サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: シニョレッリさん
2016/09/01 16:38:18
icon
街歩き(126) ピストイア
ピストイア Pistoiaは、人口90,315人(2016年1月1日現在)のトスカーナ州ピストイア県にある県都です。
フィレンツェの北西33kmにあり、フィレンツェSMN駅から鉄道に乗れば簡単に行くことが出来ます。
駅舎です。この日はここで1泊するので、午後4時前の到着となりました。
駅前広場です。
駅からチェントロに向かう道路です。
ビジネスでも観光でも、この街に訪れる殆どの人はここに泊まらずに、フィレンツェからの日帰りをすると見え、ホテルの選択肢があまりありません。
フィレンツェまで26kmの標識があります。
写真右に城壁が見えてます。
城壁と城門を越えた直ぐの所にある小さなホテルがこの日のお宿です。
Il Roccon Rosso
城壁の大部分は20世紀初めに取り壊されました。
城壁が二重になっている箇所があります。
ホテルをチェックインして、PCを起動させメールをチェックしたら、相談事があったので、それに返信するだけで、街歩きをせずにその日が終わってしまいました。
(つづく)from: シニョレッリさん
2016/09/20 16:51:14
icon
街歩き(126)ピストイア(その7)この時間は開いていない筈のドゥオーモですが、次の目的は市立美術館なので、当然ドゥオーモも目にすることになります。と
-
from: シニョレッリさん
2016/09/14 16:40:08
icon
美術館・教会巡り(495) モンツァ大聖堂
アレンガリオの後方に鐘楼が見えます。鐘楼を目がけて行けばドゥオーモに出ます。
代々のイタリア王の戴冠式が行われたのがモンツァ大聖堂です。その際、戴冠するのが有名な「鉄の王冠」です。
イタリアの歴史上、重要な教会なのですが、意外にも日本人にはあまり人気が無いようです。
ドゥオーモ広場
正式名はBasilica Minore di San Giovanni Battistaと言います。
ロンゴバルドって、ご存知ですか?ロンバルディアはロンゴバルドに由来します。この辺はイタリア史の常識なので、私が書くのもなんですが、ローマ時代の蛮族ゲルマニアの一族がロンゴバルド人で、568年、東ローマ帝国領だった北イタリアに侵攻し、ロンゴバルド王国を樹立しました。
その王国の主要都市の一つがモンツァで、ロンゴバルドの王妃テオドリンダの夏の離宮がドゥオーモの隣地にありました。
595年、テオドリンダは離宮の隣に聖堂を建てましたが、その聖堂が前身です。
ゴシック様式の現在の建物は、初代の聖堂が老朽化したので、1300年に創建され、1681年に完成した二代目のものです。
高さ80mの鐘楼は1606年に完成しました。
ファサードのバラ窓の前にあるのは「洗礼者聖ジョヴァンニ像」です。
ファサードの装飾
ポータル上ルネッタの浮彫が見どころとされてます。
「キリストの洗礼」などがあります。
クーポラ
後陣
出入口の両脇にある獅子像
長い年月によって摩耗してます。
三廊式、ラテン十字形の内部です。
イタリア王の戴冠式会場に相応しい荘厳且つ豪華です。
左側廊
右側廊
見どころが豊富なので二回に分けて書きます。
(つづく)from: シニョレッリさん
2016/09/16 09:37:28
icon
美術館・教会巡り(495)モンツァ大聖堂続き主祭壇と後陣です。後陣のフレスコ画後陣は立ち入りが禁止されているので、フレスコ画をじっくり見ることが出来ま
-
from: シニョレッリさん
2016/09/13 10:59:40
icon
美術館・教会巡り(494) モンツァ、サンタ・マリア・マッダレーナ・エ・サンタ・テレーザ教会
チェントロの入口です。
写真右が教会です。
13世紀に建設されたサンタ・マリア・マッダレーナ修道院が前身です。同修道院の存在が初めて記されているのは、1343年のモンツァの公式文書だそうで、その文書は市立図書館で見ることができるそうです。
1584年、ミラノ大司教の聖カルロ。ボッロメーオが亡くなりますが、死の直前に古い修道院を取り壊し、その上に教会を建てることを承認しました。
その承認に基づき、1610年創建、1620年に完成した建物が現在の姿ですが、ファサードだけは違います。
ファサードの壁が1856年に一部崩落したので、モンツァの建築家ルイージ・リボルディの設計によって、1861年に再建されたファサードが今のものです。
ルネッタ上のフレスコ
ファサードの4体の聖人像は、ルイージ・コッキ・ダ・ミラノによって1861年から1863年に制作されました。
こちらは「聖テレーザ」
「聖マリア・マッダレーナ」
「聖ジュゼッペ」
「聖ミケーレ」
単廊式、ラテン十字形の内部です。
左側壁
右側壁
天井の装飾
主祭壇
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニの「キリストの施し」
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニの「マグダラのマリア」
ジュゼッペ・カルサーナの天井フレスコ画
ジュゼッペ・カルサーナのフレスコ画
18世紀のロンバルディアの逸名画家による「聖家族と聖テレーザ」
説教壇
詳細不明
外に出ました。
教会の隣の建物の壁に描かれたフレスコ画「聖母子と聖マリア・マッダレーナと聖テレーザ」 -
from: シニョレッリさん
2016/09/12 10:15:51
icon
美術館・教会巡り(493) モンツァ、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会
マンテガッツァ通りの先に教会が見えてます。
1576年、ミラノではペストが大流行しましたが、当時のミラノ大司教聖カルロ・ボッロメーロはペストで苦しんでいた人たちを救うことに尽力しました。ミラノだけではなく、ペスト禍で苦しんでいた近隣の町や村にも訪れてミラノと同様に人々の救出などに尽力しました。聖カルロがモンツァを訪れたのは1578年でした。
モンツァ生まれでモンツァに没した歴史家で科学者でもあったバルトロメオ・ズッキ(モンツァ、1570‐1630)は、幼少の頃に聖カルロ・ボッロメーオの善行を目のあたりにして深い感銘を覚えました。
そうして、1608年、バルトロメオ・ズッキの個人資産によって建設されたのが、この教会です。1630年、バルトロメオは没しましたが、全財産をイエズス会に寄進し、この教会への埋葬を遺言しました。
現在の建物は、このバルトロメオ・ズッキ通りを拡幅するために、19世紀終わりに取り壊され、建築家スピりと・マリア・キアッペッタの設計によってネオ・ゴシック様式で再建されたものです。
最初の建物は二代目のものよりも大規模でした。
教会前に立つ聖カルロ・ボッロメーオ像です。この像は初代建物ファサード前に立っていたそうです。
ファサードのポータル上ルネッタのモザイク
三廊式、ラテン十字形、ネオ・ゴシック様式の内部です。
左側廊方向
右側廊方向
これよりも大規模な教会が個人資産だけで建設されたことに驚きを禁じえません。
説教壇
主祭壇と後陣
祭壇前飾りの聖アグネスのモザイク
芸術的には、見るべき作品はこの1点だけと思います。
モンツァ生まれの画家ポンぺオ・マリアーニ(1857‐1927)の作品(1911)
ポンぺオの画風と全く異なる作品で、この教会のために制作し、寄贈しました。
外に出ました。 -
from: シニョレッリさん
2016/09/07 10:11:03
icon
美術館・教会巡り(490) モンツァ、サン・ピエトロ・マルティレ教会
この教会はイタリアの悍ましい歴史の舞台となったことで有名です。モンツァに行ったならば、ドゥオーモと並んで必訪でしょう。
教会はチェントロの北にあります。
カルロ・アルベルティ通りです。もうサン・ピエトロ広場が見えてます。
サン・ピエトロ広場です。
勿論、広場の名称はサン・ピエトロ・マルティレ教会から来ています。
1288年のモンツァの記録に、この教会の存在が記載されてます。また、司教区の1369年の記録に、この教会についての記述があるそうです。
しかし、併設されている修道院が1280年に建設された確実な記録があるので、それ以前に、恐らく13世紀中ごろの建設されたという説がある一方、修道院建設後の14世紀前半に建設されたとの説もあります。
教会と修道院はドメニコ会によって建設されました。
ドメニコ会は、聖ドメニコによって1206年に設立され、1216年に修道会として教皇庁から認可されたわけですから、ドメニコ会の教会修道院としては最古の一つと考えられてます。
この教会と修道院は、前述のように悍ましい歴史の舞台として有名です。その理由ですが、ドメニコ会、悍ましい歴史と書けば、お分かりの方がいらっしゃるでしょうね。
異端審問所が修道院に置かれ、拷問や処刑によって犠牲となった人たちが多数いるのです。ドメニコ会修道士が異端審問会に任命された理由をあれこれ並べられても、私なんぞはサッパリ分かりませんが、狂信的な修道士=ドメニコ会士、ですねえ。
ファサード側の出入り口は通常使用されず、身廊側の出入り口が開いてます。
身廊側ポータル上ルネッタのモザイク
三廊式、ロンバルディア・ゴシック様式の内部です。新しく見えるのは1960年台に行われた修復によるものです。
内陣中央から見た左側廊
左側廊
左側廊から見た内陣
内陣中央から見た右側廊
右側廊
右側廊から見た内陣
天井
主祭壇と後陣
1817年に改修された後陣です。
ところどころに14世紀前半に描かれたフレスコ画が残されてます。
ジョットの影響を受けたロンバルディアの逸名画家によって制作されました。
制作したのは複数の画家(マエストロ)と言われてます。
保存状態は良くありません。
17世紀の「磔刑像」(制作者不明)
フレスコ画以外にはあまり見どころが無いようです。
修道院に行きました。
異端審問所跡や拷問部屋などが見たかったのですが、開いていませんでした。
再び内陣に入りました。
外に出ました。
ファサード前にあるのは、地元出身の画家モーゼ・ビアンキ(モンツァ、1840‐1908)像です。 -
from: シニョレッリさん
2016/09/06 15:58:51
icon
美術館・教会巡り(489) ヴィテルボ、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会
バロック美術の宝庫として見逃せないのがサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会です。
城壁内のほぼ真ん中にあります。地元ではゴンファローネ教会と呼ばれるようです。
12世紀頃の記録によって確認されるサン・ジョヴァンニ・バッティスタ祈祷所が前身です。
1561年、バーニョレージョの聖ボナヴェントゥーラによって設立されたゴンファローネ同信会が祈祷所を活動拠点として定めたのです。
所が祈祷所は手狭で不便だったので、1664年、祈祷所を取り壊し、その上に新しい建物の建設が決定され、主にゴンファローネ同信会が資金負担することになりました。
そうして、ボッロミーニの弟子ジョヴァンニ・マリア・バレッタの設計によって、1665年に創建され、1726年に完成したバロック様式の建物が現在の姿となってます。
単廊式、バロック様式の内部です。
左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。
内陣中央から眺めた右側壁方向です。
実は単純な単廊式の構造ではありません。非常にユニークな構造をしてます。
8番が主祭壇です。後陣の後方に広い空間が設けられ、主祭壇のすぐ後ろに第二祭壇と言うべきものがあります。
内陣天井のフレスコ画は、ヴィンチェンツォ・ストリジェッリの「エンピーレオ(天空)」(1756)
主祭壇は二コーラ・サルヴィの手になるもので、彼の代表作(1746)として有名です。
内陣と後陣を隔てる壁にもフレスコ画が描かれてます。
アントン・アンジェリ・フラスキの「ヘロデ王の前に立つ洗礼者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)」(1756)
主祭壇画は、ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「キリストの洗礼」(1649)
主祭壇の裏側にも祭壇があります。
広い後陣の天井に描かれたフレスコ画は、ジュゼッペ・ローザの「洗礼者聖ジョヴァンニの誕生」(1747)
後陣の壁の装飾もジュゼッペ・ローザの作品(1748c)
後陣のルネッタに描かれたフレスコ画は、ジュゼッペ・ローザの「全能の神」(1747)です。
ドメニコ・ルッチに帰属する「受胎告知」(18世紀中ごろ)
ドメニコ・ルッチの「啓示を受ける聖ボナヴェントゥーラ」(18世紀)
ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「慈悲の聖母」(1649)
同じ「慈悲の聖母」が壁にも描かれています。こちらの制作者もロマネッリです。
セバスティアーノ・カレッリ・ダ・モンテフィアスコーネの「信奉」(1772)
セバスティアーノ・カレッリ・ダ・モンテフィアスコーネの「科学」(1772)
ジュゼッペ・ローザの「キリストの説教」
聖歌隊席上のフレスコ画は、ジュゼッペ・ローザの「洗礼者聖ジョヴァンニの斬首」
バロック芸術を堪能しました。
外に出ました。 -
from: シニョレッリさん
2016/09/05 09:20:03
icon
美術館・教会巡り(488) ヴィテルボ、サンタ・マリア・イン・ポッジョ教会
通りの先に教会があります。
サンタ・マリア・イン・ポッジョ教会です。サンタ・マリア・デッラ・クロチェッタ教会とも呼ばれているようです。
1076年に記録にこの教会の存在が初めて記されていますが、創建が具体的に何時頃だったのか不明です。
この教会が知られているのは、1251年に死去した聖ローザの遺体が教会前で荼毘に付された後、この教会に埋葬されたからです。そのため、聖ローザ信仰の巡礼地の一つになってます。
1258年、当時の教皇アレクサンドル4世によって、聖ローザの遺体が旧サンタ・マリア教会に移され、それと共にサンタ・マリア教会はサンタ・ローザ教会へと改称されたのです。
現在の建物は17世紀に再建された二代目のものです。鐘楼の写真がありませんが、現在の鐘楼は1258年のものです。
ロマネスク様式を模した手すり
ファサード前にあるのは13世紀に作られたFontana della Crocettaです。
初代の建物のロマネスク様式を踏襲した単廊式の内部です。非常に新しく見えるのは20世紀末の修復によるものです。
左側壁
右側壁
祭壇と後陣
17世紀のローマの逸名画家による「聖母子」
後陣のフレスコ画(20世紀末)
「ヴィテルボの聖ローザ」(21世紀)
実は、小さいながらもこの教会は貴重なフレスコ画や祭壇画が幾つかあることで知られてましたが、20世紀の大規模な修復の際に全て撤去されてしまい、新しく描かれたものに置き換えられてしまったのです。
それらは市立美術館やローマの美術館で展示される予定と聞いてます。
しかし、市立美術館では未だ展示されていません。
小さな教会では貴重な芸術作品に維持管理と盗難防止が大変なので、この辺は仕方がないと思います。
外に出ました。 -
from: シニョレッリさん
2016/09/03 10:21:34
icon
美術館・教会巡り(487) ヴィテルボ、サンタ・ローザ教会
城壁沿いの道から教会のクーポラが見えます。
クーポラはサンタ・ローザ教会のものです。
サンタ・ローザ通りの坂の上の突き当りに教会があります。
1235年にこの地に建てられたサンタ・マリア教会が前身です。
教会の完成後、恐らく数年後に修道院が併設されました。
その修道院で修業し、この場所に住みながら数々の善行を行ったのが聖ローザ(1233‐1251)です。
聖ローザが住んでいたCasa di Santa RosaはMuseoとして一般公開されてます。私が行った時は休館中でした。
1258年、当時の教皇アレクサンドル4世によって、聖ローザの功績を称えるために教会の名称がサンタ・ローザ教会に改称されました。
14世紀半ばに旧サンタ・マリア教会の建物は取り壊され、二代目の建物が15世紀中ごろに完成しました。
二代目の建物は18世紀の地震による被害、更に老朽化が進んだので、19世紀前半に取り壊され、その上に三代目の新古典様式の建物が建てられて1850年に完成しましたが、それが現在の姿となってます。奉献は1850年8月25日に執り行われました。
クーポラは1913年に建設されました。
三廊式、新古典様式の内部です。
左側廊
右側廊
この教会にあった貴重なフレスコ画や祭壇画は市立美術館で見ることが出来ます。
と言うことで、現在の見所は数か所に留まります。
主祭壇
主祭壇画は、フランチェスコ・ポデスキ・ディ・アンコーナ(1812‐1855)の「聖ローザの昇天」(1851)
後陣の装飾
祭壇横にある磔刑像は17世紀のものですが、制作者が不明です。
クーポラのフレスコ画は、二代目の建物のクーポラに描かれたベノッツォ・ゴッツォリのフレスコ画を模したものと言われてます。
ジュゼッペ・ピーコ・チェッリーニによって制作されたフレスコ画(1913)
四隅は四福音書記者が描かれてます。
「聖マルコ」
「聖ジョヴァンニ」
ドイツ人画家Michele Wittmerの「聖母子と聖人たち」(1845)
19世紀のヴィテルボの逸名画家による「聖ローザの功徳」
これが有名な「サンタ・ローザの多翼祭壇画」です。
フランチェスコ・ダントニオ・ザッキ・ダ・ヴィテルボ通称イル・バッレッタ(1419?-1476c)が1441年に制作したそうです。
中央パネルの「玉座の聖母子」
「ロレートの聖母」(詳細不明)
ジュゼッペ・シニョレッリの「聖ジュゼッペの死」(1830)
聖ローザの遺体が安置されてます。この遺体があるので、この教会は巡礼地となっているのです。
1457年、当時の教会カッリスト3世によって列聖されました。
祭壇前から見た出入口方向です。
次は修道院です。
修道院の入り口です。拝観しましたが、中は写真不可なので写真がありません。
外に出ました。
(おわり)
from: シニョレッリさん
2016/09/21 16:39:37
icon
街歩き(126)ピストイア(その8最終回)道の突当り(実際は突き当りではありません)に見える建物が見どころになってます。14-15世紀に建てられたPa