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  • from: Knob Turnerさん

    2010年02月28日 02時30分15秒

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    「Re:Re:Re:Re:Re:アフリカの部隊史」
    やはり完全に非公然な作戦だったんですね〜
    ローデシアSASとレクスコマンドーの間にそんな関係があったとは!
    毎度の事ながら大変勉強になりますm(__)m

    > Bob MacKenzie
    確か後にシエラレオネで傭兵部隊を率いて、亡くなった方ですよね? 現地の反政府ゲリラに待ち伏せを受けた挙句、見せしめのために遺体の一部を食べられたとか…


    画像は、本家SASの有名人ジョン・ウッドハウス中佐です。

    <John Michael Woodhouse中佐>

    本家本元、英SAS連隊の名物連隊長でDavid Stirling、Mike Calvert、Tony Deane-Drummond、John Slim、Johnny Watts、Peter de la Billiere、Mike Roseなどの歴代連隊長と並ぶ有名人です。
    英SASと米陸軍特殊部隊(グリンベレー)の交換留学プログラムを作ったことでも有名ですよね(^^)

    1922年9月29日、ロンドン生まれ。おそらく彼の家は代々軍人の家系で、親父さんも陸軍将官だったそうです(Charles Woodhouse准将)。
    1941年に下士官兵として陸軍に入隊し、翌年にはドーセットシャー歩兵連隊(彼の父親はかつてここの連隊長を務めていたそうです)の少尉に任官。その後、第78歩兵師団第11旅団イースト・サリー連隊第1大隊の戦闘パトロール班長として第2次世界大戦に従軍。華々しい戦果を挙げて勲章を授与されるが、捕虜生活も経験。
    戦後、東南アジアの英領マラヤで内乱が起きると、新しく創設されたMalayan Scouts(後の第22SAS連隊)の初期メンバーに引き抜かれて諜報班で勤務。その後、同隊が正式に第22SAS連隊になると、AおよびD戦闘中隊で中隊長を務め、当時それほど体系化されていなかった選抜課程や訓練を整備して今日のSASの礎となるシステムを構築。
    マラヤ従軍後、再びドーセットシャー歩兵連隊へ戻り、落下傘連隊第3大隊長を経て第22SAS連隊の連隊副官に就任。この時、当時の米陸軍第7特殊部隊グループ司令官だったI.A. "Boppy" Edwards大佐と出会い、SASとグリンベレー間での交換留学プログラムを作り上げます。
    その後、1962〜65年まで第22SAS連隊長としてボルネオ紛争におけるSASの作戦を指揮し、中佐で退役。あのCharles Beckwith大尉がSASに派遣されたのが1962〜63年なので、ちょうどその時の連隊長だったはずです。
    退役後、3年ほど英外務連邦省の安全保障コンサルタントを務め、1976〜84年にかけてSAS協会長も務めています。
    2008年2月15日没(享年85歳)。

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  • from: 予備役士長 - 2さん

    2010年02月26日 00時02分01秒

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    「Re:Re:Re:Re:アフリカの部隊史」

    > これってもちろん非公式だったんですよね??本当は全員SADFに軍籍を置く将兵だけど、建前上は「ローデシア軍将兵」として戦っていたんでしょうか?
    >
    第1レックスコマンドゥの創設に関しては、当初ローデシアSASの選抜に参加し、技能を持ち帰って創設されました。しかし、75年に南アフリカがローデシアから撤退してしまい、本来は南アフリカは関わりないことになっていましたが、なんと76年にローデシア内に第1レックスコマンドゥを派遣し基地を設けたんですが、南アは基本無関係じゃないといけないんで、D中隊という名目になっていたそうです。なので、軍籍は南アフリカ、表立っての所属はローデシアという状態でした。

    ちなみに最終的には2年後に南アに撤収しましたが、帰国後にしっかり南アフリカから勲章貰ったそうです。

    写真はSAS時代の制服姿のボブ・マッケンジーです。

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  • from: Knob Turnerさん

    2010年02月22日 17時29分21秒

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    「Re:Re:Re:アフリカの部隊史」
    Wallace中将もRobinson中佐も大物ですね〜(^^)

    "Mr.SAS"とはこれまた大仰なニックネーム!
    きっと本当に優秀なSAS隊員だったんでしょう。

    “SASが戦う時はサッチャーも一緒に戦う”というセリフで有名なSir de la Billiere大将は「SAS兵士の理想像」と言われていますが、このお二人、もしかしたら面識あったかもしれませんね。


    >ちなみに第1ローデシアSAS連隊はD中隊まであり、このD中隊は全員南アフリカ人でした。実は創設されたばかりの南アフリカ第1レックスコマンドゥがそのままでは参戦できないため、D中隊として参戦していたそうですよ。

    すごく興味深いです。
    私はローデシア・南アフリカ分野はまだまだ勉強不足で、当時、同じ白人国家として両国が様々な場面で共闘していたのは知っていましたが、ここまでだったとは…
    これってもちろん非公式だったんですよね??本当は全員SADFに軍籍を置く将兵だけど、建前上は「ローデシア軍将兵」として戦っていたんでしょうか?

    ※画像は話に挙がったBrian Garry Robinson中佐です。

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  • from: 予備役士長 - 2さん

    2010年02月20日 21時41分17秒

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    「Re:Re:アフリカの部隊史」
    こんばんは(^^

    > この時代のアフリカの特殊部隊史は、当時の傭兵ブーム?とも相俟って独特のロマンというか雰囲気があって大変興味深いですよね。
    >
    > ローデシアでいえば、Ron Reid-Daly中佐やDavid Scott-Donelan大尉なんかが有名なんじゃないかと思います。

    レイドダリィ中佐は実は20年も陸軍を勤め上げ、いったん退役したところをG.P.ウォーレス中将(陸軍司令)に要請を受け、セロウススカウト創設のために復帰したそうです。どうやらまだご存命のようです。ローデシア軍に詳しい知人かそう聞いています。もう相当の歳ですから、意外とひっそりと・・・


    退役後は対ゲリラ戦や安全保障のコンサルタントとして南アフリカに住んでいると聞きますが、まだご健在なんですかね??
    >
    > Scott-Donelan大尉は、現在もアメリカでトラッカースクールを開校し、主に公的機関や軍相手にコンバットトラッキングを教えているそうです。なおこのスクール、アフガン-イラクの両戦争中に沖縄に出張して沖縄の海兵隊にコースを開いたりしていました。
    この方、南アに渡った後、第5レックス・コマンドゥの技術開発ウイング、その後に南西アフリカの郷土防衛軍の中隊長などを歴任したそうです。驚くべきはこの方、セロウスに志願した時はすでに40歳近くだったのに選抜訓練をパスしたそうです。

    なお、セロウスの空挺章はそれぞれ固有番号が打ってあり、スコットドネラン大尉は2つウイングを持っていたようです。
    (ちなみに授与されたウィングは500個ほどだったようで、この番号のバッジは無茶苦茶高価なコレクターズアイテムです。)

    他に興味深い方たちと言えば、前述のG.P.ウォーレス中将。
    元はイギリス陸軍のブラックウォッチ連隊の将校でしたが、退役後にローデシア陸軍に志願、なんと伍長として入隊したそうです。その後将校に昇進。マラヤでローデシアSAS・C中隊を指揮し、1964年にRLI第1大隊指揮官、1972年にローデシア陸軍司令官となり、1977年に統合作戦本部司令官になるという生粋の軍人でした。

    他にSAS指揮官のブライアン・ロビンソン少佐(後に統合作戦本部計画チームに中佐で配属)この方は"Mr.SAS"と称されるほどの肩で、ローデシアの上位勲章を総なめするくらい受賞している司令官です。SAS創設時にイギリスSASでの訓練に参加し、創設の基礎を築ずき、有名なSASの作戦にはほとんど参加しています。
    ローデシア解体後に、極秘裏にジンバブエのムガベ大統領から「ジンバブエにSASを作りたい」と依頼され(本来セロウス、SASはムガベ暗殺作戦などに関わったため追及が厳しかった)、その依頼を断ったという逸話があるそうです。

    ちなみに第1ローデシアSAS連隊はD中隊まであり、このD中隊は全員南アフリカ人でした。実は創設されたばかりの南アフリカ第1レックスコマンドゥがそのままでは参戦できないため、D中隊として参戦していたそうですよ。

    他にローデシア装甲車連隊(R.A.C.R.)のダリー・ウィンクラー少佐は元は米軍の将校でしたが、ローデシアに参戦し、R.A.C.R.で黒のジャンプスーツを採用して攻撃(夜襲など)の際にその姿から部隊のニックネーム「Black Devil」がつけられました。

    この様に、個性の塊みたいな方の集まりでしたが、当時はアフリカ最強の軍隊といっても過言ではない様相でした。

    余談ですが、自分は2001年9月にドネラン氏が主宰のトラッカースクールに参加するはずだったんですが、あのテロ事件の5日後でコースはキャンセルとなってしまい、開催場所だったブラックウォーターで代替えでコースを受けていました。ドネラン氏に会えるところだったんですが、残念(^^;

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  • from: Knob Turnerさん

    2010年02月19日 02時38分30秒

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    「Re:アフリカの部隊史」
    こんばんは(^-^)

    この時代のアフリカの特殊部隊史は、当時の傭兵ブーム?とも相俟って独特のロマンというか雰囲気があって大変興味深いですよね。

    ローデシアでいえば、Ron Reid-Daly中佐やDavid Scott-Donelan大尉なんかが有名なんじゃないかと思います。

    Reid-Daly中佐は最初、英第22SAS連隊C戦闘中隊(後のローデシアSAS)の一員としてマラヤ紛争に従軍した後、ローデシア軍へ移ってRLI(ローデシア軽歩兵連隊)の初代RSM(連隊特務曹長)に就任した人ですよね。その後、将校へ任命されて新しく創設されたSelous Scoutsの初代司令官になります。同部隊が短期間でローデシアSASと双璧を成すほどの超精鋭部隊へ成長したのは、彼の手腕によるところが大きいそうです。退役後は対ゲリラ戦や安全保障のコンサルタントとして南アフリカに住んでいると聞きますが、まだご健在なんですかね??

    Scott-Donelan大尉は下士官兵としてローデシア軍へ入隊し、ローデシアSASのオリジナルメンバーに。その後、新しく創設されたTCU(追跡戦闘隊)に配属され、ザンビアやモザンビークから越境してくる共産主義ゲリラの掃討任務に従事し、同部隊がSelous Scoutsに吸収合併されると同時にRLIへ異動。そこでも対ゲリラ戦に従事し、一度は合同作戦本部(ローデシア軍参謀本部)の情報将校に任命されるものの、デスクワークに嫌気がさし、Selous Scoutsへの転属を希望。Selous Scoutsでは訓練将校を務めました。しばらくしてローデシアがジンバブエになるとSADF(南アフリカ国防軍)へ亡命し、第5偵察コマンドー連隊の対ゲリラ戦術開発部長として迎えられ、優れた訓練ドクトリンを数多く考案したそうです。


    傭兵としては、Mike Williams少佐やEeben Barlow中佐が有名でしょうか。

    "Major Mike"ことMichael Williams少佐はアメリカ人で、第2次世界大戦中は第88歩兵師団の兵士として欧州戦線に従軍し、戦後に任官。第10特殊部隊グループのオリジナルメンバーとなり朝鮮戦争に従軍。一度は軍を離れるものの、傭兵として有名な"Mad Mike"ことMike Hoare大佐率いる第5コマンドー部隊“ワイルド・ギース”に加わり、コンゴで活躍。その後、SADFの特殊部隊教官や様々な傭兵部隊顧問を経て、大尉待遇でローデシア軍に迎えられ、Grey's Scouts(精鋭の騎兵偵察隊)の副司令官に就任。少佐で退役後は中南米へ移り、再び傭兵として活動していたそうです。

    Luther Eeben Barlow中佐は、ご存知、あの悪名高い(^^;傭兵会社「エグゼクティヴ・アウトカムズ」の創立者ですね。元Selous Scouts隊員で、南アフリカ亡命後は少佐待遇でSADFに迎えられ、精鋭として名高い第32大隊(スリー・ツー・バタリオン)の偵察隊副長や諜報工作担当官を務めて退役。80年代末にEO社(エグゼクティヴ・アウトカムズ社)を設立し、社長に就任しています。

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  • from: 予備役士長 - 2さん

    2010年02月18日 23時30分29秒

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    アフリカの部隊史


    自分のブログが今回南西アフリカ(現ナミビア)の第101大隊の特集だったんですが、改めて60〜80年代の頃のアフリカの白人政権下の頃を調べていると興味深い部隊史が出てきます。

    有名なローデシア陸軍のSASやセロウススカウツ、RLIなど、各国で精鋭部隊を経験してきた猛者が集ってできた部隊や、今回扱った第101大隊などは南西アフリカが独立してナミビアになった際、部隊員は南アフリカに行き、多くは第5レコネッサンスコマンドゥ(5thRECCE)に参加したそうです。

    ちなみにローデシアは戦争中に傭兵を募って自国軍を増強したことは有名ですが、ローデシアのSASにはイギリス、南アフリカ、アメリカ、オーストラリア、オーストラリア、ニュージーランド、ザンビア、フランス、スペインなどの出身者がいたそうです。ちなみに本国のSASからの転向者や、空挺訓練所には元フランス外人部隊員、一時はCIA主導で、ベトナム経験者を募集して送り込んでいたなんて逸話も残っていたそうです。

    こんな部隊なので、よく知られているイギリスSASとは違った隊の風習があり、6週間の基礎訓練や降下訓練などを終了後、実戦に参加し、SASの参加実力が認められてやっとSASのベレーとウィングが授与されたそうです。つまりは実践までが選抜訓練だそうで。
    また、通常肩に着けるSAS用のウィングは優秀と認められた隊員は左胸に着けることを許されたそうです。

    バッジで面白いのはローデシア軍は各国の元軍人が参加しているため、元いた軍隊の技能章(降下徽章やパイロット章、EOD章など)を制服に着けていたりすることが多かったようです。

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  • from: H-2さん

    2010年02月13日 13時57分37秒

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    「Re:チャーリー・ウィルソン下院議員」
    こんにちは、knobTurnerさん(^_^)。

    映画「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」ですね。
    すいません、見てませんでした(^_^;)。
    「事実は小説より奇なり」と言いますが、彼の功績はその典型ですね。

    > 現実世界で"IF"は無意味ですが、それでも敢えて、もしも彼の進言が受け入れられて適切に実行されていれば、2001年の悲劇は防げたかもしれませんね。

    そうですね。ソ連が撤退した直後がアフガンを安定化させる最大のチャンスだったと思います。
    「対ソ連」ということで、一時的に国内勢力が結束することもあったみたいですからね。
    今さら言ったところで、仕方の無い事ですが、アメリカ政府はもう少し先を見据えてアフガンの支援、復興を行えば良かったと思います。

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  • from: Knob Turnerさん

    2010年02月11日 19時10分03秒

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    チャーリー・ウィルソン下院議員

    こんばんは。ご無沙汰しております。

    2月10日にアメリカのチャーリー・ウィルソン下院議員が亡くなったそうです。
    彼はソ連のアフガン侵攻時に自分の持つあらゆる政治力・コネを利用してムジャヒディンを支援した人物で、そのことは"Charlie Wilson's War"という本になり、トム・ハンクス主演で映画にもなっています。

    テキサス州出身の下院議員チャーリー・ウィルソンは政治よりも酒と女に専ら興味があるのにもかかわらず、国防総省、国務省、CIAなど米外交政策のカギを握る重要機関に大きな影響力を持つ不思議な存在。
    そんな彼がある日、TVニュースに映っていたアフガン難民の姿を見て、何を思ったのかテキサスの女大富豪やCIAのはみだし工作員と組んでアフガンゲリラに対する秘密支援活動を展開します。
    当初はソ連の疲弊を狙ってウィルソン下院議員の計画を支持した議会やCIAですが、いざソ連のアフガン撤退が決まると途端にアフガンに対して無関心になります。それを察したウィルソン下院議員は、将来的にアフガンが米国の敵となることを防ぐために「学校や病院を建ててアフガンの復興を支援すべきだ」と進言しますが、政府は既にアフガンに対する興味を失いつつあり、結局その進言が受け入れられることはありませんでした。

    生前のウィルソン下院議員曰く、「我々は最後の最後でしくじった」。

    個人的には、まさに米国における秘密工作の詰めの甘さをよく表現している言葉だと思います。

    現実世界で"IF"は無意味ですが、それでも敢えて、もしも彼の進言が受け入れられて適切に実行されていれば、2001年の悲劇は防げたかもしれませんね。


    余談ですが、現在、国防総省で特殊作戦および小規模紛争担当国防長官補という職についているMichael G. Vickersは当時、CIA工作員の一人としてウィルソン下院議員に協力しています。物語にも「元グリンベレーでCIA戦略兵器専門家のマイク・ヴィッカーズ」として登場します。

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  • from: H-2さん

    2010年02月10日 22時56分13秒

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    「Re:特殊作戦群?」
    こんばんは、KSKさん。

    たしかに他の陸自隊員とは、装備が違いますね。
    サングラスにタクティカルベスト、レッグホルスターには拳銃と…。
    サングラスで素顔を隠していることから、推測でしかありませんが、特殊作戦群の可能性もありますね(^_^;)。
    特に、この隊員が先遣隊にいたという事が気になります。
    本当に特殊作戦群が派遣されるのであれば、いち早く現地の情報を収集する必要がありますからね(^_^)。

    ハイチの情勢は不安定で、略奪も起きているそうなので、万が一に備えて特殊作戦群の隊員が派遣されても不思議は無いと思います。

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  • from: KSKさん

    2010年02月10日 18時47分52秒

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    「Re:Re:西普連」
    H-2さん、こんにちは(^_^)。

    西普連も海兵隊との交流でそれなりのスキルを得ていますし、自分達なりのアレンジした独自の訓練メニューも考案してると思います。

    今後も頑張って欲しいものですね。

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