新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

独断と偏見で楽しむイタリア芸術

独断と偏見で楽しむイタリア芸術>掲示板

公開 メンバー数:54人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: シニョレッリさん

    2015年09月27日 09時22分35秒

    icon

    ルネサンス芸術家(71) マッテオ・ディ・ジョヴァンニ

    約7か月振りのルネサンス芸術家シリーズです。

    15世紀後半のシエナにあって、最も人気があった画家マッテオ・ディ・ジョヴァンニを取り上げます。

    マッテオ・ディ・ジョヴァンニ Matteo di Giovanni(1430/1433頃ボルゴ・サン・セポルクロ生まれ-1495シエナで没):

    1430年頃または1433年頃にボルゴ・サン・セポルクロ(現在のサンセポルクロ)に生まれ、家族のシエナ移住に伴い、幼少の頃にシエナの住人になりました。
    それ以外の記録は全く残されていないので、修行や画風形成の過程は不明となってます。古くからロレンツォ・ディ・ピエトロ通称ヴェッキエッタに師事したとの説がありますが、残された彼の作品からはヴェッキエッタの影響が殆ど認められないことから、ヴェッキエッタ師事説は否定されているようです。
    また、彼の画風にドメニコ・ディ・バルトロやステファノ・ディ・ジョヴァンニ通称サッセッタの影響が僅かに認められることから、二人のどちらかに弟子入りしたという説もあり、現在はその可能性が高いとされてます。
    彼の画風は優美、甘美で直線的しかも装飾的であり、ジローラモ・ダ・クレモナやアントニオ・デル・ポッライオーロの画風に近似していることから、何らかの仕事で両者と一緒に仕事しているうちに、両者から何らかの影響を受けたことは明らかとされています。
    ともあれ、彼の優美、甘美、独特の幻想性と宗教性溢れる画風は、国際ゴシック様式シエナ派の栄光と夢を何時までも追い続けるシエナ市民から強い支持を受け、15世紀後半のシエナ画壇において最も人気を博する画家となりました。
    彼の工房には、シエナだけではなくトスカーナ各地から注文が相次ぎ、シエナで最も繁盛した工房となりました。
    弟子にGuidoccio Cozzarelli(1450-1516/17)がいます。また、ピエトロ・オリオーリも彼の工房で仕事をした記録が残ってます。
    彼の私生活ですが、1463年、裕福な高貴な女性と結婚しましたが、10年ほどで妻に先立たれてしまいました。その後、裕福な未亡人と再婚しました。二人の妻との間に沢山の子供をもうけましたが、画家になった子供はいませんでした。
    二人の妻が裕福だったことに加え、彼の工房は非常に繁盛したことから、マッテオは大金持ちとなって、幸せな生涯を送ったそうです。
    彼の描く優美な聖母の顔は多くの場合、同じでしたが、それは初恋の人、又は最初の妻だったとの説がありますが、今となっては誰だったのか、分からないようです。

    では、彼の作品を見てみましょう。

    マッテオの作品が7つ展示されているのが、シエナ派の殿堂であるシエナの国立美術館です。

    「玉座の聖母子と四天使」

    「聖母子」

    「聖母子と聖ミケーレとマグダラのマリアと二天使」

    「聖母子と福音書記者聖ヨハネと聖ヤコポと二天使」

    「聖母子と聖セバスティアーノとシエナの聖カテリーナと天使」

    「聖母子と聖ジローラモと聖フランチェスコ」

    「羊飼いの礼拝」
    彼の生まれ故郷のサンセポルクロにも彼の作品が残されてます。

    サンセポルクロのサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。この教会にマッテオの作品があります。

    右翼廊に彼の作品があります。

    現在、三つのパネルが別に分かれて展示されてますが、元は三幅祭壇画でした。

    中央パネルだった「栄光の聖母と聖人たち」

    向かって左パネルだった「聖パオロと聖ルチア」

    向かって右パネルだった「聖フィリッポ・ベニツィと洗礼者聖ヨハネ」
    中央パネルはかなり痛みがありますが、左右のパネルの保存状態は良好です。

    サンセポルクロの市立美術館にもマッテオの作品があります。

    この多翼祭壇画がマッテオの作品です。サンセポルクロ大聖堂の祭壇を飾っていた傑作です。
    残念ながら中央パネルが欠落しています。若しも中央パネルがここに存在したならば、美術館を代表する作品になっていた筈です。

    勿体ぶらないで、種明かしをしましょう。
    欠落した中央パネルとは、これです。大変有名な作品なので、ご存知の方が多いと思います。
    ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」です。現在、ロンドンのナショナル・ギャラリーで展示されてます。この中央パネルだけがイギリスに流出した経緯について面白い話がありますが、このトピックと直接関係がないので省略します。
    この多翼祭壇画の中央パネルだけをピエロが制作し、それ以外の部分はマッテオが仕上げたのです。

    多翼祭壇画の裾絵です。

    市立美術館からナショナル・ギャラリーに対して「キリストの洗礼」の返還を要望しているそうですが、ナショナル・ギャラリー側はその要求に対して無視を決め込んでるそうです。

    この作品に接するといつも憤りを感じます。

    アシャーノのサンタゴスティーノ教会にも彼の作品がありました。

    今でも祭壇を飾っていると言いたいところですが・・・・

    マッテオの作品に見えますが、こちらはコピー画です。本物はアシャーノのMuseo Civicoにあります。(臨時休館のため、入館出来ませんでした)

    ブオンコンヴェントのサンティ・ピエトロ・エ・パオロ教会にもマッテオの作品があります。

    三廊式の右側廊に作品があります。

    「玉座の聖母子と二天使」

    ピエンツァのドゥオーモにも彼の作品があります。

    「玉座の聖母子と四聖人」
    写真を探すのが面倒なので、この辺で終わりにしましょう。
    出来るだけ自分の写真で紹介したいと思ってますが、写真を探すのが大変です。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 3

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件