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独断と偏見で楽しむイタリア芸術

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  • from: シニョレッリさん

    2012年08月14日 10時05分10秒

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    リナシメント芸術家(1) アミーコ・アスペルティーニ

    一応の目安としてバロック期までの芸術家を対象に、個々の芸術家について、私の独断と偏見に基づき、色々記したいと思います。

    第一回の今日は、マニエリスム期のボローニャの画家アミーコ・アスペルティーニです。

    Amico Aspertini(1474頃ボローニャ生まれ〜1552ボローニャで没)
    ロレンツォ・コスタとフランチェスコ・フランチャに師事した生粋のボローニャ派の画家です。当初は師であるコスタとフランチャの折衷した画風でしたが、ローマ、ルッカ、フィレンツェなど各地を遍歴するうちにペルジーノやラファエロの影響が加わると共に、マニエリスム様式に接近し、最終的にマニエリスムの先駆を成す画風に転じました。筆使いが早く、一作品を完成させるのに時間がかからなかったと言われていますが、残っている作品数は然程多くありません。
    フランチャの様な光沢のある鮮やかな色彩の影響を残しながら、少しくすみを入れたアミーコの色使いが何とも良いと思います。


    ボローニャのサン・ペトロニオ大聖堂です。


    ボローニャのサン・マルティーノ教会です。



    ルッカのサン・フレディアーノ教会です。見事なファサードのモザイクはアミーコとは関係ありません。
    以上、三つの教会の写真を掲載した訳はアミーコの作品があるからです。


    ルッカのグイニージ塔からのルッカの絶景ですが、アミーコとは関係がありません。

    これ迄に私が鑑賞したアミーコの作品リストです。
    ウッフィツィ美術館:「羊飼いの礼拝」「アレッサンドロ・アキリーニの肖像」
    フィレンツェ、パラティーナ美術館:「マギの礼拝」(傑作と思います)
    ボローニャ、国立絵画館:「マギの礼拝」「幼きキリストを崇拝する聖人たち」「聖母子(フレスコ)」「聖家族」
    ボローニャ市立博物館:「聖母子」
    ボローニャ、サン・マルティーノ教会:「聖母子と聖人たち」
    ボローニャ、サン・ペトロニオ大聖堂:「ピエタ」「聖ペトロニオの四つの物語」
    ボローニャ、サン・ジャコモ・マッジョーレ教会サンタ・チェチリア祈祷所:「聖女チェチリアと聖ヴァレンティヌス(チェチリアの夫)の生涯(フレスコ)」(代表作です。場面毎に師匠であるフランチャ、コスタ、アミーコの三人で制作しました)
    ルッカ、グイニージ邸国立博物館:「栄光の聖母子と四聖人」
    ルッカ、サン・フレディアーノ教会:フレスコ
    ブレラ絵画館:「聖カッシアーノ」
    ジェノヴァ、赤の宮殿:「男の肖像」



    ウッフィツィ美術館にある「羊飼いの礼拝」です。


    ブレラ絵画館にある「聖カッシアーノ」です。


    ボローニャのサンタ・チェチリア祈祷所のフレスコです。


    サンタ・チェチリア祈祷所のフレスコで、アミーコが制作したものです。


    同じくアミーコの制作したフレスコです。

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from: シニョレッリさん

2012年10月08日 02時03分09秒

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「リナシメント芸術家(28) ジョヴァンニ・ディ・パオロ」
今回は、ルネサンス初期に主にシエナで活躍した画家ジョヴァンニ・ディ・パオロです。

シエナ国立美術館で彼の作品が沢山展示されています。洗練された華麗極まりない伝統の国際ゴシック様式を踏襲していますが、それに留まらない、何か夢幻のような感じを与える作品が多いと思います。



シエナ国立美術館で展示されている「謙遜の聖母」です。


「受胎告知」です。ヴァチカン絵画館にあります。


「大天使ミカエル」です。ヴァチカン絵画館にあります。
分解された多翼祭壇画の一部です。


ヴァチカン絵画館で展示されている「ゲッセマネ園のキリスト」です。


ニューヨーク、メトロポリタン美術館所蔵の「マギの礼拝」です。

Giovanni di Paolo o Giovanni di Paolo di Grazia(1399頃シエナ生まれ〜1482シエナで没):
シエナ派の伝統に忠実な画家だったタッデオ・ディ・バルトロに師事しました。親方タッデオに従ってフィレンツェ、ピサなどで仕事するうちに次第に初期ルネサンスの新しい息吹を学んだようです。
初期の作風は色彩溢れる、華麗極まりないもので従来のシエナ派そのものでしたが、徐々に初期ルネサンスに特徴的な革新性が加わって、独自の夢幻の境地、それも日常とはかけ離れた世界を描くようになりました。15世紀シエナ派の画家で最も重要な役割を果たした画家として、今日では評価されています。
そう書きましたが、実は、死後、彼の評判は徐々に薄れてしまい、19世紀までは殆ど忘れられた存在でしたが、20世紀になって漸く再評価されるようになったのです。
多くの多翼祭壇画を制作しましたが、それらの殆どは分解されてしまい、分解されたパネルがあちこちの美術館で展示されているのです。

シエナ国立美術館は、シエナ派作品の殿堂と言うべき美術館ですが、ここで時系列に従って展示されている作品を見ていくと、巷間言われている彼の革新性が私にはあまり感じられません。国際ゴシック様式華やかなりし頃はシエナ共和国の絶頂期と重なりますが、その栄光の時代を忘れることが出来なかったシエナ市民が彼の得意先である以上、やはり大枠では旧来の様式に留まったのではないか、と私には思えます。

私が見た彼の作品リストを書いて、この項を終わることにします(作品画像のある作品を除きます)。
ドーリア・パンフォーリ美術館:「聖人たち」「聖母子と三聖人」
ウッフィツィ美術館:「聖母子と四聖人」
フィレンツェ、ホーン財団美術館:「聖ヨハネ」
モデナ、エステンセ美術館:「幼きキリストを崇拝する聖人たち」
シエナ国立美術館:「聖ジャコモ・マッジョーレ」「聖アンドレア」「聖母子と二聖人」「磔刑」「ウミルタの聖母」「五聖人」「聖ドメニコと洗礼者ヨハネ」「キリスト」「聖フランチェスコ」「キリストの三連画」「キリストの洗礼」「聖ニコラ」「聖ジロラモ」「マエスタ」「聖母子と四聖人」「最後の審判」
ロンドン、ナショナル・ギャラリー:「洗礼者ヨハネ」

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from: シニョレッリさん

2012年10月06日 09時26分26秒

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「リナシメント芸術家(27) ザネット・ブガット」
今回は、15世紀中頃の15年間、ミラノ公の宮廷画家を務めた画家ザネット・ブガット(ブガッティとも呼ばれます)です。

Zanetto Bugatto/Bugatti(1433?ミラノ生まれ〜1476ミラノまたはパヴィアで没:)



「聖ジロラモ」です。ベルガモのカッラーラ美術館の所蔵です。一応、彼の帰属作品とされていますが、そうではないとの説もあるようです。

若い頃の記録が残っておらず、1485年のミラノ大聖堂の支払い記録に掲載されたのが最初の記録なので、画風形成の過程が一部不明となっています。
1460年頃にミラノ公の命令によってブリュッセルに派遣され、ロヒール・ファン・デア・ウェルデンに3年間師事しました。修業を終えて見ラニに戻ってからの画風は北方ルネサンスの影響を受けたものに変わりました。


ミラノ市立博物館所蔵の「ガレアッツォ・マリア・スフォルツァの肖像」です。最近、この作品を見かけないので、違う場所で展示されている可能性があるかも知れません。

非常に評判の良い肖像画家だったようで、一時フランス宮廷から招聘されフランスに渡りましたが、直ぐにミラノに復帰しました。
ボニファツィオ・ベンボやヴィンチェンツォ・フォッパと一緒に仕事した記録が残っていますが、それらのフレスコの作品は残っていません。パヴィアのサン・ジャコモ教会に「聖母子」がありますが、特に印象は残っていません。

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from: シニョレッリさん

2012年10月01日 07時05分51秒

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「リナシメント芸術家(26) ジョヴァン・ヴィンチェンツォ・フォルリ」
今回は、16世紀末から17世紀第一四半世紀にナポリで活動した画家ジョヴァン・ヴィンチェンツォ・フォルリです。

Giovan Vincenzo Forli(1570頃フォルリ・デル・サンニオ生まれ〜1650頃ナポリで没? 1592〜1619ナポリで活動記録):

彼の作品を初めて見たのはナポリ大聖堂の「受胎告知」で、「これがカラヴァッジェスキのナポリ派の作品か」と強く思わせるもので、大変印象的だったのを覚えています。カラヴァッジョの影響という事なら、ナポリ、ピオモンテ・デッラ・ミゼルコルディア教会美術館の「聖母と善きサマリア人」の方が「受胎告知」よりも、カラヴァッジョの写実主義と強い明暗表現の影響が強いかも知れません。

当時のナポリの画家で、カラヴァッジョの影響を受けなかった画家を直ぐに思い出せません。

カラヴァッジョがローマで殺人を犯しナポリに逃亡してきて、ナポリの画家たちに影響を与えましたが、それ以前のフォルリの画風は後期マニエリスム様式の典型的なものでした。ナポリ、サン・ジョヴァンニ・カルボナーラ教会の「聖女ウルスラと支援者たち」を見ると、それが良く分るとと思います。
ナポリの教会の為に祭壇画を可なり手懸けた記録があるので、ナポリの教会巡りをすれば、彼の作品にもっと出会えるかも知れません。

フォルリですが、残された作品とそれらの教会などの支払い記録以外に残された記録が殆ど無いので、その生涯などは全く分かりません。

作品画像があると良いのですが、残念乍らありません。

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from: シニョレッリさん

2012年09月30日 07時34分52秒

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「リナシメント芸術家(25) エヴァリスト・バスケニス」
今回は、バロック期に主にベルガモで活動した画家エヴァリスト・バスケニスです。

彼が描いたものは殆ど楽器が中心の静物画でした。


ブレラ絵画館にあります。


ベルガモのカッラーラ美術館にあります。


これもカッラーラ美術館の所蔵です。


ヴェネツィアのアッカデミア美術館にあります。

区別がつきますか? 彼の作品を見ると並外れた驚異的な写実性に圧倒されます。楽器の上の埃、ほつれた弦、頻繁に使用された痕跡を示す楽器の一部の色褪せなど、正確無比に表現しています。見た時には感動を覚えますが、一旦美術館を出てしまうと、彼の作品の区別がつきません。カッラーラ美術館には彼の作品が5点あったと思いますが、どれがどれであったのか全く思い出せません。多分、私の静物画の鑑賞力が足りないからでしょう。フラ・アンジェリコの「受胎告知」は完全に区別がつくのですが....

Evaristo Baschenis(1617ベルガモ生まれ〜1677ベルガモで没):
芸術一家に生まれ、家族から絵画技術の手ほどきを受けたと考えられています。クレモナの著名な楽器製作者一家と彼の家族とは互いに行き来するなど親交があったことから、楽器を画題にするようになったと伝えられています。画家として一人前になった当初には、静物画以外も描いたようですが、次第に楽器を好んで描くようになりました。静物画でも非常に写実性が高いのが特徴で、大きな成功を収めたことで、静物画が流行するようになり、クリストフォロ・ムナーリ、カルロ・チェレーザ、バルトロメオ・ベッテーラなど彼の技法の模倣者や追随者を多く生み出しました。楽器を中心に正確に描写する専門性によって、今や17世紀を代表するバロック画家の一人と見做されています。
写実的な光の表現は明らかにカラヴァッジョの影響とされています。
私にはよく分かりませんが、彼の卓越した写実力は幾つかの厳しい教訓的な意図を示しているのだ、とされています。

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from: シニョレッリさん

2012年09月29日 08時12分47秒

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「リナシメント芸術家(24) レオネッロ・スパーダ」
今回は、バロック期にローマ・ボローニャ、パルマで活動した、カラヴァッジェスキの一人レオネッロ(リオネッロ)・スパーダです。

カラヴァッジョとの接点が明らかではありませんが、彼の作品が一時期カラヴァッジョの作品とされていたことから分かるように、カラヴァッジェスキであることは確かだと思います。


「聖ピエトロの逆さ磔」です。エルミタージュ美術館にあります。

この作品を初めて見た時、カラヴァッジョの返品書き直しの別バージョンなのか、と錯覚しました。


モデナ、エステンセ美術館所蔵の「ジプシー女占い師」です。

Leonello/Lionello Spada(1576ボローニャ生まれ〜1622パルマで没):
ローマで、グロテスク絵画が得意だったマニエリスム画家チェーザレ・バリオーニに弟子入りしました。修業後、生地ボローニャに戻り、ルドヴィーコ・カラッチに学び大きな影響を受けましたが、画風はルドヴィーコ・スタイルから同じボローニャ派でもデニス・カルヴァートの影響を受けたものに転じました。


ルーブル美術館所蔵の「合奏」です。


ルーブル美術館所蔵の「アイネアスとアンキセス」です。

彼と同時代の人々の記録に拠れば、スパーダはカラヴァッジョの同僚でしかもカラヴァッジョの助手を務めていたとの事ですが、カラヴァッジョは一人で仕事をするのが好きで、他人に自分のスタイルを真似されるのが大嫌いだったことから、少なくても助手だったとの説には私は首肯できません。

ともあれ、スパーダは、1607年までボローニャでルドヴィーコの弟子であるフランチェスコ・ブリツィオと一緒に仕事をしていた確実な記録があるので、カラヴァッジョの影響を受けた時期は1607年以降という事になろうかと思います。
一方、スパーダは他の画家の複製画を数多く制作し、それも非常に巧みで好評だったことが知られています。その一環で、カラヴァッジョ作品を模写、複製することでカラヴァッジョの作風を把握するに至ったと言う可能性が最も高いとの説がありますが、私もそれに賛成です。

さて、最後に画像のある作品以外で、私が見た作品リストを載せて終わりにします。
ボローニャ国立美術館:「アブラハムとメルキセデク」
ローマ、国立古典絵画館:「茨の冠を被せられるキリスト」「聖ジロラモ」
ドーリア・パンフォーリ美術館:「ユディト」
カポディモンテ美術館:「キリストの鞭打ち」
ウッフィツィ美術館:「男の肖像(自画像?)」(帰属)

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from: シニョレッリさん

2012年09月28日 03時50分24秒

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「リナシメント芸術家(23) フランチェスコ・スクァルチョーネ」
今回は、15世紀中頃にパドヴァで活動した、有名にも拘らず謎の多い不可思議な画家フランチェスコ・スクァルチョーネです。

Francesco Squarcione(1397パドヴァ生まれ〜1468パドヴァで没):
修業時代の記録が無く、画風形成の過程は分かりません。彼の作品よりも弟子の育成に熱心で多くの弟子を抱え、彼の下から、その時代で一流とされる画家たちが巣立ちました。ヴァザーリに拠れば、137人の弟子がいたとの記述があります。多くの有能な弟子が彼に師事したことは事実の様で、その中にマンテーニャ、カルロ・クリヴェッリ、コズメ・トゥーラ、フランチャ、ヴィンチェンツォ・フォッパ、バルトロメオ・ヴィヴァリーニがいます。

古代彫刻の収集が趣味で、若いころのギリシャ、イタリア各地への旅行によって、その趣味が培われ高じたとされています。

ところが、近年の研究で、彼は弟子の育成どころか才能を摘みダメにしたことで、弟子たちから嫌悪され沢山の訴訟を提起されたことが判明したのです。而も、弟子の成果を彼自身だけのものとしたことも分かりました。

訴訟については、マンテーニャが師匠に対して幾つかの訴訟を幾つか起こしたのが代表的で事実だと思います。
ところが収集したとされている古代彫刻は一つも残されていません。それに弟子の成果を独り占めにしたとされている割には、残された彼の署名入りの確実な作品は二つしか残されていないのです。その二つの作品が次の画像です。


パドヴァ市立美術館の「デ・ラザラ祭壇画」です。
パドヴァ市立美術館には帰属作品の「聖母子」もあります。


「聖母子」です。ベルリン国立美術館にあります。
横向きの肖像画が当時の流行でしたが、それを聖母にしたのがユニークで面白いと思います。

パドヴァの教会で、彼の作品とされるフレスコを2点見た記憶があるのですが、その時にはメモを取っていなかったので、今となっては何処の教会だったか分かりません。

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from: シニョレッリさん

2012年09月27日 07時00分03秒

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「リナシメント芸術家(22) ジロラモ・ダ・トレヴィーゾ・イル・ジョヴァーネ」
今回は、16世紀前半にヴェネツィア、ボローニャ、イギリスなどで活動した画家、彫刻家、建築家、そして軍事技術者だったジロラモ・ダ・トレヴィーゾ・イル・ジョヴァーネです。

わざわざイル・ジョヴァーネと呼ばれるので、イル・ヴェッキオもいるだろうとお思いになるでしょう。そうです、当然います。イル・ヴェッキオは15世紀後半にトレヴィーゾで活躍した画家ですが、イル・ジョヴァーネとは血族関係や師弟関係など全くありません。然し、支払記録、作品の帰属を巡って混乱が生じていることは確かです。

本名がわかりませんが、Girolamo Pennacciとも呼ばれていたようです。記録が少なく画風形成の過程がよく分かっていませんが、ペッナッチと呼ばれていたことから、ピア・マリア・ペッナッチに師事したと思われています。


「眠るヴィーナス」です。ボルゲーゼ美術館にあります。
私が初めて彼の作品を見たのが、これでした。その時には特に印象が残りませんでしたが、彼の経歴を調べてみて興味が出てきました。

何故ならば、彼は1538年からヘンリー8世の王宮に軍事技術者として仕え、1544年のブーローニュ包囲戦に参戦し、戦死したからです。彼の経歴を調べてみると、何処で軍事技術を習得したのか不明ですし、そもそも軍事とは無縁だったように思えます。
画家にして軍事技術者ならば、あのレオナルド・ダ・ヴィンチが有名です。ミラノ公イル・モーロに仕えるためにレオナルドが書いた自薦状が残っていますが、それによれば一番自信があるのが軍事技術で、最後に絵も描けますと書きました。でも、レオナルドの修行経験はヴェロッキオ工房だけで、工房では軍事技術とは全く無縁でした。
と言う事は、当時の軍事技術は、本人の自信がものを言うもので、修業して習得するものではなかった可能性がある、と私は思っているのですが。
沢山の技術者を面接しましたが、例えばSEを採用するのにC言語は分からない、コンピューターを学んだこともない人を採用する気にはとてもなれませんが、どうもヘンリー8世やイル・モーロは違っていたようですね。


「聖家族」です。イタリアの銀行所有の作品で普段は常設展示されていませんが、トレヴィーゾの市立美術館で見たことがあります。

Girolamo da Treviso il Vecchio(1497頃トレヴィーゾ生まれ〜1544ブーローニュ・シュル・メールで没):
画風はジョルジョーネの影響を受けたヴェネツィア派と言われていますが、ヴェネツィアのアッカデミア美術館所蔵の「聖母子と四聖人」を見るとそれが頷けます。

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from: シニョレッリさん

2012年09月25日 07時29分47秒

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「リナシメント芸術家(21) アントニアッツォ・ロマーノ」
今回は15世紀後半から16世紀初頭にかけて、主にローマで活動したアントニアッツォ・ロマーノです。

アントニアッツォは西洋絵画史上、非常に重要な貢献を果たした事で有名です。画家として、15世紀のローマ絵画界で重要な位置を占めるほど大きな成功を収めましたが、彼の貢献と言うのは彼自身の絵画ではなく、他の画家の画家たちのマネジメント業を確立したことにあるのです。
当時の絵画需要は、教会からの祭壇画やフレスコなど、パトロンからの肖像画や宗教画などが殆どでしたが、有名な画家やパトロンに恵まれた画家は多くの弟子を抱えた工房を運営して、繁盛していましたが、その一方で実力がありながら受注が少なく困窮していた画家たちも沢山いたのです。
アントニアッツォは、売れない画家たちをパトロンや教会などに紹介して受注させるなどして、画家の生活安定に寄与したのです。家庭用祭壇画など小規模の仕事に於いても、富裕な人々と画家たちを仲介したと伝えられています。
この様にすることによって、ローマの絵画界を牛耳ることが可能になり、やがて彼は画家ギルドのヘッドに収まりました。
また、彼はサン・ルカ・アカデミーの三人の設立者の一人でした。


「受胎告知」です。ローマのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会にあります。
ミネルヴァ教会はさながら小美術館のような教会で、傑作、秀作が溢れています。


ローマ・バルベリーニ宮、国立古典絵画館所蔵の「聖母戴冠と聖パオロと聖フランチェスコ」です。


「羊飼いの礼拝」です。これもローマ、バルベリーニ宮の国立古典絵画館にあります。

Antonio Aquilio, detto Antoniazzo Romano(1430頃ローマかその近郊生まれ〜1508/12没):
記録が少なく、画風形成の過程が明確になっていませんが、ベノッツォ・ゴッツォリに師事したとされています。ペルジーノやメロッツォ・ダ・フォルリなどのウンブリア派と、ドメニコ・ギルランダイオやベアト・アンジェリコなどのフィレンツェ派を融合させた画風だったと言われています。
こう書くと何が何だか分かりませんが、この時代の作品を沢山見るに従って、何とか分かる様になるのが不思議です。
後年、決まりきった画題を工夫せずに繰り返し描く、所謂マンネリに陥って、後世の評価が低くなりました。マネジメント業で繁盛したので、本業では次第に努力しなかったのかも知れません。

最後に私が観た彼の作品の中で、傑作、秀作だと思う作品リストをアップして終わることにします。
モデナ、エステンセ美術館:「ピエタ」
ペルージャ、国立ウンブリア美術館:「聖母子」「慈悲の聖母」「三聖人」
ヴェネツィア、カ・ドーロ、ジョルジョ・フランケッティ美術館:「ライオンの棘を抜く聖ジロラモ」
ヴィテルボ市立美術館:「聖母子」
ロンドン、コートールド美術館:「聖母子と聖ジョヴァンニーノ(多翼祭壇画の中央パネル)」

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from: シニョレッリさん

2012年09月24日 09時28分49秒

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「リナシメント芸術家(20) アントニオ・アルベルティ・ダ・フェッラーラ」
今回は、15世紀前半にフェッラーラ、ボローニャ、ウルビーノなどで活動した画家アントニオ・アルベルティ・ダ・フェッラーラです。単にアントニオ・アルベルティと呼ばれることも多いと思います。

彼の作品を初めて見たのは、ウルビーノの国立マルケ美術館でした。それまで見たことが無い画家にしては、沢山の作品が展示されているので興味をそそられました。それにフェッラーラ出身の画家にしては、顔の表現がまともで更に興味を掻き立てられました。
それにしてもフェッラーラ派の画家と言うと、人物表現が際立って特異ですが、私にはその理由がよく分かりません。


ウルバーニア(マルケ州)、教区美術館にある「聖母子」です。
こうして改めて作品画像を見ると、やはりフェッラーラ派の人物表現の特徴が垣間見えますね。

Antonio Alberti da Ferrara(1390又は1400フェッラーラ生まれ〜1449フェッラーラで没):
画風形成の過程がよく分かっていませんが、ヴァザーリの「列伝」に依ればアーニョロ・ガッディの弟子との事です。肖像画と宗教画が得意でしたが、輪郭が明瞭な線描と色彩豊かな点が特徴とされています。息子も画家になりましたが、名前が父と同じで、父から絵画技術の手ほどきを受け、画風も父と似ているので、二人の作品の帰属を巡ってしばしば混乱を来しています。彼の孫ティモテオ・デッラ・ヴィテも画家になりました。アントニオ(父)の弟子にオノフリオ・ガブリエリとフラ・カモヴァーレがいます。

最後に私が観た彼の作品リストを掲げて、この項を終わります。(画像の作品を除きます)
ウルビーノ、国立マルケ美術館:「十字架磔刑(フレスコ)」「聖母子と四聖人」「磔刑されたキリストを哀悼する聖人たち」「聖女アガタ」「多翼祭壇画」
フェッラーラ国立美術館:「福音書記者聖ヨハネ伝」
フェッラーラ市立美術館(スキファノイア宮殿):「聖母子」

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2012年09月23日 06時25分37秒

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「リナシメント芸術家(19) アルカンジェロ・ディ・コーラ・ダ・カメリーノ」
今回は、15世紀前半にカメリーノ、フィレンツェ、ローマなどで活動記録が残っている画家アルカンジェロ・ディ・コーラ・ダ・カメリーノです。カメリーノの出身なので、ダ・カメリーノが後に付きますが単にアルカンジェロ・ディ・コーラと呼ばれることもあります。

Arcangero di Cola da Camerino(1416〜1429カメリーノ、フィレンツェで記録):
残された記録が少なく、彼の生涯については殆ど分からないようです。1420年、フィレンツェに来て、当時フィレンツェに滞在していたジェンティーレ・ダ・ファブリアーノに師事したと考えられています。また、同時期にフィレンツェで活動していたマザッチョとベアト・アンジェリコからも影響を受けたとされています。


ウルビーノの国立マルケ美術館所蔵の「玉座の聖母子と聖人たち」です。
この時代の典型的な「聖母子」を描いた作品のように見え、私にとっては、特に印象が残らず、ありふれた作品と思いました。作品画像がありませんが、彼の作品としては、アンコーナ市立美術館の「ウミルタの聖母」やモデナ、エステンセ美術館の「キリスト伝(5連画)」の方が之よりも優れている様に思えます。
退色が少し進んでいますが、ピオーラコ(マルケ州)のサン・フランチェスコ教会の「受胎告知」のフレスコは中々の傑作と思いました。カメリーノ市立美術館所蔵の「聖母子と二天使」は、彼の作品で唯一、制作年度が1428-1429年と記録が残っている作品ですが、特に感銘を受けたとは言えません。

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2012年09月22日 07時05分41秒

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「リナシメント芸術家(18) ヤコポ・アヴァンツィ」
14世紀後半にパドヴァ、ボローニャで活動記録が残っている画家ヤコポ・アヴァンツィを取り上げます。


パドヴァ、サンタントニオ聖堂、サン・フェリーチェ礼拝堂にあるフレスコです。
彼の作品で私が最初に見たものです。パドヴァですから、彼はジョットやジュースト・デ・メナブオイのフレスコも当然見ていた筈ですが、彼らの影響は微塵も認められません。これもゴシックからリナシメントへの新しい息吹を伝える作品と思いました。

Jacopo Avanzi(1363〜1384活動記録が残る):
実は、彼の時代にボローニャで支払記録がある同名の画家がいて、混乱が生じており、作品の帰属を巡って今なお議論が絶えません。パドヴァの支払記録などにはヤコポ・アヴァンツィは一人しか記録が残っていないので、パドヴァの作品からボローニャの彼の作品を特定している現状です。ボローニャ国立絵画館にヤコポ・アヴァンツィの「モーゼの生涯」がありますが、私が観た限りでは、パドヴァのヤコポ・アヴァンツィの作品なのか、全く分かりませんでした。
ローマ、コロンナ美術館にある「十字架磔刑」も私には判断不能でした。

パドヴァの教会にはゴシック様式の古いフレスコが沢山ありますが、多くの教会ではフレスコの制作者の名前が明らかにされていません。サンタントニオ聖堂の彼のフレスコに似たような作品があるので、中には彼の作品があるように思います。

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2012年09月20日 06時59分42秒

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「リナシメント芸術家(17) フランチェスコ・ベナーリオ」
初期ルネサンスに主にヴェローナで活動した画家フランチェスコ・ベナーリオを取り上げます。

彼の作品はあまり残されていませんが、彼が描いた「聖母子」の三つの作品を見て、画風の違いに驚いた覚えがあります。「聖母子」の二つの作品画像があるので、それらを見比べて戴くとその違いが分かると思います。


マンテーニャ風の「聖母子」でしょう。個人蔵で普段は見ることが出来ません。5,6年前にヴェローナのカステルヴェッキオ市立博物館で「ヴェローナゆかりの画家たち」?(標題はよく覚えていません)の特別展で、この作品が展示されていました。

彼はマンテーニャの影響が認められる画風とされているので、この作品が彼本来の作風を示したものではないかと思います。


この作品はヴェネツィアのコッレール博物館にあります。

聖母の表情、背景の描き方などを見て、有名な画家を思い出しませんか?
そうです、あのピエロ・デッラ・フランチェスカの作品と非常に似ていると思います。

カステルヴェッキオ市立博物館に常設展示されている、もう一つの「聖母子」があるのですが、これはマンテーニャの影響を色濃く示した作品です。(生憎、作品画像がありません)同博物館には彼の作品がもう一つあって、(「聖人たちに崇拝される聖母子のトリプテック」です)それもマンテーニャ・スタイルを思わせます。

作品が制作された年ですが、ピエロ風の「聖母子」が1480年代、作品画像のある、もう一つの「聖母子」が1465年頃、画像がない「聖母子」が1460年頃、トリプテックが1462年となっています。晩年近くなって、ピエロ風に画風が変わったのでしょうか?

Francesco Benaglio(1430頃ヴェローナ生まれ〜1492頃ヴェローナで没):
親類で画家だったジロラモ・ベナーリオに師事したと伝えられていますが、画風形成の過程は記録がなく分かりません。猥褻画を制作したことで監獄に入れられた記録が残っています。彼の納税記録がヴェローナに残されており、それによれば結構繁盛していたことが分かります。1492年、彼の息子が孤児と記録されているので、そのころに死去したとされています。

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2012年09月19日 07時35分11秒

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「リナシメント芸術家(16) ピエル・フランチェスコ・フォスキ」
ルネサンスをイタリア語ではリナシメントと言います。当たり前過ぎて恐縮ですが、一応念のためです。
この項の「リナシメント芸術家」ですが、今のところ800人を予定しています。

さて、今回はルネサンス後期に主にフィレンツェで活動した画家ピエル・フランチェスコ・フォスキを取り上げます。また、彼はピエル・フランチェスコ・ディ・ヤコポ・フォスキとも呼ばれています。


「婦人の肖像」です。マドリッドのティッセン・ボルネミッサ美術館にあります。

Pier Francesco Foschi o Pier Francesco di Jacopo Foschi(1502フィレンツェ生まれ〜1567フィレンツェで没):

画家ヤコポ・サンドロ・フォスキの息子で、父から絵画技術の手ほどきを受けた後、アンドレア・デル・サルトに師事しました。当時、アンドレアの工房にはポントルモ、ロッソ・フィオレンティーノ、フランチェスコ・サルヴィアーティ、フランチャビージオ(マリオット・アルベルティネッリの弟子ですが、アンドレアの助手を務めていました)がいて、互いに刺激を受けながら腕を上げていきました。アンドレアは名伯楽でしたから、後世に名を残した弟子がアンドレア門から何人も出たのです。


「男の肖像」です。ウッフィツィ美術館にあります。

アンドレア門ではポントルモの下で修業することが多かったようですが、ポントルモの独立後、暫くはポントルモの助手を務めました。やがて独立して、1540年から1445年にかけてサント・スプリト教会の三つの祭壇画を制作して成功を収め、これによってフィレンツェで確固たる地位を確立しました。
彼の真骨頂は寧ろ肖像画に発揮され、多くの注文を受けました。人物の稍横向きのポーズなど典型的なマニエリスム様式の肖像画が得意でした。
弟子にアレッサンドロ・フェイがいます。
ポントルモと関係が深ったピエル・フランチェスコですが、ポントルモ様式は自己の画風に取り入れず、ブロンズィーノが得意とした静的で優雅で且つスタイリッシュな寓意的肖像画のスタイルを取り入れました。彼の宗教画も次第にブロンズイーノの影響が強くなって、最終的に彼の画風はブロンズイーノの影響が強く認められるマニエリスム様式となりました。

私としては、彼の肖像画はモデルの個性をもっと強調して表現した方が良いのではないかと思います。

最後に、私が観た彼の作品リストをアップさせて終わりにします。(作品画像の二作品を除きます)
ウッフィツィ美術館:「音楽家の肖像」(2012年6月、この他に彼の肖像画二点、いずれも非常設展示ですが、を見ました)
フィレンツェ、サント・スプリト教会:「受胎告知」「キリストの復活」「キリストの変容」
フィレンツェ、中世邸宅博物館:「ヘラクレスの寺院」
フィレンツェ、サン・サルヴィ教会美術館:「キリスト」
フィレンツェ、アッカデミア美術館:「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」
ベルガモ、カッラーラ美術館:「若者の肖像」
ボルゲーゼ美術館:「大天使ラファエルとトビアス」

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2012年09月18日 08時32分46秒

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「リナシメント芸術家(15) ジョヴァン・バッティスタ・ラメンギ」
マニエリスム期にボローニャ、バニャカヴァッロなどで活動したジョヴァン(ジョヴァンニ)・バッティスタ・ラメンギ通称バニャカヴァッロを取り上げます。
彼の父バルトロメオ・ラメンギも画家で通称バニャカヴァッロと言われたました。通称の混乱を避けるために父をイル・バニャカヴァッロ・ヴェッキオ、息子の方はイル・バニャカヴァッロ・ジョヴァーネと呼ばれることもある様です。

彼の作品を初めて見たのはボローニャ国立絵画館で、一瞬フランチャの作品かと思いました。色使い、人物の表情表現がフランチャ(1450-1517)のそれと似ていたからですが、作品制作者を見て少し驚いたのを覚えています。全然知らない画家だったので帰国後調べて漸く分かりました。フランチャの画風は当時ボローニャで好まれたスタイルを具現化したものでしたが、時代を下った彼にフランチャ・スタイルが引き継がれたのは、父バルトロメオがフランチャの弟子で、ジョヴァンは父バルトロメオに師事して、父から影響を受けたからと思います。でもバルトロメオはフランチャの影響は殆ど認められず、パルミジャニーノの強い影響を受けた画風でした。この辺の所が非常に興味深いと思います。


「玉座の聖母子と聖人たち」です。ボローニャ国立絵画館にあります。
フランチャのマニエリスム風でしょう。これがジョヴァンの画風でした。

Giovan Battista Ramenghi, detto il Bagnacavallo(1521バニャカヴァッロ生まれ〜1601バニャカヴァッロで没):
父バルトロメオはカラッチ一族やグイド・レーニなどボローニャ派全盛の画家たちから深く尊敬されましたが、ジョヴァンの方は保守的でボローニャの新しい動きとは無縁だったと思います。


「アレッサンドリアの聖女カタリーナの神秘な結婚」です。ボローニャ国立絵画館にあります。

最後に、私が観た彼の作品をリストアップしましょう。(ボローニャ国立絵画館所蔵の二作品を除きます)
カポディモンテ美術館:「聖母子と聖ジョヴァンニーノ(幼き洗礼者ヨハネ)」
ベルガモ、カッラーラ美術館:「聖人と司教の四殉教」
ファエンツァ市立美術館:「聖霊降臨」「聖ペトロニオの降下」
ボローニャ、サン・アントニオ・アバーテ教会:「聖アナクレートの殉教」

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2012年09月17日 08時43分35秒

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「リナシメント芸術家(14) アントニオ・バディーレ」
今回は、16世紀中頃にヴェローナを中心にヴェネト各地で活動した画家アントニオ・バディーレです。

ウッフィツィ美術館やボルゲーゼ美術館など、イタリアでも有数の美術館で展示されている作品の制作者は、言わば全国区の画家・彫刻家ばかりとなりますが、少し地方の美術館を訪ねると、必ずその土地では活躍したけれど、それ程知られていない画家たちの作品に巡り合えます。
ヴェローナでは、そのような画家にアントニオ・バディーレがいます。

彼の作品と初めて出会ったのは、今から10年以上前、ヴェローナのカステルヴェッキオ市立美術館に行った時と思いますが、全然記憶に残っていません。彼の作品をはっきりと認識したのは、私がメモを取るようになった3年前、2009年2月でした。


「聖母子」です。ヴェローナのサンティッシマ・ナザロ・エ・チェルソ教会にあります。

Antonio Badile(1518頃ヴェローナ生まれ〜1560ヴェローナで没):
画家一家に生まれましたが、父には習わず叔父のフランチェスコ・バディーレに画家としての手ほどきを受けて、叔父の工房で修業を積みました。その後の修行についての記録が無く、画風形成過程がよく分かりませんが、初期はイル・モレットの影響を受けた画風でした。中期以降になるとティツィアーノの影響が徐々に強くなり、最終的にティツィアーノ追随者の様な画風に落ち着きました。ティツィアーノとの直接の接点は無かったようで、ティツィアーノの作品を通してティツィアーノ・スタイルを習得したようです。
どちらかと言うと、宗教画よりも肖像画に優れた作品を残しました。その肖像画、幾つかの革新的な暈しや鮮明な色彩を駆使して、人物と背後の対比を強調した、人物の深い感情表現が特徴と言えるでしょう。
また、アントニオは、ジョヴァンニ・フランチェスコ・カロートと共に、パオロ・ヴェロネーゼとジョヴァンニ・バッティスタ・ツェロッティの師匠としても知られています。

最後に私が観た彼の作品を列挙して終わることにします。(画像作品を除く)
ヴェローナ、サン・ベルナルディーノ教会:「ラザロの蘇生」
ヴェローナ、カステルヴェッキオ市立美術館:「三聖人」「聖母子とアレッサンドリアの聖女カタリーナと聖女マリア・コンソラリーチェ」「聖母と聖ディオニシオとマグダラのマリア」
ヴェネツィア、アッカデミア美術館:「修道士アヴァンツィ」
ヴェネツィア、コッレール博物館:「ヴェネツィア商人の肖像」(常設展示作品ではありません)

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from: シニョレッリさん

2012年09月13日 07時08分10秒

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「リナシメント芸術家(13) サンティ・ディ・ティート」
16世紀後半に主にフィレンツェ、ローマなどで活躍した画家・建築家のサンティ・ディ・ティートを取り上げます。

16世紀後半と言うとマニエリスムの全盛期でしたが、当初、サンティはマニエリスムの画風を示しましたが、ローマでラファエッロ後継者の古典主義に影響を受けるようになり、次第に初期ルネサンスへの回帰を目指しました。


フィレンツェ、ヴェッキオ宮にある「フェートン姉妹」です。

初期ルネサンスの傑作、秀作ばかりのフィレンツェにあっては、彼の作品はあまり目立ちませんが、時代毎に作品展示を行っている美術館ではマニエリスム様式の作品と並べて彼の作品が展示してある事が多く、その中では、彼の作品は当然異質に見え、非常に際立ちます。その辺が、私が彼の作品を好む理由なのです。


「聖家族と聖ジョヴァンニーノ(幼き洗礼者ヨハネ)」です。コルシカ島アジャクシオのフェッシュ美術館にあります。

余談ですが、コルシカ島は地理的にイタリアに近く、文化もイタリア風なので、イタリア領であるのが自然に思いました。


「聖トマスの幻視」です。フィレンツェのサン・マルコ修道院美術館にあります。

Santi di Tito(1536ボルゴ・サン・セポルクロ生まれ〜1602フィレンツェで没):
ボルゴ・サン・セポルクロ生まれの画家と言うと、ルネサンスの巨匠ピエロ・デッラ・フランチェスカが思い浮かびますが、時代が全く違うので、画風を含めてサンティとの接点は何もありません。
修業時代の記録が殆ど残されていないので、画風形成の詳細は不明です。然し、通説によれば、アーニョロ・ブロンズイーノ、又はバッチオ・バンディネッリに絵画技術を学び、次いでフィレンツェのセバスティアーノ・ダ・モンテカルロ工房で修業に励んだと思われます。


フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の「聖ドメニコの生涯」の一部「聖ドメニコと聖フランチェスコの邂逅」です。
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会は、トスカーナに於けるドメニコ会の中心的な存在ですが、サンティは1568年ドメニコ会系の聖トマス・アクイナス同信会に入会したことによって、ドメニコ会系の教会や同信会から多くの祭壇画やフレスコの制作、礼拝堂の設計などの注文を受けるようになりました。


「ニッコロ・マキアヴェッリの肖像」です。フィレンツェ、ヴェッキオ宮にあります。

1558年から6年間ローマに滞在し、更に腕を磨きましたが、その間、ローマのマニエリスムとラファエッロ後継者の古典主義に深い感銘を受けたようです。1564年、フィレンツェに戻りましたが、当時のフィレンツェの芸術界はヴァザーリ、ブロンズイーノの二人に主導されていました。そのこともあって、帰還当初はマニエリスム的傾向が強い画風を示したものの、次第に初期ルネサンスへの回帰を深めるようになりましたが、それに伴いヴァザーリから冷遇され、仕事に恵まれない様になりました。それを救ったのが前述のドメニコ会からの注文でした。


「若きマリア・デ・メディチの肖像」です。フィレンツェのMuseo dell'Opificio delle Pietre Dureにあります。

1574年、ヴァザーリが死去すると、「アッカデミア・デル・ディセーニョ」のリーダー的存在になり、フィレンツェの芸術界はサンティの主導下に置かれるようになりました。
更に初期ルネサンスへの回帰に加えて、バロックの自然主義の前兆を思わせる革新性を備えるようになりました。それに伴い、若き後継者が次々とサンティの工房で修業するようになりました。サンティは弟子の育成に優れ、多くの有能な弟子が彼の下から巣立ちました。堅実な構成、謹厳な宗教空間表現が得意で、聖職者をはじめ多くの人々から愛されました。
弟子にグレゴリオ・パガーニ、アンドレア・ボスコリ、アゴスティーノ・チャンべりなどがいました。また、チゴリやロレンツォ・リッピ、更に次の世代に当たるカラッチ一族などのボローニャ派に強い影響を与え、西洋絵画史上、重要な役割を果たしました。

フィレンツェ以外で彼の作品を見かけたのはプラート、アレッツォ、サンセポルクロくらいで、ローマでは見た記憶がありません。
上記以外に私が観た彼の作品を列挙して終わることにしましょう。
ウッフィツィ美術館:「聖母子と二聖人」「十字架磔刑」
パラティーナ美術館:「マリア・デ・メディチの肖像」「ジョヴァンニ・デ・メディチの肖像」
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会:「ラザロの蘇生」「受胎告知」
フィレンツェ、アッカデミア美術館:「キリストのエルサレム入城」「十字架降下」
フィレンツェ、Museo dell'Opificio della Pietre Dure:「フランス、アンリ4世の肖像」
フィレンツェ、サンタ・クローチェ教会:「キリストの復活」「エマオの晩餐」
プラート、Palazzo Alberti(ヴィチェンツァ大衆銀行副社長室):「フェルディナンド・ド・メディチの肖像」「十字架磔刑と聖ピエトロと聖フランチェスコとアレクサンドリアの聖女カタリーナ」「チントラの聖母と聖トッマーゾ」
サンセポルクロ大聖堂:「聖トマスの不審」
アレッツォ、国立中世近代美術館:「キリストの復活」

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2012年09月12日 05時12分55秒

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「リナシメント芸術家(12) フェデ・ガリーツィア」
今回は、16世紀末から17世紀前半にかけてミラノで活動した女流画家フェデ・ガリーツィアを取り上げます。


「ホロフェルネスの首とユディト」です。フロリダ州サラソータのリングリング・アート美術館にあります。ユディトがフェデの自画像と言われています。
7,8年前にローマ、ヴェネツィア宮の特別展で見た気がしますが、当時はメモを取っていなかったので、その記憶は曖昧です。

2012年4月にクレモナのアラ・ポンツォーネ市立美術館に行きましたが、その際、私が取ったメモです。(次の写真)観た作品全てを記録し、印象に残った作品については感想を記しておきます。これをやると記憶が曖昧になりませんし、次回行った時との展示の比較が出来るのです。有名な作品は別ですが、美術館の展示は意外に変わっているのが普通で、展示されなくなった作品や新たに展示された作品は、これをやると直ぐに判ります。加齢と共に、私の記憶力は怪しくなる一方で、一旦美術館の館外に出ると、作品の印象などは直ぐに忘れて残らないので、それを防ぐためにこれをやるようにしました。


Fede Galizia(1578ミラノ生まれ〜1630ミラノで没):
フェデはミラノで活動していた画家ナンツィア・ガリーツィアの娘で、父から絵画技術を学びました。彼女は早熟の天才で、直ぐに頭角を現し12歳までに一人前の画家として認められるようになりました。18歳の1596年には、当時の北イタリアで肖像画と宗教画の分野で良く知られる画家になっていました。


「パオロ・モリジアの肖像」です。ミラノのアンブロジアーナ美術館にあります。


「フェデリーコ・ズッカリ(ズッカロとも呼ばれます)の肖像です。フィレンツェのウッフィツィ美術館ヴァザーリの回廊にあります。
絵画ファンなら、フェデリーコ・ズッカリはご存知でしょうね。ご存知でない方もいらっしゃると思いますので、老婆心ながら付け加えることにします。ズッカリは後期マニエリスムの代表的な画家兼美術評論家です。異様なまでの非現実感、実体の無さや非物質的世界を描き、当時を席巻しましたが、死後、17世紀の美術評論家たちによって、「技巧化された様式」と厳しく非難され、名声が一変して地に落ちました。

フェデの肖像画は、モレット・ダ・ブレーシア、モローニ、ロレンツォ・ロットなどのルネサンスの伝統を引き継ぐ端正なもので今でも評価されています。


参考までにフェデリーコ・ズッカリの「自画像」を載せます。ウッフィツィ美術館ヴァザーリの回廊にあります。
フェデの肖像画と比較するのも面白いと思います。

西洋美術史上、彼女が評価されているのは、実は静物画で、初期の静物画分野を確立したとされています。


彼女の「静物画」です。クレモナ、アラ・ポンツォーネ市立美術館にあります。

美人と評判でしたが、何故か結婚をしませんでした。成功を収め幸福な生活を送っていましたが、1630年ペストで死去しました。

作品画像がありませんが、ミラノ市立博物館(スフォルツァ城)の「ゲッセマネ園のキリスト」とミラノ、教区博物館(Museo di Diocesano)の「ゲッセマネ園のキリスト」は傑作と思います。

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2012年09月05日 07時41分25秒

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「リナシメント芸術家(10) ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニ」
今回はマニエリスム期にフィレンツェ、ローマなどで活動した、ポントルモの一番弟子ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニです。


フィレンツェのヴェッキオ宮にある「灰色の琥珀の獲得(フレスコ)」です。

Giovannni Battista Naldini(1537頃フィエーゾレ生まれ〜1591フィレンツェで没)


「水浴」です。エルミタージュ美術館にあります。

1549年ポントルモに弟子入りして1556年までポントルモ工房で修業しました。7歳年上の兄弟子クリストファノ・デル・アルティッシモ(肖像画家として成功を収めました)よりも師匠の画風を受け継ぎ、ポントルモ芸術の継承者となりましたが、ポントルモの師匠であるアンドレア・デル・サルトからも大きな影響を受けました。1560年にローマに移り、更に腕を磨きましたが、1562年ヴァザーリから仕事の誘いを受け、フィレンツェに戻り、ヴァザーリの助手としてヴェッキオ宮装飾に従事しました。当時、フィレンツェの芸術界はヴァザーリとブロンズィーノが仕切っていましたが、ヴァザーリの助手になったことで、ヴァザーリのサポートを受けるようになり、それが切っ掛けでトスカーナで多くのパトロンを得るようになり、成功しました。また、1563年アッカデミア・デル・ディセーニョの共同設立者になりました。


「ピエタ」です。サンタ・クローチェ教会のミケランジェロの墓にあります。

ナルディーニ芸術の根幹はアンドレア・デル・サルトとポントルモの芸術継承者だったと思いますが、実際の仕事ではヴァザーリ、ブロンズィーノ路線に沿った寓意画に大きな足跡を残しました。芸術上の理念に基づいた作品の画風と寓意画の画風が可なり違うことから、理念と実際の仕事のギャップに可なり苦しんだことが分かります。
彼の弟子にカヴァリエリ・フランチェスコ・クッラディがいます。


「死せるキリストへの哀悼」です。個人蔵ですが、5,6年前にストロッツィ宮で開催されたマニエリスム特別展で見たことがあります。

最後に私が見た上記以外の彼の作品を列挙します。

ウッフィツィ美術館:「クレメンテ7世の肖像」「黒衣のジョヴァンニの肖像」「聖ベネデットと聖プラシドと聖マウロ
フィレンツェ、ヴェッキオ宮:「夢の寓意」「アンブラカネの集合」
ペルージャ、国立ウンブリア美術館:「聖母子の寓意」
ローマ、トリニータ・ディ・モンテ教会:「踊るサロメ(フレスコ)」「洗礼者ヨハネの斬首された首を持つサロメ(フレスコ)」

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from: シニョレッリさん

2012年09月04日 07時06分49秒

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「リナシメント芸術家(9) フランチェスコ・ナポレターノ」
今回は盛期ルネサンスに主にミラノで活動した画家フランチェスコ・ガッリ通称フランチェスコ・ナポレターノを取り上げます。


スフォルツァ城です。


スフォルツァ城はミラノ市立博物館が置かれています。遺跡からの発掘品、陶器、武具、衣装、楽器、彫刻、絵画など幅広い膨大な展示を誇ります。丹念に見て回るには相当な時間と体力が必要です。

フランチェスコは異色で謎の画家です。その所以は彼の作品を観れば一目瞭然でしょう。


ミラノ市立博物館にある、フランチェスコの作品「聖母子」です。

もう、お分かりですよね。そう、あのレオナルド・ダ・ヴィンチの作品そっくりでしょう。特に聖母マリアの表情がそうですし、窓の外に見える背景さえもレオナルドを思わせます。

Francesco Galli, detto Francesco Napoletano(1470?ナポリ生まれ?〜1501ヴェネツィアで没)

レオナルド・ダ・ヴィンチがミラノに来て、最初の工房を1490年に開設しましたが、その際、弟子入りしたのがフランチェスコでした。最も有能なレオナルドスキの一人と言われています。ヴェネツィアでペストで死去したのは確かとされています。
フランチェスコが異色で謎の画家と言われるのは、記録が非常に曖昧なことに加えて、彼の作品がレオナルドの作品そのものに近く、聖母のモデルもレオナルドと同じとしか見えないものがあり、1900年初頭までレオナルド作とされていた彼の作品が幾つか残っているからです。
ブレラ絵画館で展示されている彼の「聖母子」もレオナルド作と表示されていれば、其の儘通りそうな作品です。

ミラノやその周辺のロンバルディアの美術館や教会に行くとレオナルドスキの作品をよく目にします。それらの多くはレオナルドの作品と非常に似ているのが特徴です。弟子は師匠の画風の影響を受けるのは当然ですが、レオナルド・ダ・ヴィンチとレオナルドスキの影響は他の画家のそれとは違って、師匠そっくりなのです。

その理由を考えているのですが、私の独断と偏見では、レオナルドのデッサン、下絵、或いは未完成作を元に塗り絵をしたのではないか、と思うのです。

美術関係の文献や本などによれば、当時の工房の仕事ぶりが分かります。注文主との打ち合わせによって、どの様な画題にするか、どの様に仕上げるか、例えば弟子が描く場合でも聖母の顔は親方が仕上げる、などでを予め決めます。そして、作品を仕上げて、注文主が受領して初めてお金を受け取ることが出来ました。レオナルドの「岩窟の聖母」でも光輪を描かなかったばかりに返品、書き直しとなりましたよね。
聖母子のデッサンでも百枚くらい描いても実際、その仕事に着手することはなかったレオナルド、それにあの遅筆、未完成癖です。彼の工房は多くの弟子を抱えて繁栄していたと伝えられていますから、多くの作品を完成、そして注文主が受領したことが分かります。当然、親方レオナルドへの注文も多かったと想像できます。でも、それらの多くはレオナルドには出来なかった。その代りに、弟子がレオナルドに似せて描いた、と言うのが私の想像です。

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from: シニョレッリさん

2012年09月02日 06時58分41秒

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「リナシメント芸術家(8) フィリッポ・ナポレターノ」
今回は、バロック期に主にローマ、フィレンツェ、ナポリなどで活動した異色の画家フィリッポ・ナポレターノを取り上げます。
何故異色かと言うと、当時として珍しく都市や田園の風景、日常のシーン、静物を画題にしたのですが、単にそれだけに留まらず、動物の骨や兵士たちの異常な行動などを描きました。


「カタツムリ売り」です。パラティーナ美術館にあります。
初めてこの作品を見た時、展示室の中でこの作品だけが際立って異質で兎も角目立ち、思わず足を止めてじっくり見たのを覚えています。


トスカーナ大公コジモ2世から招聘され、メディチ家の宮廷画家に任じられましたが、当時の宮廷画家の最大の仕事は宮廷人の肖像画を手懸けることでしたが、彼の肖像画を見たことがありません。多分描かなかったと思います。


宮廷画家を務めていましたが、トスカーナ各地を遍歴して風景や街を描き、それらのデッサンは数百に上ります。宮廷画家時代の作品の多くはパラティーナ美術館に所蔵されていますが、常設展示されているのは4,5点に留まります。


「川の風景」です。パラティーナ美術館で常設展示されています。

Teodoro Filippo di Liagno detto Filippo Napoletano(1589頃ナポリ生まれ〜1629ローマで没)
ナポリの風景画家ゴッフレード・ワルスに弟子入りしてから、1614年ローマに移住してアゴスティーノ・タッシ工房に入りました。その間、ナポリかローマでベルギーの風景画家に出会った可能性があり、彼らから或いはベルギーの風景画家の作品から強い影響を受けたようです。前述のように1617年から4年間メディチ家の宮廷画家を務めましたが、1621年コジモ2世の死去に伴いローマに戻り、死ぬまでローマで仕事をしました。アダム・エルスハイマー、ポール・ブリル、アゴスティーノ・タッシの影響を受けた画風でした。


「牧草の上のピクニック」です。ウッフィツィ美術館にあります。


「二枚の貝」です。パラティーナ美術館にあります。

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