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独断と偏見で楽しむイタリア芸術

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  • from: シニョレッリさん

    2016年01月24日 16時47分21秒

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    ルネサンス芸術家(73) サッソフェッラート

    サッソフェッラート Sassoferrato は、人口約7300人のマルケ州アンコーナ県にあるコムーネですが、今回はこの町出身の画家サッソフェッラートを取り上げます。

    本名はジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ Giovanni Battista Salvi ですが、本名よりも通称である生まれ故郷のサッソフェッラートと呼ばれる方が圧倒的に多いようです。しかし、美術館の一部でG.B. Salviと書いてあるところがあるので、G.B. Salvi=Sassoferratoと覚えていた方が良いでしょう。

    彼は、バロック期のボローニャ派の画家ですが、ペルジーノ風ながら更に甘美極まりない色彩鮮やかな画風で、ボローニャ派としては非常に異質です。

    「自画像」(フィレンツェ、ウッフィツィ美術館の所蔵ですが、ヴァザーリの回廊にあります)

    1609年、サッソフェッラートに生まれました。父のタルクイニオ・サルヴィが画家だったので、父から絵画の手ほどきを受けました。
    彼の生涯については、殆ど分かっていませんが、1620年代の後半に修行のためローマに赴き、ドメニキーノに師事したと言われてます。ドメニキーノは1630年にナポリに移ったので、その師弟関係は短かったとされてます。
    その他に、フランチェスコ・アルバーニ、グイド・レーニに師事したとの説もありますが、確証はありません。
    また、アンニーバレ・カッラッチに弟子入りしたとの説がありますが、これは絶対に有り得ないにも拘らず、平然とそれを載せている美術本があります。何故ならば、アンニーバレ・カッラッチは、サッソフェッラートが生まれた年である1609年に死去しているからです。この記述を見てから、その本の著者の記述一切を信用しないようにしています。
    グイド・レーニとの関係は、Menterだったとの説に私は賛成します。

    彼の作品を一つご覧なって頂きましょう。

    ベルガモのカッラーラ美術館所蔵の「聖母子」です。

    甘美極まりないですね。
    彼の作品は美術館で非常に目立ちます。その理由は、美術館における展示方法ですが、年代別やバロックとかルネサンスなどの様式別、或いはフィレンツェ派とかフェッラーラ派などの土地別でされることが多いのですが、サッソフェッラートは、それに従えば1600年代、バロック様式そしてボローニャ派の画家に分類され展示さるのが普通、でも作品自体は正しく盛期ルネサンススタイルなので、非常に目立つのです。
    バロック期にありながら、バロック様式とは全く無縁の盛期ルネサンス様式を維持したという訳です。
    彼の作品を一瞥しただけで、瞬時にサッソフェッラートの作品を分かります。

    このような一見ペルジーノ風の画風だったので、18世紀には、ラッファエッロが活躍した時代のラッファエッロ追随者の画家と誤認されていました。

    ドメニキーノに師事しながら、ローマで数多くの作品を見ながら学び、アルブレヒト・デューラー、ラッファエッロ、グイド・レーニなどの影響を受けたボローニャ派スタイルの画風でしたが、1629年または1630年代にローマでピエッレ・ミニャルドに出会うと ピエッレから強い影響を受けるようになり、やがてピエッレの影響を受けた甘美な独自のルネサンス様式にたどり着いたと思われます。
    1685年8月8日、ローマで死去しました。

    彼の作品は非常に人気があり、富裕層からの注文が相次ぎました。
    また、その注文ですが、顧客がお気に入りの作品を選び、それと同じ作品を注文する傾向が強く彼自身もそれを受け入れたので、殆ど同じような作品が多数残されることになりました。
    その辺を少し見てみましょう。

    「祈る聖母」(ロンドン、ナショナル・ギャラリー所蔵)

    「祈る聖母」 こちらはベルガモのカッラーラ美術館にあります。

    ヴェネツィアのサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の「祈る聖母」

    「祈る聖母」(ワルシャワ王立美術館蔵)
    キリがないので、このくらいにしますが、殆ど同じと言うのがお分かりでしょう。
    その為、彼の作品を観るとどこか別の所で見た、何処だっかと考えてしまいます。私にとって、ちょっと厄介な存在の画家です。

    ポルディ・ペッツォーリ美術館の「聖チェチリア」
    個人蔵の「聖チェチリア」
    同じような作品画像を並べるのはこのくらいにしましょう。
    最後に彼の作品をいくつかご紹介をして、この項を終わります。

    ウルビーノの国立マルケ美術館にある「磔刑」

    「聖母子」(ルーブル美術館蔵)

    「聖母子」(ルーブル美術館蔵)

    「聖母子」(ルーブル美術館蔵)

    「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(ルーブル美術館蔵)
    「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(ルーブル美術館蔵) これも殆ど同じですね。

    「受胎告知」(ルーブル美術館蔵)

    「聖母被昇天」(ルーブル美術館蔵)
    (おわり)

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コメント: 全2件

from: シニョレッリさん

2016年01月25日 17時36分56秒

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にょん太さん、コメント有難うございます。

私も全く同感です。
一時期、印象派ばかりを見ていましたが、今となっては、あの時間を返してほしいと思います。
私の印象派好きは受け売りでした。恥じ入るばかりです。

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from: にょん太さん

2016年01月25日 16時12分05秒

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シニョレッリさん、

サッソフェッラートは、捌き切れないほどの注文を受けた、当時の人気画家です。

世界の主要美術館に行けば、必ず目にする程、評価が高い。その一方で、我が日本では知る人があまりいない、その理由を考えると、日本人は人の受け売りが好き、それに尽きると思います。

サッソフェッラートと対照的なのは、ゴッホでしょうね。ゴッホは生前に一枚の作品も売れませんでした。
ゴッホが描いていた時代に生きていた日本人も勿論誰も評価しなかった。しかし、今ではゴッホ展を日本で開催すれば、長蛇の列です。世間が評価するから行くんです、人の受け売りなんですね。

芸術は自分の目や耳で判断するものと痛感させられたサッソフェッラートの項でした。

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