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独断と偏見で楽しむイタリア芸術

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  • from: シニョレッリさん

    2013年06月22日 15時17分32秒

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    リナシメント芸術家(38)ジョヴァンニ・バリオーネ

    バロッコ期に主にローマに活躍した画家ジョヴァンニ・バリオーネはカラヴァッジョ及びカラヴァッジェスキの反対者・敵対者として有名ですが、不思議なことにバリオーネの画風が一時的にせよカラヴァッジェスキ以外の何ものでもなく、彼が著した「画家・彫刻家・建築家たちの生涯」の中で「カラヴァッジョ伝」(カラヴァッジョに対する悪意に満ちていますが)を書くなど、敵対者どころかカラヴァッジョの崇拝者とも取れる行動をとった、誠に興味ある人物だと思います。

    Giovanni Baglione(1566頃ローマ生まれ~1643ローマで没):ローマの画家フランチェスコ・モレッリに師事、初期は後期マニエリスムの画風でした。数々の聖堂装飾に従事するうちに1580年までに教皇庁に注目されるようになり、次第にジュゼッペ・チェーザリと共にサン・ジョヴァンニ・ラテラーノ大聖堂やサン・ピエトロ大聖堂の壁画装飾など重要な仕事に携わるようになりました。その当時の画風はジュゼッペ・チェーザリの影響を受けたものでした。1606年には長年に渡る教皇庁への功績によって、パウルス5世から騎士に任じられました。また、サン・ルカ・アカデミーの創立以来のメンバーで、後にアカデミー院長を務めるなど画家としての政治面でも活躍しました。当時、ジュゼッペ・チェーザリに次ぐ画家として大いに評価されましたが、1590年代にローマに来たアンニーバレ・カラッチやカラヴァッジョの新鮮な表現によって齎された、ローマ絵画界に於ける好みの変化に付いていけず、バリオーネの画家として評価は次第に低下したのです。それがあったので、一時的にカラヴァッジョの強い明暗効果と写実描写を取り入れるようになったと思われます。1620年ころになって、カラヴァッジョの影響から脱してバリオーネ独自の画風に転じましたが、アカデミーの仕事では活躍したものの、画家としては然程見るべきものがなく終わりました。
    バリオーネが今でもよく知られているのは、やはりカラヴァッジョとの関係、中でも「バリオーネ裁判」があったからでしょう。

    ローマのジェズ教会です。ここがカラヴァッジョとバリオーネの因縁の舞台となりました。
    ジェズ教会の祭壇画を巡り、バリオーネ、カラヴァッジョなどローマ画家たち間で受注競争が起きましたが、持ち前の政治力を発揮してバリオーネが受注に成功し、制作されたのが1602年に完成した「キリストの復活(後に取り外され行方不明です)」です。どうも一旦はカラヴァッジョに発注することが決まっていたらしいのですが、ローマ中枢部に強いバリオーネが権謀術数を駆使して逆転受注に成功したようです。
    翌年春ごろからバリオーネとこの作品を誹謗中傷する詩が流行するようになりました。バリオーネは大いに怒り、8月になって遂に名誉棄損の訴訟に踏み切りました。その詩を作り、それを広めた首謀者としてカラヴァッジョ、オラツィオ・ジェンティレスキなど4人を訴えたのです。そしてカラヴァッジョたちの被告は逮捕され訊問を受けました。これが有名な「バリオーネ裁判」で、原告であるバリオーネの訴状、被告4人の訊問記録、訴訟記録などがすべて残されており、当時のローマ絵画界を知る上で貴重な資料となっているのです。訴訟自体は非常に有名なので、改めて私がここで触れる必要はないでしょう。
    ただ、実はこの訴訟には幾つかの背景又は伏線というべき因縁があるので、それについて簡単に触れましょう。

    カラヴァッジョの傑作「勝ち誇ろアモール」です。国立ベルリン美術館にあります。

    カラヴァッジョの「勝ち誇るアモール」に対抗、と言うよりも虚仮にするために描かれたバリオーネの「聖なるアモールと俗なるアモール」です。奇しくも、この作品も国立ベルリン美術館にあります。
    カラヴァッジョ・スタイルを真似て、強い明暗効果と写実表現によって聖なるアモールが「俗なるアモール=勝ち誇るアモール」を足蹴にしている訳で、要すればカラヴァッジョ作品を虚仮にしたのです。カラヴァッジョは自分のスタイルを真似されるのが大嫌いで、盟友のオラツィオ・ジェンティレスキがカラヴァッジョ・スタイルで作品を描いた時、オラツィオと暫く口を利かなかったと言われているくらいですから。
    また、カラヴァッジョには元々「聖なるアモールと俗なるアモール」があって(現存しません)、わざわざカラヴァッジョ・スタイルで「俺の方が腕が上」とばかりに同じ構図でバリオーネが描いたとの説もあるようです。
    では、バリオーネの他の作品を見てみましょう。

    ロレート市立絵画館にある「聖母子と聖人たち」です。(私の写真)

    バリオーネの「マギの礼拝」ですが、カラヴァッジョと奇妙な縁で結ばれているのか、ローマのサン・ルイージ・デイ・フランチャージ教会にあります。(私の写真)

    国立ベルリン美術館にある作品の別バージョンの作品で、ローマ、バルベリーニ宮の国立古典絵画館にあります。

    バリオーネ晩年の1640-42年制作の「ユディト」です。ボルゲーゼ美術館にあります。
    これ以上、彼の作品画像が見つかりません。
    という事で、私が観た彼の作品リストを掲げてこの項を終わりましょう。
    ローマ国立古典絵画館:「羊飼いの礼拝」「洗礼者ヨハネ」「アポストリの足を洗うキリスト」
    ローマ、カピトリーノ美術館:「栄光の聖母」
    ローマ、サンタンジェロ城国立博物館:「荊刑のキリスト」
    ローマ、サンタ・マリア・デル・オルト教会:「聖母伝」「聖セバスティアーノと天使」「パドヴァの聖アントニオ」「聖ボナヴェントゥーラ」「聖母子と聖人たち」(フレスコ)「聖母子と聖人たち」
    サン・ピエトロ大聖堂:「聖ペテロによるタビタの復活」(一部しか残っていません)

    画家としては後世に名を残す存在ではありませんが、皮肉なことに嫌悪して已まなかったカラヴァッジョとの関連によって永遠に忘れられることはないでしょう。




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