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独断と偏見で楽しむイタリア芸術

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  • from: シニョレッリさん

    2014年05月31日 07時45分32秒

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    リナシメント芸術家(62) ジョッティーノ(ジョット・ディ・ステファノ)

    マーゾ・ディ・バンコやナルド・ディ・チョーネなど、他の画家と間違われて、作品の帰属を巡って混乱が生じている画家ジョッティーノを取り上げます。
     
    Tommaso di Stefano o Maso di Stefano, detto Giottino o Giotto di Stefano(1324フィレンツェ生まれ-1369以降フィレンツェで没):画家Stefano Fiorentino(1301フィレンツェ生まれ-1350フィレンツェで没)の息子です。
    父は、ジョットの弟子だったようで(ギベルティが残した記録に、ジョットの弟子と記述されているのが根拠となっています)、当然のことながら画風もジョット・スタイル(ジョッテスキ)でした。と書きましたが、父の残された確実な作品として、2001年になって漸く一つの作品が帰属されただけで、それ以外に帰属が明らかな作品は一つも残っていないので、本当のところは不確実と考えた方が良いのかも知れません。
    さて、ジョッティーノですが、画家としての手ほどきを父から受けたとされており、父の工房で修業したと考えられています。その際、父から絶えずジョットのようになれ、と言われたそうです。
    それが切っ掛けになったのでしょう、ジョッティーノ自身のジョットの作品群を深く研究し、模写し対するうちに、ジョットの画風を把握するようになり、遂にはジョットの模倣を行うようになったとされています。という事で、彼の画風はジョッテスキそのものとなり、やがてジョッティーノ(小さなジョットの意味)と呼ばれるようになったと言われています。
    ところが、ヴァザーリの有名な「列伝」で、マーゾ・ディ・バンコやナルド・ディ・チョーネの作品(研究が進んで帰属が明らかになりました)をジョッティーノの作品と誤記述したのです。明らかに手が違うことから、作品帰属の研究が進み、決着した作品があるのですが、依然として帰属を巡って議論が絶えない作品もあるのです。
    長らく、ジョッティーノの作品とされていたフィレンツェのサンタ・クローチェ教会シルベストロ礼拝堂のフレスコ画は、マーゾ・ディ・バンコへの帰属が決まりました。
    私が見た彼の作品は次の3点だけです。

    フィレンツェの旧オブラーテ修道院(現Bibliotecca di Oblate)にある「聖母子と四聖人と磔刑」(フレスコ画 1348ー49c)

    ウッフィツィ美術館蔵の「ピエタ」(1360-65)

    ロンドンのコートールド美術館にある「キリストの埋葬」
    この美術館は印象派の殿堂ですね。

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