れていきました。
    そうした中、来てよかった、そう思いました。
    行くまでは「もう彼の地を踏むことはないのかも」など弱気になっておりました。

    私もあと何年、通えるかわかりませんが、後悔のないようにしたいです。
    あと数回マッシモ劇場通いする中で心に残る作品にひとつでも多く出会えたら。
    そう願っています(秋にムーティさんが振ります。でも私は行けそうにないのです。そこは残念に思っています。)

    またご無理のない程度にこうした深いお話をお願いします、楽しみに待ちます。

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  • from: シニョレッリさん

    2023年05月09日 15時55分01秒

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    カラヴァッジョ、終焉の地

    1610年7月、恩赦間近の情報を得て、ナポリから海路でローマに向かいました。途中のパーロ・ラツィアーレで下船させられ逮捕されました。二日間拘留され多額の保釈金を払って漸く釈放されましたが、カラヴァッジョの荷物は乗船した船と共にポルト・エルコレに行ってしまいました。その荷物の中には、恩赦のお礼用にカラヴァッジョが描いた絵画がありました。
    その絵画はカラヴァッジョにとって貴重なもので、荷物を追って、パーロ・ラツィアーレから徒歩で灼熱の中、ポルト・エルコレに向かいました。重い熱病に罹ってポルト・エルコレで没した、というのが定説です。

    しかし、下船させられたパーロ・ラツィアーレの城で、教皇庁の了解のもとにマルタ騎士団によって斬首されたという説があります。
    私がパーロ・ラツィアーレとポルト・エルコレに行った感じでは、カラヴァッジョの終焉の地はパーロ・ラツィアーレであると確信するようになりました。
    パーロ・ラツィアーレには城しかない小さな港です。人を消すには絶好の場所に思えます。
    ポルト・エルコレには、カラヴァッジョが実際に行ったという確実な記録が無さ過ぎです。

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