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独断と偏見で楽しむイタリア芸術

独断と偏見で楽しむイタリア芸術>掲示板

公開 メンバー数:54人

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  • from: シニョレッリさん

    2016年04月13日 10時00分42秒

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    カラヴァッジョ作品が発見されたそうです

    大ニュースが飛び込んできました。昨日のNHK・BSや今朝の時事通信などが伝える所では、カラヴァッジョの「ホロフェルネスの首を斬るユディト」(ローマ・バ

    大ニュースが飛び込んできました。
    昨日のNHK・BSや今朝の時事通信などが伝える所では、カラヴァッジョの「ホロフェルネスの首を斬るユディト」(ローマ・バルベリーニ宮にある同主題作品の別ヴァージョン)が発見されたそうです。

    写真は通信社からの無断転用なので、著作権侵害に当たるのは承知の上で拝借させて頂きました。
    真作なのか、カラヴァッジェスキ画家に拠る作品なのか、今後の真贋検討を待ちたいと思います。

    ローマ、バルベリーニ宮

    バルベリーニ宮で展示されている作品
    フランスで発見されたので、将来公開されるしてもフランスに行かないと見ることが出来ない可能性が高いと思います。
    ナポレオンの部下だった子孫の屋根裏から発見されたそうです。ナポレオン軍が強奪してフランスに持っていった可能性もあると思います。

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    from: シニョレッリさん

    2016年05月13日 07時22分16秒

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    marienさん、お早うございます!コメント、有難うございます。芸術作品を見るためにイタリアに行くのでしたら、時間に余裕が出る、例えば年金生活者になっ

    from: marienさん

    2016年05月12日 22時10分11秒

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    シニョレッリ様こんばんは!お返事ありがとうございます。たしかに、カラヴァッジオ作品は薄暗いところで鑑賞するものなのでしょうね。今のところ、ローマに行く

  • from: シニョレッリさん

    2016年04月24日 07時32分26秒

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    ウフィツィ美術館 (下)

    美術館・教会巡り(460)ウフィツィ美術館(その10)サーノ・ディ・ピエトロの「ピエタのキリストと聖母と福音書記者聖ヨハネ」(1455‐60c)「コメ

    美術館・教会巡り(460) ウフィツィ美術館 (その10)

    サーノ・ディ・ピエトロの「ピエタのキリストと聖母と福音書記者聖ヨハネ」(1455‐60c)
    「コメントをする」を使用してアップを継続していましたが、写真を数多く掲載したので、重くなってきました。その解決法として、同じ題名で「トピック新規作成」しました。果たしてどうなるか、トライしてみます。

    ヴェッキエッタの「玉座の聖母子と聖人たち」(1457)

    第19展示室にやってきました。

    第19展示室の天井装飾です。

    ネロッチオ・ディ・ランディの「聖ベネデットの物語」(1480c)
    これは重複してますね、(その7)で既に触れました。

    マッテオ・ディ・ジョヴァンニの「聖母子と洗礼者聖ヨハネと聖ジローラモと天使たち」(1460‐70)
    これも重複しています。

    ジョヴァンニ・ディ・パオロの「聖母子と四聖人」(1445)
    (その7)で既に紹介済みです。
    第19展示室は、2015年2,3,6,7月の時点と2016年2,3月の時点では展示作品の相違点はなくすべて同じです。

    第20展示室です。

    20室の天井装飾です。

    以前よりも非常に見やすくなりました。作品が目線の位置に置かれてます。
    ここからは、2015年と違っている部分のみ触れることにしましょう。

    アントネッロ・ダ・メッシーナの「玉座の聖母子と二聖人」
    去年までは作品を覆うガラス版がありませんでした。

    去年は聖母子と福音書記者聖ヨハネは別々に置かれていました。

    去年は聖アウグストゥスのパネルがありませんでした。

    アンドレア・マンテーニャの「聖母子」(1488‐90)

    別名「カーヴェの聖母」と呼ばれてます。

    やはり少しづつ違ってました。

    展示室や展示作品が変わることに対する美術館の公式見解を引用してみます。
    「美術館の様相や編成は、時が経つにつれて変化するもので、見学コースが変更され、コレクションの作品数が増加(あるいは減少)することがよくある。さらに、作品の制作者の推定が変わったり、修復によって作品のイメージが違ったものとなったり、時代の美的傾向が変化して展示や整理の仕方が影響を受けると言うこともある。公共のコレクションにおいてこうした現象がしばしば見られるのは、人類の知識的活動とあいまって、美術史学と博物館学の分野においても絶え間なく進歩と変遷が生じているからである」
    だから、展示室と作品の刷新を行っているのだ、と結んでいます。

    第21展示室です。
    重複を避けるために、2015年と違っている部分のみ触れることにします。

    ジョヴァンニ・フランチェスコ・カロートの「嬰児虐殺」(1500c)
    カロートの作品といえば、先ず脳裏に浮かぶのは「漫画を持つ少年の肖像」です。ヴェローナのカステルヴェッキオ市立美術館にあった、この作品は昨年11月に盗まれて、現在行方不明となってます。容疑者が逮捕されたのですが、作品の所在が分からず、戻ってくるのか心配です。

    ジョヴァンニ・フランチェスコ・カロートの「星占いをする三賢人と聖ジュゼッペ?と福音書記者聖ヨハネ」(1500c)

    21室はチョット人気に欠けるようです。

    天井のフレスコ画が素晴らしい!

    作品だけではなく、時には天井に目を向けてやってください。

    第22展示室です。

    22室の天井装飾です。

    現在、22室は混雑しています。

    混雑の理由は、ピエロ・デッラ・フランチェスカの「ウルビーノ公爵夫妻の肖像」(1467‐70c)が展示されているからです。
    臨時的措置で22室に置かれていますが、恒久的になるかも知れません。元々は第7展示室「初期ルネサンス絵画」に置かれていました。
    それにしても旧第7展示室の傑作パオロ・ウッチェッロの「サン・ロマーノの戦い」、マザッチョの「聖母子」。マザッチョとマゾリーノの「聖アンナ・メッテルツァ」が何処にも展示されてません。

    血の気がなく青白く描かれている夫人の肖像は、夫人の死後にピエロが描いたことを示しています。

    フェデリーコ

    裏面にも描かれてます。

    裏面の二つはいずれも「勝利の寓意」となってます。

    透明感のある風景描写に見とれてしまいます。

    私が初めて、このピエロの作品を観たのは30年以上前のことですが、当時はピエロの人気はそれ程でもなかったように思います。

    ロヒール・ファン・デア・ウェイデンの「キリストの埋葬」(1460c)

    廊下に出ました。

    (つづく)

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    from: シニョレッリさん

    2016年05月04日 16時12分41秒

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    美術館・教会巡り(460)ウフィツィ美術館(その22最終回)第90室にやってきました。カラヴァッジョとカラヴァッジェスキ画家の作品が展示されています。

    from: シニョレッリさん

    2016年05月04日 06時05分17秒

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    美術館・教会巡り(460)ウフィツィ美術館(その21)83室にやってきました。83室からレオナルド・ダ・ヴィンチの展示室に行けます。レオナルドの作品を

  • from: シニョレッリさん

    2016年04月28日 09時51分43秒

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    美術館・教会巡り(464) リヴォルノ大聖堂

    街の中心グランデ広場です。広場に面して市庁舎が建ってますが、広場を挟んで市庁舎の対面にあるのが大聖堂です。リヴォルノ大聖堂、CattedralediS


    街の中心グランデ広場です。

    広場に面して市庁舎が建ってますが、広場を挟んで市庁舎の対面にあるのが大聖堂です。

    リヴォルノ大聖堂、Cattedrale di San Francescoです。

    16世紀末にメディチ家によって創建され、18世紀に完成した後期ルネサンス様式の建物でした。司教座が置かれるようになったのは1806年です。

    所が第二次世界大戦中の1943年から1944年にかけて爆撃され、崩壊してしまったので、戦後に再建された建物が現在の姿となってます。1953年に改めて奉献されました。

    全てが再建されたものではなく、元の建物が一部残されているので、少々アンバランスな感じがします。

    鐘楼と後陣は17世紀に建築されたものです。

    ここの見どころはベアート・アンジェリコ(フラ・アンジェリコ)の作品です。

    単廊式、ラテン十字形の内部です。

    左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。

    新し過ぎて、私の好みから少し外れます。

    天井の装飾

    主祭壇と後陣

    身廊通路に描かれている

    初代の建物にあった祭壇画などが残されています。

    モニュメントの説明板です。

    ピエトロ・ソッリ(1556‐1622)の「聖母被昇天」(1605)

    パッシニャーノ(1559‐1640)の「磔刑」(1605)

    トッマーゾ・ガッツァッリーニ(1790‐1853)の「キリストの変容」

    ジュゼッペ・ボッターニ(1717‐1784)の「栄光の聖母」(1745)

    右翼廊にベアート・アンジェリコの作品があります。

    ベアート・アンジェリコの「キリスト」

    トッマーゾ・ガッツァッリーニの「エジプトへの逃避途中の休息」
    他にも沢山の祭壇画がありますが、紹介はこの辺で終わりにしましょう。

    祭壇前から見た入口方向です。

    外に出る前に、振り返ってもう一度見ました。

    外に出ました。

    初めてイタリアに行った時、日独伊三国同盟が頭にあって、第二次大戦でイタリアがドイツ軍に爆撃されたことがピンときませんでした。

    (おわり)

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  • from: シニョレッリさん

    2016年04月22日 09時48分25秒

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    美術館・教会巡り(463) リヴォルノ、サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会

    リヴォルノのViadellaMadonnaです。この通りに面して建っている教会です。サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会です。バロック様式のファサー


    リヴォルノのVia della Madonnaです。この通りに面して建っている教会です。

    サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会です。バロック様式のファサードを持つ、ごく普通の教会のように見えます。

    元の教会の名称であるChiesa dei Greci Unitiと案内板に表記されているようにギリシャ正教徒のための教会でした。

    リヴォルノは、トスカーナ公国の貿易港として大いに栄えましたが、ギリシャ正教徒が貿易のために訪れたり、この街に住んでいました。そのため、16世紀後半にギリシャ正教会教会の建設が要望され、当時の建築家アレッサンドロ・ピエローニやジョヴァンニ・バラッタなどの設計によって、1601年に創建され1606年に完成したビザンチン様式の教会が前身です。

    18世紀にファサードがバロック様式に改修され、ほぼ現在の姿になりました。しかしながら、実は第二次世界大戦で爆撃され、ファサードを除き崩壊したので、ファサードだけがオリジナルで、それ以外の建物は1951年に再建されたものです。
    また、第二次世界大戦後、正教会からカトリックのPurificazione派の売却され、現在はカトリック教会になってます。

    単廊式、ビザンチン様式の内部です。
    カトリック教会乍らビザンチン様式を伝える教会として有名です。

    目立つのは沢山のイコンです。

    祭壇やイコンに使用された金が光り輝くように、中は黄色味を帯びた照明に照らされてます。

    豪華な祭壇です。

    金銀がふんだんに使用されているそうです。

    教会の歴史を知らないと、少し違和感を抱くかもしれません。





    カトリック教会らしい祭壇画はこれだけのようです。





    祭壇前から見た入口方向です。

    珍しい、一見に値する教会です。

    この街を訪れたら見逃せません。

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  • from: シニョレッリさん

    2016年04月08日 10時26分50秒

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    多翼祭壇画と聖会話祭壇画

    多翼祭壇画(Polittico)と聖会話(方式)祭壇画、ヘンテコなトピック題名で何のこっちゃと思われる方がいらっしゃるでしょうね。百聞は一見に如かず、

    多翼祭壇画(Polittico)と聖会話(方式)祭壇画、ヘンテコなトピック題名で何のこっちゃと思われる方がいらっしゃるでしょうね。
    百聞は一見に如かず、先ずは多翼祭壇画の写真からです。

    これが多翼祭壇画です。聖人などがパネル毎に描かれています。

    ベルナルディーノ・ダッディの「サンタ・レパラータ司教座教会の多翼祭壇画」です。
    Cattedrale di Santa Reparataって、何処の大聖堂?と思われる方がいらっしゃるかも知れません。
    これって、一応常識なので、改めて写真を出すのはチョット躊躇しますけど、これがサンタ・レパラータ大聖堂です。

    フィレンツェ大聖堂です。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂とも呼ばれますが、中世の頃はサンタ・レパラータ大聖堂と呼ぶのが普通でした。

    少し脱線しました。話を元に戻します。

    ベルナルドの多翼祭壇画はウッフィツィ美術館にあります。
    多翼祭壇画は古い形式で、やがて聖人などが一枚の画面に描かれるようになりましたが、それを聖会話形式の祭壇画と呼んでます。

    ルーカ・シニョレッリの作品(1510c)です。(ウッフィツィ美術館にあります)
    これが聖会話形式の祭壇画です。
    ルーカは多翼祭壇画も沢山描いています。

    ルーカ・シニョレッリの「アルチェーヴィアの多翼祭壇画」(1507)
    多翼祭壇画と聖会話形式祭壇画の両方を制作した画家は少ないです。15世紀後半を境にして、それ以前は大体多翼祭壇画が主流で、それ以降になると専ら聖会話形式の祭壇画となります。

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