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  • from: 一久さん

    2006年09月09日 20時49分04秒

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    市民政府論 読了

    読書会

    ジョン・ロック著

    「市民政府論」岩波文庫 白7-7 読了。


    だいぶん以前に読み終えたのですが、風邪やら多忙やらで書き込む気にもなれなかった。

    感想も、とくにこれといってない。リヴァイアサンを市民政府論に限って詳解したようなものか、と。

    P 100〜101

    「その共同体が一体として決議する力をもつようにしたものであるが、この力はただ多数車の意志と決定によってのみ行なわれるのである」

    とロックは言い、その説明を続けるのであるが、ここに少し注釈を加えておく必要があるように思う。

    というのは、現代日本においては、「少数意見の尊重」の美名のもとに、多数決が軽視ないし蔑視されるきらいがあるからである。

    なぜ多数に従わねばならないのかといえば、「大衆より真剣に考えていると自称する少数者」の言うことが正しい保証がないからである。

    さらにいえば「真剣な少数者」にもいろいろあり、どう考えても一般大衆よりも劣等な意見しか持っていない「真剣な有識者」というものも存在する。

    彼らの「少数意見」をも多数決に優先させようということになれば、議会は混乱の極みに達するであろう。

    少数意見の尊重というものは、多数決を押し退けることではなくて、少数意見が多数を説得して多数意見の座を獲得する可能性の尊重のことである。

    それが行なわれるためには、多数者が自分達の目先の利益よりも、国家全体の公的正義の実現のために議事を運営するのだという意識を共有していること、そういう共同意識を多数派が持っていることを少数派もまた認めていること、それによって、少数派も多数派も国民としての連体を持っていること。これこそが多数決の(そして少数意見の尊重の)大前提なのである。

    ごく少数でしかない拉致被害者の人権のために、北朝鮮との交易が止まるということは、それのみを見れば多数者の利益に反している。

    しかしながら、拉致という非道がまかり通ってよいなどという考えが多数を占めることはありえないがゆえに、日本国は拉致問題を訴えているのである。

    少数者のための行為を、多数者が支持しているのである。そうであればこそ、国家は成立する。多数者が少数者の公的權利のために共闘するという連帯感なしには、多数決も民主主義も決して機能しないのである。

    少数者の言いなりになることが少数意見の尊重ではなく、少数意見のなかに虐げられた正義がないかどうか精査することこそが少数意見の尊重ということなのである。

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