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独断と偏見で楽しむイタリア芸術

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公開 メンバー数:54人

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  • from: シニョレッリさん

    2023年03月31日 15時40分07秒

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    カラヴァッジョの作品かもしれない

    フィレンツェの近くにエンポリの街がありますが、エンポリのサント・ステファノ修道院教会にカラヴァッジョ作品の複製画があります。


    これがサント・ステファノ教会です。t
    ところが、その複製画「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」がカラヴァッジョ自身によるコピー画ではないかとの新説が一人の美術史家から出されました。
    果たして、どうなるでしょうか?

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  • from: シニョレッリさん

    2023年03月29日 06時41分14秒

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    メリージ一家がカラヴァッジョに住んでいた家

    ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(ミラノ、1571-ポルト・エルコレ、1610)の一家は、1577年、ペスト禍のミラノを逃れて、カラヴァッジョ侯爵の領地であるカラヴァッジョに移住しました。画家カラヴァッジョの父は、侯爵に仕える執事で石工でもありました。

    カラヴァッジョ(コムーネ)に移住したメリージ一家の家は、市壁内のローマ通りの外れにある画家カラヴァッジョの肖像画写真が壁にある家と分かりました。(オッタヴィオ・レオーニが1621年頃描いた肖像画)


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  • from: シニョレッリさん

    2023年03月28日 09時59分52秒

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    日本でカラヴァッジョは人気画家か?

    国内でカラヴァッジョ展に行くと、いつも大盛況で大混雑していて、人気がある画家であると実感します。

    ところが、ミラノのサント・ステファノ聖堂(洗礼を受けた教会)、カラヴァッジョ(コムーネ、カラヴァッジョが幼少期、少年時代を過ごした)、ポルト・エルコレ(カラヴァッジョが没した町)などのカラヴァッジョ所縁の地、カラヴァッジョの作品があるクレモナ、メッシーナノ州立美術館、ナポリのセヴァロス美術館、ローマのコルシーニ美術館などに行くと、日本人の姿を見たことがありません。

    私が行った時、たまたま日本人がいなかっただけかも知れませんが、何度行っても同じでした。

    カラヴァッジョ作品が日本に来た時だけのファンでしょうか?

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  • from: シニョレッリさん

    2023年03月27日 07時00分44秒

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    カラヴァッジョはローマ到着まで何をしていたか

    カラヴァッジョがミラノにいたことを示す最後の公的記録は、1592年7月1日に遡ります。それからローマ到着までの1595年末までの公的記録が一切ないばかりか、それを推察させる資料さえもありません。もちろん、作品も残されてません。

    母ルチアの死によって、姉弟との遺産分配を済ませて、各地を旅して教会を回り、作品研究したと考えるのが一般的解釈ですが、手にした遺産は僅かなもので、3年半の旅費を賄うには不足であった筈です。

    カラヴァッジョの性格から推察すれば、犯罪を犯して刑務所に収容されていたかもしれません。ローマまでに通ったに違いない街の犯罪記録を再調査すれば、案外公的記録が新発見されるかも知れません。

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  • from: シニョレッリさん

    2023年03月26日 06時10分26秒

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    カラヴァッジョのローマ到着

    カラヴァッジョの没後400年(ポルト・エルコレで1610年没)を機に、古文書調査が行われ、ローマ国立公文書館で発見された2つの資料によって、カラヴァッジョのローマ到着は1595年末頃から1596年初め頃となりました。

    デル・モンテ枢機卿が滞在していたマダマ宮殿にカラヴァッジョが移動したのが、1597年7月ですから、その間の僅か1年半にカラヴァッジョの初期作品群と行動が含まれることになりました。初期作品の制昨年に対して大幅に変更を迫ることになってますが、未だに変更されず、従来のままと言うのが少なくありません。

    「カラヴァッジョの足跡と作品を訪ねて」が私の趣味のメインテーマになってます。

    カラヴァッジョは、1604年、ローマのこの通りにあるアパートに移住しました。

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  • from: シニョレッリさん

    2023年03月22日 16時42分19秒

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    フィレンツェに行きたい!③

    フィレンツェに行ってきました。

    皆さん、ちょっと間が空きました。

    居ても立っても居られなくて、5週間ほど行ってました。もちろん、フィレンツェだけではなく、ミラノ、ローマ、ボローニャなども。
    今日がベストで、明日は老化が進む、明後日はさらに進むと考え、今しかないと発起しました。

    ああ、楽しかった。
    これでもう思い残すことはありません。

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