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  • from: H-2さん

    2019年07月27日 14時08分19秒

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    「波濤を越えて」を読んで

    こんにちは、皆様いかがお過ごしでしょうか(^_^)。
    今回は、元海上保安庁長官の佐藤 雄二氏が執筆された「波濤を越えて」(文藝春秋発行)という題名の著書について取り挙げます。
    文章が長くなってしまいましたが、ご容赦ください<(_ _)>。

    著書の佐藤 雄二氏は、海上保安官から初の海上保安庁長官になられた方です。
    佐藤氏の就任以前、海上保安庁長官という役職は、運輸省や国土交通省の官僚が担当していましたが、2013年に安倍内閣の意向により、海上保安大学出身の幹部として、初めて佐藤氏が就任しました。
    著書の内容は、佐藤氏が海上保安官になってから、退官するまでの回顧録の形式になっています。

    まず佐藤氏の経歴を以下に記載し、その後に個人的な感想を記載します。

    佐藤氏は、1973年に海上保安庁の幹部養成機関である、海上保安大学に入学します。
    大学では空手部に所属し、航空機のパイロットを目指していましたが、パイロット候補者枠の削減により断念し、通信科で通信技術を学び、1977年に卒業します。
    海上保安大学を卒業後、佐藤氏は横浜海上保安部所属の巡視船「いず」の三席通信士に赴任します。
    その後、外務省出向や本庁勤務を経て、1989年に第七管区所属の警備実施強化巡視船「くにさき」の首席通信士に赴任し、「くにさき」の乗務員で編制された「特別警備隊」の規制班長に就任します。
    「規制班」とは、特別警備隊において警備実施を担当する部隊です。
    同年、沖縄本島沖でパナマ船籍の貨物船が船員に乗っ取られる事件が発生し、佐藤氏は、この事件の対応にあたります。
    1990年に佐藤氏は、特殊警備隊「SST」の前身部隊である「関西国際空港海上警備隊」の隊長に就任。
    さらに1991年には、プルトニウム輸送船警乗隊の隊長に就任し、92年に輸送船警乗任務を務めます。
    その後、佐藤氏は本庁勤務を経て、1997年に第十一管区所属の巡視船「くにがみ」の通信長として赴任。
    2001年4月には特殊警備隊(SST)の拠点である、特殊警備基地の基地長に就任します。
    この「基地長」は、SSTに複数いる「隊長」の上司にあたる役職であり、SSTの総責任者に相当します。
    その後、佐藤氏は、2003年に第十管区海上保安本部警備救難部長に就任します。
    さらに本庁勤務を経て、2010年に第十管区海上保安本部長、2012年に本庁の警備救難部長を務め、2013年に海上保安庁長官に就任し、2016年に退官されています。

    佐藤氏の経歴は以上です。

    それでは、以下に個人的な感想を記載します。

    佐藤氏の経歴を拝見すると海上警備隊、プルトニウム輸送船警乗隊、特殊警備隊(SST)の幹部を歴任しており、特殊部隊に関する経歴が多い方です。
    佐藤氏は2001年から2003年まで、特殊警備基地の基地長を務めていますが、著書にはこの期間中の具体的な活動について記載されていません。
    佐藤氏も著書のあとがきで、御自身の経歴は秘匿事項が多いと記載しています(^_^;)。
    ですが、いくつか注目すべき点がありましたので、挙げていきたいと思います。

    1989年にパナマ船籍の貨物船が船員に乗っ取られる事件が発生し、この事件の際、佐藤氏は特別警備隊の班長として、巡視艇から相手の船に乗り込みますが、佐藤氏が乗り込んだ際、船の上空からヘリで降下した海上保安官達がいたと記載されています。
    佐藤氏はこの部隊の所属を明らかにしていませんが、「海上保安庁特殊部隊SST」という書籍に、海上警備隊がホイストで降下し、船員を制圧したことが記載されています。
    この書籍は、元特殊警備隊隊長とされる住本 祐寿氏が「坂本 新一」という名で執筆協力しており、誇張が多く、過去に何度もこの掲示板で取り挙げていますが、佐藤氏の記述により、1989年の船舶乗っ取り事件に関しては、事実関係が合っていたことになります。

    また、プルトニウム輸送船警乗隊の隊長としての活動も興味深く、プルトニウム輸送船「あかつき丸」が老朽化した船であり、フランスまでの往路は天候不良により、何度もエンジンや発電機にトラブルが発生したとのことです。
    またフランスの港に停泊中は、輸送船の警備に追われ、出港までの3日間、不眠で警備したそうです。

    さらに2001年には、九州南西海域において、海上保安庁の巡視船が北朝鮮の工作船に対して射撃し、工作船が自沈する事件が発生しましたが、この事件の発生前に、巡視船「くにがみ」の通信長として勤務していた佐藤氏が、武器使用マニュアルを作成し、各巡視船の乗組員に指導をしていたため、工作船に対して冷静に武器を使用できたとのことです。
    佐藤氏がマニュアルを作成するまで、武器の使用に関する法律はあっても、具体的な使用方法を記載した資料は無かったとのことです。
    マニュアルが無かったという事には、驚きました。
    佐藤氏がマニュアルの必要性を本庁で訴えても、当初は変人扱いされたとのことですから、2001年の工作船事件の際にマニュアルに基づいて訓練を実施していなかったら、おそらく殉職者が出ていたのではないかと思います。

    また著書のあとがきには、佐藤氏の私見として、海上自衛隊と海上保安庁の今後の関係や、あり方が記載されています。
    概ね共感できる内容なのですが、佐藤氏は海上自衛隊に海上警備行動の権限があることに疑問を呈しており、海上警備任務は海上保安庁が人員と船舶を増強し、専従で行うべきであると主張されています。この点は疑問に感じました。
    陸上においては、大規模なテロや武装工作員の襲撃を想定して警察と陸上自衛隊が頻繁に訓練を行っており、海上自衛隊と海上保安庁は救難業務について、緊密に連携ができているとのことですから、海上警備業務においても緊密に連携して対応するべきでしょう。
    中国が海洋権益を拡大させるために、国の総力を挙げて挑んできているのに対して、海上保安庁だけで対処するというのは、やはり限界があると思います。

    色々と記載してしまいましたが、海上保安庁や海上の警備救難事案に興味がある方には、読みごたえがある内容だと思います(^_^)。

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