サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: シニョレッリさん
2026/06/01 05:37:45
icon
AI翻訳
イタリアの色々な歴史を知るにはラテン語が必須です。
教会の文書やコムーネの記録などの大半がラテン語で書かれてます。
仕方がないので、随分ラテン語を勉強しました。辞書を片手に苦労しながらラテン語文書を読みました。
ところが近頃のAI翻訳機能には目を見張るものがあります。あのラテン語の苦労は何だったのか、と思います。
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 -
from: シニョレッリさん
2026/05/10 11:52:37
icon
ロレンツォ・ロットのLibro di Spese Diverse(雑費帳)
21世紀を迎える前まで、私はロレンツォ・ロットが大好きでした。彼の作品を求めて教会や美術館、そして所縁の地を訪れました。
彼のことを知るための最良資料は、Libro di Spsese Diverseであると言われています。
2002年頃、Libro di Spsese Diverseを買い求め、辞書を片手に読み始めました。
ロレンツォ・ロットは、アンコーナに滞在中の1538年11月16日から毎日の収支記録兼日記を書き始めましたが、それがLibro di Spsese Diverseの内容です。
それを読むことによってロットの率直な思いが分かりました。
それは良かったのですが、Libro di Spsese Diverseを読むことによって彼の苦悩が分かるようになると、ロットの作品巡りが楽しいものから、何やら重苦しいように感じるようになりました。
私の旅行は観光は楽しいからやるのが信条なので、かくして敢えてロット作品を求めての旅は止めるようになったのです。
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 -
from: シニョレッリさん
2026/04/22 10:35:25
icon
「べき」論の無意味
レオナルド・ダ・ヴィンチに関する本を読んでいたら、「デッサンを反故にしないで作品を完成す『べき』だった」という一文がありました。
21世紀にもなって、500年以上前のレオナルドに対して、いくら「べき」と言った所で何の意味があるのでしょうか。
「べき」が大流行してますね。日本のマスコミも「べき」が大好きですね。「○○大統領は攻撃を止めて話し合いすべきだ。」
例えばトランプさん、プーチンさんが「はい、分かりました。そうします」とはなりませんよね。
「べき」論は無意味、無責任の際たるものですね。
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 -
from: シニョレッリさん
2026/04/03 10:00:30
-
from: シニョレッリさん
2026/03/15 14:52:21
icon
芸術後進国のフランス
フランソワ1世の時代、フランスは芸術の後進国でした。自国にルネサンス芸術がないので、イタリアからアンドレア・デル・サルトなどを招聘して、芸術の向上を図りました。
蛮族ガリア=フランスなので、「芸術のパリ」などと称するのはちゃんちゃらおかしい。
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 -
from: シニョレッリさん
2026/02/21 08:18:04
-
from: シニョレッリさん
2026/02/21 08:13:18
-
from: シニョレッリさん
2026/02/21 07:19:28
icon
東京オリンピックの思い出

1964年、私は高校3年生、受験生でした。
都立高校で整った体育館があったので、オリンピックのバスケットボールの練習場となりました。背の高い選手をたくさん見てびっくりしたのを覚えてます。
オリンピック期間中に代々木で、アメリア代表選手の男女から道を尋ねられたので、身振り手振りで教えてあげました。持っていたノートにサインをしてくれたのですが、サインが読めないと言うと、活字体で書いてくれました。その人はアメリアのハロルド・コノリー選手でした。女性は後で知ったのですがオルガ・コノリー選手でした。
二人とも金メダリストです。この二人は鉄のカーテンを超えた恋で有名な夫婦です。オルガさんはチェコ出身で、メルボルン・オリンピックでハロルド・コノリー選手と恋に落ちて、困難を乗り越え、鉄のカーテンを超えて結婚したのです。東京オリンピックの時は二人ともアメリカ代表でした。サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 -
from: シニョレッリさん
2026/02/08 06:58:15
icon
瞑想の聖フランチェスコ

写真はカステッラルクァートです。
カステッラルクァートは人口4,705人(2025年10月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州ピアチェンツァ県にあるコムーネです。
カステッラルクァートのドゥオーモの参事会教会です。教会付属美術館にカラヴァッジョのコピー作品「瞑想の聖フランチェスコ」があります。
コピー作品の写真です。本物はクレモナのアラ・ポンツォーネ市立美術館にあります。
コピー作品はモンテオリヴェートのサンタ・マリア修道院にありました。
カラヴァッジョ真作の「瞑想の聖フランチェスコ」を所有していた人が、真作を祭壇に飾るのは勿体ないと考え、コピー作品を制作して祭壇にはコピー作品に置き換えようとして制作させたのが、このコピー作品です。
このことを知ったので、わざわざカステッラルクァートに行って確かめたのです。サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 -
from: シニョレッリさん
2026/01/07 16:34:26
icon
命懸けのフレスコ画制作

教会や宮殿の壁にフレスコ画が描かれていることが多いですが、その制作は非常に危険で命懸けの仕事でした。
多くの画家が制作中に足場から転落して命を落としました。
私が大好きなルカ・シニョレッリもその一人でした。写真はコルトーナのパッセリーニ宮殿です。
フィレンツェのロレンツォ・イル・マニーフィコの息子で長男ピエロ(愚か者のピエロ)、次男ジョヴァンニ(後の教皇レオ10世)などと一緒にメディチ宮殿で育ったのがシルヴィオ・パッセリーニです。
シルヴィオはレオ10世によって枢機卿に任命され、後にコルトーナ司教として、生まれ故郷のコルトーナに戻ってきました。司教の住居として整備されることになったのがパッセリーニ宮殿でした。
ルカ・シニョレッリはパッセリーニ宮殿の装飾の責任者を命じられました。この時、ルカの年齢は一説によれば81歳(生年が不明ですが、いずれにしても80歳頃と思われます)でした。流石に足場を上って高い壁へのフレスコ画制作は難しいと見られていましたが、その当時、コルトーナはフィレンツェの支配下にあり、コルトーナ生まれの枢機卿からの命令は断り切れなかったと思われます。現在の80歳とは違って16世紀前半の80歳は相当な高齢であり、フレスコ画制作は無理であったと思うのが自然と言うものです。サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。




