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SIG 市民の討論広場>掲示板

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  • from: 一久さん

    2009年05月31日 21時02分46秒

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    デカルト 絶対者の証明


    【デカルト「方法序説」 雑感】


     なんとなく思い出したので書いておこう。

     デカルトが方法序説の中で書いていることへの雑感である。


     デカルトは、

     「人間は、不完全である」

     「絶対者は、完全である」

     「不完全なる人間が、完全である絶対者の存在を想像できる訳が無い」

     「だが人間は絶対者を想像している」

     「これは絶対者のほうから人間に対して啓示が与えられているからだ」

     ........と、いうようなことを言っている。



     このデカルトの推論には、誤りがある。

     今日では、ちょっと頭のいい中学生なら、デカルトに論駁することが可能であろう。

     しかし、だからといってデカルトの価値が否定されるわけではない。

     デカルトが科学的だと言われる所以は、その論が正しいか間違っているかではなくて、
     理論的に絶対者のことを考えたということにこそあるのだから。

     そんなの、あたりまえのことじゃないか、と思うだろう。

     日本人にとっては、神だろうがなんだろうが、理論的に考えるのは当たり前のことだ
     からだ。

     しかし、例えばアメリカ人にとっては必ずしもそうではない。「私には信じがたい」と
     いう意見表明だけが延々と続く宗教裁判みたいなことが今でも続いているのである。

     例の、進化論と天地創造説とを同列に教えよ、という主張などがそうである。

     そういう世界からみれば、デカルトの先進性は際だっていると言わねばならない。

     それはそれとして、では、子供にもできるデカルトへの反駁をちょっとばかりしておこう。



    【不完全な人間が、絶対者を想像することは可能である】

     

     デカルトの論の中心を為しているのは、不完全な者が「完全な者」を想像することは不
     可能だという断定である。

     一見、もっとものように思えてしまうけれども、それは錯覚にすぎない。

     なぜならば、人間はなるほど不完全であるけれども、一人一人の不完全さは決して同じ
     ではないからだ。

     一言でいえば、人には個性というものがある。欠点も長所も、人によって異なるのであ
     る。

     今ここに、歌のうまい人、「A」がいるとしよう。

          足の速い人、 「B」もいる。

     歌がうまくて、足の速い 「C」もいたとしよう。

     三人は顔を見合わせて考えるはずだ。

     「歌がうまくて足の速いCが最も完全に近い」と。

     そこに、絵のうまい人、「D」がやってきた。

     そうすると、彼らはこう想像するだろう。

     「この世界のどこかには、歌がうまくて、足が速くて、絵もうまい、そんな人「E」が
      どこかに存在するだろう」と。

     さらに、こうも思うはずだ。

     「この世界のどこかには、なにもかもに優れた超人「F」がいるかもしれない」

     さらには、

     「人間を超えた、すべてに完璧な存在「G」がいるかもしれない」と。
     
     このようにして、人間は、不完全であるが故にこそ、完全な存在を想像することができ
     るのである。

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  • from: 一久さん

    2009年05月31日 21時02分00秒

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    小林よしのり と 本多勝一

    【小林よしのり】

     オルティガの大衆の反逆を読んでいて思い出したのは、小林よしのりのことだった。

     小林よしのり、と聞けば、それだけで感情的な批判をする人が多い。ちょっとでも
    左よりの人々は、盲目的に突っかかっていくようだ。

     ところで、同じような立場にあった人が一人いる。

     本田勝一である。

     ちょっとでも右よりの人は、「本田はアカだ」とばかりに噛み着いたものである。

     それでは、本田勝一は小林よしのりに対して、どういう態度をとるのであろうか?

     やはり、凡百の評論家もどきと同じように、盲目的に非難するのであろうか?

     この問に対する答えは、すでにでている。

     ずいぶん以前の「ゴーマニズム宣言」に載っていたのだ。

     なんと、本田勝一は、小林よしのりの事務所を訪れて話し合っているのである。

     ゴーマニズム宣言を読みもせずに小林よしのりを論難するような人々が多い中で、
    「アカ」と呼ばれる本田勝一はそのような軽率な行動をせず、自身、本人から話を聞
    きにあらわれたのである。

     本田勝一とその他の評論家・素人評者との、なんと大きな人格の差であることか。
     

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  • from: 一久さん

    2009年05月30日 07時01分57秒

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    村上さんは悪くない

    【悪いのは村上隆ではない】

     ずいぶん以前、東京現代美術館の村上隆展のことをあれこれ言っている掲示板
    があった。

    「すごい」という少数の人と、「へっ、あんなもん」という人達。

     私もこの展覧会を見たけれども、そう、もしもあのいわゆるアニメ・オタク系のデザ
    インを村上氏ひとりのアイディアによるものだと思うのであれば、すごいと思わざるを
    得ないのであろう。

    しかし、この手のデザインは、この種のオタク系作家ならばプロ・アマを問わず誰でも
    創作できるものだ。いわゆるロリコン・エロ漫画の作者ならば、もっとすごいものを簡
    単に作ってしまうであろう。

     つまり、村上隆の個性がすごいのではなくて、彼の属しているオタク系統の画風が物
    珍しく写っているにすぎないのである。

     印象派というのはあっても、評価されるのは印象派の画家個人の個性である。もしも
    誰が書いても印象派なら似たようなものだったとしたら、印象派の画家達を評価するこ
    とはできまい。

     残念ながら、村上氏の作品には、そういう個人としての個性を感じることができない。

    誰か他の人の作品を持ってきて、「村上隆のだ」と言えば、多くの人は納得してしまう
    のではないだろうか。

     だが、悪いのは、村上氏ではない。彼を評価する評論家諸氏の無能にこそ問題が
    あるのだ。

     困ったことに、権威とか上流階級とかいう人ほど、マンガやアニメを見ない。ゆえに
    彼らには、その作品が村上氏の個性なのか、マンガ・アニメ派(?)の共通の技巧な
    のか、分別がつかないのだ。

     いわば、彼らは、印象派の絵はみんなルノアールだ、と言っているようなもの。

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  • from: 一久さん

    2009年05月30日 07時01分23秒

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    ビジネスホテル

    【ビジネス・ホテル 考】



     ビジネス・ホテルとはいかにあるべきか?

     それを考えるためには、まずはビジネスホテルとはなにものかを考えねばならない。

     ビジネスホテル=安いホテルという図式は、今ではまとを射たものとはいえない。
    なぜならば、ビジネスホテルよりも安い、カプセルホテルというものが普及している
    し、ビジネスホテル自体にもより高級なホテルが現れている。さらには、いわゆる一流
    ホテルのほうも、特別料金を設けて事実上の値引きをしているところもある。

     つまり、料金からビジネスホテルを定義することは適当ではなくなったのである。

     料金で定義できないのであれば、役割で定義するしかない。

     ビジネスホテルの役割は、もちろん、ビジネスマンの役にたつことだ。

     しかし、である。

     ホテルを仕事場にしようとか、仕事に役立たせようとか思うのであれば、ビジネスホ
    テルにではなく、シティホテルに泊まるべきである。料金が高いだけに、サポート体制
    も整っているだろうし、第一、取引相手に与えるイメージが良くなる。また、緊急の場
    合や、タクシーを利用する場合にも、メジャーなホテルであれば都合がいい。

     聞いた事も無いような安ホテルに泊まっている人よりも、ヒルトンや帝国ホテルに泊
    まっている人のほうが信用されるだろう。いわば、ホテルの信用を借用するのである。

     現実の問題としても、ヒルトンならすぐに連絡できるが、安ホテルの場合、控えをメモ
    しておかなければ連絡のつけようもない。(現在は携帯電話があるけれど)

     ビジネスホテルという名前が付いていても、ビジネスをするには不向きなホテル、そ
    れがビジネスホテルであるのだ。

     では、ビジネスホテルは何をもってビジネスマンに貢献するのであろうか?

     ビジネスで役にたたないのであれば、アフター・ビジネスで真価を発揮すればいい。

     つまり、ビジネスホテルの役割とは、客の心身の疲れを取り、疲労回復を図ることで
    ある。

     なんのことはない。ホテル発祥のホスピタリティ精神、それに最も忠実なホテル、それ
    がビジネスホテルなのである。

     逆に言えば、一流ホテルとか観光ホテルとかは、それ以外のものを取り入れようとする
    あまり、旅人を休ませるという最も基本的なところから離れてしまった感がある。

     高価で美味なものを食べさせれば、人はくつろぐことができるのであろうか?

     温泉や名勝に連れて行けば、ほんとうにリラックスするのであろうか?

     むしろ、それらが宿泊客にストレスを与えてはいないだろうか。

     ビジネスホテルこそが、ホテル本来の姿を追求する、真のホテルなのである。


    _________________________________________

     旅人を休ませるという目的を追求する、という目標が明らかになれば、なにをすべきか
    もまた、ハッキリとしてくる。

     【例えば】 日本人に最も安らぎを与える仕様にしなければならない。


      ・ シーツよりもフトン (多くの家庭において、ベッドでもフトンが仕様されている
                   はずである。シーツの間に入って寝ている人など、一体ど
                   れぐらいいるものか)

      ・ フロとトイレはセパレート (今や、ワンルームマンションでさえ、そうだ)

      ・ バスタブは和洋折衷タイプ  (一般家庭のフロのように、背中を流せるものにする)


      これからのビジネスホテルは、こうでなければいけない。

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  • from: 一久さん

    2009年05月29日 12時40分05秒

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    韓非子

    韓非子 解老を読んで


     解老とは、老子を解釈した文章である。それを読んで考えたこと。

     民衆は、現実を知ってはじめて自分の考えが間違っていたことを悟り、君子は道
     理によってそれ以前に己の過ちを知る。そして、狂人は現実を知ってなお、己の
     過ちを認めようとはしない。

     ここで、狂人とは精神障害者のことではない。真剣に物事を考え過ぎた結果、却
     って物事が見えなくなった人をいう。

     狂人と君子とは同じ知識人であるが、己の考えに捕らわれることによって、一方
     は狂人となり、捕らわれないことによって一方は君子となる。

     さて、現代の知識人のなかにも、こんな狂人諸氏はすくなくないようだ。

     己の見解や特定のイデオロギーに捕らわれてしまった知識人は、愚衆にも劣る人
     になってしまうのである。

     逆に、大衆の賢さはここにある。つまり、衆愚は己の強烈な信念などというもの
     を持たぬが故に、現実を見て堅実な判断をすることができるのである。

     「無思慮な大衆」であるからこそ、現実に根ざした選択ができるのである。これ
     こそが民主主義の利点である。

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  • from: 一久さん

    2009年05月29日 12時39分00秒

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    世襲問題


    【どこに問題があるのか】

     世襲が少なくない理由は、「オサマリがいい」からだそうだ。

     しかし、では、オサマリがいいとはどういうことだろうか?
     逆に、オサマリが悪いとはどういうことか?

     もしも、集票力・人望・力量すべてにおいて飛びぬけた候補者が
     存在するのであれば、オサマリがどうのという問題にはなるまい。

     また、そのような候補が複数存在したとしても、両者共に優れた
     見識の持ち主であれば、むしろ譲り合いを基調とした話し合いで
     最終候補を決めるであろう。この場合も、オサマリは初めから問
     題にならない。


    【オサマリが悪い場合とは?】

     ということは、オサマリが悪いとは、問題のある候補者しかいな
     い状況においてのみ、起こりえるものだということになる。

     すなわち、集票力はあるが性格的に難のある人物とか、人格は良
     いが、金も手下もほとんど持たない人間とか、そういう、問題の
     ある人間しかいないということである。

    (政策的力量は、まあ、無くても問題ない。政党政治だから。
     どうせ、一年生議員にできることなどほとんどない)


    【世襲の効用】

     前議員の子供だからといって、性格的に難のある人物が候補に選
     ばれることはまずないであろう。

     ぼんくら殿様はアリだが、凶悪暴君はナイ。それでは、「オサマリ」
     がつかないからだ。

     言い換えれば、世襲議員とは、人格的にマアマアの人物を候補者
     とすることによって、「根性ワルの実力者」を押さえ込む手法で
     あるとも言える。

     「前議員の身内」という天与の集票力によって、凡人若殿様でも、
     悪番頭を凌駕できるのだ。


    【世襲が禁止されたら】

     ということは、世襲が禁止された場合、「選挙には強いが嫌なヤツ」
     が晴れて候補者に選ばれる場合が多くなるということである。

     むろん、根本的に党内での候補者選定方法が改革されれば話は別
     であるが。

     その改革の目標もまた、「根性悪の実力者」自身が、「これで選ば
     れたヤツならば、ワシも協力してやらねばならんな」と思えるよう
     な選定方法であらねばならないということである。

     それはつまり、もし選定結果を無視して、立候補しようとしても、
     党内の誰もついては来ない、と思われるほどの信頼を得ることの
     できる選定方法でなければならないということである。

     結局は、政党内民主主義の出来いかんなのだ。

     

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  • from: 一久さん

    2009年05月28日 22時24分58秒

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    中韓への配慮が必要

    靖国問題のフォロー


    この問題について中韓両国に対してしていくのであれば、相手が理解でき
    る説明をしなければならない。

    日本に侵略を美化する意図はない、だとか、「死ねば仏」だとか、そちら
    に配慮したのだ、とか、これらは、決して中韓両国には理解できない弁明
    である。

     過去を美化する意図のないことを認めてしまえば、今後のおねだりが出
    来にくくなるし、「死者に鞭打つ」のがかの国の風習であるし、配慮した
    のなら、もっと配慮すべきだ、というのが人情であろう。

     故に、今の日本のメディアに出ている人たちの言う方法では、決して中
    韓両国は納得することはないのである。

     ではどうすればよいのか。

     両国は儒教の国である。

     儒教は先祖の祀りを大事にする。

     そこから説くべきなのである。

     「貴国にとっては仇というべき人物も、我々にとってはかけがえのない
    先祖である。その祀りを妨げることが道理にかなうと思うのか?」

     と問うべきなのである。

     祖先の祀りを妨げられた日本人が、貴国に対して新たな恨みを持つこと
    は避けがたい。

     あなた方は、足を踏まれた過去を強調するあまり、現代日本人の足を踏
    んでいることを、理解していない。また、それによって新たな危険を自ら招き
    寄せていることに気づいていないのだ。

     と主張すべきなのである。

     さらに言うならば、ベトナムは中韓の軍人に多数の国民を殺されたが、
    彼らがもし、ベトナムで戦没した貴国の人民の祀りを否定したら、どう思
    うのか。韓国虎部隊は韓国では英雄だが、ベトネムでは憎悪の対象なので
    ある。


     という具合に、「先祖の祀り」という点からせめて行けばよい。

     彼らの目的は金なのだ。

     あとは、自国の国民を言いくるめる口実があればよい。

     過去の罪を言い立てるよりも、先祖の祀りに理解を示したほうが金にな
    るとわかれば、方向転換するだろう。

    _________________________________

     言論の自由

     言論の自由のない国の言論は、軽んじられねばならない。

     日本のいいぶんを知る事のできない、中国人や韓国人が何を言っても、
    まともな言説として取り上げるわけにはいかない。

    言論の自由のない社会に住んでいるというだけで、その人の思想もまた、
    常識のあるものとは認められないのである。

     言論の自由がないということは、かくも恐ろしいことなのか。

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  • from: 一久さん

    2009年05月28日 22時24分21秒

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    近隣諸国への配慮が必要

    近隣諸国に対する配慮


     「近隣諸国に対する配慮」これほど近隣諸国を侮蔑した言葉はない。
    また、これほど日本国の評判を貶めてきた言葉もまたない。

    そもそも、近隣諸国にたいする「配慮」とはなにか。

    日本国の真意は他にあるけれども、相手の国民感情に配慮して説を曲げ
    ることである。

    日本人同士であれば、麗しい思いやりの行為であるのかも知れない。

    が、はっきりいってこれは、虚偽行為である。相手の国民をだましてい
    るのである。少なくとも、多くの外国ではそのように受け取られる。

    さらに、日本側の真意は他にあるのであるから、「近隣諸国に対する配
    慮」によって説を曲げた直後から、真意を表す声が必ず揚がってくる。

    それを知った相手国は、日本のことをどう思うか。

    「日本人は、”またもや”我々を裏切った」と思うのである。

    ________________________________


    日本流の「配慮」は、日本以外では単なる「嘘」でしかない。

    また、

    「嘘」の後では、真意の表明も単なる「裏切り」と判断される。

     それゆえに、日本の外交は、「配慮」をする報酬として「嘘つき」「裏
    切り者」という評判を受け取ってきたのである。

     外交というものはまず、こちらの真意を伝えることから始まらねばなら
    ない。その結果、多少の波風がたつことは当然のことなのだ。

    それによって、日本が世界で孤立する、などということがあろうか?

    もしそうであるならば、日本はイラクやイスラエルよりも北朝鮮よりも邪
    悪な国家であることになろう。幸いにして、日本はそこまで悪い国ではあ
    るまい。

    逆に、日本がその真意を率直に述べることに対して、強行な手段を採る国
    があるとしたら、そのような国こそ、のろわれるべき国家である。

    孤立するのは、むしろそういう国家のほうであろう。


     真意をぶつけ合うことからは友情が生まれえるが、嘘と裏切りからは、
    決して真の友好関係は生まれないのである。

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  • from: 一久さん

    2009年05月27日 07時09分20秒

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    神経質な人は無神経


    神経質な話


    ずいぶん以前のTV番組でのこと。

     ある女優が太れない悩みを持っていて、その原因が自分の神経質な
    性格にあると判った、と言った。ヤセ過ぎの人は神経質な人が多いと。

    それに対して、ビートたけしが「松村や伊集院は、けっこう神経を使
    っている」と反論していた。まわりもそれに同調していたようだった。

     しかし、私に言わせれば、二人の言うことはどっちも正しい。ただ
    問題がすれ違っているのである。

    つまり、神経質であることと、他人に神経を使うこととは別の事なの
    だ、ということが理解されていなかったのである。

     それどころか、神経質な人は多くの場合、他人に対して無神経であ
    る。イライラ・ギスギスしている自分の態度が、いかに他人を不愉快
    にしているかに思い至らない人が多い。

     「神経質な人は無神経」なのである。

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  • from: 一久さん

    2009年05月27日 07時08分15秒

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    核問題が小で、拉致問題が大


    【核問題が小であり、拉致問題が大である】

    マスコミや野党は、核問題が大であり、拉致問題が小であるかの
    ように論じ、いまにも「大の虫を生かす為に小の虫をみすてよ」
    と言いたげであるが、それは事の大小を見誤った俗物的発想である。

    拉致問題は、単なる犯罪行為ではない。北朝鮮という国家による
    日本国民に対する加害行為であり、戦争行為に準じるものである。
    ゆえに、もしもこの問題を切り捨てるような選択を日本国政府が
    行なった場合、日本国民はもはや国家を信用しなくなる。

    他国に国民を売渡す国に、愛国心など持てるはずもないではないか。
    拉致問題の軽視は、日本という国の崩壊を意味することになるのだ。
    それゆえにこの問題は、最優先されるべき課題なのである。


    【核問題は大問題にあらず】

    拉致問題にくらべれば、核問題など、たいして重要なものではない。
    北朝鮮が核武装を進めようが、戦争を計画しようが、あるいは実際に
    その被害が日本に及ぼうが、そんなことは所詮は外形的な問題にすぎ
    ないからだ。

    外形的問題に対しては、対策が可能である。日本も核武装を進めれば
    よいのだし、場合によっては先制攻撃も許されよう。

    どうしても専守防衛に拘りたいとか、核アレルギーが払拭できない、
    というのであれば、「ハリネズミ武装論」でも構わない。迎撃ミサイル、
    ファランクスシステム、レーザー兵器、その他、考えられるだけの撃退
    兵器を開発・配備すればよいだけのことだ。すべての発電所や重要施設に、
    迎撃ミサイルや自動追尾機関砲が設置されることになる。

    そのための戦費は、「愛国・国防債権」を発行してつくればよい。今の
    日本国民の経済力をもってすれば、十兆円ぐらいは楽に作ることができ
    よう。それ以前に、日本がそのような毅然とした態度を示すだけで、多
    くの問題は霧散してしまうであろうけれども。

    【ボクサーの苦悩、死病の苦悩】

    核問題は、ボクサーが試合に出るまでに費やす苦行と、試合で負うこと
    になる傷に似ている。困難で危険を伴うが、精神は濁ることはない。

    拉致問題は、不治の病に似ている。病院のベッドに寝ていれば楽ではあろ
    うが、国の根幹を完全に腐らせるのである。

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