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  • from: H-2さん

    2014年06月26日 09時59分36秒

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    Knob Turnerさん、投稿ありがとうございます。
    返信が遅れ、申し訳ありません(^_^;)。
    連続投稿は気になさらないで下さい。
    投稿は大歓迎です(^_^)。

    >一部の議員からは「テロに屈した」「今後テロリストは同胞解放のために積極的に米兵を捕虜にするだろう」と批判の声があがっているようですが、個人的には道義的にも米軍全体の士気という観点的にも正しい決断だったのではないかなと思います。

    その通りだと思います。
    反米武装勢力と取引をするという事は、アメリカ政府にとっては屈辱的だったのかも知れませんが、他に救出する方法が無いのであれば、やむを得ないと思います。
    ですがこの結果、タリバンの主要幹部5人がアフガニスタンに戻った訳ですから、今後はアメリカに対するテロや、アフガニスタン政府に対する襲撃が激しくなることが予想されますので、あらゆる警戒を強化する必要があるでしょうね。
    囚われていたBowe Robert Bergdahl軍曹は、大変な境遇にいたわけですから、精神的なケアを含めて職場に復帰できるよう、様々な支援が必要だと思います

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  • from: H-2さん

    2014年06月26日 09時37分20秒

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    こんにちは、Knob Turnerさん。
    返信が遅れて申し訳ありません(^_^;)。

    ウィキペディアによるとRobert D. Wiegand氏は1983年から1985年までの間、少将の階級で、JFK特殊戦センターの司令官を務めているようですね。
    この方は特殊部隊に理解が無いというよりも、単に特殊部隊の経験が無いから分からなかったのではないでしょうか(^_^;)。むしろ司令官としての人選に問題があったのではないかと思います。
    上官を殴るようなことは本来あってはならない事なのでしょうが、よほど納得がいかなかったのでしょう。
    Bob Howard氏はこのような事が無ければ、おそらく将官になっていたのでしょうね(^_^)。

    John K. Singlaub少将は、Knob Turnerさんが2011年の5月に掲示板で紹介して頂いた方ですね。
    大統領に職を辞する覚悟で進言するとは、大変な信念をお持ちの方だったのですね(^_^)。
    カーター大統領が進言を聞き入れて、在韓米軍が撤退しなかったから、現在の朝鮮半島情勢があるのだと思います。
    韓国については多くを語りませんが(^_^;)、在韓米軍の重要性を忘れて中国寄りの「等距離外交」を行い続けると、そのうちアメリカから見放されて、国が滅びてしまうのではないかと思います。

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  • from: 予備役士長 - 2さん

    2014年06月20日 01時32分50秒

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    恐らくですが、米軍側もマヌケではありませんから、解放したメンツがどこに向かい、誰と合流するかを確認しようとしているでしょう。そうすれば更なるターゲットが絞れるでしょうからね(^^

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  • from: Knob Turnerさん

    2014年06月19日 14時12分48秒

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    米兵捕虜解放

    連投すみません。

    日本でも一瞬ニュースになったかと思いますが、ハッカニ・ネットワーク(タリバン残党を構成する主勢力)に拘束されていた最後の米兵捕虜が実に5年ぶりに解放されました。

    第25歩兵師団所属のBowe Robert Bergdahl軍曹は2009年に捕虜となり、それ以降米国は水面下での解放交渉を続けてきました。
    しかしこの度、Bergdahl軍曹の健康状態が思わしくないことから、米政府はグアンタナモ収容所のテロ容疑者5人との捕虜交換に踏み切りました。この5人(一部メディアでは"Taliban Five"と呼称)はいずれも大物で、旧タリバン政権の軍参謀長、情報副大臣、内務大臣などが含まれているそうです。
    交換はアフガン東部のパキスタン国境付近で行われ、多数の攻撃ヘリと偵察機に護衛された米軍特殊部隊(デルタとの報道あり)と武装したタリバン兵士18人が立ち会ったそうです。
    テロ容疑者の引渡しということでその場にCIAもいたかもしれませんね。

    帰りの機内でのやりとりも報道されており、Bergdahl軍曹が「SF(特殊部隊)か?」と質問したところ、
    「そうだ、我々は長い間あなたを捜してきた」
    これを聞いた軍曹は泣き崩れたそうです。

    彼はこの後、在欧米軍の医療センターに移送されて集中治療を受け、現在はテキサス州の陸軍病院に入院中とのことです。なお、容体は落ち着いており自力歩行も問題なくできるようです。

    一部の議員からは「テロに屈した」「今後テロリストは同胞解放のために積極的に米兵を捕虜にするだろう」と批判の声があがっているようですが、個人的には道義的にも米軍全体の士気という観点的にも正しい決断だったのではないかなと思います。

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  • from: Knob Turnerさん

    2014年06月19日 13時32分33秒

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    おっしゃるとおり、筋金入りの叩き上げですね^^
    特殊部隊キャンプでは補給担当だったこともあるらしく、三島軍曹曰く「彼に頼めばたいがいの物資や装備は手配してくれた。半ば強引なところもあったが、そのぶん他の偵察チームの作戦で欠員が出ると進んで志願することから皆に慕われていた」とのこと。
    JFK特殊戦センターの主任教官だった頃に准将(おそらく当時のセンター司令官だったRobert D. Wiegand准将)を殴り、在韓米軍へ左遷。そしてそこでも少将(在韓米陸軍第8軍の副司令官か参謀長、もしくは第2歩兵師団長)を殴って、ついには将官への道が閉ざされたそうです。
    Wiegand准将は特殊部隊経験の無い普通の歩兵将校だったので、特殊作戦やその訓練に対する無理解や意見の食い違いから、つい手が出てしまったのかもしれませんね。

    また、同じくBull Simons Awardの2011年受賞者であるJack Singlaub少将(元OSS将校、MACV-SOG司令官)は、在韓米軍参謀長の頃、韓国からの米軍撤退を発言した当時のカーター大統領に対して「今米軍が撤退すれば朝鮮半島は再び戦渦に巻き込まれる」と軍人生命を賭して諫めたそうです。

    いずれも方法は違えど、確固たる信念を持っていたからこその行動なのでしょうね。

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  • from: H-2さん

    2014年06月08日 17時06分49秒

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    こんにちは、Knob Turnerさん(^_^)。
    投稿、ありがとうございます。

    Bull Simons Awardの受賞者に関する情報は、以前にもKnob Turnerさんに投稿して頂きました。
    今年は、故Bob Howard大佐が受賞されたのですね。
    Howard氏の軍歴を拝見しました。
    3回もヴェトナム戦争に従軍し、文字通り命がけで任務を全うした方だと思います。三島氏とも親交があった方だとは、知りませんでした(^_^;)。
    また1970年代後半からは教官や司令官などを歴任されていますね。
    一般兵士として入隊し、最終的には大佐まで昇進していますから、まさに戦場での叩き上げの指揮官だったようですね。
    上官を殴ったという逸話も(^_^;)、過酷な戦場を生き抜いた方なので、現場の実情を反映していない命令に我慢ができなかったのではないかと思います。

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  • from: Knob Turnerさん

    2014年06月07日 02時28分41秒

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    Bull Simons Award 2014

    皆さんこんばんは、ご無沙汰しております。

    毎年、特殊作戦コミュニティの発展に貢献したと認められる人物に対してUSSOCOMから贈られるBull Simons Award(伝説的な特殊部隊将校、故Arthur D. "Bull" Simons大佐に因む)ですが、今年の受賞者にはヴェトナム戦争を戦った特殊部隊員で、名誉勲章も受章した故Bob Howard大佐が選ばれた模様です。







    Robert Lewis "Bob" Howard
    1939年7月11日:アラバマ州生まれ。
    1956年:陸軍入隊。
    1956年~1966年:第82空挺師団、第101空挺師団、第5歩兵師団で勤務。<最初のヴェトナム・ツアー=ヴェトナム戦争従軍の意>
    1966年:特殊部隊入隊。
    1966年~1967年:第3特殊部隊グループの破壊工作チーム隊長と第6特殊部隊グループの作戦&情報軍曹。
    1967年~1969年:第5特殊部隊グループに所属し、B-52 Project DELTAおよびMACV-SOGのFOB-2(後のCCC)で偵察チーム隊長。<ヴェトナム・ツアー二度目>
    1969年~1970年:JFK軍事援助センター(現在のJFK特殊戦センター)で勤務。<この時期、曹長から中尉へ昇進>
    1970年~1972年:第82空挺師団の小隊長と中隊副官。<71年に名誉勲章を受章>
    1972年~1973年:MACV-SOGのCCCで偵察チーム隊長→偵察中隊副官→偵察中隊長。<ヴェトナム・ツアー三度目>
    1973年~1974年:第82空挺師団第1旅団第504落下傘歩兵連隊第1大隊C中隊長。
    1974年~1977年:陸軍歩兵学校の教官。
    1977年~1979年:第2レンジャー大隊のA中隊長→C中隊長→大隊本部&本部付き中隊長兼大隊副官。
    1979年~1980年:陸軍指揮幕僚大学に在学。
    1980年~1981年:レンジャー課程の山岳戦教官。
    1981年~1982年:陸軍指揮幕僚大学の教官。
    1982年~1984年:JFK特殊戦センターの主任教官。
    1984年~1985年:米韓連合軍のCUWTF(合同不正規戦タスクフォース、グリンベレーと韓国陸軍空輸特戦団の混成部隊)司令官。
    1985年~1987年:在欧米陸軍第7軍団で勤務。
    1987年~1988年:国防大学に在学。
    1988年~1990年:SOCKOR(在韓特殊作戦コマンド)の初代司令官。
    1990年~1992年:陸軍第5軍の司令官付き特別補佐官→作戦計画担当参謀長。<湾岸戦争に従軍>
    1992年9月30日:陸軍大佐で退役。
    2009年12月23日:膵臓癌のため死去。

    ご覧のとおり凄まじい経歴の持ち主です^^
    名誉勲章の他にも殊勲十字勲章2回、シルヴァースター、ブロンズスター5回、国防優秀勲功章、国防勲功章、勲功章4回、賞賛勲功章3回、パープルハート8回などなど...膨大な数の受勲があります。

    Howard大佐の名誉勲章は1968年12月30日の戦闘での行為に対して贈られており、その時の状況はこんな感じだったらしいです。

    “当時、一等軍曹としてMACV-SOGにいたHoward大佐は米兵・南ヴェトナム兵混成小隊の小隊軍曹として、行方不明となった米兵の捜索救難任務に就いていた。小隊はヘリの着陸地点から少し移動したところで2個中隊程度の敵勢力と遭遇。敵の投げた手榴弾の爆発でHoward軍曹は負傷し、持っていた武器も破損。また、小隊長も重傷を負った。武器を失い、負傷で歩くことすらままならないHoward軍曹は決死の覚悟で銃火の下を這い進み、小隊長に応急手当を施した。その時、敵の銃弾が弾薬ポーチに当たり予備弾倉が爆発したが、それにも動じず小隊長を安全な場所まで引き摺っていくと、Howard軍曹は隊を再集結して反撃を開始。危険を顧みず激しい銃撃の下を掻い潜りながら、負傷者を手当し、味方を励まし、見事に反撃を指揮した。戦闘開始から3時間半後、航空支援もあって敵を撃退した彼等は救援ヘリを要請、Howard軍曹は全ての味方が無事ヘリに乗り込むのを見届けるまで自らはその場を離れなかった。”

    日本人で唯一のグリンベレーだった三島軍曹とは同じFOB-2/CCC所属で親交があり、回顧録にも「ロバート・H軍曹」として登場しています。米軍キャンプへ慰問に訪れたストリップ団の団長を投げ飛ばしたりと、かなりの暴れん坊だったみたいですね^^;
    また、何があっても自分の意思を曲げない人物だったらしく、筋が通らないと思ったことは相手が将軍だろうと食ってかかったといいます。殴ったこともあるとか。。。
    この時代の兵士というのはユニークなエピソードが多いので、調べてみるとなかなか面白いです。

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  • from: H-2さん

    2014年06月05日 16時31分41秒

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    オーストラリア、クイーンズランド州で行われたSATの訓練について。

    こんにちは、最近は急に蒸し暑くなりましたね(^_^)。

    以前、この掲示板で予備役士長さんや休日は自宅警備隊さんに「迷彩服を着たSAT隊員」の写真を投稿していただきました。
    今回は、この写真が掲載されていた、元となる記事について書き込みます。
    英文の記事を未熟ながら(^_^;)、翻訳しましたので、この記事と記事に関する個人的な考察を記載します。
    非常に長い書き込みになってしまいましたが、御容赦下さい(^_^;)。

    迷彩服を着たSAT隊員の写真が掲載されていたのは、「Police Bulletin(警察速報)」という名称の冊子です。
    この冊子は、オーストラリアのクイーンズランド州警察が発行している無料の広報誌です。
    年に1、2回発行されており、2000年以降に発行されたものはネット上に掲載されています。
    迷彩服を着たSAT隊員が紹介されたのは、Police Bulletinの第314号で、2007年の4月に発行されています。
    この314号の26ページから27ページにかけて「Japanese officers put to the test in Sunshine State」という記事が掲載されています。
    日本語に訳すと「日本の警察官達が、日光の州で試験を受ける。」といった意味です。
    題名に記載された「日光の州(Sunshine State)」とは、クイーンズランド州の比喩的な表現です。
    日本国旗の日の丸は太陽を表していますから、それと掛け合わせたのかもしれません(^_^)。
    この記事のオンライン版のアドレスを下に記載します。

    http://www.police.qld.gov.au/Resources/Internet/services/reportsPublications/bulletin/314/documents/Page%2026-27%20-%20Japanese%20officers%20put%20to%20the%20test%20in%20Sunshine%20State.pdf

    使用されているPCやスマートフォンによっては、上手く開けないかも知れません。
    その場合は「Police Bulletin」で検索していくと、記事を閲覧できると思います。

    この記事は、クイーンズランド州警察の職員が作成しており、州の地名や州警察の部署名が登場するので、記事の日本語訳を掲載する前に、いくつか解説します。

    まず、クイーンズランド州について簡単に説明しますが、オーストラリアで2番目に大きい州です。
    州都はブリスベン市で、州内には、サーファーズ・パラダイス海岸で有名なゴールドコースト市や、珊瑚礁で有名なグレート・バリアリーフなどがあります。
    日本人もよく訪れる観光地です。
    ただし、意外と知られていませんが、州内には広大な砂漠や荒野、熱帯雨林のジャングルや湿地帯もあり、特に荒野はアメリカ中西部のような場所です。

    次にクイーンズランド州警察についてですが、警察官の総数は約1万1000人で、これは日本で比較すると、兵庫県警察や埼玉県警察と同じ位の規模です。
    また、記事の中には「SSB」という言葉が出てきますが、これはSpecialist Services Branch(特殊支援部)の略称であり、クイーンズランド州警察に所属する組織です。
    この記事が書かれた2007年当時、SSBは、クイーンズランド州警察の特殊部隊と爆発物処理班、交渉班を統括する組織でした。
    2008年に組織改編が行われ、現在では特殊部隊、爆発物処理班、交渉班はSpecialist Response Branch(略称SRB)という組織に所属が移されています。

    また、クイーンズランド州警察の特殊部隊についても説明します。
    クイーンズランド州警察の特殊部隊は「Special Emergency Response Team 」、略称で「SERT」と呼ばれています。
    SERTは凶悪犯罪者の対処だけでなく、テロ対策も担当しており、ヘリからの降下や潜水技術も取得しています。
    また隊員の素顔や氏名は非公開で、隊員はバラクラバで顔を隠しています。
    記事の中では頻繁にSSBという名称が登場しますが、SSB自体は特殊部隊ではないため、これは当時SSBの指揮下にあった特殊部隊「SERT」のことを指していると考えてよいと思います。

    また翻訳した文中に「報道公共事務部」という言葉が出てきますが、これは原文では「Media and Public Affairs Branch」と記載されており、クイーンズランド州警察の組織です。名称から、広報担当の部署だと思います。
    なお翻訳文に記載した警察官の階級については、かなり強引に、日本警察の階級に合わせています(^_^;)。
    私が「巡査長」と訳した階級は、原文では「Senior Constable」で、直訳すれば「上級巡査」になりますが、日本の警察には無い階級ですので、あえてこのように訳しました。
    また「警部」と訳した階級は、原文では「Superintendent」で、直訳すれば「上級警部補」になりますが、これも日本では馴染みのない階級であるため警部と記載しました。

    前置きが長くなってしまい、申し訳ありません(^_^;)。

    「Police Bulletin」の第26ページ、迷彩服を着たSAT隊員の写真の右側に記事が掲載されています。
    まず第26ページの翻訳文を記載します。


    記事、ミシェル・コナリー、報道公共事務部
    日本の特殊急襲部隊(SAT)の10名の隊員が、クイーンズランド州警察SSBによる過酷な訓練コースに参加しました。
    SATの隊員はブリスベンに到着した後、SSBが準備した5日間の訓練コースを修了しました。この訓練は実際の運用に基づいた、実践的なものでした。
    SSBのジム・ケーシー警部は、次のように述べました。
    「SATがブリスベンで訓練を受けるのは、今年で7年目になり、より高度な訓練計画が求められるようになりました。
    SATがSSBから得る最も大きな利益は、日本とは全く異なる現場で、実際の運用を想定し、有効であることが証明された訓練を経験できるという事です。
    今までの経験から私たちSSBは、SAT隊員とチームが、適切な判断と柔軟性のある行動をとり、予期しない状況で素早く効果的な対処ができるか、という点を重視しました。」
    さらにケーシー氏によれば「今年、SATの隊員が行った訓練には近接戦術訓練、狙撃、偵察訓練、ロープを使用した訓練、非致死性装備の訓練と生存訓練が含まれている。」とのことでした。

    次に第27ページの翻訳文を記載します。

    SATは1977年に設立された、日本警察の精鋭テロ対策部隊です。
    東京近郊の本部には室内射撃場、登はん訓練施設、屋内スキューバ・ダイビング施設、ヘリコプター施設が設置されています。
    毎年、SAT隊員は、SSBが準備した訓練を受けるために選抜されます。この訓練は、SATの戦術上の技術を増強することを目指しています。
    ケーシー警部は次のように述べました。
    「今回の訓練では、SSBの運用経験から得た、高いストレスを伴う想定を使用することで、SATの隊員をテストしました。」
    またSAT隊員は文化、建築様式、犯罪者の性格、法的制約と気候の違いに対処しなければなりませんでした。
    ロープを使用した訓練は、カンガルー・ポイント・クリフ(注、ブリスベン市の郊外にある崖)で行われました。
    SAT隊員は日本に高層建築物が多いことから、この分野に高度に熟練しており、逆さになって行う降下と、高速で顔の部分から駆け降りる降下(注、「戦闘降下」のこと)の専門家です。
    SAT隊員は優れた能力を実証して、多くの隊員が4秒未満で20メートルの崖を下りました。
    またカンガルー・ポイント・クリフでは、オーバーハング(岩の張出し)での自己救出訓練と、負傷して意識が無い登山者を救助し、降下するという高度な技術を伴う訓練を重点的に行いました。
    SATの隊員達は、未知の装備の使用にも素早く適応しました。
    SAT隊員達の専属通訳を担当して頂いた、ゴールドコースト、サーファーズ・パラダイス警察署のポール・カーニー巡査長に感謝します。
    ケーシー警部は訓練期間中、次のように述べました。
    「SSBは自分達の戦術を証明する理想的な機会として、SAT隊員達に演習と、現場おける実際の作戦を見学させました。
    多くの日本人特殊部隊員(SAT隊員)にとって、現場配置や部隊展開を直接観察することは初めてでした。
    またSAT隊員達は、5万ボルトの改良型テイザー装置を経験しました。これは現在、日本では使用されていない非致死性装備です。
    広大な平野で作戦を行なうSSBと異なり、日本の高度に都会化された環境で活動するSAT隊員達にとって、今回の訪問は、とても印象に残る経験となりました。」
    その他の訓練では、SAT隊員は22キロの防弾服と突入用装備を着け、2回連続でクイーンズランド州警察学校に設置された障害物コースを完走しました。
    この訓練では、とても非協力的な役割のSSB警察官を勾留し、戦術的障害物を移動し終えなければなりませんでした。
    「SATとSSBは戦術が類似しており、前回行われた相互訓練では、SATとSSBの隊員が言語および文化的な違いにもかかわらず、連携して困難な任務を達成できるという事を証明しました。」とケーシー氏は述べました。
    SSBの警察官は相互の訓練のために日本を訪れており、SATの訓練や、異なる文化に基づいた法の執行、非常に優れたSATの設備に感銘を受けました。
    相互訓練は、日本の警察機関とクーンズランド州警察の密接な繋がりを維持し、警察特殊部隊間の戦術、設備および訓練理論を共有する、理想的な機会となっています。


    以上が記事の内容です。
    次に記事について個人的な考察を、まず26ページから考察します。


    訓練は「今年で7年目」と記載されていることから、SATは2001年から毎年、クイーンズランド州警察に隊員を派遣していることになります。
    当初は基礎的な訓練でしたが、訓練内容は年々高度になっていったようです。
    またSSB(SERT)は、実戦的で効果的な訓練を行い、予測不能な事態に迅速、柔軟に対応することを重視しているようです。
    なお、26ページに掲載されている迷彩服姿のSAT隊員に関しては、予備役士長さんに、昨年7月の掲示板で「大阪府警のSAT」と解説していただきました。
    原文には「大阪府警」という解説は記載されておらず、記事によれば、写真の隊員は、「2007年にSATから選抜された、10人のオーストラリア派遣メンバーの中の1人」という事です。
    隊員の所属が大阪府警という話は、この写真をブログで掲載された方が大阪府警の元警察官とのことですので、その方からの情報なのではないかと思います。
    「大阪府警のSAT隊員」という説に関しては、何か詳細が分かりましたら、また別の機会に書き込みたいと思います(^_^;)。

    次に27ページの記事に関する考察です。

    まず、「東京近郊のSAT本部」に関する記述があります。これはヘリコプター施設が設置されていることから、東京都立川市に所在する訓練施設のことを指しているのではないかと思います。
    ゼンリンの地図にも記載されていますが、立川市には「警視庁機動隊総合訓練所」という施設があります。
    勿論、警視庁がこの施設をSATの訓練施設であると公表したことはありません。
    ですが、この施設は警視庁航空隊の立川飛行センターに隣接して所在しており、過去の公共事業の入札状況から、訓練所内には射撃場が設置されていることが判明しています。
    この訓練所は、周囲を関係者以外立ち入りができない公官庁施設に囲まれており、一般人が訓練所の直近に行くことは、物理的に不可能です。
    今回の記事に記載された「SAT本部」が仮にこの訓練所を指していたのであれば、訓練場内部には潜水訓練を行うプールや、登はん訓練用の施設が設置されていることになります。登はん訓練施設は詳細不明ですが、クライミング競技などで使用される、凹凸のある壁の事かも知れません。

    また、SAT隊員は気候、文化、法的制約の違いに対処し、はじめて使用する装備にも素早く順応したようです。
    この記事では、屋内射撃や狙撃訓練の詳細は、記載されていませんが、これは、テロ対策に関わる技術なので、公表しなかったのだと思います。
    その代わりに、ロープを使用した訓練や、障害物コースを使用した基礎体力の訓練については具体的に記載されています。
    逆さの降下や戦闘降下は、2007年に警視庁SATが公開訓練で行っています。訓練の動画は、検索すればすぐに見ることができると思います。
    20メートルを4秒以内で降りた、とのことですが、降下訓練用の平らな壁ではなく崖ですから、かなりの危険を伴うのではないかと思います。
    障害物コースもかなり苦しい訓練だったようです。
    おそらく犯人役の特殊部隊員を押さえ込んで、障害物を走り抜けるという内容なのでしょうが、2回連続フル装備で達成した事を、わざわざ記載した位ですから、相当過酷だったのだと思います(^_^;)。
    また、5万ボルトのテイザー装置に関しては、2007年当時、日本には配備されていなかったようです。
    ただし、SAT隊員がこの訓練で使用法を学んでいることから、現在では装備されている可能性があります。
    また、「テイザーを経験した」と記載されていますので、実際に電圧を体験した可能性があります(^_^;)。
    この5万ボルトのテイザーの電圧については、実際にNHKの女性記者が体験している動画がネットで公開されています。アメリカの男性警察官達に「君もやってみなよ。」と促されて体験するのですが...見るからに痛そうです(^_^;)。

    また、SSBがSAT隊員に実際の現場を見学させた、というのも非常に興味深いと思います。
    実際の現場で訓練理論を証明して見せることが、最も効果的で参考になるでしょう。
    おそらくSAT隊員の訓練期間中に、特殊部隊「SERT」の出動があったのだと思います。
    先にお話したように、SERTは凶悪犯罪の対処も行っていますので、どのような出動内容だったのかは不明です。
    参考になるかは分かりませんが、アメリカ自治体警察のSWATが最も多く出動する任務は、凶悪犯罪者の潜伏先(家)に踏み込み、犯人を逮捕する事だそうです。
    私服姿の捜査員が逮捕しに行くと、銃で反撃されるおそれがあるため、重武装で突入し、抵抗する間を与えずに逮捕するそうです。
    完全に推測ですが、SERTは事前に現場家屋を想定した突入演習を繰り返し、現場で突入して犯人を逮捕したのだと思います。
    その一部始終をSAT隊員は現場で見学していたという事なのではないかと思います。
    近年、SATも一般刑事事件の支援を行うようになったとは言え、実際に現場に出動する機会は非常に少ないでしょう。
    現役時代の大半を訓練で終える事を考えれば、実際の現場を見学するということは、貴重な経験になったのではないかと思います。

    また、SSBの警察官、おそらくSERTの隊員は、日本を訪問して訓練を行っているようです。
    訪問先はおそらく先述した「東京近郊のSAT本部」であろうと推測されます。
    SATの訓練内容や訓練施設に感銘を受けた、とのことですから、SERTと比較しても相当にレベルが高い、と感じたのだと思います。

    なお、27ページの右側には、2枚の訓練状況を撮影した写真が掲載されています。
    SAT隊員は、26ページの写真とは異なり、紺色の突入服、防弾ヘルメット、防弾ベスト、MP5サブマシンガンという装備です。
    また、レッグホルスターに拳銃を入れていますが、拳銃の詳細は不明です。
    SAT隊員が着けている防弾ヘルメットは突入服と同じ紺色であることから、ヘルメットに布製のカバーを付けているのかもしれません。
    SAT隊員の内1名のヘルメットの額部分に、何かの模様が付いています。
    これも詳細は不明ですが、突入班のリーダーであることを表しているのかも知れません。


    以上、2ページ分の記事を考察しましたが、根本的な疑問として「なぜ、SATの訓練先がクィーンズランド州警察なのか。」という点があります。
    過去にSATが合同訓練を実施した諸外国の機関は、ドイツのGSG9、フランスのGIGN、オーストリアのコブラなど、いずれも国家機関の特殊部隊です。
    また、SATは部隊が再編成される1996年以前に、西オーストラリア州のパースに所在するオーストラリア軍の市街戦、屋内戦訓練施設で訓練を行っています。

    何故2001年から、クイーンズランド州で訓練を行うようになったのでしょうか?
    推測でしかありませんが、記事の内容をみると、SSBの指揮下で活動するSERTは、都市部での活動に長けている日本のSATとは異なり、広大な平野での活動を得意としているようです。
    また、クイーンズランド州には広大な荒野があり、その中で訓練を行うのであれば、日本国内では大きな制約がある市街地での制圧訓練や、屋外での狙撃訓練が十分に行えます。
    また警察組織のテロ対策部隊であるSERTは、行動方針や戦術がSATと非常に似ており、野外での活動に長けていることから、SATとしては、そのノウハウを習得したいという目的があったのではないかと思います。
    市街地での訓練は、先述したパースの施設でも行えますが、この施設を外国の特殊部隊が使用する場合、高額な利用料が掛かるそうです(^_^;)。
    部隊の練度を向上させるためには、できるだけ多くの隊員を定期的に訓練させたいところですが、パースの訓練施設は他国の部隊が使用することもあり、それほど頻繁には使用できないのだと思います。
    また、海外の荒野で訓練をする場合、アメリカの中西部よりオーストラリアのクイーンズランド州の方が日本から距離的に近く、渡航の費用も節約できます。

    一方、SERTは、オーストラリア軍の特殊部隊「TAG」や、連邦警察の特殊部隊「SRG」などと定期的に合同訓練を行っているようですが、SATの都市部における戦術や訓練理論、訓練施設などを高く評価しており、対テロ戦術をさらに向上させたいという目的があったのでしょう。
    結果として、日本警察(警察庁)とクイーンズランド州警察双方の目的が一致し、交流を行うことになったのではないかと思います。

    この記事が書かれたのは7年前ですが、州警察も相互訓練は「理想的な機会」と高く評価していますから、交流は現在でも続いている可能性が高いです。
    なお、SATは、先述したオーストラリア連邦警察の「SRG」という部隊とも合同訓練を行っている可能性がありますが、訓練に適した場所を直接管轄しているクイーンズランド州警察との交流も、合わせて行っているのだと思います。

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