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from: シニョレッリさん
2026/03/15 14:52:21
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芸術後進国のフランス
フランソワ1世の時代、フランスは芸術の後進国でした。自国にルネサンス芸術がないので、イタリアからアンドレア・デル・サルトなどを招聘して、芸術の向上を図りました。
蛮族ガリア=フランスなので、「芸術のパリ」などと称するのはちゃんちゃらおかしい。
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from: シニョレッリさん
2026/02/21 08:18:04
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from: シニョレッリさん
2026/02/21 08:13:18
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from: シニョレッリさん
2026/02/21 07:19:28
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東京オリンピックの思い出

1964年、私は高校3年生、受験生でした。
都立高校で整った体育館があったので、オリンピックのバスケットボールの練習場となりました。背の高い選手をたくさん見てびっくりしたのを覚えてます。
オリンピック期間中に代々木で、アメリア代表選手の男女から道を尋ねられたので、身振り手振りで教えてあげました。持っていたノートにサインをしてくれたのですが、サインが読めないと言うと、活字体で書いてくれました。その人はアメリアのハロルド・コノリー選手でした。女性は後で知ったのですがオルガ・コノリー選手でした。
二人とも金メダリストです。この二人は鉄のカーテンを超えた恋で有名な夫婦です。オルガさんはチェコ出身で、メルボルン・オリンピックでハロルド・コノリー選手と恋に落ちて、困難を乗り越え、鉄のカーテンを超えて結婚したのです。東京オリンピックの時は二人ともアメリカ代表でした。 -
from: シニョレッリさん
2026/02/08 06:58:15
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瞑想の聖フランチェスコ

写真はカステッラルクァートです。
カステッラルクァートは人口4,705人(2025年10月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州ピアチェンツァ県にあるコムーネです。
カステッラルクァートのドゥオーモの参事会教会です。教会付属美術館にカラヴァッジョのコピー作品「瞑想の聖フランチェスコ」があります。
コピー作品の写真です。本物はクレモナのアラ・ポンツォーネ市立美術館にあります。
コピー作品はモンテオリヴェートのサンタ・マリア修道院にありました。
カラヴァッジョ真作の「瞑想の聖フランチェスコ」を所有していた人が、真作を祭壇に飾るのは勿体ないと考え、コピー作品を制作して祭壇にはコピー作品に置き換えようとして制作させたのが、このコピー作品です。
このことを知ったので、わざわざカステッラルクァートに行って確かめたのです。 -
from: シニョレッリさん
2026/01/07 16:34:26
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命懸けのフレスコ画制作

教会や宮殿の壁にフレスコ画が描かれていることが多いですが、その制作は非常に危険で命懸けの仕事でした。
多くの画家が制作中に足場から転落して命を落としました。
私が大好きなルカ・シニョレッリもその一人でした。写真はコルトーナのパッセリーニ宮殿です。
フィレンツェのロレンツォ・イル・マニーフィコの息子で長男ピエロ(愚か者のピエロ)、次男ジョヴァンニ(後の教皇レオ10世)などと一緒にメディチ宮殿で育ったのがシルヴィオ・パッセリーニです。
シルヴィオはレオ10世によって枢機卿に任命され、後にコルトーナ司教として、生まれ故郷のコルトーナに戻ってきました。司教の住居として整備されることになったのがパッセリーニ宮殿でした。
ルカ・シニョレッリはパッセリーニ宮殿の装飾の責任者を命じられました。この時、ルカの年齢は一説によれば81歳(生年が不明ですが、いずれにしても80歳頃と思われます)でした。流石に足場を上って高い壁へのフレスコ画制作は難しいと見られていましたが、その当時、コルトーナはフィレンツェの支配下にあり、コルトーナ生まれの枢機卿からの命令は断り切れなかったと思われます。現在の80歳とは違って16世紀前半の80歳は相当な高齢であり、フレスコ画制作は無理であったと思うのが自然と言うものです。 -
from: シニョレッリさん
2025/12/14 15:27:02
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from: シニョレッリさん
2025/12/11 06:25:16
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画家ギルド
トレヴィの泉です。
その直ぐ傍に建つPalazzo Carpegnaです。
ここが画家ギルド、聖ルカ・アカデミー Accademia di San Lucaの本拠地です。
画家が一人前になって独立すると画家ギルドに入会します。入会時に自画像と作品1点をアカデミーに納めるのが普通でした。
それらの作品が無造作に展示されてます。また、展示されていない作品が大半で、それらが束ねられて、保管されてます。
知る人ぞ知る美術館ですが、訪れる人は滅多にありません。
自画像の数々
これはほんの一部です。
束ねられて保管されている作品
これが沢山あります。
展示されているのは一部の一部と言った感じでしょうか。
グイド・レーニの作品
グエルチーノの作品
ラヴィーニア・フォンタナの自画像 -
from: シニョレッリさん
2025/12/04 15:34:36
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再訪したかった ①トージオ・マルティネンゴ絵画館
ブレーシャは非常に見所豊富な街です。

美術関係ばかりでなくオペラが盛んで、オペラだけのために行ったことがあります。
世界遺産となっているサンタ・ジュリア博物館は広大で、見るのが大変ですが、疲れを忘れる程夢中で観て回りました。
ローマ遺跡があります。
心残りはトージオ・マルティネンゴ絵画館です。
修復工事が何と9年間の長き渡り、2019年に漸く再開館の運びとなりました。修復工事以前に3回行ったことがありますが、その当時は写真厳禁でした。
イタリアの美術館や博物館が写真OKとなったのは、2014年頃と記憶してます。ロンバルディア絵画の宝庫と言うべき、この美術館の展示作品の写真を撮りたいと思っていますが、未だに果たせません。
再開館後、コロナがあって、残念ながら私自身の老齢化と相まって、もう行くのは難しいでしょうね。 -
from: シニョレッリさん
2025/12/03 16:00:31
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適正な制作費評価
ルカ・シニョレッリの記録を見ていくと、他の画家が描いた作品の適正な制作費評価依頼を受けたことが少なくても2件あります。

写真はロレート大聖堂です。
中世の頃、オルガンの木蓋に絵が描かれていることが結構ありました。
1513年、ファエンツァ出身の画家アントニオ・ダ・ファエンツァがロレート大聖堂のオルガンの蓋に「受胎告知」を描きました。
1515年5月12日、フィレンツェ出身の聖職者で文学者でもあったフランチェスコデ・マッテオからルカ・シニョレッリに対して、ロレート大聖堂のオルガンの蓋に描かれたアントニオ・ダ・ファエンツァの作品について、その適正な制作費評価依頼がありました。
それを受けて、ルカ・シニョレッリは、コルトーナからロレートに向かいました。その旅費と手当(恐らく鑑定料)の支払い記録が残されてます。しかし、その結果は不明です。
ルカ・シニョレッリの評価を受けたアントニオ・ダ・ファエンツァの受胎告知は、ロレート大聖堂付属博物館で展示されてます。
オルガンの蓋は閉じると見えるように描かれているのが普通です。そのため、通常2枚の作品から成ります。
アントニオ・ダ・ファエンツァの「受胎告知」(1513)








