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      from: シニョレッリさん 2015/09/30 16:56:22 
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      from: シニョレッリさん 2015/09/29 15:10:19 
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      from: シニョレッリさん 2015/09/27 09:22:35 icon ルネサンス芸術家(71) マッテオ・ディ・ジョヴァンニ約7か月振りのルネサンス芸術家シリーズです。 
 15世紀後半のシエナにあって、最も人気があった画家マッテオ・ディ・ジョヴァンニを取り上げます。
 マッテオ・ディ・ジョヴァンニ Matteo di Giovanni(1430/1433頃ボルゴ・サン・セポルクロ生まれ-1495シエナで没):
 1430年頃または1433年頃にボルゴ・サン・セポルクロ(現在のサンセポルクロ)に生まれ、家族のシエナ移住に伴い、幼少の頃にシエナの住人になりました。
 それ以外の記録は全く残されていないので、修行や画風形成の過程は不明となってます。古くからロレンツォ・ディ・ピエトロ通称ヴェッキエッタに師事したとの説がありますが、残された彼の作品からはヴェッキエッタの影響が殆ど認められないことから、ヴェッキエッタ師事説は否定されているようです。
 また、彼の画風にドメニコ・ディ・バルトロやステファノ・ディ・ジョヴァンニ通称サッセッタの影響が僅かに認められることから、二人のどちらかに弟子入りしたという説もあり、現在はその可能性が高いとされてます。
 彼の画風は優美、甘美で直線的しかも装飾的であり、ジローラモ・ダ・クレモナやアントニオ・デル・ポッライオーロの画風に近似していることから、何らかの仕事で両者と一緒に仕事しているうちに、両者から何らかの影響を受けたことは明らかとされています。
 ともあれ、彼の優美、甘美、独特の幻想性と宗教性溢れる画風は、国際ゴシック様式シエナ派の栄光と夢を何時までも追い続けるシエナ市民から強い支持を受け、15世紀後半のシエナ画壇において最も人気を博する画家となりました。
 彼の工房には、シエナだけではなくトスカーナ各地から注文が相次ぎ、シエナで最も繁盛した工房となりました。
 弟子にGuidoccio Cozzarelli(1450-1516/17)がいます。また、ピエトロ・オリオーリも彼の工房で仕事をした記録が残ってます。
 彼の私生活ですが、1463年、裕福な高貴な女性と結婚しましたが、10年ほどで妻に先立たれてしまいました。その後、裕福な未亡人と再婚しました。二人の妻との間に沢山の子供をもうけましたが、画家になった子供はいませんでした。
 二人の妻が裕福だったことに加え、彼の工房は非常に繁盛したことから、マッテオは大金持ちとなって、幸せな生涯を送ったそうです。
 彼の描く優美な聖母の顔は多くの場合、同じでしたが、それは初恋の人、又は最初の妻だったとの説がありますが、今となっては誰だったのか、分からないようです。
 では、彼の作品を見てみましょう。 
 マッテオの作品が7つ展示されているのが、シエナ派の殿堂であるシエナの国立美術館です。 
 「玉座の聖母子と四天使」 
 「聖母子」 
 「聖母子と聖ミケーレとマグダラのマリアと二天使」 
 「聖母子と福音書記者聖ヨハネと聖ヤコポと二天使」 
 「聖母子と聖セバスティアーノとシエナの聖カテリーナと天使」 
 「聖母子と聖ジローラモと聖フランチェスコ」 
 「羊飼いの礼拝」
 彼の生まれ故郷のサンセポルクロにも彼の作品が残されてます。 
 サンセポルクロのサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。この教会にマッテオの作品があります。 
 右翼廊に彼の作品があります。 
 現在、三つのパネルが別に分かれて展示されてますが、元は三幅祭壇画でした。 
 中央パネルだった「栄光の聖母と聖人たち」 
 向かって左パネルだった「聖パオロと聖ルチア」 
 向かって右パネルだった「聖フィリッポ・ベニツィと洗礼者聖ヨハネ」
 中央パネルはかなり痛みがありますが、左右のパネルの保存状態は良好です。 
 サンセポルクロの市立美術館にもマッテオの作品があります。 
 この多翼祭壇画がマッテオの作品です。サンセポルクロ大聖堂の祭壇を飾っていた傑作です。
 残念ながら中央パネルが欠落しています。若しも中央パネルがここに存在したならば、美術館を代表する作品になっていた筈です。 
 勿体ぶらないで、種明かしをしましょう。
 欠落した中央パネルとは、これです。大変有名な作品なので、ご存知の方が多いと思います。
 ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」です。現在、ロンドンのナショナル・ギャラリーで展示されてます。この中央パネルだけがイギリスに流出した経緯について面白い話がありますが、このトピックと直接関係がないので省略します。
 この多翼祭壇画の中央パネルだけをピエロが制作し、それ以外の部分はマッテオが仕上げたのです。 
 多翼祭壇画の裾絵です。 
 市立美術館からナショナル・ギャラリーに対して「キリストの洗礼」の返還を要望しているそうですが、ナショナル・ギャラリー側はその要求に対して無視を決め込んでるそうです。 
 この作品に接するといつも憤りを感じます。 
 アシャーノのサンタゴスティーノ教会にも彼の作品がありました。 
 今でも祭壇を飾っていると言いたいところですが・・・・ 
 マッテオの作品に見えますが、こちらはコピー画です。本物はアシャーノのMuseo Civicoにあります。(臨時休館のため、入館出来ませんでした) 
 ブオンコンヴェントのサンティ・ピエトロ・エ・パオロ教会にもマッテオの作品があります。 
 三廊式の右側廊に作品があります。 
 「玉座の聖母子と二天使」 
 ピエンツァのドゥオーモにも彼の作品があります。 
 「玉座の聖母子と四聖人」
 写真を探すのが面倒なので、この辺で終わりにしましょう。
 出来るだけ自分の写真で紹介したいと思ってますが、写真を探すのが大変です。
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      from: シニョレッリさん 2015/09/24 14:59:44 
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      from: シニョレッリさん 2015/09/22 09:51:49 icon 「今日の一枚」の3回目は、この作品です。  
 アルテミジア・ジェンティレスキの「ホロフェルネスの首を斬るユディト」(1612-13)です。 
 フィレンツェのウッフィツィ美術館にあります。カラヴァッジョ作品がある、同じ展示室で展示されてます。
 私の写真では鮮明に映っていないので、作品画像をWeb Gallery of Artから拝借することにしましょう。 
 数あるユディトの中でもかなり残酷に描かれていると思いますが、何処かで同じような作品を見たことがある、と思いませんか? 
 先ほど、ウッフィツィ美術館のカラヴァッジョ作品が展示されている同じ展示室で展示されていると書きましたが、それがヒントです。
 そうです、この作品です。カラヴァッジョの「ユディト」です。
 カラヴァッジョ作品から大きな影響を受けて描かれたのが、アルテミジアの作品なのです。
 アルテミジアは、1593年、ローマで画家オラツィオ・ジェンティレスキの最初の子供として生まれました。
 幼少から画才を発揮したアルテミジアは、父から絵画を習いました。当時、一般的に画家は女性の仕事と認められておらず、他の画家に弟子入りして修業をすることは困難でした。
 父のオラツィオは、カラヴァッジョの友人で、カラヴァッジェスキの画家でした。自分の画風を真似されるのが嫌いなカラヴァッジョは、バリオーネ裁判の中で「オラツィオとは3年も口を聞いたこともない」と証言したほどです。
 父から学んだアルテミジアは、当然のことながら父の画風から強い影響を受け、やがてカラヴァッジェスキの画風となったのです。 
 アルテミジアの「自画像」です。
 オラツィオは、1611年または1612年にアゴスティーノ・タッシと共にローマのPalazzo Pallavicini Rospiliosiの装飾の仕事に従事することになりました。それを機にアルテミジアにトスカーナ・スタイルを吸収させるために、タッシに学ばせることにしました。
 ところが、師弟関係を越えてタッシ(既婚でした)は結婚すると嘘を言ってアルテミジアを騙し、コジモ・クオルリスと一緒にレイプに及んだのです。
 それを知ったオラツィオは烈火のごとく怒り、タッシを訴えたのです。あろうことか、タッシはオラツィオの仕事場から作品も盗んだそうです。
 タッシを恨んだアルテミジアは、この「ホロフェルネスの首を斬るユディト」の作品におけるホロフェルネスの首はタッシの顔にして描きました。
 実は、アルテミジアの「ホロフェルネスの首を斬るユディト」には別のバージョンが存在ます。 
 こちらはナポリのカポディモンテ美術館にあります。
 今年2月にカポディモンテに行きましたが、この作品をどうしても見つけることが出来ませんでした。
 カポディモンテ版の方が第1作で、1612年頃に描かれたと言われてます。ウッフィツィ版の方はそれよりも約1年後に描かれました。
 アルテミジアは、嫌な事件にも拘らずフィレンツェ、ローマ、ナポリで幸せな生涯を送りました。
 カラヴァッジョのスタイルで描いた画家、所謂カラヴァッジェスキの画家が数多くいましたが、近年、アルテミジアの評価が高まる一方で、今は最高のカラヴァッジェスキの画家と言われてます。icon 
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      from: シニョレッリさん 2015/09/21 09:10:47 icon 「今日の一枚」として、今日取り上げるのは、この作品です。  
 ジョヴァンニ・バリオーネの「天上の愛」(1602)です。 
 ローマ・バルベリーニ宮の国立古典絵画館で展示されてます。 
 私の写真では作品が良く分からないと思いますので、Web Gallery of Artの作品画像を転載させて頂きました。
 ジョヴァンニ・バリオーネは、カラヴァッジョとの因縁で有名です。
 この作品もカラヴァッジョの「勝ち誇るアモール」に対抗して描かれたもので、画面左下の悪魔はカラヴァッジョの肖像画と言われてます。腹いせのため、天上の愛に踏みつけられるカラヴァッジョという訳です。 
 カラヴァッジョの「勝ち誇るアモール」(1601)です。ベルリン国立美術館の所蔵です。
 この作品は、ジェノバ出身で金融業で成功したヴィンチェンツォ・ジュスティアーニ侯のために制作されたのですが、バリオーネの作品は、ヴィンチェンツォ・ジュスティアーニの兄であるベネデット枢機卿のために制作されました。
 それだけで腹いせが収まらなかったのか、バリオーネは「天上の愛」をもう一つ仕上げました。 
 これがその作品です。ベルリン国立美術館にあります。
 バリオーネは、カラヴァッジョが大嫌いでしたが、彼の作品を見ていくとカラヴァッジェスキ(カラヴァッジョの影響を受けた画家)だったことが分かります。
 カラヴァッジョは自分の画法をバリオーネに模倣されたと思って怒っていたのです。
 バリオーネとカラヴァッジョとの仇敵関係はこれで終わりではなく、1603年のバリオーネ裁判へと発展します。
 この辺の所は実に面白い!icon 
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      from: はりねずみさん 2015/09/19 09:29:37 
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      from: シニョレッリさん 2015/09/18 09:39:22 icon 美術館・教会巡り(423) ブオンコンヴェント、サンティ・ピエトロ・エ・パオロ教会 続き  
 マッテオ・ディ・ジョヴァンニの「聖母子」(1450c) 
 二代目の教会の建物の壁にあったフレスコ画断片が残されています。 
 サーノ・ディ・ピエトロの「聖母戴冠」 
 ピエトロ・ディ・フランチェスコ・オリオーリ(シエナ1458-1496)の「玉座の聖母子と洗礼者ヨハネと聖ピエトロと聖パオロと聖セバスティアーノ」 
 光る部分を変えるために少し別方向から撮りました。 
 詳細不明の「磔刑像」 
 シエナ派無名画家による「最後の晩餐」(16世紀頃) 
 シエナ派無名画家による「ピエタとマグダラのマリアと聖フランチェスコとシエナの聖カテリーナ」 
 シエナ派無名画家による「栄光の聖母子と聖人たち」 
 ステファノ・ヴォルピ(シエナ1594-1630)の「ロザリオの奇跡と聖ドメニコとシエナの聖カテリーナ」
 中央の欠落部分は聖母子があったと考えられてます。 
 こちらはサンティッシマ・サクラメント礼拝堂です。 
 礼拝堂の「磔刑像」は16世紀にシエナ派画家によって制作されたものです。 
 この教会にかって存在したお宝芸術品はMuseo Civicoで見ることができます。 
 小さなオルガン 
 楽器は何のため? 
 祭壇前から見た入口です。 
 外に出ました。 
 Museo Civicoが閉まっていて残念でした。 
 (おわり)icon 
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      from: シニョレッリさん 2015/09/18 08:41:28 
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      from: ぐら姐さん 2015/09/17 17:33:16 

 
         
        

 
           
      
 
         
        





 
       
      













 
         
              