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  • from: Knob Turnerさん

    2010年12月31日 02時11分21秒

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    「Re:今年一年間、ありがとうございました。」
    こんばんは^^

    こちらこそ、有益な情報交換の場を設けて頂いて感謝の極みです。
    来年からもよろしくお願いします。

    皆様、良いお年をお迎え下さいm(__)m

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  • from: H-2さん

    2010年12月31日 01時30分24秒

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    今年一年間、ありがとうございました。

    今年も、残すところあと僅かとなりました。
    メンバーの皆様、また閲覧して頂いた皆様、今年一年間ありがとうございました<(_ _)>。

    当サークルも発足から3年が過ぎ、来年から4年目となります。
    来年も引き続き、皆様の交流の場としていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。

    それでは、良いお年を(^_^)。

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  • from: Knob Turnerさん

    2010年12月23日 14時44分58秒

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    「Re:Re:総アクセス件数が15万件を超えました」
    こんにちは〜

    15万アクセスおめでとうございます^^

    >SF Det-E
    やはりそうだったんですね。ありがとうございますm(_ _)m
    "Bo" Bakerの名前はBeckwith大佐の回顧録にも出てきますね。確か、ヴェトナムでProject DELTAを率いていた時の作戦将校だったと思います。そして、現役の特殊部隊大佐として謎の死を遂げた人物でもあります…

    Baker大佐は1950年に下士官兵として空軍に入隊するものの、陸軍へ転属して56年に少尉任官。第9歩兵師団、第4歩兵師団、第7歩兵師団、第82空挺師団などで小隊長や中隊長を務めた後、特殊部隊訓練を経て第6特殊部隊グループに入隊。その後、ヴェトナムのMACV Recondo School校長とB-52 Project DELTAの作戦将校、JFK軍事援助センターの教官、在パナマのジャングル戦訓練センター長、第2レンジャー大隊の初代大隊長、第10特殊部隊グループ第2大隊長、在欧米陸軍の連絡将校などを経て、特殊部隊欧州分遣隊長を務めていた1980年に急逝。
    一説には、当時CIAが欧州で行っていた秘密工作に絡む不正を内部告発しようとして目をつけられていた、という話もありますが今なお真実は分かっていません。

    >ベルリン旅団A分遣隊
    なんと、特殊部隊の50周年記念本にもほとんど記述がないんですか(汗)
    判明しているのは部隊の沿革ぐらいで、その他は本当に謎が多いですね。
    創設当初は第10特殊部隊グループから抽出した6個作戦分遣隊から成っており、全体の指揮を執ったのは少佐で、大尉がそれを補佐。各分遣隊は曹長を隊長とし、その下に5名の軍曹が配属されていたそうです。他のスタッフ等を入れても、総勢50人に満たなかったということになりますね。

    ちなみに、1984年にベルリン旅団A分遣隊(第39特殊部隊作戦分遣隊)が解散した後も冷戦終結まで、PSSE-B(在ベルリン物理的保安支援班)なる部隊が置かれていたそうです。PSSE-Bメンバーの大部分は元ベルリン旅団A分遣隊の隊員達で、合衆国政府および陸軍の施設をテロ攻撃から保護するために保安設備等の脆弱性の調査分析活動を行っていたとか。ヨーロッパを中心に近辺の中東やアフリカにも出掛けて、現地の米大使館・政府宿舎・米軍施設において100以上もの調査を行ったそうです。


    西ドイツやLRSUの話も非常に興味深いです^^
    そもそもLRSUの起源となったLRRPのコンセプトが、『NATOの正面(=東欧)で予想される戦争において、敵戦線後方150kmまでの深部偵察を専門とする小規模部隊の運用計画』だったはずなので、そういう隠密越境偵察を行っていても何ら不思議はありませんよね。

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  • from: 予備役士長 - 2さん

    2010年12月23日 00時04分31秒

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    「Re:総アクセス件数が15万件を超えました」
    >H-2さん

    おお!15万アクセスおめでとうございます♪
    それだけこのサイトが注目されているって事、そして特殊部隊に結構関心が高いという事なんでしょうかね(^^

    >Knob Turnerさん
    はい、おっしゃる通り欧州分遣隊(Det-E)とベルリン旅団のDet-Aは別組織でした。
    Knob Turnerさんの書き込みのとおり、Det-Eは当時ドイツに展開していた第10特殊作戦群第1大隊の指揮・統制・支援がメインという事で特殊部隊記念本に出ておりました。なお、初代指揮官は
    A.J."BO"Baker大佐だそうです。

    で、DET-Aのほうですが、こちらの前身はDEt-Eができる以前の1956年から活動をしており、当初は第6歩兵連隊本部隷下の7761ARMY UNITに組み入れられていました。
    その後同連隊本部の保安小隊の中に編入されたとされています。
    そして、1962年にUSAREUR(欧州陸軍)に新編されたのベルリン旅団内にDET-Aとして置かれるようになりました。
    興味深いのは、この時のベレーフラッシュは第10の緑に西ドイツ国旗のカラーがラインで入った有名な物を双方が使用していたこと。
    そして、現在DET-Kが39thSFOD(第39特殊部隊分遣隊)を名乗っていますが、元はこのDET-Aがこの部隊名を使っていました。

    当時のベルリン旅団は対東の諜報活動及び作戦部隊で、以前書いたように東側への直接行動などが入っていたりして、なかなか機密性の高い存在で、ナント、特殊部隊記念本の部隊歴解説にも出てきません!唯一はイーグルクロウ作戦で活動した記事だけが出ています。

    当時の東西の諜報合戦は熾烈を極めたようで、DET-Aではないですが、軍事情報部隊のLRSU(長距離監視部隊)などは国境沿い、または越境して偵察活動を行っていたそうです。

    また、当時特殊部隊を持っていなかった西ドイツは自国海軍のKSK(戦闘泳者中隊)の隊員が東側の港の偵察などを実施していたそうです。

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  • from: H-2さん

    2010年12月21日 15時32分23秒

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    総アクセス件数が15万件を超えました

    こんばんは(^_^)。
    現在、knob turnerさんと予備役士長さんが、とても興味深い話題を掲載している途中ですが、12月現在で特殊部隊同好会の総アクセス件数が15万件を超えました。

    このサークルは勿論、営利目的で行っているものではありませんが、相当なアクセス件数です。
    これも、御参加頂いているメンバーの皆様方のおかげだと思っています。
    御礼申し上げます<(_ _)>。

    また、最近メンバーになられた方もいます。
    掲示板での話題は、必ずしも特殊部隊の分野だけに限定している訳ではありません。
    社会情勢や映画の話題など、何でも結構ですので、どうか気軽に掲示板に書き込んで下さい(^_^)。

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  • from: Knob Turnerさん

    2010年12月13日 23時51分26秒

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    「Green Beret」
    こんばんは〜
    長くなってたので標題変えました^^

    B-53は訓練センターに携わっていたんですね。情報ありがとうございますm(_ _)m

    >ベルリン旅団A分遣隊
    おっしゃるとおり、市街地での対テロ作戦や諜報任務など通常のAチームとは違った“ブラックな”活動を行っていたそうですね。そもそも指揮命令系統からして通常のラインではなく、CIAが絡んでいたという話も。。。
    ここのメンバーは髪を民間人のように伸ばして東ドイツ製の私服を着込み、東欧各国の身分証を常に携帯して、東側の人間と同じように考え、歩き、話すよう徹底的に訓練されていたと聞きます。

    それで、私も以前まで誤解してたんですが、特殊部隊欧州分遣隊(Special Forces Detachment Europe)とベルリン旅団A分遣隊(Special Forces Detachment-A, Berlin Brigade)はどうやら別みたいなんですよ^^;
    欧州分遣隊は1968年に創設され、70年代に入って開始された特殊部隊グループの再編(グループ編成を4個中隊から現在の3個大隊に変更する)過程で、早々と第10特殊部隊グループ第1大隊の基幹として吸収されています。
    対して、ベルリン旅団A分遣隊は1956年に前身である第7761陸軍部隊が創設され、同じく第10の第1大隊に編入される84年まで存続していました。
    思うに、欧州分遣隊が創設された直後に第10が西ドイツから米本土へと引き揚げているところをみると、欧州分遣隊はベルリン旅団A分遣隊のような作戦部隊というよりも、特殊部隊韓国分遣隊(Det-K、今は第39特殊部隊分遣隊)のような指揮統制部隊だったんじゃないかと個人的には考えています。
    この辺、逆に例の特殊部隊50周年記念本で両部隊についてどのように書かれているのかが非常に興味あります^^

    イーグルクロー作戦でイラン外務省ビルの攻撃を担当する予定だった特殊部隊チームは、やはりStanley Olchovik大佐の指揮によるものだったんですね。
    Beckwith大佐曰く、『私の旧友で数ヶ国語を話し、部下から大変尊敬されていた』でしたっけ^^

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  • from: 予備役士長 - 2さん

    2010年12月13日 22時33分09秒

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    「Re:Re:Re:Re:系譜」
    >     B-53(???)

    1964年2月にできたB-53は特定のギリシャ文字ネームはなく、Long Thanhにて、特殊任務援助部隊(後にグループに)としてARVN空挺レンジャー訓練センターの支援を主任務としていました。

    > 三島軍曹はCCC所属だったそうなので、特にNishimura大尉やUemura軍曹とは直接面識があったかも!?

    三島軍曹はタバタ曹長とイシモト曹長とは交流があったようです。まあ、現職時代からかは不明なんですけどね(^^;

    三島軍曹といえば、以前Knob Turnerさんも書かれていた、ベトナム戦死者第1号は第1からという話を引き合いに、
    「かつてベトナムでの戦死者第1号は第1特殊部隊群からであったが、アフガニスタンでの戦死者第1号も第1からでてしまった。」
    ともらしていたのを思い出しました。

    >特殊部隊欧州分遣隊
    この部隊は同時代の他の特殊部隊群とはまた違った路線を進んでいった部隊でもありました。

    Berlin BrigadeのA分遣隊は東ドイツ、ひいては背後のワルシャワ機構との直接対立のため、ヨーロッパでの戦闘及び情報収集を任務としていました。

    中には、ADM(戦術核爆破装置)を国境付近や敵地へ設置するなどという任務も請け負っておりました。
    また、ヨーロッパの街中での戦闘や、70年代から激しくなったテロ攻撃に関し、市街地での戦闘チームを組んでいたものヨーロッパの分遣隊でした。
    また、この事があったためか、Eagle claw作戦ではDELTAの手が回らなかった大使館職員の救出作戦に参加する予定でした。
    この事は三島軍曹のD446にも触れられていましたね。
    なお、前回紹介した50周年記念本には当時の指揮者だったStannley Olchovik退役大佐が作戦でのA分遣隊の活動についてインタビューを受けた内容が出ています。

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  • from: Knob Turnerさん

    2010年12月13日 01時33分19秒

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    「Re:Re:Re:系譜」
    こんばんは^^

    ギリシャ文字プロジェクトのチームも越境作戦やってたんですね〜
    てっきり、Project〜とSOGで国内外の区分けがされていたものと思ってました。
    ありがとうございます、また一つ勉強になりましたm(__)m

    そういえば、当時の第5特殊部隊グループはギリシャ文字プロジェクトのために5番目の中隊を臨時編成していたそうですね。
    この時期の特殊部隊グループは基本的にA〜Dの4個中隊編成(今とは違い中隊本部がC分遣隊、Cチームと呼ばれていた)でしたが、第5だけは5個目のE中隊(C-5)を設置して特別プロジェクトの実施やRECONDO Schoolの運営に当たらせていました。
    通常のA〜D中隊は各地域ごとに、自ら訓練したMSF(マイクフォース)やMGF(機動ゲリラ部隊)を率いてヴェトコン抑え込みのための地域パトロールや正規軍支援を行っていたようです。

    当時の編成は、、、
     第5特殊部隊グループ
      ・A中隊(C-3)。拠点はビエンホアで、南ヴェトナム中部〜南部を担当。第3マイクフォース司令部を保有。
      ・B中隊(C-2)。拠点はプレイクで、南ヴェトナム中部を担当。第2マイクフォース司令部を保有。
      ・C中隊(C-1)。拠点はダナンで、南ヴェトナム北部を担当。第1マイクフォース司令部を保有。
      ・D中隊(C-4)。拠点はカントで、南ヴェトナム南部を担当。第4マイクフォース司令部を保有。
      ・E中隊(C-5、臨時編成)
        B-50 Project OMEGA
        B-51(南ヴェトナム陸軍特殊部隊訓練センターを運営)
        B-52 Project DELTA
        B-53(???)
        B-55(第5マイクフォース司令部を運営。Project GAMMAとも関係があった模様)
        B-56 Project SIGMA
        B-57 Project GAMMA
        第403特殊作戦無線偵察分遣隊
        MACV RECONDO School
        マイクフォース訓練司令部
    みたいな感じだったとか。

    >「WHITE STAR」作戦
    例の特殊部隊創設50周年記念の本ってそんなタイトルだったんですね!
    そういう本が存在するらしいってのは聞いてたんですが、正式なタイトルが分からずに困ってました^^;
    ありがとうございます! 今度探して入手してみます^^

    Operation WHITE STAR(当初はOperation HOTFOOTで、1961年からWHITE STARに変更)ですが、おっしゃるとおり、後の特殊部隊の有名人となる人物が結構参加しています。
    HOTFOOT/WHITE STARの現地司令官だったBull Simons中佐をはじめ、Herb Brucker少佐、Ludwig Faistenhammer少佐、Bud Sydnor大尉、Charlie Beckwith大尉、Bob Mountel大尉、Dick Meadows曹長、Vladimir Sobichevsky軍曹、そして以前ここでも話題に挙がったTabata曹長などなど。。。
    Beckwith大佐なんかは回顧録の英SAS派遣直前の件で、『この頃の私はラオスでの特殊作戦経験を有するパリパリの特殊部隊大尉で、自惚れも強かった。』みたいな記述がありましたっけ^^

    Brucker少佐は元OSSで第101分遣隊などに所属。戦後は第10特殊部隊グループの創設メンバーとなり、英王立海兵隊に感銘を受けて緑色のベレー帽を初めて持ち込んだ人物です。
    Faistenhammer少佐は後に、今でも謎が多い特殊部隊欧州分遣隊長を務めています。
    Sydnor大尉はグリンベレーと英SASの交換留学計画における第1期生でDick Meadows曹長と共にSASへ派遣されています。後に第1特殊部隊グループ司令官を務め、Beckwith大佐の回顧録にも交換計画の前任者として登場しています(ただ、SAS留学経験者のわりにBeckwith大佐のデルタフォース創設計画には乗り気じゃなかったようですが^^;)。
    Mountel大尉は言わずと知れたBeckwith大佐の永年のライバルですね^^。後に第5特殊部隊グループ司令官として暫定的対テロ部隊計画"Blue Light"を指揮しています。
    Sobichevsky軍曹は、ヴェトナム従軍前は第10特殊部隊グループ所属で、有名なコンゴでの在留欧米人救出作戦に参加しています。その後はMACV-SOGにも所属し、最後は大佐で退役しました。

    WHITE STARに日系隊員がいたとは知りませんでした! 「SP5 Kato」、「カトウ特技兵」ということでしょうか。
    この当時の日系・日本人の特殊部隊員としては、三島軍曹、Tabata曹長、Wade Ishimoto曹長、Rod Nishimura大尉(MACV-SOGのCCCに所属し、名誉勲章受章者のFranklin D. Miller軍曹と共に活動。後に大佐としてUSSOCOMに勤務し退役)、Glen Uemura軍曹(同じくSOGのCCCに所属し、先ほどのMiller軍曹率いる偵察チームでワン・ワン=副隊長を務める)などが有名ですね^^
    三島軍曹はCCC所属だったそうなので、特にNishimura大尉やUemura軍曹とは直接面識があったかも!?

    ちなみに、MACV-SOGのRT(偵察チーム)には独自のコールサインがあって、1-0(ワン・ゼロ)、1-1(ワン・ワン)、1-2(ワン・ツー)がそれぞれ隊長、副隊長、無線通信員を表していました。
    さらに、RECONDO Schoolなどとは別にOne-Zero Schoolと呼ばれるSOGの偵察チーム隊長を養成する学校も存在していたそうです。

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  • from: 予備役士長 - 2さん

    2010年12月12日 20時41分53秒

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    「Re:Re:系譜」
    こんばんは(^^

    > いわゆる“ギリシャ文字プロジェクト”については、
    >   B-50 Project OMEGA
    >   B-52 Project DELTA
    >   B-56 Project SIGMA
    >   B-57 Project GAMMA
    > の四つが存在していました。

    すいません、OMEGAのこと失念していました(--;
    で、手持ちの資料の「Insignia of Secial forces in Southeast Asia」の中に、これらPlojectのチームも越境任務が与えられていたという記述がありました。

    > このLRRP学校の全ての教官はProject DELTAの隊員であり、彼等は訓練の合間をぬって実戦にも従事していたため心身共に疲弊が激しかったからです。

    これは、通常任務もさることながら、RECONDOスクールは3週間ほどの即席コースで、約130名の将兵が毎月2クラス実施されていたそうです。(しかも各部隊のLRPなどのチーム単位)
    1週目は戦術・通信などの座学、2週目はヘリの潜入や離脱訓練、後半はパトロールの訓練に明け暮れたそうです。
    3週目は5日間のジャングルでの実戦想定訓練を行い、晴れて卒業となります。優秀隊員にはダガーナイフが贈られたとのこと。

    記録上では部隊で必要という事で、沖縄などで、即席空挺降下訓練(3日ほどでジャンプを終える最短コース!)を行ったりもした
    LRRPスクールもあったそうな。

    インストラクター役とはいえ、こんな訓練をハイサイクルでやっていたら疲労もたまりますね(^^;


    そうそう、初期の頃第7によって行われていた「WHITE STAR」作戦の事が「SPECIAL FORCES THE FIRST FIFTY YEARS 」という特殊部隊50周年記念本に出ていまして、この作戦に参加した隊員のリストが出ているのですが、見てみるとBull Simons, Dick Medows, Charlie Beckwithなど、特殊部隊の有名人が皆参加していた作戦だったんですね。

    Knob Turnerさんあたりは興味をひくかなと思えるネタが。
    この資料本の作戦のページに作戦中の隊員の写真があるのですが、一人東洋人の隊員が映っています。「SP5 Kato」つまりは日系人のようです。この頃の初期の部隊にKatoという名前の隊員がいたみたいですが、リストにはその名前がないんですよ。
    ちょっと興味深いですね。

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  • from: Knob Turnerさん

    2010年12月11日 05時55分10秒

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    「Re:系譜」
    こんばんは〜

    >予備役士長さん
    そうでしたね^^
    一番最初にヴェトナムの地へ足を踏み入れたのは、第1特殊部隊グループの前身の一つとなった第14特殊部隊作戦分遣隊ですね。ここでは、同分遣隊に所属していたHarry G. Cramer, Jr大尉が戦死し、ヴェトナム戦争における初の米軍戦死者となりました。
    第7も当初は第77特殊部隊グループとして隣国ラオスで秘密作戦に従事しており、途中からヴェトナムへも関与。第5特殊部隊グループは当初からアジア・太平洋地域での作戦に投入する目的で創設されました。
    そしてこれらの活動を調整するために設置されたのがUSSFV(在ヴェトナム米陸軍特殊部隊司令部)で、当初はこの指揮下で第1・第5・第7が6ヵ月交代で活動していましたが、後に第5が原則全ての作戦を担当することになり、任期も1年に延びました。


    いわゆる“ギリシャ文字プロジェクト”については、
      B-50 Project OMEGA
      B-52 Project DELTA
      B-56 Project SIGMA
      B-57 Project GAMMA
    の四つが存在していました。
    そしてその元祖となったのが、一番最初のProject LEAPING LENAから発展したProject DELTAというわけです^^
    Project LEAPING LENA自体はあくまでも訓練プロジェクトで、LLDB(南ヴェトナム陸軍特殊部隊)やCIDG(民間不正規兵防衛グループ。現地の少数民族を組織化した不正規戦部隊)が南ヴェトナム国内における機密度の高い長距離偵察任務を遂行できるようグリンベレーによる訓練を行うことが目的でしたが、やがてこの試みが本格化されると第5特殊部隊グループのBチーム(現在の特殊部隊中隊本部に相当)の一つであるB-52を指揮統制本部とするProject DELTAへと発展しました。
    Project DELTAは徐々に規模を拡大し、独自のLRRP学校も設置して他の米陸軍歩兵師団、米海兵隊、豪軍SAS、韓国軍などにも高度なLRRP訓練を提供するなど傍目には大変な成功でしたが、当時の第5特殊部隊グループ司令官だった“ブラックジャック・ケリー”ことFrancis J. Kelly大佐は決して両手離しで喜ぶことができなかったといいます。何故なら、このLRRP学校の全ての教官はProject DELTAの隊員であり、彼等は訓練の合間をぬって実戦にも従事していたため心身共に疲弊が激しかったからです。
    しかし、当時のMACV(在ヴェトナム軍事援助コマンド)司令官だったWilliam C. Westmoreland大将はより多くのLRRPを必要としており、また、常設的なLRRP訓練プログラムを望んでいました。そこで、Westmoreland大将はProject DELTAを様々な面から支援することと引き換えに、隊員の一部を引き抜いてMACV-RECONDO School(MACV偵察コマンドー学校)を創設し、自軍と友軍の将兵に引き続きLRRP訓練を実施しました。この学校が運営された1966〜70年の間で合計5395名が訓練課程に参加し、そのうちの3357名が卒業したそうです(この合格率からも分かる通りなかなかタフな課程だったようです^^;)。

    で、話を本筋に戻すと、このProject DELTAをモデルとして少し遅れて開始されたのがB-50 Project OMEGAとB-56 Project SIGMAです。
    いずれもProject DELTAと同じく南ヴェトナム国内のヴェトコン支配地域における長距離偵察や情報収集を目的としており1〜2年ほど存続しましたが、最終的には規模を縮小してMACV-SOGに吸収されました。

    残るB-57 Project GAMMAは、縮小過程にあったProject OMEGAおよびProject SIGMAから複数の偵察チームが移管されて開始されたもので、おっしゃるとおり他のギリシャ文字プロジェクトとはだいぶん毛色が違います。CIAやフェニックス・プログラムとの関係が深いとされ、南ヴェトナム国内での秘密諜報活動や対敵諜報活動に従事していました。詳しい情報は今でもほとんど出ておらず、そういった意味ではMACV-SOG以上に謎が多い部隊です^^;
    デルタフォース創設メンバーの一人で、情報将校を務めた日系のWade Ishimoto大尉がProject GAMMA出身でしたよね。

    ちなみに、“オーヴァー・ザ・フェンス”と呼ばれた北ヴェトナム・ラオス・カンボジアなどへの越境偵察作戦を行っていたのはMACV-SOGのみで、これらギリシャ文字プロジェクトはあくまでも南ヴェトナム国内での活動に限られていたようです。

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